2011.03.31 10:32

 日本全体が自粛自粛でこのままでは経済がまずい・・・というような記事をあちらこちらで見ます。このまえ昼食をとっているときに隣のテーブルに60代ぐらいのご夫婦がいらっしゃったのですが、デパートに行っても被災者の方たちのことを考えると買い物をする気になれないと話されていました。「こういうものを食べていてもねえ・・・」とお二人で深いため息をつかれたりするので、私まで意気消沈してしまいました。

 感傷的な気持ちになるのは人間として当然だとも思いますが、そこはある程度割り切ってお好きなことにお金を使われたらいいと思います。
 と考えて、私はここのところ(昔はよく行った)老舗の居酒屋にわざわざ足を運んでいます。自分の好きなことにお金を使うと言っても、自分の場合そんなことしか思い浮かばないのです。

 先日は北千住にあるOという「日本三大煮こみ」の居酒屋に行ってみました。ここの煮こみはホルモン系ではないので食べやすいですね。皆さん、焼酎の梅割りというのを飲んでいます。人工的な梅のエキスである銘柄の焼酎を割る。するとこれが非常においしくなるのですね。
 私はあるとき五反田でこれとまったく同じものを出している新興店を見つけました。若い人がおそろいのTシャツ姿で張り切っているようなお店です。ところが、Oで飲むほどおいしく感じません。そういうところが飲食店の難しいところですね。

 煮こみだけでなく、赤なまこの酢の物を食べてみたのですが、絶品というわけではありません。ただこの値段では上限かなという味つけではあると感じます。ときどき老舗の居酒屋の料理はたいしたことがないとおっしゃる方がいらっしゃいますが、あの値段で料亭みたいなものは出せないと思いますよ。少しでも安くていいものを仕入れ、手をかけて出すという一生懸命さがいいのですね。
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2011.03.29 10:50

 今日は勉強の話を書きます。
 春期講習、ここが一年のスタートですからね。教科の話だけでなく、勉強するうえでの心構えみたいなものも話しています。いい機会なので書いておこうと思います。

 まず「何をやるか」ということよりも「どのようにやるか」ということの方が何百倍も大切だということを強調しています。仮にサイアクのテキスト(?)をやっていたとしても、やり方さえ正しければ力はつくものです。逆にどんなにいいテキストを使ってもやり方がまずければ成績は伸びません。ですから外の世界ーー学校や先生やテキストなどーーに振り回されすぎないようにしてください。

 正しいやり方というのはどういうものか。ものすごく簡単に言ってしまえば「心をこめる」ということですね。魂をこめる。当然、ていねいになります。繰り返し繰り返しという形になります。覚えきるまでは何度でも繰り返す。心をこめるというのはそういうことですね。
 道具もきれいに使いましょう。テキストやノートに名前を書いてありますか? 殴り書きではないでしょうね? 筆記用具も整頓してください。勉強に関係するものすべてに気を配りましょう。

 つぎに大切なことは「どこの高校(中学でも大学でも同じだと思いますが)に入ったか」ということ以上に「どういう人間になって入ったか」ということの方がよほど重要であるということです。第一志望に入れなかったとしても、きちんと勉強する習慣、自分の生活を管理する姿勢が身についていればまったく心配はありません。情報化社会なのですから、高い内容の教育はいくらでもーーそれこそ通信でも何でもーー受けることができます。

 まとめて書いてしまえば「どういう人間がどのように勉強するか」がすべてなのです。他者のせいにしない強い心を持ちましょう。頑張ってください。
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2011.03.28 10:47

 東京は今日もいい天気です。ちょっと寒いですけどね。
 私はどんなときでも出かける二時間まえには起きるようにしています。もちろんもっとずっと早くから起きているときもあるのですよ。最低でも二時間だけは確保したいという意味です。出勤のときもプライベートの外出時も同じですね。旅先でも同じです。

 まともな自分になるまでにそれぐらいの時間の蓄積が必要であるということです。学生時代はそれこそ自宅を出る三十分まえに起きたりしていました。それが二十代では一時間まえになっていました。そして現在は二時間・・・本当は三時間ぐらいほしいかな。
 ですから、8時に自宅を出るときは(講習期間はだいたいそうです)6時に起きる。7時に自宅を出るときは5時におきます。

 起きて何をしているのか。まず音楽を流しながらーーけさはカテドラルというイギリスのバンドのCDでしたーーただぼんやりする。ぼんやりしているという時間もじつは大事なのだということは、かなり年齢が上がってから気づきました。もちろんすぐに何かをすることはできるのですよ。しかし、あえてじーっとしている。ぼんやりするわけです。それから新聞を読み、サプリメントを飲みます。酵素みたいなのが多いですね。

 ときどきコーヒーを飲むことがあります。朝食はとらない主義ですが、極端にお腹がすいていれば食べます。さらに今日の運勢を占ってみることもあります。本当はいくつもやりたいことがあります。
 講習期間のように朝が早いときはだいたい前夜にシャワーは浴びてしまいます。ばたばたすると落ち着かないですからね。

 そう、簡単に表現すると落ち着くために早起きするわけです。ですから、本当は一人でいたい。家内や息子がやはり外出する準備をしていると何だかそわそわして落ち着きません。ですから、彼らが用事もないのに起きてきたときは「寝ていてくれ」と頼みます。すぐにテレビをつけたりするので、神聖な空間をけがされ(?)て困るのですよ。気難しいですね。ひとりでにこうなったので、いいことなのではないかと思っています。
 
 
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2011.03.27 11:12

 たどりつけてよかったですよ。ほっとしました。今年ほど「ただ授業ができる」という状態をありがたく感じた年はありません。過去三十年間でいちばん感慨深いですね。あたりまえのことが幸福に感じられるのは大きな覚醒だと思っています。
 戦後最大の国難とテレビでは報じています。繰り返しになりますが、浮き足だつことなく自分の持ち場で最良と思われることを続けていこうと思います。

 今日は日曜日なので電車はすいていました。遠くからもたくさんの生徒が来てくださるので、そのあたりは非常に気になります。朝の新宿ー渋谷間は混みますからね。まだ身体の小さい1年生だと通うだけで疲れてしまう日もあるでしょう。少しでも負担がかからないでくれることを願っています。
 私も中学生のころ毎朝電車で大久保駅から渋谷方面に通っていました。新宿駅ですんなり山手線に乗れなかったりした日は惨めな気分になったものです。

 講習ではふだん教室に来ていない生徒も大勢います。彼らの多くは講習が終わると本科(通常授業)に通ってくれます。それだけ実りが多かったということなのでしょう。まだ初日なのでよくわかりませんが(授業と授業のあいまにブログを書いているわけですし)、個性的な生徒も多そうで楽しみです。
 ここ数年、私は子どもたちに勉強に対する熱意の違いがあるのは当然だと考えるようになってきました。あまりにもいい加減では困りますが、冷たい反応であっても彼らのなかに何か残せたらいいと考えています。

 芸人さんなんかにもそういう要素はあるかもしれません。何が何でもウケようという強迫観念はかえって芸事の邪魔になるのではないでしょうか。ものすごくウケるというのは、要するに相手のレベルにぴったり合っているだけだと思うわけです。相手がある程度考えこむような話やはっとして言葉がなくなる瞬間や不思議で仕方がない感情をわきおこせるぐらいでないといけないでしょう。ある意味で文化の伝承なわけですから。

 まあ難しいことはともかくとして、普通に授業ができるのは本当にありがたい。それだけは事実ですね。
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2011.03.26 11:57

 ときどきアイドルなんかをボロクソに言う方がいます。若い人に多いのかな。「超ブスばっかじゃん」とか。よく聞いてみると、じつは何となくそういう人たちや世界への憧れがある。憧れているもののいまの自分の立場ではとても縁がなさそうなので、ねじれた感情が「あんなの最低だよ」という発言を誘発しているのですね。

 若い方だけではありません。大人でも、特定の超一流大学の名前を出して「〇〇大学なんか出ても実際は使い物にならない連中ばかりだよ」とか、異性にもてる仲間のいないところで「あいつは口がうまいだけで本当に軽薄なやつさ」とか、必要以上にひどくおっしゃる方がいらっしゃいますが、やはり何かしらうらやましく思う気持ちがそうした発言につながってしまうのではないかと想像することがあります。

 そのあたり人間は複雑ですね。
 昨日、リッチー・ブラックモアの名前をちょっとだけ書いたのですが、昔の彼の来日中のエピソードで、移動の新幹線の車中、ホームいっぱいに見送りに来たファンに一度も顔を向けなかったという有名な話があります。発車時間までずーっと通路側を向いていたそうですよ。
 こういうのも裏側には思い切ってファンを見たい気持ちがあるのでしょう。しかし、どうしてもそうはできない。そのこだわりが人格の核みたいになっているのですね。

 自分にももちろんそういうところがあります。いやがったり嫌ったりするもののなかに、最大の秘密が隠されている。そこに気づいているかいないかは、人間関係を円滑に保っていくうえで大きいですね。
 と同時に自然である、バランスがとれて平凡であるということは非常に偉大なことだと感じるときがあります。
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2011.03.25 12:51

 中学一年生のときだったと思うのですが、一度だけ小学校の同窓会というものに出席したことがあります。まだ子どもで、自分がそういうところでは楽しめない人間であるということがわかっていませんでした。それ一度きりで、あとは一切同窓会に出席したことはありません。中学高校(一貫校でした)、大学とつねに何かやっているみたいですが、一度も出席したことはないですね。

 自分の過去を振り返るのは好きなのです。私はけっこう昔のことを覚えている方ではないかと思っています。ただ他者と一緒に振り返るのがいやなのですよ。
 たとえば先生に「おまえはあのときさんざんこちらを困らせたよな」と言われたとします。困らせるという意味合いが現在の関係ではいきていないわけですから、そんな話をしても仕方がないような気がします。

 あるいはこういうのもあるかもしれませんね。昔親しかった異性に「あのときなぜ私たちは別れてしまったのかしら」みたいなことを言われたとします。そのときの気持ちを現在の言葉や概念で説明するのは面倒臭いですし不可能にも思えるので、私のことは忘れてもらった方がすっきりするのです。私の「記憶のなかの彼女」というものは絶対に消えないのですが、それは個人的な問題です。ふられた相手に対してもそう。好きという感情が変化してしまっているので、そのことを「二人で」懐かしむ意味はないような気がします。

 そういうタイプなので、古くからの友人というのはいませんが、そのことを寂しく思うことはありません。
 彼らのほとんどは私の記憶のなかでは生きています。彼らに対する感情が時々刻々変わってくるのも面白い。きらいだった人がそうでもなくなったり、好きだった人がやはりそうでもなくなったりしていますが、あくまでも内側でということですね。

 以前、古い友人から連絡をもらったときに「私のことはもう死んだと思ってほしい」と返事をしたことがあります。自然に会ったとか、相手の方が私に会いたい理由があるということであれば問題ないのですが、懐かしいのでみんなで集まって昔話でもしないか? みたいなのは、うーん、苦手ですね。精神的にリッチー・ブラックモアですからね。
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2011.03.24 14:12

 私はつねづね人がある場所にいるのは偶然ではないと思っています。正しいか正しくないかわかりませんよ。自分にはそう感じられることが多いということです。ですから、自分がZ会進学教室に現在勤務していて国語という教科の授業を担当し、保護者の方や生徒の相談に乗ったりしているのは、単に偶然以上の何ものかであると信じています。考えてみれば、ブログを書かせていただいていることもそうかもしれません。

 大人ならだれしもふと、この道を選ばなかったらどうなっていただろうと考える瞬間があるものです。私にしてもいろいろなところで教えてきましたから、仮にべつのところに勤めていたらどうなっていただろうと考えることはありますが、目の前に自分を必要としてくださる方たちの存在を意識すると、まあ間違いはなかったなという気持ちになります。

 私が表現したいのはこういうことです。世の中騒然としてきますと、ふと(自分はこんなことをしていていいのだろうか)という気持ちになる方も多いでしょう。安全な場所にいられる自分に罪悪感を抱き、何か困っている方たちのために実際の行動を起こすべきではないかとやみくもに焦燥感にかられる方もたくさんいらっしゃると思います。
 ただそれこそ全員が「実際の行動」を起こしてしまったら、世の中非常に困ったことになります。

 お蕎麦屋さんはおいしいお蕎麦を作る、先生はきちんと授業をする、タクシーの運転手さんはお客さんを安全に送る、中学生は将来の世の中を少しでもよくするために勉強する、警察官は困った人をつかまえる、歌い手さんは夢のあるステージを繰り広げる、お母さん(お父さん)はお子さんにおいしいお弁当を作る・・・そうやって各自が持ち場をしっかり守らないと、それこそめちゃくちゃになってしまいます。

 とくに中学生、高校生の方。しっかり生活(あえて勉強とは書きません)してください。あなたたちが大人になったとき世の中が少しでもよくなるように。私はときどき自分の生徒を見ていて(こういう子がいれば将来の日本は何とでもなるな)と安心することがありますが、あなたたちが真摯に生活する姿を見せることで大人は救われることがあるのだということは覚えておいてください。
 持ち場でしっかり。あたりまえの生活を「全力で」送りましょうね。
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2011.03.22 14:04

 お子さんとの関係が難しくなってしまったという方のお話をうかがうと、言葉に頼りすぎているような感じがします。いわゆる「徹底的に話し合う」という形式ですね。
 お気持ちはわかりますが、言葉によるコミュニケーションは頼りないものです。とくに親しい間柄ではそうです。

 うまくいっている恋人同士を見ていると、少しも徹底的に話し合ったりしていません。話し合わなくても理解し合える環境を持っているわけです。むしろ徹底的に話し合うようになったら二人の関係はうまくいかなくなってきているのでしょう。うまくいかない⇒話し合う、その結果ますますうまくいかなくなるケースが多いのではないか。「うまくいかない」時点で、すでに環境作りに失敗しているのですよ。親子関係も同じことです。

 たとえば、私は自宅ではほとんど真面目なことを話しません。息子に対してもずっとふざけてばかりです。よその方がご覧になったら、この父親はいったい何を考えているのだろう? とあきれ果てるでしょう。
 それでも息子との関係がまずくなることはありません。困ったことがあれば彼は私に相談してきますし、勉強をした方がいいよというこちらのアドヴァイスはとくに反発もなく聞いてくれます(まあ、あまりやらないですけどね)。ふだん喋っていることと親子関係にはたいした相関関係はありません。

 子どもは親をじつによく見ています。恋人が相手の様子をたえず見つめているのと同じです。こちらの表情をよんでいますから、何も話していないときもそれなりのたたずまいで「存在している」必要はあります。またーー何度も繰り返すようにーー家庭内でのあいさつも非常に大事です。とくに親が子どもに対して何か間違ったことをしてしまったときに「ごめんな」と簡単でいいですから詫びることができる姿勢。けっこうご自身のミス(もちろん軽微なものですが)は問題視せず、お子さんのミスだけやたらと厳しく責めるという傾向が大人にはあるので注意したいものです。

 ふだんの会話も大切ですよ。面倒なだれかから電話がかかってくる。お子さんに「お父さんはいないと言ってくれ」と頼む。ありがちなことですが、子どもは(自分の父親は嘘をつく人間なんだな)と軽く失望するでしょう。なぜいないと言ってくれと頼んだのか、必ず説明し理解させる必要があります。そうした日々の振る舞いですね。話し合いをしなくてもすむ環境作りを目指されるといいのではないでしょうか。
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2011.03.21 10:06

 渋谷教室に来て三週間たちますが、大地震があったり自宅待機期間があったり、なかなか落ち着きません。私は教室にかかってくる電話も可能な限りは自分でとるようにしていますが、これまで四回「Z会『池袋』教室です」と言ってしまいました。七年間も言いつづけてきたのでクセになっているのですね。あちらの方が「ええっ?」と驚かれたりして慌てて訂正したりしています。

 池袋に比べると物価は微妙に高いですね。いつも外で朝食兼昼食をとるのですが、チェーン店でなければだいたい150円高い感じです。この150円というのはかなり正確な数字だと自負しています。池袋で700円ぐらいのものが850円、850円ぐらいのものは千円の大台に乗る感じです。
 まだまだもの珍しいので、休憩時間はあちらこちらをうろうろしています。昨日は道玄坂の方まで行ってみました。

 若い子が多かったですねー。そういえば高校生のころ、自分もさかんに友だちとうろついたものです。当時のことを少し思い出しました。いくつか閉鎖された古びた建物がありましたが、一軒には洋服屋さんが入っていました。値切るとまけてくれるという評判の店でしたが、気の弱い私は値切ったりできないので(いまでもそうです)、情報を入手しても役にたちませんでした。

 バスが出てくるところがあります。あそこから昔は大井町駅行きのバスが出ていました。構内に停留所があったのです。何度もーー意味もなくーー乗ったことがあります。現在停留所はべつの場所に移りました。けっこう楽しめる路線だったような・・・
 帰りは井の頭線の脇のところを歩いて戻りました。当時、有名な将棋道場があり、井の頭線のなかから将棋を指しているおじさんたちの姿が見えたものです。

 ごちゃごちゃしたところに立ち食いのラーメン屋さんがありました。ずーっと残っていたのですが、いつのまにかなくなっていました。若くして死んでしまった友人と一緒に入ったときのことを思い出しました。彼は本当にうれしそうに笑っていました。私も同じです。何でもないことがとてつもなく楽しかった。そんな時代がありました。
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2011.03.20 11:46

 今日からZ会進学教室もいよいよ再出発です。原子力発電所の方もだいぶ落ち着いてきたみたいなので、ひと安心というところでしょうか。不眠不休、それこそ命がけでがんばってくださっている方が大勢いらっしゃる証拠で、本当に頭が下がります。こうした方たちによって生活は成り立ったっているのだなと改めて痛感しました。ありがたいことです。

 今日は春期講習の準備テストというのを実施しました。こういう状況のなか、たくさんの中学生が講習を申しこんでくださいます。ときどき保護者の方から「緊急時にはどのような対応を?」とご質問をいただくことがあるのですが、基本的に指令は本部から来ます。「保護者と連絡がとれなかった場合」はご本人が不安を感じるようであれば、教室に残っていただくことがもちろん可能です。近所の方であれば自宅が留守でも帰りたいというケースもあるでしょうから場合によりけりですが、不安であれば残れます。万が一交通機関がマヒすれば、ひと晩でも職員がつきあいますからご安心ください。

 やるべきことがたくさんたまっています。補講連絡の電話かけだけでも気が遠くなるぐらいの本数なのですが、こういう電話をかけられる状況自体が幸せだと考えないといけませんね。3月11日はおそらく多くの人間の人生観を変えたのではないかと思うのですが、個人的には少しでもいい方向に意識していきたいと思っています。

 慣れというかマヒというか、無意識になってしまうのがいちばんこわいですね。現在はたしかに公共交通機関でも、以前より他者に配慮されている方が多いような気がします。それぞれの心に何かが芽生えたのですね。こういうのがいつのまにか忘れ去られてしまうのは悲しいことです。この気持ちをしっかり噛みしめて生きていくつもりです。月並みですね。それでいいと思っています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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