2011.09.30 13:31

 どう評価したらいいのかわからないような映画ではあったのですが、見てきました。こういう化け物関係はできるだけ見に行くようにしています。ヴァンパイアとプリーストの格闘シーンとか、新幹線みたいなスピードの出るバイクとか、それなりに面白かったですよ。
 3Dのメガネを貸し出してくれるのでかけてみたところ、本当に画像が飛び出します。ただ落ち着かない感じもしました。

 新宿と渋谷でやっていたので、新宿で見ました。渋谷は上映されている映画館が教室の斜め前なのです。いくら休みの日と言っても教室長が「プリースト」から出てくるところを生徒に見られたらちょっと恥ずかしいという気持ちがありました。で、新宿。
 これがまたオシャレな映画館なのです。オシャレすぎてちょっと迷ってしまい、べつの映画に入りかけて係員に注意されましたよ。

 気づかれぬままべつの映画がはじまったら焦ったと思います。私のことですから、たぶん我慢して最後まで見ているような気もします。
 全席指定席になっているのはいいのだか悪いのだか、途中で動いたりはできません。席の位置は漠然と「後ろのほう」と指定できました。まえの人の頭なんかはまったく視界に入らないように設計されています。

 私はこういう映画を十代のころから見続けているのですが、周囲はやはり若い人が多かったですね。歳をとると化け物みたいな存在を見たくなくなるのかもしれません。「くだらない」という言葉がありますが、くだらなく感じるのかも。幸か不幸か私はそう感じないので、まだまだ見ていますが。私自身が二十代のころ、どこかでジェイソンの映画(「13日の金曜日」)を見たとき、すぐ近くにおじいさんがいて何となく違和感を覚えたことがありました。歳をとることに抵抗はないのですが、そういうことを考えるとちょっと寂しい感じはします。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.28 13:02

 教科の担当者は当然ながらその教科のことだけで判断します。きちんとやっていない生徒に対して「そのままでいいよ」とは言えません。あたりまえですね。ですから、きちんとやりなさいと指示を出します。仮にその指示を無視し続けたとします。先生は怒るでしょうね。「何のために塾(学校)に来ているのだ?」と訊くでしょう。このままではだめと断言されてしまうかもしれません。

 ただこの「だめ」は全人的な否定ではないのですよ。たとえば私の場合であれば「漢字一つ練習できないようでは国語の成績をあげることは不可能だ」という意味であって、あなたという人間がだめということではありません。ですから、あなたが「国語の成績は上がらなくていいのです」と答えれば、それはそれで一つの考え方ですから国語以外のあなたに関してはだめという判断をまったく下しません。

 ここのところは気をつけて。特定の科目の先生に叱られて大きく落ちこんでいる方もいらっしゃると思います。勉強だけではないですよ。コーチに叱られる、監督に叱られる、先輩に叱られる・・・おまえは本当にだめなやつだと言われてしまった。仮に一輪車の練習中にそう怒られたのであれば、あなたの人間性とは全然べつに、一輪車乗りとしては「このままでは」だめだということでしかありません。

 中学生ぐらいでごまかしごまかし勉強している人がときどきいます。適当に叱られない程度にはやっておく。復習も何もしていない。これでいいやと思っている。それはちょっとだめなのですが、高校生ぐらいになるとこのままではいい成績をとることができないということが自分でわかってくるものです。
 そこで二つ選択肢が出てきます。大人ですからね。自分は勉強はあまり好きではないという生き方も当然ありです。私自身はそういう選択でした。いわゆるガリ勉タイプの友だちを見て「よくやるよ」と思っていました。

 それは確固とした選択であって、ごまかしではありません。やりたくないものはやらないということですね。人間がだめだからやらないわけではありません。
 先生に叱られて気落ちしている生徒のなかにはものすごく知的な中学生もいます。こんなに頭のいい子がいるものなのかというような。しかしーー天才型にありがちなことなのですがーーこつこつやらない。宿題さえやらない。担当者は当然怒ります。

 その仕組みだけは覚えておいてください。やっていない状況のことを叱っているのであって、きみという人間やきみの可能性を否定しているわけではありません。おうちの方の叱責もそういうものです。「どうせおれ(わたし)なんかだめだ」と勘違いしないように。きみはだめではありません。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.26 13:47

 みんなと一緒にお弁当を食べるのが恥ずかしいという中学生・高校生がいますが、私にはその気持ちはとてもよくわかります。この場合、外で買ってきたお弁当であればまったく恥ずかしくはないのです。自宅から持ってきたものをじろじろ見られると恥ずかしいということでしょう。たしかにお弁当を見て、その人の生活全体が想像できてしまう場合もあります。そういうことに気づく繊細な方は、ご自身も人前でお弁当を食べるのが恥ずかしくなるのでしょう。

 以前、学校でお弁当を食べるときは教科書で壁を作ってその内側で食べているという女子生徒がいましたが、それはいくらなんでもやりすぎだと思います。ただあちらは悪気がなくても世の中無神経な人というのがいるもので、他人のお弁当をじろじろ見るだけでは物足りず「あたし、野菜とか大嫌い!」などとけちをつけたりする。相手はあまりいい気持ちはしないものでしょう。

 私は中学高校時代母の作ったお弁当を学校に持参していました。母は非常に料理に凝る人でした。いま考えるとかなり中身は充実していたような気がします。もっとも少年の私はただ食べるだけですが。
 ときどき私の弁当を見せてくれという少年がいました。そして小さな声で「このおかずくれない?」と言う。おいしかったのでしょうね。私は黙っておかずをあげるのですが、それだけで完全性が損なわれたような気がして食欲が失せました。

 お弁当ってぜんぶ揃って「お弁当」であり、何か一つ欠けただけでも取り返しがつかなくなるという強迫観念があったのです。ただ相手だってべつにメインのおかずをくれと言うわけではなく、それこそ玉子焼き一切れとか佃煮を少しとかですから、絶対にあげないというのもものすごくけちみたいでいやでした。
 大学に入ってからは一切お弁当を持ち歩かなくなりました。結婚してからもそうです。

 駅弁みたいなのはいまでも非常に好きです。妙においしい。いつだったか、デパートの駅弁大会に行って、たくさん買いこんできたことがありました。そういうときに限って知り合いに会ったりします。新宿駅のホームで話したのですが、相手の視線はずっと私が両手に提げている大量の駅弁に固定されていました。平日の午後に、いい歳をしてこの人はいったい何をやっているのだろうという顔つきでした。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.25 12:57

 杉並区に住みはじめてまる二十年になろうとしています。それ以前は新宿区や練馬区に住んでいました。もともと生まれは中野ですから東京都を出たことがありません。二十年間で住居は三回変わりました。私個人はもっと下町のほうで生活してみたい気持ちもあったのですが、子どもの幼稚園や学校の関係があり、なかなかよそに行けなくなってしまうものだと思いました。

 私は昔から住むところにあまりこだわりを持っていません。いい家に住みたいという気持ちが希薄なのです。車も所有していませんが(運転免許だけは持っています)、全然ほしくならないから当然ですね。その感覚とちょっと似ています。車がほしくならないのと同じで、いい家に住みたいという気持ちが湧いてこないわけです。
 ただあんまりみすぼらしいところでは子どもも可哀想ですので、まあ平均的な賃貸マンションに住んでいるのかな。

 実家はそのまま両親が住んでいます。しかしそこに将来住もうという気持ちにはなかなかなれません。少年期、いろいろ恥ずかしい思い出があるので戻りたくないのです。近所のお嬢さんに憧れ匿名で電話をかけたらばれてしまって、ご本人だけでなく双方の家族を巻き込んで大騒ぎ・・・みたいなこともありました。母親に近所で恥ずかしい真似をしてくれるなと叱られたものです。それでも私は執念でーー二三回でしたがーーそのお嬢さんとデートするところまで漕ぎつけましたよ。憧れる気持ちが強かったのですね。

 たまに一人で下町を散歩していて、係累がなければこのあたりに住んでみたいなと考えることがあります。文化の違いがあって面白いでしょう。
 地方都市に住んでみたいと考えることもありますが、あんまり自然が多いとかえって気が滅入ってしまう。にぎやかなところで育ちましたからね。杉並区を離れる機会は当分ないと思います。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.24 12:48

 いわゆる知識と知恵は全然別物だと考えています。知識は外から与えられるものですね。ある種、情報と言い換えてもいいかもしれません。それに対して知恵は内側からくるものでしょう。そのために知識が役にたつこともあるでしょうし、邪魔になる場合もあるでしょう。
 よく高い学歴を持たれた地位のある方がけっこうつまらない事件を起こしたりしますが、知識ではなく知恵の問題でしょう。知恵と品性は補完し合いますから。

 自分はたいした先生ではありませんが、生徒との関係は年々うまくいくようになってきました。人間関係ですね。それはあきらかに知識の集積でそうなったわけではありません。この仕事をはじめて三十年、たくさんの先輩方からどうすればいい先生になれるかというお話をうかがってきました。それ以外にもーーまあ一般の方程度にはーー教育関係の書物などを読んだりしてきました。

 ただ現在自分が心がけていることは、そうした情報とはちょっと違う部分から来ています。経験を積んだことによる知恵ですね。
 私は生徒のことを徹底的に信頼しているのですが、それは彼らが間違いを犯さないという意味ではありません。何回間違いを犯しても、彼らが自分自身で矯正していく能力を持っていることに気づいているという意味での信頼ですね。中学生ですからいろいろなことをしますよ。ときには、騒いだり授業中に寝たり宿題を丸写ししたりサボったりテスト中に隣の答案をのぞきこんだりする。

 ただこちらが信頼し続けるかぎりにおいて、彼らはそうした「感心できない行為」を必ずどこかで自分からストップします。人間おかしなもので、徹底的に信頼されていることに気づくと、その期待にふさわしい人格として生きたいと考えるようになるものです。あそこまで信じられたら裏切れないなーという感じでしょうか。大人でもそうですけどね。
 
 問題なのは、ときどき彼らをいちばん信頼していない人間がご両親だったりご兄弟だったりするケースです。そうなってくると、うまくいくはずのものもうまくいかなくなる。何しろ同じ屋根のしたで生活している人間が、根本的にこちらを疑っているわけですから。どうせ信用されていないのだからと捨て鉢なことを言ったりしたりするようになる。すべてを「反抗期だから」で片づけてしまうのは危険です。周囲の信頼が欠如しているときの反抗は、むしろ悲鳴に近いものだと考えています。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.23 14:36

 私はあまり人づきあいがよくないという話は何度も書いています。きらいな人が多いわけではないのですよ。むしろかなり人間好き(?)な方だとは思うのですが、一人でいたいタイプなのです。
 ですから、仕事の帰りにどなたかとちょっと飲んで帰るという機会はほとんどありません。飲むときはまえまえから約束しています。

 昨晩、何がきっかけだったのかよく覚えていませんが、イケメン横綱のW副教室長とさらに池袋教室長のU先生と三人で飲みに行きました。場所はまたもや五反田。五反田はたくさんお店がありますからね。
 W先生とはわざわざ雨のなか、五反田の一つ手前の目黒で待ち合わせました。ひと駅歩こうと約束していたのです。途中コンビニエンスストアーで缶ビールを一本ずつ買って、裏道を飲みながら歩きました。U先生とは五反田で合流する約束になっていました。

 W先生と「こういうのいいもんだな」と話したのですが、人通りのない夜道を親子ほども歳の離れた二人の男が缶ビールを片手に語りながら歩くというのはわかる方にはわかる何かなのだろうと思います。男同士だからできるという要素もありますかね。仮に女の人と飲むのであれば、私は目的の駅で待ち合わせてしまうと思います。わざわざひと駅歩かせるのは申し訳ないですからね。
 男二人、目的地にたどりつくまえから物語ははじまっているわけですよ。ちょっと病気?

 以前も入った魚介料理の店に入りました。きのうも珍しいものがありましたよ。あわびの肝のづけ、たこの卵。たこの卵というのは生まれてはじめて食べました。とろとろしていてじつに奥深い味わい。あれ、また食べたいなあ。
 オムレツに大量のウニを乗せたものとさんまの塩焼きも食べました。三人ですからね。けっこう注文しました。

 小さなお店なのですが、満席でした。調理はまだ若いご主人一人が担当しています。あまりにも忙しくて奥さんに対する態度がちょっとだけぴりぴりする瞬間があります。どこでも見かける光景ですね。奥さんの方がうまくご主人の気持ちを和らげるべく工夫する。「ごめんね」「ありがとう」「気をつけるね」私はずっと観察していたのですが、言葉に出すことは大切ですね。言葉が何かしら力を持つ。

 その後? 二軒目に行きました。やはりインターネットで評判の居酒屋さんです。以前行ったときは満員で入れなかったのですが、昨晩はうまい具合に空いていました。そこもおそらくはご夫婦で経営。奥さんは底抜けに明るく礼儀正しい方で感心しました。お辞儀の角度が「本気」なのです。
 うまく行っているお店はやはり空気が違いますね。教室もそうだと思います。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.22 13:45

 昨日、私はブログに間違えたことを書きました。すでに削除してしまいましたが、「恋はリズムにのせて」は「君の瞳に恋してる」の競作者ボブ・クリューが作ったものではないようですね。もう何年もまえからそう信じこんでいたので、改めてけさアンディ・ウィリアムスのCDを確認してびっくりしました。たしかボブ・クリューが自身のオーケストラでこの曲を録音していたような記憶があり、てっきり作者も彼だと思いこんでいました。

 きのうは午前中他教室で会議があり、そのあとは台風による休講が決定し、たくさんのご家庭にお電話をかけました。さらに台風のなかをいらしてくださった保護者の方と面談もしました。そんなこんなでブログがなかなか書けず、結局書きはじめてから完成するまでに五時間ぐらいかかってしまいました。昨日のあんな文章に五時間ですよ。いままでの記録です。
 もっともはじめは台風のことを書こうとしたのです。それから反抗心のことを書こうとした。どちらもうまくいかなくなって最後に音楽関係の話に逃げました。

 仕事のスタート時に書いてしまわないとどうも頭のなかが濁ってくるような感じがあります。いい文章が書けないどころか悪い文章でさえ書けなくなる。
 このブログを書くことは、私にとって義務(会社に対して)ではありません。たとえば書く頻度を週一度ぐらいに落としても注意されることはないと思っています。またブログを書くことで直結する報酬みたいなものは受けていません。つまり、書くと偉くなるとか儲かるとかという要素はないということです。

 ただなるべく多く書くようにはしています。見えない関係でも信頼みたいなものが成立してくると感じるからです。最近では一日に何百人もの方が入ってくださるのですが、大半は現在の私と直接つながっている方ではないでしょう。彼らのうちの何パーセントかは私個人のことは信じていなくても、私が書き続けるという事実だけは信じてくれているのではないかと思うわけです。見えない関係であるからこそ、期待を裏切らないようにしたいと考えることがあります。

 
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.21 18:29

 私はあまり人づき合いのいい人間ではありません。自分が変わった男だということはよく自覚しているので、迷惑をかけないよう最低限の人間としかおつき合いしないようにしています。最低の人間ではないですよ。数として最低限ということです。
 印象的な話を聞くと、ふと相手のことが好きになる傾向があります。こういう話が出てくる人はいいなと思うわけです。

 現在は年賀状のやりとりぐらいしかありませんが、四十代の前半までよく飲み歩いた同世代の男の先生がいました。私は彼に友情を感じたのですが、それは彼の思い出話がきっかけでした。
 彼は東京からはるか離れた北国の生まれでした。子どものころお母さんとデパートに行ったそうです。すると甘いお菓子の香りが漂っている。そこにアンディ・ウィリアムスの「恋はリズムにのせて」という曲が流れてきた。そのときのまばゆい感覚。

 彼はその話を、他者の話をきちんと聞いている人がほとんどいないような宴席で、苦笑しながらしていました。つまらない思い出だよという感じで。ですが、私は何か非常に特別な人間の感性を垣間見たような気持ちがしました。彼と話すといつもその種の話題が出てきて感心したものです。結局、そういう人だったわけですね。何ということもない会話のなかで意味を感じさせる。

 アンディ・ウィリアムスの「恋はリズムにのせて」は1967年のヒット曲です。もともとコーラのコマーシャル・ソングだったそうで、どうりでオシャレな曲ですね。

 

  
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.19 13:22

 私は相当活字を読む方だと思うのですが、ここ何年も小説(とくに純文学関係)はまったく読んでいません。入試問題で見るだけです。読んでいるのはおもに神秘主義の書籍だとか哲学書、宗教書、自己啓発書の類です。興味を持った人物の随筆(エッセイ)はときどき買って読むことがあります。あとは音楽と将棋の本でしょうか。とにかく小説というジャンルはまったく読みませんし、そのことで苦痛を感じることもありません。

 以前は自分で書いていたので、参考にするという意味で昔の人の作品を読んでいました。しかし半世紀生きてきて、私は人間というものはとくに「純文学」を読まなくても生きられるものだということを発見したような気がします。一般的に純文学作品が売れないと言われていますが、社会全体が高齢化してきているのと関係があるのではないでしょうか。ある程度歳をとった一般の方で、若い作家の純文学作品を次から次へと読んでいるケースは珍しいと思います。

 そういう意味でーー例外はあるでしょうがーー純文学は圧倒的に若い方向けですね。時代小説や恋愛小説、推理小説などは年代を超えて読まれるので、小説そのものが完全に衰退するということはないと思います。ただ純文学一本やりで一生書き続けるのは難しいかもしれません。
 そもそも私自身純文学系の作品を書いていたのですが、自分がまったく読まないものを書く意味があるのだろうかという疑問は、つねにつきまとっていました。

 私が非常に尊敬するある作家は、小説と詩のあいだにはまだだれにも掘られていない豊かな鉱脈があるということを繰り返し書かれていました。私はむしろ随筆(エッセイ)と小説のあいだにそういう鉱脈が横たわっているような気がします。安易に私小説という形をとることなく、あくまでも自身の実生活ーーそれがどういう生活であってもーーに基づいたフィクションを書いたら、案外他人に面白がられるものかもしれません。

 
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.09.18 13:48

 今朝は大宮教室でお話をしてきました。行きは例によってグリーン車。快適だったなあ。帰りはグリーン車が混みそうでしたので普通の車輌で渋谷教室まで戻りました(途中新宿教室にも寄りました)。
 私はいつでも時間に余裕を見て自宅を出ます。今日は二時間まえに出たので大宮に着いてからまだ一時間近くありました。駅の周辺をちょっとだけうろうろしてから教室に向かいました。

 商店街の途中に将棋の道場があります。私はーーどういういきさつだったかよく覚えていないのですがーー1970年代半ば、いまは故人となった友人と二人で埼玉県の方にちょくちょく遊びに行きました。土地鑑みたいなものは全然ないのですが、妙に面白かったのですね。小旅行みたいな気分でした。浦和とか大宮とかうろうろしていたのですが、あの道場は何となく記憶にあります。当時と経営者も変わっていないのではないかと思います。

 まだ埼京線だとか湘南ラインとかがない時代でした。池袋から「赤羽線」という黄色い電車に乗り、赤羽から京浜東北線に乗り換えて埼玉県に入って行きました。時間がかかりましたよ。
 赤羽あたりから北側は現在よりこわいところというイメージがありました。いわゆる不良が多かったのですね。年上の知人に「そんなところをうろついているとカツアゲされるよ」とからかわれたのを覚えています。そういう時代だったのでしょう。

 いまは新宿から大宮まで30分程度で着くわけで便利な世の中になりました。湘南ラインで行くと駒込駅のあたりから一瞬トンネルに入り、視界が開けると同時に仙台銘菓の大看板が見えます。上中里駅の近くですね。田端駅からも近いのですが、空気が一変するのではっとさせられます。
 漠とした寂しい感じが何とも言えません。しかもなぜかあえて求めたくなるような寂しさなのです。

 
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2011年09月   >>
        01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

新着記事

月別アーカイブ