2011.05.10 17:10

 昨年池袋教室で教えていたある生徒からお手紙をいただいたので、こちらからも返事を出しました。そこにちらりとコルベ神父の話を書きました。
 私はクリスチャンではありません。キリスト教に深い興味を抱いているわけでもありません(興味がまるきりないわけでもないですが)。しかし、アウシュヴィッツでのこの方の話は以前から何かで知っており、また最近加藤一二三元名人のエッセイを読んだ関係で改めて考えるようになりました。

 この方がどういうことをされたのかは詳しくは書きません。インターネットでもすぐに調べられるので、興味のある方はご覧になってください。一般の中学生であればご存知なくて当然だと思います。
 簡単に言えば、他者の犠牲となり自らの生命を投げ出されたのですね。こういう姿勢を単純にりっぱだとか偉人だねーとかあっさり形容して終わりにしてしまうのは、何かを取り逃がしているような気もします。

 人間の一つの開花の可能性。私にはそういう感じがしました。善というよりは美を強く意識したかな。また、ふと思うのですがーーここは深いところですーーじつはコルベ神父以外にも市井の人間で同じようなことをされた方はいらっしゃるのではないかとも考えます。名前が残らなかっただけで。
 処刑を待つ短い期間、同じように処刑される仲間と収容されていた神父の部屋からは賛美歌や祈りの文句がさかんに聞こえてきたそうです。

 何かしら信じられるもの(必ずしも宗教である必要はないと思います。音楽とかスポーツとかでも)を持っている人間はやはり強いですね。攻撃的な強さではなく、生きる意味を持つ強さというかーーつまり死ぬ理由も生きる意味に通じてくるわけですからーーそうした根源的な力を持てるということではないかと思います。
 私たちが死を恐れるのは、生きる意味が確立していないからだとも言えそうですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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