2011.04.30 11:02

 アラン・ドロン主演の「仁義」という映画があります。ドロンの作品のなかでもとくに評価が高いわけではないのですが、私は彼の全作品のなかでいちばんこの映画が気に入っています。ほんの数秒間のあるシーンに、私のなかの何かが強烈に感応したのですね。
 十数年まえ、深夜の時間帯にやっていたものをビデオに収めたので、ときどきその数秒間のシーンのみ見ています。昨晩も見ました。

 いろいろと背景があります。はじめてテレビの洋画劇場でこの映画を見たとき、私は高校三年生でした。受験生ですね。当日、担任の先生(熱血男性教師でした)と受験に関して面談をしました。放課後、教室のなかで二人で話したのですが、私は当時も(また)熱烈な恋愛中で、受験なんかどうなってもいいと思っていました。大切なのはおつきあいしている女性だけで、あとはーー学校も受験も親兄弟も自分自身さえも世の中すべてーーどうでもいいと考えていました。

 私は幼少時から繰り返し繰り返しそういう恋愛をしたのですが、それは自身のなかの何かが欠落しているだけで、相手の方は影のような存在でしかなく、ある意味でどなたでもよかったのだというようなことに気づいたのは、ずっとあとになってからのことです。
 それはともかくとして、私は適当に私立大学名をあげ、学部を訊かれたので「法学部にでも」と答えました。すると先生は「お前の話をしているんだぞ」とちょっと語気を強めました。あまりにもひとごとみたいだったからでしょう。

 その晩、この映画を見ました。アラン・ドロンが雪の日、郊外の人けのないドライブ・インでトレンチコートを着たまま食事するシーンがあります。ほんの一瞬です。固い表情でナイフを使って何かを食べている。さらにコーヒーを飲み、お金をテーブルのうえに置く。そのとき、弾むようなジャズ系の音楽が店内に流れている。
 うなるほど感動しましたよ。受験は相変わらずどうでもいいものの、恋愛も本当はどうでもいいのではないかという感覚がはじめて湧きおこりました。一人で生きる美学とでもいうか。

 出会いというのは不思議ですね。あの状況下でなければ、まったく見過ごしてしまう一場面だったのではないかと思います。
 
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2011.04.29 10:32

 4月29日ですね。この記事は自宅で書いています。今日は池袋教室で合格を祝う会を開催します。午後3時から約二時間ぐらいでしょうか。教室によって開催している日時は違うので、他教室に通われていた方はご自身の教室での日時を確認してください。
 卒業生の皆さんには連絡がいっていると思います。出欠の連絡をとりましたが、万が一欠席と届けていたのに突然来たくなったという方は来ちゃってもいいですよ(電話だけください)。

 例年なら3月の半ばに実施していたのですが、今年は地震のために遅れに遅れました。世の中楽しい会合は何もかも自粛というムードもあり、一時期は今年は開催できないのではないかと思ったりもしたのですが、楽しみにしていたのに・・・という皆さんの声があちらこちらから寄せられて「祝賀」という用語はともかくとして、集まろうということになりました。

 いろいろとおいしいものを用意しています。池袋教室のお姉さんたちはそういうの見つけるの上手なのですよ。あと例年もやっていますが、ビンゴゲームの景品もたくさん用意しました。それなりに高級なものも入っています。ぜひあててくれ。ゲームはイケ面横綱のW先生に仕切ってもらおうかな。例年は卒業生の美女Mさんにお願いしていたのですが。
 ああいう集まりは苦手だという男の子、いますね。私にはきみたちの気持ちがすごくよくわかります。

 じつは私自身がそうなのです。パーティーみたいなものは苦手です。だれとも話せない、何も食べられない、ただぼーっと突っ立っているだけでこれでは何しに来たのだかわからない・・・という状況ですね。いつもそうでした。ただ、それはそれで一つの経験ではありました。自分がどういう人間であるかということを考えるいいきっかけになりました。同時にそういう人たちの気持ちがすごくよくわかるようになりましたよ。

 こういうの、遺伝するのかもしれないですね。息子が中学生のときに学校のクラスで楽しい施設に行く日がありました。息子がその日だけはどうしても休みたい、行きたくないと言うので許可した覚えがあります。みんなが楽しそうなので、相対的に惨めに感じてしまうのですね。私にはよくわかります。
 ただ、本当に経験にはなります。私も一人ぼっちなので安心してください。きみだけではありません。つらくなったら私を観察していなさい。なるほど、こう対処するものかと勉強になりますよ。
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2011.04.28 12:11

 家内のパソコンが直ってきたので、試しに自宅で書いています。今日は仕事はお休みです。今年になって昨年より休みをとることができるようになりました。ただ私は日月水土と授業を持っている関係で、休めるのは火木金の三日間に限定されます。同じ曜日にばかり休んでしまうとその日に来てくれる生徒と会えないので、なるべく火木金を分散させて休むようにしています。周囲の方の休みも考えないといけないのですが、私はよほどのことがない限り自分の休みを主張しません。どこでもいいのですよ。私にとってはすべての日が等質ですから。

 音楽のことを久しぶりに書いてみます。最近はあまりCDを買わなくなりました。いちばん新しいのがWHITESNAKEの新譜ですね。たいして期待していなかったのですが、非常に充実していたので驚きました。全盛期のアルバムに匹敵するぐらいの内容でした。WHITESNAKE関係は相当思い入れがあるのですよ。バーニー・マースデンがギターのころからコンサートに行っていましたから。

 今日書いてみようと思ったのは、バート・バカラックについてです。この人は、本当に異常感覚の天才だと思います。以前、あのアリス・クーパーがどういうわけか好きなミュージシャンにバート・バカラックをあげていましたが、わかるような気がします。
 この人の作った曲はときどき音階的に「えっ?」という方向に進んでいくのですが、それが妙に心地いい。有名な「雨にぬれても」なんかも飛び跳ねる感じですね。

 そうかと思うと「WIVES AND LOVERS」や「ALFIE」みたいに整理された曲もある。前者ーー飛び跳ねる感じの名曲に「TO WAIT FOR LOVE」というのがありますが、これは布施明さんが「今日 今 この時」というタイトルで日本語で歌っています。私は歌謡曲は基本的に聴かないのですが、このシングルは非常に印象に残っています。

 「THE BELL THAT COULDN’T JINGL」というクリスマス・ソング。途中であの「ジングル・ベル」を引用しているのですが、ここでこう来るかねーと感心するような展開でした。
 この人みたいなタイプの名曲を量産した作曲家を私は一人も知りません。やっぱり天才なのでしょうね。エルビス・コステロと作ったアルバムも男の哀愁に満ちあふれています。聴いているとこういう孤独な(?)男でありたいと思ったりしますが・・・病気ですね。
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2011.04.27 15:52

 厳密に言いますと、これは601本目の記事です。ただその中の一つはZ会から全体へのお知らせでしたので、私自身の書いたものだけに限定すれば、今日が600本目になります。
 もともとは中学受験生を応援するためにスタートしたものでした。ですから、私も受験生の皆さんと同じように、半年間は毎日必ず記事を書こうと決めて実行しました。

 受験期が終わり、ブログの存続についてはあれこれ議論があったのですが、皆さまからご支援をいただきましてタイトルを一新して続けることになりました。それが現在のタイトルです。
 受験期までという区切りがなくなっただけに、いつまで続けられるのだろうという気持ちはありました。日記を書くわけではありませんから、当然持っている「ネタ」は減っていきます。

 小説なんかですとストーリーがありますから、流れに乗って続けていくことができます。しかし、勉強関係のブログというのがそんなに出てくるものかどうか。一つの区切りとして500回と考えていたのですが、いつのまにかそれも超えました。
 記事を書くまえにブログランキングを調べてみましたが、それぞれ3位と1位に入っていました。組織票みたいなものは一切ないわけですから、それぞれの方が個人的に投票してくださっているのでしょう。ありがたいことです。

 ちょっと裏話を書いてみます。記事の内容については来るときの電車のなかで考えることが多いですね。そのときどき読んでいる本がヒントになったりもします。
 書く時間はだいたい一時間。書くことだけに集中していればもう少し早くできそうですが、途中で電話をとったり席をはずしたりするので、どうしてもそれぐらいはかかってしまいます。
 また、会議のあとなんかはなかなか書けません。一度だけですが、教室に戻ってから完成するまでに四時間近く費やしたことがありました。

 ただーーとくに生徒諸君に伝えたいのですがーーそれぐらいのことは当然だと考えないと。得意にしたいこと、形を残したいことは手間と愛情をかけないと。愛情のある手間のことを「面倒」とか「苦労」とか呼びはじめたのは、もともとあなたではなかったはずですよ。そこに偶然「面倒」「苦労」という単語が落ちていただけでしょう。そのことに気づいてくれたらいいなと思います。

 
 
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2011.04.25 13:07

 先日、教室の生徒がビル内の廊下やエレベーター、階段などで騒いで困りますという苦情をいただきました。いままで渋谷教室では一度もなかったことだそうで、ここのところ生徒数が急増したこともあり、ちょっと元気がよすぎるようです。今週中に全員に注意を喚起する手紙を手渡すことにしましたが、この件、いろいろと考えさせられますね。

 仮に大人が廊下やエレベーター、階段などで大騒ぎしていたら、これはちょっと病的な行為なわけで、いわゆる「アブナイ」人と思われてしまうでしょう。エレベーターの各階のボタンを押したりしている大人はちょっと想像がつかないというか、社会生活自体きちんと送れない可能性もありーーもちろんご本人は判断がつかずになさっていることですからお気の毒なのですがーーそうですね、お気の毒ですとしか表現しようがありません。

 それをまだ中学生だからやってしまう。もっともなかにははじめからそういういたずらに興味を持てない人やすでにその次元からは「卒業」した人もいます。とくに後者ですね。すでに卒業した人たち。
 この人たちは物事のとらえ方が大人に近づいてきたわけです。昔はいたずら電話をかけた、ピンポンダッシュもした、エレベーター内のボタンも押した、でも、もうそんなことはばからしくて・・・

 公共の場で騒ぐことが恥ずかしいという感覚。あるいは騒ぐべきではないという倫理観。それを持ちはじめたということは、大人としての視点を持てるようになってきたということで、そういう部分は勉強関係でも差が出てきます。当然ですね。
 努力してもなかなか成績が伸びないという小中学生の大半は、物の見方がまだ子どもで、それぞれの対象物の背後に隠された「何か」に気づけないというケースが多いのです。それなりにきちんとした大人になる努力をしないといけませんね。

 私は昔ーー受験勉強をしていたころーー「恐怖のミイラ」というものすごくこわいテレビドラマの再放送を見ていました。あまりにもこわいので、ドアと窓を両方全開にし、万が一突然現実にミイラが現れたらどちらからでも逃げられるように部屋の中央に立ったまま見ていました。
 現在の自分にはよくわかるのですが、私がどうしてもある程度までの成績しかとれなかったのはそんな幼稚な人間が受験勉強をさせられていたからです。机のまえに座っている時間を延ばすことより大切なことがあったのに、当時はだれも気づかなかったのですね。

 騒がないでいられるということ自体があなた自身の成長のきっかけになるでしょう。ちょっと考えてみてください。渋谷教室だけのお話ではないですよ。
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2011.04.24 12:35

 すべてが遊びに溶けこんでしまうような生き方ができると理想的だと思います。目的はない。狙いもない。欲望すらない。ひたすら面白いからただやっているだけという感じ。
 仕事と遊びを同一視するとはけしからん! とお叱りを受けそうですが、私は個人的に仕事(教室長という立場+先生という業務)をできるだけ遊びの観点に近づけてやりたいという気持ちを持っています。

 誤解されますかね。仕事中ずっと遊んでいるという意味ではないですよ。本当にそうなら、いくら私が愚かでも会社のブログにこんなことは書きません。隠しますよ。
 そういうことではなくて、仕事と遊びの関係を見直して生きようと心がけているとでも表現したら伝わるのでしょうか。仕事=プレッシャーでどんより、遊び=うきうきとどこまでも楽しい、みたいな世間的な固定観念を改めたいということです。

 説明会や保護者会、あるいは個別面談、そして担当している授業ですね。こちらがはじけるようなエネルギーを放出した方が、相手の方は元気が出ると思っています。当然ですね。あんまり陰気な感じで「困りましたねえ・・・」「難しいですよ」では相手の方も感情の行き場に困ってしまうでしょう。ある程度の浄化作用がないと。あの教室には(とくに用事はないのに)なぜかまた行きたくなるなあと思っていただけるぐらいになったらいいですね。

 私自身が明るくうきうき存在しているのがいちばんいいのではないかと思っています。そういうエネルギーは必ず周囲に伝播しますから。幸い、渋谷教室は仲間も明るいのでいい空間を提供できるのではないかと考えています。
 以前、池袋にいたときも周囲は明るい方ばかりでした。こういうのはいわゆる「類が友を呼ぶ」ということなのでしょう。お互いの相互作用なのですね。

 ただ、本質的には私は暗いのですよ。リッチー・ブラックモア信者ですから。暗い方が美しいとさえ思っています。
 暗い人間でも遊んでいるときは楽しいわけで、あえてそうしたエネルギーを出しているという意味ですね。微妙な抑制も効いて、ちょうどよくなっているのかもしれません。
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2011.04.23 12:45

 きのうは本当にぐっすり眠れた、心身ともにすっかりリフレッシュしたというような表現があります。どなたにも経験のあることではないでしょうか。ところで、この「ぐっすり眠れた」と観察していた人間は誰ですか? ぐっすり眠っているご本人は「ぐっすり」なわけですから無意識です。しかし、確実に、深く眠れたということを意識している存在がいた。目が覚めた瞬間に意識した? それだけではないでしょう。一晩中安らかであったご自身を見ていたはずですよ。

 意識している自分以上の存在があるということに気がつくと、多くのことが可能になります。本来の自分のパワーはこんなものではなかったのだということを思い出すからですね。それを十全に活かす工夫をしていけばいいのではないでしょうか。あなたの枠はあなたが作っていただけなのですね。

 音楽を聴いていて、自然に手足でリズムをとっているときがあるでしょう? あれは音楽とあなたが一体化しはじめているのですね。傍観者ではない。溶けこんでしまった。すると音楽の奥の方が見えてきます。感じてくると言った方がいいのかな。
 文章を読んでいてもそうです。本当に感情が揺さぶられてくると、電車のなかでも声を上げて笑いそうになったり涙が流れてきたりする。文章と一体化しているわけです。そこまで深く読まないと文章の奥底はなかなか見えない(理解できない)のでは? カギは一体化にありそうですよ。

 個性について。
 個性的でありたいと全体とわざと逆のことをする人がいます。私なんかも若いときはかなりそういう傾向がありました。単純だったのですね。
 しかし、そういうものでもない。明るい部屋のなかでろうそくに火を灯す。明るいからろうそくの火には個性がないかというとそんなことは全然ありません。独特の個性があり、だれが見ても感じとれます。同じ性質を持った仲間のなかで輝けないようでは、所詮ホンモノではないということなのかもしれません。 
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2011.04.22 17:33

 池袋教室にいるとき、私はほとんどのクラスで自分がこうやってブログを書いていることを生徒に黙っていました。保護者会でも積極的にお話したことはなかったような気がします(細かく、完全に記憶しているわけではありません)。基本的に私は非常に消極的な人間であり、自分のそういうところがとても好きなのです。ときどき「もう少し早く教えてくれればよかったのに」とおっしゃってくださる方もいらっしゃり、渋谷に動いたらなるべく早くブログのことを授業内でも話そうと思っていたのですが、やはり生徒には何も言えていません。

 恥ずかしいという気持ちがあります。かなり正直に書いているので、自分を知られるのが恥ずかしい。さすがにこの歳になると、生き方そのものが恥ずかしいというわけでもないのですが、それでも何となく抵抗があります。
 消極性というのはおそらく自身の本質なのでしょう。小学校のころ、私は両親や先生にわかっていることはちゃんと手を挙げて発表するようにと何度も注意されました。黙っているからですね。

 わかっていることをあえて発表するというのも、何となく恥ずかしくないですかね。そこでだらだら手を挙げたりしていると、姿勢を正して「はいっ!」と大きな声で手を挙げなさいと言われます。「ええーっ?」ですよ。そんなのますます恥ずかしい。で、相変わらずぐにゃぐにゃしていてさらに叱られました。「姿勢を正しなさい!」私にしてみれば、この微妙な感覚がわからないのかねーみたいな不満もありました。

 積極的な生徒はもちろん評価していますが、私は消極的な子を必ずしも低くは見ていません。人間はだれにでも自己を表現したいという欲求があり、堂々と姿勢を正して積極的に生きることに気恥ずかしさを感じる人間は、べつの形で必ず自己を語ろうとするということを信じているからです。
 
 古い友人が静岡市内で居酒屋を経営しています。ご両親の店を継いだのですね。数年前、ふらりと行ってみたことがあります。十年ぶりぐらいでしたので、彼は私に気づきませんでした。私もあえて名乗らず小一時間ほど飲んで、帰りました。店を出る間際に私が名乗ると、あちらは「あ、気づかなかった」と小さくうなずきました。私もまた同じようにただうなずいただけで表に出ました。
 それだけの再会でしたが、非常に美しい思い出として残っています。堂々としていないところがよかったのです。
 
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2011.04.21 14:11

 以前、ある書籍(いわゆるインテリの方たちが下町酒場について考察するという内容の本です)を読んでいて、こういう記述にぶつかりました。昔から下町酒場にはなぜ必ず黒ビールが置いてあるのか?
 考えてもわからないということで、大手のビール会社に電話をかけたそうです。するとビール会社もすぐにはわからない。折り返し連絡しますという話になりました。

 折り返しの連絡はあったものの、驚いたことに結局は「わからない」という回答でした。強壮剤的なとらえ方をされていたのではないかとか、健康増進と関係していたのではないかとか、あれこれ推測はできるそうです。しかし、本当のところはビール会社の広報の方でさえわからない。そう書いてありました。

 私はこの話を興味深く感じていたので、あるとき、下町酒場ーーというよりは下町酒場に出入りされている職人さんとか肉体労働者の方とかをたくさんご存知のある人にこの話をしてみました。すると、言下に「昔はあれで焼酎を割ったからさ」と返ってきました。そんなことも知らないの? という顔でした。
 ビール会社の方がご存知ないようなことを現場の酒飲みは常識だと考えていたわけで、こういうのはやはり強みだなと感心したものです。

 私たちもたとえば「子どもがやる気がなくて困っている」とか「反抗的な態度で手を焼いている」とかいろいろ相談を受けますが、こうやって現場にいるおかげで「もっと褒め続けないとうまくいきませんよ」とか「こちらが落ち着いた人間でないとまずいですよ」とか、すぐに答えられます。きちんと現場で経験を積んでいれば、即答できるようなことばかりです。

 若いころは私も仕事に役立てようと教育学や児童心理学の本を読んだりしましたが、結局は現場の経験の方が何十倍も役に立っています。私はもともと「先生」という職業に憧れを抱いていたわけではありませんし、自分が本来の意味でのいい教育者ではないことも熟知していますが、他のことをするよりはこの形で生きることが世の中のお役に立てそうなので、現場の知恵みたいなものはどんどん出していきたいと思っています。
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2011.04.20 13:33

 人間、だれしもできることとできないことがあります。できないことのなかには興味がないからできないということがたくさんあります。勉強だとか仕事だとか家事だとか、興味がないからやらないとばかり言っていられないケースも多々ありますが、自己の本来の興味や関心に正直に生きることは、悪いことではないように思います。

 私は飛行機に乗ったことがありません。幼いときは興味を持った時期があったような気がしますが、その後興味がなくなりました。と同時に海外に行こうという気持ちもなくなりました。行きたくないのにむりに行くこともないので、一生日本は出ないと思います。
 また私は自転車に乗れません。大人になってから不便だなと思ったことはありますが、わざわざ練習する気持ちにはなれなかったので乗れないままです。

 大学時代、いわゆるコンパというものに出席したことが一度もありません。新入生歓迎なんとかとかよくありますね。ああいうものに一度も出たことがない。グループで飲酒をした経験はもちろんありますが、みんなでわいわい騒ぐのは苦手なので、結局一度も出ませんでした。
 ディズニー・ランドにも一度も行ったことがありません。これまた行きたい気持ちがないので、今後も行かないと思います。

 パソコンを持っていない話は何度も書きました。家内のものを借りてときどきブログを書いたりしていたのですが、最近調子が悪いみたいで書けなくなってしまいました。いずれ修理に出すみたいですが。
 携帯電話も本当はいらないのですが、仕事の関係でいちおう持っています。ただ外で電話をするときはぜんぶ公衆電話を使います。携帯で電話をする自分の姿が私はあまり好きではないのです(これは自分だけの話であって、ほかの方の批判ではありません。誤解なさらぬように)。

 こうやって列挙していくと何だか原始人みたいですが、私はこういう話を息子ともよくします。真似しろとか真似するなとかという話ではないですよ。よろよろ気弱にみんなの真似ばかりしていないで、自信を持って自分らしく生きていけということですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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