2010.10.31 11:45

 昔からフォーク寄りの音楽はあまり得意ではありません。御大ボブ・ディランでさえきちんと聴いたことがないぐらいです。このニール・ヤングだけは例外で、ベストアルバムを買う程度ではあるのですが、ときどき聴いています。ときどき聴くというより、聴かないといけないという気分になるのです。最近はニール・ヤングを聴いていないからだめなんだという変な気分に陥ることがあります。

 出会いは高校時代でした。当時から彼はすごく人気があり、ミュージック・ライフ誌の人気投票では毎年高い位置を確保していました。写真を見て強烈な印象を受けましたよ(ある哺乳動物に似ていると言った友人がいます)。
 自分が注目したのは容姿よりも独特のファッション・センスでした。いいのだか悪いのだか、子どもには判断できないような格好をしている。フリルのついたシックなシャツにぼろぼろのジーンズ。べつの写真ではよれよれのカントリー・シャツに穴のあいた汚いジーンズ姿で写っていました。私は基本的にはマーク・ボランやジミー・ペイジみたいにオシャレなミュージシャンが好きだったのですが、とにかく個性的で感動しました。

 さらに歌詞がいい。当時の高校生の平均レベルの知識なので詳しい訳はわかりませんでしたが、希望がないとか愛だとか友だちがどうしたとか孤独だとか・・・何だかよくわからないもののめったやたらに苦悩している人みたいな感じがします。悩んでいる人が無条件にかっこよく見えたのですね。
 私はさっそく自分も穴のあいた汚れたジーンズにくしゃくしゃの古いシャツをはおって外出しました。父親から「そんなみっともない格好でどこに行くのだ」と注意されたものです。「近所の人に見られたら恥ずかしいだろう」近所どころか、私はそんな格好で新宿や渋谷の街中をうろうろしていました。

 声がまた神経むき出しという感じでいいのですね。この人の歌はあまりカバーされていないように感じますが、たしかにエンゲルベルト・フンパーディンクみたいな美声で希望がないなどと歌われても嘘つけという気持ちになります。
 うーん、まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、今日はここで終わりにします。いちばん好きな曲は「Only love can break your heart」かな。この声だからこそいいのです。
 
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2010.10.30 14:43

 増えたり減ったりするものは結局本当の自分のものではないのだと感じるときがよくあります。はじめから存在していてけっして取り去ることのできないもの、それだけが本物ではないかと考えるわけです。私は現在池袋教室の教室長という肩書きをいただいていますが、たとえば教えている生徒に対して肩書きを強調することは一切ありません。単純に生徒と先生という一対一の関係でうまくいっています。

 会社員になる以前ーーあちらこちらで講師として生活していた時代ーーは、ふと収入が落ちる年がありました。一度だけ諸事情から極端に減った年があり、住んでいたところを移らなければならなくなりました。それなりに快適なマンションから、それこそ階下では夜逃げ事件が起きたような木造アパートに一家で引っ越したときは情けない思いを味わったものです。
 ただそのときも息子は同じように私を慕ってくれましたし、教えている生徒もそれまでとまったく変わらず勉強してくれました。

 お金があった年も苦しかった年も、同じように生徒は勉強に励み、同じように保護者の方からはお礼を言われました。授業や生徒との人間関係がうまくいくいかないは私自身の経済状況とまったく関係ありませんでした。
 この先も人やものや肩書きは増えたり減ったりすると思いますが、そういうことにはあまりとらわれないで生きたいと考えています。またそれだけをあまりにも重んじる価値観とは距離を置きたいという気持ちもあります。

 私は代々軍人の家系でしたので、よく自分なら戦場ではどう振舞っただろうと考えるときがありました。一つのイメージはあるのですが、それはとくにここには書かないでおきます。ただ極限状態で内側から滲み出てくるものはおそらく本当の自分なのでしょう。
 戦場は大げさにしてもふだんの心構えとして、やたらと外の世界に翻弄されず、内側に持っているその人なりの財産を確認し改めて大切にするのは、大事なことだと思っています。
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2010.10.29 12:56

 山手線の五反田という駅はとくに何があるというわけでもないのですが、中学高校時代に親しかった友人が五反田に住んでいた関係で、非常に印象に残る街になりました。いまでも私はときどき五反田で下りてみることがあります。飲み屋さんなんかも多いのですが、自分が行く店は基本的には一軒だけです。以前はもう一軒馴染み(?)の店を持っていたのですが、働いている皆さんが高齢のため昨年閉店してしまいました。

 十代のときの感性というのは独特で、五反田を歩いていると当時のことがぱあーっと浮かんできます。好きだった女の子のこととか、よく聴いていた音楽とか、考えていたこととか。
 駅前だけをうろうろしていてもつまらないので、散歩する範囲はだんだん拡大していきます。あるとき、五反田からはかなり離れたーーむしろ目黒駅近くにーーいい雰囲気の場所を見つけました。

 それからは五反田から目黒まで歩く、あるいは目黒から五反田まで歩くということを繰り返しています。何度歩いても考えることがあるのですね。また何度も歩くので思い出すこともある。三十年以上歩いていますから、周囲の状況もずいぶん変わりました。
 五反田駅近くには24時間営業というすごい居酒屋があったのですが(需要があったのでしょう)今世紀に入ってすぐにつぶれてしまいました。

 リーマン・ショックの日も私は一人で五反田を歩いていました。電気屋さんの店先に並んだテレビがいっせいに特別番組を放映しているのが見えました。立ち止まっている人も大勢いました。夕刊紙の見出しがとてつもなく大きく、これは大変なことが起きたのだなということが私でさえわかりました。
 私はその日、駅近くの橋のうえからとんかつ屋さんの木造家屋が取り壊されるところを眺めていました。地元では有名な店で、それこそ私がはじめて五反田に行ったときから営業していたのではないかと思います。私も入ったことがありますが、二階建てのりっぱな木造家屋でした。

 このところ営業していないなとは思っていたのですが、とうとう取り壊されてしまいました。その様子をずっと見ていました。現在は、大きなビルが建っています。
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2010.10.28 14:29

 ざっと三十年まえはじめて大手の塾に勤めたわけですが、勤務先の教室が東京の野方というところにありました。実家からバス一本で行けるところだったので非常に便利でしたが、帰りはバスがなくなってしまい、電車と徒歩で帰ったりもしました。
 近隣の小学生、中学生が集まっていました。かなり優秀な生徒もいましたし、ちょっと苦しい成績の生徒もいました。彼らももう四十代になるわけで懐かしいですね。

 その塾にはそれほど長く勤務せずべつの塾に移ってしまったので、当時の同僚や生徒たちとは現在は交流がありません。塾はいまも教室数をしぼって営業しているようで、それだけ長く続いているということは評判がいいのだろうと思います。野方教室はいつのまにかなくなってしまいました。教室のあったビルごとなくなり、大きなマンションになっています。

 野方で先輩の先生たちとよく飲みました。現在はどうなっているのかわかりませんが、当時の野方はいわゆる「ディープ」な街で、こんな飲み屋さんがあるのかと感心してしまうような店がたくさんありました。職人さんが集まる酒場を私たちは面白がって何度も訪問したものです。自分たちと毛色の違う人たちがもの珍しかったのですね。ちょっと粗暴な感じの人もいましたが、それはそれで楽しい思い出です。みんなひたすら飲むだけで何かを食べている人は珍しい感じでした。先輩が「ここでものを食べるのは邪道なんだ」と呟いていたのを覚えています。

 その後、私は一人でときどきその店に行きました。あるとき、植木職人という人が新しい半纏(職人さん用の分厚いやつです)を作ったと自慢していました。よほどうれしかったのでしょう。私に「着てみないか」と勧めてきます。断ると気を悪くされそうなので、腕を通しました。ワイシャツにネクタイに植木職人の半纏ですからすごく変な格好です。「どうだ、いいだろう?」「はい」すると相手は「しばらく着てていいよ」と言いました。
 二十分ぐらいでしょうか、私はそのままの格好でいたのですが、お店に人が来るたびにじろじろ見られて恥ずかしかったですね。なかには私がふだんからそういうファッションで生活していると思った人もいたでしょう。
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2010.10.26 13:03

 日々生活していて自分の子どもから学ぶことがたくさんあるような気がします。変な思いこみだとか期待だとかが少ない方が素直に学べますね。こっちは大人なんだからこんな子どもから学ぶことなんかあるはずがない、子どもの方が一方的に大人から学ぶべきだという姿勢だと見逃してしまうことも多いのではないでしょうか。
 子どもを育てていて、人間は本当に傷つきやすい存在なのだということをつくづく実感しました。子どもは子どもなりに誇りを持って生活している。それを「そんな考え方は全然だめだ」と頭から否定してしまうと彼らはとても傷つきます。

 正しいことは正しいことで伝えなければなりませんから、そこは表現の仕方でしょう。譲りながら、まるで相談するように相手に考えさせる。相手が自分で答を見つけたような印象を与えてあげてください。距離をとって、質問するように語りかけてください。「毎日○時間勉強しなさい!」ではなく、「一日何時間ぐらいやるとあなたの志望校って合格できるものなの?」という感じで、気づかせるように気づかせるようにもっていってください。

 親子と言っても最低限の礼儀は必要です。以前も書きましたが、家庭内でもあいさつは大切ですよ。そうは言っても「これからあいさつをすることに決めた」などと宣言するのはちょっと変ですね。そんな堅苦しい決め方をすると「ほら、またあいさつを忘れて!」と叱責したりすることになり、何のためにあいさつをはじめたのかがわからなくなります。
 大人側からひたすら声をかけてください。相手が返してくるまで毎日毎日声をかける。たいしたことではありません。おはよう、行ってらっしゃい、お帰り、おやすみ、いただきます、あと何かあったときに「大丈夫か?」とか「ごめんな」とか「がんばれよ」とか・・・その程度のことですよ。

 最近、私は父にハーフコートをプレゼントしました。父は高齢者ですがおかげさまで何とか健康で、ときどき遠出をしています。そこでちょっとオシャレなやつをプレゼントしました。以前私はあまりそういうことをしなかったのですが、息子が私にとても優しいので、子どもから親切にされるのは大変いい気分だということを私は改めて発見しました。で、真似をしてみたわけです。わが子から学ぶことはまだまだ出てくると思いますが、何よりも学ぼうという姿勢が大切ですね。
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2010.10.24 11:15

 細かい事情は忘れてしまいましたが、私自身が算数や数学が嫌いになった直接の原因は当時教わっていた先生が嫌いだったからでした。
 こういう事件がありました。たとえば33×1+33×99という問題があったとします。当然33×(1+99)=33×100と計算すればいいのですが、私は気づかずに真面目に計算していました。それをみんなの前で笑った先生がいたのですね。いい材料だと思ったのでしょう。クラス全体に呼びかけて、こんな計算をしている人間を正直にバカをつけて「バカ正直」と呼ぶのだと言いました。クラス全体がわっと笑いました。

 なるほど33×100で答が出れば非常に便利だなと私は納得しましたが、その一方でそういうことであれば自分は絶対にこの男(先生のことです)のような要領のいい人生は歩むまいと決意しました。今後一切工夫はせず、真正面からただただ「バカ正直」に計算をし続けようと考え、その通りに実行してきました。ですから、時間ばかりかかってどんどんできなくなりましたが、これでいい、どこまでも信念を貫いてやると思ったものです。

 子どもは傷つきやすかったり変な思いこみを持ったりするものです。彼らが未熟なのは当然のことで、責めても仕方がないでしょう。むしろ責めてばかりいる大人は自身の未熟さに気づくべきだと私は自戒の意味をこめてよく考えます。導いている内容の正しさ以上にどのように導いているかという形の方が大切なのです。
 教科のことだけではありませんね。勉強した方がいいとか、テレビをずっと見ていてはいけないとか、夜更かしばかりしていては身体に毒だとか・・・すべて「正しい」から子どもは服従すべきだという「強権発動」だけでは、それこそ子ども時代の私のように「この男の言うことは正しいが、自分はあえて逆を行く」などということにもなりかねません。

 親でも先生でもそうですが、基本は尊敬されることです。尊敬されないのは相手が悪いのではなく、自分が悪いのだと私は常々考えています。もちろん生徒のタイプは千差万別ですが、そういうところを超えて「この人は自分とは全然違う人間だが、何かしら一つの方向性できちんと生きている」と彼らに実感させることが大切なのではないかと思うのです。子どもでもそういうことはちゃんとわかります。では、どうしたらそういう親、先生、大人になれるのか。それはこちら側の努力ですね。検定試験も何もありません。日々の生き方そのものが試されていると思っています。
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2010.10.23 09:57

 ご家庭の文化度を高めていくのが、勉強ができるお子さんを作る秘訣であるとあちらこちらで話しています。ご家庭全体の文化度が高まれば高まるほど、構成員(お子さんももちろん一員です)が文化的なことに関心を抱くようになるとでも言ったらよいのでしょうか。漫然とテレビをつけ放しにしておかれるご家庭より、皆さんが読書にいそしむご家庭の方がいい悪いはべつにして、お子さんが活字に親しむようになり沈黙に対する耐性がつくのは当然でしょう。

 ほかにどのようなことに注意すればいいのですか? とさらに質問されることがあります。私は自分の意見をほかの方に押しつけるのが苦痛なので、質問されたときにだけお話する事柄もあるのですが、日本語になっている英語を安易に使わない方がいいということはときどきお話することがあります。大人同士ならいいのですよ。ただお子さんには安易に使わない、使わせない方がいいでしょう。

 たとえば「ストック」という便利な言葉がありますね。この言葉を使うと「ぼくにはストックがある」ですんでしまいます。ただこのストックという言葉の概念を深く探っていくとどうなりますか。単に「貯まってしまった」なのか「備蓄している」なのか「秘蔵している」なのか、あるいは「苦労して蓄積してきた」なのか・・・どうしても日本語でということになれば、どれがいちばんふさわしいニュアンス(この言葉も日本語で表現した方がいいかも)なのだろうということをいやでも考えざるをえません。

 クレームがあってさ、などというのも同じですね。理不尽ないいがかりなのか激励の一種なのか軽い注意なのかありがたい叱責なのか、ぜんぶ「クレーム」ですんでしまう。「ドリーム」「ガッツ」「ハッピー」「トラブル」・・・すべて小さいときから使用できる英語ばかりですが、そこをもっと掘り下げさせ、表現の苦労を体験させてください。安易な表現でわかった風な顔をしない、理解してもらったような思いこみを持たないということが非常に大事なことです。

 言葉は文化の最たるものですね。その言葉を大切に使うというのが精神を鍛える第一歩ではないかと思います。

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2010.10.22 12:38

 だいぶ昔ですが、どんなに下手な人でも絵が上手に描けるようになる方法というのをテレビで紹介していました。たとえばにんじんをデッサンするとします。絵心のない人と描きなれている人とでは当然上手い下手の差が歴然と出てしまいます。ところがこの方法を使うとどんな下手な人でもそれなりに見られる絵が描けます。
 にんじんの下の方を5センチぐらいだけ出してあとはすべて布で隠してしまう。そしてその5センチだけはーーそれこそ命がけでーー丁寧に描写する。5センチ分進んだら、上の5センチをまた出して上下を布で覆う。そしてその新しい5センチを徹底的に描くのです。

 するとふだん絵なんかまったく描いたことがないという人でも相当いいものができあがります。あなたが絵が苦手で夏休みの宿題などに困っているのなら、この方法を使うことができますね。
 これはしかし、すべての勉強や趣味に応用できるアイデアです。たとえば長文読解が苦手だと言っても、段落一つだけなら丁寧に読むことができるでしょう。計算問題が不得手であってもたった一問であれば慎重にやることが可能でしょう。私の趣味の将棋でも「次の一手」などという問題集がありますが、本当に一手だけであれば名人竜王が指した手をあてることができたりします。

 5センチ、一段落、一問、一手であればできるということはーー潜在的な能力はあるということです。まず、そこに自信を持ってください。能力はある。ところが、それが拡大していくといい加減になってしまう。5センチ、一段落、一問、一手のときの丁寧さ、大切さを忘れてしまう。もう少し大げさに書くと、小さな部分には持てた愛情を対象に感じなくなってしまう。面倒くさいなあ、適当でいいや・・・と思ってしまう。
 ですから、そのあたりの気の入れ方に常に注意していくことです。この「気」というのは自分でコントロールしていくしかありません。自分自身をつねに見つめてください。5センチのときと同じ気持ちを持っているかどうか。すごくできる人と苦しんでいる人の違いは、じつはそんなところにあるのです。
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2010.10.20 16:58

 今日、まったく記事が書けなくて困りました。私は教室に十二時台に来ます。本当は一時ぎりぎりでもいいのですが、教室を開けるまえにブログを書き終えてしまいたいという気持ちがあり、いつも早めに出てきます。すらすら書けるときもありますし、一時をすぎてしまうこともありますが、だいたいは二時まえに終わります。
 書くことは来る途中で考えることが多いのですが、不思議なもので書く直前に気が変わることもあります。そういうときは予定を変えてでも書きたいことが出てきているわけなので、短時間で完成させることができます。

 現在、夕方になってしまいました。その間ほかの仕事もしてはいますが、しょっちゅうブログにもどってきています。ところがなかなか完成しません。公園で見た光景を書きかけ、ロック音楽のことを書きかけ、ラーメンの話を書きかけ、お子さんと食卓を囲むことの大切さを書きかけ、すべてご破算にして現在に至っています。
 さきほど気分転換に食事に出たのですが、帰ってくる道々、書けないという内情を書いたらどうだろうとふと考え、こういうタイトルにしました。

 書けないときは書かなくてもどなたにも文句は言われないのですが、私は生徒たちに毎日少しずつでもいいから必ず勉強しなさいと言っています。その生徒たちがたくさん読んでくださっている(らしい)ので、教室に来ているときは更新しますとかつて宣言してしまった以上、できるだけ約束は守りたいと思っています。また私みたいにだらしのない人間は逃げ道ができるとどこまでも逃げてしまうので、自分を戒める狙いもあります。自分で決めたルールには例外を作らないということですね。

 何かうまくいかないことが出てきたとき、自分を責めないということも非常に大切です。ブログが書けない、そのこと自体は問題だとしても「人間」を問題視しないとでも言ったらいいのでしょうか。テストの成績なんかも同じことですよ。点数が悪いこと自体は問題ですが、あなたという人間の価値そのものは点数がよくても悪くても同じです。点数がとれるようにあなたの生活や目的意識や勉強方法だけを変えていけばいいですね。仮に受験に落ちても責めない。自分に合った学校で新たに希望に沿う道を探せばいいだけの話です。
 16:58になってしまいました。自分を責めなかったおかげで今日も何とか完成したみたいです。
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2010.10.19 13:42

 つい最近、とても人気のある先生から聞いた話です。人気がありますから彼のところにはたくさんの生徒が質問に来ます。次から次へと来る。ぜんぶに答えられればいいのですが、時間的制約もあってそうもいきません。当然、重要度の高い方から答えていくことになります。
 この先生のところにある男子生徒が来ました。解き方がわからない問題があるので教えてほしいと言ってきました。「偉いじゃないか」と先生は喜んでプリントを見た。そして「?」となりました。

 その問題については、詳しい解説を一人一人に配ってあるのです。それを読めばだれでもわかるので、そんなものを質問に持ってくるのはおかしいわけです。先生は「あれ? これ、解説を配ったじゃないか」と言いました。「はあ」「読んだらわかるよ」「はあ」そこで「読んだ?」 と訊きました。相手は「読んでいません」と答えました。
 先生は紳士なのでその程度のことで怒ったりはしません。「そうやって楽ばかりしていたらだめだっていつも言っているだろう?」と注意しました。「自分できちんと解説を読んで復習して、さらにもう一度必ず同じ問題を解きなおして自分のものにしてしまう。その過程で疑問が出てきたらそのときはじめて質問に来るものだよ」
 生徒は「解説はなくなっちゃいました」と言いました。

 困りましたよと先生は苦笑されていました。もちろんもう一度解説は渡します。一度なくしたら二度と渡さないなどということはありません。たいしたことではないと考えるのでしょうか。相手は「どうも」と頭を下げて行ってしまいました。
 私が中学生のころは、なくしたプリントは二度と配らないという厳しい先生がいました。なくしたのなら誰かに借りて自分で書き写せと言われたものです。ものすごく手間がかかる作業なので、だれもがプリントを紛失しなくなりました。そういう習慣がついたということです。「どうも」で楽ができてしまう現在より幸せだったのかもしれません。

 最近はこんな話がとても多いですね。本人と直接話すと「やる気はあります。目標は最上位の○○高校です」と言う。ところが日常生活はゆるくゆるく流れていく。
 社会全体がサービス過剰になっている面は否めません。かよわいあなたはここに座って何もしなくてもわたしたちがすべて面倒を見てあげますというシステムになりつつある。ファースト・フード店なんかもみんなそうです。自分で計算しなくてもすむようにはじめから適当に値段が表示されたセットになっていて、食べるときに必要なものーースプーンだとか砂糖だとかお手ふきだとかーーはみんなつけてくれます。

 ぼーっとしていても食べられます。ところが勉強はそうではありません。知識や教養や思考というノミを使って自分自身を彫りこみ、本来の姿を発見・創造していくような厳しさが必要です。他者を安易に頼るまえに自分で考え、調べ、苦闘する覚悟を持たないといけませんね。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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