2009.09.30 00:10

 あなたの勉強机の上はどうなっていますか? ちょっと確認してみてください。机の上をきれいにするだけで偏差値が5は上がると生徒にも話すのですが、机の上がめちゃくちゃであるというのは感心しません。勉強をする前に急いで片づければいいだろうと考えているかもしれませんが、そんなことをしていると意欲がそがれてしまいます。
 勉強を終えた時点できれいにするように心がけてください。

 どれぐらいきれいにすればいいかということですが、何もない状態が理想的です。本やノート類はたててあればよいですが、平らに置きっ放して積み重ねたりしないこと。空のコップだとかお皿だとかも乗せておかないこと。筆記用具もまとめて引き出しにしまっておくこと。ペンたて? うーん。中の筆記用具がすべてきちんとしていればいいでしょう。遊び道具の類もーーあたり前ですがーーしまってください。ぬいぐるみだとか携帯電話の充電器だとか、勉強のときに使わないものも机の上からはどかしておきましょう。

 机の上というのは使う人間の心を表していると感じるときがあります。これはもちろん人格のいい悪いではありませんよ。
 外の世界で見ているものが心の中と違えば直したくなります。違和感を感じるからですね。整理整頓を心がけている人は大混乱の机の上を見れば、違和感を感じてどうしたってきれいにしたくなります。心の中と同じ状態にしたいからです。
 逆に大混乱の状態を見ても直さずにいられるということは、心の中もちょっと混乱している可能性があります。違和感がないから大混乱のまま放置出来てしまうのです。

 勉強がはかどるという意味ではどう考えても整理された心の方が有利でしょう。とりあえずは形の上からせめて机の上だけでもきれいにすることを日々実践していけば、やがて内側にも整理整頓の美が定着してきます。
 こういうことは大人に注意されるされないの問題ではありません。これから一生何らかの形であなたは机を使って勉強していくはずです。机の上の状況が自分の心を表しているということをどこかで覚えておいてください。逆に机の上がきれいに片づいているのなら、あなたの心もきれいに整理されているということです。
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2009.09.29 12:57

 人間、毎日毎日何もかもうまくいくものではありません。一生懸命努力していても何から何までうまくいかなくなるときだってあります。勉強や仕事だけでなく、人と人との関係もそうですね。これは大人も子どもも関係ありません。
 そういうとき誰でも一瞬はかっとなって外の世界の秩序を変えようとします。これはこうなるべきじゃないか! と。それでうまくいけばいいのですが、外の世界の力の方が強大でどうにもならないときの方が多いでしょう。

 外の世界を変えられないときは自分の内側を探りはじめます。どうしてこういうことになったのだろう? 原因を考えたり、さらにこんなことからさえ学べることがないだろうか? このひどい状況から自分自身の成長や利益を生みだすことが出来ないだろうか? と考えます。考えるのですから、大騒ぎしながらという人はいません。静かに真剣に考えます。外側に見つけられない答を内側に探すということですね。

 それをはたから見ていて、あなた、なに鬱になってるのー! などと言う人がいます。落ちこんでも仕方がないじゃないかとか、いやなことはぜんぶ忘れてぱーっと盛りあがろうぜ! などと言う人もいます。励ますつもりでそう言ってくれるのでしょうが、内面を真剣に探索している人間にとっては迷惑ではないかと感じるときもあります。

 探索の途中で何かを浄化するために涙を流すこともあるかもしれません。しかし、外の世界の秩序を変えられないときにそうやって内面深く探っていく経験は非常に貴重なものです。
 いちばんまずいのは探索している本人が「こんな風に暗くなっていちゃだめだ」「泣いてしまうようでは負けだ」「もっと強く明るくあるべきだ」と自分を強く責めてしまうことですね。成長出来るいい機会なのですから、今日は暗いじゃないかと言われても、自信を持って探究を続けてほしいと思います。
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2009.09.28 13:46

 先日、受験をしない小6コースの授業がはじまりますということを少し書きました。説明会が終わりましたので、ご報告を。
 どの教室もおかげさまで大盛況でして、とくに横浜教室では(ベテランの平井教室長の話もよかったのだと思います)現時点で受講生が五十名を超えました。皆さん、この種の授業を待ち望んで下さっていたのだなと心強く感じました。

 池袋は二十名程度のお申し込みです。昨年のように教室に入りきらなくて・・・というような心配はないのでほっとしています。各教室に講座を拡大したことで、それぞれご自宅から近い教室にお通いいただけるようになりました。
 授業は来月から始まります。隔週ですし、他教室に振り替える(ある教室の日曜の授業を他教室の土曜にという風に)ことも可能ですからよろしければ是非ご検討ください。講座を受けるまえのテストのようなものはありません。

 説明会のあとで何人かの保護者の方に質問を受けました。その中でいちばん多かったのが、いままで一度も塾に通ったことがないので不安ですという内容でした。この小6コースはむしろそういう生徒の方が多いぐらいなのでまったく心配はいりません。勉強の作法を一から伝授するという位置づけです。
 何度かお話しましたように公立の中学に入ったら、学校ペースでは高い高校に合格出来ません。将来、私立の一貫校生に負けない大学受験結果を残すためには中学に入ってからのスタートダッシュが大切です。

 中学生活開始と同時に学校以外の勉強をはじめる必要があります。通信でという方もいらっしゃるでしょうし、Z会進学教室が近いので教室でと考える方もいらっしゃるでしょう。また科目によって教室と通信を分けてという方もいらっしゃいます。また、普段は通信で、講習だけは教室でという方もいらっしゃいます。
 いろいろなケースがあり、きちんとやればどのやり方でも成功出来ますが、とくに通信でやると決めた場合は絶対にためこまないという強い意志を持ってください。学校が忙しいから、学校がテストだから・・・となってくるといつのまにか公立校のペースに巻き込まれてしまっています。

 まあ、先は長いですからね。いろいろ回り道があってもよいのです。何か出てきたら一緒に考えていきたいと思っています。
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2009.09.27 11:18

 テニスの杉山選手が引退されるそうですね。杉山選手については印象に残る話があります。プロに転向されるとき後援会の方が「せめて高校だけは卒業したら」とアドヴァイスをされたら、ご本人が「そんな気持ちではプロでは通用しません」ときっぱりおっしゃったとかで、まだ遊びたい盛りの高校生なのにすごい覚悟だなと思ったものです(その後、通信制で高校卒業の資格もとられていると思います。なおさら立派です)。
 どんな職業(趣味でさえそうかもしれません)でも本気でやろうと決めたら他のことに時間を割くのは難しいということなのでしょう。

 以前、中高一貫生を教えているときのことですが、ものすごく優秀な男の子(中学三年生)にきみはどうしてそんなに出来るんだね? と訊ねてみたら、彼は平然と「僕ほど一生懸命勉強している人は周囲にいませんから」と答えたので、そう言い切れる自信はすごいなと感心しました。
 高校受験生の非常に優秀な生徒からも同じようなセリフを聞いたことがあります。彼は少し考えてから「結局、人に言われていやいや勉強しているうちはだめじゃないですか」と答えました。彼は宿題の類を忘れないことで有名だったのですが、彼の言葉通りであれば、普通はみんながいやいややっている(そういう気持ちももちろんよくわかります)宿題をすべて「自分から進んで」三年間やり続けたということになります。出来るのは当然ですね。

 何だ、根性論かと軽く見てはいけません。彼らは自分が誰よりもやっているということに誇りを抱いています。その誇りが実力や自信になり、最後まで頑張れたのでしょう。勉学でもスポーツでも何をやるにせよ、自分が打ちこむべきことが見つかったらそれぐらい真剣にやらないと本物の中の本物にはなれないということなのかもしれません。
 本当は自分でわかっているわけです。ですから逆に受験生でもいろいろな活動に手を出しすぎていて、心のどこかで「他の人はもっとたくさん勉強しているよなあ」という弱気な部分が残っていると、自信のなさが悪い方向に引っ張ってしまったりします。

 単純に勉強しなさいという話ではないですよ。スポーツでも楽器演奏でも何でもいいのですが、何か本気で打ちこむべきことが見つかったなら、自分ほど一生懸命やっている人間はいない、自分ほど自らの意志で進んでやっている人間はいないと宣言出来るぐらい頑張ってもらいたいと思います。
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2009.09.26 12:05

 私は昔から気が弱く、子どものころはしょっちゅういわゆる「横入り」されていました。腹はたちますが、何も言えない。そういう状態が続きました。ところが、私の母は私の気の弱さを非常にいやがりました。言うべきことをきちんと言えない人間、当然の権利を主張出来ない人間は最低であるとよく叱責されました。
 いまになってはっきりわかりますが、母は自身も気が弱い女性でした。で、そういうところで損を重ねてきたと考えていたのですね。自分のいちばんつらいところを我が子に見て、腹をたてていたわけです。

 私自身は自分の気の弱さをある時点から個性の一種だと思っているので、何ということはありません。克服しようという気持ちも起こりません。頭を高く上げていないからこそ見えるものが豊富にあります。これはこれで一つの生き方だと自信を持っているぐらいです。
 ですから、自分の子どもに気の弱いところを見つけても叱責することはありません。彼自身は納得のいかないような顔をしているときがありますが、そうやって損をしているように見えてもあとでいいことがいっぱい出てくるよとアドバイス出来るだけの余裕があります。

 何を言いたいのかというとこういうことです。
 ときどき若い親御さんの中に自分のお子さんに自分自身の欠点を見て、かっとされる方がいらっしゃいます。かっとされてもいいのですが、不必要に強く叱ってしまうのは避けたいものです。「どうしてやられたらやり返さない!」「どうして約束を守らない!」「どうして先生にきちんと話せない!」・・・その通りなのですが、それだけのことで極端にヒステリックに叱ってしまうのはかえって逆効果でしょう。

 教育=教えて育むということですね。「育む」というところに力点を置きたいものです。そのためには大人側も自分自身をしっかり把握してコントロールしていく必要があります。こういうのはいくつだからということはありませんね。子どもたち(自分の子も生徒も)が日々成長していくように大人の自分も成長していかなければと私はよく考えます。
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2009.09.25 09:00

 私が住んでいるマンションのまえは大きな公園になっています。休みの日の夕方、私はよくその公園のベンチでぼんやりしていることがありました。ときどき思いついて携帯電話で自宅に電話をかけ、息子にベランダから顔を見せるように言ったりしました。「お父さんが座っているところがみえるかい?」と。
 ただうすぼんやりしているのが心地よく、一時間ぐらい座っていることもありました。明るいうちはとんぼや蝶が飛んでいます。日が傾いてくると鳥が群れて飛んでいくところが見えます。

 ところがその公園は工事があるとかで、九月一日から閉鎖されていました。何かの都合なのでしょう。工事期間は来春の三月までとなっていますが、いっこうに工事ははじまりません。たいしたことではないのですが、公園に行けないと明確に決まってしまうとなぜかむしょうにベンチに座りたくなります。
 柵のなかの様子は相変わらずです。すずめが自由に出入りしています。ベンチを見ているとベンチが誰かに座ってほしがっているような気がして切なくなります。私は毎日そのベンチを横目でながめながら教室に来ています。なぜか横目になってしまいます。

 こうした感傷はあまりにも子どもじみているのではないかとときどき考えます。高校生の息子がいる大の大人が公園のベンチが呼んでいるもないものでしょう。ですが、私にはどうしてもそう思えてしまう。
 で、気づいたのですが、私はこの人生で得た物質的なものが同世代の人間より少ない変わりに、失った感覚的なものも極端に少ないような気がします。そして確かに私には得るものの少なさより失うものの大きさの方がこわいのです。ベンチが呼んでいるような感覚をなくすのはこわい感じがします。

 まあ、昔はこんな自分の弱さ(?)を責めたりしましたが、短所は長所の裏返しだと気づいてからは、こうやって生きていくのも悪くはないなと思っています。
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2009.09.24 12:22

成績が伸び悩んでいます。子供が第一志望に受からないのでは・・・と弱気になってきました。どういった言葉がけをしてあげれば良いのでしょうか。また志望校を今から変えた方が良いのでしょうか。

 成績の伸びというのは不思議なもので、しばらく勉強を続けているとあるところで大きく伸びます。それからいくらやっても少しも変わらない時期があり、またしばらくするとぐんと伸びます。つまり「努力しても努力しても変わらない期間」を過ごす必要があるのです。そういう時期に蓄積したものがある日突然その子の視界を広げるのですね。見えてきたと実感出来る日が来ます。ちょうど液体が気体に変化するのによく似ています。量が質を変えるということです。

 あたりまえですがなかなか伸びないからといって何もしなくなってしまったら大きく伸びる日は来ません。ですから、親子でまずこうした仕組みを知っておく必要があります。あなたが十分伸びていないのはまだ量が質に変化していないだけなのだよと声をかけてあげてください。
 さらに伸びないという感情を本人が抱かないように気をつけましょう。どうせ出来ないんだという劣等意識は何よりも勉強に対するやる気を減退させます。自分は出来ないと思いこんでいる子が努力しようという気持ちになるわけがありません。

 成績を伸ばしたいと焦るあまり雑な勉強にならないように注意しましょう。さらに勉強をするだけではなく、勉強をしたことで今日は何を学んだのかということを確認する癖をつけましょう。今日一日机に向かっていてどういうことに感動しましたか? 知らないことを知ったわけですから、びっくりしたことはたくさんあったはずですよ。何も思いつかないというのは魂にまで届くような本当の勉強をしていないということになりませんか?

 出来る人というのはどういう人だか考えてみて下さい。あなたが出来る人になりたいのであれば、いま出来ないことを次々と出来るようにしていく「しか」ありません。当然ですね。出来ないことが出来るようになるということは、簡単に言えば徹底した復習主義ということです。ひらめかなくてもスピードがなくてもいいですから、復習だけは完璧にしましょう。完璧に「舐めるように」してください。

 最後に、お子さんに勉強に対して楽しむ感情を失わせない工夫が大切です。うんとおだててください。得点が少しでもとれたら褒めてあげてください。得意科目というのはそんなところから出来てくるものなのです。勉強が好きでなくても褒められることは大好きーーそんなところから勉強を好きになってきます。うんと認める。うんと褒める。褒めるところが見つからないなどというのは、大人側の怠慢だと私個人は自戒の気持ちを持っています。
 志望校はまだ下げなくていいです。十二月ぐらいまで様子を見ましょう。
 明るくいきましょう。そしてまた彼らの気持ちを明るくしてあげましょう。
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2009.09.23 15:07

 今日は中学生の皆さんの参考になりそうな話を書きます。いろいろな方が読んでくださっていることがわかってきましたので、なるべく大勢の方を対象にした話題をと心がけています。
 小学生のときはそれほどでもないですが、中学校に入ると内申が大切になってきます。とくに受験生ーー公立高校を受けるのであれば内申の点数は非常に重要です。各教科54321でつきます。5が最高ですね。9教科ありますから満点は45ということになります。実際に45とっている生徒もいます。

 これがとれない人がいる。テストは頑張っているのに評価されない。どうしてだと思いますか? 提出物も宿題もきちんとやっているのであれば、案外、気づかないことで先生からの評価が低くなってしまっているのです。
 たとえばーーこれは実際に聞いた話ですーーペン回しをしている生徒には5をつけないという先生がいます。頬杖をついている生徒にもつけないという先生がいます。授業中にシャープペンシルの芯を慌てて補給している生徒にはつけないという先生もいます。要するに態度が崩れているようでは最高水準の評価は上げられないということですね。

 ずいぶん封建的な話だと感じるかもしれません。ただもしいけばなだとか空手だとかアーチェリーだとか茶道だとか、あなたが習いにいけばもっと堅苦しいところからはじまるはずです。それこそ頬杖をついて説明を聞いていたりしたら「やる気があるのですか?」と怒られてしまうでしょう。どのお稽古事でも(内申があれば)5をもらえないと思いますよ。
 授業というのは先生だけが実施するものではなく、生徒が一緒になって作り上げていく面があります。あまりにも無反応だと先生もやりにくいものです。そうした微妙なところを協力出来るようになってくると先生からの評価も高まるはずです。

 そんなことまで考えて授業を受けなければならないなら5なんていらないよ、という方もいるでしょう。それも一つの考え方ですね。
 ただ大人になってくると実力以上にそうした気配りは大切です。実力がある人がすんなり成功出来ないのはそのあたりに原因があるケースも多いので、いまからちょっとだけ意識しておくことは将来の役にたつかもしれません。
 
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2009.09.22 12:25

 先日、息子と二人で外食しました。近所の和食を主体としたファミリーレストランに入ったのですが、いまはずいぶんレベルの高いお店もあるのですね。ひと昔まえのいわゆる「ファミレス」しか知らなかったものですから、非常においしいのにびっくりしました。
 私ぐらいの年齢になりますと身内にいろいろと身体の具合が悪い人間が出てきます。そういう関係もあって家内は遠くに行き、私たち二人で食事をすることになったのです。

 食事が終わってから、私は気持ちがいいので夜風に吹かれながら歩いて帰らないかと提案しました。息子は面倒くさいからバスで帰ろうよと言いました。で、結局お店のまえで別れて私はぶらぶら歩いて帰り、息子はバスに乗って帰りました。途中で息子を乗せたバスが私を追い抜いていくのが見えました。
 こういうとき一般的にはどちらかがどちらかに合わせるのでしょう。歩きなさいと親が子に命令する。あるいは仕方がないと子どもの言うことに合わせる。

 日常生活におけるその「相手に合わせる」ということの総量はどんな人でも相当に多いのではないかと思います。そして精神的に参ってしまう。合わせる自分もつらいですが、いつも強引に相手に合わせさせてばかりいる人もまたあちらこちらで他者とぶつかり、つらいでしょう。
 親子であっても個々人は違うのですから、私はいつも一緒に行動しなくてもいいと思っています。そして、そのことでかえって息子との関係はうまくいっています。

 こういうのは男女関係とか友だち関係なんかでもよくあることですね。仲がいいのだからいつも波長が合っていなければおかしいという強迫観念に苦しんでいる人を見かけることがあります。一緒にいることに少しでも苦痛を感じている自分を責めたりする。
 しかし、人間は独立した存在であり相手の一部ではないのですから、そんな日もあって当然でしょう。一人でいたいときは一人でいるに限ります。本当に信頼し合っている仲であれば、今日は一人でいたいと言えるべきだとも思うのですが・・・
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2009.09.21 12:40

 世の中は連休ですが、Z会進学教室はいつもどおり授業があります。ですからあまり連休という実感はありません。私もこの期間、一日だけお休みをいただきますがあとは教室に出ています。
 受験生の皆さんは連休だからといって羽根を伸ばせないのでつまらないと考えているかもしれませんね。しかし、そもそも勉強を自由な遊び時間と対極に位置するものと決めてしまったこと自体がおかしいのかもしれません。人間の活動を細分化しすぎたのですね。ここからここは勉強、ここからここは遊び、そうやって分けすぎたのです。

 個人の活動の中に勉強や自由な遊び時間が含まれているのは事実ですが、それらは本来渾然一体となってその人の人格を形成していたものです。勉強もその人なら遊びもその人。何をしているか見ていれば、だいたいどんな人かということはわかります。勉強だけ聖人君子みたいで、あとの時間はすべてめちゃくちゃというような人はまずいません。
 ありとあらゆる瞬間がその人の人間性に基づいて消費されています。毎秒毎秒ですね。そしてまたそれらは変化する。以前はつまらないことで日々を消費していた人が、だんだんりっぱなことで時間をつかうようになってきます。成長したのですね。うれしいことではないでしょうか。

 勉強に対して遊びと対立する嫌なものだという考えを払拭してください。そこからまずスタートしないといつまでたっても心の中の葛藤が解けません。勉強という言葉を聞くたびに、あーあ嫌なことが待っていると反応してしまいます。
 ご飯を食べるでしょう? 排泄行為はそれとは対極にあるものですが、あたり前のことであって食べるのは大好きでも出すのは嫌だとは誰も思いません。それと同じです。
 連休中もご飯を食べます。シャワーを浴びます。遊びもします。そして淡々と勉強もしましょう。対立項ではないのですから。すべての行為を通して、あなたというりっぱな人格を作ってくれたらいいなと思います。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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