2012.09.30 11:40

 私はおよそ偉い人間ではありませんが、いちおうは渋谷教室の「教室長」という肩書きになっています。偉くなくても、偉い人だと思いこむ生徒や保護者の方がいらっしゃるかもしれません。
 逆に講師や一緒に働いてくださる方は私が間が抜けていることを熟知されているので、気楽におつきあいしてくださいます。いい意味でもーーひょっとしたら悪い意味でもーー「この人はべつに特別な人ではない」と思ってくださっている。

 大切なことはこういうことだと思っています。
 私はとくに強く神さまを信じたりしていませんがーーそういう個々の内面の問題についてそもそも語ること自体を好みませんーー仮にこの世の中に至高の何かが存在するとしたら、人間のすべての迷いや悩みについて「それは大丈夫」と即答するであろうという確信はあります。それはそうでしょう。至高の存在なのですから。どうしよう、大変なことになったとおろおろしているようでは情けないですよ。その範疇で語られている神さまというのは、自分には人間の想像の産物であるとしか思えないのです。

 天にあるが如く地にも・・・です。私は教室ではどういう相談を受けても「大丈夫です」と即答できないといけないと思っています。ぼく(私)は勉強がいやになりました。大丈夫だよ。お子さんが言うことを聞いてくださらない。大丈夫ですよ。志望校をどうしたらいいかわからない。こちらでも考えるから大丈夫。
 先生が何かのアクシデントで来られなくなった。大丈夫です。教務のどなたかが勘違いした。大丈夫、大丈夫。生徒同士が揉めている。私があいだに入るので大丈夫・・・という感じですね。

 先生が突然いらっしゃれなくなったりすると本当は大騒ぎなのです。あちらこちらに連絡をして、代講の手続きなどをとらなければなりません。しかし、その混乱した空気を周囲に(ここは大切です)感じさせない努力は絶対に必要だと思っています。苦労している様子は見せないということですね。
 ご家庭と同じで、一家の大黒柱が右によろけ左によろけ、四六時中ぴりぴりしていてはご家庭が明るく治まるわけがありません。家族みんなが幸せになれるわけがないでしょう。

 私のいちばん大切な仕事は第一声でとにかく「大丈夫です」と明るく言い切れることだと思っています。そのあとで本当に大丈夫になるよう理論構築していけばいい。そこは塾関係の経験は豊富ですから、多少いびつな形でも何とかなりますし、実際何とかしてきています。
 ある形でどうにもならなくてもべつの形でうまくいかせる構想力ももちろん必要ですね。感性を磨く努力だけは続けないと。

 中学生(高校生? 大学生? 社会人?)のあなたはきっと将来たくさんの人をまとめる立場に立つことになると思います。能力のすごく高い人間がときに上手に人をまとめられなかったりするのは、例外なくご本人が切れ者すぎて周囲に不安を与えてしまうからです。すごい人だけど・・・大丈夫なのかな? という感じですね。他者の見えない問題点がどんなに見えていても、とりあえずは不安を与えない覚悟は大切かもしれませんよ。
 
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2012.09.29 12:48

 昨晩は両親のところに行きました。80代と90代ですからね。何が起きるかわからない。ときどき様子を見に行っています。
 するとこういう話が出てきました。両親の知人が亡くなった。ご夫婦の奥さんのほうが亡くなったというのです。70代ですからまだ若いと言えば若い。親孝行のお子さんからご夫婦での豪華な温泉旅行をプレゼントされた。そのご旅行の最中に亡くなったというのです。

 旅館に着いて、まずお風呂に入ろうということになった。男女別々の露天風呂というのがあった。ご主人が先に風呂からあがって部屋で待っていると奥さんがなかなか帰ってこない。おかしいなと思っているところに、顔色を変えた仲居さんが来た。倒れているのは奥さまではないですか? お気の毒なことに、そのまま帰らぬ人となってしまったそうです。
 それはそれで一つの物語です。問題はここから。両親が「本当にかわいそうだ」と嘆いている。

 しかし、よく聞いてみると「せめてご馳走を食べさせてやりたかった」などと言う。「さぞかし豪勢な夕食が用意されていたのだろう。それをぜんぶ食べてからならまだ心残りも少しは軽減しただろうに」みたいなことを真剣な表情でいつまでも語り合っているので、不謹慎ながら笑ってしまいましたよ。そんなところに話のポイントがあるのかよと。善良な老人たちではあるのですが。
 私はこの事実をはじめて聞かされたとき、こう感じました。

 亡くなったことは悲劇ではあるのでしょうが、どうしてもその日に亡くなる運命であったとするなら、タイミング的にはちょうどよかったのではないかと感じました。つまりいよいよ旅がはじまったというところで倒れた。今日一日、すべての幸福の可能性とともに亡くなったということは、すべてが終わってしまったあとより少しだけ救いがあったのではないかと考えたのです。
 若い方はデートなんかでも心あたりがあると思いますよ。スタートしたときがいちばん幸せに満ちている。

 待ち合わせ場所に相手が来た。いきなり食事したりはしないでしょうから、公園でも歩こうかということになる。途中コンビニエンスストアーがあったので飲み物を買って行こうと相談する。で、お店のなかで「これは飲んだことがある」とか「これは飲んでみたかった」とかあれこれ話している時間は、今日一日のありとあらゆる歓びの種が含まれていて、本当に幸せな瞬間だと思うのです。ある意味でそこが幸福の絶頂ではないですか。

 まあ、こういうのは一例ですが、同じ物事でもどこに視点を持つかによって全然解釈が変わってしまいます。できればーーご自身のためにもーー世の中のすべての事象について、肯定的に解釈されるクセをつけられるといいと思います。
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2012.09.28 13:50

 現在、じつはZ会進学教室ではない部署からの依頼で小学生の勉強法についての原稿を書いています。こういうのはーーあたりまえですがーーかなり真剣に書かないといけません。私のことをご存知ない方が読まれるわけですから、微妙なニュアンスが伝わりにくい可能性があります。そこを伝えていくだけの繊細な表現が必要ですね。抽象的すぎてもいけない。具体的すぎても味気ない。なかなか難しい。

 あれこれ迷ったとき、気分転換に何をしたらいいのか。
 私は、まったくべつの種類の文章を書くようにしています。ブログもそうですね。昨日のブログは自分でもなかなか面白く書けたと感じているのですが(内容はばかばかしいですけど)、こういうまったく違うタイプの文章を書いてからすぐ真面目なもの(?)にもどると行きづまっていた箇所が動き出す感覚があるのです。
 これを身体を動かして気分転換したりすると案外うまくいきません。

 この感覚は将棋の大山康晴永世名人のエッセイを読んでいてつかみました。彼はタイトル戦のときなどは、将棋と似たゲームをやって気分転換を図るのがいちばんであると言っています。名人の場合は麻雀だったみたいですね。室内で相手の顔色をうかがうような同じ種類のゲームをやることで将棋も勝つ。第一人者であろうと思うのなら、ゴルフなんかで気分転換を図るべきではないとまで書かれていました。
 普通は頭を使って疲れると身体を動かしたりするものですが、名人だけあって視点が違うなと思いました。

 勉強に疲れたときもじつはほかの科目の勉強で気分転換を図るといいのです。身体を動かしたりテレビをつけたりしていると学習意欲そのものがなくなってしまうことが多いですよ。で、机にもどるのは面倒だなーと感じる。
 それよりは英語に疲れたら数学、数学に疲れたらまた英語にもどるということを心がけてみたらいい。さらに黙々と勉強することに疲れたら音読をするという感じで、五感を十全に働かせるようにするといい。

 教室に来るとき、歩いている途中で雨が降ってきました。私は自宅の傘を次々教室に持ってきて貸し出し用にしているぐらいたくさん傘は持っているのでここで一本買うのはばかばかしいという気持ちがありました。バスに乗ればよかったともちょっと思った。しかし、そこは考えかた一つです。
 濡れて歩くあいだは冷たい雨の感触を楽しみ、傘を求めてコンビニエンスストアーに入ったときはお店の様子を楽しみ、傘をさしてからは雨の匂いを味わいながら駅に向かいました。貸し出し用の傘なんていくらあってもいい。人生、すべからくこうでありたいですね。

 それではまた勉強法の原稿にもどります。
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2012.09.27 17:20

 今日は「半休」というシステムを利用してたったいま教室に来ました。午後5時ですね。文字通り半分だけお休みをいただいた形になります。阿佐ヶ谷駅からバスで来たら(一度乗ってみたかった)出発から渋谷駅到着まで丸1時間もかかってしまいました。時間はかかりましたが、知らない路線はやっぱり面白い。途中で一匹の蜂が高く高く空に舞い上がっていく光景を見て、何だか知りませんが「おおーっ!」と感動しました。これこそが生きる力だ! と。私は何でもかんでもすぐに興奮する傾向があります。

 歳をとって、かなり自分がわかってきました。私は自分のテーマ曲をブラック・サバスの「アイアン・マン」だと決めています。出棺のときは(葬式はやりませんが)「アイアン・マン」で送ってもらいたい。
 仮にいま私が結婚式をするとしたら(まさかしませんが)新郎新婦登場の際はやはり「アイアン・マン」を大音響で流すと思います。相手の女性の好みなんて知ったこっちゃないですよ。美学に殉じて生きろということです。

 こだわりはいろいろあり、まず半袖や短パンで外に出ません。アイアン・マンがそんな軽装でどうする? 鉄を着ろ。「僕」という呼称を使いません。すべて「わたし」か「おれ」です。「僕、おなかが空いた」などというアイアン・マンがいるわけがない。さらに他者を呼ぶときはすべて「きみ」です。生徒であっても「お前」は使わない。「お前」という呼称はパンクっぽいからいやなのです。すべてメタルらしくしないと。
 さらにさらにある時点から、村上春樹を一切読まない、山下達郎を一切聴かないという妙なこだわりが生じました。

 若いときに好んで読み、聴いたものです。私の世代は皆さんそうでしょう。多くの方が感じられたと思うのですが、彼らはデビュー時からあきらかに世界的な規格を持っていました。はじめから全然違う印象で、こりゃ、すげーのが出てきたぞと感じたものです。
 しかし、ある時点から読まない、聴かないと決めました。アイアン・マンが達郎のラヴソングを聴きながらベランダで世界の村上春樹を読んだりしていてはいけないという使命感からです。

 ですが、アイアン・マンも昨日ちょっと魔が差しまして、発売されたばかりの山下達郎4枚組ベストアルバムを買ってしまいました。彼の音源を入手したのは二十数年ぶりです。それを今日は携帯用のプレイヤーに録音した。で、長いことバスに乗って聴きながら来たわけです。
 万が一にも周囲に音がもれないように気をつけましたよ。顔だけはアイアン・マンを聴いているみたいにして(どういう顔だよ)座っていた。途中蜂の飛翔に感動したのですが、あれはやはり聴いていた曲の高揚感のせいでもあるのでしょうね。
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2012.09.26 13:54

 勉強に限りませんが、何かがうまくいかないときはやることが多すぎるのです。勉強しかやっていない? いや、私が言いたいのは「心の中」のことです。心の中がざわざわしすぎているのです。
 できるようになりたい、偏差値を上げたい、だれだれに負けたくない、どこどこ高校(中学、大学)に絶対に受かりたい・・・そうした思いはもちろんあって悪いとは言いませんが、勉強そのものではありません。核心ではないということです。

 一般的には、生活がわさわさしすぎていることが多いと思います。繰り返し書いていますが、より多く何かをやるのではなく、何かをあっさり捨てることでうまくいくケースが多々あります。やらないでおいたほうがよさそうなことはないか探してみてください。人によって違うと思います。忙しすぎる部活かもしれないですね。友だちといつも一緒にいる習慣かもしれません。テレビかもしれませんしゲームかもしれない。あまりにも読書しすぎている? そういう人もいるでしょう。

 静かなときを作ってください。1人で(これは絶対に1人がいい)静かに考えてみましょう。自分はいま本当に〇〇(勉強でも運動競技でも仕事でも何でもいいですよ)に真剣に向き合おうとしているだろうか? 〇〇に愛情を持って接しているだろうか? 〇〇を大切に、好きになろうと心がけているだろうか? 〇〇がうまくいくことで自分自身を幸せにしようとしているだろうか?
 そうしたことをじっくり考える。そのうえでそんなに大切な〇〇の時間を確保するために、どこを削ればいいか冷静に計画をたててください。

 男女(べつに男女でなくてもいいのですが)の恋愛と同じです。一緒にいながら相手が大切かどうかわからなくなってくる。すると冷めてしまいます。相手がどれほど大切かということをつねに想起しながら歩かないといけません。いるのが当然ではない。いなかったら大変なのです。感謝しながら毎瞬毎瞬を過ごしていく覚悟を持つ必要がありますね。
 こういうことは「あえて意識する」のです。意識する時間や空間ーー心の余裕ーーを作らなければだめなのです。

 スランプに悩んでいる人は、毎日静かにその物事に対する熱意を取りもどす時間を作るといい。生きることがその物事と一体化できているかどうか。不協和音みたいなものが生じていないかどうか。万が一にも得意にしようとしていることを憎んだりしていないか。
 生活のダイエットが必要ならそうしてください。友だちと帰る時間を1人で帰るだけで時間は作れます。意識的に生きることでスランプからは必ず抜け出せるものです。
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2012.09.24 13:20

 なさけない男というのがいますね。私はこのなさけない男というのがけっこう好きです。けっこうどころじゃないな。大好きみたいなところがあります。美学を感じるのです。
 なさけない女性にはあまり美的なものを感じません。このあたりいい悪いではなく、好みなのですね。ですから、私は私自身がなさけない男であってもまったく構わないと思っています。むしろそのほうがかっこいいのではないかと半ば本気で考えます。

 具体的に書くのは難しいですね。「シー・オブ・ラブ」のアル・パチーノとか「タクシー・ドライヴァー」のデ・ニーロとか「真夜中のカウボーイ」のダスティ・ホフマンとか・・・なさけないと言えば相当なさけない。しかし、そのなさけなさが胸を打つ。
 同性だからかもしれないですね。女性から見るとちょっと異常な感じがするかもしれません。別れた奥さんに真夜中に電話をかけて切られてしまったり(おおっ! かっこいい!)。

 女の人に恋をして相手にしてもらえなかったことがあります。最近ではないですよ。20代のころです。失恋したあとも何度も彼女の自宅を見に行きました。見に行って何をするわけでもない。ただ見て、失恋したんだなとひしひしと感慨にふける。もうどうしようもないもんなと自分自身のふがいなさを責める。それが非常に楽しい(?)時期がありました。
 山下達郎さんの音楽を携帯用のプレイヤー(当時はカセットテープのものでした)に入れて聴きながら行きます。

 で、駅からずーっと歩いていく。彼女の家の前を横切る瞬間はこの曲と前もって決めてあるのです。ところが微妙に計算がズレて、変な曲のときに着いてしまう。これではだめだと再び駅から歩き直す。何度やってもズレるので発狂しそうになりましたよ。
 こうなってくると相手の女の子はもうどうでもいいみたいになってきて、要するに自分自身に酔っているわけです。アル・パチーノみたいにもっとよろよろ歩いてみようとか、そうだタバコをくわえてみよう! とかやたら盛り上がったりしました。

 ただ、いまでも私には若干そういう部分があります。会社をクビになって奥さんや子どもに捨てられ泥酔して歩いている途中、大成功した古い知人にばったり会って「おれはすべてを失ったんだ」と頭を抱えているところを見てもらいたい(←ビョーキ)。
 落魄願望と言ってしまうと単純なのですが、たぶん子どもっぽいのでしょうね。私はときどき自分のことをとても幼稚だと感じるのですが、脳の特定の部分だけが成長できなかったのかもしれません。
 
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2012.09.23 13:11

 いつのころからか、自分と他人を比較するのは、ちょっと下品なことではないかと考えるようになりました。昔は意識しなかったのですが、現在は非常にそういう気持ちが強い。ですから、もう長いこと私にはライバルみたいな存在がいません。他者に対してそういう気持ちを持てないのですね。
 趣味の将棋にしても、勝ったり負けたりしている相手を強く意識するということはなくなりました。そのまま「勝ったり負けたりする」という感想だけです。

 世の中、私より豊かな方もたくさんいらっしゃいますし、貧しい方もいらっしゃいます。経済的な問題だけではないですよ。私より家族がたくさんいらっしゃる方もいれば、そうではない方もいる。私より有名な方もいればそうではない方もいます。そういうことをいちいち意識して生きるのは、何かしら自分の人生に確たる自信を持てないからではないか。
 人さまの庭は青く見えるという意味のことわざがありますが、うらやましがる行為自体が自分自身を傷つける原因になりますね。

 人間、幸せの理由を外に探しに行くようではだめなのです。中学生ぐらいの方にはなかなかわかっていただけないかもしれませんが、何とかくんの家はお金持ちでいいとか何とかさんは勉強がよくできていいとか、そんなことをうらやんでいるようではだめなのです。
 内側に幸せを見つけることを考えてください。内側のどこに? なんて質問はしないのですよ。こんなに花が咲いて鳥がさえずっているのに幸せになれませんか? おいしいご飯を食べて何も感じない? 好きな人があんなに笑っているのに不幸なのですか?
 
 世の中の真実や美を能動的に見つけ出そうという姿勢、さらには善をなそうという意欲、そうしたものが人間に幸福をもたらすのです。幸福を得るために外をうろうろと探し回らない覚悟、それこそ品格だとか品性だとか呼ばれるべきものだと思いますよ。
 勉強の本当の目的はーー最終的にはーー各人の品性を高めることにあります。いい大学(中学、高校)に入っていい職業につくことだけが目的ではない。そんな目的だから、せっかく高い地位についてもつまらないことをしてしまう人間が出てくるのです。

 内側に幸福を見つけることが人格の陶冶にもつながると考えて、一歩一歩学んでいってください。宗教的な話みたいになってしまいましたが、宗教ではありません。内側に幸福を見つけることで人格を高め、人格が高いがゆえに世の中の役にたつというむしろ数式ですね。1+1=2というだけのシンプルなお話です。
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2012.09.22 15:14

 とにかく便利な世の中にはなりました。昨年、一緒に大学に通っていた仲間が私のことをインターネットを通じて「発見」してくださったことがありましたが、昔だったら永遠にわからなかったでしょう。
 検索欄に名前を入れてポンとキーを押すだけで何十年も会っていなかった人間がーー場合によりますがーーたちどころにわかってしまう。こわいぐらい便利だと思います。

 私にもじつは同じような経験があります。昔ーーもう35年昔ーーちょっと知っていた大学生(男性)がいました。早稲田大学の学生さんで将棋の道場で知り合いました。将棋が非常に強いしっかりした男で、私はいろいろな意味で彼のことを尊敬していました。
 ところが、彼はあるとき大学をやめると言い出しました。医学の道を志すというのです。で、将棋の道場にも現れなくなった。

 彼のことはときどき思い出しました。ただわかっているのは彼の姓名と九州のある県の出身者であるということだけで、調べようがありません。
 あるとき、ひょっとして・・・と期待しながら彼のフルネームを検索してみました。すると出てきましたよ。あるクリニックと院長の写真が。彼は郷里で大きなクリニックを経営されていました。おおーっ! と成功されたことをとてもうれしく感じました。

 先日、私の尊敬する大宮教室長のI先生が下町のある居酒屋を教えてくださいました。非常にレトロな感じのお店で、私が好きそうだと思って教えてくださったのでしょう。「インターネットで調べてみてくださいよ」とおっしゃるので調べてみると、なるほどこれは是非行きたいという感じでした。さすがはI先生、シブいお店をご存知です。
 と同時に何かーー非常に複雑な何かがーー胸にひっかかりました。行ったことのないお店なのに知っているような気持ちがする。

 理由がわかりました。12年ぐらい昔に刊行された「続・下町酒場巡礼」という本で見たことのあるお店でした。その本は掲載しているすべての酒場の住所をあえて載せていません。よそ者が踏みこんでいって、せっかくの空気を乱してしまってはいけないという配慮からだと書かれていました。大きな住所だけが書いてある。渋谷区渋谷という感じで。
 書物には印がついていました。探したけれども見つからなかったという印です。あきらめたときの記憶がかすかにあります。

 改めてインターネットで場所を確認しました。駅から400メートル以上離れていては、見つからないわけですね。地図もちゃんと出ていますし、写真も口コミ情報もたくさん載っている。今度、行ってきますよ。
 ただ何かしらそうやってぜんぶわかってしまうと寂しい感じが残るのも事実です。見つからない何かを思う心というのも、人間には必要なのかもしれませんね。
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2012.09.20 13:37

 帰るのがだいたい深夜の12時ぐらいになります。電車に乗っているのは11時台が多いですね。正味30分ぐらいのものでしょうか。電車のなかでは本を読んだり音楽を聴いたりしているのですが、ときどき何もせずに周囲の人間を観察しています。なかなか面白い。
 昨晩もこういうことがありました。ある駅で私の立っているまえの席がさーっと空きました。そこに女の子3人組がなだれこんできた。

 私に座られないうちに・・・ということで大慌てでなだれこんできたのですが、私はもともと通勤電車のなかでは座らないと決めているので(肩が触れるのがいやなのです。バスはそこまでくっつかないので座ります)、そんなに慌てなくてもいいのにとお嬢さんたちを観察していました。
 30代かな。会社や仕事のグチをこぼしている。聴いていてわかったのですが、3人ともすごく転職したがっています。

 一人が「長い休みがとれるところがいいよねー。あたし、海外行きたいから」と言う。べつのお嬢さんが「だいたい残業がこんなにあること自体信じられないよね」と言う。もう一人が「うちの会社の人じゃ結婚しようという気にもなれないし」と言う。
 正確ではないですよ。少し違っていたと思いますが、次から次へとそんな話が出てくる。「だいたい自分が休めないからあたしたちにも休みかた考えろなんて、平成のこの時代に信じられなくない?」などとも言っていました。

 そのうち医者か弁護士と結婚できたらいいだろうなあ、楽だろうなあ、働かなくていいもんなあ、遊んで暮らせるんだよ・・・みたいな流れになってきた。友だちのだれだれは夢を追って転職(?)したけれどもお金に苦労している。ああはなりたくないからこんなくだらない仕事でも続けていかなければならないと嘆く。「もっと自分を活かしたいよね。こんなことやってても全然輝けないじゃない」と言う。

 しかし、どうなのでしょうね。「海外に行くために長い休みがとりたいから」「ここの会社なら結婚したい人もいるだろうから」「残業がないから」「自分だけが輝きたいから」・・・などという本音では、どこの会社も雇ってくれないと思いますよ。さらに「自分は働きたくないし楽をしたいので結婚してください」と言われて、はいはいと結婚してくださるお医者さんも弁護士さんもいらっしゃらないと思います。自分が何を与えられるかなのですよ。
 
 人間の価値というのは、存在しているだけでももちろん十分にあるでしょうが、自分を「ここ」から活かしていく過程により強く出てくるように思います。「こうなったら」活かせるのに・・・ではない。「ここ」で活かす。
 それは先輩や後輩に心をこめて挨拶することかもしれませんし、身の回りをーーほかの方の領域も含めてーーきれいにすることかもしれませんし、お年寄りに席を譲ることかもしれません。何でもいいから、とにかく「この瞬間」から心をこめて動くことが大切です。

 たとえばあなたが親だったら、お子さんにやさしい言葉をかける。少し手のこんだおかずを作ってその苦労をお子さんと語り合う。彼らがいてくれてどんなに自分の人生が充実しているかを話してみる。あなたが中学生高校生だったら、授業中先生の説明がわかったらあえてうなずいて見せる。みんなが出していなくても自分だけは宿題を提出する。後輩にも「さようなら」と自分から挨拶する。あなたが先生なら、あたりまえのことであってもできた生徒は必ず褒める。強く叱りたいところを全体の空気を悪くしないために少し抑えめに叱る。いろいろできることはあると思います。その工夫がそれぞれの「修行」でしょう。

 世の中が悪くなる一方だと嘆く人間はとても多いのですが、それだけではなく、でも自分がいるから大丈夫だと言えるぐらいにならないと。私はいつもそう考えています。世の中メチャクチャと言えばメチャクチャですが、私がいるかぎり私の周囲は大丈夫です。生徒と話すときも最後はそう言う。そして、いずれはきみもそういう人間になってくれと言う。表現は違っていても、私が語っていることのすべてはそこに集約されますね。
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2012.09.19 13:56

 こうやってブログを続けることは趣味以上の、あるいは仕事以上の何かだと思うようになりました。私のつたない文章を読んでから寝るのが習慣になったなどというコメントをいただくと、まあ気まぐれでいいや・・・とはなかなか考えられなくなります。いい加減な気持ちではいかんだろうと思い、一日一日つまらないにしても魂をこめて書いているつもりです。

 記事が千本を超え、書くことが見つからなくなってきたのも事実です。意識的に同じことを書くのはちょっと気がひけますから、同じ題材を扱うにしても何かしら視点を変えたいと思うわけです。
 書く領域を広げるというのはどうなのでしょうね。スポーツの話題を出したり海外旅行の話にしたりというのは、目先は変わりますがそれこそ魂がこもらない気がします。本当の自分ではないからですね。

 最近は扱う題材を徹底して調べるようになりました。だいたいのところは知っている。知ってはいるけれどもそのレベルでは一度書いてしまった。というわけで、さらに知らないことはないか調べます。
 インターネットという便利な道具がありますから、わざわざ図書館に行かなくても広範な知識を得ることができます。

 調べておいても必ずしも書くとはかぎりません。そのまま何となく記事にできないときもある。何が記事になって何が記事にならないか、基準は自分でも判然としません。勢いみたいなものがあるのですね。
 先日、さんまについてもう一度書こうと思いつき、あれこれと調べてみました。するとすごいことがわかりました。びっくりしました。おいおいおい! ですよ。

 さんまの塩焼きを食べているとーーはらわたのほうですーーときどき赤い腸管みたいなものが出てきますね。出てこないときは気づかなかったのかな? と思う。どの部位だかよくわかりませんが、はらわたの一部だと思ってありがたくいただいていました。
 ところがあれは「ラジノリンクス」という寄生虫だそうです。人間には無害だと書いてありましたが、わざわざありがたがって食べなくてもよかったなあ。

 こういうどうでもいいようなよくないような雑学が増えてきました。ときどき授業中に喋ることもあるのですが、わかりきっているようなことでも念のために調べてみるのはいいことだと思います。
 学生時代、英語の先生にLONELYという単語の発音記号を改めて見てみろと言われてびっくりしたことがあります。「ロンリー」ではないのですね。ご存知でしたか? さんまの寄生虫はともかくとして英語の発音は大切なので、一度確認してみてください。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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