2011.11.30 13:28

 中学校の先生が中1生のお母さまに「まだ塾通いなんて早すぎます。反対です」とおっしゃることがあります。「もっと遊ばせてあげてください。社会性を身につけるために部活なんかも徹底的にやりましょう。塾に行くのなら中3からで十分間に合います」
 そう言われたのでやめざるをえないのですが・・・というご相談を受けたりします。「部活も毎日出ないとレギュラーにしてもらえないんです」そういうことであれば、こちらはわかりましたとお答えするしかありません。学校の先生を否定するようなことはご本人のためにも口にしないように気をつけています。

 ごくごく普通に、とにかく高校生になるということであればもちろんそれで大丈夫ですよ。しかし、特別な高校に入りたいということであれば、やはり学校の勉強だけでは足りない。プラスαのことをしないといけません。それは必ずしも塾通いではないかもしれません。通信添削だとか家庭教師だとか。しかし、とにかく早い時期から何かやっておかないと。

 受験生になってはじめて学校以外のものにぶつかるとけっこうストレスになるのです。これは本人たちもなかなか気づかない。3年生になってからいよいよと思って通信添削をはじめる、塾に通う。するとそういう文化というか生活背景をいままで持っていなかったものですから、突然憂鬱になったり腹がたってきたりする。学校以外の勉強で机に向かうということが何だかしっくりこないのですね。学校のテスト勉強だけだって大変なのに、どうしてこんなことまでやらなくちゃいけないんだと不満に思う。不満に思っていたら点数なんか伸びるわけがありません。

 そうならないために早くから慣らしておいた方がいいと私はーーあくまでも個人的見解ですーー思っています。学校の勉強だけではなく、「他でも勉強するのが当然」であるということを身体に教えこんでおいた方がいい。難しい高校に入ろうというのであれば絶対にその方がいい。
 渋谷教室、現時点で80人ぐらいの中1生がいます。いまの成績はともかくとして、彼らはすでに勉強は学校のみでいいわけではないという覚悟だけは決まっています。こういう意識が先に行って大きいのですよ。
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2011.11.28 12:12

 ときどき変な時間にブログの記事を投稿していませんか? とある卒業生に質問されました。よくご覧になっているものだなと感心しましたよ。そうなのです。いろいろ工夫しています。
 だいたいは昼会社に来てすぐに書きます。面談だとか授業だとかが入ってくるとまとまりませんからね。自宅を出て会社に来るまでにテーマを決めて、すぐに書く。以前はそれでよかったのです。

 ところが、あまりにもたくさん書きすぎて(もうすぐ800回になります)最近は書くことが欠如してきました。あれも書いた、これも書いたとなってしまった。そこでいわゆるネタを探さなければならない。
 あるいは業務がたてこんでいて、朝の早い時間から面談が入っていたり講演会や説明会、会議からスタートしたりする日もあります。そういうときは、仕事を終えるまえに明日の分を下書きしておきます。

 よさそうな材料について、少しまとめておく程度でしょうか。まだとても載せられない状態ではあってもヒントみたいなものだけはまとめておく。で、たとえば自宅に帰ってから、もしくは早朝家内のパソコンを借りて(私は現在も私生活においてはあえてパソコンを持たずに生きようと考えています)文章を推敲する。そして、可能であれば自宅から投稿する。
 それでときどき投稿時間が真夜中や早朝になっているのです。

 仕事に来ていないときは記事を休んでいますから、そんなにつらいということはありません。淡々と続けていこうと思っています。
 私からはどの記事がたくさん読まれているのかわかる仕組みになっているのですが、意外なものが上位に来ていたりして面白いですよ。例の「あひる男」。一週間もたたないうちに今月読まれたものの最上位に位置しています。入ってくださった方の人数が急激に伸びたわけではないので、おそらく何度も読んでくださっている方がいらっしゃるのだと思います。

 息子との個人的な小さなやりとりが、勉強のお話以上にたくさん読まれているというのは面白いものだなと感じました。いつもありがとうございます。
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2011.11.27 10:29

 先日、「塾講師」さんという方(お若い方ではないかと思います)が、コメント欄にメタル系の音楽について書きこんでくださいました。
 ジャンルとしては自分はヘヴィ・メタルと呼ばれている音楽がいちばん好きです。好きというよりその世界(の美学に基づいて)生きてきた部分が大きいですし、これからもそうでありたいと思っています。

 もはやどれだけ髪を伸ばしているかとかだれのTシャツを着ているかとか、そういう子どもっぽい次元ではなくなっているのですよ。どのようなかっこうをしていても精神的にこの世界の住人ですし、誇りを感じていたいということです。
 ふだん聴いている音楽はもっとソフトなものが多い。どちらかと言えば黒人系でしょうか。スイート・ソウル・ミュージック。あとはジャズとか。しかしそれは旅行者というだけであって、住人ではないですね。

 いちばん好きなのはやはりBLACK SABBATHかなあ。バンドそのものというよりギタリストのトニー・アイオミの独特の個性やたたずまいに惹かれます。彼の兄弟みたいなベーシストのギーザー・バトラーも好きです。彼らが一緒にやっている音源は、ヴォーカルがオジーだろうがイアン・ギランだろうがロニー・ディオだろうが、ぜんぶ好きでした。二人がかもし出す異様な空気の重厚さが気に入っているのです。

 昔から底抜けに明るい人間を見かけると、あまりの感性の違いに唖然としてしまいます。しかし、そういう方には確かに独特の華もありますね。
 ただ、自分は南国ムード丸出しの服装はできませんし、オシャレな会話にも抵抗があります。人前で笑顔は見せたくないですし、カメラを向けられたら反射的に顔をそむけたいと感じます。多数で群れるのも苦痛。好きな女の子は無視。

 そんな不器用さが許されるのか? という若いころの不安に真正面から答えてくれたのが、ハードロック系のミュージシャンたちでした。ある意味では、自分が誰であるかということを彼らから教わったような気持ちもあります。
 月刊のヘヴィ・メタル誌「BURRN!」を創刊号から27年間ひと月も漏らさずに買ってきたという話は以前ブログにも書きました。創刊当時20代だった自分が50代半ばになっているわけで、人生の中核部分をメタルとともに過ごしてきたという感慨があります。

 SABBATHの曲? 先日、ディオ時代の「ザ・サイン・オブ・ザ・サザンクロス」という曲を演奏している彼らをYOUTUBEで見ていました。間奏部分のギーザーのベース音の重いこと重いこと。本当はうれしくてたまらないくせに、わざと苦虫を噛みつぶしたような顔をしています。こんな曲、サイアクだぜ! とでも言いたそうに。これですよ、これ。こういうところ。美学なのです。
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2011.11.26 10:57

 ときどきまったく勉強していなかった人が突然「今日から毎日必ず5時間机に向かう!」などと宣言して頑張り出すことがありますが、だいたいはひと月もしないうちに挫折します。そういう極端なことはなかなかうまくいきません。これは勉強だけの話ではなく、人生すべからくそういうものです。
 右に大きく振れているときは左に戻る力を貯めているだけなのですよ。大きく息を吸いこめば大きく吐きたくなるのと同じ原理です。

 中庸ということが何だか凡庸でたえがたい気持ちになるのですね。しかし、そこに強さがあると考えてください。あたりまえのことを適正にやれる人間。勉強を2時間あるいは3時間やって、好きなことを1時間やる。そういうあたりまえさですね。淡々とあたりまえに日々過ごしていく強さ。狂ったように何日間かだけ勉強をしまくり、おれ(私)だってその気になればできるじゃないかと変な形で自分を証明しようとしないことです。

 ダイエットなんかでもそうですね。極端に頑張る。ときには絶食したりする。甘いものが好きなのにカロリーが高いからと徹底的に断つ。必ず反動がきます。あるいは突然倹約をはじめる。お金を使うのがもったいないという理由で電車に乗るべき状況下でも歩いたりする。これまた必ず反動がきます。不自然だからですよ。
 綱渡りを見ているとコツがよくわかります。真ん中を行くためにはじつは常に真ん中にいようとしてもだめなのです。右に揺れたら左に左に揺れたら右にと、つねに意識してバランスをとり続ける必要があります。

 つまり食べすぎたなと思ったら、翌日は少し控える。遊びすぎたなと思ったら翌日は少し長めに机に向かう。お金を使いすぎたと思ったら、少しのあいだは外食を控える・・・そうやって小刻みにバランスをとっていく。その小刻みな認識というか判断こそが「かしこく」生きるということなのです。
 そうしたあたりまえさ、凡庸さに自信を持つことです。人生がうまくいっている人はみんなそうしているものです。
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2011.11.25 13:16

 先日書いたあひる男の話が妙に評判いい(?)ので、息子の話を続けます。彼はこのブログを読んでいませんから、正直に書けます。何かのご参考になさってください。
 息子は、けっこう歳をとってから授かった子どもでした。で、あまりにも大切に育てたために、社会性が身につきませんでした。幼児のときの話ですよ。

 幼稚園に行きたくないと言って毎朝大騒ぎでした。幼稚園の先生は「とにかく連れてきてください」とおっしゃる。泣き叫ぶ我が子を抱えて置いてきたなどという朝もありました。しかし、やはりどうしても行けないということになった。登園拒否ですね。
 ここで私は考えました。この子の場合勉強がどうのこうのは二の次にして、とにかく社会生活が円滑にいく方向で育てるべきではないか。

 で、友だちと遊ばせました。数少ない友だちをうちへ呼んだり逆に相手のうちへ行かせたり、それこそ毎日毎日です。躾や勉強は二の次でした。幸い小学校に上がるころは学校に行けるようになりました。ただ遊んでいればいいという生活でしたから気楽だったのだと思います。
 もともと気の弱い子なのですが、幼稚園のときの反動で学校で暴れるようになりました。いわゆる「キレ」るというやつですね。キレて暴れて先生に抑えられたりする。

 いくら注意しても母親ではだめだということになり、父親の私が何回も先生に呼び出されました。「申し訳ありません。よく言い聞かせます」と頭を下げて帰ってくる。
 自宅に戻ると息子は心配そうに「どうだった?」と訊いてきます。「いい先生じゃないか。おまえのことを心配していたよ」ぐらいでしょうか。あんまり暴れるなよ程度は注意したのかな。深刻な態度を見せたことは一度もありません。

 私には自分の子どもを幸せにするのは自分の義務だという覚悟があるわけで、その覚悟さえあれば目の前の現象はどうにでもなるという自信もありました。そのときそのとき調整していけばいいことですから。
 中学に入って、そろそろ勉強させようかと考えたときもそんな感じです。本人ができなくて恥ずかしい状況だけは改善しておこうと。「お父さんの仕事はよくわかってるけど、僕はあまり勉強が好きじゃないよ」と彼が心配そうに訴えてきたことがあります。もちろん、それでいいと言いましたよ。

 手はかかりましたが、まったく手がかからない現在になってみると昔の方が楽しかったですね。子育てというのはそういうものなのだと思います。

 
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2011.11.23 12:54

 息子がまだ幼稚園に上がるまえだったと思います。あるとき、電話口に出てきた息子にふざけて思い切り高い変な声で話しかけてみました。すると私ではないと思ったのですね。「だれ?」と訊くので「あひる男だ」と答えました。べつにがちょうでもからすでも何でもよかったのですが、とにかくそう答えた。すると彼は頭から信じこんでしまいました。
 どうせすぐにバレるだろうと考えていたのですが、あひる男だと名乗って電話すると受け答えがまったく違うので面白くてやめられなくなりました。

 ときどき息子から質問してくるわけですよ。「あひるなのにどうして喋れるの?」とか「川に住んでるの?」とか。大真面目で訊いてくるので笑いそうになってしまうのですが、そこはぐっとこらえてきんきん声で話し続けます。
 小学校に上がったころは少し腕白になってきて、偉そうに「お前、魂?」などと質問していましたよ。適当に答える。ふた月に一度ぐらいでしょうか、そんなことをしていました。

 いろいろ面白いこともわかってきました。私や家内には見栄を張ってウソをついていることでも「あひる男」にはちゃんと説明するのです。たとえば「泳げるようになったか?」と質問する。私たちには「25メートルは軽いよ」などと言っていたのがあひる男には「僕まだあんまり泳げないんだ」と告白したりする。
 一度私が「これから遊びに行くぞ」と言ったところ、こわがって泣き出してしまったこともありました。「親がいるときにしてよ」と。慌てて「わかったわかった」と答えました。

 息子はだんだん大人になってきて食卓で「あれはやはり絶対に人間に違いない」と真顔で語ったりしていました。
 ある日、私は久しぶりにあひる男をやろうと思い、自室で携帯電話を使ってやはり自分の部屋にいる息子に電話をかけました。しばらく話しているうちにさすがに勘づいたのですね。振り向くと子機を片手に持った息子がいます。彼は「やっぱりお父さんか。6年間もだまされていた」と怒っていましたよ。

 そんな息子も高校3年生です。どちらかと言えば内省的な少年で、最近は大学受験がどうのこうのと真面目な話しかしてくれません。それはそれでいいのですが、あひる男のころは本当に楽しかったなと思い出すことがあります。
 
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2011.11.21 16:15

 私はだいたい毎日子どもに置き手紙を残してきます。手紙と呼べるほど大げさなものではないですね。筆ペンで大きく何か書いておくという感じ。内容はくだらないことばかりです。フロ入れとか塾ごくろうさんとか学校はどうだ? とか。
 要するに「今日もおまえのことを考えていたぞ」というメッセージが伝わればいいのです。コミュニケーションですね。

 これは息子が小さいころから続いています。仕事の関係上、私は帰宅がとても遅いのです。真夜中になる。息子は寝てしまっていることも多い。さらに朝は逆に私が寝ていたりします。で、何日もまともに顔を合わせないということもある。何かしらつなぎで心を伝えておいたほうがよいのではないかと考えたのですね。
 息子のほうからも手紙が置いてあるときがあります。玄関のゴミは明日の朝出すからそのままにしておいて・・・とか。やはりくだらないと言えばくだらない内容です。

 コミュニケーションは内容以上にとっているかどうかが大切でしょう。つながっているという感覚。講演会などでよくお話する家庭内のあいさつについてもそういう要素が大きいと思っています。おはようとかおやすみとかおかえりとかただいまとか、どうでもいいと言えばどうでもいいことばかりですが、声をかけあう関係であることを再認識する機会があるのはいいことでしょう。
 たとえ何か気まずいことが起きても、あいさつする行為によってまえに起きた気まずさを払拭することができます。もう怒っていないよという意思表示ですね。

 コミュニケーションを文字通りじっくり話し合うことだと考える方もいらっしゃいますが、じっくりだから逆に本音が出てこないという場合もあります。それはそうですよ。大人側があまりにも構えると心理的に子どもたちは逃げ腰になります。
 会社なんかでも改まった会議より、ふだんの人間関係や会話に仕事をよくするヒントが隠されていたりします。ご家庭もそういうものだと思います。

 

 
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2011.11.20 06:41

 私はいわゆるオシャレな人間ではありません。みすぼらしいかっこうをしたいとは思いませんが、オシャレを志すことに若干抵抗があるのです。服装のことをほかのことより先に云々されるのがいやなのです。お喋りする以前に「オシャレな人だ」という先入観を与えたくないのです。
 ツェッペリン時代のジミー・ペイジがインタビューで「自分は絶対にオシャレな人間ではない」と言い張っていたのですが、わかるような気がします。そちらの話はあとにしてくれということなのでしょう。

 特定のブランドに対するこだわりみたいなものもないですね。私が所有しているいくつかのブランド品(ネクタイとか)はすべていただいたもので、自分で買ったものではありません。お金を持っていても避ける傾向があります。オシャレではないと宣言している人間がブランド品に凝るのは気恥ずかしいという気持ちがあります。ふさわしい方にお任せしようということです。
 スーツは以前はデパートで買っていましたが、最近は量販店で買います。種類が豊富で便利ですからね。

 このまえそういうお店で少しだけいいスーツを買いました。高級品ではないですよ。いままで買っていたものよりは高いという程度です。試着して気に入り、お金を払う段になってお店の方がこうおっしゃいました。「いまなら同じ値段のスーツをもう一着千円で買えますよ」
 千円? 間違いではありません。何万円もするスーツが千円になります。ということは、いま自分が少し高級だと思って買ったスーツも場合によっては千円にされてしまう可能性があったというわけです。

 絶対にお得だと思いますよと言われて、結局二着買ってしまったのですが、要するにはじめについていた値札の半額で売っても儲けが出る商品だったということですね。うれしいようながっかりのような何とも不思議な気持ちになりました。
 靴もここ三回まったく同じ靴を買っています。完全に同じもの。変えるのが面倒臭いのです。同じ靴屋さんで同じ靴を買う。このまえその場で古い靴を脱いで同じ種類の新しい靴にはきかえて帰ったのですが、お店の方は呆れたような顔をしていました。こういう人間をオシャレとは呼ばないですね。
 
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2011.11.19 10:35

 今日と明日は渋谷、立川で講演会があります。これ、けっこう心理的には重いのですよ。
 特別なことをお話しようという力みはないのですが、せっかくいらしていただいてあまりにも退屈だったというようなことにだけはしたくないという気持ちもあります。まあ、いくつかヒントになったぐらいに考えていただければいいのかな。

 毎回毎回ぜんぶ同じ内容というのもそれこそ退屈なので、実例だとかには変化をつけています。30年も教え続けていれば、とにかく実例は数え切れないほど持っていますからね。あの例は省いてこの例を入れよう・・・ぐらいのことは考えます。本質は変わらないのですよ。勉強ができるようになる本質は変わりません。
 こういうのって健康と同じですね。病気の種類はたくさんある。頭が痛い。お腹が痛い。肩が凝る。耳鳴りがする。千差万別です。

 健康という状態はどなたもだいたい同じです。同様に、いわゆる優等生という状態もーーご性格や興味関心は千差万別であってもーー勉強に対する心構えや方法論は非常に似通っている。面白いものです。健康とか幸福とか優等生とか、いいものは何となく似通っています。
 それともう一つお伝えしたい大切なこと。ご本人のいいところを引き出すコツですね。私はたいした先生ではありませんが、そういうことはここ十年以上ずーっと考えてきました。何を伝えるかよりどう引き出すかです。

 引き出すためには当然相手を理解する必要があります。理解できない人間のいい部分を引き出すことなんてできっこないですよ。すると何よりもまず相手を理解する必要がある。ここの部分が大事なところです。
 当然ご家庭内でもお子さんのことが理解できていないといけない。ところが案外生活を共にしているというだけで、親子が理解し合えていないケースが多いのですよ。それでは、そもそも第一歩からつまずいています。

 ときどき「うちの子にはいいところがありません」という謙遜の言葉をうかがうことがありますが、引き出さないとなかなか出てこない要素もあります。そのあたりですね。親側の務めだと思います。

 
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2011.11.18 14:30

 私はいわゆるクレーマーではないのですが、ときどき不思議に感じたことをお店や企業に訊ねてみることがあります。腹をたてているわけではないのですよ。勉強の気持ちというより、やはり好奇心ですね。忙しいところをちょっと悪いかな・・・とも思うのですが、電話をかけるときがあります。

 昔、吉祥寺の居酒屋(チェーン店)でこういうことがありました。アジフライをお願いしたところ、お店の人が「アジフライ終わっちゃいました」と言う。水槽にアジがいっぱい泳いでいたので、私は「アジがたくさんいるじゃないですか」と言いました。すると「このアジはフライにはならないんですよー」と答えました。
 仲間がわっと笑っておしまいになったのですが、私個人のなかでは本部に質問したら何と答えるだろうという好奇心があったので、翌日わざわざ番号を調べて電話してみました。

 どういう答だったと思いますか? 私は穏やかに「クレームではありません」と前置きしてから水槽のアジはフライにできないのでしょうかと訊いてみました。するとあちらが「お客さん、勘弁してくださいよー」と答えるではないですか。ずいぶん変な答だとは思ったのですが、相手を困らせるつもりは毛頭ないので「わかりました、ありがとうございました」と電話を切りました。

 ある八百屋さんがコンビニエンスストアーになりました。ところが店のまえでは相変わらず野菜を売っている。路上にですよ。どういう仕組みになっているのだろうと思い、本部に電話をかけてみました。お店の場所は言わずに「お店のまえで売られている野菜はお店のものですか、個人のものですか?」と質問してみました。
 相手は「それはどこのお店ですか」と訊いてきました。「それはまあいいじゃないですか」と私。お店がわからないと答えられないというので、ありがとうございましたと電話を切りました。

 ほかにも興味を持ったことを手紙に書いたり電話で訊いたりしたことは何度かあります。いたずらではないということがわかるように住所を書いておいたところ、電話で返事が来てびっくりしたこともありました。番号がどうしてわかったのでしょうね。
 これからもいろいろ興味を持ったことは訊いてみようと思っています。こういう話は他人にすると笑われるのですが、べつに悪意を持ってしているわけではないので構わないと思っています。私に言わせれば、世間の大人は好奇心がなさすぎますよ。

 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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