私は昔から気が弱く、子どものころはしょっちゅういわゆる「横入り」されていました。腹はたちますが、何も言えない。そういう状態が続きました。ところが、私の母は私の気の弱さを非常にいやがりました。言うべきことをきちんと言えない人間、当然の権利を主張出来ない人間は最低であるとよく叱責されました。
いまになってはっきりわかりますが、母は自身も気が弱い女性でした。で、そういうところで損を重ねてきたと考えていたのですね。自分のいちばんつらいところを我が子に見て、腹をたてていたわけです。
私自身は自分の気の弱さをある時点から個性の一種だと思っているので、何ということはありません。克服しようという気持ちも起こりません。頭を高く上げていないからこそ見えるものが豊富にあります。これはこれで一つの生き方だと自信を持っているぐらいです。
ですから、自分の子どもに気の弱いところを見つけても叱責することはありません。彼自身は納得のいかないような顔をしているときがありますが、そうやって損をしているように見えてもあとでいいことがいっぱい出てくるよとアドバイス出来るだけの余裕があります。
何を言いたいのかというとこういうことです。
ときどき若い親御さんの中に自分のお子さんに自分自身の欠点を見て、かっとされる方がいらっしゃいます。かっとされてもいいのですが、不必要に強く叱ってしまうのは避けたいものです。「どうしてやられたらやり返さない!」「どうして約束を守らない!」「どうして先生にきちんと話せない!」・・・その通りなのですが、それだけのことで極端にヒステリックに叱ってしまうのはかえって逆効果でしょう。
教育=教えて育むということですね。「育む」というところに力点を置きたいものです。そのためには大人側も自分自身をしっかり把握してコントロールしていく必要があります。こういうのはいくつだからということはありませんね。子どもたち(自分の子も生徒も)が日々成長していくように大人の自分も成長していかなければと私はよく考えます。
2009.09.26 12:05
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