2010.03.31 10:57

 生徒が教室に入ってきたとき、私はできるだけ声をかけるようにしています。講習期間は「おはようございます」とか「こんにちは」とか。ふだんの授業は夜なので本当は「こんばんは」なのでしょうが、習慣的に「こんにちは」と言ってしまいます。夜はさすがに「おはようございます」とは言わないですね。べつの職業みたいになってしまいますから。

 反応はじつにさまざまです。昔の子どもはむしろあちらの方から「おはようございまーす!」と大きな声で挨拶をしてくれたものですが、時代全体が内向きになったせいか、現在はそういう生徒は珍しいかもしれません。声を出すのが恥ずかしいとかいろいろあるのでしょう。
 ただ大半の生徒はそれなりの反応を見せてくれます。ちらりとこちらを見てうなずいてくれるので意志は伝わってきます。

 面白いもので、なかには声をかけられるのがつらそうな生徒もいます。私はむしろそういう子どもだったので彼らの気持ちはよくわかります。私は中学時代に「特定の人間以外には絶対に頭を下げない。挨拶もしない」と決めていたことがありました。声をかけられてもぜんぶ無視。これからは一生これでいくと本気で考えていました。我ながらあきれた屈折ぶりですね。

 ときどき教室で何か小さな問題が生じて(授業中にお喋りが多いとか)生徒を注意することもあります。すると中には反発してこちらが挨拶しても完全に無視を決めこむようなケースも出てきます。私はもう分別のある大人ですから、そういう生徒もただただ可愛いだけですよ。無視されてもいやそうにされても、絶対に声をかけることはやめません。
 受験が近づいてくると彼らは例外なくこちらを頼ってきてくれます。そんなときこちらからは一度も閉じないで本当によかったと強く思います。彼らにしてみればいつも声をかけられるので関係は続いていると素直に思うことができるわけですね。こういうことはご家庭でも大切ではないかと思います。
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2010.03.29 11:10

 Z会進学教室の講習では毎日漢字テストがあります。40個練習してきてもらい20個テストをします。はじめから知っている漢字もありますから、完璧にやってあれば20点とれます。少し油断をすると16点ぐらい、かなり油断をすると14点ぐらいでしょうか。
 私は漢字テストに必ずコメントを書いて返却しているのですが、もう何年も否定的な言葉を書いたことはありません。

 つまり「こんな点ではだめだ」とか「どうして練習しないのか」とか「さぼってばかりいると落ちるぞ」とか一切書いたことがないということです。考え方の問題であって、私はやみくもに自分が正しいと言いたいわけではありません。とにかく現在の自分(時代時代で考え方が変わってきています)はそういう形で生徒に接しています。
 では、点数が落ちてきた子にはどうするか。またはじめから練習してこない子にはどんな言葉を投げかけるか。

 相手によって当然違いますが、たとえば「そろそろ練習しはじめてくれるとうれしい」とか「以前いい点をとれていたからまたとれるだろうな」とかその程度ですね。仮に(そんな人はいませんが)0点であっても否定的なコメントは絶対に書きません。
 こういうやり方を続けてきて、どんどんやらなくなってしまう生徒は一人も見たことがありません。例外なく努力してくれるようになります。20点までいかなくても、はじめに10点だった子は14点ぐらいに、15点ぐらいだった子は18点ぐらいまで上がります。

 ときどき想像するのですがーー学校と塾を含めた全教科の全先生が徹底的に彼(彼女)を励まし、ご家庭の全構成員の方がやはり同じように決して否定的な言葉を投げかけず、社会全体が「育てよう育てよう」とひたすら努力すればーーまず絶対に努力しない怠惰な人間はできないでしょう。ところが現実問題として、それこそ「いまのお前は全然だめだ」とおっしゃる先生(もちろん悪気があるわけではありません)がいて、「お前なんか受かるわけないよ」とからかうご兄弟がいたりすると、彼らも反発や失望からどこかで努力を放棄してしまうケースが出てきてしまいます。

 もっとも世の中の仕組みがそうであっても、私は私なりの信念で育て続けようという意志を持っています。子どもを教えるということは大きな意味で育てるということなので、いますぐ変化が起きなくても、長い年月を経たときに何かしらよりよい方向に進んでいける肥料みたいなものは与えてあげないといけないと考えています。ご家庭の方も含めて一人でも多くの方がそうしてくださると彼らは救われるでしょう。
 ただ私も若いときはそんな風には考えられませんでした。難しいものだと思います。

 
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2010.03.28 10:45

 昨日、うれしいことがありました。Z会進学教室は昨日から春期講習がはじまっています。一日目に来てくださった中1生のご家庭から「今日子どもがとても楽しかったと言っているので講習のあと本科の方にも通いたいのですがどうしたらよいですか?」というお電話をいただきました。私自身が担当しているクラスだったので、たった一日英数国の授業を受けただけでそんなに気に入ってもらえたのかとうれしくなりました。

 授業中、私は一度その生徒を指名しました。ちょっと緊張したようにかすれ声で答えていましたが、内容は正解でした。自信を深めてくれたのかもしれないですね。
 Z会進学教室では今年から新中1生のために少しだけやさしめの1Kコースというのを開講しています。これまでは基本的に1Vというやや難しいコースしかありませんでしたが、そちらですと小学校だけで勉強していた方がちょっと苦戦されることがありました。

 きのう入会したいとおっしゃってくださったのは1Kクラスの方です。テキストもそうですが、私たち教える方もなるべく基礎のところからわかりやすく説明しているので理解しやすくて楽しく感じてくださったのでしょう。
 勉強の一つの側面は、簡単に言えば「わからないことがわかるようになる」ということです。そういう経験が積み重なっていくと勉強そのものが楽しくなります。わからないことがわかるようになるためにはある程度その人の現状に合わせた授業展開が望ましいわけで、Z会進学教室に1Kコースができた意味はとても大きいと感じています。

 一人で勉強されている方もやみくもに難しいことに手を出すよりは、自分のいまの理解に合ったものからスタートされた方が効果的です。わかることの楽しみに気づかずに学問を続けていくのは大人でも大変なことです。勉強なんかちっとも面白くない、何が何だかわからないことだらけだという方は思い切ってわかりやすいところから復習されるといいと思いますよ。
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2010.03.27 11:10

 以前も同じようなことを書いた記憶がありますが、私は朝が早いときでも自宅を出る二時間前には必ず起きるようにしています。本音を言えば三時間前に起きたいと思っています。Z会進学教室は今日から春期講習で私は少なくとも八時に家を出ないといけないので、五時か六時には起きることになります。

 息子にまで訊かれることがあるのですが、そんなに早く起きて何をしているのかというとーーおかしな話なのですがーー自分には何もしないでただぼーっとしている空白の時間というものが必要なのです。何もしないで音楽を流してひたすらぼんやりしている。場合によっては新聞に入っていたチラシをながめていたりするときもありますが、とにかく徹底的に何もしない。はたから見るとあまりにも動かないので、生きているのか死んでいるのか判別がつかないのではないかと思います。

 その余裕がないと死んでしまうというわけではありません。しかし、その手の時間を持たないとどうも一日がうまく展開していかない。ですから出かけるぎりぎりまで寝ていたという経験はもう何年も自分にはありません。
 以前は目が覚めると習慣でテレビをつけていました。時計代わりにしていた時代があるのですが、ついついのめりこんで見てしまう。すると「何もしない」時間とは言えなくなります。そこで朝のテレビは一切見なくなりました。

 ナマケモノという獣がいますね。ぼーっとしていてほとんど動かないので身体に苔が生えてしまったりするそうです。何かの本には弱肉強食の動物界をあれだけ怠惰な生物が生き延びていける理由はよくわかっていないと書かれていました。
 ときどき自分にもそういう要素があるような気がします。ただぼーっとしているだけなら寝ていても同じじゃないかと言われそうですが、自分はいま何もしないでいるという意識そのものは大切だったりするのです。

 
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2010.03.26 13:10

 昨日、昔の話を書いているうちに変なことを思い出しました。
 高校二年生のとき修学旅行に行きました。一週間ぐらいかけて九州をまわったのかな。自宅に戻ると机の上に母親からの分厚い手紙が置いてありました。何だろうと思って軽い気持ちで読んでみたのですが、これがけっこう深刻なことが書かれています。

 要するに「立ち直ってくれ」という内容でした。立ち直ってしっかり勉強をしなさいと。自分たち夫婦はあなたを私立の幼稚園→私立の小学校→私立のそれなりの中高一貫校に入れて応援してきたつもりだ、ところがあなたは一緒に進学した○○くんや××くんと違って遊んでばかりいる、すっかり堕落してしまって以前の優秀な(?)姿は見るかげもない、嘆かわしいという意味のことが切々とつづられていました。

 そう言えば、あなたは色キ○ガイのように毎日いろいろな女の子と電話しているが男子校に進学させたのに病気としか思えない・・・みたいなことも書かれていましたよ。一日中洋楽ばかり聴いていったい将来はどうするつもりなのか。
 うーむと思いましたよ。なるほど自分はこう見えているのかという感じでした。

 仮に当時に戻れば私はまったく同じ道を選択すると思います。私は何かしら芸術家になるつもりで生活していましたから、そういう仲間は進学校にはいないので彼らの生活と自分の生活が違っていることに疑問を抱きませんでした。いつまでも○○くんや××くんと同じ道を行ってたまるかという気概もありました。
 女の子に関してはーー時代も時代でしたから複雑な関係はありませんがーーできるだけたくさんの友だちがほしいといつも考えていました。同性と話しているときとは全然違うインスピレーションが得られるからです(この気持ちは現在も変わりません)。

 中学高校の六年間というのはいろいろ価値観が変動する時期です。自分の息子を見ていてもそう思うのですが、本人の資質に合った生き方というものがあるのではないでしょうか。そのあたりはご家庭全体で柔かく考えていくことができる環境にあるのが望ましいのではないかと思います。その過程で勉強や進学をどうするかとか男女交際をどう考えるかとか将来は何になりたいのかとか、いろいろ出てくるでしょう。それもまたあまり難しい顔をせずに話し合えるのがお子さんにとっても幸せなのではないかと思います。

 母はーーおかげさまでーー病身ながらいまも生きています。ときどき「あなたはいい息子だ。私の子育ては間違っていなかった」というようなことを言うので苦笑してしまいます。
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2010.03.25 13:35

 もう三十年以上も昔の話です。
 当時、私が使っていたバス停にものすごい美少女がいました。バスは何種類か止まりましたが、私たちは同じバスを使っていました。どう形容したらいいのかわからないほどの美少女でーー芸術作品みたいな感じとでも言えば少しは伝わるのでしょうかーーアイドルらしさとかかわいらしいというのとは根本的に違っていました。こういう書き方をすると誤解されそうですが、生き物という感じがしないぐらいの厳格な美しさでした。
 
 私は中学高校の六年間そのバス停を使用していました。で、いろいろわかってくるわけです。彼女が現れると周囲の男子学生が凍りついたようになる。意識しないわけにはいかないですからね。
 二度ほど果敢にも話しかけた男の子がいました。いや、一人は男の子ではなくいい大人だったように記憶しています。彼女はほとんど反応しませんでした。相手にしていないのですね。

 彼女が歩いてくる道は太陽が高く昇っているので、逆光のなかをゆっくり進んでくる感じになります。ゆっくり、非常にゆっくり歩いてくる。栗色がかった髪のかすかなほつれの部分が金色に光っています。彼女はバスが来ていても走ったりしません。私は本当は同じバスに乗りたいのですが、一台やりすごすわけにもいかず味気ない思いでバスに乗りました。
 彼女と出会ったおかげで私は人間の外見の美しさについて非常に深く考えるようになりました。どう考えても釣り合わない自分。努力してもどうにもならないことが世の中にはあるのだと打ちのめされたような気分になったものです。

 男の人についてもものすごくきれいだと思った経験があります。デビュー直後のレッド・ツェッペリンのロバート・プラントーーいまもyoutubeで1969年ごろの白黒の映像を見ることができますがーーは息を飲むほど美しいと思ったものです。こういう男の人だったらバス停の彼女とも釣り合うかもしれないとよく考えました。
 ロバート・プラントはその後劣化してしまった感がありますが、彼女はどうしているだろうと考えることがあります。彼女は私の存在にさえ気づかなかったでしょう。しかし自分にとっては何かしら恩人だという気持ちがあります。
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2010.03.23 13:40

 Z会の教室は池袋に二つあります。大学受験を目指される方の教室と高校受験を目指される方の教室ですね。私がいるところはZ会進学教室といって高校受験生のための教室です。
 ときどき中高一貫校に通われる私立中学生や保護者の方が間違えてこちらにいらっしゃるのですが、私立の一貫校生であれば大学受験を目指されることになりますから、もう一つのZ会東大マスターコースという方に通われることになります。
 
「でも、うちは東大を受けませんよ」という方もいらっしゃいます。Z会東大マスターコースというのはあくまでも名称であって、受講生全員が東大を目指されているわけではありません。私立大学を目標にしていらっしゃる方もたくさん通われています。
 駅に近い方ーーパルコの隣、マクドナルドの入っているビルの四階ですーーにあるのが中高一貫校生のためのZ会東大マスターコースです。

 私のいるZ会進学教室は駅から少しだけ離れたところにあります。東口を出るとUFJ銀行が見えますが、その右脇を入っていくような形ですね。遠くに「Z会の教室」という大きな看板が出ているのですぐにおわかりになると思います。ビルの六階ぜんぶが教室になっています。
 ここは非常に警備のしっかりした建物で、夜の十時には出入り口の鍵が全部閉まります。エレベーターの中にも監視カメラがついていまして警備の方がずっと確認しているので、不審者は一切入ってこられません。そういう意味で私たちも安心していられます。

 授業の内容がそんなに違うのですか? というご相談もよく承ります。高校受験の教室はあくまでも高校受験に出てくる範囲を勉強しています。むやみに高校の内容を先取りしたりはしません。私立の一貫校は高校の内容を中学のときから勉強していますから、その場合はやはり先取り学習をしている東大マスターコースの方が適しています。
 もっとも先取り学習をしていないからといってレベルが下ということはまったくありません。学習するべき範囲は狭くてもこちらはそれだけ緻密にやっているということですね。ときどき私立中学の方が気まぐれに高校受験用の模擬テストを受けられて、あまりにもできていないのでびっくりされることがありますが、何年分も先に進んでいても緻密にやっていないと穴だらけで得点に結びつかないということがよくあるのです。

 置かれている立場によってそれぞれ正しい勉強の作法があるということですね。適した学習をしてくださればすべてうまくいきますので、どうかご安心ください。

 
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2010.03.22 10:34

 昨晩、八万人目の方が入ってくださったようです。どうもありがとうございます。
 昨日は池袋教室で合格祝賀会というのをやりました。簡単に言うとパーティーですね。中3生全員が集まってくださるわけではありませんが、今年は半分以上の生徒が来てくださいました。第一志望に合格できた人もいればそうではなかった人もいますが、ともかく無事に高校進学が決まってよかったと思います。ささやかな飲食の場を設け、ビンゴゲームでこれまたささやかな景品をさしあげました。

 ああいうパーティー会場を見ていると面白いですね。ひたすら食べている人がいます。ひたすら友だちと話している人もいる。同じ「ひたすら話す」にしても大勢の友だちと話す人もいれば特定の相手とだけ話し続ける人もいます。また、ただぼーっとしている人もいる。ああいう席が苦手なのですね。それでもあえて来てくださったのでしょう。
 私は自分がそういう「ただぼーっとしている」タイプの少年だったのでよくわかるのですが、こんなところに来るんじゃなかった、誰も自分のことなんか気にかけちゃいないんだ、とあれこれ思いつめていたこと自体があとですごく役にたちました。本当の自分というのはそんな風にして見つけていくものなのではないでしょうか。

 私もはじめはそうやって波に乗れない(?)自分を責めました。おれはどうも社交性がないなあ、もっとみんなの中に自然に溶けこんでいけるようにならないと将来面倒なことになりそうだぞ・・・というような強迫観念を抱いたものです。で、もうちょっと大人になってからは少しだけむりをしました。でもやっぱり本質は変わらないものです。ある時点から自分はこれでいいのだ、パーティーそのものを苦痛に感じる人間であり、出席しているときはただぼーっとしているだけでいいのだとある種開き直りに近い確信を抱くようになりました。いまでは自分の長所はこういうところにあるのだとさえ思っています。

 だからこそ、私にはあなたの気持ちがよくわかります。あなたというより、ああいうところでどう振る舞ったらいいのか困惑している人間の気持ちがよくわかる。そしてそれはパーティー会場だけの話ではないですね。社会全体でその時々どうしたらいいのか混乱している人の気持ちがそれなりにわかります。自分で言うのも何ですがーー将来のあなたのためにあえて言ってしまえばーーこれはすごい能力ですよ。それもこれもあなたぐらいの歳からいつもいつもああいう席で困惑していた経験があったからです。

 いまのあなたのままでいいのですよ。克服すべきものは何もありません。もちろんあなたが別の生き方をしたいのであれば克服することもできますし、それはそれで意味のあることだと思います。ただいまのままでも大丈夫であるということだけは覚えておいてください。
 何かがうまくいかないときは、それは逆に何か大きな才能の裏返しであることが多くあるものです。

 

 
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2010.03.21 10:50

 小学生のころーーあたりまえですがーー友だちが何人もできました。そのうち特別親しくなった子とは(異性の方が多かったかもしれません)、学年がかわってからもいつまでも友だちでいようね、中学に入ってからもずっと友だちでいようねと何度も何度も誓い合ったものです。しかし、現実問題として彼らとの関係はその何ヶ月かだけで終わってしまいました。

 寂しい感じもしますが、いまの私は親しくなった人間関係をずっと維持しておくべきだとは考えていません。終わるときは終わればいいという気持ちがあります。終わらせないということだけを目的にして、調子が合わなくなってもむりに頻繁に会ったり親しくしようとしたりする必要はないと思っています。終わる関係であれば終わらせてしまう方が健全ではないでしょうか。

 逆にこういうこともあります。先日、二十年まえに教えていた生徒(当時は小学生)からこのブログがきっかけで連絡がありました。よく連絡をくれたものだと思います。そういうのはまた何かの縁なのでしょう。
 消えていく人間関係もあれば新しくできる人間関係もあります。さらに復活する関係もあるということですね。

 昨年、私は大学時代親しかった友人から十五年ぶりに連絡をもらいました。それからまた彼とは親しくつきあっているのですが、私たちはべつに十五年前何かがあって別れたわけではありません。しかし、そのときは自然につきあいがなくなることこそが正しい選択だったのですね。もう一度つきあいがはじまるかどうかは誰にも予想できず、お互いの成長とタイミング次第みたいなところがあったのだと思います。

 親しかった人間が何となく離れていってしまうと寂しい感じがするものですが、それはお互いの成長の方向が違ってきたということなのでしょうから、素直に彼らの新しい世界での幸福を祈りたいと思っています。
 ときどき彼らの夢を見ることがあります。どうしているかな? と気になるときもありますが、それぐらいの関係が自分には幸せなのかもしれません。 
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2010.03.20 12:25

 小さいころ、絵を一分間だけ見て覚えているかどうかテストされたことがありましたね? どこかで一度ぐらいやっているはずです。幼稚園の敷地の絵を見せられます。一分たつと絵を裏返しにして大人の人が「さて、砂場では何人の子どもが遊んでいたでしょう?」と質問します。もうちょっと突っこんだ質問もありました。「すべり台に乗っていた子の帽子は何色だったでしょう?」

 すらすら答えられる子となかなか答えられない子がいます。なかなか答えられない人はたくさん覚えている人を見て「あの子は特別頭がいい」と思うわけですが、こういうのは覚え方にコツがあるのです。工夫次第で誰でもきちんと覚えられるようになります。
 簡単に言えば、視覚だけに頼っていてはだめということですね。何となく絵をながめているだけでは覚えられません。それは大人でも同じです。

 たとえば小さな声で「砂場には六人」と呟いてみたらどうでしょう。すべり台に乗っている子の帽子は緑色と呟いてみたらどうでしょう。さらに小さく指先で「6」という数字をなぞってみたらいいですね。ついでにみどり、グリーンと書いてみましょう。質問に何が出るかはわかりませんが、そうやって工夫しておけばただ見ているときよりも格段に記憶に残るはずです。
 記憶の得意な子というのはーー多くは周囲の誰かに教えられてーーこういう方法論を身につけています。できるというのは単純にそれだけのことです。

 さて、あなたは幼稚園児ではありませんね? ただあなたの日常生活において覚えておかなくてはならないことはたくさんあるはずです。砂場に何人などという質問より格段に難しくなってきているでしょう。まさか漠然とながめているだけで覚えられるとは思っていませんね?
 覚えたいことは少なくとも声に出しましょう。紙に書きましょう。ここが原点です。あとは回数だけですが、繰り返していくとだんだん少ない回数で覚えられるようになります。頭のいい悪いは関係ありません。繰り返してみてください。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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