以前、セキセイインコを飼っているという話を書きました。そのセキセイインコが先週から具合が悪く、けさ見たところちょっと危ない感じがしました。生まれて三年目なので死んでしまう歳ではないのですが。
鳥専門の医者に診てもらったところ「夏風邪」と診断されたそうです。注射(?)をうってもらい薬をもらって帰ってきたのですが、異様に暑かったりうっかりクーラーの風にあたってしまったりで回復するどころか日に日に悪くなってきました。
止まり木に止まらなくなると危ないそうですね。けさは巣の床でふくれていました。のぞいているとこちらを見ています。私のことは見分けがつくので、ああ見られているなという気持ちはあるみたいですね。少しだけ首をひねったりします。
私は生き物の死にあまり感慨を覚えない方です。昔からそうでした。友人や身近の人間が亡くなったときも泣いたりはしません。
そういうのはいい悪いではないですね。私にとって死というものは感覚的に生のすぐ裏側にあるもので、生きていることとそんなに距離を感じないのです。まあ、自分もいずれは死んでしまうわけで、そういうことをしょっちゅう考えているせいかもしれません。十代のときは太宰治や芥川龍之介が好きなこともあって四六時中自殺の話題を出し、友人からは「どうしておまえはそう暗いんだ」と言われたものですが、死=暗いという感覚もじつはあまりありませんでした。
動物の闘病生活というのはとても静かですね。ひっそりと目をつぶって一切じたばたしません。そのままふっといなくなってしまいそうな、平和と言ったら変ですがひたすら静かな感じがします。
息子が悲しむのが可哀想だと思いますが、いい勉強になるでしょう。けさ家を出るまえに念のためもう一度顔を見てきました。水の容器に隠れるようにしていたのですが、私の視線に気づき斜めに顔を上げ、こちらを見ていました。不安そうなまなざしではなかったですよ。
私は楽しかったよ、ありがとうとだけ言いました。目をぱちぱちしていましたが、伝わったのでしょうね。
2010.09.25 10:50
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