2011.07.17 09:57

 国語の成績と読書習慣は必ずしも比例しないとおっしゃる国語の先生がよくいらっしゃいます。私はその言葉を「読書しているのだから国語なんか勉強しなくたって何とかなるさ」と勘違いしている中学生へのある種の警告であると受け止めています。いくらたくさん読んでいるからといって、一切勉強しなくてもいいやと開き直られるとやはり心配です。

 ただたくさん読む生徒はやはりよくできます。今年、私が担当している生徒にしょっちゅう文庫本を手にしている知的な男の子がいます。私がどれぐらい読むのかとたずねたところ、多いときは週に3~4冊と答えました。中学二年生ですよ。
 一緒にいた男の子もこれまたよくできるのですが、そちらは週1冊は読むかなと言っていました。

 仮に週1冊だとしても年間50冊以上読むことになりますね。そういう子はやはり「骨格」が違う。考えているとき周囲に漂う沈黙度みたいなのが圧倒的に深いのです。ああ、いま考えているなあという感じがひしひしと伝わってきます。
 読書というのは孤独な行為ですからね。一人でじっと文字を追う。それがまた楽しくて没頭する。その繰り返しです。対象は文字ですから毒々しい刺激があるわけではない。それなのに夢中になっている。得難い時間です。

 昔見ていた生徒でもーーこの子はお母さまが古文の先生でしたーー年間200冊読み続けてきたという中学生がいましたが、ものすごくできました。200冊というのは大げさじゃないかとも思ったのですが、夏休みは3冊ぐらい読む日もあるというので納得しました。授業と授業の休み時間にも本を開いている。休み時間ですから騒いでいる生徒が多いなかで、飛びぬけて落ち着いた時間を過ごしているという印象が残りました。

 読書習慣を持っている人は簡単に言えば知的な人間でしょう。知的な人間であるがゆえに「結果的に」勉強もできるようになる・・・ということなのですね。私は読書はとても大切だと考えています。
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2011.04.18 13:30

 読解力についてはあれこれ質問されますが、読んで理解するということの「理解」の方ですね、こちらをもっと重視しないといけません。理解する主体は人間なわけで、その人間が薄っぺらなものであれば当然理解も表面だけのものになってしまいます。ですから、あなたがまずやらなければならないことは、ぶ厚い問題集を購入することではなく、また勉強時間をやみくもに増やすことでもなく、あなたという人間の質を鍛えることです。

 よく読書をすると読解力が伸びると言われますが、これには二通りの理由があり、活字に慣れることで映像化がたやすくなり(当然理解も容易になる)読むスピードが格段に速くなるという側面ばかりが重視されますが、もう一つ、読書を大量にする人間は人間としての深みも増すという事実が見落とされがちです。やはりたくさん本を読む人は全然読まない人より物事を深く考えるものです。孤独な作業なので、一人で考えざるをえないところがいいのですね。

 たとえばこういう表現があったとします。「愛しているから二度と会わないことにした」これをたとえば小学一年生が読むのと十代の少年少女が読むのと家庭を持った男女が読むのとおじいさんやおばあさんが読むのとでは全然解釈が違ってくるでしょう。その「違い」こそが読解力の差になるわけです。
 こういう言葉はどうですか。「自殺は処世術みたいなものである」ある作家がこんなことを言っていましたが、解釈以前に反発を感じられる方もいらっしゃると思います。しかし、それでは「読解=読み解き」はできないですね。

 そうした自身の価値観を抑えられる大人でないといけないということです。深いものの見方、考える習慣、好き嫌いを超越できる意志力、自身の器をどこまでも大きくしていくことで、世の中の事象を理解できるようになるわけで、机のまえに座っているだけではなかなかそういう力がつきません。
 自分の内面を鍛えるという強い意志を持ちましょう。生活すべて、自分で考えて主体的に生きてください。その行為はあなたの本当の欲求なのか、なぜあなたはそれを選択したのか、何のためにあなたはそのように生きるのか。そう自問しながら生きるのです。
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2011.03.04 14:23

 インターネットで将棋を指すときに、対戦相手の戦歴がわかるようになっています。私ももうまる十年以上指しているので何千局かになっていますが、なかには何万局というすごい方もいます。けっこういますよ。三万何千勝、四万何千敗みたいな感じですね。
 将棋は負けたくて指すものではありません。弱くなりたくて指すものでもない。皆さん、勝とう、上達しようと考えて指しているに決まっています。

 ですが、実際何万局も指している方たちの実力はどうかというと、なかなか段に上がれていません。級位者が多いですね。もちろん例外はありますが、高段者はそんなにやみくもに指していません。一局一局を大切に考えているのでしょう。
 何万局指しても必ずしも上達するわけではないという事実。じつは国語という科目もそうなのです。できる生徒と解いた長文問題の量とは比例しません。

 ですから、ものすごい量の問題集をやらされているのに延々と読解力がつかない小中学生もいます。もちろん自分の生徒にはいませんよ。そんなには解かせないように心がけていますから。ただ自分も二十代三十代のころはよくわからず、やらせればやらせるほどできるようになると勘違いしていた時期がありました。とくに個別指導の子にはたくさんの宿題を出していました。

 量を増やすことで質が低下してしまうわけですが、質の低下の第一原因はうんざりしてしまうことですね。満腹状態のところにご馳走なのだからもっと食べろと強要しているのと同じです。次に雑にやるクセがついてしまう。じっくり読んでいたら終わりませんから、傍線部の周辺は丁寧に読んでも関係ない部分は読みとばすようになります。そういう姿勢が固定化してくると、書いてあることの「筋」はわかっても気づきみたいなものがまるで起きなくなる。どんなに美しい表現もまだるっこしくて心に響いてこないのです。

 文章は生き物ですから、死物として扱えば取り逃がすことがたくさん出てきます。作者がある意味でのりのり(死語?)状態で書いているものについては、こちらもできるだけのりのり状態で読まなければ微妙にリズムが伝わらないのは当然でしょう。だからいやいや問題集をやるより読書の方がよほど効果的だったりするのです。問題を解くときの自分の気持ちを冷静に観察してください。仮にうんざりしているのであれば、そこで止めた方が賢明です。
 

 
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2010.10.01 15:20

 読解力がないので・・・と言いながら、修行僧みたいな顔をしてひたすら問題を解いたりしている人がいますが、根本的な問題として読んでいて楽しいという精神状態でなければ頭に入ってこないものです、文章は。
 まして(どうしてこんなことやらなくちゃいけないんだ!)と憎しみをこめて読んでいるようでは、文章の方だって(そんなにいやがられている相手にわかられてたまるものか)といちばん大切な部分はなかなか理解できないようにしむけてくるものです。

 結局生きているのですよ、文章も。人間が書いたものですからね。書いた人は自分ではそれなりにいいことを書いていると思っています。こういうところに目をつけられるのは自分ならではだよなあと。読んでくれる人はきっとこの仕掛けに気づいてくれるはずだとか、わざとまわりくどい表現をしてちょっと困らせてやろうとか、あれこれ読み手と一緒に楽しもうと工夫をしている。文字や文章に生命を吹きこんでいるのです。
 ところが、読む方はいやでいやでたまらない。こんなつまらない文章を読まされて・・・とむくれながら大慌てで読み飛ばす。仕掛けに気づくも何もあったものではありません。

 読んでいる自分の心理状態に注目してください。わかりやすく言うと、いま私は楽しんでいるか、余裕を持って丁寧に文字を追っているか、新しいことを知ってわくわくしているか・・・ということですね。こうした気持ちで読むものだけが実になると考えてください。いやでいやでたまらないのであれば中断した方がいいと思います。
 はじめは読むものは何でもいいのです。ちらしだっていいぐらいです。私はけっこうちらし類を熟読しますが、妙なことが書いてあったりして面白いものです。

 小説やエッセーは好きなものだけを読めばいいですね。スポーツ選手やミュージシャンのエッセイでも構いません。オシャレな言葉がぽんぽん出てきますが、実際はゴーストライターの方が書いていたりします。ご本人の話に基づいて書く専門の人がいるのですよ。
 評論は書籍を買うのは大変なので、入試問題を読むだけでいいでしょう。解かなくていいですから、数々の仕掛けを筆者と一緒に味わってください。
 ほらほら、そんな風に眉根にしわを寄せないで。好奇心を持って読みましょう。
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2009.10.11 11:31

 昨日、教室である生徒と話をしていて感じたのですが、読解力というものを誤解している人が多いような気がします。重要なことですのでちょっと気がついたことを書いておきます。
 読解力をつけるために何をやったらいいですか? という質問は非常に多いですね。その「何を」というのはたいていの場合、問題集だとか参考書だとか、机の上での勉強のやり方だけを意味しています。

 しかし、本当の意味での読解力は受け取る側の人生観の深さに左右されます。その人が浅い物の見方しか出来なければ仮に問題文中のすべての言葉の意味を的確におさえたとしても浅い読み取り方しか出来ません。逆に深い物の見方が出来ればいくつかわからない単語が混じっていてもまったく問題なく深く理解することが出来るでしょう。

 一例を挙げます。たとえば近親者の死という話題が出てきたとします。そういう経験のある子とない子では全然理解の仕方が違います。近親者でなくてもたとえばペットの死を経験した子は(そうだよなあ、つらいよなあ)と体験的にわかります。また(ペットでさえあれだけ泣いたぐらいだから近親者だったらどんなに悲しいだろう)と容易に想像力を働かせることが出来ます。
 同じようにたとえば環境問題が出てきたとき、ふだんからゴミのリサイクルに取り組んでいる子は(だから自分は一生懸命リサイクル活動に励んでいるのだ)と共感を持って読むことが出来るでしょうが、まったく興味がなかったという子は(へー、そんなに大変なの)程度にしかその場では理解出来ません。

 つまり、読解力というのはふだんのあなたの生活、あなたの考えていること、あなたの体験、あなたの教養に直結しているのです。鍛えるのであれば、まずあなたという人間の器を大きく豊かにするよう鍛えていかないといけません。問題集なり参考書なりに手を出すのはその大前提をきちんと認識したあとです。

 国語はやってもやらなくても同じだという意見があります。たしかに机の上の勉強だけであればやっても伸びない時期があるかもしれません。それは人間としての器を大きくする努力を並行させていないからです。こういうことを大人はもっと子どもに伝えてあげないといけないと思います。
 文章はあなたによって受け止められます。あなたの中にその文章に感応する部分がなければ、文章側も本当の面白さをあなたに見せようとしないでしょう。どの文章に対しても鋭く対応出来る嗅覚を身をつけるように心がけてください。いろいろな意味で、大人にならないといけないですね。
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2009.07.31 10:26

 二十年ぐらい昔でしょうか。小学五、六年生に小説の主人公の顔を連想させていたことがあります。「この問題文の主人公はどんな顔だろう?」彼らに次々と提案してもらって、私が下手な絵を黒板に描きます。
 「髪は長いな」「絶対一重瞼だろう」「そうそう、僕もそう思う」「ヒゲが生えてるかも」「えー、それはないよ。絶対剃ってるよー」・・・そんなやりとりをしつつ、絵は完成していきます。面白いもので、だいたいみんなが納得出来るような姿かたちが出来あがります。

 昔の子どもは楽しく遊びながら活字をうまく映像化出来ていました。ところが、こういう遊びがだんだん出来なくなってきました。いまでは中学生でさえ出来なくなってしまいました。彼らは「問題文のどこにも容姿は描写されていません。だから顔かたちまではわかりません」と答えます。想像もつかないと。
 これはちょっとこわいことです。問題文を読みながら(小説全体を読めば容姿の描写もあるでしょうが)、その主人公がどんな顔をしているのか想像もつかずにーーそれこそ太っているのか痩せているのかも思い浮かばないような状況でーー繊細な気持ちの変化を読み取る問いに正解を出さなければいけないわけですから。

 こうなったのは、周囲が映像化されすぎてしまったからでしょう。困ったことが出てくるとすぐに「映像で」助けてもらえる。映像まではいかなくても、マンガで解説してくれる。
 昔はそんなことはありませんでした。説明書というのは基本的にすべて活字でした。おおげさに騒がなくても、自然に日々活字→映像化という訓練がなされていました。

 文明が進んだせいで人間の一部の能力(筋力など)が退化してきたと言われますが、気づかぬところでそんな風にして頭の能力も退化しています。成績云々ということから離れても、活字を読むことはやはり大切な基礎訓練だと思います。読むものはなんでもいいのです。活字→映像化という回路を作ることが目的だと考えてください。
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2009.07.06 12:47

 この勉強法はとっておきの読解力養成法です。三ヶ月たてば必ず効果があらわれます。ただし、現在あなたが自分なりの方法でうまくいっているのであれば、ここに書いてあることは無視してください。うまくいっているときにもっとうまくいかせようと欲張って他の手法まで取り入れると、かえって失速することがあります。そこが勉強ーー人生もそうかもしれませんーーの難しいところです。
 あくまでもいろいろやってみたのに読解力がつかなくて困っている受験生のための勉強法と考えてください。

 中学入試問題正解を買ってきます。5年生でも出来ますよ。4年生はまだ早いかな。中学生なら「高校」入試問題正解を買ってください。
 そんなうんざりしたような顔をしないでください。解かせようというわけではありません。以前も書いたでしょう? 問題をひたすら解くだけでは実力はつきません。

 説明文を中心に一日に長文を一つだけただ読みます。毎日出来なければ偶数日か奇数日にやりましょう。三日に一度では効果が出るまでに少し時間がかかります。小さな声で音読してください。大切なところには赤い線を引きましょう。読んでいる瞬間には線が引けないことがわかりますね。本当に大切なところはしばらくしてわかるものなのです(これもまた人生と同じです)。
 知らない言葉にも線を引きます。おうちの人に訊いてみるといいですよ。おうちの人が一緒に読んでくだされば助かります。

 ただ読むだけだと解いているときと違ってすごく面白くないですか? ところで、あなたはこの問題についてどう思いますか? 簡単に心の中でまとめてください。誰かにこの問題について質問されたら、読んだことが役にたちますね。今日一日だけでもこのことについてときどき思い出してくれますか?
 さらに問五だけやります。答を見て○×をつけて。×なら正解を読んでおきましょう。それで終わりです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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