2009.09.20 11:26

 人それぞれに個性があり、嗜好も趣味も違います。運動が大好きという子もいれば大嫌いという子もいます。また同じ運動が好きでも、人によって団体競技だけが好きだったり、個人競技にしか興味がなかったりします。また特定の趣味ーーけん玉とか料理とかダーツとか将棋とかーーにものすごく燃える子もいれば全然興味がない、どうしてあんなことに夢中になるのか不思議で仕方がないという子もいます。
 要するに世の中はそうした多様性で成り立っているわけです。それでうまくいっているのです。

 中に勉強が趣味という子も当然出てきます。これはもういい悪いではありません。勉強が好きで好きでしょうがない。そんな人が本当に? と思われるかもしれませんが、池袋教室にも毎年必ず複数います。
 そういう方のご家庭から私は「夜中遅くまで喜々として勉強をしているのですが、身体のことが心配なので止めてもらえませんか」という相談を受けるときがあります。また「何でもかんでもすべての授業を受けたがるのですが、お金のこともありますし(当然だと思います)とらなくて大丈夫なものは本人に言ってもらえませんか」というお話をうかがうこともあります。そして、本人にここまでやらなくてもきみは合格出来るよと告げる。すると本人が「お願いですから受けさせてください。もっともっとやりたいんです」と懇願してくる。

 そういう子たちが世の中にいることはいます。これは趣味みたいなものであって、彼らには勉強することは義務なのだといった重苦しさは一切ありません。止めても止めてもそれこそこちらの目を盗んで勉強をしようとする。
 成績が極端にいい子たちはだいたいがそんな感じです。ですから、必ずしも勉強が大好きというわけではなく、ほかにたくさんの豊かな趣味を持っている子どもをその子たちと比較して、お前もああなってくれたらいいのにとあれこれ言うのはちょっと可哀想だという気がします。

 世の中の人ぜんぶが勉強ばかりするようになったらそれはそれでまた非常に困ることになります。テレビ局や娯楽施設はぜんぶつぶれてしまうかもしれません。お子さんの個性に合わせて勉強を生活の中に組みこんでいく工夫。それがご本人の健全な発達のためにも望まれるのではないでしょうか。
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2009.09.19 10:20

 ときどき風邪で四五日寝こんだらすごく勉強が面白くて出来るようになってきたという生徒がいます。あきらかに頑張りすぎだったのですね。で、風邪という形でやむを得ず休息をとることによって新たにエネルギーが充填されたのでしょう。快調に飛ばせるようになったというわけです。
 妙な話ですが、こういう状況はじつは多くの子どもにあてはまるのではないかと思っています。

 食事を例にとるとわかりやすいでしょうか。いくら栄養をとった方がいいと言っても、ずーっと食べ続けていたら胃腸はこわれてしまうでしょう。それと同じことを勉強でしてしまってはいけないということですね。テストの点数が思うように伸びない。もっと勉強しなさい。偏差値がまだ届かない。もっと勉強しなさい。そうやって結局は「栄養(成績)をとるためにずーっと食べ(勉強し)続ける」状態に追いこんでしまう。
 始末の悪いことに頭の方は胃腸ほど栄養(勉強)過多の弊害が外からは見えにくいものです。ただ「もううんざり」という状態であれば勉強時間をいくら増やしても効果はないので、プチ断食ならぬプチ断勉強で、少し気分転換をはかった方がいいでしょう。

 同じように、普通の生活についても何かカット出来るものがあったらカットしてみてください。たとえば息抜きに一時間テレビを見て三十分ゲームをやっている状態なら、これを両方足して一時間にしてみる。朝は早く起きて勉強、夜も遅くまで勉強していてつらいなら、どちらかを中断する。塾の前に食事をして塾から帰ってからも食事をするので朝が食べられないのであれば、塾の前後どちらか一回だけの食事にする。学校での活動があまりにも忙しすぎる(これは中学生ですね)ようなら、担当の先生にお話して少し部活の活動を休ませてもらう。
 いろいろなケースが考えられますが、とにかくもっと足せば何とかなるだろうという発想から脱却していくことは大切です。ご家庭でもそのあたりの話し合いをしてくださると、また新しい希望が見えてくるのではないでしょうか。
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2009.09.18 12:20

 教室の中、とくに授業中はみんな一生懸命ですからよそ行きの発言しか聞けなかったりします。そこで私は休み時間や授業後の生徒の会話をときどき意識的に聞くようにしています。とくに面白いのは講習中の食事時ですね。私が部屋にいるといやでしょうから、一旦は出ていき返却物を返しがてらちらりと話を聞きます。本当に一瞬のことですが本音の部分が出てきます。

 手作りのお弁当を毎日持ってくる中一の女子生徒がいて、その生徒のことを周囲の子がうらやましがっている場面に遭遇しました。
 お母さん、偉いよねーと一人の少女がいいました。「うちのお母さんは働いているから忙しいんだ」お弁当を持ってきていた子は小さな声で「うちのお母さんも働いているよ」と言いました。「ええーっ! えらーい!」と周囲の子たちが大げさな声を出しました。

 私自身は弁当を持ち歩かない主義(昔、ある棋士の自戦記で弁当について深いことを書いてあったのを見て以来そうしようと決めました)なので、お弁当を持っている人をとくにうらやましいとは思いません。また、手作りのお弁当が絶対的にりっぱであり、何かを買って食事をすることがよくないという認識もありません。
 ただドライな現代っ子が、自身の家庭についてはけっこう封建的に見ているのは非常に面白いと思いました。

 同じように迎えに来てくださるご家庭の子を彼らはうらやましがります。「心配してくれているんだねー」と。もちろんこれが中学三年生ぐらいになってくるといやがったりもするのですが、一年生ですと圧倒的にうらやましがっています。
 変な表現ですが、彼らにそうして愛情の貸しを作ってあげることもどこかで役にたつかもしれません。私は家内に息子にはなるべくお弁当を作ってあげてくれと頼んでいますが、それは今後何か大きなトラブルがあったときに「お母さんだって早起きして毎日お弁当を作ってくれていたじゃないか」と考えさせてやりたい気持ちもあるのです。

 子どもに愛情を持たない親はいないわけですが、実際に形にして見せてあげないと幼い感性には理解出来ないこともあります。そのあたりはある程度効果的な演出も大切なのかもしれませんね。 
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2009.09.17 12:50

いつまでたっても受験勉強で本気が見えず、親ばかりが空回りする現状です。何か本気にさせるためにできることはあるのでしょうか。

 お子さんが本気になれないというケースはほとんどが幼くてということですね。受験がどういうものであるのか、勉強をすることがどういうことであるのか、本質的な問題がきちんと理解されていないのです。
 やはりおうちの方がそのへんのところは根気よく話して聞かせる必要があるでしょう。それも「合格のために勉強するしかないから」などという理由では本人はいつまでたってもやる気にならないでしょうから、合格することの意義を繰り返し切々と話してあげる必要があります。

 本気になっていない子どもに対して、やたらと厳しく接するという手はないことはないのですが、たいていどこかで破綻をきたします。運よく合格出来たとしてもあまりにも厳しいというのは、のちに必ず問題が出てきますのでそういう形はなるべくならとられない方がいいと思います。
 それよりはスケジュールをきちんと組んで、勉強時間や勉強内容の約束事を作ることをお勧めします。何曜日は何時から何時まで何を勉強するというような、ある種の取り決めですね。一緒に作りながら「無理ではないよね?」と確認し、確認したものについては実行させるということですね。

 おうちの方の人生観みたいなものを話すことも効果があります。たとえば「お母さんは大金持ちになりたいとまでは思わないけど、あなたを私立のいい学校に進ませてあげられるのは、やっぱり勉強したことが役にたっているのよ」とか、「パパの会社に入ってきた人たちを見ているとよい学校を出た方が有利みたいだぞ」とか。
 昔ある生徒に私は「うちのお父さんは自分は社長になろうと思ってもいないくせに、ぼくにだけ一番を目指せと言ってすごくずるい」と泣かれた経験があるのですが、そういうこともおおらかに話し合うなかで勉強の位置づけみたいなものを見つけていかれるのがよいのではないかと思います。勉強というものに対する哲学ですね。

 ただがみがみと勉強しろ勉強しろと言い続け、ご家庭の雰囲気が陰気でとげとげしいものになってしまっては、勉強=暗くてつらくていやなものというイメージがすりこまれてしまいます。勉強することは間違いなく価値のあることなので、楽しいものというイメージを何とか残した形で先につなげていきたいものです。
 明るくいきましょう。
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2009.09.16 09:40

 とくに算数や数学でしょうか、早くから「うちの子にはそちらの方面の才能がないので・・・」とご家庭の方が決めてしまう(?)ケースがあります。ときには「私も文学部出身で、子どものころから算数(数学)は本当に苦手でした」とおっしゃるお母さまもいらっしゃいます。
 そんな風に宣言されますと、その教科はますます不得意になるでしょう。遺伝的な理由まで持ち出されてしまっては、得意になりようがありません。

 私が昔見ていた生徒で数学の出来ない中学生がいました。出来ないというよりアレルギーみたいなものがあるのですね。見るのもいやという感じでした。幸い英語と国語が得意だったので、私立のいい高校に合格しました。ただこの高校は理系に進学する生徒が半数以上なので、大丈夫かなとちょっと心配していました。
 ところが、この子は高校に入ってから数学がぐんぐん伸びはじめ、驚いたことに医学部に進学しました。

 本人に言わせると高校の数学がとてもおもしろかったのだそうです。厳密に言うと、数学がというより数学の先生がおもしろかった。その高校では教科書から離れて、先生がさまざまに工夫したプリントなどを出してくれる。それがとても楽しかったというのです。それで数学が大好きになったのですね。学校全体として医薬系進学者が多い理由もそういうことなのでしょう。
 考えてみれば、そもそも数学が嫌いになったのも中学のときの数学の先生とあまり合わなかったという側面がありました。年ごろのお嬢さんですからどうしても好き嫌いは出てきます。

 自分が苦手だと思いこんでいるものについては、いまはまだいい指導者にめぐりあっていないだけなのかもしれません。ですから、小学生や中学生で苦手と決めつけてしまうのはちょっと早計です。まわりの大人の方も「いまはまだそういう目でしか見られないだけのことで、いずれおもしろさがわかってくるよ」と言ってあげる配慮がほしいと思います。子どもたちの可能性を広げていく工夫を大切にしたいてすね。
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2009.09.15 11:00

 はじめて教えた生徒がもう四十代ですから、いろいろなことがありました。すごく優秀な生徒で超一流大学からやはり超一流企業に入った男の子がいました。さすがだなと思っていると二年もたたないうちに会社をやめてしまいました。機会があって理由をたずねたところ、あっけらかんとしたもので「部署の部長がばかすぎてやってられなかったんです」と答えました。「あれじゃ、自分のよさを活かせるわけがないと思って」
 うーむ、ですよ。

 中学に入ると内申というのがつきます。通信簿ですね。いちばん上が5、いちばん下が1。とてもよく出来てオール5なら九教科合計が45になります。
 この内申というのはしかしテストの点数どおりにつくわけではありません。テストでトップをとったところで何かの理由(授業中の態度とか提出物の評価など)で4がついてしまうこともあります。理不尽なようですが、そういう仕組みになっているので仕方がありません。

 優秀であるにもかかわらず内申がとれない生徒がいます。また非常に上手にとる生徒がいる。内申をとる人が無条件に偉いと言っているわけではありませんが、公立高校の入試ではすごく有利に働くのは事実です。
 内申のとれない生徒にたとえば「この教科はどうして3になったの?」と質問してみることがあります。すると彼らの多くは「ああ、その教科は先生がだめなんですよ」と即答します。女の子でも「その先生大っ嫌い」と言ったりします。これまたうーむ、ですよ。

 やはり以心伝心、先生の方にもそういう気持ちが伝わってしまう。そのあたりの難しさですね。
 世の中、職種に限らずりっぱな人間ばかりだったらよいのですが、ときにはもたもたした人ややる気に欠ける人が出てくる。その多様性のなかに、しかし何かしら貴重なものがあるとも言えるのです。いろいろな先生に苦労することは社会に出る準備として悪いことばかりではありません。
 オール5をとるほどの子たちは他者が気づく程度には、やはり特定の教科の問題点は感じているはずです。だが、あえて個対個の問題として先生との関係を上手に調整していく。対人関係の技術ですね。それはまた一つの大きな能力だと思います。
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2009.09.14 12:09

 なるべく露骨な宣伝は慎むように心がけているのですが、小学生の皆さんに関係していることなのでちょっとだけ書かせてください。
 以前もお知らせしましたように「中学受験をしない」小学六年生のための授業がZ会進学教室の五つの教室(新宿・大宮・横浜・三鷹・池袋)で十月よりはじまります。各教室で説明会を開催しはじめているのですが、先行した横浜、大宮の両教室には大勢の方がいらしてくださったそうです。ありがとうございました。

 説明会はまだまだ続きます。ホームページに告知されていますのでお気軽にご予約下さい。保護者の方だけでもお子さんが一緒でもどちらでもけっこうです。各教室では基本的に教室長(か副教室長)がお話させていただきますので、教室の様子もよくおわかりになると思います。
 ときどき他塾で、説明会のときだけ本部から素晴らしくお話の上手な方がいらっしゃって、気に入って入会してみたら全然違う先生がいてがっかりしたなどという噂を聞きますが、Z会進学教室ではそういう心配はありません。池袋であれば私が(あまり上手ではないのですが)お話をして私が授業を担当します。

 受験をしない方が中心ですので、私立中学に進学された友だちにどうしたら負けないだけの実力をつけられるかというようなお話が中心になります。もっとも、私はこのブログでも一切出し惜しみはしていませんから、いつもお話しているような話題になってしまうと思います。どこの教室の教室長もそういう情報には詳しいですから、教室格差みたいなものはまったくありません。ご安心ください。

 受験生の方は受験生の方でいよいよ勉強に集中するべきときが来ましたね。九月十月十一月というのが一つの勝負どころだと思います。やるべきことがたくさんあってもとにかく丁寧に! 忙しければ忙しいほど字をきれいに書くのですよ。そういう姿勢から新たな発見が生まれてくるものです。きちんとやっていれば「これのことだな」とすぐにわかります。
 応援しています。どうか頑張ってください!
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2009.09.13 11:15

 いちばん好きな食べ物は何か? というような話題になることがよくあるものです。私は今年の六月ぐらいまではさんまの塩焼きと答えていました。
 あるマンガを読んだことがきっかけになって、私はさんまの塩焼きを芸術的(!)にきれいに食べられるようになりました。はらわたの部分もきちんとすべて食べます。ばかみたいな話ですが、数軒のお店で褒められたことがあります。五反田のガード下の居酒屋では七十歳近いおばさんに「若いのに偉いねー」と褒められました。五十歳を過ぎて「若い」と言われたのははじめてでした。

 ただ、こういうものは毎日食べるものでもありません。ある程度間隔を空けた方がおいしく食べられます。で、昨年度はその感動を味わいたいがために間隔を空けすぎました。さんまの季節が終わってから、もう少し食べてもよかっただろうという悔いが残りました。
 そこで今年は春ぐらいから、今年こそは悔いのないように目一杯食べようと作戦をたてました。通販でわざわざ新しいグリルまで買いました。何事も作戦が大切です。

 七月に入り、近所の魚屋さん(スーパーで買うのは邪道のような気がする)に北海道で獲れたさんまが入りはじめました。初物なのでかなり高かったのですが、四尾買いました。うちは三人家族です。じつは私は少し時間を置いて一日に二尾食べてみようという作戦をたてていたのでした。
 ところがこれが大失敗で、気持ちが悪くなってしまいました。あれは大量に食べるものではないですね。苦味と脂の感じがすごく残って夜中に何度も目が覚めました。

 それ以来、時間を空けてもどうも気持ちが悪い。あれほど好きだったのに積極的に食べたいという気持ちになりません。せっかくの好物をつまらないことをしたなーと思います。
 こういう変なことは人生に多々あるような気がします。結局少し足りないぐらいがいちばん幸せなのかもしれませんね。
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2009.09.12 11:10

 言霊とはよく言ったもので、言葉は確かに力を持っています。
 よく感じるのは「疲れた」という言葉。小学生があるときにこれを使いはじめると、何でもかんでも疲れたという状態になることがあります。疲れたからあれも出来ないこれも出来ないと言ったりする。疲れたという用語を知る以前はそんなことはなかったはずなのです。便利な言葉を覚えてしまったというわけですね。

 また周囲がそれを助長するように「疲れたの?」「疲れたでしょう?」と頻繁に声をかけてしまう。すると本人はますます「疲れた」という魔法の言葉に頼りがちになります。
 しかし、彼(彼女)のその状態を正確に表現すれば「飽きた」かもしれませんし、「だるい」かもしれません。「頭が重い」かもしれませんし、「ただ遊びたい」なのかもしれません。そこは正確に自分の状態を見定め表現しなさいという指導が望まれます。

 同じようなことは(これは中学高校生かな)「心が折れた」とか「キレた」とかという表現にもあてはまります。そういう安易な表現で自分自身を中途半端にごまかさない真摯さ。それこそが人生を幸福にするカギだということを覚えておいてください。
 簡単にひと言で済ませてしまってはいけないということです。どう挫折したのか、その理由は何なのか、あるいは何にそんなに腹をたてたのか、それは全面的に相手の責任なのか自分の未熟さの故もあるのか。自身の未熟さも大きな原因だとすれば「キレた」で済ませてしまってはまずいのではないですか?

 言葉だけが一人歩きをするという状態は本当に困ったものです。中学生が「最近、鬱なんで全然勉強が手につきませーん」とむしろ明るくあっけらかんと言い放ったりするのですが、自分の本当の心を見つめ、ふさわしい用語を自分で探し求めるように周囲の大人は粘り強く指導していくべきだと思います。結局はそういう習慣こそが本人を幸せにするのですから。
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2009.09.11 12:20

 非常にデリケートで難しい問題なのですが、大事なことですので書いてみます。
 小学生でも中学生でもそうですが(さすがに高校生にはあまりいません)、おうちの方がとてもりっぱで少々萎縮しているような生徒がじつはけっこういます。何かあったときに「今度宿題を忘れてきたらおうちに電話するよ」と半分冗談で伝えると、本当にさっと顔色が青ざめます。半分泣き出しそうな真剣な表情で「うちにだけは絶対に言わないでください」と訴えてきたりするので、相当叱られるのだなということがわかります。

 だいたいは上品で礼儀正しい子が多いのです。成績だって悪いわけではありません。それだけ厳しく躾られているのでしょう。それはそれで大変いいことなのですが、あまりにも管理されすぎていて自助努力のようなものが生まれてこない。管理された中で最低限のことをこなしてとにかく怒られないように頭だけ下げておくという姿勢なので、いつまでたっても勉強自体の楽しさに気づけないのですね。

 そういうご家庭は成績にも熱心ですから、小学校低学年のころから面談を希望されてきます。お母さまだけではなくお父さまもいらっしゃって「うちの子は長時間机に向かっているのでもっと出来てもいいと思うのですが」とおっしゃいます。あれだけ管理しているのに・・・という思いがあるのでしょう。
 しかし、もう一つ上の層には勉強自体を楽しんでいるグループがいます。こちらが何も言わなくても宿題どころか一学年下のテキストを復習していたりする。「そこまでやらなくてもいいよ」と言うと、好きでやっているだけですと答える。この子たちと互角に競っていくためにはやはり管理されて仕方なくやっているという姿勢では難しいでしょう。

 ご家庭でのコミュニケーションの問題が少しあるのかもしれません。私は管理することが悪いとはまったく思わないのですが、彼らがときどき友だちに「塾に来ているときだけ(保護者の方の目が届かない場所という意味でしょう)がほっと出来る時間なんだ」などと話しているのを聞くと考えてしまうことがあります。
 勉強にかぎらず楽しんでやる人間には結局何事もかなわないものです。楽しんでやれる方向に引っ張ってあげる工夫はやはり必要だと思います。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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