2010.05.31 14:20

 Z会進学教室では夏休みの前半に単科ゼミというものを置いています。短い期間で、とくにここだけは! という分野を補強するための講座です。夏期講習を受けてくださればぜんぶを復習することができますが、単科講座は本当にピンポイント的に学習する感じになります。
 その映像版を今日撮ってきました。作文・小論文の講座です。第一章から第三章まであり、今日は第一章だけでした。

 撮影しながら感じたのですが、やはりふだんの授業と時間の流れ方が違います。同じようにやろうとしたのですが、生徒側からの反応がないとちょっとやりづらい。いつもは生徒が難しいなと感じているところは授業中にわかります。そこはわざとゆっくり何度も説明することができるわけです。ところが、生徒がいないとーーそういう部分がないわけなのでーーどんどん説明が進んでいってしまい、本当の授業より時間がかからないものだと思いました。

 映像に魂がこもっているかどうかというところは大切ですね。勉強の講座はとくに教える側の気持ちがしっかり入っていないと見ていてつまらないものです。映像講座を受けてくださる方を具体的に思い浮かべて撮影したつもりですが、できあがってみないとよくわからない部分はあります。
 ただ作文や小論文は一般的には非常に映像講座として成立しにくい分野であり、全然書けない皆さんは困っていたと思うので何かのヒントになってくれたらうれしく思います。

 教室にも学校で「自由に書きなさい」「思った通りに書きなさい」「見たまま聞いたままを書きなさい」などと言われて、いったいどうすりゃいいんだ! と頭をかかえていた生徒がいました。学校の先生は負担を感じさせないように配慮して「自由に思ったままに」とおっしゃってくださるのですが、それだけですとピアノを弾いたことのない子に「自由に弾いてごらん」と言うような曖昧な部分がどうしても出てきます。そこのところをこう考えたら? と気をつけてアドヴァイスさせていただいたつもりです。
 
 七月から配信される予定です。夏休み、作文の宿題に困ったらちょっとのぞいてみてください。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.30 11:55

 ときどき自分はだめだと強く言い張る人がいます。勉強のことでも何でもいいのですが、とにかく「だめだめだめ」の一点張りで自分を徹底的に否定する。これをやってみたら? というどういう提案に対しても、自分はそんなことができるほど高いレベルの人間ではないと答えます。「私って昔からばかなんです」「そういうのやってみたけどぜんぶだめだったんです」・・・ある意味で自分のことを特別であると感じたいという逆転された傲慢さの表れではないかと思うことがあります。特別であると感じたい、でもよい方向で目立てる部分がないからこうなったらマイナスの要素でもいいから目立ってやるという気持ちが隠されているのかもしれません。

 ご本人は気づかずにそうなっているケースがほとんどですから、おうちの方がちょっと軌道修正してあげるといいですね。「そんなにだめなことはないんだよ」と。「この部分だけはずいぶん進歩していて偉いじゃないか」と。細かく見ていけばご本人が努力した分だけどんなことでも必ず前進しているはずです。前進しようという意欲だけでもりっぱじゃないですか。
 ところが、場合によってはおうちの方がご本人より激しく「だめだ」とおっしゃってしまうこともある。当然彼(彼女)は予防線を張る意味で評価が決まる以前から「だめだだめだ」と自分で決めつけてその言葉のなかに逃げこむようになります。そんなことをやっているうちに妙な傲慢さが身についてしまう。若い人がときどきわざと醜い感じのメイクをすることがありますが(ああいうメイクそのものはけっこう好きです)、似たような要素があるのかもしれません。

 平凡なところからスタートしていきたいですね。平凡は悪いことではない。きわめて平凡。世の中のすべての平凡な人は努力によって非凡な人になります。ということは自分も平凡でさえあれば単純に正しい努力によって非凡になれるということです。そういう図式を大人はきちんと提示してあげないといけません。とくに親子関係においてはそうです。
 あなたが自分を平凡になれないと決めつけているのであれば、何か微妙なねじれが出てきている可能性があります。あなたの責任ではなく、無意識のうちにそうなってしまったのでしょう。 それは苦しくないですか?
 もう一度「平凡」にリセットして、努力のあとに非凡な人になったらいいですね。
 
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.29 12:55

 今日は中3生の保護者会でした。保護者会ではふだんここに書いているような話をしています。今年度も私は生徒や保護者の方にとくにこのブログの話をしていません。ひょっとすると気づかれているかもしれませんが、基本的にはご存知ないはずです。
 どうして話さないのか自分でもよくわからない面があるのですが、そういう人間なのでしょうね。自分のことをあまり宣伝したくないという気持ちがあります。

 小学校低学年のとき、私は「挙手」をするのが苦痛でした。わかっているということをもっと積極的に外に出して認めてもらわなければいけないと両親にも担任の先生にも言われました。一時期は努力してそうした時期もありましたが、次第に「はいはいはい!」みたいな人生は自分に合わないと思ってきました。それからはわかっていてもひたすら沈黙。そういうスタイルになりました。

 ですから、いわゆる「消極的」と評価されてしまう生徒のことを私は非常に理解できますし、それでいいのではないかと思っています。もちろんーーたとえば内申とかーー損をすることはたくさんあるのですよ。あるのですが、そういったことも引き受けて生きていく覚悟があるのであれば、りっぱな生き方だと思います。
 ロックバンドのライヴ映像などを見ていてもカメラに写されるとすごくいやそうな顔をするギタリストなんかがいますね。でもあれ、本当はちょっとだけうれしかったりするのかな? と感じるときがあります。

 本人の生きやすいように生きるのがいちばんいいですね。それを変に矯正しようとするとひずみが生じてくる。もちろんご本人が変えたいということであれば変えることも可能ですが、むりに直すことはないですね。
 私の息子は昔いたずらばかりしていて学校の先生に自分は何度も呼び出されました。勉強が全然できない時期もありました。いまは少しだけましになってきたような気もしますが、私は「どの時代も私自身のお前に対する態度は同じだっただろう?」と話すことがあります。私の彼に対する気持ち(と態度)はずーっと変わっていません。

 相手が自分の思うようにならないと愛情が持てないということであれば、それは私自身の未熟さが原因だと思っています。これから彼は多くの人と同じように、たとえば大学に行くかもしれませんし行かないかもしれません。そのあたりはつねに話し合いですが、どういう状況になっても、私が外的な条件の違いだけで彼に対する気持ちを変化させたりすることはないと安心しているはずです。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.28 12:58

 飲食店にお客さんがあまり入らなくなってきて苦しいという話をよく聞きます。池袋教室の周囲でも昔からあったお店がふとなくなってしまったりしています。
 教室のすぐ裏手では290円のお弁当というのを売りはじめました。390円弁当というのが話題になったのがほんの一二年前だったと思うのですが、さらに百円も下がってしまいました。行列ができていたので一度だけ並んで買ってみたことがあります。

 古くからご家族でやっているとんかつ屋さんがあります。昔はたくさん人が入っていたのですが、最近はかなり苦戦しているように見えます。
 この店には一つだけ安いメニューがありました。昔はそうでもなかったのですが、だんだんお客さんはその安いメニューばかり注文するようになりました。ヒレカツとか上ロースカツとかではなく、そのいちばん安いものを食べる。次から次へと注文が入る様子を私はよく目撃しました。

 こういうときに経営者側がどう考えるかというのは重要なことだと思います。お客さんはこの店が好きで来てくれるのだろう。最近は皆さん苦しくなってきて高いものはなかなか食べられなくなってきている。それでもこの店とつながっていたいという気持ちがあって安いものを注文してくださるのだろう・・・そう考えられたらよかったのではないかと思います。お客さんを確保しておけば何回かに一回は高いメニューも注文してくれるかもしれません。
 ところがお店はその安いメニューだけ不自然に値上げしました。いろいろ思惑もあったのでしょうが、結果としてさらにお客さんが減ってしまった感じがします。

 私がよく行く居酒屋さんは高いものも置いてありますが、安いメニューの値段は絶対に上げません。お金がないときは安い肴で飲んでねという親切心なのでしょう。庶民的なお店にはこういう感覚が大切ではないかと思います。たかが五十円ぐらいと思っても、値上げの背景がいろいろ想像できると印象が悪くなってしまうことがあるからです。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.27 13:20

 暗記してきましょうという類のテストがあります。英単語とか漢字とか、数学(算数)で言えば暗記ではありませんがまあできて当然の基本的な計算問題とか。
 で、たとえば80点とれるとする。りっぱなものです。8割とれていれば合格でしょう。私の担当教科は国語なので漢字テストもいちおうの合格は8割と言っています。

 ただ必ず満点をとる人もいます。必ず。十回に一回ぐらいはうっかり一つ落としてしまうというようなこともありますが、基本的に満点をとるものだと決めているような生徒が(女の子の方が多いかな)けっこういます。
 なかには国語だけそう決めているという生徒もいます。他教科は8割ぐらいだったりする。それでも頑張っていると思いますよ。でも全教科満点をとって当然と考えている生徒の方がより頑張っているのは確かでしょう。

 どちらがりっぱかということは一概には言えません。全教科満点をとりたいものの学校の部活やおうちの手伝いやその他の理由で忙しい人もいるでしょう。私は身内の方の看病をしながら受験生活を送っていた非常に偉い中学生を知っていますが、ときどき勉強どころではないという話でした。
 また人生観としてそこまできちきちになりたくないという考え方も一理あります。満点をとるのがクセなどということになったら窒息してしまうというわけですね。何度も同じことを書きますが、私自身はそういう人間なので気持ちはよくわかります。

 満点をとることをクセにしている人たちはそうではない人たちに絶対に負けるわけがないと思っているはずです。そのことは頭の片隅に置いておいた方がいい。
 ある私立中学の生徒でみんなに「天才」と揶揄されていた男の子に私はなぜきみはそんなに勉強ができるのか? と訊いたことがあります。言下に「誰よりもやっているからですよ」と答えたものです。「僕みたいに勉強してる奴はまわりにいませんから絶対に負けるわけないんですよ」とさらりと言ってのけたので、こういうすごい人もいるのだなあと感心したものでした。

 いろいろな生き方があっていいと思います。ただ最後の最後まで8割でいいや人生だとちょっともったいなくはないですか? 自分だっていつかは・・・と考えていてもある程度練習しておかないと満点をとり続ける生き方ができなくなっているかもしれません。もちろん必ずしも勉強である必要はないですね。
 私にも他者に絶対に負けるわけがないと思っていることが一つだけあります。努力しているからです。そういう「自分なりの」努力は大切にしていかないと。


 
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.25 12:45

 以前も同じようなことを書いた記憶があります。調べればいいのでしょうが、以前の記事を読むと本当に同じ内容になってしまいそうですのであえて読まずに書きます。
 乱暴に表現すれば、世の中の人は幸せになりたい、いい方向に進んでいきたい、受験なら合格したいと考えて生活しているわけです。そこに行き着くためにあれもする、これもすると足していく。足しても足してもまだまだ足りない不安が出てきてもっと足そうとする。勉強で言えば学校、通信教育、塾、それでもまだ足りないような気がして家庭教師の先生をお願いしたりする。

 これではきりがないですね。お金だってかかる。発想を逆にして何を引いたら現在の状態がよりよくなるだろう、幸福になるだろうと考えてみるといいのではないでしょうか。
 私は最近、ほぼテレビを自分の生活のなかから捨てました。たまに格闘技や将棋番組を録画しておいて見ることがありますが、それもどうしてもというわけではありません。基本的にはもうテレビがなくてもよくなりました。
 見なければ見ないでどうということはない。時間ができますからほかのことをしています。読んだり聴いたり考えたり書いたりですね。ただ何となく画面をながめているよりは有意義に過ごせているような気がします。

 家内のパソコンを借りて将棋を指していたのですが、最近調子が悪くて使えなくなってしまいました。するとそんなに将棋が指したかったわけではないということに気づきました。指せるから指してしまうだけで、指せなければ指さないでもいられる。youtubeも2ちゃんねるも見ていれば面白いので将棋に疲れると長時間見ていましたが、現在その時間はべつのことに使えています。

 他の人とのおつきあいの中にもそういう要素はたくさんあるような気がします。とくに子どものころは無自覚に他者とおつきあいしていたりするものです。行きも帰りもいつも一緒。しかし、なぜ毎回必ず一緒でなければいけないのか? と考えると、じつはよくわからなかったりします。要するにただ惰性でしかない。
 一人になる時間を持つ、娯楽から離れてくっきりした意識の時間を持つということに耐えがたい気持ちがするというのであれば、まだ本当の自分と向き合う用意ができていないのではないかとも思います。

 これはもちろん比喩ですが、最上のダイエットは食べないことでしょう。運動とかサプリメントとか専門医だとかどんどん足していく以前にできることがあったのですね。人生にはそういう要素が多々あるものだと実感しています。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.24 13:40

 若い先生に「厳しくしなくても中学生が言うことを聞いてくれる秘訣は何なのですか?」と訊ねられたことがあります。いまの私は授業中まったく怒らないですからね。淡々と進めていくだけですが、生徒たちは静かに聞いています。中3生だけではなく中1のクラスもそうです。
 若い先生から見ると不思議なのでしょう。数年前、私の授業を計三回も見学された新人の先生がいらっしゃったのですが、見れば見るほど自分がどうしたらいいのかわからなくなるとおっしゃっていました。私は「それぞれのやり方でいいのではないですか」と話しました。自分も若いときは試行錯誤の連続でした。

 生徒が寝ていたらどうしますかと質問されたこともあります。なぜ私語がないのですかと質問されたこともあります。
 つまらない授業であれば生徒だって寝るでしょう。私も学生時代よく寝ました。つまらないからですね。毎回毎回生徒が寝るというのであれば、授業そのものがつまらないのです。どうするも何も教え方を工夫するしかありません。私語が多いというのも授業内容に問題があるのかもしれません。要するに面白くない。私語より面白く授業しないといけないということです。

 人間の器みたいなものも大切で、大人だって日々磨いていかないといけない。そういう姿勢は生徒に伝わるものです。
 たとえば私は「機嫌」というものを彼らに感じさせないように努めています。私の生活にもいろいろ波はありますが、生徒のまえで私が不機嫌なときはないはずです。自分が彼らと同じ立場のとき、不機嫌な先生というのを見かけました。子どもながら大人のくせに自分自身もコントロールできないのかよと思ったものです。

 また、普遍的な観点から語れるかどうかというのも大きな問題です。何かを注意するにしてもこれは大きな視点からアドヴァイスしてくれているなと感じさせるものがなければいけない。ちまちましているだけでは大人として尊敬されません。
 私は生徒と話すときにまず彼らの将来の理想的な姿を質問します。そこから見て現在の姿はどうだろう? いまのままでも届きそうかね? それとも何かを変えた方がよさそうかね? と質問する。○○をしろ、××はするなとは言いません。

 いまのきみの場所から世の中をよくしてくれーー結局はそれだけですね。そういういちばん大切なことを示さずに、仮にただ勉強時間を一時間増やして偏差値を5上げろなどと言っていたら、生徒はたちまち私から離れていくと思います。子どもは正直ですからね。
 
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.23 12:20

 1月11日のブログにアメリカのテレビドラマ「逃亡者」について書きました。今朝新聞を見ていたらそのDVDが発売されるという広告が出ているではないですか。とりあえず60話分出るみたいなので(ぜんぶで120話ではなかったかと)、買おうと思っています。吹き替えの声がそのままというところもいいんだなあ。
 80年代に深夜にやっていたこのドラマの再放送を一話残らずビデオに録画したことがありました。ただβだったのでその後再生することができなくなり、泣く泣く処分しました。

 その後も再放送されていた時期がありますが、そのときは忙しくてほんの数話しか録画できませんでした。おまけにいちばん気に入っている「さよならはいや」の前後編が入ったテープは見すぎて(?)切れてしまいました。
 そう、確かに「さよならはいや」というタイトルだったと記憶しているのですが、今朝の新聞のタイトルでは「さようならはいや」になっていました。私にとって「さよなら」と「さようなら」はずいぶん違います。

 さよならという表現にはちょっと軽めないい印象があります。さようならは改まっていて重いですね。別れたくないのにという切なさは、さよならの方が伝わる感じがします。
 2月28日のブログのタイトルを「NEVER WAVE GOODBYE」としましたが、それが原題です。やっぱり「さよならはいや」の方がいいなあ。

 あのドラマのテーマは「愛」だと書きましたが、それ以外にも孤独というものの美学を描いています。孤独に生きることの美しさみたいなものですね。私は思春期に本当にこのドラマに大きな影響を受けたので(もちろんそれだけが理由ではありませんが)、みんなでわいわい楽しそうにという状態に抵抗があります。皆さんが楽しそうなのがいやだという意味ではなく、自分の身はそこには置きたくないという気持ちです。
 ひとり旅のときにホテルのシングルルームから外のネオンを黙ってながめていて、どこかでこんなのなかったっけ? と考え、あ、逃亡者だなと苦笑するときがあります。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.22 13:20

 ときどき生徒と話していてご両親のことを全然尊敬していないなと感じるときがあります。尊敬していないので、たとえばおうちの方が「勉強しなさい」と口うるさくおっしゃってもなかなか従ってくれません。誰でもそうでしょうが、尊敬していない人から注意されても表面上従うだけのことで、人格の深い部分から変容が起きることはまずありません。こわいから、うるさいからはいはい聞いておこう程度でしょう。

 やはり自分のお子さんに理解=尊敬される努力は払わなければいけないと思います。理解できれば彼らは尊敬してくれます。私自身そういう努力だけはずいぶんしてきました。尊敬されるためというより人間的に理解し合えるために、私自身の人生観、価値観、美意識など折にふれ話してきました。人と違うから黙っていた方がいいとか大人の話だから隠しておこうとか一切考えませんでした。落ち着いた状態で抽象的な話もずいぶんしてきたのですが、子どもは案外そういう親の本音を熱心に聞くものだなと思ったものです。

 小学生ぐらいの世界は無邪気なので、お金のある家がすごい! と短絡的に考えてしまったりします。そうするとお金のある順番に偉い人という変な価値観ができてしまいます。
 私は自分がなぜこれぐらいの財政状態なのかということも子どもに話してきました。何をいちばん大切だと考えて生きてきたのか、その結果としてとりあえず現在こういう状態だが恥ずかしくは思っていない、しかしお前はまた全然べつの生き方を選択できるーーそんなことも話しています。
 どなたにも人生哲学とか美学があり、それに従って生きていらっしゃるはずなので、面倒がらずに説明してあげた方が安心してもらえるとも思います。

 面接をしていると次のような言葉が彼らの口から出てくることがあります。「うちの母親は自分の考えがなくて父親の言いなり」「父親はただ怒るだけで人の話を聞けない人」「不況だから医者になれと一方的に決められた」「名前のある学校に入れたいだけ」・・・
 高校生を教えていたころは生徒から「結局おやじは弱い男なんですよ」とか「おれに自分たちの希望を託してるだけなんじゃないスか」とか、どちらが大人だかわからないようなセリフが出てきて考えさせられたことがありました。

 何も特別なことをする必要はないのですが、ご自身の人生観みたいなものを伝える努力をされるだけで相手は誇らしく感じてくれるでしょう。何より自分の親を尊敬できる子どもは幸せだと思います。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

2010.05.21 13:30

 大学生の五人に一人だか四人に一人だかがなかなか就職できないという厳しい世の中になってきています。状況が少しでも早く改善していくといいのですが。
 Z会進学教室で私が授業を担当するようになってから十数年たちます。中学生だった彼らも次々と就職していくわけですが、いいところに勤めが決まり報告に来てくださるような生徒は(当時教えていたべつの教科の先生と話すと)やはり大人に非常にウケのよかった子が多いですね。「あの子は昔からいい子だったから」というような話になります。必ずしも「成績がいい子」ではないのです。単純にいい子というところに注目してください。

 テストの点数がいいのに内申がとれないと嘆く生徒(や保護者の方)がいてこちらも困ってしまうのですが、ときには他者に自分を認めてもらう努力がはっきり足りないと感じるケースもあります。他者と言っても全員が同じではありません。十人十色と言いますね。生徒の立場としては「全員」の先生にそれぞれ認めてもらえる努力をしているかどうかということが問題になります。
 人間ですからたとえ相手が先生であってももちろん好き嫌いは出てくるでしょう。場合によっては先生でも間違ったことをなさるかもしれない。それでもあなたが内申をとりたいのであれば、その間違った人にも認めてもらわなければいけません。

 素直さは大前提でしょう。ものを習う人間がものを教える人に対して素直でないというのは感心しません。熱心さとか努力とか礼儀正しさ、明るさももちろん大切ですし、それを相手に理解させる努力はもっと大切です。世の中には内申なんかどうでもいいよという人もいます。私自身はそうでした。そういう人の考え方を否定する気持ちはまったくありません。
 ただ私のように一生それで生きるのであればいいのですが、たとえば就職活動のときになって「どうして同じ大学で同じぐらいの成績なのに彼(彼女)と違って自分は認められないのだろう?」と苦しんだりする可能性があるのであれば、少しでも早いうちから自分を他者に売りこむ技術(?)を意識した方がいいとも思います。

 自然に「こいつはすごいやつだ」と感じさせることができればいいのですが、中学生ですとまだ未完成ですから、なかなかそこまで突出することは難しいと思います。
 以前も書きましたが、何もかも完璧ではじめて5がつきます。一つでもスキ(提出したプリントが汚れていたなどというのもりっぱなスキです)があれば4になってしまうでしょう。都立高校に関して言えば、上位校は本当に内申がとれないと入れなくなってしまいました。来年はもっと厳しくなりそうです。いまからでも十分間に合うので、いろいろと考えてみてください。
Tags :
幼児・小学生
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2010年05月   >>
            01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

新着記事

月別アーカイブ