2011.08.30 12:57

 この記事がちょうど700本目になります。以前は1000回書いてからやめようかなどと考えていたのですが、さすがに書くことがなくなってきました。あんまりみっともないことにならないうちに、どこかで区切りをつけたいと思います。
 たったいまついでにブログランキングを見てみたのですが、ブログ村の方では1位に、もう一つのランキングでは2位に入っていました。

 基本的には仕事場で書いているわけですが、はじめのころはいくらでも書くことがありました。最近は電車のなかで何を書こうかと考えることが多いですね。西荻窪(か荻窪)から渋谷までのどこかで考える。外の景色を見ながら思い浮かべることもありますし、何かの本を読んでいてインスピレーションを得ることもあります。
 面白いもので、五回に一回ぐらいは用意してきたことと全然べつの話を書いてしまいます。

 書くことがなくなってきたということは、私は本当の意味では表現者ではないのでしょう。ホンモノは増えもしないし減りもしないと思っています。いつも同じ。書いてしまったから減ったというのはいかにも情けないですね。
 愛という感情があります。狭義にとらえるとつまらないものですね。自分の愛している人が他の人を好きになると取り分が減ったみたいな気がして怒ったりする。

 そういう低いレベルの我欲ではなく、もうちょっと高いレベルの愛情。それは減ることがありません。自分のお子さんをたとえば十年間愛してきたので、もうほとんど愛情が残っていないなどという親は例外中の例外で、一般的にはいくら愛情をかけてもまだまだいとおしさが募るものだと思います。そうやってけっして増えたり減ったりしないものだけがホンモノなのでしょう。

 最近ではこのブログがきっかけになって、大学の同窓生と再び連絡がとれたのがうれしかったかな。また過去の生徒がーーほとんどどなただかわからないのですがーーコメントをくださったりするのもうれしく感じます。どうもありがとうございます。
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2011.08.29 12:58

 たくさんの答案を採点するのですが、それにしても字が汚いという生徒がいます。ふだんから注意はしているのですが、どうしてもていねいに書けない。いい子なのですよ。人間的には全然悪くない。しかし、それにしても汚い。
 ていねいに書かないと決めているというのであれば、それはそれで一つの生き方ですからいいでしょう。損はすると思いますが、ご本人の哲学は尊重したいとも思います。

 そうではなくて無意識のうちに汚いという場合。ご本人もていねいに書いた方がいいと内心では考えている場合。それなのに毎回毎回書けないということになってくるとちょっと問題です。
 なかには名前でさえ殴り書きみたいな生徒がいる。姓名の姓の部分だけしか書かない。私で言えば「長野」ですね。それだけ。

 こうなってくるともう今日はぜんぶを殴り書きでいくぞ! と宣言しているようなものです。勉強に限らず、スポーツでも芸術でも歌や踊りやそれこそゲームでも、ていねいにやるのと雑にやるのとではどちらがうまくいくだろうと訊かれたら、よほど変わった人ではない限り「ていねいにやる方」と答えるでしょう。
 石を的に当てるときだって、雑に投げるよりていねいに投げた方が確率が高まるのは道理です。

 ということはですよ。ていねいに行為できないようではいつまでたっても物事に上達しないということです。ここは真剣に考えてみてください。
 ていねいに名前を書いている人は全員高得点かと質問されれば必ずしもそうではありません。しかし、ていねいに書いてくれている人は高得点への道を着々と歩んでいることだけは確かだと思います。逆にどっちみち点数はたいしたことないのだからと雑に雑に書いている人は、まだ道を歩み出してさえいないのです。

 すぐにできることではないですか。ていねいに名前を書く。この瞬間からすぐにできます。むりには勧めませんが、もし共感される方がいらっしゃったらどこかに「2011年8月29日から自分は名前をていねいに書く」と書いておいてください。いずれそのていねいさは人生全体に広がってくると思います。ここが分水嶺ですよ。
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2011.08.28 10:27

 以前小説を書いていたころ、編集者の方に「あなたは女の人が全然描けていませんね」と言われてドキリとしたことがあります。その編集者はすごく優秀な方で、数々のアドヴァイスが本当に的を射ていました。その方がおっしゃるわけです。「たとえば女の人のバッグのなかにどういうものが入っているかとか、そういうことをあなたは研究していないでしょう? 小説家としてやっていきたいのなら女性のことがわからないようではだめです」と言われました。

 私は人並み程度には女の方とおつきあいした経験はありますし、昔からどちらかと言えば男性より女性の方が話しやすいのですが、たしかに表面上のおつきあいでしかなかったという感じは否めません。とくに若いころ、深い友情を抱いたのはすべて同性でした。恋愛相手とは友情をはぐくむことができませんでした。ちょっと乱暴な言い方をすると、恋愛しながらも相手を信用していない要素が多々ありました。

 きのう、ブログにおかしくなって入院してしまった同性のことを書きましたが、彼とも十代から二十代にかけてずいぶん親しくしていました。そのことをきのうはずっと考えていました。
 あれは難しい決断だったな。心の病気というのは人格が変わってしまいますからね。言うこともすることも以前とは全然違ってしまう。もしはじめから相手がそういう人間であればそもそものつきあいがはじまらなかったわけで、まったく別人格になってしまった友人との友情を存続させるのは非常に困難でした。

 人間はだいたいにおいて自分に似た人と親しくなりますね。どこかしら似た要素が必ずあるものです。自分にないものは見えないということなのでしょう。また他者のなかに自分を見たいという気持ちもあるのかもしれません。
 私はこういう年齢になったので、ときどきうんと歳の離れた女の方から恋愛や結婚の相談を受けることがあります。そういうとき、なるほど若いころの自分はこういう女性の心理がわかっていなかったなと思います。
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2011.08.27 11:14

 もともと私は多くの方と親しくなるタイプの人間ではありません。親しい人間はごくごく限られています。仕事関係は別ですよ。好き嫌いがあっては成立しませんから。ただプライベートでは相当わがままな人間だと思います。私という人間がまずあり、職業や所属や交流はあとから生じてきたものなので、迷惑をかけない範囲で好きな生き方をしていいと思っています。

 交友が面倒になることもあります。もう相手をしたくないなというケースですね。昔からそういうことはよくありました。何がきっかけということもないのですが、相手に幻滅してしまう。相手にではないな。同じような交友を続けることにうんざりしてしまうのですね。
 そういうときは相手から嫌われるような努力をします。最近はそんな機会もなくなってきましたが、相手がさっさと離れていってくれたらこれほど楽なことはありません。

 一度、こういうことがありました。若いときです。相手が文字通りおかしくなったのです。同性でした。その種の病院に入院した。私たちは長いこととても仲がよかったのですが、いろいろあって私はこれ以上つきあい続けるのはむりだと判断しました。
 こちらから捨てるのはしのびないので、あちらが幻滅するような言動をとりました。で、うまく別れました。

 二年後に相手が亡くなったという話を聞いたとき、ちょっと後悔したのも事実です。もうちょっと見ていてあげるべきではなかったか。ただ同情だけでつきあい続けるというのは難しいですね。交友によりこちらも向上したいわけですから。
 つきあいが面倒になってあれこれでたらめなことを言う。その言動を信じ切って呆れてもらうのがいちばん世話なしです。人間関係はいろいろ面倒だと思うときがたまにありますが、そこが面白くもあるのでしょう。
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2011.08.26 09:57

 結局、授業の受け方に開きがあるのではないか・・・と感じるときもよくあります。寝ているとか遊んでいるとかというのは論外ですよ。そうではなくてきちんと受けている。少なくとも傍目にはそう見えるし、本人も大真面目である。それでも何か差があるのですね。感度の差みたいなものでしょうか。

 たとえば塾で使用する多くのテキストは問題集形式になっています。自宅か、または教室でいちおう解いてもらい、その解説をしていくことが多い。問一、問二と進んできて、ふと私が作者の話をしたとします。私としてはこのあたりで・・・という気持ちがあってしているのです。作者の話から広がってきて、たとえば「この人は夏目漱石の弟子なんだよ」と話す。さらに「漱石という字は書けるかね?」と訊く。

 すると反応に違いがあります。書けるかどうかささっとノートに試す人がいます。動きでわかります。漱石の「漱」という字は難しいですよ。大人でも「瀬石」と誤解している人がいるぐらいです。
 念のため黒板に夏目漱石と書いておきます。で、わざわざ「漱」という文字に印をつける。多くの人は板書してくれますが、なかには「これは問二の答でも問三の答でもない」とじっとしている人もいる。

 さらにせっかく漱石が出てきたので、名前の由来を話します。いつも同じ流れですけど。例の「石に漱ぎ、流れに枕す」という話ですね。長くなるのでここには書きませんが、面白い話ですのでご存知ない方はちょっと調べてみるといいと思います。そういう好奇心は大切ですよ。
 ここまで来ると生徒の反応にかなりの差が出てきます。

 すごく前向きに聞いてくれる人がいる反面、まだ問三に入らないのかとじりじりしている人もいる。ただ私ぐらいの歳になると、もう芸能人がどうしたとか昨晩はカレーを作ったとかデートの必勝法だとかーー若い先生のなさるその種のお話を悪いというわけではありません。親近感を持たせようと苦心されているのだと思いますーーその手の完全な「雑談」はないわけで、何かしらあとで役にたちそうなことを伝えているつもりではあるのです。

 私の授業はともかくとして、そうやってこちらの話を積極的に聞いていない子は「どこでも」そうなのではないかという不安はよぎります。大人の話を面白く聞こうという姿勢があまりないのではないか。感度を高めようという意志が乏しいのではないか。
 すべてつながってくるのだという気持ちは大切だと思いますよ。入試に出る出ないで判断しがちになるのはわかりますが、いずれはすべてつながってくる。そういう気迫を持って日々の生活を送られるといいと思います。
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2011.08.25 11:47

 以前もこのタイトルで記事を書きました。デビッド・ジャンセンの「逃亡者」というテレビドラマのDVDが出たので注文したという話ですね。前回のときは、はじめの60話だけでした。ぜんぶで120話あるので早く後半のものも出ないかなと思っていたところ、先週新聞に広告が出ていたのでさっそく電話をかけてみました。後半の、とくに最後の方の何話かは秀逸です。

 十代半ばということもあったのでしょうが、ときどき涙を浮かべながら見たりしていました。いま考えれば「バカか!」ということになるのですが、そういう高校生だったのですね。ちなみに何人かの友だちに「きみも『逃亡者』を見てみろよ」と勧めたのですが、どなたもまったく興味を持ってくださいませんでした。がっかりしましたよ。

 何かのアンケートに将来の希望という欄があり、「逃亡者」と書きこんだこともありました。とくに何も言われませんでしたが、相手はふざけた少年だと思ったかもしれません。
 十代のとき「何になりたいか」と訊かれても、全然ピンときませんでした。私自身現在生徒にそう問いかけるときがありますが、つまらないことを質問しているのかもしれないなと思うこともあります。

 あのドラマのテーマは、要するに叶わぬ友情だとか恋だとかですね。主人公はアメリカ中をうろうろしてあちらこちらでさまざまな職業につく。現在のフリーターみたいな感じです。で、どこに行っても恋愛事件が持ち上がる。だが、その恋は決して成就することがない・・・大感激したということは、私自身がそういう人生を求めていたということなのかな。
 現物が届くまでに三週間ぐらいかかると言われましたよ。ずいぶん長いですね。けっこう注文が殺到しているのかもしれません。
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2011.08.23 10:30

 ときどき授業をサボってしまう生徒がいます。発覚するときもあればしないときもある。発覚してしまうことの方が多いですね。サボって完全に欠席というケースもありますし、遅刻してくる場合もあります。いろいろです。
 保護者の方はショックを受けるのですが、ご自身に経験がないからでしょう。私は自分もよく塾をサボったのでーーいい悪いはべつにしてーーあまり驚きはありません。

 自分は中学受験生でしたので塾に通っていたのは小学生のときでした。進学教室でテストを受け、ときどき解説授業をサボりました。テストは返却されてしまうので、サボるとバレる。授業ならバレないということですね。
 で、何をしていたか。二三人の友だちと施設内の公衆電話でいたずら電話をかけていました。現在はもちろんどうかと思いますよ。ただそのときはひたすら楽しかった。

 塾はかけもちしていたのですが、ときには一人でいたずら電話をかけました。で、大幅に遅刻する。学校が遅くなって・・・と嘘をつきます。しょっちゅう遅刻していたので、先生は気づいていたかもしれません。
 いたずら電話もじつにくだらない内容ばかりでした。いきなり歌を歌ったりする。小学生時代の精神状態をいま正確に分析するのは難しいのですが、とにかくそんなことばかりしていました。

 幸か不幸か両親にはバレませんでした。その後もたびたびいろいろなものをサボりましたが、発覚したことはありません。必ずしもいたずら電話をかけたかったわけではありません。息苦しかったというのが正直なところかな。ただただ息苦しい感じが苦痛でした。
 現在の私は仕事をサボってどこかに行ってしまうことはありません。息苦しさに耐えられるようになったのですね。ひとりでにそうなりました。

 サボることに理解があるというわけではないのですが、彼ら自身よくわかっていないのでしょう。塾がいやなわけでも勉強したくないわけでも他にしたいことがあるわけでもない。理由がないように見えます。ただ保護者の方にその洞察や理解まで求めるのは難しいと思っています。
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2011.08.22 11:33

 一般に先生は生徒を監督する立場にあります。授業中もそうですし、それ以外の時間もある意味ではそうなのでしょうね。そばにいないときも彼らの生活にある種の責任を持っているべきでしょう。
 こういう覚悟は歳をとってからできたもので、若いときは考えもしませんでした。知らないところで誰が何をしようがこっちの責任じゃないよという気持ちでした。ご自身のお子さんに対してもそんな風に考える親御さんがいらっしゃるという記事を最近新聞で読みましたが、そこまで監督放棄の風潮が進むと困ったものです。

 道徳的に正しい方向に導こうというような大げさな話ではありません。何らかの影響を与えているという自覚だけは忘れないようにしたいということです。
 仮に何かで相手と感情的にぶつかることで彼らが猛発奮しどんどんいい方向に進んでくれるのであればそれで構わないのですが、むしろたいていは悪い方向に出てしまいます。そのことは確実に把握しているべきではないかと考えます。

 未熟な人間(子どもは当然そうです)は落ちこんだり厭世観に包まれたりするケースが多いものです。ときどき小中学生が叱られて自らをあやめてしまうような事件が起きますが、監督する立場の大人(先生とはかぎりません)が自分が与えた影響をどれぐらい測れていたかということは大切な要素ではないでしょうか。「まさかそんなに負担だと思わなかった」というのは監督としての洞察力のなさ以外の何ものでもありません。

 私は自戒の意味で、生徒のやる気をなくしてしまうような先生はいちばんだめだと思っています。やる気どころか生きる活力みたいなものまで奪ってしまうようでは彼らを監督する資格はないですね。
 相手の能力をーー勉強だけに限定するのではなくーー100%どころか120%も150%も引き出す力こそ監督する者にいちばん求められるものでしょう。

 皆さんも、部活動などで後輩を指導される機会があると思います。そこはよく考えてみてください。厳しくするなということではないですよ。距離感を上手にとって、彼らが部活動を通じてそれこそ「生きていてよかった!」と思えるぐらいまで指導の質を高めてほしいと思います。その努力こそがいちばん大切な要素であり、教える「内容」についての努力はむしろ副次的なものだと感じるときさえあります。
 
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2011.08.21 10:32

 何かの買い物をしていて「ポイントがたまっていますがお使いになりますか?」と訊かれることがあります。私はそういうことに神経がいかないので、何のカードにいくらたまっているのか意識することはほとんどありません。買い物をしていてあちらがおっしゃってくださってはじめてわかる。あちらが黙っていたら、私は永遠に何のポイントも使えないでしょう。

 それでいいとも思っているのですが、わざわざおっしゃってくださったときは使わせていただきます。びっくりするほどたまっているときもあります。先日もあるものを買うとき1万円以上安くなりました。 
 私が書きたいのは・・・人生にも幸運のポイントみたいなものがあるような気がするということです。うんとたまっている人とあまりたまっていない人がいるのではないか。

 人生のポイントは買い物をしてためるものではないですね。どれだけ周囲に配慮したかというようなことが大切な条件であるような気がします。身近な人だけではなくですよ。たとえば、私はバスや電車のなかで疲れている人を見たら年下でも席を譲ってやるとか、あの洋食屋さんは流行っていなくて可哀想だからたまには行ってあげようかとか・・・けっこう気を遣うのですが、それでつねに運がいいのではないかとも思うのです。

 商品のポイントはある程度たまらないと使えないですね。500円ぐらいのものを買ってすぐ値引きしろと言っても通用しない。そういうところも似ています。鶴の恩返しじゃあるまいし、今日お婆さんに席を譲って明日宝くじに当選するということはないですよ。またあまり意識しすぎてもよくないでしょう。
 私は自身の運のよさだけはーーきわめて健康で日々が充実しているというだけでも幸運ですよーー自覚しているのですが、これも何かのポイントなのだろうとありがたく感じています。
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2011.08.20 10:28

 休憩時間は1時間と決められています。守るのは当然ですね。昔ーーもう十年になるのかーー一緒に働いていた若い女性で休憩時間を守らない方がいました。この方は一年もたたないうちにやめてしまいましたが、見ていて面白かったですよ。1時間が1時間15分になり、20分になり30分になる。しまいには2時間を超えて、上の人から注意されたりしていました。

 私は教室長ではなくべつの立場で働いていたので、その人がいないと困ることがしばしばありました。ただ私は一度もそのことで彼女を責めたことはありませんし、それなら自分も・・・と私の休憩時間を延長したこともありません。上司に言いつけたこともその話題をどこかに持ち出したこともありません。そういう人間なのです。
 一度だけ2時間超えのときだったか、どうしましたか? と訊ねてみたことがあります。「体調が悪くて」というお返事でした。

 ところが先日、私は休憩を1時間以上とってしまいました。ばかな話です。教室のまえにコミュニティ・バスの停留所があります。恵比寿を通ることがわかっていたので、それに乗って恵比寿まで行って食事をし、電車で帰って来ようと気軽に考えたのです。食べるお店も決めてあり1時間はかからないだろうと思っていました。
 ところがこのコミュニティ・バスというのがあちらこちらをうろうろうろうろしていて、いつまでたっても恵比寿に着きません。

 裏道ばかり走るので面白いは面白いのですが、気が気ではありません。面談とか授業の予定はありませんでしたが、だからいいじゃないかというものでもないですね。結局、恵比寿に着くまでに40分以上かかり、帰りは大慌てでタクシーで戻ってきたのですが1時間15分ぐらい経過してしまいました。仲間には事前に(コミュニティ・バス内から)事情を説明したメールを送ってはあったのですが、失敗でした。
 途中で不思議な銅像を見つけましたよ。時間があるときにゆっくり乗ってみようと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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