2010.08.30 13:15

 昨日、私の妹が「きれいな50代」という類の女性誌の特集(最近、多いですね)で、ある雑誌に掲載されていることを知りました。妹は昔からいわゆる「器量よし」で、注目される機会がよくありました。私は彼女が自分自身についてどうあるべきかとつねに考え努力している人間だということをよく知っているので、その種の機会がたびたび訪れるのは当然だと思っていました。つまり、自分は自分が考える通りの人間になるということです。美しくありたいと意図する人間はそれなりにいつまでも美しくあるものです。

 人間、中身が大切と言います。私もその通りだと思いますが、中身というのは必ず外側に出てきます。少し人生経験を積んだ人なら外側を見れば相手の内面までわかってしまうわけで、そのあたりは本当に油断できません。面接試験などというのもそういうもので、いくら猫をかぶって見せたところでわかる人にはわかってしまいます。
 私自身、「美容」という観点から自分を考えたことはありませんが、身なりはーーものを教えたり相談を受けたりする立場なのでーーきちんとしていたいという気持ちを強く持っています。

 365日体重などは必ずチェックしていますが、そういうのは漫然と太ったり痩せたりするのを防ぐためで、健康がどうこうというより見た目のことを考えています。人まえに出ていく仕事なのですから当然でしょう。
 また休みの日もきちんと髭を剃りますが、どこかでばったり知っている人に会ったときに、オシャレならともかく無精髭が伸びていたなどというのではだらしがない印象を与えてしまうだろうと考えるからです。

 保護者の方とお話する機会も多いのですが、伝わるのは言葉だけではありません。身振り手振り、口調、声の抑揚、視線の動かし方などの表情ーーすべてが相手に伝わります。もちろん全員の方に好かれるのは不可能ですしそんな大それたことを考えているわけではありませんが、少なくとも不安な要素はできるだけ与えないようにしたいと思っています。そういう「外見」というものがあるのですよ。相手が安心できる「見た目」というものが。
 たまに私は保護者の方から「話していてちょっと緊張します」と言われるときがあります。課題はそのあたりでしょうか。人はその人が考えた通りの人間になるものです。
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2010.08.29 13:00

 勉強でも何でもそうだと思いますが、何か気になることがあると集中できないものです。今日は夏期講習の講習生対象の授業報告会が各学年計三回あり(本科生のためには年に何度か保護者会があります)、なかなか落ち着いて文章を書くことができません。さっきから書いては消し書いては消し、テーマも次々と変えています。

 はじめは他者と自分を比較することの無意味さについて書いていたのですが、こりゃ忙しい日には重すぎるテーマだなと思い、崎陽軒のシウマイ弁当の話にしようと思いました。しかし、それもまたずいぶん軽い話なのでこんな忙しいときにわざわざ書く必要もないじゃないかと気が変わり、現在に至っています。
 勉強がうまくはかどらない生徒のほとんどが、じつはこういう状態なのではないかと思います。ほかに気になることがある。部活、学校行事、交友関係、恋愛問題、大人とのトラブル、趣味、健康・・・それ以外にもいろいろあるでしょう。

 一つ一つ整理してから次に臨むのがいちばんではありますが、そうもいかないケースが多いと思います。やみくもにいらいらせずに、これも大人になる準備なのだと大きく構えてください。大人になると仕事、自分のこと、家族関係(それも実の親と子どものことを同時に考えなければならなかったりします)、趣味や遊び、経済の心配、社会への責任・・・いろいろなことを同時に何とかやっていかないといけません。集中できないから今日は仕事がめちゃくちゃでいいやというわけにはいきません。

 一つ大切なのは、こういう状態にあるときに自分を責めてはいけないということです。集中できない自分、多くの問題を同時進行させていくことがなかなかできない自分、そうした自分に腹をたてたり罪悪感を抱いたりしてはいけません。まあいいじゃないかという余裕を持つことで、はじめて落ち着いてくることが多いものです。
 いよいよ二学期ですね。忙しいことと思いますが、日々を有意義に過ごしてください。
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2010.08.28 11:59

 ときどき「このままではいけない」と感じるときがあります。いつも書いているように基本的に私は人生すべてこれでよしと考えるのですが、年に一度ぐらい、こうしてはいられないという感情に取りつかれることがあります。
 こうやって生きてきて、何も間違いはなかったしタイミングもすべて完璧でした。ただそれはここまでのことであって先のことは現在の自分が決めていかなければなりません。そのためにあと少しだけ覚醒している必要があるのではないか?

 昨日は若干体調も悪く夕方近所の商店街をふらふら歩いていたのですが、ふとこのあたりでもう一度人生をリセットしたいという気持ちになりました。大げさなことではないのです。きちんと生きるために無意識に何かをする瞬間をできるだけ少なくしたいという程度です。無意識というのは「世間と同じにしていれば安心だ」という考え方のことです。
 一般的に私ぐらいの歳の男性が何を考えているのか、じつは私にはーー深いつきあいがないのでーーよくわからない面があります。それでも自分は平均値とか標準値とかに何となく近づいて生きようとしてはいないだろうか?

 いろいろな出合いの集積があります。人、仕事、趣味、あるいは人生観ですね。そうしたものを拾いあげていくと私のように消極的な人間でも相当な量になります。
 たとえばサプリメント一つとってもこのままでいいのかというようなことを考えます。相性を考えずに評判のいいものを漫然と飲んでいるだけではないのか? 音楽は? 漫然と聴いているだけではないか? テーマを持って生きているのか? 本当に好きなことをしているのか? もう一度確認した方がよさそうです。
 
 今朝は7時ぐらいにyoutubeでSLY&THE FAMILY STONEの「I WANT TO TAKE YOU HIGHER」(1969年WOODSTOCKのライブ映像)を見てから教室に来ました。無限にある楽曲のなかで、この瞬間に何を聴くべきかみたいなことも偶然ではいけないと思います。ある文豪が文章というのは絶対的な、どこも他の言葉と置きかえることができないものであるべきだと書いていましたが、人生もそうありたいと思います。
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2010.08.26 11:30

 真夜中じっと起きていることがあります。とくにアルコール類をとらなかった日ですね。インターネットで将棋を指しています。この話は何度か書きました。現在は夜中に特別の思い入れがあるわけではないのですが、中学高校生のころは夜中がいちばん好きでした。ちょうどラジオの深夜放送の全盛期でよく聞いたものです。月曜日はどの放送局、火曜日はどの放送局と話している人によって局をかえていました。

 学校では当然眠いのでよくうとうとしていました。勉強に対する熱意も乏しかったのですね。私はいわゆる「芸術家」になるつもりでいたので、進学なんかはまあ適当でいいやと考えていました。はっきり周囲に表明していたわけではないのですが、両親や担任の先生からは「どうして真面目に勉強をしないのだ」とよく叱られました。叱られてもその場しのぎみたいな応対をするだけで本音はぜんぜん別のところにありますから、そもそもコミュニケーションが成立していません。

 芸術家になるつもりではいましたが、深夜放送を聞いているうちにこういうDJというかーー当時はパーソナリティーなどという呼称がありましたーー深夜に喋る職種も悪くないなと思いはじめました。週に一度だけではなく自分なら毎晩でもいいぐらいです。中学二年生のときに父親にどうしたらああいう職業につけるの? と質問してみたことがあります。
 父親の答は「勉強していい大学に入れ」でした。私は絶望して親戚の他の大人にも同じ質問を投げかけてみました。するとその人は「一流大学出ても放送局は難しいんじゃない?」と答えました。

 子どもの夢を支える力というのは淡々とした理屈の説明ではなかなか湧いて来ないものです。結局はひたすら勉強して高い学歴を持つ以外にないケースであっても、現在のエネルギーを高める方向に引っぱってやらないと逆効果にもなりかねず、そのあたりの表現技術は工夫の余地がありそうです。
 現在の私があのときの私に質問されたら、たぶん「そんなに好きなら死ぬ気で深夜放送をがんがん聞け。そのうち喋っている人間の教養の高さがわかってくるだろうから、その人と同等になるぐらいまで自分を高めていけ」・・・ぐらいに答えるのではないでしょうか。
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2010.08.25 13:35

 講習の終わりに(それ以外のときもありますが)、受講生にアンケートをとります。英語はどうでしたか? 数学は? 国語は? ・・・という感じなのですが、この結果が面白い。
 Z会進学教室では本科生にも講習生にも講習の直前にテストを受けてもらって実力によっていくつかのクラスに分けます。いちばん上のクラスではどの教科もほとんど満足という欄に印がついてきます。本科生にしてみればふだんの先生と違うこともあるのでやりにくかったりするはずなのですが、ほぼ全員満足。感想欄にも「とても勉強になった」というようなことが書かれています。

 ところが同じ先生が担当したまだ実力が十分でないクラスでは、不満に印がついているケースもあります。少なくとも上位クラスほど評価が高くない。ただ感想欄を見ていると「宿題が多すぎる」「厳しすぎる」「黒板にもっとゆっくり書いてほしい」など、考えようによっては自分の技術を高めていかなければいけないところを不満の原因にしてしまっているようなものも見受けられました。
 たとえば私の国語の授業。解説のときに記述問題の解答をぜんぶ板書したりはしません。時間がかかりますしひたすら写すだけになってしまいますから。

 大切な要素を三つぐらい挙げます。そしてその三つのポイントだけを板書して、これを一つの文章にまとめておきなさいと言います。ここまで教わったらあとは自分で文章化できないようではだめだよと各自の責任にするぐらいです。するとやはり「解答をぜんぶきちんと書いてほしい」という感想が出てきます。
 突き放せずにとことん親切にやってしまうからなかなか力がつかないという要素もあるのです。宿題が多いから不満と書かれてしまった先生も意地悪でそうしているわけではなく、たった十日間で飛躍的に力をつけさせたいと考えているからこそそうなってしまうのです。ですから、そこは頑張ってくれないと。

 このあたりはとても難しい問題ですが、先日書いた将棋の大名人の「好き嫌いを言っているようではホンモノになれない」という話と共通する要素もあるような気がします。できるようになりたいということであれば、自分の中の何かを変えないといけません。変えなさいと指摘されたところすべてについて「不満」というのであれば永遠に変われません。そのあたりは少しだけやわらかく考えてくださると助かります。
 
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2010.08.24 11:50

 Z会進学教室の夏期講習は間もなく終了です。八月中に新学期がはじまる中学校もありますからね。塾によっては九月に入るぎりぎりまで授業を実施しているところもあると思いますが、いずれにせよせっかく講習で頑張ったわけなので、このあとが大切です。
 講習ではいろいろな分野をいっぺんに勉強しました。人によって理解があやふやな部分がどうしても出てきます。どこがあやふやかは、じつはけっこう自分でわかっているものです。好き嫌いを言わずにその「あやふやな」ところを「すぐに」復習してください。

 講習で使用したテキストをもう一度やってみましょう。やってみるというのは実際に解くということです。講習で扱わなかった問題もあるでしょうが、手を出す必要はありません。一度やったけれども心配だというところを見てください。解けない問題がけっこうあるはずです。ノートや解答解説を見て理解を深めておきましょう。ノートや解答解説を見てもよくわからないものもあるかもしれません。心配いりません。だれでもそういうものです。
 ちょっとどこかに書き出しておくといいですね。そして、なるべく早いうちに先生に質問しましょう。ふだんは塾に通っていなくても講習生の質問なら、塾は九月以降も受けつけてくださるはずです。Z会進学教室でもときどきそういうご質問を受けることがありますが、もちろんていねいにお答えしています。

 ぜんぶを復習しようと考えるとやることが多すぎて挫折してしまいます。あくまでも「気になっているところ」だけでいいですよ。それとせっかく一度覚えたものはそのまま持続して覚えていられるように再度確認してみてください。漢字なんかずいぶん新しいものを覚えたはずです。もう一度テキストを見て、九月以降も書けるようにしておきましょう。講習中の小テストのためだけの勉強ではいけません。
 毎日塾に通っていたので「勉強する」というリズムというか波長というかオーラというか、確実に身についています。その残り香(わかりますか?)みたいなものを大切にしましょう。もう夏まえの自分とは違うのだということですね。
 
 高校時代、ある参考書に西洋では夏の終わりのことをDYING SUMMERと呼ぶと書いてありました。ちょっと寂しい季節ですね。
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2010.08.23 10:55

 今朝、十四万人目の方が入ってくださいました。いつもありがとうございます。
 私はーー最近ますます感じるのですがーーつねに隠れていたいタイプの人間で、自分を表に出すのが得意ではありません。ところが、そういう人間には微妙に目立ちたい気持ちもなくはないのです。ありのままだとあまりにも地味で、生きている実感が伴わないからなのでしょう。そこでたとえばバンド活動をやってみたり、詩や小説を書いてみたりする。自分をまるごと出すのが恥ずかしいので、創作の形をとるのですね。

 ところが、このブログは会社からやってみませんかと言われたもので、私という人間を隠すことができません。はじめにお話をいただいたとき、ブログのタイトルも考えてと言われたので二つ考えました。「愛の夢」と「夕べの恋」というタイトルです。ところが、これではちょっと困りますよと言われてしまいました。
 この二つはじつはペリー・コモのヒット曲の邦題からとったものです。ペリー・コモは1950年代から60年代にかけて大ヒットをいくつもとばした、フランク・シナトラとも並ぶ大物シンガーです。その後しばらく低迷していたのですが、70年代に入り六十歳ぐらいになって突然この二つの大ヒット曲でカムバックしました。

 とくに「愛の夢」はその後いろいろな人がカバーしています。youtubeで「It’s Impossible」と入れてみてください。名曲です。
 昨年、私はどこかでマンガに出てくる半裸の聖者みたいな人と話をする夢(私の夢はだいたいこんなのばかりです)を見たときがありました。聖者は歌を歌いなさい、何を歌いますか? と私に質問してきたので、実際に歌うところまで夢は続かなかったのですが、私は「愛の夢」を歌いますと返事をしました。

 もう一つの「夕べの恋」という曲にもほろ苦い思い出があります。二十代のころ、実家の自分の部屋でこの曲を「LPレコードで」聴いていて、すごく憧れていた片思いの女の子に突然電話をかけてしまったことがありました。ほとんど話したこともない相手だったので、向こうは驚いていました。かけた私も何が何だかよくわかりません。音楽にはそういう力がありますね。
 妙な話題になってしまいましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
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2010.08.22 12:40

 いまは夏期講習期間中なので私はいつもより少しだけ早くーー夜の十時まえにーー自宅に帰り着くことができる日があります。この時間帯は息子も塾の夏期講習に行っていて、西荻窪から自宅に向かって歩いていると途中どこかで自転車で私を追い越していきます。
 私は息子に昔からあまり勉強をさせたいという気持ちを持っていないので、塾も地元の小さなところに通わせました。高校に合格したらもういいだろうと思っていたのですが、その後も通いたいと言うので好きにさせています。

 本来は小中学生中心の塾ですからどれだけ実力がつくのかはよくわからないのですが、まあこういうのはお稽古ごとみたいなものだと思っています。他に何かを習っているわけでもないので、やりたいようにやらせてやるのがいいのかなと。
 はじめて私を追い越していったころは彼もまだ中学一年生で、友だち数人と一緒でした。私のことなんか当然無視ですよ。暗く人通りのあまりない一本道を赤信号も無視して(コラッ!)、さーっと行ってしまいました。

 そのうち彼は友だちとは別々に一人で帰るようになりました。どういう事情があったのかわかりませんが、自分に似てきたなと思いました。毎年講習期間中、一度か二度は追い越していきます。気がつくと軽く声をかけます。
 不思議なもので、私は彼に会いたいという気持ちがあり、会えそうなときは微妙に時間を調整するようになりました。自宅に帰ればいくらでも会えるのですが「偶然」会うのが面白いのですね。昨晩もなかなか来ないので一度道を戻ったりしていると、あちらからやってきて私の横を勢いよく走っていきました。「気をつけろよ」「ああ」ぐらいの会話は交わしました。

 ときどき自分が死んで彼自身が親になったころ、こういうことを思い出すかもしれないと感じます。子どものとき塾からの帰り道に父親が「偶然」いたが、あれはわざとだったのだな・・・と、懐かしく思ってくれたらいいなと考えることがあります。
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2010.08.21 08:41

 私はふだん中央線の先頭車輌に乗ります。先日、面白い光景を目撃しました。小さい男の子を連れたお母さんが運転席側の窓とドアの隙間に背中をもたれかからせるようにして文庫本を読んでいました。男の子は窓からの景色をうろうろしながら眺めています。
 そこにかなりよろよろした感じの帽子のじいさんが登場しました。途中駅から乗ってきたのですね。じいさんは進行方向の景色を見たがるわけです。しかも、お母さんのいる三角コーナーみたいなところから見たいのでしょう。どんどんお母さんに寄っていきます。

 じいさんにはまったく悪気はないように見えました。とにかく安定した(?)状態で外を見たい。真ん中だと足元がふらつくので、よりかかりたいのですね。お母さんは突然現れたじいさんにあきらかに怒っていました。この人、どんどん近づいてきて・・・という感じでした。しかし、じいさんは構わず端へ端へと寄っていきます。
 何度も何度もお母さんはじいさんの顔を見ました。じいさんは気づいているのだかいないのだか、汗をふきふき外をじーっと見ています。で、ときどき大きくよろける。

 とうとうお母さんは場所を譲りました。ものすごく怖い顔をしていましたよ。男の子の方は何も気づいていなかったみたいでしたが、お母さんは怒っていました。じいさんは涼しい顔で、念願の三角コーナーから外を見ています。
 じいさんもお母さんも(もちろん男の子も)みんな善人なのだと思います。ところが、こういう摩擦が起こります。私なんかもたとえばスーパーのレジでまえのおばあさんがあまりにももたもたしていると腹がたつことがあります。さんざん小銭を探し続けて結局「ごめんなさいねー、細かいのぜんぜんないわー」などと言って壱万円札を出したりすると、くっそー、おれの時間を返せ! という気持ちになることがあります。

 不思議なもので、仮にはじめから「もたもたしてもいいですか?」と訊かれていたら、私は「どうぞどうぞ、いくらもたもたされても私はそんなことでは腹をたてませんよ」と自分の見せかけの愛情の深さに自己満足したのではないかと思います。ところが、こういう意外な形になるといらいらする。こういうところが自分の至らない未熟なところですね。ですから、最近ではそういう「いらいら」すべてを修行だと考えるようにしています。お前はできていない人間なのだということを見せつけられる瞬間を大切にしたいということです。
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2010.08.20 12:45

 いわゆる「お笑い」という世界があります。私はそれほど興味がないのですが、否定的な感情を持っているわけではありません。わざわざ「お笑い」を探求しなくてもおかしなことはたくさんあるといった感じでしょうか。
 その程度の関心なのですが、それでもときどきこれはすごいと感じる芸人さんがいます。最近はyoutubeでキングオブコメディのコントばかり見ています。

 この人たちはしばらく活動休止していたのですが、それ以前から非常におもしろいと思っていました。母と子のコントがあります。心のなかを上手に表現できない子どもがお母さんにあれこれ呼びかけられているうちに突然目ざめるという内容で、ちょっとここまでやってしまっても大丈夫なのかなと心配になるのですが、じつにじつにおかしい。ふざけているだけの人には絶対に思い浮かばないような内容なので、やはりお笑い芸人さんにも教養が必要だなと感じました。

 こういう天才的な芸人さんは気分のムラがあるみたいで、ものすごく面白いコントがあるかと思えばそうでもないものもあります。もちろん一般的な水準は簡単に超えているのですが、この人たちだったらもっともっとおかしくできただろうにという感想を持ってしまったりします。ミュージシャンにもよくありますね。今回のアルバムももちろんいいのだが、歴史的名盤と言われた○○ほどではないというような評論がよく音楽雑誌に載ったりします。歴史的名盤というものを作ってしまったためにかえって苦労するわけです。

 母と子のコントとタレントオーディションのコント、その二つは「お気に入り」に入れて(会社のパソコンではないですよ。会社ではyoutubeなどは見られなくなっています。私のような人間がいるからでしょう)しょっちゅう見ています。
 昔、「フォークソングで鳴子坂」というものすごくおかしいコントの人たちがいました。ところがあまりにも突出したお笑いだったので途中から高度な不条理劇みたいになってしまい、それを理解されないことにも嫌気を感じたらしく、何となく失速してしまいました。天才にはもろいところがあるものですが、キングオブコメディにはいつまでも頑張ってもらいたいと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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