2010.06.06 14:45

 ブログをスタートさせてからあと少しで一年になります。昨日、十一万人目の方が入ってくださいました。どうもありがとうございます。
 十一万人というのはすごい数字ですが、なかには私を励まそうと考えてお一人で一万回ぐらい入ってくださった方がいらっしゃるのではないかと心配になります。お暇なとき気楽にご覧いただければと思います。

 昔の生徒からもずいぶん連絡をいただきました。「長野正毅」で検索されたのでしょうか。なかには小学生のときに教えていてそれから二十年ぐらい経っている方ーー現在は海外に在住ーーまでいらっしゃってびっくりしましたよ。考えてみれば不思議な世の中になりましたね。便利と言えば便利ですが、ちょっとこわい感じもします。
 私個人は非常に引っ込み思案なので、こういうのをやってみたらどうですか? と提案されなければ決してこの形で表には出てこなかったでしょう。自分のことを深海魚みたいだと感じることがあります。

 ただこういうことは考えるようになりました。いま世の中はけっこうひどい状況です。少なくとも混乱していますね。ひどい世の中だからこそ、何か少しでも自分の位置で役にたてそうなことはしていこうという覚悟は決まってきています。途方もないスケールで物事を変えようとするのではなく、自分の位置とか立場とかを大切にしてそこからスタートしようという気持ちですね。
 現場にいるというのはすごく意味のあることで、私は現在では年間に三桁の保護者の方や中学生とお話します。当然ここは気をつけないとまずいかなということがたくさん出てきます。勉強以外の要素が圧倒的に多いですね。

 そうしたことはやはりお伝えしておいた方がいいのもしれない。講演会などもそう考えて話すようにしています。ですから力みはありません。落ちている洗濯物があれば汚れないように拾ってどこかにかけておいた方が良心的であるのと同じような感じで、自分のできる範囲のことをしようと思っています。
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2010.06.05 12:45

 子どもが幼いころ、こういう話をしました。お父さんは集団で何かをするのが非常に苦手だ。だからお前の学校の運動会に出ていくのは普通の親には何でもないことでも自分には大変な努力がいる。行ったとしても応援とかはできそうにない。遠くで静かに見ているだけだろう。それでもお前のことは大切に考えているので、どうしてもということであれば死力(?)をふりしぼって行くことにするよ。
 それ以外にもいろいろ話しました。息子は苦笑して「むりしなくていいよ」と言ってくれました。「塾の先生は土日も仕事が忙しいから」でごまかすこともできたのですが、そうしたくないという気持ちがありました。真剣な生きざまみたいなものを感じさせたかったのですね。

 息子はーーはじめはそんなことはなかったのですがーー成長してだんだん私に似てきました。中学の終わりに卒業記念の大きなイベントがあったのですが、その日だけはどうしても行きたくないと言い出しました。「おれはこういうの苦痛なんだ」それまでほとんど皆勤で通っていたので家内は困ってお父さんに相談しなさいと言いました。息子は「お父さんならわかるだろう?」と言ってきました。あれこれ話した結果、私はその日だけは休んでいいよと言いました。当日は天気がよく、家にいた息子は「天気がよくてみんな喜んでいるだろう。よかったよかった」と人ごとみたいなことを言っていました。

 一般的に人間は他者に弱みを見せたくないと考えます。とくに自分の子どもに弱点を見せたくないのは人情ですね。しかしーーどなたもそうだと思いますがーー必死に生きてきた結果としての自分自身は価値のある個性となっているはずであり、すべての分野において普通ということはありえないと思っています。どこかに偏った部分が出てくる。克服できることもあるでしょうし、そもそも克服する必要のないこともたくさんあるでしょう。
 そういう話はストレートに正直に子どもに伝えた方が、必ずいい結果を生むと私は思っています。ごまかすからどこかで不信感を持たれるのです。

 本音を語るというのは相手を信頼しているという証拠です。自分の親から信頼されれば子どもは当然うれしく思うでしょう。逆にどこかに嘘があるということは自身が信頼されていないということになりますから、何かしらもやもやしたものが残ります。もちろん伝え方(とき、ところ、語り口など)は工夫しなければなりません。そういう努力が何よりも大切だと思うことがあります。
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2010.06.04 14:20

 何度も何度も同じようなことを書いていますが、「どうしたら我が子とうまくいくのか?」という問いにひと言で答えると非常に簡単な表現になります。子どもに尊敬される親であればご家庭はうまくいきます。最近はいろいろと世の中も複雑になり、お父さんだけお母さんだけというご家庭もたくさんありますが、少なくとも子どもが親を尊敬していれば若干の困難は何でもありません。

 これは私自身の戒めとして書くのですが、うまくいかない時期は私が子どもに尊敬されないような存在であることが原因なのです。私のやるべきことは、子どもの塾をどうするかとか何時間机に向かわせるとか家庭内の規則を厳しくするとかではなく、自分自身を彼から尊敬されるような人間にもう一度構築し直すという一点だけです。それさえうまくいけばすべて解決していくということは三十年の教師生活ではっきりわかっています。

 この場合、社会的地位や学歴などはまったく関係ありません。単純に肩書きがすごいというだけでは彼らは周囲に対しては誇らしく感じても尊敬はしてくれません。そういうケースは数え切れないほど見てきていますし、社会的に地位のある方のお子さん全員が理想的な子どもであるという統計も存在しません。
 また尊敬をこわがらせることと勘違いされているのではないかと感じる親御さんもいらっしゃいます。こわがった時点で尊敬とはまったくべつの質を持ってしまいます。尊敬は相手を徐々に変容させることも可能ですが、恐怖心ではせいぜい管理できる程度です。

 全発言、全行為、全人格で圧倒するような「我が子に対する」りっぱさみたいなものが必要です。こんなに筋の通った、こんなに優しい、こんなに理解してくれる、こんなに愛してくれる、こんなに冷静である、こんなに公平な、こんなに人生を把握している・・・そういう印象を彼らに伝えてください。彼らに努力が必要であるように私たちにも努力が求められています。
 彼らはじつによく見ています。「お母さんは偉そうなことばかり言うけど自分はダイエット一つ続かないんだ」とか「お父さんみたいに苦労したくなければ勉強しろだって」とか「かっとなると人の話を全然聞けないんだ」とか、嘆き合っているところを目撃することがあります。

 お子さんはーー何しろ感受性が鋭敏な時期ですーー見ていますし聞いていますし感じてもいます。親子関係がうまくいっている子はそういう話をただにこにこ聞いているだけなのですが、ご両親のことを誇らしく思っているのではないでしょうか。
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2010.06.03 14:45

 とりあえず「逃亡者」のDVD三十話分が届いたので毎日見ています。もったいないので一日一話にしようと思っているのですがついつい先を見たくなり、おとといは(昨日お休みでしたので)明け方まで五話ぐらい一気に見てしまいました。
 うーむ・・・いろいろ考えますよ。例の(5月23日のブログに書きました)「さようならはいや」という話、セリフはすべて「さよなら」になっていたのでやはり原題は「さよならはいや」だったのではないかと思います。

 高校一年生のとき、私は真夏も冬の制服で通学しました。そういう変な生徒が一学年に二三人いました。猛暑のなか、私は一日も夏の制服(ワイシャツ姿)では登校しませんでした。翌年はそんなことをしなかったのであの年だけの美学だったのでしょう。
 暑かったですよ。七月のある土曜日、私はバスを乗り間違えて車庫まで行ってしまいました。余分なお金を持っていなかったので、車庫から自宅まで炎天下を一時間ぐらいでしょうか、歩いて帰りました。

 自宅にまだクーラーがついていない時代でした。帰ってからテレビをつけるとアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」をやっていました。ああいう名作に「はじめて」出合う日というのが誰にでもあるわけです。海や空の青さが心に焼きつきました。
 同じ晩(夜中)にこの「さよならはいや」の前編だか後編だかを見たのですが、感激の度合いは「太陽がいっぱい」どころではありませんでした。モノクロでありながら海の印象もはるかに強い。「太陽がいっぱい」が名作だという話は知っていたので、そういうものを凌駕したという事実に何かあるなという気持ちがしました。

 いわゆる日陰者的な人生にひかれたのですね。ただ今回改めて感じたのはあの主人公はもともとはすごくいい生活を送っていたわけです。生活だけではなく能力的にも非常に高いという設定です。私は自分に感性が近いと思ったのですが、自分の場合はもともとが日陰者的感性だったわけで主人公とは全然違います。私は本質的に逃亡者みたいなものでした。
 
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2010.06.01 15:20

 生涯でいちばん聴いた曲は間違いなくCHARの「SHININ’YOU SHININ’DAY」だと思いますが、いちばん繰り返し読んだ本はラズウェル細木というマンガ家の「酒のほそ道」という作品でしょう。
 1996年、当時住んでいたマンションの隣にあったコンビニエンスストアーで家内がとくに何ということもなく買ってきた単行本なのですが、十五年間出るたびに買い続けて、いまでは二十数巻すべて揃っています。

 ついでにこの著者のほかの本もほとんど買ってしまいましたが、やはり「酒のほそ道」シリーズが群を抜いて面白い。息子も幼いときから読んでいて、親子で「何巻の何ページに誤植があるぞ」などと話せるぐらいになりました。このあたりに自分の家庭の文化はありますね。
 Z会進学教室の卒業生からこういう話を聞いたことがありました。高校時代、家庭で少しだけお酒を飲んだことがあったそうです。もちろん未成年の飲酒は法的には禁止されていますが、ときどき大学生が先輩に飲まされて亡くなったりしているので、おうちの方が心配して酔いというのがどのようなものなのか経験しておきなさいとおっしゃったそうです。なるほど一理あるかもしれません。

 息子はまだ高校二年生なのでそういう類の「指導的飲酒」もさせたことはありませんが、小学生のときに私の飲んでいたアルコール飲料を間違えてひと口飲んでしまったことがありました。たちまち陽気になって歌を歌ったりしていたので、なるほどアルコールにはこういう作用があるのだなと感心しました(陽気になったあとで頭が痛いと言っていましたが)。
 有名な評論家が「私の本当の人生は酒を飲むようになってから始まった」というようなことをおっしゃっていましたが、酒を飲むことをテーマにしたマンガが広く読まれているというのも面白い現象です。

 毎年、この単行本は夏と冬に発売になります。今年ももうすぐ発売されるはずなので買おうと思っています。おととしの夏だったか、仕事が休みの日の夕方、自宅のマンション前の公園で缶ビールを飲みながら発売されたばかりの「酒のほそ道」を読んだことがありました。あれは気分がよかったな。

 

 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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