2010.05.08 13:03

 Z会進学教室の連休は昨日で終わり、今日から仕事です。授業そのものは明日からですね。
 おとといは一人で一泊旅行に出ました。私の旅行はすべて愛知県ですが、二十年昔に偶然下りたあるバス停に行ってみたりしました。畑だったところが駐車場に変わっていました。すぐ脇にあったどぶ川もきれいに整備されていました。

 昨日、愛知県はかなりひどい雨だったのですが、帰りの新幹線のなかから巨大な虹が見えました。進行方向に直角に交わるような感じで、左側の窓からも右側の窓からも見えていたので、かなり大きなものだと思います。ちょうどRAINBOWというロックバンドの「CATCH THE RAINBOW」という曲を聴いていたので、おおっ! と思いました。そういうところで何かーー啓示と言ってはおおげさなのでしょうがーーを感じることがあります。

 五日ぶりに教室に来てみたら郵便物がたまっていました。
 なかに昨年手紙をさしあげた数学の先生からのお返事が来ていました。この先生は非常にりっぱな方(経歴だとか細かいことはわかりませんが、授業を担当されている様子や生徒への応対ぶりから無条件にわかりました)で、以前手紙をさしあげたのは「Z会だけで担当なさいませんか?」というお誘いの内容でした。
 いい先生というのはあちらこちらの予備校や塾から引く手あまたです。自然と何箇所かかけもちで教えられているケースが多いのですが、その先生はZ会だけで教えていかれることに興味を持たれているという噂(?)がありまして、当時のZ会進学教室の代表の方と相談してお手紙をさしあげたのでした。

 残念ながら先生は現在高校受験生ではなく大学受験生を教えていらっしゃるそうです。それも医学部を狙う優秀な受験生を専門に見ているようです。
 私のことを評価してくださっていました。私はたとえば教室の生徒がどこに入ったとかどれだけ増えたとか、そういう表面にはっきりあらわれる(もちろん非常に大切な要素です)以上のものを何か伝えられたらすばらしいのだがと常々思っています。そうした部分を細かく評価してくださったので非常にうれしく思いました。私は「褒めらたらとりあえずいやそうな顔をする」ということをモットーに(?)生きているのですが、尊敬する方によく言われるとやはりうれしいものです。

 と同時に、人は見られていますねー。これからもーーブログも授業も教室運営も講演会や説明会もーー日々がんばっていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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2010.05.06 08:45

 先日、面白い経験をしました。私よりだいぶ年上の方とはじめてお目にかかり何人かでお酒を飲みました。その方は長いこと高校の先生をされていてそれなりの地位にいらっしゃった大変立派な方です。ただ私は直接的な生徒ではありませんし、その方もすでに現役の先生ではありません。また立場上もーー大きな意味での身内なのでーー先生と呼ばなければ失礼にあたるということはなさそうです。
 ところが、酔ってくるにつれどうしても「先生」と呼びたくなる。はじめは「○○さん」だったのが最後は完全に「先生」になってしまいました。その方がしっくりきますし、相手の方もリラックスされていたような感じがしました。

 私もときどきわざわざ先生と呼ばれなくてもよいような場所で「先生」と声をかけられることがあります。相手にとってそれがごくごく自然なのでしょう。私個人は自分の呼称を気にかけるタイプではありませんから、先生でも長野さんでもあなたでも何でもいいのです。相手が呼びやすければ先生のままでいいかという程度でしょうか。
 Z会進学教室には美しい慣例があり、新人の方が上の立場の方を堅苦しく役職名で呼ばなくてもよいという雰囲気があります。たとえば私が代表の方や副代表の方を○○さんと呼んでも相手はにこやかに応えてくださるということですね。

 それでもときどき事務の方から私は「先生」と呼ばれることがあります。長野さんと長野先生とどちらがどうということではなく、私という人間のかもし出す空気が先生という呼称を呼んでくるのかなという気がします。それならそれでいいかな。
 改めてそんなことを考えさせられました。もしあなたがいまこう呼ばれたいという呼称があるとしたら、それにふさわしい空気を身にまとうことだと思います。同時にーーここが大切かもーー将来絶対にこう呼ばれたいという呼称があるのであれば、資格がどうのこうのということ以上にふさわしい人間になろうという努力は必要かもしれません。
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2010.05.05 10:30

 今年の一月半ば、高校時代に千葉の海に行った話を書きました。三十数年前ですね。そのときは新宿から特急列車に乗った記憶があります。その後、何度か同じ海を見に行ったのですが、列車はすべて東京発でした。
 ところがーー目を疑いましたよーーいつのまにか土曜日曜祝日のみ新宿始発の館山行きという特急列車が復活していました。一日に一本とか二本ですが、昨日休みでしたので一人で行ってきました。

 三十数前に当時の友人と宿泊したのは館山からさらにひと駅動いたあたりにあるものすごく汚いバンガローでした。海坊主みたいなおやじさんが真っ昼間ビールを飲みながら裸で受付の小屋に陣取っているような施設で、シャワーも水しか出ず、こりゃひでーところだと逆に感心したのを覚えています。
 いまみたいに情報化された世の中ではなかったですからね。「バンガロー」と書かれていればそうなのかというだけで、実態は見てみるまでわかりません。

 昨日は終点の館山からひと駅動き、また館山まで五キロぐらいの道を一気に歩きました。前の日、飲みすぎたのと寝不足だったのとで(連休なので油断しているなー)体調が悪かったのですが、気分は爽快でした。途中でひょっとしたらここだったのではないか? という場所を見つけました。崩れた小屋みたいなのが一つだけ残っている駐車場があり、その小屋があの海坊主のおやじさんがいた受付用のバンガローにとても似ています。位置的にも合致するのですが、以前来たときは気づきませんでした。残っているわけがないと思いこんできちんと探さなかったという事情もありますが、今回は体調が悪いせいでかえって近くのものがよく見えていたのです。

 三十八年間にこれで六回行ったことになります。私ももう若くないですから行くとしてもあと一度か二度でしょう。あのとき私たちは四人のグループで行き、地元の二人組の女の子と仲よくなりました。みんな幸福になっているといいけど。
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2010.05.02 10:55

 以前も書きましたが、明日から五日間だけZ会進学教室は教室を閉めます。私は自宅で家内のパソコンを借りているのですが、最近具合がよくないので五日間はブログをお休みすることになると思います。調子がよければどこかで一日ぐらい書けるかもしれません。
 休みのあいだ毎日やることは決まっています。たいした用事ではないのですが、たいした用事ではないことができる余裕というのも大切です。

 私はかなり活字を読む方だと思っているのですが、休暇中にまとめて読むというようなことはしません。本はだいたい仕事の行き帰りに読みます。現在は800ページぐらいある本を読んでいます。持ち運びが大変ですよ。やっと400ページぐらいまできました。こういうのをたとえば連休中に一気に読んでしまおうとは考えないですね。通勤途中の楽しみがなくなってしまいます。
 通勤途中の楽しみというのは読書だけではありません。景色を見たり電車内の人間を観察したりするのも好きです。人間の観察は非常に面白い。ただ、あまりいい趣味ではないかもしれませんね。

 音楽を聴いていることもあります。今日はそうでした。友人から借りたソウル・ミュージックをボサノバの解釈で演奏したCDを録音したものを聴きながら来ました。ソウル・ミュージック特有の油っこさがするりと落ちた感じで、聴きやすいような物足りないような不思議な感覚にとらわれました。
 音楽の場合、堂々と先人の曲をカバーできるところがいいですね。私は昔、文芸作品もカバーできないだろうかと考えたことがあります。たとえば志賀直哉の「小僧の神様」とか。

 あれを現代風にして、劣等感の強い女の子が理想的な男の子に行きずりの恋をする。で、小さな出来事がいろいろ重なって最後に女の子が男の子から聞いていた住所に行ってみるとそこは縁結びの神さまの神社だったのでびっくりしたとかーーまあ思いつきなのですがーー考えたことがあります。
 うーん、きのうは三時間しか寝ていないので考えがまとまりません。朝ふと目が覚めたときにもう一度眠ればいいのでしょうが、どうしても起きて遊びたくなります。睡眠時間が極端に短いと多幸感に包まれるのですが、健康にはあまりよくないかもしれないですね。
 
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2010.05.01 13:05

 少し抽象的な話を書きます。
 幸福になりたい、勉強ができるようになりたい、○○を成功させたいという場合、逆に不幸になりたくない、勉強ができない状態はいやだ、○○を失敗したくないと考えているということになります。うまくいく状態を光に、うまくいかない状態を闇にたとえてみます。
 ここが大切なのですが、光がほしいときに闇そのものと格闘するのはじつはおかしいのです。闇があるところに灯りを持ってくればあっという間に闇はなくなります。闇というのはじつは「光のない状態」にすぎません。

 不幸の原因を徹底的に追究してあれこれいじったところでなかなか幸福になれません。同じように勉強のできない理由を次から次へと見つけてきて一つ一つ手当てしていったところでーーせいぜい平均値に届くかどうかというところでーー決して優等生にはなれないものです。才能や努力の欠如ではなく、目のつけどころがズレているのです。
 幸福になりたい、優等生になりたいということであれば、まずいところを修繕していくような形でたどりつけると考えない方がいいですよ。それよりは自身のあり方を変えることで一気に光を持ちこむ覚悟が望ましい。

 では、どうしたら光がもたらされるのか。それは各自が考えるべきでしょう。その過程がそれこそ「あなたの成功への過程」なのですから。
 ただ光に溢れた人生を歩む人間であろうという意志は何よりも大切です。それにふさわしい話し方があるでしょう。食べ方もあるでしょう。人とのつきあい方もあるでしょう。着るものだってじつは関係してくるはずです。問題集をどれにしようかというレベルの話ではなくなってきます。そこまで意識が高まらないとしたら、やはり闇の手当てに終始している状態ということになります。何食ってどういう格好していたって勉強とは関係ないじゃないかと考えていること自体、光が乏しいのです。

 すべて個人の自由なので何かを強制したいという話ではありません。ただ幸福になりたいと考えて延々と不幸な部分をいじっている人があまりにも多いような気がします。こういうことにはコツがあるのです。自分がどういう人間であるか、どういう人間になりたいか、そのために(逆算して)現時点で他者からどう見えているべきかーーときにはそんなことを考えてみるのも役にたつと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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