2012.06.30 15:27

 けさは4時ぐらいから起きています。本当は6時に起床すればよかったのですが、起きても寝てもどちらでもいいというときは起きることに決めています。老い先短いですからね。あとでつらいかも・・・とは考えません。
 起きて窓を少し開け、香を焚きながら音楽を聴きます。さらに新聞を読み、コーヒーをいれ、家内のパソコンでブログにコメントが来ていないかどうか確認します。そして、将棋の研究をする。最後に今日の運勢をカードで占い、気をつけるべきことを考えます。

 自宅を出るのは8時と決めていたので時間はたっぷりある。時間がたくさんあるという贅沢気分を味わうのですね。将棋は同じ棋譜を2回並べます。一度だとすぐに忘れてしまう。
 神保町に将棋の本をたくさん置いている古書店があります。有名なお店みたいですよ。連休初日にそこで一冊実戦集を買いました。それを並べる。私程度の棋力では手の意味より途中に書かれている心構えが役にたつ感じです。

 ブログのコメント欄にコメントが来ていました。よしきさん。この方は相当のロック通なのですが、いったいどういう関係の方なのだろうと不思議な気持ちになります。ルーク・モーリーの音源に興味を持たれるというのは相当ですよ。私はTHUNDERの大ファンというわけではなかったのですが、ルーク・モーリーは非常に好きでした。相方のダニー・ボウズがどんどんおじさん化(?)していくのにルークは今日に至るまでロック然としています。ちょっと陰のある感じですね。それなのにわざと陽気に見せている。

 日本人ギタリストのCHARとも通じるものを感じます。ロックの世界の人なのですが、ラテンとかソウルのテイストを強く感じる。ルークのほうが少しだけブルーズ臭が強いですかね? で、どちらかというとファンクの要素が強いのがCHARかもしれません。
 昨年、あるお母さまと面談していてひょんなことからCHARの話になりました。住んでいらっしゃる場所や高校の話題から突然そうなった。

 私が大ファンだと告げると、お母さまのお姉さまがやはり大ファンで、お若いころ一緒にアイドル時代のCHARのお宅(クリニックだったはずです)をこっそり見にいかれたことがあるそうです。私も戸越銀座商店街で犬を連れたCHARを見たことがあるので、妙に盛り上がりました。
 で、本題(お子さんの受験の話)に入ると、なぜかお互い突然よそよそしくなってしまう。さっきまで私も「それ、すごいじゃないですかー!」なんて言っていたのが、「〇〇高校がいいのではないでしょうか」となってしまう。

 まあ、それでいいのですね。ずーっと音楽談義しているわけにはいきませんから。ロック好きの方にはひとりでに親近感が湧きます。ただ何をロックと定義するかというのは人それぞれ違う感じです。
 西洋では「ロック」と「ロックン・ロール」は完全に同じみたいですが、日本では微妙に違うような気もします。音だけでなく精神的風土も微妙にズレる感じが・・・私だけがそう思うのかもしれません。
 
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2012.06.29 12:59

 今日で連休も終わりです。あっという間でしたね。いつもそう。あれもしようこれもしようと予定をたてるのですが、すべてはできないまま終わってしまいます。渋谷教室にはこの機会に海外ーー行き先はばらばらですーーに行かれた方も複数いらっしゃるのですが、皆さんお元気にされているのかな。帰るのがいやになっちゃったりしていたら困るなーと変なことを心配しています。まあ、職場も可能な限り楽しくしていきます。

 来月は勉強についての講演会を何回かやります。渋谷教室での回はおかげさまで満員になってしまったのですが、三島の本社で実施するものは連休前にまだ空きがありました。少し根本的なところからお話してみようと思っています。根本がしっかりしていないから技術が活きない。丁寧にと言っても、根本がぐらぐらしていると「何のための」丁寧さかということがわからない。で、ただのろのろしているだけでますます失速してしまう。

 3回は書いてみなさいとか音読しなさいとかすべて「秘訣」と言えば「秘訣」なのですが、そもそもがいやいややっていると「秘訣」が生きてこない。ただのテクニックみたいな軽いものになってしまって、魂がこもりません。魂がこもっていなければーーそれは楽器演奏でもダンスでも絵画でも将棋でも健康法でも何でも同じですーー昇華していく境地までたどりつけません。結局自己変容が起きず、面倒臭いから我流でいいやと元にもどってしまいます。

 勉強ができるようになるというのは小手先の問題ではない。人間が変わるということです。それはやはり楽器演奏でもダンスでも何でも同じ。あることがものすごく得意になりはじめたときにはそれ以前と明らかに「人間」が変わっているのです。もちろんいい方に。より高いレベルの意識を持ちはじめた。簡単に言うと大人になったということです。それでは、大人とは何か・・・ぜんぶ書いてしまうと喋ることがなくなってしまうので、当日までもう少し練りますね。

 私はものすごい数の「実例」を知っているわけで、これは本当に財産だと思っています。よくできた生徒の共通項というものが明確にわかる。逆に悲劇的な事例も知らないわけではない。つまり、その共通項をただ押しつけただけでは問題が生じる可能性があるということです。
 そうそう、今回の講演会は生徒ご本人に語りかけたいので敬語を使わないことにしました。「ご納得いただけますか?」などと言っていたら伝わらないような気がします。「わかるかい?」のほうがいい。大人の方はどうぞご理解ください。

 

 
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2012.06.28 11:39

 昨日まで旅行してきました。変な旅。祖父母の住んでいた街に遊郭があったそうなのですが、私はつい先日まで知りませんでした。建物が残っているという情報をインターネットで知り、二か所うろうろしてきました。そういうの興味があります。一か所はなるほどど感心し、もう一つはわかりませんでした。街全体が変わってしまったのですね。

 二日目は例によって名古屋。イケ面立川教室長W先生もご両親といらっしゃったという名居酒屋Dに寄りました。日本一の居酒屋と言う人も多い。昨日は改めて本当に別格だと思いましたよ。
 夕方の4時からお店は開くのですが、3時ぐらいから微妙にやることがなくなりました。ひまでひまで仕方がない。足が悪いのに歩きすぎということもあった。

 栄という東京でいうと歌舞伎町みたいなところ。街はずれに公園があります。近くのコンビニで缶ビールを一つ買い、ベンチで飲みながら時間をつぶしました。ホステスさんらしき人が携帯電話でだれかと話しています。あとは赤ちゃんを連れたインド人風の女性。ときどき水商売関係の男の人が公園を横断していきます。周囲はいわゆる風俗店ばかりで、「普通の」人はいないのですが、私はこういうある種猥雑な雰囲気も嫌いではありません。

 名居酒屋Dには改めて感動しました。殻つきシャコを食べた。関西風につけ汁で。お店は例によって満員でした。静かにシャコの殻をはずしていると突然ご主人が「どうぞー」とウエットティッシューを持ってきてくださいました。「これで拭いてねー」と。
 ふつうは絶対に気づかない。でも、わかる人はわかる。わかっても気づかないふりをするという手もある。私なんか一見客と同じです。でも、ご主人はそういう扱いをしません。日本一と言われる所以ですね。

 おとといの朝、ラジオをつけていると健康法で有名な先生がこういうことをおっしゃっていました。身体を意識しろと。身体を意識することが健康になる秘訣だと。「たとえば立っているときに足の薬指や小指はどうなっています?」同じようなことを考えているものだなと思いましたよ。 
 勉強も同じです。つねにやっていることをーーあるいはやっていないことをーー強く意識してください。全部同じ。要するに「気づいているかどうか」なのです。
 
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2012.06.25 11:54

 連休開始です。教室が閉まっている期間は本当にほっとできる面があります。ふだんは休みをとっていても、万が一教室で何かあったら出かけていかなければならないですからね。まあ、事件はめったに起きないのですが、いちおうそういう気構えでいます。
 そうそう、昔こういうことがありました。その日、私はお休みでした。休みの日、ほっとして体調が少しだけ崩れることがあります。緊張感がなくなるからでしょう。

 朝からちょっと熱っぽかった。あえて風呂に入ったあとも蒲団の中でぐずぐずしていたら、夕方教室から電話がかかってきました。アクシデントがあり国語の先生が突然来られなくなったというのですね。国語・・・ということは自分がやるしかないと判断しました。わかったと言って電話を切り、服を着替え外に出たときにはもうすっかり熱っぽさなんかは消えていました。朝から何も食べていないことに思いあたりましたが、食事をする時間もないのでそのまま授業に突入し、しかし問題なく切り抜けました。いいクラスだったな。

 そんなものですね。気持ちの張りがいちばん大切でしょう。
 私は昔からできるだけ授業間近にものを食べないようにしています。外食が多いですからね。万が一悪いものを食べて授業中具合いが悪くなったりするといけないので、少し経過を見られるようにあいだを空ける。
 ですから、たとえば土曜日のように午後いちばんで授業がある日は、午後の3時以降にはじめて固形物をとります。それでちょうどいい。

 政治がばたばたしているみたいですね。ここまで成熟した日本の社会(石器時代に比べればいちおうそういうことになると思います)では、私はあまり「政治によって」人間が幸せになれるとは思っていません。もっとべつの理由でそれぞれが幸福をつかまなければいけないと考えているのですが、よく言われるように権力を握るから堕落するのか、もともと堕落した人間だったから権力を強く志向したのか、少しだけ興味深く政局を観察するときがあります。個々のどなたかのことではないですよ。人間の本質に興味があるだけです。

 本科生の皆さんもほっとしているかもしれませんね。学校のテストが近い生徒も多かった。気分を一新して頑張ってください。
 いつも言うように何をやっているかをつねに意識して。筆記用具の感触、消しゴムを使ったときの抵抗感、静かに音読しているときの自分の声のなめらかさ、計算練習の文字の丁寧さ・・・そういうことをつねにつねに意識してください。
 また、連休中にどこかで記事を書きます。
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2012.06.24 09:45

 Z会進学教室、今日から休講期間に入ります。授業はありませんよ。今日は入試研究会があるので教室に来ていますが、明日から金曜日までは教室も完全に閉まります。渋谷教室に関して言えば、土曜日は都立高校の校長先生にいらしていただいて報告会が開催されますので、30日は開いています。ただその日も授業はありません。

 お休みの期間、一泊だけ旅行に出たりしますが、ブログは何回か書くつもりです。この期間の休みというのははじめてのことなので、何となく得したような気持ちになりますね。世の中は連休でも何でもない。相対的に得したような気持ちになる。
 もっともその代わりお正月なんかは元旦1日しか休みがないわけで、これはこれでバランスがとれているのでしょう。

 入試研究会では国語について私もお話します。国語だけのお話のときは楽と言えば楽です。専門のことですからね。
 「親の心得」とか「勉強ができるようになるには」というようなタイトルのときのほうが若干苦心します。非常に大きな枠から注意深く考えていかないといけないですから。また、あんまり突っこんでいって変に厳しくなりすぎてもいけない。そもそも希望を持っていただくためにお話しているわけですから。

 教室に通っている生徒にとっても数日間のお休みがあってよかったのかもしれません。3月スタートでちょっとばたばたしてきた子が何人かいる。とくに中学1年生。
 ここでどう進むかということを一度落ち着いておうちの方と話し合ってみるといいですよ。たしかに学校の仲間よりは大変になってきているでしょう。部活ももっとやりたい。もっともっと遊びたい。しかし、それでは届かない何かがあったからこそ入ってくださったわけですね。

 あなたが得たいものは何なのか、きちんと考えるいい機会です。毎日を何となく過ごしてはいけない。ひしひしと「意識して」勉強するならする。もし、べつの生き方を選択したいのであればやはりひしひしと「意識して」勉強しないならしない。するから偉くてしないからだめだということはありません。
 自分の道が「わかっている」人が偉くて、無意識な人がだめと言うか要するによくないのです。ですから、現状がよくないのであれば本当の自分に気づく必要があります。そこは12、3歳の少年少女でもしっかりしないと。

 通信添削の方もそうですよ。そもそもどういう志を持ってはじめてくださったのか。それが何となく失速してしまったのはなぜなのか。人間、いつでも「この瞬間」からのスタートです。手遅れということはありません。再び顔をあげて頑張ってくださったらいいと思っています。ご縁があったわけですから。
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2012.06.23 13:18

 昨日はお休みでした。息子の通っていた高校をはじめて見てきました。幼稚園、小学校、中学校と彼が在籍中に見ましたが、高校だけはとうとう一度も行きませんでした。息子が「一度ぐらい見ておきなよ」と言うので、ちょっと見てもらいたいのかなとも思い、行ってきました。そのあたりの微妙な気持ちを読むのは大切ですね。
 中堅の都立高校なのですが、息子は交通の便だけで選択したようなところがあります。自転車で通える高校。

 私は自転車に乗れない(!)ので、電車で行きました。駅からけっこう歩きましたよ。何だか寂しい感じのところで、息子はここに3年間通ったのかと感慨深いものがありました。制服(標準服というのかな)姿の高校生がたくさん下校してきました。ほとんどがそうです。
 息子はいつも制服を着ていきませんでした。卒業式でさえあえて黒いTシャツで行った。浮いていたと思いますよ。このなかでは浮きまくっていただろうなと思います。

 彼は大学に入って3ヶ月ぐらいたつわけですが、構内の食堂にはまだ一度も行っていないそうです。私もそうでした。苦痛なのですね。落第したりして5年間大学にいましたが、学食で食べたのは2回だけです。そのうちの1回は知人(将棋友だち)と一緒だったので仕方なく入りました。
 家内が嘆くわけですよ。「育て方が全然違っても結局遺伝で同じような人間になっちゃうのね」と。

 私は父から厳しく躾けられました。小学生のころから完璧に敬語を使いこなすことができました。いまはわざと崩して使っていますが、そういう厳しさはしみついています。その厳格さがいやだったので、息子のことは本当に自由に育てたつもりです。敬語どころか小学校時代は何度も親が先生に呼び出されましたよ。男の子はそれぐらいでいいと思っていた。
 それがいつのまにか内省的な人間になりました。ごく少数の、決まった友人としかつきあわなくなりました。

 振り返ってみて、自分は非常に微妙な人生を歩んできたとつくづく感じます。普通ではなかった。普通ではない危うさと普通ではない楽しさがあった。そもそも普通というものに参加しようという意志が希薄なのです。自転車に乗れないこともその一つ。乗ろうという気持ちがない。飛行機も、ディズニーランドも、海外旅行も、意欲が湧きません。
 自分に似ているというのはちょっと心配でもありますが、心情は理解できます。人生を面白がってくれたらいいのですが。
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2012.06.21 13:20

 道徳的なお話ではありません。
 教室にテキストや筆記用具を忘れてくる生徒がいます。まあ、たまにはそういうこともあるでしょう。貸し出しています。そのとき、名前を書いてもらう。で、帰るとき、名前の欄にチェックを入れてもらうようにしています。確かに返却しましたという印ですね。

 何年かまえ、頂点をきわめるような生徒は一度もテキストなどを忘れないという記事を書いたことがあります。池袋教室時代、ものすごくできる男子生徒がいました。有名人でした。テキストなど3年間本当に一度も忘れませんでした。数学の先生にうかがったところでは、宿題を忘れてきた(やらなかった)のは一度だけだという話でした。こういうのはやはり志の問題ですね。ただ、今日話題にしたいのは彼のことではありません。

 生徒が書いた名前を私はときどきながめています。注意しようとかそういうことではないですよ。ただながめている。するとあることに気づきます。
 非常に魂がこもっている字と殴り書きみたいな字と、はっきりわかれます。そして、やはりきっちりと自分の名前を書いているような生徒はいろいろなことがうまくいっています。丁寧に書かれた名前が、何かを主張しているような感じさえする。

 それに対して、やっと判読できるような殴り書きもある。汚い字がいけないという浅薄な話ではありません。
 この名前を書いたところに、この生徒は本当に存在していたのかという不安ですね。忘れ物をして名前を書く瞬間だって、貴重な人生の一コマでしょう。その一コマをほとんど「生きている」という実感を持たずにふわふわ過ごしてしまっているのだとしたら、もったいないと思いませんか。

 私がいつも意識的に生きてほしいと言っているのはこういう意味です。ときどき、受験生に「2年生のころきみはどう過ごしていた?」と質問します。すると「2年生のとき? 部活と・・・あれ? あとは・・・何してたっけ」などと答える生徒がいます。去年1年間、何をしていたのかすぐに思い出せないなんて! そんなに軽く生きてしまってよいのですか?
 毎日、いや毎瞬だな、もっと大切にしないと。何かを借りて名前を書く瞬間も、今度は忘れないようにしようと魂をこめて書いてください。

 薄く薄く生きてしまって、結局損をしたとあとで感じるのは自分なのですから、これからは濃く、魂をこめて生きてくれたらいいと思います。難しいことではありません。すべての行為を意識的に、というだけですよ。

 
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2012.06.20 14:17

 俗に反抗期といわれる時期があります。周囲の大人の言うことにことごとく反抗する。反抗していると自分の輪郭がくっきりするのですね。自分というものを強く自覚できる。おれ(私)はここにいるぞということが強く感じられる。自己が拡大したいい気分になる。
 逆に大人の言ったことにただ従うのは、何となく自分がないような気がします。だから何でもかんでも反対する人が出てきます。

 勉強しろと言われてやたらと反抗する。その時期は、仮に勉強は絶対するなと逆のことを言われてもやはり反抗すると思います。
 また、物事に対してやたらと批判的になる人もいます。あれもだめこれもだめと片っ端から否定する。あんな先生は認められない、あのミュージシャンはサイアクだ、あんなお店じゃ食べるものがない・・・私はここに存在する! ということの証明なのでしょう。

 若い一時期そうであるのはとくに問題ないのですが、ときには大人になってもそのままの精神で生き続けている人がいます。他人の言葉を認めてしまうと自分の価値が落ちるような気がするのですね。その仕組みに気づかないまま大人になってしまった。
 あまり興味はないのですが、じつは政治家や市民運動家なんかにも案外そういう人は多いような気がしています。じつはただ未成熟なだけなのに、相当の批判精神を持っていると得意になっている。

 CDレビューなんかでもやたらと厳しい評価をつける評論家がいます。とくに3枚目4枚目あたりのアルバムに対する評価がものすごく厳しくなる。じつは評論家自身が自分の輪郭をくっきりさせたいだけなのではないか。
 あのレッド・ツェッペリンでさえ3枚目のアルバムが出たとき、メチャクチャにけなされていましたよ。私ははっきり覚えています。ツェッペリンももう終わりだというレビューを複数目撃しました。

 サッカーや野球の試合を見て、あの選手ももうだめだなと言う。本気で言っている人がいますが、どう考えてもシロウトのその人よりは上手でしょう。でも、そう断言したくなる。
 他者がどうしていてもいいのですが、私は自分がそうならないように気をつけています。何でもかんでも認めていると何もしていないようにも見えますが、他者の言うことをいくら認めても自己の価値はいささかも減ることはない。そういうことですね。
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2012.06.19 03:08

 時刻をご覧ください。真夜中に記事を書いています。もちろん自宅ですよ。みんな寝静まっています。しーんとしている。火曜日は例によってお休みなのですが、たまには・・・と思って書きました。
 さっきまでインターネットで将棋を指していました。私の参加しているサイトは会員制なので、この時間になるとだれもいなくなります。で、ブログを書こうと思いたちました。

 夜中に自宅に帰って、それから食事をします。あまり身体によくないですね。当然、朝は食欲がないので基本的に抜きます。もう何年もそういう生活ですから苦痛はありません。コーヒーだけを飲む。インスタントではなく粉のやつを買ってきてコーヒーメーカーでいれます。ミルクとか砂糖とかはいっさい加えず。
 目が覚めると同時に香を焚くようになりました。すっきりするのですよ。新聞を読みながら焚きます。

 昼はだいたい3時ぐらいに食事をする。このときがいちばんまともに食べるかもしれません。夜は飲むと軽くすませたくなるので、炭水化物(?)はまったくとらない日もあります。ちなみに今日は飲みませんでした。
 渋谷に来てから1年以上たちますが、行く店はだいたい決まってしまいました。中華が3軒、洋食が1軒、カレー屋さんが1軒、その他(回転寿司だとか何だとか)が2、3軒でしょうか。それを行ったり来たりして進歩がないですね。

 じつは月曜日は半休というのをとり、午後の4時ぐらいから仕事をしていました。それまで自宅でゆっくりしていた。昔の小説を直したり、将棋の棋譜を並べたりしていました。ブログも自宅で。
 そういうときも音楽は流しています。最近はルーク・モーリーの「エル・グリンゴ・レトロ」という昔のアルバムをよく聴いています。携帯用のプレイヤーに入れて電車の中でも聴いている。ソウル&ラテン風味の感じのいいアルバムです。いまも小さな音で流れています。聴きながら言葉を選ぶ。音楽はつねに自分の側にあります。映画のサウンドトラックみたいなものです。
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2012.06.18 10:44

 勉強を好む好まないということも一つの個性みたいなものです。うちの息子が小学生だか中学生のころ、ぼくはあまり勉強が好きじゃないんだと私に訴えてきたことがありました。「お父さんの仕事は知ってるけど・・・悪いけど、自分はあまり勉強したくないんだ。それでもいい?」と訊いてきたので、私はもちろんそれでいいよと答えました。高校ぐらいは行ったほうがいいような気がするが、大学に行く行かないというのは自由な選択だと言いました。

 息子は一時期大工さんになりたがっていたので、どうせなるのなら自分の仕事に誇りを持てるような大工さんになってほしいものだと思っていました。一流ということなのでしょうか。そこはやはり親の期待がありましたね。
 ただ、たとえば私は教室で息子と同い年の優秀な生徒をたくさん見ていたわけですが、変な嫉妬とか焦りとかはありませんでした。そこは自分で言うのも何ですが自分はしっかりした親だった。他者との比較は一切しなかった。

 できる生徒、まだそれほど実力のない生徒、いろいろ話しますが、あたりまえのことで一人一人まったく違います。点数のとれていない子でも非常に個性的なおもしろい子というのはたくさんいて、彼らはエネルギーの大きな部分をほかの方向に発散しています。本音で話しているとそれが感じとれます。
 内心、何てオシャレ(むしろ男子生徒に感じることが多い)なのだろう! とか、べつの世界に対してこれほど燃えているのか! と感心することもよくあります。これなら多少現在の成績が悪くても心配ないなとも思います。

 私自身もし生まれ変わったら、次回は徹底的にある分野にのめりこんでみたいという希望を持っています。それは勉強とはまったく関係のない分野なので、勉強に割くエネルギーは今回の人生よりはるかに少なくなるでしょう。結果として大学進学どころか高校進学でさえ危なくなるかもしれませんが、そういう人生を「生きたい」と強く思うわけです。それを周囲にごちゃごちゃ嘆かれたらいやだろうなと思います。それこそ余計なお世話だ! となるでしょう。

 息子の高校受験のとき、私は現状の自分を受け入れてくれる高校に行きなさいと言いました。見栄だとか体裁だとかで変なむりをするなと。どこの高校に進学しても自分は同じようにおまえのことが好きだとも伝えました。親の愛情は進学先で変わるものではないと。
 結果として高校に入ったのち彼自身がこのままではいけないと感じたそうで勉強するようになりました。彼の進んだ高校にはかなり遊んでいる生徒もたくさんいた。そのことに逆に危機感を持ったそうです。危機感を持て、とは一度も言っていないのですが。

 結局、人生はそれぞれの選択なのですよ。それを周囲が強い電波みたいなものを送ってしまう。いわゆるその時点での「他者の期待」というやつですね。それで子どもたちは目が見えなくなる。現状をきちんと認識せずただ機械的に「絶対に一流高校に入りたい」などと言う。ところが、本音ではべつのことがしたいので勉強という行為は伴わない。周囲からの期待にふさわしい自分を演じ続ける。本当の自分を見つめられない。そのあたりですね。
 繰り返しますが、私は息子に「どちらの方向に進もうとも両親からの愛情だけはまったく同じだ」と言いました。安心できたと思いますよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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