2017.11.12 00:09

 私は過去確かにどこかで複数回この曲を聴いた記憶があります。ただ歌っている人間とか曲名にまで行き着いたことはありませんでした。おそらく外で聴く状況だったのだと思います。どこかから流れてきた・・・では調べようがないですね。で、いい曲だなで終わってしまったのでしょう。
 自宅でパソコンで適当に音楽を聴くことがあります。だいたいはソウル・ミュージックを聴く。連続で勝手に流れるチャンネルがありますね。そこで偶然見つけました。「あ、あの曲だ」
 
 曲名とアーティスト名をはじめて確認することができました。JOE JAMAという人の「MY LIFE」という曲でした。たぶんすごく有名な曲だと思います。1969年に流行ったらしい。この当時のポップスやソウル・ミュージックについてはおおかた渉猟しつくしたつもりだったのですが、まだまだあるものですね。出会っていない名曲がどれだけあるのだろうと考えると変な焦りを感じます。
 以前、フォー・トップスの「Still Water」を見つけたときもそんなことを考えました。
 
 イントロの部分がかつてブログにも書いた「More today than yesterday」という曲に酷似している印象を受けました。同じころ発表された曲らしいのでどちらかがどちらかの影響を受けた可能性はありますね。
 JOE JAMAというミュージシャンについても私はまったく知りませんでした。ほかの曲も検索してみましたが、これまたつい最近ブログで記事にした「What Does It Take」という曲も歌っていたりして、もっと早く知っていてもおかしくなかったと思います。
 
 タワー・レコードで音源を探してみたのですが、見あたらない。新宿にも渋谷にもありませんでした。お店の人に訊いてみようかとも思ったのですが、もう少し偵察してからにしようと思います。
 曲の好き嫌いというのは、人それぞれです。ヒット曲だからといって全員の方が支持するとは限りません。また昔好きだった曲に無感動になるということもありますね。私がはじめて買ったLPレコードはトミー・ロウのものでした。いまトミー・ロウを聴くとなぜLPまで買ったのだろう? と思います。
 
 13歳の少年にとってLPレコードというのはそれなりに高価なものでした。それをビートルズでもストーンズでもモンキーズでもビージーズでもレッド・ツェッペリンでもなく、トミー・ロウをまず買ったあたりに何かしら複雑な事情があったような気がします。精神的な事情ですね。まあ、たいしたことではないですけどね。
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2017.11.04 00:13

 ヘヴィ・メタル専門誌、BURRN! についてはこれまで何度も記事にしてきました。まだ私が20代だった1984年に創刊された雑誌で、以来私は33年間レギュラーのもの(臨時増刊号などではないもの)は1冊残らずほぼ毎月発売日に購入して愛読してきました。
 こういうのはやろうと思ってできるものではなく、単純に音楽やミュージシャンに対する強い愛情があって続いてきた「結果」ではないかと思っています。
 
 少年期にも私は「ミュージック・ライフ」誌や「将棋世界」誌を欠かさず購読していた時期がありましたが、せいぜい3年間ぐらいです。そのうち今月は必ずしも買わなくてもいいだろうとなり、ひとりでに途絶えていきました。
 BURRN! 誌についてはある意味で、人生の伴走者みたいな感じになっています。33年間というとやはりいろいろなことがありました。しかし、毎月5日(基本的に)にはBURRN! 誌が発売され、私は33年間いかなる月もそのことで喜びを得ることができました。
 
 そのBURRN! の増刊号みたいな形で今年に入ってBURRN! CLASSICSという雑誌が発刊されました。いままで2冊出ていますが、最近出た第2号がそれはそれは面白い。
 ロックに詳しい方でも、リー・カースレイクだとかピート・ウェイ、バーニー・トーメ、ニール・カーター・・・という名前を聞いて、ああ、あの人ねと即座に思い浮かぶケースは稀なのではないかと思います。あくまでもヘヴィ・メタル圏の住人でないと。そういう方たちのインタビューが中心になっています(予告にあったエディ・クラークのインタビューがなぜかなかったのだけは残念!)。
 
 彼らもまた歳をとりました。年齢的には私より5歳ぐらいうえのミュージシャンが多い。当然ながらその年齢で「イエーッ! ロックン・ロールだぜ!」だけみたいな方は1人もいらっしゃらない。闘病生活を送られていたり経済的危機を経験されていたり、内省的な話がばんばん出てきています。
 買った直後に読みたくなりわざわざお店に入って読み、さらに電車の中でも読みながら帰りました。客観的には私は初老ということになると思います。人前でむさぼるようにヘヴィ・メタル・マガジンを読むのはちょっと気恥ずかしかったのですが、まあそれだけの価値があったということですね。
 
 
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2017.09.05 08:22

 私はファッション関係は何も知りません。制服、スーツ、ウェディングドレス、ワンピース、Tシャツやワイシャツ類・・・ぐらいしか区別がつきません。興味がないというより、そういうことに興味を抱かない自分を誇るような変な気取りがあるのです。
 若いころ黒のジーンズばかりはいていたのですが、一時期世の中にブラックジーンズが流行したときは、自分が流行を追っているように見えたらどうしようと困惑したものです。
 
 ジミー・ペイジが2回目に来日したとき、自分は絶対にオシャレな人間ではないと言い張っていたという記事をミュージックライフ誌で読んだのですが、当時の彼なんか誰が見てもオシャレには間違いないわけで、要するに他者にそういうことを言われるのが苦痛なのだと思いました。
 ロックファンでなくてもロックTシャツを着るというのが流行っていますか? 流行っているという記事を読んだのですが、自信がありません。
 
 賛否両論があると書かれていました。なるほどファンの方にしてみるとアーティストも楽曲もまったく知らずに、デザインがかっこいいというだけの理由でTシャツを着られるのはちょっと面白くないのかもしれません。
 以前、荻窪だか中野だかで私の大好きなハードロック・グループのワールドツアー用のTシャツを着たすごい「おばちゃん」を目撃したことがありました。人を見た目で判断することはよくないですが、さすがに洋楽は聴かないだろうという感じのおばちゃんでした。何かで安く手に入れたということなのではないかと思います。
 
 私はもういい大人ですからいやな気持ちはまったくしませんでしたが、そのおばちゃんの雰囲気とTシャツのミュージシャンの楽曲との乖離はめまいがするほどで、なかなか難しいものだとは感じましたよ。
 ときどき生徒(中学生)でロックTシャツを着ている子がいます。自分が担当している生徒には訊いてみることがあります。きみはその歳でレッド・ツェッペリンを知っているのかね? と。するとだいたいはおうちの方の影響ですね。おうちの方が好きで何となく聴くようになった。
 
 難しいのはストーンズの例の舌やKISSなんかのTシャツですね。デザインの面白さだけで気に入っている可能性があり、いきなり音楽のことを話しかけてもご存じないかもしれません。
 で、そのままになってしまう。昔ーーこれは生徒ではないのですがーー街中でものすごく素朴な感じのおそらくは中学生の男の子が、ルー・リードのTシャツを着ているのを目撃したことがありました。あれは何だったのだろう。
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2017.06.27 00:25

 リッチー・ブラックモアのバンド(レインボー)が今年もイギリスでライヴをスタートさせています。ロック・フェスティバルに出ているのですが、初日17日のステージの模様はすでにYoutubeにたくさん投稿されていました。前座が「フォックス・オン・ザ・ラン」のスイートでしたよ。
 メンバーは昨年度と同じです。ベースとドラムスについてはいろいろ言われていましたが交代はありませんでした。もっとも指摘されていたベーシストの服装とドラムセットは圧倒的にロックバンドらしくなっていました。
 
 ドラムセットはバスドラが2つ。コージー・パウエルが叩いていた曲を再現するわけですから、やっぱりこうじゃないと。
 興味深いシーンがありました。私がいちばん好きな「スターゲーザー」という曲、今年はレコード通りドラムソロから入っています。もともとそういう曲なのです。コージーのど派手なドラムソロからスタートする。
 ところが昨年はその部分が省略されていました。アマチュアでもちょっと頑張れば叩けるはずなので、どうしてだろうと不思議に感じたものです。
 
 その部分をドラマーが再現して見せた。ところがベーシストが明らかに不快そうにやめろやめろと反応しているではないですか。さらに馘首だぞみたいな動きまで見せました。右側にいたリッチーもさっと腕を伸ばして「そこまで!」みたいなアクションを見せた。あれは何だったのだろう? 
 ドラマーは立ち上がって、観客にどうだ! と両腕を広げていました。まさかとは思いますが、独断? 演出? 大丈夫かな。
 
 シンガーのロニー・ロメロという人はとにかく歌が上手です。昔のレインボーのシンガーたちがさかんにリッチーと再演したがっていましたが、これだけの逸材が見つかるといまさら他の人間とやろうという気分になれないのもよくわかります。ルックスが若干地味めではあるのですが、昨年度のステージと比べると今年のほうが数段リラックスしていて、笑顔も自然な感じでした。それだけ大舞台に慣れてきたのでしょうね。そういえば「銀嶺の覇者」を演奏しているとき背後のスクリーンにはロニー・ディオが大きく映っていましたよ。
 
 昨年度よりディープ・パープルの曲が減り、レインボーの曲が増えました。72歳になったリッチーは相変わらず気難しそうですが、ディープ・パープルの末期みたいにうんざりしている感じはまったくありません。
 最近のインタビューでは飛行機に乗りたくないので日本には行かない・・・みたいなことを語っていましたから、もう来日はむりかもしれないですね。
 知的でシャイな大人がどう振舞えばいいかということを、この人ほど体現してくれている人間はいないような気がします。
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2017.05.30 00:40

 自分の場合ーー基本的にはすべて洋楽ですがーー過去に好きだった曲がたくさんありました。そこには微妙な要素が混じっていて、特定の時期のことを考えたくない意識がどこかに潜んでいるとせっかくいい曲であるのに、現時点ではあまり聴こうとしなかったりしますね。
 もったいないとは思うのですが、映画のサントラ盤と同じで、好んだ音楽はどうしても人生に密着していますからね。つねに無邪気に聴き返すだけ・・・というものでもないようです。
 
 中学生時代の自分は英国の国民的シンガー、クリフ・リチャードが大好きだったのですが、のちのち当時の(クリフではなく)自分自身を非常に軟弱に感じて、いまはめったに聴くことがありません。はじめて買った洋楽のシングル盤はクリフ・リチャードの「幸せの朝」だったのですが。
 また初期のローリング・ストーンズも変にのめりこんでいた時期の自分が恥ずかしくて聴かなくなりました。「シーズ・ア・レインボウ」は言葉を失うほど感動したものです。こんな発想の曲、まずないですね。発想だけならプロコル・ハルムの「青い影」が似ていますかね?
 
 自室では身支度をしているときにYoutubeで適当に音楽を流していることがよくあります。メドレー形式でさまざまなアーティストの代表曲が流れてくる。真剣に聴く感じでもありません。
 ときどき昔大好きで、いまはあまり聴かなくなった名曲が流れてきてはっとすることがあります。瞬間的に当時のことを思い出す。アイズレー・ブラザーズの「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」が日曜日の朝偶然流れてきました。あ、という感じで1975年ごろのことを思い出した。
 
 この曲はのちのちアイズレーの代表曲になった曲ですが、発売直後はまあまあの評価しか得ていなかったように思います。当時、全米トップ40を聴いていてベスト10内に入ってこないのでとても不満でした。日本ではシングルカットさえされなかったと記憶しています。シングル盤でないとなかなか手が出なかった。
 この曲と「傷だらけの天使」というテレビドラマが自分の中ではダブります。再放送だったのかな。若くして死んでしまった友人と新宿をうろうろした。路上でもお店でもみんなどこでもずーっとタバコを吸っていました。
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2017.05.03 10:01

 1泊で、本当に大阪に行ってきましたよ。今回は南田辺のSという有名な居酒屋さんに行きました。これはしかし素晴らしかった。東京にもここまでレベルの高い「大衆」酒場はほとんどないように感じます。太田和彦先生が書籍に「涙が出た」と紹介されていましたが、伝えたい要素はわかりました。涙という大げさな単語を使いたくなるレベルでした。
 昼間は阿倍野の有名な老舗店Mにも行きました。通天閣のほうも歩きました。
 
 ぜんぶ見ておきたいということですね。ただMは少し心配になった。昔ほど勢いがないような気がします。若い方が入りにくい要素がある。もちろんそれで守られている部分も多々あるのです。私のような年配の旅人がふらっと入っていくのに何の違和感もない。
 それでも注文したものが瞬間的に出てきたりするとうん? と感じました。あれをスピーディーですばらしいと評価する方もいるでしょうし、作り置きかとがっかりする方もいるでしょう。ちょっとだけ昔とは空気が変わってきているような気もしました。
 
 今回は音楽の話を書こうと思っています。
 ラテン系でTIERRAというグループがいます。自分はメタル以外は全然詳しくないのですが、けっこう有名なバンドみたいですね。彼らの「TOGETHER」という曲自体はイントゥルーダーズだとかラブ・アンリミテッドだとかで有名なので、ご存じの方も多いかもしれません。
 私はこのTIERRAのバージョンをーー詳しくは書きませんがーーある意味不快な状況下で聴きました。1981年の初頭だったのではないかと思います。
 
 最低の環境下で聴いたものの、音楽自体の持っている肯定的な力のせいで印象に残りました。夕暮れ時でしたね。結果的に忘れられない思い出の曲になっています。こんな記事を書いているぐらいですから。
 私は基本的には「幸福」の伝播のために音楽の話を書いているのですが、この曲は間違いなくそうした力を持っているように思います。幸福だけを伝播していく感じ。興味がおありの方は、Youtubuで検索なさってみてください。
 
 そしてまた私は感じるのですが、あんな不快な気分の中で聴いた音楽でさえ結果的にこんなに意味を持つのであれば、私たちのひと言ひと言も非常に大きな価値を持っていいという気がします。大上段に構えたものではなく、「きみはこれこれこういうところがすごい」「そういうあなたが大好きだ」のひと言でいいと思うのです。心のこもった肯定的な表現はどういう状況下でもご本人の胸に残るはずです。私が「TOGETHER」を36年間忘れないできたように、温かなひと言がどなたかを救うことだってあると考えています。
 
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2017.03.06 09:22

 中学3年生のとき、両親に精神科に通わせてほしいと頼んだことがあります。だめだと言われました。
 あれは何というか・・・自分の中にある種のダンディズムのようなものがあり、徹底的に病的でありたい、できれば病んでいるという確証を得て友人たちに宣言したいという変な気持ちがありました。精神病のことを医学辞典でさかんに調べ、自分はそうではないかと考えた。読めば読むほどそう感じてくるものです。
 
 鬱という漢字を覚えたのもそのころです。鬱だと自称しながら(?)漢字が書けないようではみっともないという思いがあり、何度も何度も練習しました。まあ、変わった少年でしたよ。
 権威だとか明朗だとか、立派、元気、快活、健康などという概念に徹底的な憎しみを抱いていたように思います。そういうことを押しつけてくる大人は絶対に信用できないと考えた。
 そうなってしまった主たる原因は、やはり家庭にあったと思います。私自身の内側だけでわかっていることですが。
 
 少年期に「負」のヒーローみたいなのがほしい。暗いくせに、ものすごく女の子にもてるというような。
 それがスコット・ウォーカーでした。ミュージックライフ誌のインタビュー記事を読んだら「公演は金のためだけ」と言い放っている。さらに鬱病にかかっていたという告白もありました。端正な顔を隠すように、真っ黒なサングラスをかけた写真(インタビュー時のものではなかったかもしれません)が掲載されているのを見て、私も真っ黒なサングラスを買いました。
 当時のスコット・ウォーカーは女の子にすごい人気でした。人気があるのになぜこうなる?
 
 もっともいくら何でも美男子の典型みたいなスコット・ウォーカーと自分を重ね合わせるほど狂っていたわけではありません。目指すことはできない高峰だという気持ちは常にありました。
 漠然と、そちらの方向に歩みたいと考えただけです。黒いサングラスは夜でもかけていました。夜道が見えなくて側溝に落ちたことが2度あります。
「ジョアンナ」というバラードが有名ですが、私は「ザ・ウォー・イズ・オーバー」という曲が好きです。じつに不思議な曲。うまく説明できません。
 
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2016.12.14 00:15

 人生、いろいろなことが起きますね。私は若いころいわゆる「ロック」音楽が大変好きで、物事の基準をそちらで考えることがよくありました。「ロック」とあとは「文学」ですかね。
 その判断は「ロック」的であるかどうか・・・みたいな感じでした。「ロック」的であれば全面的によし、そうでなければ全然だめということです。
 他人から見ればばかみたいなことが多々あったと思います。雪の日でも革のジャケットの下はシャツ1枚だけしか着ないとか。
 
 どうしてそんなところにいたのかよく覚えていないのですが、雪の降る厳寒の日に例によって革のジャケット+シャツ1枚で浅草にいたことがあります。めちゃくちゃに寒かったのですがやせ我慢してビールを飲んだりしていたら、見事に風邪をひいてしまいました。寒すぎたというばかみたいな理由で倒れたわけですが、あれで風邪をひくのであれば病気になったほうが正しかったのだと思いました。厚着をして風邪をひかないより、薄着のままで(不本意ながら)風邪をひくほうがより「ロック」的だと判断した。
 
 破滅的な「文学」にも非常に共感を抱いていた時代があり、ゆるく安全に生きるのは不純だという気持ちがありました。無難に生きてどうする? 私は10代のころの友人をすべてなくしてしまいました。彼らの安定志向(それはむしろ人間として当然だといまはわかります)が自分の美意識と合わなかったということがありました。
 相当偏った20代30代を送っていましたが、だんだん「文学」的あるいは「ロック」的に生きる必要はないのではないかと感じるようになりました。むしろーーここは不思議な感覚ですーーそうした部分を隠しておきたいような気持ちが出てきたのです。
 
 わかりやすく書くと「ここでミック・ジャガーならどうするだろう?」などと考えなくなっただけではなく、ミック・ジャガーの話題が出てくるとあえて逃げてしまいたいような変な衝動(?)が起きるのです。文学でも同じです。
 昨日の朝刊にボブ・ディランのノーベル文学賞授賞式のことが出ていました。代理のパティ・スミスがディランの歌を歌った。途中でーー私は映像は一切見ていませんーー歌詞だか何だかを間違えてしまったそうです。彼女は「緊張してしまって」とおっしゃった。
 
 その言葉さえとても「詩的で美しく感動的だった」という意味のことを音楽評論家の方が書かれていました。今回の一連の騒ぎの中で私がいちばん心を打たれたのは、パティ・スミスの「緊張してしまって」という言葉に詩を感じられたその方の感性でした。その解釈には何かしら非常に貴いそれこそ「詩」がこもっています。
 ただ私は単純に枯れてしまったわけでもないのです。いまーー0:13ですかーーブラック・サバスの「サボタージュ」というアルバムを聴きながらこの文章を書いています。
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2016.11.21 08:19

 18日の金曜日にリッチー・ブラックモアズ・レインボー最新ライヴ映像のDVDが発売されました。私が入手したのはDVDとCDがセットになったものです。以前から発売日はわかっていたので心待ちにしていたのですが、当日近くのタワー・レコードに行ったら1枚もない! 売り場を何度も丁寧に探したのですが、どう考えてもない。調べてみると「取り寄せ」になっていました。
 通販みたいな形ですぐに買うことはできるのですが、やっぱり店舗で入手したいでしょう。高揚感が違う。
 
 翌日、もう1度行ってみたら何枚か入っていたので買ってきました。さすがはプロが撮ったものだけあって、映像がすごくきれいでした。Youtubeで見たものとは全然違う。
 あのライヴに関してはいろいろな意見があるみたいですが、私個人はリッチー・ブラックモアが再びハードロックを演奏してくれたという「だけ」で十分でした。それとシンガーが抜群に上手いので、どの曲も安心して聴くことができます。やっぱり歌が苦しそうだと(高音が出なかったりして)聴いているほうもはらはらしますからね。今回のシンガーは「チャイルド・イン・タイム」まで歌える大変な逸材です。
 
 リッチー・ブラックモアは昔のイメージ通りでした。体型が変わったりということはありましたが、振舞いというか動きや表情はイメージ通り。そうそう、これだからありがたいという気持ちになりましたよ。
 ライヴ会場のはるか上方を電車が走っていくシーンがいくつか入っています。ああいうのは胸を打つものがあります。涙ぐみたくなるというか何というか・・・電車に乗っている方はおそらく何かやっているなぐらいでしょう。ライヴ会場にいる方は、熱狂していて電車どころではない。
 
 その両方をどちらとも直接関係ない人間が、ふと目撃する。目撃せざるをえないように作られている。
 神の視点と言うと大げさですが、うんと高いところから人生の秘密みたいなものが垣間見える錯覚が人を感動させるのだと思います。こんなことが世の中では同時に起きているのか! という感覚ですね。
 それにしても「スターゲーザー」は圧巻でした。私は大昔、この曲を友人の家ではじめて聴いたのです。
 
 複雑な状況下で聴きました。レコードは別の友人から借りた。自宅に帰ってから聴けばよかったのですが、待ちきれずに他人の家で聴いた。畳の部屋でした。
 衝撃を受けましたよ。こんな曲はいままで聴いたことがない。唖然として友人に「この曲、何だかすごいと思わないか」と言ったのですが、その友人はハードロックの信奉者ではなかったので、ふーん・・・ぐらいでした。
 あの日から40年(正確には39年)。今日につながります。
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2016.11.02 09:08

 昔の音楽を聴くとその当時のことを思い出します。これが面白いもので、あまりにも大ヒットしてしまうとあとから何回も何回も聴く機会があるために、時代がごちゃまぜになって全然懐かしくなくなります。「アローン・アゲイン」(ギルバート・オサリバン)とか「雨にぬれても」(B・J・トーマス)とか。どの時代も聴いてきたので、初回に耳にしたときの「衝撃」が飛んでしまうのですね。
 ですから、どちらかと言えば日本ではマイナーだったヒット曲を聴くと思い出がよみがえってきます。
 
 思い出と言っても私はあまり人さまのことを思い出すことはありません。同性でも異性でもそうです。どなたかと親しかったときに、自身が考えていたことや感じていたことを思い出す感じでしょうか。
 それこそ好きだった(憧れていた)異性がいたとして、彼女がどうこうではなく自分はあのときこんな風だったな・・・ということを漠然と考えるのです。するとそこには必ずのめりこむ何らかの理由があります。たとえばこれこれこういう事情で惨めだったから、ああいう華やかな人にひかれたんだなとか。
 
 もともとーーいくら憧れていたとしてもーーおつきあいのない他者のことが、そんなに「すばらしい人である」とわかるわけがないのです。要するに知らない人です。その知らない人に知っているようなある種の「錯覚」や「幻想」を与えていたのは、他ならぬ自分自身でした。
 自分の何がそういうものをもたらしていたのか。昔の曲を聴きながら考えると気づくことがたくさんあります。ですからこの懐かしさは、たとえばクラス会なんかに出かけていって皆さんともう1度語り合いたいというのとは違うのです。個人の中で完結してしまう。
 
 子どものころ自分は他者への依存心が強かったように思います。現実逃避の手段として他者に依存した。その姿勢は間違っていたと思いますが、間違っていた生活の果てに現在が構築されているわけですから、それはそれでよしとするしかない。私が触れられるのは現在だけなので、間違った過去から築かれた現在だけはせめて間違えないように生きることが使命であると考えています。
 LTDというソウルグループの「Lovers  Everywhere」という曲があるのですが、1980年代初頭のことを思い出しますね。思い出の中でさえ、他者は自分を映す鏡ですね。
 
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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