2011.12.31 10:50

 以前、人生に意味がないと嘆くのは本人が意味を作らないからであって、はじめから与えられている意味があるわけではないと書きました。私はこれはかなり真理に近いのではないかと思っています。あなたが与えるのですよ。あなたの人生の意味を。だからあなたが「ない」と結論づけてしまえば、ないのが当たり前です。私にはそう思えます。

 逆に、あなたがーーたったいまからでもーー人生に意味を持とうと意識すれば、たちまちあなたの人生には意味が出てきます。
 そういうものですよ。考えてみてください。スポーツだって何だってそうじゃないですか。こんなボール一個みんなで競って蹴る意味がわからないなどと言い出したら、サッカーだって何だってそれはそれはつまらないものです。

 蹴って何になるんだよ。疲れるだけじゃないか。こんなことしたってお金にならないし、健康にいいのかどうか科学的に証明されているわけではないだろう・・・そんな風に考える人にとっては、全世界の人があれだけ熱狂しているサッカーもじつに「意味がない」ものになってしまう。ご自身がそういう価値を与えているからです。
 となると勉強は? じつは勉強も同じです。ときどき「こんなことをやって何になるのか」と真剣に悩んでいる人がいます。活用の種類なんか人生で何の役にたつのですか? しかし、それは他者から与えられるものではないのですよ。

 楽しめないと。そこに何かしら楽しめるものを作らないと。楽しもうという意志、楽しいはずだという期待感、楽しんでやるという貪欲な意地。結局のところはそういう思いを抱けるかどうかです。その姿勢があるかどうか。おもしれーな、サ行変格活用って! ですよ。
 仕事をつらいという大人もいる。私はめちゃくちゃに楽しんでいますよ。生きる意味も「自分なりに」作りました。どなたにも相談せずに勝手に作ったものです。
 2011年も終わりですね。今年は地上波で格闘技をやらないのでちょっと残念。それではよいお年を。来年もよろしく。
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2011.12.30 12:07

 さきほど気づいたのですが、このブログ、本日で800回目でした。一回だけ広告宣伝がありましたが、799本は記事を書いたことになります。6月の終わりにはじめたので、約2年半ですね。2年半で800回。年平均320本か。
 ランキングを見てみたら、ブログ村も人気ランキングもーーおかげさまでーー2位になっていました。Z会ランキングも昨日は珍しく1位。いつもありがとうございます。

 まあ、2年半も書いているといい加減飽きられてしまうのが普通かな。グループではなく、一人の人間が書いていますから。私自身、以前書いたことを忘れてほとんど同じ記事を投稿してしまい、慌てたときがありました。野方の話なんか完全にそうでした。
 もっともわざとダブらせて書いたものもあります。その時期にふさわしい話題として。

 もともとは中学受験生の応援ブログということでしたので、とりあえず入試までの半年間というお話でした。それぐらいであれば続けられる自信はありました。30年も教えていれば、いろいろ気づいたことはありますからね。一般にはあまり知られていないエピソードとか。
 それ以降は自分自身でもよくわからないままひたすら書き続けています。こうなったら500回書いてやろうと思ったこともありましたが、それもはるか遠くに過ぎてしまいました。

 Z会という会社の素晴らしさを知ってほしいという気持ちも強いですね。私は冷静に判断してZ会内では「中堅レベル」の先生だと思っています。決して先頭集団ではない。ですから、授業のことなどでわからないところは他の先生方に質問することもありますし、生徒に難しい質問をされて答えられなかったときもあります。その場合はよく調べてから教えるという形をとっています。

 「中堅の」先生でもこれぐらい引き出しを持っているのだぞというところを見せたいとは思っていました。そういう教室だぞと。堅苦しい教育云々ということではなく、年上の人間として何かしら面白い話、ためになる話ができないようではいけないですね。
 もっとも私はちょっと偏った人間だと自覚しているので、生徒が私のようになってしまっては困るとも考えています。変な見本として人生に活かしてほしい・・・ぐらいの感じでしょうか。

 ただ・・・ちょっと似てしまった人はーー男女を問わずーー何人かいますね。どうもすみません。
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2011.12.29 12:00

 今日は書くことを何も思いつきません。はじめはゲイリー・ムーアのことを書こうかと思い、次に恋について書こうかと思い、続いて料理について書こうかと思いました。どれもまとまらないうちに教室に着いてしまいましたので、ぜんぶ書くことにします。
 まず、ゲイリー・ムーア。この人の「ウィズ・ラヴ(リメンバー)」というバラードがあります。私は大変な名曲だと思っています。映画なんかで主人公が歩いているときにずっと音楽が流れていたりしますね。サウンドトラック。

 好きな音楽を私は自分の人生のサウンドトラックだと思っているので、つねにそのなかにいたいという気持ちがあります。今年、大学時代の同窓会があった話を以前書きました。JRの駅から会場になっているお店まで、ここは「リメンバー」だろうと思って聴きながら歩きました。そういうことを50歳過ぎてやっている自分を、ばっかじゃなかろうかと思うことも多々あります。ただこの「ばっかじゃなかろうか」というところにこそ長所があるような気もします。欠点と長所は裏表だからです。

 次は恋について。いい恋をしたいというご相談を受けるときがあります。「だれかいい人が現れないだろうか」そういうとき必ずお話するのは、自分のレベルに合った人間しか出てこないので、徹底的にご自身を磨く努力をしてほしいということです。
 ときどきご自身はいまのままで、どこからか絶世の美女が現れないだろうかとか、お金持ちのかっこいい青年実業家にプロポーズされないだろうかとかという話が出てくるのですが、現実は自分のいまの周波数(?)を反映しているものですから、ご自身の周波数を上げないかぎり現実世界の映像も上がってこないものです。これは恋だけではないですよ。入試も同じ。自分の周波数を上げてくれ。

 次は料理。料理のできる男に憧れた時期がありました。三十代のころですね。「はじめての料理」みたいな本を買ってきて作ってみました。おつまみとかですね。それなりに楽しかったのですが、作りながらついつい飲んじゃうわけですよ。ワインなんかを。
 そのうち酔っ払ってきて、こんなしゃらくせえことやってられっかー! という気分になる。もうどーでもいーやと思って未完成の素材に塩をかけ、ぼりぼり齧りながらキッチンで立ったままひたすら飲む・・・という呆れた状況が続いたので、料理はもうあきらめました。
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2011.12.28 12:26

 自宅では自分の考えている通りに発言し行動しています。その様子を見て息子が家内に「お父さんはある意味でキ〇ガ〇だな」と言っていたというので笑ってしまいました。
 私は息子との関係に一切ストレスを感じていません。むしろここまで友好的な父子も珍しいと思っているのですが、いろいろなご家庭を見ている息子にしてみると、私はいかにも非常識に映るのでしょう。

 さすがに教室では装っています。じつは生徒のまえではそうでもないのですよ。保護者の方のまえではあちらに合わせるようにしています。教室は私の考えを主張する場所ではなく、各ご家庭の悩みをうかがい少しでもいい方向に持っていく場所ですから。
 私は息子の受験には一貫して「受かっても落ちても同じだからやりたいようにやれ」と言ってきました。本気でそう思っているので、結果についてはまったく心配していません。心配していないというより、結局同じことになると思っているのかな。

 ただそんな考えを人さまに押しつけるわけにはいきません。どうしても受かりたい学校があるということであれば、何とかしようとこちらもできるかぎりのことはします。
 また、息子には自分は「無道徳」であるという話をよくします。不道徳ではないですよ。無道徳。昔からそうでした。たとえばいたずら電話をさかんにしていた子どものころ、「そういうことはよくないよ」と忠告してくれる友人がいました。ところが、私にはそうは思えない。ひたすら楽しくて楽しくて仕方がない。その間はやり続けた。

 ある時期から私はいたずら電話を一切やめたのですが、それは道徳とは全然べつの観点からの話で、自分という人間にほかの要素が加わったからでした。そういう話をよくします。
 昨晩は、息子と生まれ変わりの話をしました。転生についてどう考えているか。私にしてみれば大事な話です。過去生の記憶を持つ人間が実在する・・・ただセンター試験直前ですからね。あちらから見るとまあ、キ〇ガ〇ということになるのかもしれません。
 
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2011.12.27 10:27

 生徒の何気ない言葉で印象に残るものがあります。だいたいは廊下で耳にします。そんな風に考えているのだなという感慨を持つことが多いですね。昨日もそうでした。帰りがけに何人かの生徒が話している。テレビの話題だったのですが、ある生徒がこういう意味のセリフを口にしました。あえて男だか女だかわからないように書きます。「自分はテレビをつけたら負けだと思っている」

 この生徒は(というよりその生徒を含んだ集団は、と言うべきなのでしょうか)とても成績がいいのですが、裏側に禁欲的な姿勢があったわけですね。
 このセリフを分析してみると、こういうことになります。彼(彼女)はテレビ嫌いというわけではなさそうです。いまの私のようにテレビをまったく見なくても平気ということではないのでしょう。けれどもいまは見たい気持ちを克服して勉強に向かう意志を持っている。

 私が大学受験生のころ、歌手の沢田研二さんが非常に人気があり、しょっちゅうテレビに出ていました。私は彼が出てくる番組を片っ端から見ていたのですが、母親は呆れて「この人がおまえを大学に入れてくれるわけではないのだから」と嘆いていました。しかし、当時の私にとっては大学に合格するより沢田研二さんの番組を見ることの方がよっぽど大切だったので、試験期間中もずーっと見続けて、やはり大学は落ちました。価値観通りの結果だと思います。

 結局、そういうことになるのでしょうね。合格するために勉強をたくさんしなければならないということになるとどうしても時間が足りない。何かをあきらめてその時間を勉強にあてなければならない。当然娯楽から削られていくので、テレビをつけたら負け・・・という発想が出てくるわけです。
 真似をする必要はないのですが、価値観通りの結果が出るということは認識しておかないといけませんね。

 つまりAさんとBさんが同じ高校に入りたがっているとする。Aさんは「テレビを見ない」という代償を払っている。しかし、Bさんはテレビばかり見ている。Bさんはーー高校時代の私のようにーーテレビの方に価値を認めているということになります。もっともこれは選択の問題であって、人間的にどちらが優れているという話ではありません。

 昔、中高一貫校に通っていたものすごくよくできる中3の男の子に「優等生になれる秘訣」を訊ねたところ、彼は笑いながら自分が勉強できるのはだれよりもただひたすら長く勉強しているだけであって、それで負けたらそれこそ頭が悪いということになってしまうじゃないですかと教えてくれたことがありました。
 優先順位の上位にあるものから得意になっていくというのは単純な法則です。
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2011.12.26 10:03

 この時期、受験生から次から次へと「どうしたら国語ができるようになりますか?」という質問が寄せられます。みんな焦っている部分があるのですね。私の答はいつも同じです。ともかく丁寧にやる。何をやるかではない。何をやるにしてもどれだけ丁寧にできるか、その姿勢を重視するということです。
 逆に言うと、丁寧にできないかぎり何をやってもからまわりします。わかりますか。

 覚えるものをしっかりという話もします。入試問題は一般的に知識項目が3割以上ある。しっかり覚えていれば理論的には30点もとれるのです。もちろんミスは出てきますが、知識があやふやでは基礎点がとれません。漢字力、文法力、語彙力を充実させてください。
 では、どうすれば充実するか。やはり丁寧にやるしかない。間違えたら丁寧に練習する。3回は書く。意味も覚える。練習用のノートを作ったらどうですか。ノートが増えれば増えるほど真面目に練習しているという証になります。

 丁寧にできないというのは対象に対して無意識の憎しみがあるからです。憎しみを抱いているものが得意になるわけがない。人間、好きなものしか得意にならないですよ。ですから、国語に関しても好きとまではいかなくても、少なくとも「いやではない」という精神状態にもっていかないといけません。自分からそういう方向に向けていく意志が必要です。
 国語の勉強をはじめるまえに思い浮かべてください。自分自身をコントロールするのです。

 長文を読むときは「面白がってやろう」という意気込みが大切。正解を出そう、ではありません。正解を出そうと力むから柔軟に考えられなくなります。面白がっていさえすれば当然理解も深まり、結果的に正解が出やすくなります。「絶対に面白がるぞ!」という執念を持ってください。
 こうしたことは世間一般では盲点になっていて、皆さん気づきません。先生方も大前提として「受験生はやる気満々である」と考えていらっしゃるので、なかなかこういう話は出てきません。「まだまだ努力不足」で終わってしまう。

 全国の受験生の方、どうか頑張ってください。もちろん受験生以外の方もそうですね。得意になりたい何かがあるのでしたら、丁寧に、愛情深く続けてください。
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2011.12.25 11:19

 教室の向かいのビルの地下に、ロック音楽を流すバーがあります。最近存在に気づいたのですが、私はじつは1972年、1976年、1980年にこのバーに入ったことがありました。
 まさか残っているとは思いませんでした。二階にある洋食屋さんに何度か入った話は以前ブログにも書きましたが、あるときふとビル全体の看板を見ていて突然思い出しました。

 1972年、私はまだ高校生でした。進歩的な(?)友人と一緒に見栄をはって「ウイスキーの水割り」と頼んだら(十代の飲酒は法律で禁じられているので真似しないでください)、ウェイターのお兄さんに「銘柄は?」みたいなことを訊かれて、ひどく焦った覚えがあります。
 1980年はボトルを入れたので、数回女の子と来ました。ちょっと変わった子で、ダニー・ハサウェイばかりリクエストしていました。

 そのお店の隣も昔はロック・バーでした(現在は床屋さんになっています)。つまり地下一階に2軒のロック・バーがあったわけです。そちらにも何度か通った覚えがあります。
 周辺の雰囲気も当時とは全然違います。先日おそるおそる入ってみたのですが、一度目は満員で入れず二度目に一つだけカウンター席が空いていてやっと座れました。

 ギネスを2杯飲んだだけでそそくさと出てきてしまいましたが、周囲はだいたい複数人数でおでんなんかを食べていました。ロックを聴かせるバーでおでんを出すというのはちょっと珍しいのではないでしょうか。
 インターネットで調べてみたら、私がはじめて行った前年にできたお店だと書かれていました。ということは・・・40周年ということになります。

 1972年というのはこちらも非常に多感な時期で、深い思い出がたくさんあります。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」にまつわる恋の思い出だとか、T・レックスに夢中になってバンドを組んだ思い出だとか、深夜のテレビで「逃亡者」に感動して泣いた思い出だとか。
 私自身はあのころから意図的に勉強することを放棄しはじめたのですが、いま冷静に分析してみるとああ多感では勉強どころではないですよ。あれでは・・・ね。木の葉一枚散っても大騒ぎ。いまでも若干そういう部分は残っているのですが。
 
 
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2011.12.24 11:40

 この仕事に対して、それぞれの先生方がご自身なりの解釈をされています。それは大変いいことですね。皆さんの価値観が一つに集中してしまうと、先生の個性が一種類になってしまう。そんな学校(塾、予備校、各種学校)は面白くも何ともないですね。いろいろな先生がいて、いろいろな授業が展開され、その多様性のなかから好みで選択できる余地があるというのがいちばん豊かではないかと思うのです。

 私個人はーー若いときはまた全然違いましたがーー自分の職業は究極的なサービス業だと思っています。サービスという用語は軽くて誤解されそうですが、あえて書いてみました。生徒や保護者の方の要望にできるだけ応えたいということですね。
 もちろんできることとできないことがあります。テストの答を前もって教えるとか、点数と関係なくクラス編成をするとか、あきらかに反則みたいな行為はほかの方にご迷惑をおかけしてしまうので不可能です。

 ただ、こういうことはありますよ。以前「頑張ります」と約束してくれた。よし、これからは心を入れ替えてしっかりやろうということになった。ところが、1、2ヶ月たつうちに疲れてしまった。だんだんやらなくなってきた。とうとう以前よりサボるようになってしまった・・・という状態のとき、絶対に生徒を責めることはしません。人間なんて弱いものです。そういう連続性のなかで己を知れば十分ですよ。私には(僕には)弱いところがあるとわかっている中学生(高校生? 大学生?)は、非常に有望ではないですか。

 相手の状態に合わせて少しでもいい方向に・・・ということだけですね。ですから、生徒によって言っていることも微妙に違ったりする。同じプリントを「やった方がいい」と言ったり「やらなくてもいい」と言ったりする。相手の状態を見ているわけです。
 子育てというのは本来それぞれに応じてやらなければいけないものでしょう。だいたいこんな感じで・・・ではうまくいかない。個性や時期に応じて考えるべきことがたくさんあります。そういう視点を取り入れたいと現在は考えているのです。
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2011.12.23 09:51

 Z会進学教室、じつはすでに冬期の授業がはじまっていたのですが、私個人は今日からいくつかの授業を担当することになります。今年はけっこう忙しいのですよ。今日から年末31日までずーっと授業。一日だけお休みがあって、2日から6日まで授業。7日は休めず8日からは本科授業がスタートするので少なくとも9日まで連続で教室に来ることになります。18日間で休みが一日だけですから、ちょっと大変。

 冬期講習に通う皆さん(これは他塾もふくめてです)にぜひ心がけていただきたいのは何といっても復習です。講習ではたいてい「課題」が出題されると思うのですが、それは翌日の予習であったり計算練習や漢字テストの準備であったり、必ずしも復習とはかぎりません。「課題」はやったのだからあとは何もしなくてもいいじゃないかでは十分な効果は期待できないものです。それはよくないですね。

 すぐに忘れてしまうものなのです。数学で解けない問題があった。先生の解説を聞いてすごくよくわかった。ノートにもきちんと写しておいた。これで大丈夫だろうと安心するわけですが、自宅で解きなおしてみると自力では解けなくなっているなどという話は、本当にいくらでも耳にします。復習したからこそそういうことがわかったのです。復習しなければ、じつはわからなくなっているということにさえ気づかないまま進行していってしまう。

 せっかく塾に通ったのにほとんど効果がなかったという人は復習不足なのですよ。順番としては(面倒でしょうが)明日の課題をやるまえに今日やったことを復習してください。国語なら課題文を読み返す、知識項目(漢字や文法など)を覚えているかどうか念のために確認する。英語や数学はもうちょっと念入りに見ておいた方がいいですね。
 そのあとで課題をやる。両方はできない日? 私は先生には多少叱られても復習を優先した方が実力はつくと考えています。足元を固めていきましょう。
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2011.12.21 13:01

 渋谷教室いろいろな意味で好調ですが、好調のときは原因をあまり考えすぎない方がいいのです。わかってはいるのですよ。わかっているけれどもさらにへんなてこ入れみたいなことはしない方がいい。流れがおかしくなることがあるからです。
 ただ、調子が悪くなったときはきちんと原因を考えないといけません。そういう覚悟はしておかないと。

 私はこれまで代官山(現在の渋谷に発展)、三鷹、池袋、渋谷といくつかの教室を移ってきました。中高一貫校関係のお仕事をさせていただいていた時期もありますが、それはほんの2年間のことであって、あとはすべて高校受験をする中学生を見てきました。
 おかげさまでうまくいっていたーーつまり生徒数が増えていたーーわけですが、一度だけ池袋教室の生徒数が頭打ちになった時期があります。そういうときにどう考えるか。

 理由はないことはないのですよ。池袋教室に続いて新宿教室と大宮教室ができた。当然生徒は分散します。とくに埼玉県の生徒は池袋より大宮に通おうとする。それは当然です。さらにそれ以前に少子化云々、ライバル塾云々という話も当然あります。しかし、教室責任者の私までがそう考えてはいけないと思いました。
 こういうのは大切なところ。「自分に起こっていることはぜんぶ自分に責任がある」と考えなければいけないということです。

 そう考えなければ自分の人生の幸不幸のカギを握っているのが他人ということになってしまう。そんな人生は冗談ではないですね。だから、すべての責任は自分にあるとむりやりにでも考える。
 するとその時期、ちょっと教室のチームワークに問題があるのではないかということが見えてきました。どなたかが悪いということではなく、私自身のまとめ方に問題がある。自分ではそうしていないつもりでも、全員に完全に平等に接していないのではないか。

 ほかにもいろいろ「自分自身の心がけ」に関して思いつくことが出てきたので、ほかの方をどうこうではなく、自分の気持ちだけは切り変えたつもりです。ほどなく教室の人数はまたぐんぐん増え、以前より多くの生徒が集まってくださるようになりました。それ以来、U教室長の現在に至るまで池袋教室も絶好調です。
 人間は弱いものです。好調なときは自分の力を過信して不調のときは何かのせいにしてしまいがちですが、そこは自分を深く見つめないと。中学生(高校生)の皆さんの生活もそういうものだと思いますよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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