国語の成績と読書習慣は必ずしも比例しないとおっしゃる国語の先生がよくいらっしゃいます。私はその言葉を「読書しているのだから国語なんか勉強しなくたって何とかなるさ」と勘違いしている中学生へのある種の警告であると受け止めています。いくらたくさん読んでいるからといって、一切勉強しなくてもいいやと開き直られるとやはり心配です。
ただたくさん読む生徒はやはりよくできます。今年、私が担当している生徒にしょっちゅう文庫本を手にしている知的な男の子がいます。私がどれぐらい読むのかとたずねたところ、多いときは週に3~4冊と答えました。中学二年生ですよ。
一緒にいた男の子もこれまたよくできるのですが、そちらは週1冊は読むかなと言っていました。
仮に週1冊だとしても年間50冊以上読むことになりますね。そういう子はやはり「骨格」が違う。考えているとき周囲に漂う沈黙度みたいなのが圧倒的に深いのです。ああ、いま考えているなあという感じがひしひしと伝わってきます。
読書というのは孤独な行為ですからね。一人でじっと文字を追う。それがまた楽しくて没頭する。その繰り返しです。対象は文字ですから毒々しい刺激があるわけではない。それなのに夢中になっている。得難い時間です。
昔見ていた生徒でもーーこの子はお母さまが古文の先生でしたーー年間200冊読み続けてきたという中学生がいましたが、ものすごくできました。200冊というのは大げさじゃないかとも思ったのですが、夏休みは3冊ぐらい読む日もあるというので納得しました。授業と授業の休み時間にも本を開いている。休み時間ですから騒いでいる生徒が多いなかで、飛びぬけて落ち着いた時間を過ごしているという印象が残りました。
読書習慣を持っている人は簡単に言えば知的な人間でしょう。知的な人間であるがゆえに「結果的に」勉強もできるようになる・・・ということなのですね。私は読書はとても大切だと考えています。
2011.07.17 09:57