2009.12.21 12:05

 今日は自宅からです。先日の記事にも書きましたが、年末年始Z会進学教室は冬期講習やら正月特訓やらで大変忙しくなります。今年はあと一日どこかでお休みをとってそれで私の休暇は終わりです。
 休みの日もこうしてブログを書いているわけですが、じつはこのブログをはじめるにあたって「毎日必ず書きなさい」と言われたわけではありません。そこは私自身が仕事の忙しさをいろいろ判断してなるべくたくさん書きなさいというお話だったと記憶しています。

 ただ対象が受験生の皆さんということは、基本的に「毎日」休まずに勉強に励んでいる方が読んでくださっている可能性があります。となるとこちらもやはり「毎日」何かしらメッセージを載せるのが礼儀ではないかと考えました。そこで半年近く毎日あれこれと記事を書いているわけですが、これがなかなか思ったよりも大変でした。はじめのうちはいくらでもお話があったのですが、最近では書く材料に困ってしまう日も出てきました。

 明け方はっとして目が覚めるときがあります。「今日はブログを更新するのを忘れたのではないか?」で、冷静に考えてそんなことはなかったと思い出し、安心してまた眠りにつきます。また変なブログを書いてしまったという夢を見ることもあります。先日は「リッチー・ブラックモア」というタイトルの記事を書いてしまって後悔する夢を見ました。リッチー・ブラックモアというは有名なギタリストなのですが、あんまり受験生の皆さんとは縁がなさそうなので、どうしてそんな記事を書いたのだろうと悩む夢でした。

 帯状疱疹にかかったときは仕事が休みの日、夕方まで発熱と痛みで文字通り起き上がることができませんでした。それでもがんばってブログは更新しました。8月2日ですね。いま読むと病気だったなということがわかります。
 受験まであと少しですね。私もそれまで毎日必ずブログを書きます。事故か何かで緊急入院でもしないかぎり必ず書きますから、皆さんも毎日必ず勉強をしてください。一日ぐらい抜いたところで本当はたいした違いはないのかもしれません。ただ「毎日」と言い切れるかどうかは大切なところです。生き方の問題にもつながってくるような気がします。
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2009.12.20 12:00

 黙っていても心が通じるときがあります。むしろ黙っていた方がいいというような。そういうとき、大げさな言葉や仕草はかえって邪魔になるのですね。どなたにも経験があると思います。ここにかなり大きなコミュニケーションについての秘密が隠されているような気がします。

 昔、インドの聖人の伝記を読んでいたら、沈黙こそが最上のコミュニケーションであると書かれていました。私は凡人ですからそこまでは理解できないのですが、たとえば息子と一緒にいるときに何も喋らなくても相手がこちらの気持ちをくんでいるなと感じる瞬間があります。軽く肩に手をおいて「な」と声をかけたりすると息子も黙って頷く。わかっているよということなのでしょう。

 じつは授業中や保護者の方との面談のときも同じようなことを感じるようになりました。若いときは考えているすべてのことを全力で伝えようとはりきりすぎてからまわりする感じもあったのですが、いまは七割ぐらいお話すればきちんと伝わるということがわかります。きちんとどころか、こちらの気持ちまで正確に伝わります。
 たとえば現在の私は決して厳しい先生ではありません。ですから生徒にしてみれば騒ごうと思えばいくらでも騒げます(まあ、本当に騒がしくなったら注意をするでしょうが)。ところが受験生はともかく相当元気のいい中1の子たちでもハメをはずしたりすることはありません。こちらの「それぞれの邪魔にならないように静かに勉強しような」という気持ちを全員がわかってくれています。

 コツはだんだんつかめてくるでしょうし、べつにつかむ必要もないのかもしれませんが、沈黙のうちに伝え合う術を身につけると非常に便利です。これを書いている現在、私の斜め前に非常に有能な事務の方がいらっしゃるのですが、この方とも教室運営のことであれこれ徹底的に相談したりすることはまずありません。そんな風にしなくてもお互いにこうしてほしいということはほとんど伝わります。
 文章でもそういうことがありますね。書きすぎない方がいいときがあります。そうありたいと思い今日はここで終わります。
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2009.12.19 10:40

 受験生はだんだん受験が近づいて忙しくなってきました。年末年始もゆっくりできないでしょうが、ここは大切な時期なので気持ちを引きしめて頑張ってください。
 Z会進学教室も今日から(一部はもう少しまえから)本格的な冬期講習に入りました。しばらく単科ゼミというのをやり、年末から年始にかけては複合教科の冬期講習になります。

 お正月はお正月で三日間受験生のための特訓講座があります。希望者は朝から夕方まで元旦の休みを除いて毎日七時間半授業を受けることになります。
 塾に通っていない人は小学生でも中学生でも高校生でもそうですが、勉強しているライバルがいるのだということを忘れないように過ごしてください。私の経験では、お正月というのはいちばん危険な時期で、何となく遊んでいるうちにリズムが狂ってしばらく戻らなくなってしまったというケースが非常に多いのです。塾に通わなくてもいいのですが、とにかく机には向かってください。三が日ぐらいは・・・という気持ちを持つこと自体がすでにまずいのです。他者に言われてそう思うのではなく、自分自身の心に問いかけてみてください。

 塾の先生をしていると年末年始は基本的に休めません。ここ十年、私は元旦以外に休んだことがありません。ずーっと授業が入っています。ときどきこの仕事ではない人に「大変ですね」と言われますが、あたり前になってしまっているので大変だという感じはありません。 
 家族はだいたい実家に帰ってしまいますから元旦の休み、私は一人でコンビニエンスストアーで何か買ってきて食べたりしています。お正月はお店に誰もいなかったりしてちょっと恥ずかしいですね。

 お正月休みはいつとるのですか? と訊かれることもあります。受験が近いのでそういう休みは結局とらないのですが、私は幸福と休みの取得とは必ずしも相関関係がないと思っています。そのあたりは人生観の問題なので人それぞれですね。
 一生懸命生きていてもうまくいかないことはたくさん出てきます。それをすべてなくすのは不可能です。であるなら少しでも多く他者の役にたってマイナス部分と相殺させていくしかないという焦り(?)が自分には強いような気がします。

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2009.12.18 13:35

 九月七日にノートのとり方については一度書きました。さらに補足しておきます。
 ノートを書くのはもともとはどういう目的だったかということを思い出してください。もしあなたがすごい天才で(そういう人もいるかもしれません)、勉強したことは何でもかたっぱしから完全に記憶して忘れない自信があるということであれば、場合によってはノートはいらないかもしれないですね。
 そもそもノートをとる目的は勉強したことを忘れないように書いておき、あとで何度も見返して内容を定着させるということにあります。

 ですから、ただきれいに書くだけの形式主義みたいになってしまうと、見ていて気分はいいでしょうが、記憶に定着させ自分のものとして消化するという本来の目的が希薄になってしまうことも考えられるでしょう。
 書きやすいように書いてくださればいいのですが、とにかく余白はたくさんとってください。ぐしゃーっと書かない。上下二段に分けて上段には自分の解いた答を書き、下段には授業内容や(一人で勉強している場合は)解答解説を書くというやり方は以前も紹介しましたが、余白がたっぷりとれていい方法だと思います。

 さらに気をつけたいのは先生が黒板に書かなかったことで、これはということがあったら必ずメモをしておくということです。その「これは」の部分は人それぞれですから、隣の人がメモしていてもあなたがメモしなくてもいいときもあるでしょうし、逆に誰もメモしていなくてもあなたはメモしなければならない場合もあると思います。恥ずかしがらずに気になることはさっと書いてみてください。

 以前、ある生徒からノートの余白に「このとき空を鳥が舞った」とか「戦争は大人の喧嘩だ」とか妙なことを書いているのを見せてもらったことがあります。授業を受けていると次々に関係ありそうななさそうなことが思い浮かぶので、あとあとのために書いておくのだそうです。あんまり自分だけの世界に閉じこもられても困りますが、メモをとる習慣は勉強だけではなく将来に役立つことなので身につけておくといいですね。
 

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2009.12.17 13:45

 勉強にかぎりませんが、だれにでも調子の悪い=スランプの時期はあるものです。こんなはずではなかった、もっと自分は成果を出せるはずだ、そうやって焦れば焦るほど調子が悪くなっていく。
 もともと力のない人ができない状態であることをスランプとは呼びません。ある程度ーー人それぞれですがーーこれぐらいはできて当然だろうという位置まで届かなくなった状態をスランプと言います。

 放っておいてもいずれ調子はもどってくるものです。勉強で言えば、勉強しているのが事実だとしたら努力すればするほど実力が落ちてくるなどということはありえないからです。必ず点数に出てくる日がありますから、慌てることはないのです。
 ただ真面目な人ほど精神的に追いつめられてしまうのも事実でしょう。私はここにいてしょっちゅうそういう相談を受けます。とくに受験直前期。私のアドヴァイスが正しいかどうかはわかりませんが「助かりました」と感謝されることがありますのでご参考までにどんなことを話しているか書いておきます。強調するのは次の三点です。どうしようもない状態でしたら試してみてください。

 ①自力だけで何とかしようと思わないーー広い意味で神仏(特定のものではありません)のようなものにすがってみるということですね。神社だとかお寺だとかいわゆるパワースポットをぶらぶら歩いてみなさいと言うときもあります。ご先祖さまのお墓参り(ただ行って見てくるだけでよいです)も効果があるようですよ。
 ②食べるものを少し変えてみるーーカルシウムとかビタミンの多いものを食べるといいみたいです。栄養素がどうのこうのというより目先の変わったものを食べるということですね。気分転換になると思います。時間をかけてよく噛んで食べてください。
 ③外出するーー気分転換に好きなことを・・・と考えて、たとえば閉じこもってゲームばかりやっているとよくないようです。心身のバランスをよくするために、とにかく(近所でけっこうです)外を歩いてみてください。外で起きていることをいろいろ観察してみましょう。寒いですね。しかし動植物はけなげに生きています。

 何かの力に支えられて生き、おいしい物を食べられ、自由に外に出られることを感謝してください。そのうえでの受験です。恵まれているのだということに気づくと世界が広がってくるはずです。
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2009.12.16 00:15

 幼いころは、見かけのうえで大人になった人間はもう精神的にも成長しないものだとばかり思いこんでいました。そういう単純な仕組みではないということは自分自身が生きてきた過程で実感できたことです。
 私は現在五十代ですが、三十代のころを思い出すと突拍子もないことを本気で考えていたものだと苦笑してしまうときがあります。四十代でさえ実行するかどうかはべつにして、現在とはずいぶん考え方が違いました。

 人間はつねに進歩成長変化していくということなのですね。まして十代のお子さんであればそれこそ日々変転していると言ってもいいぐらいです。
 しかし、どういうわけだか大人も子どもを固定化して見てしまうことがよくあります。「この子は○○だ」と決めつけてしまう。彼らのなかに成長できる余力(ないわけがないのです)を見つけられずに、現在の状況がそのまま永遠に続くと思いこんでしまうのですね。

 大人は成長ということを自分自身で経験してわかっているわけですから、少し落ち着いて接してやらなければいけません。簡単に言えば、相手がどんなにめちゃくちゃなことを言い出したとしても単純に「こんな日もある」ということです。注意するにしても「こんな日もある」という大前提で注意していただけたらと思います。
 大人側もかーっとなって怒鳴ったりしたら、向こうは本当にまだまだ未熟なのですから、何をどうしていいのかわからなくなりいっそう混乱に陥るでしょう。

 状況がどんなに苦しくても主人公自身が成長していく舞台劇なのですから、やみくもに悲観したり叱ったりするのは避けたいものです。ご家庭で反抗的なお子さんはじつはご自身が自分を信頼し切れずに苦しんでいるケースがすごく多いのです。いまはそういう時期なんだよ、自分の力を信じていれば道は開けるよと声をかけてあげる余裕を持ちたいものです。
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2009.12.15 13:45

 今日は勉強の話題から離れます。
 毎日池袋で昼(午後)を食べていますが、最近は次々とお店がつぶれています。本当に厳しい世の中になってきました。とくに個人店が苦しいみたいですね。チェーン店ですとそれこそお休みなしに営業できますが、個人のお店ではそういうわけにはいきません。お店の方が風邪でもひかれれば臨時休業もしなければならないでしょう。せっかく来てみたのに休みか・・・という感じで離れていってしまうお客さんもいるのではないかと思います。

 さらに個人店ではそうも値下げをすることはできません。いくら薄利多売といっても限界があります。最近は立ち食いそば屋さんでも値下げを敢行したりしているのでますます価格設定に苦労されているのではないでしょうか。
 Z会進学教室は東口にあるのですが、逆の口に非常に昭和の雰囲気を残した定食屋さんがあります。遠いので二週間に一度ぐらいしか行かないのですが、まあ古いですね。

 じつは私は二十年以上前に偶然そこに一度だけ入ったことがありました。そのときでさえ(古いなあ)と思ったぐらいですから、現在はもう何と言ったらいいのでしょうか、存在自体に価値があるのではないかと思います。壁にかけられている賞状などから判断しますと四十年ぐらい営業している感じです。
 当然、お店の方も歳をとられていて若干もたもたした(?)感じになるのですが、そこもまた魅力なのではないかと思ったりします。いろいろな意味でよく残っているなと感心します。

 価格設定が周囲の飲食店から比べると格段に安くなっていますから、おいしい! と感激するような味ではないのですが、面白いのでしばらく行かないと行きたくなります。ラジオだかテープだか変な音楽が流れていることがありますが、あまりにも変な音楽なのでお店の方も聞いていないのでは? と感じるときがあります。
 支払いをするときに「何食べたの?」と質問されたときはびっくりしました。うーむ。私にとってはいいお店です。
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2009.12.14 13:20

 学校の先生やクラスの仲間となかなかうまくいかないという人がいます。どうもしっくりこない。中学生ですとそういうことが理由で学校成績を低くつけられてしまうことさえあります。テストではそれこそクラスで一番の点数をとっている。それなのになぜか先生が5をつけてくださらず、自分よりずっと得点の低い人が5をもらっていた・・・などということが現実的にあちらこちらの学校で起きています。

 実力があればそれでも入学試験は合格できます。ただそのままの状態で上の学校に上がっていったとしてもそこでまた同じような問題にぶつかるケースが多いのです。あなたが小学生であれ中学生であれそれ以外であれ、人間関係がうまくいかないと感じているときは逆にチャンスなのであって、ここで方向性を改めることによって何かしらコツをつかむことが可能です。否定的にばかり考えないで、改善できそうなことは改善してみましょう。

 人は固有の音(?)みたいなものを持っています。あちらが一つの音を出す。あなたはある程度その音に合わせた音を出さないといけません。自分は自分だからと他者の音にはお構いなくどんどん大きな音を出していったら他の人にとってはうるさいだけで場合によっては敬遠されてしまうかもしれません。
 先生との関係であれば、たとえば音楽の先生は音楽が好きだからその教科の先生になったのでしょう。自分の好きなものは当然他の人も好きになってくれると信じていらっしゃるはずです。そのときにすごくつまらないという態度を見せたり、考えるべきところでぼんやりしていたりしたら、やはり不協和音が生じてしまうと思います。

 そこはやはりお互いの気持ちを大切にしないといけませんから、楽しくなくてもいちおうは礼儀として興味を持っている感じは出したいものです。友だちとの関係も同じことで、クラスのみんなが何かに興味を持っているときにあなたがその話題に興味がないからといって白けた顔をしていると、みんなは自分自身が否定されたような気持ちになってしまうものです。あなたも自分の好きなことを誰かから「よくそんなことに夢中になれるね」などと言われたら悲しいでしょう?

 将来社会に出ると、どんなにいやでも逃げられない人間関係というのが出てきます。きらいな人だからといって無視するわけにはいきません。そのときになって一から考え直すのでは大変ですね。いまから少しずつ良好な人間関係を築けるように練習していかれると安心です。
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2009.12.13 11:59

 学年問わず自己評価の著しく低い人というのがいます。ちょっと褒めると大慌てで否定する。照れているのではなく本気になって自分はできない、だめなんだと言い張ったりします。友だちと話していても「おれはだめだから」とか「わたしは頭悪いから」と連発する。
 本気で自分のことをだめだと思っている人ができるようになるわけがありません。自分自身のイメージを変える必要があります。

 ただそこまで自己評価が低くなってしまったのはどうしてなのかという問題はありそうです。生まれたときから自分はだめだと決めつけている人間がそうはいるはずがないので、生きてきた過程で誰かにだめだと評価をくだされそのまま信じつづけている可能性があります。それはひょっとするとご家庭ではないかと感じるときがあるのも事実です。
 ご両親やご兄弟に(もちろんおうちの方は叱咤激励の意味をこめて「いまのままではだめだぞ」とおっしゃるわけですが)、お前という人間はなっていないと叱られているうちに「どうせ僕(私)はだめなんだ」と信じこんでしまう。

 学校や塾でひどいことを言われたというケースも考えられますが、おうちでそんなことはないよと日々ケアーしてくだされば、自分自身を徹底的にだめだとは決めつけないのではないかと思います。いまは社会全体が優しくなっているだけに、身近な人間も叱るときには気をつけないといけないですね。「お前は頭が悪い」とか「算数(数学)のセンスはまるでないな」とか「そんなできでは恥ずかしいだけだ」とか「口先だけでどうせまただめね」とか、妙な励まし方(?)をされているうちに本人が卑屈になってしまうとちょっと面倒です。

 万が一、お子さんの自己評価が著しく低いようであれば、今日から彼らが誇りをとりもどしていけるように作戦をたてていただけるとありがたいと思います。私自身、低学年の授業中にはできるかぎり彼らが誇りを持てるように気をつけています。ミスをしても本当はもっとできるんだと思えるように配慮しているつもりです。
 自分は本来できる人間だという誇りを持っている生徒はその誇りにふさわしい努力をどこかで必ずしばじめるということを知っているからです。
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2009.12.12 10:59

 この話をしてくれた浪人生を見ていたのはZ会に勤める以前ですから、もう二十年近くも昔になります。まじめで素朴な男の子でしたが、ちょっとまじめすぎて不器用なところがありました。それで浪人生になってしまったのですね。私は一対一の個別指導という形で彼を見ていました。老成したところがあり、若者の言葉の乱れなどをすごく嘆いていました。

 当時「~みたいな」という話し方がちょうど流行りはじめた時期だったのですが、彼は「あれは比喩ということになるのですか? 比喩にしても軽薄すぎて僕はああいう喋り方をする人間とはつきあいたくありません」などと気難しいことを言っていました。そういう嘘なんか大嫌いという彼が、いままで誰にも信じてもらえなかった話というのをしはじめたのです。大人は信用できないという雑談のときに突然出てきた話題でした。

 彼は「天使」を見たことがあるというのです。幼稚園のとき、二つの窓が開いている大きな部屋に彼は一人でいました(二階だそうです)。一つの窓から突然天使が飛びこんできました。絵本の天使にそっくりだったので天使だとわかったといいます。「背中の羽根をすごい勢いで動かしていました」。彼は子どもすぎてさほど驚かなかったのですが、どういうわけか飛びこんできた方の天使が大慌てで、方向を変えるともう一つの窓からさっと逃げていってしまったというのです。「三秒ぐらいじゃなかったですかね」彼は自嘲的に笑いながら言いました。

 この話を彼はいろいろな大人にしました。誰一人として信じてくれなかっただけではなく、変に理解したみたいな言い方をする大人がいることに腹がたったそうです。「それはきみの深層心理の何かが出てきた夢の話だね。幼児期にはよくあることだよ」というように。おうちの方からは「その話はもう絶対にするな」と言われてしまったとも言っていました。
  
 彼の真っ正直な人柄を熟知していただけに、私はやはり彼が「何か」を見たことだけは間違いないのだろうと思っています。
 この話を私は何人かの友人にしたことがあります。するとそういう話にくわしいある人が神話にも同じような物語があると教えてくれました。きちんと探せば事例がたくさんあるのかもしれません。非常に深い何かが隠されているような気もしています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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