2010.06.30 12:50

 ウォーカー・ブラザースの1965年の大ヒット曲です。原題がmake it easy on yourself。バート・バカラックの作った美しいバラード゜です。youtubeで聴く(見る)ことができます。
 1965年というと私はまだ十歳でした。さすがに洋楽を聞きはじめてはいませんでしたが、ウォーカー・ブラザースのことは製菓会社のコマーシャルで知ってはいました。チョコレートのCMに出ていましたから。

 私がこの曲をはじめて聴いたのは1970年ごろだったと思います。当時は洋楽ばかり聴いていたので、どこかで引っかかってきたのです。ラジオからカセットテープに録音して何度も何度も聴き返しました。そのカセットテープはいまでもどこかに残っています。以前もこんな話を書きましたね。一本だけ残っていて、ホリーズの「兄弟の誓い」だとかエディ・ホウルマンの「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」だとかグレン・キャンベルの「ハニー・カムバック」だとかが入っています。

 1971年、高校一年生でした。夏休みに十日間ぐらい友人(故人)と二人で北海道に行きました。夜行列車のなかで寝たりユース(もうない?)に泊まったり・・・といま思えばけっこうハードな旅行だったのですが、私は自宅に帰ったらいちばんにこの曲を聴こうとカセットテープをセットしてから家を出ました。で、帰ってきてから予定通り自室で真っ先にこの曲を聴きました。それぐらい好きでした。

 この美声はスコット・ウォーカーですね。ブラザースというのは名前だけでこのグループの三人は本当の兄弟ではありません。解散したあとはそれぞれが音楽活動をしています。ジョン・ウォーカーの最近の姿をこれまたyoutubeで見ることができます。この曲を歌っています。
 これがーー親友に言われたのですがーー微妙に私に似ています。手の動かし方とか。私のブログを読んでくださっている第一志望のF高校に見事合格したもののそれだけで安心してはいけないよのイケメンのN君が見たらぴんとくると思います。何となく似ているだろう?
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2010.06.28 12:55

 学校や塾で三者面談というのがありますね。おうちの方とお子さんと先生と三人で話します。志望校を決めたり勉強や生活についてのアドヴァイスを受けたりという場になるのですが、このとき保護者の方はお子さんのことを絶対に悪く言わない方がよいと思います。
 日本には謙譲の美徳という言葉があるぐらいで、ご自身のお子さんのことを自慢するのは難しいでしょうが、少なくともくさす方向にだけは絶対に持っていかない方がいい。そんなことをしても状況は悪くなる一方だからです。

 たとえば学校の先生が「もう少し真剣に勉強したらどうだね?」とおっしゃったとします。そのときここぞとばかりに「この子は本当に何度言ってもいい加減で私ももう呆れ返っているんです。あんた、先生もやっぱりそうおっしゃってるじゃないの。明日から真剣にやりますってここで先生と私に約束しなさい!」などと言ったところで、だれもわかっちゃくれないんだと殻に閉じこもるばかりで、真剣にやるわけがありません。言葉の正しさ以上に、こういう場面における人間の惨めさに対しての理解が保護者の方にないというのは、ある意味でお子さんにとっては衝撃的なことかもしれません。

 そこはやはり嘘でもいいですからご自身が犠牲になって「私が勉強しなくてもいいという育て方をしてしまったのがいけないのです。私自身が生まれ変わるように努力して、その姿を子どもに見せます」とお話して、彼(彼女)の惨めさを軽減してあげないといけません。お子さんだって助け舟を出してくれたということはちゃんとわかるでしょう。いちいちお礼を言ったりはしないでしょうが、自分の親がこんな風に守ってくれたという事実は、それこそ彼らの生き方を変えていくはずです。

 私は息子が小学生のときに学校で暴れたりするので何度か担任の先生に呼び出されました。ですが子どもには「お前は何も悪くない。お父さんやお母さんの育て方がちょっと悪かっただけなので直していくから心配するな」とずっと言い続けてきました。またーー以前もこの話は書きましたがーーわずかばかりの息子の長所をわざと彼の前で周囲の人間に話しました。要するに人のいるところでは褒めてばかりです。叱るときは一対一の関係で叱る。一対一であれば、叱る内容だけが問題であって立場の惨めさはないからです。
 三者面談の前に「どういう話が出てきても守ってあげるよ」と言ってあげてください。そのときの彼らの表情をよくご覧になってみてください。親子のよさを改めて実感されるのではないですか?
 
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2010.06.27 11:45

 ときどき人間関係のトラブルで相談を受けることがあります。上級の学校や会社でうまくいかないことが出てきたというような話題になります。つい最近も三十代の男の子から会社での同僚との関係について相談されました。
 元生徒ですからこちらも率直に話してしまうのですが、人間関係についてはどういう書物を見てもよっぽどのことがないかぎりトラブルの原因は自分側にあると考えた方が解決が早いと書いてあります。相手をどうこう変化させることを考えていると際限なく長引くと。

 私は十代後半から二十代前半にかけて人間関係が全然うまくいかなかったのですが、たしかに原因は自分にあったということがいまはわかります。その当時の私は世の中の人間すべてに対して期待が強すぎました。相手が自分の考えるような理想的な人間であってほしいという強い思いがつねにありました。ところが現実はそうではない。当然ですね。いろいろな人がいます。どの人も自分の期待通りなどということはありえません。そのことを心のどこかで許せないことだと感じました。

 そして、小さなことでショックを受けたり幻滅したりする。「なんだ、こんなやつだったのか」と。出てくる相手出てくる相手うまくいかない。この仕事についてからも、ここまで真剣にやっているのに生徒がついてきてくれないという悩みを抱いた時期がありましたが、それもあきらかにこちらに原因がありました。生徒側には勉強したくないという気持ちを持つ自由があるわけですよ。
 現在の私は「じつは勉強をしたくない」と考えている生徒にも何を伝えられるだろうという視点で授業をしているので、ついてきてくれないという観念自体がなくなりました。

 私みたいな例でなくてもその人の能力が優れているために他者の弱さがわからないとか、自分の弱さを隠すために他者に厳しくあたりすぎるとか、じつは羨ましい要素が相手にあるために批判的に接してしまうとか、原因は必ずしも相手にはないというケースも多々あるようです。
 まあ、そのあたりですね。ただ相当内省的にならないと気づけないとも思います。一生気づかない人間も相当数いると思います。自分を見つめることがいちばん難しいのかもしれないですね。
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2010.06.26 13:00

 お子さんを叱るのであれば、あくまでも効果があるかどうかで判断するべきでしょう。一般的にこのことは全然できていないような気がします。つまり大人側が自分の気持ちを抑えきれず、効果がないという事実にうすうす感づいていながらも叱っている。そんなケースが多いですね。もちろんそれで親側の気分が晴れるからいいのだと言われてしまえばそれまでなのですが、教育的な効果という点では逆効果かもしれません。

 先日、うちの息子が二度寝をして学校に遅刻しました。以前もそういうことがあり注意はしていたのですが、またまたやってしまいました。大人の私から見れば非常にだらしのないことですが、冷静に判断してその場で叱ってもまったく効果がないと考え、一切文句を言いませんでした。
 子どもは子どもで慌てているわけです。慌てて着替えている。当然本人もまずいことをしたと考えています。

 そういう状態の子どもに追い討ちをかけるように「お前は本当にだらしがない」とか「これで何回目だ」とか「そんなことだから成績も伸びないんだ」とか、ネガティブな感情を次々ぶつけたところで、あせっている当人にしてみれば傷口に塩をすりこまれるようなもので、逆に「うるせーな!」と爆発したくなるのは当然だと思います。
 私は静かに、遅刻するのはもうどうしようもないのだから自転車の運転にはくれぐれも気をつけろよと言いました。ともかく無事なのがいちばんだと。

 そのままにしておくとまたやるかもしれないので、帰ってきてから「もう一つ目覚ましをかけておくといい」と指示しました。息子は言いつけを守ってその後は遅刻をしていません。静かに伝えれば静かな反応が返ってきます。他者は鏡のようなものであり、相手の反応によって自分を知るということが人間関係には多々あるような気がします。
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2010.06.25 13:10

 息子が発熱し今日は高校を休みました。彼は現在二年生なのですが、学校を休んだのは今日がはじめてです。39度も熱が出たそうなので仕方がないですね。明日もたぶん休むことになると思います。授業のプールが寒かったのかもしれません。
 ところで・・・私はここ数年熱を測ったことがありません。体調がすぐれず熱っぽいときも一切計測しないことにしています。

 一つには数値がどうであってもなかなか休めないという事情があります。休めないというより休みたくないといった方が正確でしょうか。数値に人生を支配されたくないのです。
 ですから、たぶん高熱が出ているなというときも気分がよければそのまま仕事に出ていました。少なくとも池袋教室に来てから六年と何ヶ月かのあいだ「体調」を理由に私が突然教室に来られなくなったという日はありません。そういうことを必ずしも誇りに感じているわけではないのですが、生き方としては自分らしいと思っています。

 昔べつの教室にいたときはあまりにも調子が悪いので、タクシーで来てタクシーで帰ったという日もありました。そのときもたぶん高熱が出ていたと思います。顔が赤いと言われました。ある先生から「あれ? 二日酔いですか?」と訊かれたので、ええそうですと適当に答えました。病気なんですと本当のことを口にして同情されたくないという気持ちがありました。同情されて喜んでいるようでは病気に負けてしまうような気がします。

 熱があるときにも私は医者に行きませんし薬も飲みません。水分を摂ってただ寝ているだけです。仕事があれば仕事に行き、帰ってきてまたただ寝ている。食欲がなければ何も食べません。動物と同じですね。ただじっと寝ている。音楽は流しているかな。
 じつは快復しなければしなくてももういいや・・・という乱暴な気持ちもどこかにあるのです。自分は昔からちょっと破滅派みたいなところがあり、こういう部分に出てくるような感じがします。

 もちろん息子にそんな考え方を強いることはありません。彼はたぶんいまごろ近所のクリニックに行っているはずです。
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2010.06.24 13:40

 昨日は休みでしたのでブログを更新しませんでした。基本的に休みの日はブログも休んでいます。私はZ会進学教室の先生であるとともに社員でもあるので、本来は週にだいたい二度休めることになっています。
 もっとも教室業務ですから自分の都合だけで休むわけにはいきません。授業もありますし、保護者の方との面談もあります。またほかの先生とお話しなければいけないこともたくさん出てきます。

 たとえば週に一度だけ池袋教室で教えていてほかの曜日はべつの教室で・・・という先生もいらっしゃいます。いちおう授業日誌というのがありますから、私が休んでいるときでも授業や生徒の様子がどうであったかはわかることになっています。ただやはりそこのところは微妙なニュアンスもあるわけで、その先生がいらっしゃる日を固定した休みにしてしまうとゆっくり話を聞けないという困った事態に陥ります。
 そういうわけで私の休みは授業のない平日の火曜になったり水曜になったり木曜になったりします。わざと動かしているのです。

 休みの予定日にどうしても面談をしたいというご要望が出てくるときもあります。そのときは休みにしたままで面談だけしに来ます。いちおうネクタイとかはーー礼儀ですからーーしめてきますが、面談が終ったら帰ってしまいます。
 いろいろなご要望があり、昔べつの教室にいたときには「仕事の関係でどうしても○○日の午前九時から」と言われたことがありました。本当は教室の開いていない時間帯なのですが、どうしてもというご事情でしたので特別に教室を開け、面談が終ってからまた鍵をしめて帰りました。

 大変でしょう? と言われることもあります。まあ大変なのかもれしませんが、そうやって話したいと思われることはありがたいことですし、個人的にお話をすることに私は苦痛を感じないので、お役にたてるのなら頑張ろうといったところでしょうか。
 信頼関係ができると、ふと涙を見せられる方もいらっしゃいます。他者と話していて涙が出てくるという状況は心の浄化につながると私は信じているので、ただ静かに会話を続けます。
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2010.06.22 13:15

 私たちはしばしば○○のせいで自分は不幸になった、原因は○○にある・・・と不満をもらしがちですが、本当にそうなのでしょうか。学校が悪い、親が悪い、先生が悪い、友だちが悪い、パートナーが悪い、体調がよくないことが悪い、お金がないことが悪いといくらでも理由は出てきそうですが、とんでもなく深刻なケースはともかくとして、たいていのことであれば私たち自身の気持ちの持ち方次第で何とかなっていくものです。
 そうでなければ、場合によっては一生自分の人生を他者に支配されていることになります。何しろうまくいかない原因は自分にではなく、○○にあるのですから。そんな一生でもいいのですか?

 昔、陸軍で偉かったという祖父から、戦場でさえどう振る舞うかの選択権は自分にあるというような話を聞かされたことがあります。私自身が幼かったのでよく意味がわからなかったのですが、戦傷を負った祖父は戦争のせいで自分は不幸だったとは考えていませんでした。一つの状況の中でいい方向にも悪い方向にも「自分の意志」で動けるのだということを伝えたかったのではないかと思います。祖父が亡くなったあと部下だった人から「捕虜に対してあんなに優しい指揮官はいなかった」という話を聞き、私はなるほどそのへんのことを言いたかったのかもしれないなと思いました。

 人生の選択権を自分の手に取り戻してください。ただしこういうことは上品にやらないといけません。下品にがつがつやること自体が自信のなさを表しています。それでは運が味方してくれません。
 学校が悪いなら学校とうまくいっている人を研究してみてください。全員がうまくいっていない学校なんてあるわけがありません。親や先生が悪いのであれば、一歩進んで自分は親や先生とどういう関係を築きたいのかよく考えてみてください。真剣に考えれば相手がなぜこちらを叱るのかわかってくるはずです。直すべきことは直したうえで、良好な関係を保てるように彼らに敬意を持って相談してみるといいでしょう。生理的にいや? それなら原因はやはりあなたの方にあるじゃないですか。なぜいやなのか自分を見つめるといいですね。

 友だちやパートナーであっても他者をあなたが支配することはできません。またあなたを支配させてもいけません。きちんとした個として向き合う。すべてが同じになるわけがありませんし、ことさらに対立する必要もありません。また「絶対にうまくいかせなければならない」という信仰(?)を持つのも不自然と言えば不自然です。あなたはあなたのペースで成長すべきであり、相手も相手のペースで成長する権利を持つからです。
 無常と言いますが、変化しないものはないですね。その中で自分がうまくいかない原因だけは不変であるなどと妙なことを考えないようにしましょう。ここからですよ、人生は。
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2010.06.21 13:10

 年に幾度か講演会を実施させていただいています。私は話が特別上手いわけではないのですが、現場に三十年間いるということはやはり相当な経験で、戦争体験者の方が戦争の真実を語り続けなければならないと考えられるのと同じような気持ちで率直なところをお話しています。
 塾が主催する講演会というと一般的には塾に入ってください的なものになってしまいがちですが、ほとんどそういうお話は出てきません。

 勉強はしないよりはした方がいいでしょう。試験も受からないよりは受かった方がいいでしょう。ただそれはあくまでもご本人が「しっかりしている」という大前提での話です。人間がしっかりしていないと成功した事実さえが、落とし穴になることがあります。受験に合格して高いレベルの学校に進んだが故に、かえってひどいことになってしまったという例をたくさん知っています。もちろんどこからでもやり直しはききますが、できることなら妙な回り道はしない方が気持ちが楽ではないですか。

 勉強をしない方がいいケースだとか勉強する前にもっと考えておかなければいけない「宿題」が残っているケースだとかもあります。「宿題」を片づけないで、やみくもに勉強勉強と強いるのはちょっと心配ですね。
 世の中全員の方が学者さんになるわけではありません。勉強があまり好きではない方や他にやりたいことがある方もたくさんいらっしゃるわけで、その場合はどれぐらいの配分にしておくのがいいのかという問題も出てくるでしょう。

 いずれにせよ、子どもたちの生活にはさまざまなストレスがかかっています。学校に行ってクラスの仲間や先生先輩後輩との関係だけでーーとくに事件がなくてもーーへとへとになってしまう繊細な子はたくさんいます。私は自分がそういうタイプだったのでよくわかるのですが、中学高校時代みんなが何かを張り切ってやっているときに、じつは冷めているのに疎外されたくない一心で楽しそうなポーズだけ作っている自分がいやで、死んでしまいたいと思ったことさえありました。こんな気持ちはだれにもわかってもらえないだろうと思っていたのですが、この仕事についてからそんな思いをしている子どももけっこういるのだということがわかってきました。

 ご家庭が安息の場であれば救われるでしょう。どうしてもそういう話になってしまいます。残念ながら、塾の宣伝とはなかなかつながらないですね。
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2010.06.20 15:55

 先日、友人と新宿で飲みました。よく考えずにおでん屋さんに入ったのですが、おでん屋というのは居酒屋と違って微妙に落ち着かないところだと思いました。焼き鳥屋や鮨屋もそうですが、要するにおでん屋はおでんを食べさせたいと考えている。焼き鳥屋は焼き鳥を食べさせたい、鮨屋は鮨を食べさせたい。専門店なのですから当然ですね。ただひたすら酒ばかり飲まれていては商売あがったりでしょうし、プライドも傷つくだろうと思います。

 おでんというものは延々と食べ続けられるものではありません。一皿にいくつか盛ってもらう。冷めないうちに食べるのが礼儀でしょう。食べ終わるとすぐに皿を下げられてしまいます。カウンターの向こうでは職人さんが長い箸を持ってちらちらこちらの様子をうかがっています。次の注文は? という感じですね。しばらくは視線をかわしてだらだら飲んだり話したりしているのですが、他のお客さんもどんどん入ってきますし、もうちょっと何か頼まないと・・・みたいな感じで、あっという間にお腹がいっぱいになってしまいました。

 居酒屋には一人で行くことも多いのですが、ただぼーっとしていられるところに価値があります。居酒屋研究の第一人者(?)の太田和彦さんも何かにそんなことを書いていらっしゃいましたが、私のような中年男性が一人でぼーっとするのはなかなか難しいものなのです。公園のベンチで一時間放心しているとします。美少年なら愁いを帯びて美しいのでしょうが、私では不審者や変質者に間違えられそうです。教室でぼーっとしていたらクビになりますし、家庭で放心していれば息子に心配されます。喫茶店やレストランはおでん屋と同じことです。

 その点、大衆的な古い居酒屋に入ると一人客が多く、みんなぼーっとしています。放電状態みたいな感じですね。たまに追加の注文をしてあとはぼーっとする。一時間ぐらいひと言も話さずに座っていても気味悪がられない空間というのは非常に貴重に感じます。
 そう言えば、そうしたお店には女性客が少ないような気がします。女の人はどこでぼーっとするのでしょうか。
 
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2010.06.19 14:15

 傘を頻繁になくすので、私からしてみれば思い切り値段の高い傘を買ってみたことがありました。高価なものであればきっと大切にするだろうと考えたからです。ところが、やはりすぐになくしてしまいました。安い傘だからなくすというわけではなかったようです。
 あるとき、安くもないがとくに高くもない傘というのを買いました。これまたすぐなくすだろうと考えていたのですが、その傘だけ何年もなくなりません。

 置き傘のためにもう一本似たような傘を買いました。そちらもなくなりません。その間、安い傘はなくしています。で、はっとしたのですが、現在の自分のレベルとその高くも安くもない傘のレベルは似合っているのですね。似合っているのでいつまでも手許から離れないのでしょう。
 そう考えてみるとこれは傘だけではないような気がしてきました。洋服や住んでいるところや食べているものやつきあっている人々ーーみんな現在の自分にレベルが合っているということなのでしょう。

 何らかの理由で自分が変わると、もっと値段の高い傘かあるいは安い傘が似合いはじめるのではないかと思います。そのときは現在使っている傘は合わなくなって、どこかにいってしまうかもしれません。人間とものとの関係はそうなっているようです。
 だれでもほしいものを外に求めるわけですが、内側に準備が整っていないといつまでも得られなかったり、獲得してもすぐになくしてしまったりします。そのあたりは受験も同じですね。

 外の世界を冷静にながめれば、現在の自分がどの位置にいるかということを知ることができます。外の世界に納得がいかないのであれば、やるべきことはまず自己を変革していくことではないでしょうか。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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