2010.01.31 10:35

 一月も終わりです。今日で連続221日記事を書いたことになります。一回二百字~四百字ぐらいでしょうか。作文用紙にして百五十枚以上書いてきたことになりますね。いっぺんにはとてもこんなに書けませんが、毎日コツコツ積み重ねてきましたので何とかなりました。そういうところはみなさんの勉強と同じです。

 ずーっと昔の記事にある偉い人の言葉を書きました。「食べることが幸せであるのなら(多くの人にとってはそうだと思います)人間は日に三回も幸せになれる」という意味の言葉でした。毎日毎日三回ずつ幸せを噛みしめることができるのはとてもいいことです。人によっては二回というケースもあるかもしれません。同じ幸せになるのでしたら二回より三回の方が得みたいな気もします。

 おうちでご飯を食べるときは基本的には皆さん同じものを食べているでしょう。お父さんだけ違う? 私の家みたいですね。私はいつも豆腐ばかり食べています。子どもにまでそんな食生活を強要するわけにはいきませんから彼はべつのものーー肉とか魚とかーーを食べています。
 ただそんな変な(?)お父さんは珍しいかもしれません。みなさんのお宅はどうですか?

 他の人が食べている順番を真似してみたことがありますか? 私は小学生のころそういうことをするのが大好きでした。とくに祖父や祖母が来ているときに完全に同じ順番で同じご飯、同じおかずを食べてみます。するとかなり違和感があります。うん? ご飯のあとにこのおかずにいくのか? という感じ。両親や妹の食べ方を真似してみても変な感じが残りました。

 自分なりのリズムがあるわけですね。その後もときどきこの方法を思い出して誰かと食事をするときに真似してみることがあります。大人になって大勢でお酒を飲むようになってからは、集団のなかのあの人この人と同じ順番で料理やグラスを口に運んでみるときもあります。するとやはりあれれ? となります。そんなところにも個々の個性が出てきます。
 今日もゆっくりーー幸せを噛みしめながらーーご飯を食べてください。眠れなくても全然心配ないですよ。多少の熱が出たって大丈夫。私の経験ではそういう人たちはかえって合格率が高いような気さえしています。
 
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2010.01.30 12:55

 試験目前ですね。
 子どもたちはけっこうご家庭に気を遣っているものです。自分のせいでご家庭の雰囲気が悪くなってしまうのが耐えられないというような話は何度も聞いたことがあります。で、何とかいい子を演じようとして疲れ果ててしまう。成熟しているはずの大人側がもっと気を遣ってやらないといけないなと思うこともあります。

 手をとるか肩を抱くかして「合格でも不合格でも愛情はまったく変わらないから安心して受けてきなさい」と言ってあげてください。また「合格でも不合格でも今後は同じ量の努力が必要であり、本質的な何かが変わるわけではない」ということも伝えてあげるといいでしょう。
 人間だから一時的な気持ちの高揚・落ちこみみたいなものはあるとしても、同じ団欒、同じ笑顔、同じ愛情に溢れた家庭であり続けるという強い意志を示してあげると彼らは安心できると思います。

 そんな風に思えるわけがないとおっしゃる気持ちもわかります。ただ、親の子に対する愛情が商取引のようであっていいのだろうかということはときどき考えます。これだけのことをしてくれたら大切にする、だが、これこれの結果を残せなかったら腹立たしいというのでは落ち着けないのではないかとも思うのです。
 大人でもそうですね。こんな例は変なのですが、たとえば私が息子に「お父さんはどうして○○さんより給料が低いんだ。もうちょっと欲を持ちなよ。給料で結果が出たら尊敬するからまず結果を出してよ」などと言われたらちょっと考えこんでしまうのではないかと思います。

 彼らは子どもなりにお互いのご家庭の情報交換をしています。ときどき「○×くんのおうちの人はりっぱだなあ」などという会話を小耳にはさむこともあります。
 ご両親が愛情に溢れた尊敬できる人間であることを彼らはとても誇らしく思うはずです。
 
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2010.01.29 10:15

 私の子どもはこのブログを読んでいないので、まあ書いてしまいますか。 
 私が息子を授かったのは四十歳近くになってからでした。家内も同じようにある程度歳をとっていたので、彼が幼児のときはそれはそれは大切に育てました。大切にしすぎたせいで他者と接する機会がほとんどなく、幼稚園のときには登園拒否というのでしょうか、行けなかった時期があります。

 行かなくちゃだめなんだよと話してきかせると涙をためてうなずくのですが、家内が園に置いて帰ろうとすると泣き喚きます。そのうち朝自宅を出るときもいやがって抵抗するようになり、私がむりに抱えて置いてきたりしました。先生は「連れてきてください」とおっしゃるのですが、あまりにもいやがるので何だか虐待(?)しているみたいな暗澹たる気持ちになりました。あれこれと心配したものです。この子は一生引きこもりのような形になってしまうのではないか? それならそれでいいとまで覚悟を決めました。

 そういうときは祈るわけです。勉強なんかもうまるでできなくてもいいからとにかく人並みに学校に行けるようなってほしいと。家内とも話し合い、できるだけ友だちを作らせて外で遊ばせるようにしました。紆余曲折はありましたが、親しい友だちができると幼稚園に行けるようになりました。そして小学校はまったく抵抗なく通えました。
 公立の小学校を選んだのもーー私自身は私立の小学校に通っていましたーー少しでもたくましくなってほしいという気持ちがあったからです。学校から帰ったらすぐに近所の友だちと遊んでくれたらいいと思いました。

 実際、勉強はできなくても元気な子になりました。小学校ではときどき暴れて私が呼び出されたぐらいです。母親ではいくら注意しても埒があかないのでお父さん来てくださいと。私はそんな風に息子が元気になったのがむしろうれしく、先生に叱られても自宅に帰ると「男は暴れるぐらいでいいんだ」と息子を褒めていました。あれは先生にも申し訳なかったな。

 ああいう経験がなかったら普通の親程度には子どもに勉強を強制していたのではないかと思います。子どものときの習慣が大切ですからね。でも、ごくごく平凡な一都立高校生の息子を見てーー本人はどこかしら大学には進学したいと言っていますがーー本当に元気に育ってくれてよかったと神さまに感謝するときがあります。彼もさすがにいまは暴れたりしませんし、お年寄りに親切だったりするのでこれでよかったのだと思っています。もうちょっと女の子にもてるといいかな。私が彼ぐらいのときは女の子のことしか考えていませんでした。
 
 

 
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2010.01.28 13:15

 学校のことを書くときはかなり気を遣います。私は基本的に学校の先生は偉いものと定義していますし、息子にもそう言い聞かせてきました。どういう形であれーー何か疑問に感じたことがあってもーー学校において先生という存在はひとまず絶対だと認識しておきなさいという感じでしょうか。個々の事例についてあれこれ問題視しすぎると結局本人の姿勢が定まらないような気がするのです。

 それでも現実にこういうことが起きているということは知っておかれてもいいのかなと思ってこれを書いています。
 池袋教室のある生徒、高校は一流の都立高校(具体名は出しません)を狙っています。一流の都立高校は英数国の問題を自分の学校で作るケースが多いのですが、そういう高校を志望しています。現在はまだ中2なのでこの一年間が勝負ですが、彼ならきっと乗り切ってくれるだろうと私は信じています。

 学校で面談があり、高い都立高校に行きたいとおうちの方が告げたところ、担任の先生が「そういう特殊なご希望は学校では面倒見切れないので塾に話してください」と言われてしまったそうです。「特殊」という呼称がショックだったとおっしゃっていました。うちの子は「特殊」ということになってしまうのでしょうか・・・と。それはそうだと思います。

 公立中学は部活部活で中1中2生は夏休みもほとんど休めないぐらいなのですが、そこまで忙しくするのは、生徒たちを登校させることで非行化から守るという狙いもあるそうです。確かに毎日部活の練習で登校していれば髪の毛を染めたりするヒマがありませんから効果的だとは思いますが、非行化どころか高度な受験勉強をしたい、塾の講習にぜんぶ通いたいという子にとってはかなり負担になります。
 部活を休んで塾に通いたいと先生に訴えてもだいたいは「自分一人だけよければいいのですか?」と却下されてしまいます。

 先生によっては「誰も中1からそんなに勉強していませんよ」とおっしゃったりするのですが、その「誰も」の中に私立生は含まれていません。しかし、いずれは私立の方と同じ空間で大学を受験することになります。注意しておかなければならないことはいろいろとあるような気がします。
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2010.01.27 11:30

 昔より医療がはるかに充実してきているのに病人は増えていますし新しい病気もたくさん出てきています。またベルリンの壁が崩壊して世界はやっと平和になったと多くの人が喜んでいたのに、現在は以前にも増して世界のあちらこちらで紛争が勃発しています。これはどうしたことでしょう?
 一つの考え方として、まずいところに焦点をあてすぎているせいだという説があります。この病気を何とか克服してやろうという意志、戦争は絶対に起こさせないという意志がかえって悪いものを引き寄せてしまうと言うのですね。こわがってばかりいるといじめっ子に標的にされたりするのと同じ原理でしょうか。

 この説が正しいかどうかは人それぞれの判断だと思います。ある聖人(と呼ばれている人)が、反戦運動には協力するつもりがないが平和運動には協力したいと言ったなどという記事を読んだことがあります。なるほどそういう人にとっては「反戦運動」と「平和運動」は同じようでも明確に焦点のあて方が違うということなのでしょう。

 しかし、こと勉強に関してはこの説は正しいように私には思われます。できない勉強を何とかしなければというのと勉強ができるようになりたいというのでは、似ているようで違う部分が多々あります。できないものを何とか克服しようという形でーーたとえば苦手科目ばかりやっているとーー得意だった科目も何となくどんよりしてきてしまうというケースはこれまでにもたくさん目撃しています。
 優秀な先生がついて一生懸命教えてもご本人が「できないできない」と考えているとなかなか点数が上がらない。できないという自己イメージが強すぎるのですね。相撲でも何でもそうでしょうが、弱い弱いと自分で悲観している力士が勝てるわけがありません。

 いっそのこと得意科目でうんと稼いで、できない科目は基本問題だけさーっとやって自分も総合的にはけっこういける方なんじゃないか? という自己イメージを持っている方が確実に伸びていきます。
 あなたは勉強ができますか? と訊かれて何と答えるか。だんだんできるようになってきたし、もっともっとできるようになりたいものですと素直に答えられるかどうか。深刻な泣きそうな顔で「何とかしないと大変です」という人は焦点のあて方をちょっとずらしてみてください。いつからでもできることです。あなたは「勉強ができない」のではありません。「勉強ができるようになりたい」のです。そういう人間として机に向かいましょう。定義の違いは大きいですよ。
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2010.01.26 13:20

 試験の日は落ち着いて・・・と言われるとかえって落ち着けなくなってしまう人もいるでしょう。大切なことは「落ち着けない自分でも受け入れる」ということです。こんな状態ではだめだと絶対に自分を責めない。こういう感じになったのだからこれはこれで何かいいこともあるのだろうぐらいの好奇心を持ちましょう。周囲の人に何を言われても(この状態で自分はいいのだ)と強い自己肯定の気持ちを持ってください。

 私は不思議な世界の話に詳しいのですが、そういう話をほかの人に押しつけようと考えたことはありません。ですからここからはあなたがおもしろそうだなと思ったら試してみてください。
 落ち着かなかったら、自分が黄色い炎に包まれているところを想像してみてください。これは宗教ではありませんからあなたが何を信仰されていても問題ありません。黄色いオーラというのは知性を象徴します。自分がそういう色を放っているとイメージすると周囲にも何だか知らないがすごい人がいるぞという感じを与えます。

 駅から学校までの道を歩きながら黄色い炎を想像してください。間違いなく落ち着いてきます。試験会場にはいろいろな人がいます。一教科終わるたびに「超簡単だった!」と友だちに報告している人がいます。本当に力のある人はわざわざそんなことを発表しないものです。発表せずにいられないところに、人間の弱さが透けて見えてしまいます。
 試験開始から三十分もたたないうちに「できた!」と小さな声で呟いたりする人もいます。周囲の人はびっくりしてがたがたになります。そんな戦術を教えている塾があるという話を聞きました。

 「三十分もかからない」「超簡単な」問題を志望校の先生が作るわけがないでしょう? そういうはったり(わかりますか?)を目撃したら、とにかく自分は知性という大きな炎に包まれている、それだけで大丈夫なのだと固く念じてください。
 おおげさなことを言えば、あなたが生きた道がそのままあなたの理想の人生となっていきます。合格も不合格も生きた道です。あなたがしっかりしてさえいれば、すべてはあなたという人間が理想の姿になるためのかけがえのない糧になるはずです。
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2010.01.25 13:25

 私が現在住んでいるマンションには畳の部屋がありません。最近、ときどきむしょうに畳に寝転がりたくなります。二十代で実家を出てからこれまであちらこちらを転々と(?)していますが、畳のない住まいというのは二度目です。実家に行けば畳の部屋はあるのですが、わざわざ寝転がるためだけに出かけていく気持ちにはなれません。

 ずっと昔、もう亡くなってしまった叔父が同じようなことを言っていました。彼はそれなりに地位のある人物で、自身のことを企業戦士と称していました。出張に継ぐ出張で、ホテルからホテルへと飛び回っていると畳の部屋がむしょうに恋しくなるそうです。そこでときどきむりにそういう旅館を見つけて泊まる。「蒲団から手足が出たときにふと畳に触れる感覚がいいんだな」当時は私もまだ若かったので、変な話だなと気にもとめていなかったのですが、何となくわかるようになってきました。

 私は荻窪駅か西荻窪駅から電車に乗って教室に来るのですが、途中阿佐ヶ谷駅と高円寺駅のあいだにいつも障子を開け放っているお宅があり、ちらりと畳の六畳間が見えます。毎日毎日そこを通るたびに「あー、あそこに寝転がりたい!」と思います。変ですかね? いっそのこと畳を二枚だけ買ってきて部屋に敷いて寝転がるという高等戦術もちょっと考えたのですが、子どもに心配されるような気がして思いとどまりました。

 アンチエイジングという言葉があるぐらいで、歳をとることを嫌がる方が多いような気がしますが、畳のよさなどというものは若いころは全然わかりませんでした。ナスやしいたけ(子どものころは苦手)のおいしさとか何ということのない散歩の楽しみとか古い街並みの美しさとかお燗した日本酒のよさとか、ぜんぶ歳をとってから気づいたものです。
 そういう意味ではこの先、まだまだおもしろいものが見つかるのではないかと期待しています。歳をとるのもなかなかよいものです。
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2010.01.24 09:50

 十二月二十四日に面接については一度書きましたが、推薦入試などもありますからもう一度別の視点から書いてみます。
 人間関係のところで述べましたように、対話する相手は(ああ、何て自分のことを理解してくれているのだろう!)と感じたいという気持ちを持っています。それは相手が「学校」であっても同じことで、うちの校風をじつに深く理解してくれていると担当の先生は感じたいと考えていらっしゃるはずです。ここまでわかってくれているのなら入ってもらっても十分にやっていけるだろう・・・と。

 仮に第一志望でなかったとしてもその学校のことは深く調べていくことです。難しく考えすぎずにその学校を好きな理由を三つぐらい見つけてください。とくにその学校が誇りにしている部分(英語教育とか情操を育むとか大学進学に強いとか)のどこに惹かれるかよく考えてみましょう。
 次に「合格したらどうしますか?」という質問には「勉強」と答えてください。相手の先生は(わかっているなあ)と感心なさるはずです。上の学校に上がっていくということは定義的にもより難しい勉強をしていくということだからです。部活などは勉強のあとにつけ加えてください。

 口下手な人というのがいます。心配ないですよ。たとえお喋りではなくても圧倒的な存在感を持つ人はいくらでもいます。そうあるように努力しましょう。私にはこの学校に進学するだけの価値があるのだと強く思いなさい。私がここに入ることで、いずれは学校が感謝するレベルの人間になるのだと強く信じて行くといいですね。いま私をとっておかないと後悔するぞという気持ちが大切です。

 そんな風にはとても思えないですって? 
 しかし、あなたはいずれあなたという人間の最高度までのぼっていこうと考えてはいたはずですよ。最高に幸福になるつもりだったのではないですか? では、これをその第一歩にしてみたらどうでしょう。どこかに第一歩があります。いつかではなくいまそうしたらいいと思いますよ。
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2010.01.23 12:20

 ある週刊誌に中学入試のことが出ていました。小学生ご本人ではなくおうちの方が読まれたのではないかと思います。そこにはーー簡単にまとめるとーーたとえ私立中学に入学しても超一流大学に合格できるのはほんのひと握りの生徒だけである、とくに中堅校はそうだと書かれていました。「えっ?」と衝撃を受けられた方も多いかもしれません。

 安心してください。以前も書いたように中学に入ってからもいままでと同じように勉強を続けていれば心配ありません。ほっとしてやらなくなってしまう生徒がそれだけ多いのです。一年間はゆっくりしようとか半年間は趣味に打ちこもうとか、そういう形にならなければ大丈夫です。
 ある意味で勉強が嫌いな子には気の毒ですが、本気で超一流大学に入ろうということであれば、合格したその日から勉強するぞ! ぐらいの気合いがないといけないのです。高校受験生でも聞く話ですが、高校に入ったら受験勉強のときよりも勉強時間がのびたなどというケースはざらです。

 油断せずに勉強を中心にした生活を組み立ててみてください。いま何時間勉強していますか? 中学に入って部活やその他の活動に熱を入れるにせよ、勉強時間だけは確保しないといけません。逆に言うと、そこまで勉強している人がほんの「ひと握り」ということです。あとはご本人やご家庭の覚悟や方向性だけです。いろいろな考え方があっていいのであって、私はーーあたりまえですがーー皆さん全員が医学部や国立大学を目指す必要はないと思っています。

 東京では合格したその足ですぐに塾を探す生徒もたくさんいます。落ち着いてください。それをやりなさいという宣伝ではないですよ。ただ私が東大マスターコースで私立の一貫校生を見ていたときには、中一でも週三回とんでもなく遠くから通ってきてくれている生徒がいたりしたのも事実でした。彼らはそうやって人よりも勉強するという鋳型に自分の生活を慣れさせてしまうわけですね。塾に通わなくても同じような鋳型で自分自身を鍛える必要はあるでしょう。
 合格したあとでいろいろ考えてみましょう。
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2010.01.22 11:25

 大学時代、私はちょっと対人恐怖症のようなところがありました。いまから考えると変な話なのですが、どうにも人と話すのが苦痛で、友人もほとんどできませんでした。ものを書く仕事につきたいと考えたのも、他者との関係がうまくいかなかったので複雑な人間関係から逃げだしたいという情けない動機が混じっていました。普通の勤め人(?)にはとてもなれそうにないと考えたのです。

 人間、生きていくためには知力か体力か感性か、どれかで勝負するしかありません。頭があまりよくなければ身体が頑強であるとか、身体が弱ければ感性が鋭いとか、鈍感であれば熱心に勉強するとか、要するに三つの中のどれか一つ秀でている要素で勝負していくしかありません。
 もちろん中には頭もよくて身体も丈夫なうえに容姿抜群、感性もとても鋭いなどという特別な人もいますし、あるいは努力でそうなっていく人もいますが、一般的には自分の得意な分野で勝負できればいいのではないかと思います。

 たとえば自分の息子は勉強はあまり好きではないですし身体もとくに強い方ではないので、私と同じで感覚的なもので世の中を乗り切っていくしかないと考えることがあります。ただこの感性というのは非常に複雑で、どのようなトレーニングを積みどのような手段をとったら伸びていくのか判然としない部分があります。好きなことをやった方がいいでしょうし、情という意味でもいろいろな経験を積んだ方がいいのでしょうが、それだけで感性が鋭くなるわけではありません。感性を頼りに生きるというのは、イチかバチかみたいなところがあります。

 現在の私はいちおう頭を使う仕事についていますが、じつは自分が生徒と接していく中で、あるいは授業を展開していく中で、いちばん役にたっているのは自分なりの感性だと感じます。国語の問題を説明するときでさえ、知的なもの以上に感覚的な何かが出ていると感じるのです。相手に伝えていく能力なども含めてですね。あくまでも私個人の場合ですが。
 ですからーー何が言いたいのかというとーー皆さんもとにかく得意な分野は伸ばしておくとよいでしょう。そうすれば直接的にではなくても、何かべつの形で人生を応援してくれることになります。こんなこと得意でも入試に役立たないや・・・ではなく、得意なことは遠慮なく伸ばしておいてください。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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