2011.06.29 09:46

 昨日、おそらくは面識のない大学生の方からコメントをいただいたのですが、なぜか非常に親近感を覚えました。自分に似ている要素を感じたのですね。お返事をさしあげたのですが、ブログを続けてきて本当によかったと思いました。何かしらつながったという実感があります。単純な信頼関係とはまた違った感触です。彼(彼女)には伝わると思うのですが。

 コメントはときどきいただきますが、いたずらみたいなものもあります。せっかくですが、承認されず掲載されない仕組みになっています。ただいたずらのコメントを送るというのも私はある意味で愛情の裏返しなのだろうと考えています。対象に対して何か気持ちが動かなければわざわざいたずらしようという気分にはなれないものです。面倒臭いですからね。いたずらコメントは私は確認していませんが、ありだと思っています。

 今日は6月29日ですね。この日は思い出があります。あれは1971年でした。もう40年もたつのか。
 当時、私はあるバスを使って高校に通っていました。バス→JR→私鉄と何度も乗り換えました。そのバス停での出来事です。バス停ですから通りの反対側にも当然バス停がある。そこに小学生時代先輩だった大変な美少女がいてバスを待っていました。やはり登校途中でした。近所でも評判の美しい人でした。

 その日はいつもより早めに自宅を出ていたのですね。私はぼんやりと(ああ、あのきれいな先輩はこの時間に登校しているのか)と思いました。私が後輩だということも忘れているだろうな程度に考えていました。
 あちらのバスが先に来て先輩は乗り込み、最後にちらりと窓からこちらに向かって手を振ってくれました。とくに意味もなく、元気? ぐらいの気持ちだったのでしょう。

 ただ私は大変な衝撃を受けましたよ。もちろんいい方向に。40年たってこんなことを書いているぐらいなのですから、衝撃の強さはわかっていただけると思います。そういう人間なのです。
 最後の私鉄を降り、高校までの登校路でIくんというまあまあ親しいクラスメートと一緒になりました。私は「おれの人生は今日から何もかも変わったんだ」と宣言しました。Iくんは笑っていましたけどね。毎年6月29日が来るとあの朝を思い出します。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.27 14:12

 こうやって言葉を使って文章を書いていますが、言葉にはつくづく限界があると感じるときがあります。そのあたり、非常にもどかしいですね。
 たとえば「授業中は姿勢を正した方がいい」と書いたとします。まあ、実際そういう傾向はあるでしょう。ただそう書いてしまうと逆に「授業中姿勢を正さないあらゆる生徒はだめだ」ということになってしまいます。そうでもないのですよ。

 私の授業でもたとえば10分~15分の演習時間に、ふと机に突っ伏したりする生徒がいます。眠いわけではないのですよ。私にはよくわかっています。ぼくは(私は)もうできてしまいましたというアピールなのですね。こんなに速くできるんですよ、というちょっとした合図でもあったりする。私個人はとても微笑ましく感じます。まあ、なかには本当に眠いというケースもあるでしょうが、あくまでも例外ですね。

 ただだからと言って「授業中は姿勢を正したり正さなかったりいろいろでいい」と正確を期して書いたら、要するに何も書いて(言って)いないのと同じことになります。
 そのあたりの葛藤はつねにあります。詩だとか小説だとかであれば、ある程度相手のイマジネーションに預けてしまう要素があっていいと思うのですが、正確に伝えたい場合は言葉の曖昧さが問題になってきます。

 生きた世界は当然全体を表現しているわけですが、言葉は断片しか表現できない。ですから、生徒でも息子でも言葉「だけ」で注意したり叱ったりしても伝わらない要素は多々あります。「だめだぞ」と言う。受け取る人間によってどれぐらいだめかという解釈は当然違ってくる。全然気にしない人もいるでしょうし、ずーっとくよくよし続ける人もいるでしょう。
 本当は沈黙の方が伝わるのではないかと思うときさえあります。黙ってうなずく。その方がよほど伝わる。近しい関係はみんなそうかもしれません。
 
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.26 12:21

 昨日、中3の授業で「縁」の話が出てきました。「袖触り合うも多生の縁」という言葉がありますが、ここにいる、この人といる、こんなことをしている・・・というのはすべて理由があるというか、定められた何かだったのではないかという考え方です。中学高校生の方は辞書をひいてみてください。もう少し詳しく意味が書かれています。多生と他生の違いとか。勉強になりますよ。

 どれだけ科学的なのかとか証明できるのかとか、ありがちな(?)議論で先人の知恵を無にしてしまうのはもったいないですね。
 そう、何かしらご縁があってここでこの状況になっているわけです。現実がいやでいやでたまらないとしても、一回はその状況についてあなた自身が見るべき何かがあるのでしょう。直視しておかないといつまでたっても宿題が残る可能性もありそうです。

 なるほどここが悪いのかということがわかれば調整することができますし、その後の人生の大きな財産になりますね。
 仮に第一志望の高校に落ちてしまったとします。進んだ高校がつまらないとくさっていても状況は悪化するばかりです。自分はどうしてこの高校に進むことになったのだろう、この高校ならではのことは何だろう、精一杯幸せになるためには高校をどう使っていったらいいだろう・・・幸福になりたいのであれば、そういう風に展開させていくべきです。

 以前、ある中堅高校のパンフレットに、すごく難しいことで評判の国立大学に入った生徒のインタビューが載っていました。私立高校だったのでものすごく補習授業をやってくれた、選択できるものをぜんぶとったおかげで塾にも予備校にも通わずにこんなにいい大学に合格できたと書いてありました。入学前は必ずしも第一志望ではなかったのではないかとも想像するのですが、少なくとも入学後は「これも縁だ」とがらりと切り替え高校を信じ切って頑張ったのですね。

 人生で後悔するようなことは確かにあります。ただそうした事がらも自身を知る大切な役割を果たしてくれます。自分に合わないこと、合わない人、合わない趣味などは数々の失敗によって明確になるものです。今後は同じようなことで人生をむだにする可能性は少ないわけで、それはやはり財産だと思います。そう考えると人間過去の「意味」が変わってきます。過去でさえ変えることができるということですね。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.25 08:49

 ときどき通うのがいやになってしまったという生徒のご家庭から連絡をいただくことがあります。せっかくのご縁ですし、多くの先輩が成功しているわけですからもう少し続けられないものかお話をうかがったりしています。
 楽しくなくなってしまったというのが多いですね。楽しくないというのは確かに困ります。基本は楽しめないと。逆に言うと楽しんでさえいれば、とりあえずの成績がどうであれ、いずれは伸びてくるものです。

 たまに先生とうまくいきませんという話が出てくることもあります。ベテランのきちんとしたいい先生なのですよ。不思議だなと思って先生にお話をうかがってみると「あの子は宿題をやってこないので叱っています」と言う。「毎回毎回やってこないので毎回叱っています」という話が出てきたりする。
 ここが難しいところなのですよ。叱って効果があるのかどうか。

 30年間この仕事をやっているのでよくわかるのですが、昔に比べて現代の小中学生は叱られることに対する耐性がありません。世の中全体が優しくーーというより無関心にーーなっているのですね。
 昔の塾ではそれこそ先生方が「やる気がないなら帰れ!」と怒鳴ったりしていました。体罰なんかもしばしば目撃しましたが、問題になることはありませんでした。私も二十代のころ保護者の方から「ほかの先生のように体罰を与えてください」と言われ、仕方なくサボっている生徒を立たせたりした時期がありました。

 そういう時代からやってきたベテランの先生から見れば、たいした叱り方はしていないつもりなのでしょうが、子どもたちの方はえらく叱られたような印象を持ってしまう。叱って効果があれば叱るのもありでしょうが、いやになられてしまっては逆効果です。私個人は強く叱ることはまずありません。
 やってこない子? もちろんいますよ。注意をします。「きみがサボるというのはとても不思議だ」とか。それだけで連続してサボることはなくなります。彼らをそういう気持ちにさせないとだめですね。

 要するにすべてはコミュニケーションなのですよ。やってこないからだめと切り捨ててしまうのは忍びないので、そのあたりはベテランの先生にもいろいろ手心を加えてくださるようにお願いしています。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.23 14:46

 これまで一人であちらこちら旅をしています。名古屋、大阪、神戸、豊橋、浜松、静岡、四日市、小倉、弘前、能代、あとどこだったかな・・・家族や友人とは別のところに行ったこともありますが、一人旅はそんな感じでしょうか。基本的には観光地よりも都市が好きなのですね。大自然に囲まれたようなところにはあまり興味が湧きません。

 なかでも小倉と四日市は印象に残っています。小倉は20年近く昔、友人の結婚式で行きました。ただーー相手の方には申し訳なかったのですがーー私は徹底的に単独行動をとりたかったので、ホテルも何も完全に一人にしてもらいました。行きも一人、帰りも一人、ホテルも一人。結婚式だけ出席してあとは完全に自由行動でした。勝手に博多まで出かけて飲んだりしていたのですから呆れたものです。

 四日市も普通あまり観光に行くところではないですね。それでも二度行ったことがあります。最初に行ったときは雨でした。近鉄の四日市駅界隈はにぎわっているのですが、JRの四日市駅付近はさびれていて、印象に残りました。ホテルの窓からたくさんの煙突が見えました。夜中でももくもくと煙が出ています。暗い部屋でベッドに腰かけて煙を見ていた覚えがあります。

 ホテルの部屋というのが好きなのですね。新幹線のグリーン車と少しだけ高級なホテルの部屋が空間としていちばん好きです。
 旅と言っても飲んでいるだけですからね。他に何もやることはありません。ホテルにチェックインするといきなり寝たりする。遠くまで来て、昼の三時ぐらいにベッドにもぐりこんでいるとバカじゃなかろうかという気分にもなります。他にすることがあるだろうに・・・と。

 ところがあるとき、居酒屋研究の第一人者太田和彦先生の本を読んでいたら、旅先で夜の居酒屋探訪に備えて昼間はホテルの部屋でカーテンも閉めてぐっすり眠る、その贅沢こそが至福であるみたいなことが書かれていました。もちろん太田先生と私とではレベルが全然違いますが、それでも同じようなことを考えているものだなと苦笑してしまいました。
 ホテルで昼寝をしているとかすかに外の音が聞こえます。幸せの音です。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.22 16:26

 ずーっと昔、こういうことがありました。ある先生が授業に来なかったのですね。いまみたいに携帯電話があたりまえの時代ではなかったので、なかなか連絡がとれませんでした。幸い大事には至らなかったのですが、お身内が倒れられたという話でした。あとで先生は仲間に詫びながらこうおっしゃっていました。「授業どころじゃなかったですよ」なるほど、そういう考え方もあるのでしょうね。

 私は批判的なことを書こうというわけではありません。ただ自分の美学とはずいぶん違うなと思いました。私は突然父や母が倒れたときも、家内や息子がーーもちろんべつべつの理由ですよーー救急車で病院に運ばれたときも、それこそ普通に仕事に行き授業をやりました。責任感からではなく美意識からそうしているのです。
 そもそも家族の話をすること自体、ちょっと気恥ずかしいという思いがあります。他の方には関係のないことですから。

 息子の話はしょっちゅう書いていますが、保護者の方がたくさん読んでくださっているので、気難しい父と子(私と息子のことです)でさえ関係性に気をつければうまくいきますよという励ましで書いている面があります。教育関係のブログでなければ私は家族のことは一切書かないでしょう。
 ですから、いちいちどなたにも話してはいませんが、自分にはふと父の日のプレゼントを持って行ったりする面もあるのです。

 今年、父には扇子をあげました。黒いオシャレな扇子で保管する袋に白い文字で「義」と書いてありました。私が幼いころ、父はそんなことばかり言っていた記憶があります。で、それを選びました。
 高齢の父は長いあいだ扇子をぼんやり見ていましたが、隣の部屋でひとり言みたいにして「昔はよくこういうことを考えた。最近はあまり考えなくなったが、これを機会にまた考えることにしよう」と呟くのが聞こえました。私は父のこの言葉には、心に残る何かがあるという感じがしました。それであえて今回は家族の話を書いてみました。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.20 13:25

 人間というのは複雑なものだと思います。本当はシンプルなのでしょうね。あるいはシンプルであるべきなのかもしれません。しかし、現実は複雑にできています。たとえばいま私は「シンプル」と書きました。「単純」と書いてもよかったのですが、何となく「シンプル」と書きたくなった。この選択。これは私自身の何か深いところから出てきたものだと感じます。そういう意味での複雑さですね。

 好きな音楽を聴く。同じ曲を好きと言っていても、人それぞれ理由は違うでしょう。メロディーが好きという人もいれば歌詞が好きという人もいる。リズムが好きという人もいれば全体的な印象が好きという人もいる。なかにはその楽曲が流行っていたころいい思い出があるので好んで聴くという方もいらっしゃるでしょう。本当に千差万別です。

 人間一人一人に方程式があるとすればそれは複雑なもので、たとえば1足すか2足すかーーそのときはさしたる差がないように見えてもーー先に行くに従ってものすごい違いが出てくるのではないかと思います。
 ですから、自分がいま何かをすごく好きであるというのは、すべての集積のうえに成り立つものなのでしょう。そのことをここまで好きになるためには、あの経験もこの経験も必要だったということですね。もちろん悲惨な体験も含めて。

 おとといだったかな、ある曲を聴きながら渋谷の地下街を歩いていて、ふと涙が出てきました。慌てて意志的に引っ込めましたが、私にとってはそこまで思い入れの深い曲というのは当然楽曲の持つ魅力だけではなく、私自身の人生と深く交差しています。
 好きだった女の子のことを考えながら聴いた懐かしい曲なんかでも、特定のその人でなければこの曲ではなかっただろう・・・と考えるときがあります。

 食べ物の好み、着るものの好み、何を大切で美しいと思うか、逆に何を敬遠したいものと考えるか・・・これまでの経験の集大成なのでしょうし、これからも変化していくと思うのですが、何か一つ欠けただけでもいまの自分とは違ってくると思うので、こうやって生きてきて何もかもよかったのだと思っています。
 今日は何だか変なことを書いているな。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.19 11:57

 先日、生まれてはじめて健康雑誌を買ってみたところ、付録にクラシック音楽のCDがついていました。モーツァルトかな。私はふだんクラシックをまったく聴かないので聴き方がよくわかりません。
 ドラムが入っていないので、どこが切れ目かわからない。延々と続いていく感じで、これじゃ「ノリ」が悪いじゃないかと思いましたよ。リズムの取り方が難しいとでもいうか。

 まあ、向き不向きですね。だらだら流していると落ち着く感じはありますが、わざわざ聴こうという気持ちには・・・
 音楽のどういう要素を好むかは人それぞれだと思うのですが、自分の場合はリズムですね。ロックだけではなくソウル・ミュージックやファンクなんかも好きなのですが、リズムの強烈さに惹かれるのです。スライ&ファミリー・ストーンみたいなやつですね。

 ふと交友関係もそういう人間を好んでいるような気もします。仕事において好き嫌いはまったくありませんがーー30年間生徒に対して努めてきたつもりですので、相当訓練されているという自負を持っていますーー私生活で好む人間は男でも女でもリズム感(?)の強い人かもしれません。
 踊ったり歌ったりするという意味ではないですよ。また自己主張が強いという意味でもありません。むしろ周囲の状況が敏感に読めるタイプの方ですかね。場のリズムに乗ることができるという意味です。

 マイペースを貫く方ももちろんいらっしゃっていいわけですが、自分が好んでお話する方はどちらかというと気を遣われるタイプです。比喩的に言うと場のリズム(空気)を拾うのが上手なのでしょう。
 付録のCDには「血圧を下げる効果がある」と書かれていました。試しに聴きながら測ってみると確かに少し低く出ました。ほほうと思い、次にモーターヘッドを聴きながら測ってみたら十ぐらい高く出ました。いい加減なものですね。自分らしいと思いましたよ。

 
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2011.06.18 13:00

 当然、そういう方もいらっしゃるでしょう。こんなに努力している。絶対にいい加減にはやっていない。それなのにどうして成果が出ないのだろう。
 昔、こういう話を読んだことがあります。どこの国の話か忘れてしまいました。ある偉いお坊さんが仏像だかお寺だかの絵を描かなければならないことになりました。

 絵の上手な弟子を呼んで次から次へと描くのですが、何十枚描いてもうまくいきません。その絵はよくありませんと言わなければならない弟子もつらかったでしょうね。ただお坊さん自身にも会心作ではないということはわかります。そのうち墨がなくなってきました。お坊さんは弟子に「すまないが、墨を買ってきておくれ」と言います。弟子がいなくなった。と突然、いい絵が描けたそうです。

 弟子は帰ってきてびっくりしました。「どうしてこういう絵を最初から描かなかったのですか?」結局絵の上手な弟子に認められよう、成果を出そうという意気込み自体が邪念になっていたのですね。弟子の姿が消えてリラックスできたせいでいい絵が描けたのです。
 考えてみればブッダでさえ何年も何年も続けてきた努力を放棄した途端に悟りが開けたわけで、そういうことはどなたにもあるのでしょう。

 難しいのですよ。はじめから無努力ではどうにもならない。ところが努力ばかりして緊張していると成果が出ない。ときどき若手棋士なんかでものすごい努力家が十分に勝ち星をあげられなかったりしているのを見ていると、そのへんに深い理由があるのではないかと感じることがあります。勝とう、成果を出そう、タイトルをとろうという強い執念がかえって邪魔をしているのではないか。升田幸三という昭和の大名人が生前「勝ち負けにこだわっているうちはだめだ」と謎めいたことをおっしゃっていたのですが、こういう意味だったのかなと思うようになりました。

 認められよう、褒められよう、点数や偏差値をあげよう、あの人にだけは負けたくない・・・という気持ちが強すぎて苦しいのだとしたら、ちょっとリラックスしてみたらどうでしょう。何かから解放されると違うものが見えてくるかもしれません。
Tags :
ソーシャルブックマーク:

2011.06.17 13:02

 ちょうど二年前の今日ーー6月17日ーーにこのブログはスタートしました。早いもので二年もたつのですね。記事総数が今日も含めて642件かな。そのうちの641件は私が書いたものになります。
 うーん、たくさん書きましたね。はじめは中学受験生の応援ブログでしたから、主に小学生や保護者の方向けに書いていました。受験が終わってからはある程度自由に書いてよろしいということになりましたので、もう少し対象を広げて書いているつもりです。

 一回につき400字詰め原稿用紙で3枚ぐらいでしょうか。昔の記事は比較的短かったので2枚程度のときもあったのかな。平均2.5枚として・・・それでもぜんぶ足すと1600枚を超えるのか。長編小説みたいですね。
 私は相変わらず現在教えている生徒にはこのブログのことを話していません。何となく気恥ずかしいのです。それでも気づいてくださる方はいて、先日も優等生のKくんに「どうして五反田に詳しいのですか?」と質問されました。

 たったいま見たのですが、運がいいことに「ブログ村」のランキングでももう一つのランキングでも今日は高校受験部門の1位になっていました。記念日に大変喜ばしいことですが、私はこれまたいままでどなたにもーー家族や親友にもーーボタンをクリックしてくださいとお願いしたことはありません。会社の方が励みになるようにランキングに参加してくださったのですが、本末転倒みたいにはなりたくないのです。順位によって内容が変わるようでは情けないと思っています。

 昨日はCHARの新しいCD&DVDが発売されたので買って帰りました。彼は私と同い年です。私も高校時代、面白半分で友人とバンドを組んでいたりしたのですが、当時から下北沢にものすごくうまい同い年のギタリストがいると評判でした。いまのように情報社会ではありませんからね。どうも慶應義塾の学生らしいなどというおかしな噂もありました。たたずまいが貴公子然としていたからでしょうね。
 詳しくは書きませんが、彼が変に文化人みたいな方向に行かないで現役を続けているのは、非常に節操のある生き方だと感じます。
Tags :
中学生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2011年06月   >>
      01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

新着記事

月別アーカイブ