2010.07.21 13:10

 私は元来非常に気難しい人間だと思うのですが、教室において少なくとも生徒にはできるだけそうしたことを感じさせないように努力しています。いつも同じ感じで彼らと接するように心がけていますから、授業中私の機嫌が悪くて困ってしまうなどということは絶対にないはずです。義務だとか責任だとかというのではなく、そういうことは最低限の礼儀だと考えています。

 昔、自分が彼らの立場であったころ、評判のいい先生は気難しい方が多かったような気がします。ある日はすごく面白いのですが、べつの日はやたらと癇癪を起こしたりする。そのリズムは生徒側の努力ではどうしようもない要素もありました。それが当然という風潮があり、彼らの一貫性のなさ(?)は誰からもとがめられることはありませんでした。
 私も気まぐれな先生を嫌いではなかったのですが、やはりやりにくいこともありました。

 勉強をあまりしない生徒というのは私の担当するクラスにもいます。私は勉強をあまりしない生徒と勉強をよくする生徒とのあいだにまったく差をつけずに接しているという強い自信があります。もちろんやってきなさいということは言いますが、それ以外の挨拶とか何かを手渡すとか声をかけるとか、自分は勉強していないからあの先生は何となく冷たいんだ・・・という感想は彼らは抱いていないはずです。教室で何をしてもーー他者の迷惑になることは禁止するしかありませんがーー私に嫌われるということはありえません。

 人間は働かないで生きる自由を持つように勉強しないで生きる自由も持っています。それでも個人としては少しでも勉強してほしいので、そちらの方向にみんなを引っぱっていく方法はつねに考えます。最近は勉強に対する暗示のようなものを与えていくことこそがじつは大切なのではないかと強く感じます。
 考えてみれば、昔の日本の「お父さん」というのも気難しい存在でした。それが一種の「威厳」だという考え方がありました。私の父もそういう人間で、彼が食器を洗ったり洗濯をしたりというところを私は見たことがありません。

 人それぞれですね。ただこういうことを日ごろから考えているのは悪いことではないと思っています。
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幼児・小学生
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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