2012.01.30 14:20

 古文にときどき小動物にいたずらして、その後ひどい目にあったという話が出てきます。昔はそうやって「自分に返ってくるからいらないことをしない方がいい」と教えたのですね。子どもたちもそういう話を聞いてこわく感じたはずです。
 ところがいまは「そんなの迷信さ」で終わってしまう。合理的に説明できないことは信じないということなのでしょう。

 こういうのは直観的にわかる部分があるのです。人生経験を積み上げてくると間違いなく何かあるということがわかってくる。何かあるとわかるだけの知恵が身につくとでもいうのでしょうか。歳をとってボケてしまったわけではないのですよ。何かある。
 ですから、私は生徒には入試も近いことだし虫でも何でも無益な殺生はしない方がいいと言っています。

 すべてつながってくるのですよ。油断はできません。昔、ある政治家が特定の政治家を厳しく追及していて話題になったことがありました。あまりにも厳しい追及ぶりでしたのでちょっとやりすぎじゃないかなと思っていたのですが、その後今度は追及していた方がべつの理由で失脚してしまいました。因果関係がないとはとても思えません。気の流れみたいなものを感じます。
 ふだんから「情けや善性の貯金」は貯めておいた方がいい。必要なことだけしかやらないという姿勢ですと、いつまでたっても貯金ができません。

 情けは人のためならずということですね。「情け」という感情は弱いものに見えてとてつもなく強いものです。できれば動植物や無機物にまで情けをかけておいた方がいい。この世に存在するありとあらゆるものに情けをかけられるということになってくれば、逆にこの世のありとあらゆるものから感謝されるわけで、そういう人が物事に失敗するわけがありません。 
 神経質になる必要はありませんが、無益な殺生はやめた方がいいですし他の方のためになることはしておいた方がいいですね。だんだん試験が近づいてきます。今日も頑張ってください。

 
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2012.01.29 12:58

 たしか志賀直哉だったと思うのですが、小説で使われるべき適切なことばはそのときどきで一つしかないというようなことを書いていました。実際はどうなのかなとは思いますが、その心構えというか緊張感はさすがです。
 私はその場所にふさわしい会話とか動作もじつは一つしかないのではないかと考えることがあります。と言うより、そう考えて生きたいのですね。

 日常会話はあっちに行ったりこっちに行ったりする。じっくり推敲している余裕がないからですね。それでも正しく喋れたなと感じるときと、うまくいかなかったと後悔するときがあります。とくに留守番電話に吹き込んだあとかな。非常にうまくいったと感じるときと、ちょっと変だったかなと反省するときがあります。多くは用件を伝えるだけなので、内容ではないのですね。口調だとか声のトーンだとかがうまくいかなかったと感じさせるのです。

 先週、病院で検査結果を聞いたあと、記念にCDでも買おうと思いたち「タワー・レコード」に寄りました。こういう日は思いきり自分らしいものにしたいと考え、1990年の「モンスターズ・オブ・ロック・フェスティバル」でのWHITESNAKEのライヴアルバムを選びました。
 CDとDVDがセットになっているやつです。このころのWHITESNAKEは感性的に自分の「どストライク」なのですよ。

 80年代のヘヴィ・メタル界の過剰なゴージャスさはその後のロックの歴史ではバカにされっ放しですが、私個人はあの時代がとても好きでした。
 「IS THIS LOVE」という華麗なバラードがあります。曲がはじまる直前、ギターのスティーヴ・ヴァイが両手で意味なく両目を覆うシーンがある。見ていて「ここはこの動作しかない!」と衝撃を受けました。そこだけ百回ぐらい繰り返し見ましたが、いまだに鳥肌がたちます。この動きはスティーヴ・ヴァイでなければできなかったでしょうね。一瞬の映像を見逃さなかった自分も偉い(?)と思っています(病気?)。
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2012.01.28 12:45

 この時期、混乱している受験生も多い。見ていてすぐにわかります。落ち着いてください。問題を解きながら何を考えていますか? 
 何点ぐらいとれているだろう。この問いはあっているだろうか。合格ラインまであと少し稼がないと。前回これこれこう考えて間違えたから、今回はわざと二番目に正しいと思った選択肢で答えてみよう・・・こういったことはある意味で余計な迷いであって、考えている状態とは言えません。

 国語に限らずほかの教科でもそういうことがありそうですね。迷いと思考している状態とは違います。問題文のことだけをひたすら「虚心になって」考えてください。
 将棋が好きだということは以前も書きました。将棋を指していても調子の悪いときは勝てるだろうかということばかり考えます。手を読んでいるのではなく、勝ちそうか負けそうかと形勢のことばかり考えている。ところが冷静な相手はしっかり手を読んでいます。これでは負けるのがあたりまえですね。

 相手は結果的に勝つわけです。そうやって自然に結果的に勝つのが理想であって、勝つためにあれこれ余計なことを考えているようでははじめから勝負はついています。わかっているのですが、ふと同じ悪い状況になることがある。
 入試問題も同じような要素があって、自然に、結果的に正解を出すのが理想です。「正解の匂いがするのは?」という状態で選択肢をうろうろしているようでは心もとないですね。

 先日も書いたようにここからは「1日1点アップ」でいい。いきなり10点稼ごうとか20点儲けようとか乱暴な気持ちを持たずに、問いそのものに向かってください。自然に、私はこう考えたからこの答にしたと自分自身に説明できる状態であってほしいと思います。
 仮にミスが多くても、考える姿勢が一貫していれば何とかなるものです。こわいのは「こんなに考えているのに」と言いながら、延々と迷っているだけだという事実に気づかないケースです。
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2012.01.27 08:05

 今日はあちらこちらの高校で推薦入試が実施されていて、多くの生徒が受験しています。気になることも多いのですが、午前中から会議があり教室に戻れるのは夕方すぎになります。
 次年度、各教室がどうなっていくかということもそろそろ決定してくるころです。私自身は代官山(その後発展して渋谷教室に)、三鷹、中高一貫部、池袋、渋谷と動いてきたのですが、そのときどきでなるべく皆さんのご迷惑にならないように仕事をしたいと思ってきました。

 教室によってやはりちょっと違うのですよ。生徒や保護者の方の醸し出す空気みたいなものが微妙に違う。面白いですよ。たくさんの教室を見てきたからこそわかる部分があります。当然、こちらも同じ対応ではいけない。微妙な違いを理解してお話しているつもりです。
 もちろん生徒一人一人でも違ってきますね。たとえば、同じ点数でもある生徒は「大丈夫だ」と言ってもらいたくて来る。私は「大丈夫そうだな」と言います。

 ところがある生徒は「もっと頑張らないといけない」と言ってもらいたくて来る。私は「もっと頑張りなさい」と言います。これを逆にしてしまうと双方の不安をかきたてる結果になります。そのあたりは本当に気をつけていかないといけません。
 地域によって中学校の様子も全然違います。1年生から塾に通う必要はないとおっしゃる先生がたくさんいらっしゃる地域もあれば、皆さんはじめからどこかしら塾に通われていますよとアドヴァイスしてくださる学校が多数ある地域もある。

 東京全体を見ていると早め早めに動く中学生がやはり増えている気がします。塾通いのクセはつけておこうという感じなのでしょうか。私は自分も子どもがいますから塾の授業料が親の負担になることがよくわかっています。ですから、強引にご入会を勧めたことはないつもりですが、中学の入学式以前に入会してくださる方がーー渋谷教室だけでもーー数十人規模でいらっしゃるわけで、説明会ではそういった現実は客観的にお伝えするようにしています。

 学校の勉強が軌道に乗ったらという考え方ですと、いつまでたっても落ち着かない。通信でも通塾でもいいのですが、まず「難しいこと」を軌道に乗せてからあたりまえのこと(学校生活)を円滑に送るようされるのがコツと言えばコツであるように思います。
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2012.01.25 13:27

 変なタイトルですかね。
 人間、一人でいるときに本当の自分がわかるとよく言います。私は非常にふざけた人間で(そうあることを否定的にとらえていないという意味です)、いつもくだらないことばかり考えて生きています。そしてまたどなたの目もないと、いわゆるくだらないことを実行したくてうずうずします。子どものころからずーっとそうでした。

 ただ子どものときみたいに犯罪につながるようなーーいたずら電話とかーーは、あたりまえですがしません。それでもいつだったかな、三鷹教室時代休みの日に用事があって教室に電話をかけたら新入社員の方が出たことがあり、ふとおじいさんのお客さんを装って話してしまいました。相手の方が困り果てているので、途中で「長野です」と名乗りました。耳の遠い頑固なおじいさんが冬期講習を受けたがるという変な設定で話しました。

 そういうのはとっさに思いつくわけです。そのときもべつの方が出たらきちんと用事を伝えるつもりでした。新入社員の方だったので、ふといたずらしてみたくなった。「ここは高齢者の方の教室ではないんです」と大きな声で繰り返し説明してくださったことを覚えています。
 彼もご結婚されて、いまではかわいいお子さんがいらっしゃいます。同じ会社に勤めていますし年賀状のやり取りも続けているので、様子はわかっています。Kさん、あのときはどうもすみませんでした。

 十年ぐらいまえでしょうか。新宿教室で8階からエレベーターに乗りました。どなたもいらっしゃらなかったので突然ふざけてみたくなり、箱のなかで一人でたこ踊り(?)みたいなことをしてみました。1階に着くと管理会社の制服を着た方が3人出てこられて「こんにちは」と声をかけられました。今日に限ってなぜだろうと不思議に思いながら挨拶したのですが、あとで考えると防犯カメラに踊っている私の後ろ姿が映ったのですね。

 異常者だと思われたのでしょう。それで万一のことを考えて3人で待機されていたのだと思います。そりゃそうだなとおかしくなりました。
 本質的な部分では、私はエレベーター内でたこ踊りをするような人格なのです。矯正? いや、そこがいいのですよ。そういう人間だから生徒たちとうまくいくのです。短所と長所はいつでもうらおもてになっているものです。
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2012.01.24 12:06

 私は職業的には「先生」ということになるのでしょうね。そとで「何をしているのですか?」と質問されたときは会社員と答えるより、いわゆる先生ですと答えてしまった方が理解してもらいやすいと思っています。
 それでも会社という組織に属しているので、ルールはーーあたりまえですがーー守らなければいけません。学校でもそうですね。いくら学校が好きだからと言って「徹夜で自習させてくれ」というわけにはいかないでしょう。

 私たちは基本的に週に2回はきちんと休みましょうということになっています。授業の関係でなかなか休めないのですが、こういうのは難しい問題でひたすら長時間働けば偉いかというと必ずしもそうではないのですね。たとえば私が全然休みをとらなければ、一緒に働く方たちが遠慮されて休みにくくなってしまったりする。日本人的心情としてどうしてもそういう部分が出てくるものです。

 そこでいちおう休みは休みとするのですが、推薦試験が近づいていていまの時期何かと話したいという生徒が出てくるため、今日は休みの形にしてちょっとだけ教室に顔を出そうと思っています。授業のはじまるまでの2時間ぐらいですかね。
 どなたかと約束があるわけではないのですよ。どなたも来なければそれはそれでよし。何か心配事があるというのであれば話を聞く。

 火曜日はイケ面副教室長W先生がいらっしゃる日なので、私としてはまったく心配せずに休めるのですが、まあW先生もいろいろな仕事で殺人的に(?)忙しくされているのでちょっと行ってみようかと。
 私は三鷹教室時代も池袋教室時代もときどきこういうことをしていました。考え方によっては、仕事とプライベートがだらしなくつながっているみたいで変な感じに見えるかもしれません。

 ただ、私にとっては人生のなかに仕事もプライベートもぜんぶくっついていて、どこからどこまでが仕事でどこからがプライベートなのかということが自分でもよくわかっていない面もあります。楽しいから働いているみたいな姿勢は場合によっては批判されるべきものなのかもしれませんが、楽しいからこそうまくいっている面もあるのです。
 今日は受付にはイケ面副教室長以外は北国美人のIさんしかいないのかな。彼らと話すのもまた楽しいのですよ。これまた仕事の話なのかプライベートの話なのか、すぐにわからなくなるのですが。
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2012.01.23 16:52

 以前、軽い気持ちでMRIという記事を書きました。ところが診断が若干面倒(?)なことになり、結果を書けないまま時間が経過してしまいました。その間、大丈夫ですか? というご質問を個人的にいただいたりもしました。申し訳ありません。最終的な結果が出ましたので、ご報告いたします。
 要するに問題なしです。多少歩きにくくても、これ以上手術しない方がよかろうということにもなりました。

 じつははじめに行った大きな病院で「これは脂肪腫ではなく骨の腫瘍である」と言われたのです。わからない部分が多いという話で、大学病院で専門医に診てもらってほしいと紹介状を書いていただきました。骨の腫瘍・・・さすがにちょっとどきりとしました。
 大学病院には予約をとって今日行ってきました。ここ一週間、いくらか真面目に考えましたよ。すぐに手術ということになったら、どこまで引き延ばせるだろうかとか。

 入試までは当然現場を離れるわけにはいきませんし、その後も講演会や説明会が入っています。新年度の渋谷教室の責任者の話をお聞きになりたいという方もいらっしゃるでしょう。しばらく入院中です、ではちょっとがっかりですよ。私が保護者でもそう感じると思います。
 専門医の先生から詳しい説明を受けてきました。たしかに骨が肥大している。そして、ここの説明がものすごく面白かったのですが、それは度重なる手術の後遺症であるというのですね。

 脂肪腫の手術を三回した。そのときたくさんのものーー内出血した血であるとかーーが出た。それが骨に変化したと思われるというお話でした(不正確だったらすみません)。そういうことがあるそうなのです。以前、私は何かの本で脳の手術をしたあと頭蓋骨の穴にそのとき出たくずを詰めておくと骨になって塞がるという話を読んだことがあり、似たような現象かなと思いました。
 再手術してもまた同じことになるとも言われました。「でも、悪いものではありませんよ」とも。

 ということは、そもそも安易に手術しない方がいいケースもありそうですね。人体の神秘というか、うまくできているものです。
 これからも私がちょっとだけ脚をひきずっているように見えることがあるかもしれませんが、かすかに歩きにくいというだけであって、痛かったり重い病気だったりするわけではありません。いろいろとご心配をおかけしました。
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2012.01.22 12:34

 面接の練習をやっていると若干ですがつらそうな生徒もいます。私にはよくわかります。本来の自分と少し違う角度から発言しなくてはならなかったりするからですね。学校が望んでいる生徒像が本質的な自分と少しだけズレている。まさか面接官に「私はあなた方が望んでいらっしゃる生徒像とは違う人間です」と宣言するわけにはいきません。そのあたりの苦心。とりあえず仕方がないと思いますよ。

 私だってそうです。私は人と一緒に何かをやることが明確に得意ではありません。みんなと一緒になって動くというのがみっともなく思えるのです。基本的にはいつも一人でいたい。逆に一人が苦痛ということはまったくありません。
 若いころから男女を問わず親しい人はたくさんできました。ただ自分は彼らと遊ぶのが楽しいのではなく、彼らと遊んだあとの余韻を一人で噛みしめるのが好きなのです。

 しかし、たとえば仕事に就く面接ではもちろん「協調性があります」と言いますよ。いつも一人でいたいなどと言ったらどの職場も相手にしてくださらないことを知っているからですね。ウソをつくというより、ご迷惑はおかけしませんと約束するような気持ちでしょうか。
 それでも本当は違うのだという感情ももちろんある。少しだけですが、相手に対しても自分に対しても申し訳なく思う。

 こういうのは人間同士の関係でもありますね。本当の自分を何となく隠してしまう。恋愛相手が、たとえば海に行きたいと言う。自分は山に興味があっても、海はいいねと合わせます。すると相手は「やっと海に理解ある人とめぐり会えた!」と感激してしまうかもしれません。夏休みは毎年海に行こうと言い出す。ついにはこちらが疲れてしまって「もう海だけは勘弁してくれ」となるかもしれません。

 どちらが悪いということではないですね。気を遣った結果が複雑なことになってしまった。
 自己の本質はつねに大切に考えておくといいのです。そこには間違いなくかけがえのない何かがある。罪だとか損だとかということはじつは一つもありません。大丈夫ですよ。高校に入ったら思い切り自分らしく生きてください。
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2012.01.21 11:32

 昨日はたくさんコメントをいただきちょっとびっくりしました。続きというわけではないのですが、心がけていることを今日も少し書いてみます。生徒との距離のとり方ですね。
 あまり勉強が好きではなさそうな中学生も当然います。宿題を出してもサボることがある。ただ私はそれだけでは彼(彼女)を評価しません。やっていないという事実を確認するだけです。

 よく「練習をサボってばかりいてだめな子」という大人の評価がありますが、私はおよそそういうとらえ方はしません。本音の部分でそうなのです。硬直化した姿勢では彼らを成長させることができないからです。
 このあたり「私は」というお話であり、自分が正しいと主張しているわけではありません。一つの見方としてご参考になれば・・・程度ですね。

 授業中、作業が入ります。すると宿題はやってこなかったのに黙々と取り組んでくれる生徒がいる。やりはじめたらけっこう面白かったということなのでしょう。そういう生徒を指名する。集中しているので、ちょっと難しいかなと感じるものでも見事に正解を出します。私は強く褒めます。たいしたものだと。事実たいしたものですからね。できれば褒める。できなければ残念だったなぐらいでしょうか。

 本人なりに、難しいものができたという手応えを感じてもいるのですよ。大人が「確かにこの問題に関して言えば、きみはすごかった」と認定してやる必要があります。そういうところから「おれって(私って)本当はすごい?」という自信やプライドが生まれてくる。その繰り返しがいつか「頑張ってみるか」という気持ちを内側に沸き立たせます。自信がすりこまれていくのですね。

 それを宿題もやっていなかったとか、気まぐれな努力ではあてにならないとか、正解を出したのはまぐれだろうとか、大人側が先入観で見てしまうと彼らはなかなか変化できません。たいしたことはないのだろう、そもそも期待もされていないだろうと疑心暗鬼になるからですね。
 結局、面白さと頑張ってみるかというきっかけを与えてやれるかどうかがカギになります。そのあたりですね。
 
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2012.01.20 13:20

 私は自分のことをいわゆる「いい人間」だとは思っていませんから、必然的に「いい先生」にはなれないだろうと思っています。ただうまくいかないことはまったくないのも事実で、私程度でいいのであればそれなりにこの仕事を続けていくコツみたいなものがないわけではありません。
 大学生になった昔の生徒が塾で先生のアルバイトをしていることがあり、うまくいかないと相談されたときには次のような話をしています。

 彼らはみんな優秀であり、知的な面で苦労しているわけではないのです。問題が解けないとか教え方がわからないとか、そういうことではない。もっと根本的な、中学生(小学生、高校生)をどう把握すればいいのかという距離感の取り方ですね。そこで苦心している。
 私は「自分勝手に相手はこうあるべきだと決めつけるな」と言っています。塾に来たのだから勉強するべきだとか、成績が上がるべきだとか、真剣にやるべきだとか・・・要するに自分の期待を押しつけてはいけないということです。

 それこそ、みんなが行くから何となく通うという生徒や親に言われていやいや来ている生徒もいる可能性がある。その子たちに対して「それではだめだ」ではそれこそだめなのであって、そういう子たちもどうしたら勉強を「楽しむ」ことができるだろうと慈愛の気持ちを持って考えなければいけないということですね。愛情というべたべたした感覚よりもっと高い感性ですね。慈愛のとくに「慈」の方について徹底的に実践してみろと。

 なかには「でも所詮バイトですから」とか「将来教育関係に進みたいわけではないんで」と言う大学生もいます。そういう人には「きみだってカフェや居酒屋の店員さんがほとんどアルバイトだということは知っているだろう。いい加減な人もいれば一生懸命な人もいる。どちらが人間としてりっぱで美しいと思う」と言います。
 バイトだから軽く考えていいというのはこわいですよ。それこそ漢字さえ覚えようとしない人間に、いったい国語の何ができるのだろうというのと同じです。

 自分勝手な期待を抱かない、どんな生徒にも慈愛の気持ちを持ち実践する、仕事に対して真摯な感情を持つ、さらに言えば己を磨くということでしょうか。そこにただいるだけで尊敬されるような人間になる努力。
 こうしたことはべつに塾の先生になるのではなくても役にたつでしょう。ご家庭内でも活かしていけると思いますよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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