2010.09.29 13:10

 あまりやる気のない生徒というのはどうしても出てきます。はじめからやる気がないわけではないのですよ。あるときふっとやる気を失ってしまう。勉強がどうのこうのというより、ほかに忙しいことや心配事があるのでしょう。勉強どころじゃないやという心境なのかもしれません。そういう生徒に対して一般的に先生という存在は、やる気があるのか! と一喝してしまったりする。やる気がないのなら教室から出ていけ! ぐらいに怒ってしまう。私も若いころはそうでした。

 やる気はないのですよ。それはこちらもわかっているわけで、叱っても逆効果です。そこでしばらく放っておく。本当に勉強がいやになってしまったのならそのまま塾をやめてしまう可能性もありますが、それはそれで仕方がありません。義務教育ではないのですから、本当にいやならやめてしまうでしょう。勉強ではないべつの世界で頑張れば、あるいはちょっと勉強の負担は軽くして人生のバランスを上手にとれば何も心配はいらないと思います。やめていった生徒を敗北者みたいに考えたことはありません。

 やる気はないけど何となく通い続けてくれている場合、本人もどこかできっかけをつかみたいと潜在意識的には考えています。いまはこうだけどいつかは違う自分になりたい。わかりますよ。きっかけがつかめるといいですね。そしてまたその種のきっかけはつかもうとしてつかめるものでもなかったりします。ふと訪れる。本当にふと訪れるのですよ。ですから、来てくれている生徒はどういう状況であれ温かく接しています。ご家庭でもそうあってほしいと思います。

 私はこうやって毎日文章を書いています。このブログだけではなくいろいろーー趣味も含めてーーけっこう書いています。ときどきよく毎日書けますねと訊かれることがあります。ですが、はじめから書けたわけではないのです。二十年ぐらいまえの初夏の早朝、中央線の御茶ノ水駅近くで土手が燃えている光景を偶然目撃しました。大騒ぎにはなっていなかったので管理された火だったのかもしれません。その日の午前中、自宅に帰ってラジオをつけたらロバート・パーマーという人の「mercy mercy me」という曲が流れてきました。その瞬間からですね。その瞬間からすらすら文章が書けるようになりました。

 この話はあまり公開したくなかったのですが、そういうこともあるということです。どこかでふときっかけが訪れる。それを楽しみに生きていくのがいいですね。人生はなかなか面白いものです。
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2010.09.28 13:30

 何かで職業を記入する欄があれば、私は会社員ですから会社員と記入します。ただ本質的には何をしていても自分のことは「詩人」だと定義しているので、あまり健康診断は好まないわけです。健康診断を受けている詩人なんてちょっとかっこわるいじゃないですか。
 ただ年に一度受診することが義務づけられていますので、昨日はお休みをいただいて健診センターに行ってきました。

 受付集合時間が午前7時30分~8時までの三十分間になっています。当然早く行けば早く終わり、ゆっくり行けば最後までかかるのですが、私はいつも8時ぎりぎりに行きます。遅れてもじつは大丈夫なことは経験からわかっているので、わざと5分ぐらい遅れて行った年もありました。昨日は8時45分に堂々と来たすごい人もいましたよ。
 そうやって遅れていって後方から全体を観察するのが好きなのです。中高年の男の人が全員同じ検査着に着替えて座っている様子を眺めている。

 不思議なもので、同じ服装ながら何となくどのような人かということがわかります。あとで全員私服になるので、ああやっぱりあの人はかなりの地位がある人だったかというようなことがわかる。面白いものです。みんなある程度の年齢ですから、髪型などはそんなに差がありません。そういうところで個性を強調している人はいない。それでも違いがわかります。個人個人の持っているオーラみたいなものですね。

 人間はだれでもそういうことを感じ取る能力を持っているのではないでしょうか。第一印象が大切とよく言いますが、その能力が全開するのがはじめて会った瞬間だからでしょう。逆に何回も会うとだんだんわからなくなってきたりする。
 人生うまくいっている人は検査着でもうまくいっている雰囲気が漂うというわけですね。そこでうまくいっている雰囲気をはじめに作ってしまうという考え方も出てきます。原因と結果を逆にしてしまう。

 これが不思議なのですが、長い年月そうしていると原因の方があとからやってきます。自分は異性にもてると確信していると本当にもてるようになる。優等生を演じていると本当に成績が伸びてくる・・・そのあたり、人生の秘密がありそうですね。

 
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2010.09.26 19:05

 タバコが値上がりするそうですね。私は喫煙しないのでどうということもないのですが、毎日吸っている方は大変だと思います。
 昔の大人はみんなタバコを吸ったものです。職員室でも先生方は堂々と吸っていました。生徒の質問に答えながら悠然と紫煙を吐き出しているシーンを何度も目撃しました。嫌煙という言葉さえ存在せず、映画やテレビドラマの主人公は頻繁にタバコを吸っていました。

 当時も現在と同じようにタバコは二十歳からと厳格に法律で決められていました。しかし私は十代のころ、ちょっと吸ってみたことがありました(真似はしないでください!)。喫煙している姿を女の子に見せたかったのですね。人一倍愚かな私は、国産タバコでは異性に十分もてないのではないかと変なことまで考え、わざわざ特別な店に出かけて行って外国産のタバコを買いました。ラークとかマルボロとかでは月並みなので、もっと珍しいものを探しました。ベンソン&ヘッジズという金箱のタバコを覚えています。あとイヴという細いのやら、黒い包装紙に包まれたものやらを次々と入手しました。

 あるとき、虚言癖のある知人から、アラン・ドロン(当時日本で女性にいちばん人気のあったフランスの映画俳優です)の吸っているタバコはクレオパトラという一級品だぜといい加減なことを教えられ、私はあちらこちら探し回って、ついにその変な名称の両切りタバコを手に入れました。
 試みに実家近くの鍋屋横丁を歩きながら吸ってみると味は濃いわタバコの葉は口に残るわで、初心者にはちょっとむりだなということになりました。そこで両親にわからないように引き出しの奥に隠しておきました。

 しばらくすると、引き出しのなかに細かいタバコの葉がちらばるようになりました。掃除しても掃除してもちらばるので変だなと思ってパッケージを開けてみると、タバコの葉に尺取虫みたいなやつがくっついているじゃないですか!
 私個人はヒステリックにタバコをいやがる風潮はあまり好きではありません。また同席している方が喫煙されてもほとんど気になりません。飲み屋さんなんかでタバコの煙が漂ってくるといい香りだなと感じることもあるぐらいです。
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2010.09.25 10:50

 以前、セキセイインコを飼っているという話を書きました。そのセキセイインコが先週から具合が悪く、けさ見たところちょっと危ない感じがしました。生まれて三年目なので死んでしまう歳ではないのですが。
 鳥専門の医者に診てもらったところ「夏風邪」と診断されたそうです。注射(?)をうってもらい薬をもらって帰ってきたのですが、異様に暑かったりうっかりクーラーの風にあたってしまったりで回復するどころか日に日に悪くなってきました。

 止まり木に止まらなくなると危ないそうですね。けさは巣の床でふくれていました。のぞいているとこちらを見ています。私のことは見分けがつくので、ああ見られているなという気持ちはあるみたいですね。少しだけ首をひねったりします。
 私は生き物の死にあまり感慨を覚えない方です。昔からそうでした。友人や身近の人間が亡くなったときも泣いたりはしません。

 そういうのはいい悪いではないですね。私にとって死というものは感覚的に生のすぐ裏側にあるもので、生きていることとそんなに距離を感じないのです。まあ、自分もいずれは死んでしまうわけで、そういうことをしょっちゅう考えているせいかもしれません。十代のときは太宰治や芥川龍之介が好きなこともあって四六時中自殺の話題を出し、友人からは「どうしておまえはそう暗いんだ」と言われたものですが、死=暗いという感覚もじつはあまりありませんでした。

 動物の闘病生活というのはとても静かですね。ひっそりと目をつぶって一切じたばたしません。そのままふっといなくなってしまいそうな、平和と言ったら変ですがひたすら静かな感じがします。
 息子が悲しむのが可哀想だと思いますが、いい勉強になるでしょう。けさ家を出るまえに念のためもう一度顔を見てきました。水の容器に隠れるようにしていたのですが、私の視線に気づき斜めに顔を上げ、こちらを見ていました。不安そうなまなざしではなかったですよ。

 私は楽しかったよ、ありがとうとだけ言いました。目をぱちぱちしていましたが、伝わったのでしょうね。
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2010.09.24 13:55

 私は午後の一時に教室に来ます。それからだいたい午後十時ぐらいまで勤務しています。食事時間というのが微妙に世間とズレてきまして、昼を食べるのが午後三時すぎになります。場合によっては夕方ですね。朝は何も食べないことが多いのでけっこうおなかがすいています。
 ところが午後三時ぐらいというのはだいたいのお店が休憩をとっています。ランチタイムのあとは夕方五時から営業・・・みたいなお店が多いですね。どうしても行くところは限られてきます。

 必ずしも気に入っている店だけではありませんが、出かけていくことがあります。先日、あるお店(チェーン展開している大衆的な定食屋さんです)でこういうことがありました。  
 私の存在をお運びの女の人が忘れてしまったのですね。次々と追い越され、同じメニューがあとから来たお客さんのところに運ばれていきます。その時点で、私は腹がたったのですが、こういうときただぷりぷりしていても意味がないので、自分はいまなぜ腹をたてているのかということを考えてみました。

 自分が黙殺されていることのとまどいと無力感、それを口に出して抗議できない自身のだらしなさ、さらにこんなことをうじうじ思い悩んでいる人間性に対する失望感がないまぜになって腹がたつらしいのですが、鮮明に感じられたのは女の人がどうのこうのではなく、じつは自分に対して怒っているのだなということでした。
 結局、だいぶ時間がたってから女の人は私のところに注文したものを運んできてくれました。色々気づいたのでしょうね。一瞬だけまずいなーという表情を見せました。

 ところがわざと気づかなかったようなふりをします。おとなしそうなお客(私のことですよ)なので、ここは変に謝罪しない方が上策だと考えたのでしょう。確かに詫びられたら私もひと言ぐらい言ったかもしれないので、彼女の判断は正しかったと思います。大慌てで厨房に引っ込んでしまいました。
 怒りのほとんどはほかの人間を対象にしているように見えて、じつは自身への腹立ちであるということを改めて考えました。自分があまりにも無力に感じられることへの抵抗として他者への怒りが噴出してくる。「私はここにいる!」という悲痛な叫びみたいなものですね。

 いい経験をしましたよ。他者の怒りに対してますます寛容でありたいと思います。
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2010.09.23 13:20

 これは比喩ですが、仮にとても美しい女性がバスに乗り遅れたとします。「本当はあのバスに乗りたかったのに」といらいらしながら次のバスを待つ。こういうときに「乗り遅れたことで私は何か気づくべきことがあるのではないか」と考えたらいいという話は以前どこかで書きました。実際、私はそうしています。
 さらに、こういうことが考えられます。乗り遅れた美女が待っているバス停に私がやってきたとします。私はその美しい女の人をながめて感動するでしょう。感動するのは私だけではないでしょうから、その女の人はバスに乗り遅れたことによって、その場にいた多くの人たちに美的なものに対する感動という形の利益をもたらしたことになります。

 ときどき私のブログの更新頻度ーー基本的に教室に来たときに書いていますーーをご覧になって、最近あまりお休みをとれていないのではないですか? と心配してくださる方がいらっしゃいます(私の周囲はやさしい方ばかりなのです)。なるほど、たしかに一時期に比べるとちょっと忙しくなってきているかもしれません。
 私は私が教室に来ることで、利益を得る人たちがいるということを強く信じたい気持ちがあります。とくに生徒ですね。私が遠くから見ているので、安心してーーというのも変ですがーー担当の先生に叱られている。彼らは私がどういう人間かということを熟知しているので、仮に担当の先生に叱られても冷静に対処することができるのです。

 行幸という美しい日本語がありますが、特別に位の高い方だけではなくどんな人でもその人なりの「行幸」を心がけるとよいのではないかと思います。
 何か思うようにいかないことがあるとき、その思うようにいかない部分がほかの人の大きな利益になっている可能性があることに気づくと人生はまた変わってくるでしょう。私も最近ではーーここからは比喩ではありませんーー乗ろうとしていたバスが行ってしまったときに、自分を見る必要のある人間が近くにいて私を見ているはずだと考え、わざと背筋を伸ばしてきちんとした姿勢で次のバスを待つことがあります。
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2010.09.21 12:55

 現在、私には悩みはありません。昔はけっこうあれこれ思い悩むタイプだったのですが、もう数年間悩んだことはないです。困ることとか迷うことというのはありますよ。今月はちょっと出費が多くて困ったなとか、昼のご飯は神○のラーメンにしようかC&○のカレーにしようかう○だの洋食弁当にしようかとか。しかし、生きるべきか死ぬべきかみたいなおおげさな悩みはありません。これからもたぶんないだろうと思います。

 強さ弱さとはべつの次元の話です。私は根本的にどう生きるかという自分の色を決めています。その色は人によってはいやな色でしょうし、人気投票でもすれば上位は期待できそうもない色なのかもしれません。しかし、私自身はその色が自分の世界にぴったりくるということを知っています。そしてまた他人の色をうらやましがったりしなくてすむ年齢になりました。
 あとは自分の色の範囲内で微調整をかけていけばいいだけです。微調整は頻繁にかけないといけないでしょうが、根本的な苦悩はありません。

 こういうことは年齢に関係ないことだと思っていますが、やはり歳をとった方がいろいろ見えてきます。早い話が「己を知る」ということです。自分はこういう人間なのだ、その大前提のもとで何もかも進めていくしかないのだという覚悟を決める。
 そのとき、他者と自分を比較して右往左往するのはよくありません。みんなすごく楽しそうに見える、こんな生活を送っているのは自分だけだ、何とかみんなと同じように過ごせないものだろうか・・・そして、みんなと同じようなことをしようと努力する。

 しかし、みんなと同じことを形だけしてみても、よけい疎外感を味わうだけです。みんなが楽しそうななかで自分だけなぜこんなに覚めているのだろうとつらくなるばかりです。
 迷わずに本質を貫いて生きてほしいと思います。そこに何か問題が出てきたら本質的な部分は変えずに微調整をかければいい。真実の自己から逃げないということがいちばん大切ではないでしょうか。わざわざどこかに出かけて行って何かをしないと価値が生まれないなどとは考えないことです。この場所で、ご自身になりきることで、自分流の輝く人生を送ると決めてしまうといいですよ。
 
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2010.09.20 12:10

 昨日は一度20日づけで記事を送信してしまいました。日づけを一日間違えてしまったのですね。途中で気づいて訂正したのですが、もしかすると変だなと感じられた方がいらっしゃったかもしれません。ごめんなさい。今日が20日です。

 私の担当している授業はすべて週に一度だけ通う生徒のクラスです。コースはいろいろあるのですが、今年はそうなっています。週に一度ということは、先週やったことをひょっとすると忘れている可能性があります。自宅で復習しておく癖のあるAくんやBさんは忘れていないかもしれませんが、部活が忙しいCくんやDさんは国語の復習どころではなかったかもしれません。
 また、Eくんはこの部分を振替え(というシステムもあります)でほかの曜日にほかの先生に習っていました。Fさんは風邪でお休みしていました。・・・というわけで、とくに大切なところは教室内でも復習することがあります。

 すると生徒の反応に大きな差が出てきます。「先週もやったじゃないか」と黒板を写そうとしない人がいる。私はあまり強制したくないので、危ないなと思ったらもう一度書いておきなさいぐらいしか言いません。同じことであっても二回書けば一回目に書いたときより覚えられるものです。あたりまえですね。
 まえのページに書いてあることを次のページにも書くのは時間と労力のむだではないかという考え方ももちろんあっていいとは思いますが、大切なことというのは完全に覚えてしまわなければならないわけで、せっかくチャンスを与えられたのに何となく見ているだけではもったいないと思いませんか。

 おそらくどの教科の先生も同じように大切なところは「復習」という形で教室内で授業されているのではないかと考えるわけです。そのすべての時間を傍観者みたいな態度で接しているとしたら、やっぱり心配ですよ。学校の授業ももちろん同じ。一度やったことだとただ腕組みして見ていたりせずに、積極的にノートに写してください。わかっているという事実を確認することも復習の大切な要素です。
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2010.09.19 11:30

 お子さんが小さいときに小動物を飼うのは非常にいいことだと思います。べつに「小」と限定する必要はないのですが、都会のマンションなんかでは土佐犬だの馬だのは飼えませんから、必然的に小動物ということになりますね。
 小さな動物を飼うことによって弱いものに対する愛情を学ぶことができます。守られてばかりではなく自分から守らなければならないものがあるということに気づくのは非常に勉強になるはずです。

 また、対象の痛みがわかるというのも勉強になると思います。乱暴に扱ってはいけないとか放っておくと元気がなくなるとかかまってやらないといじけてしまうとか、人間に通じるものがありますからそういうことを早いうちから見ておくのはとてもいいことだと思います。
 私の家でも金魚→ハムスター→カメ→セキセイインコとつねに何かを飼ってきました。はじめに金魚が死んだときにまだ幼かった息子が涙を流しながら家内にくっついているのを見て、こういう感情は大切だなと思ったものです。

 子どもは約束をしてもあまり世話をしません。かわいがるだけかわいがってエサとか水とかは親任せにしてしまう。飼うまえは絶対に自分で世話をするから・・・などと言いますが、すぐに忘れてしまいます。私はそれでいいと思っています。親が代わりに世話をすることになりますが、子どもの勉強になるのであればいいプレゼントだと考えています。
 カメのときなんかずーっと私が世話をしていました。毎日毎日容器を洗ったり水道水を日光にあてたりエサを何種類か用意したりしているのを見て、息子は「お父さんはカメが好きだなあ」と感心したように呟いていました。

 お子さんが小さいときにはあまり害虫(害獣)だから・・・というようなことをお話にならない方がいいとも思います。私はそういう家庭に育ったので、アリなんかはぜんぶ殺さないといけないと思っていました。幼稚園で手当たり次第に踏みつぶしているときに担任の女の先生から「アリでも命があるのだからかわいそうだと思わない?」と言われ、大変な衝撃を受けたことをいまでも覚えています。生命の尊さについて意識させるためには、あまり積極的に害虫(害獣)駆除みたいな姿勢はお見せにならない方がいいかもしれないですね。
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2010.09.18 13:04

 このブログ、私は記事を書くことに専念させていただいていまして、全体の管理は会社の方にお任せしています。きのうから背景が変わったのでちょっとびっくりしました。秋らしくなりましたね。こういうのもすべてほかの方に選んでいただいています。私自身の好みが入っていない方がいいような気がするのです。
 バランスというのは大切なものでーー私は客観的に見て少し偏った人間なのでーー何もかも自分の色がつくのはよくないと思っています。

 ブログのランキングというやつはどういう仕組みになっているのか私はよくわかっていません。ブログ村と人気ブログランキングと調子がいいときはベスト10内に入っていますが、気にし出すときりがありませんし、順位を上げようと考えはじめると自由に書けなくなってしまうような気もするので、参考にちらちら見るぐらいです。ついでにほかの方のブログを拝見することもありますが、皆さんそれぞれ工夫されていて面白いことを書いていらっしゃいますね。

 私は人間というものは適材適所という形に自然になっていくのではないかと考えるときがあります。そういう意味でこうやっていろいろなことを書いているのはいいことなのでしょう。どなたでもそうでしょうが、私の生活にも思い通りにいかないことはいろいろあります。以前はこの形になっているからこそじつは救われているのではないかとむりに考え、自分を慰めていた時期もありました。
 しかし最近は、もう少し積極的に、この形になっているからこそ自分は他者に貢献できているのではないかとも考えるようになりました。

 実際はどうだかわかりませんが、生きていくうえで世の中の役にたちたいと考えることは重要なことだと思います。と同時に、自分が恵まれているからこそそんな余裕も生まれてくるのでしょうから、そういった意味で私は運命に(?)感謝しています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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