2017.10.10 09:41

 昨日、仙台教室にうかがってきました。勉強のことと生活のことをお話した。くわしくは書きませんが、うかがってよかったと思います。お手紙をいただいた複数の方には簡単なお返事をさしあげました。いずれお手許に届きます。
 私はきわめて平凡なおじさん(?)ですが、中学生を教えることに関しては35年以上継続しているので、ある意味職人みたいな感覚があります。ある程度のコツはつかめている。それをお伝えしていく感じになるでしょうか。
 
 直近では11月19日の日曜日の午前中ーーやはり新しくできるーー南浦和教室で同じようなお話をすることになっています。こちらはすでにかなりの方がお申しこみくださっていて、おそらく満員になってしまうと思います。ご興味がおありの方はお早めにお申しこみください。
 毎年お話していて、核心的な部分はじつは変わりません。あたりまえですね。そんなに方法論がころころ変わるものではない。たとえば「たくさん読んでください」というのがある年から「あまり読まなくていいですよ」となるわけがない。
 
 ただエピソードなんかは毎年どんどん増えていきますからそのあたりを多少入れ替える感じになります。たくさん読むということに関して、今年知った生徒のエピソードを入れたりする。私が軽い気持ちで紹介した文豪の小説を、帰り(講習中は昼間授業が終わるので)に買って帰った中学生が複数いたとかですね。感度のよさが彼らの学力向上に一役買っている。全員がそうしなさいという意味ではなく、知的好奇心の強さはひょっとすると成績と連動しているのかもしれない・・・程度に認識していただければ、何かしらご本人の中で動きが出てくるかもしれません。
 
 昔、ある私立高校で入試を受けてきた生徒が憤慨していたことがありました。もう合格しても絶対に行かないつもりだと言う。話を聞いてみると面接でこう言われたというのです。最後に面接官の先生が「きみのほうから何か質問したいことはある?」とおっしゃった。真面目な彼は「どうしたら勉強ができるようになりますか」と訊いた。
 すると担当の先生は顔を見合わせて(お二人だったそうです)笑いながらこうおっしゃった。「ばかとつきあわないことだよ」さらに追い討ちをかけるように「茶髪のね」とおっしゃった。
 
 緊張した生徒をなごませてやろうぐらいのお気持ちだったということは大人の私にはわかるのですが、彼はその答えに心底失望してしまった。大人側の振舞いは本当に大切だと思います。
 講演を終え、新幹線に飛び乗って教室に戻りすぐ授業に入りました。「中学受験をしない」小学6年生の初回の授業。授業が終わったところである生徒(ご兄弟がすでに通われています)にこう声をかけられた。「ごくろうさまでございます」一瞬意味がわからなかったのですが、続けてこうおっしゃった。「お酒が飲めなくて残念でした」
 
 あ! と思いましたよ。昨日の私のブログを読んでから来られたのでしょう。油断できないですね。まあ、せいぜい一生懸命生きていく姿を見せていこうと思います。それがいちばんの「教材」になりますからね。
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2017.10.07 01:19

 その生徒は私が直接教えている子ではありません。ただいい意味で目立つ生徒なので以前から注目していました。この目立つというのは、簡単に書けばひたすら明るいという意味です。彼女が部屋に入ってくるだけでぱっと周囲が明るくなる。そういう人間が世の中には存在するものですね。
 全員がそうなる必要はもちろんないですよ。ただ現実的に貴重な存在で、彼女がいるおかげでとても授業の雰囲気がいいという話を私は先生方から聞いています。
 
 このまえその子が「自分は細胞から輝いている」という意味のことを口にしていたそうです。ある先生が「よほどご両親から愛されて育ってきたのでしょうね」とおっしゃっていた。私もまったく同感でした。
 この愛されてというところが問題で、ご本人に自分が強く愛されてきたという実感が持てなければある意味で愛情は空回り状態とも言えます。それはそうでしょう。伝わらない感情はないのと同じです。私自身、少年期両親とはきわめて冷たい関係でしたからそのことはよくわかります。
 
 ここで犬の話に移りますが、今回私は飼い犬に徹底的にやさしくしてみました。やさしくというのは、めったに叱らないという意味です。いたずらをしても強くは叱らない。さらにとりあえず撫でてやる。どちらでもいいときは撫でてやる。話しかけてやる。笑顔を見せる。
 家内も息子も穏やかな人間ですから、彼女(メスです)は要するに四六時中かわいがられてばかりいます。するとどうなったか。散歩に行くとわかるのですが、全人類から必ずかわいがられるものだと思いこんでいるふしがある。とんでもなくあやしいおじさんにまで愛想を振りまいて近づこうとするので、こちらが焦りますよ。
 
 生きること自体に肯定的なのです。悪いことはめったに起こらないという思いこみがあるのでしょう。同じ柴犬でも昔飼っていた犬とはずいぶん態度が変わるものだなと感心してしまいます。昔育て方を失敗したので、今回は愛情が伝わりやすいようにしているという側面はあるのですが。
 犬と人間を一緒にするわけではないですが、やはり「どれだけ伝わっているか」ということは大事でしょう。心配している姿を見せるだけでは、愛情は伝わりにくい。
 
 そんなことやっていて本当に大丈夫? お友だちはもっとしっかりしているんじゃない? 全然進歩が見られないんだけど。こんな点数じゃどこにも行けないわよ。いったいどうするつもり? 泣くのもばかを見るのも自分だよ。いつも言われているのにちっともわからないんだから。このままだと絶対後悔するよ。気づいたときには手遅れさ。本当にぐずね。
 すべて愛情から発せられた言葉でしょうが、彼らがこうした言葉で「愛されているなあ」とつくづく実感することはまずありません。むしろいやがらせを受けているような、いじめられているような否定的な感情を持つでしょう。
 
 教室長会議のときに、過度に心配なさるご家庭はなかなか結果が出にくいという話になることがあります。皆さん同じ感想を持っている。心配=愛情であるにしてもそれが伝わらないどころか、むしろ家族からのいじめみたいに受け止められてしまう。そのことで自信をなくし、普通の反抗以上に心がねじれてしまう。そうなってくると「細胞から輝く」どころか「細胞から真っ暗」みたいな状態に陥ります。
 外で「自分は細胞から輝いている」と喜びを持って発言できる幸せを与えていらっしゃるかどうか。伝わり方の検証はつねに心がけられていいと思います。
 
 ただそれこそ手遅れということはありません。少年期「完全に心が折れて細胞が死滅してしまった私」がこういう話を書けるのは、経験があればこそです。何でも気づかれたところから調整をかけていけばいいだけです。勇気を持ってよりよい明日を迎えてください。
 
 
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2017.10.01 00:49

 先日、中1のあるクラスで動物を飼っている人はどれぐらいいる? と質問してみました。ちょうど20人ぐらい出席していたのかな。すると手をあげてくれた生徒が4人しかいませんでした。ちょっと意外です。私はもっとたくさんのご家庭が生き物を飼っているのではないかというイメージを持っていました。
 20人中の4人ということは・・・2割ですね。20%ということです。そんなものなのでしょうか。
 
 ついでに何を飼っているのか訊いてみた。これまたちょっとびっくりしました。犬がいなかった。猫が2人、ウサギが1人、亀だとかトカゲ(あれ? イモリだったかな)だとか、不思議な生き物が1人。それだけでしたよ。
 生き物を飼うのはけっこう勉強になると思います。エサをやったり面倒を見たりいろいろ世話をやく必要が出てきます。そのこと自体が勉強になる。家事などのお手伝いをしている子は間違いなく成績もいい傾向があるのですが、生き物の世話をするのはりっぱなお手伝いだと思います。
 
 最近の新聞にもとても興味深い記事が出ていました。えっ、そんなことが! という内容でしたが、あとでよくよく考えてみるとそれはあるような気がします。親が努力する姿を見せると赤ちゃんが努力するようになるというのです。
 生後12ヶ月~18ヶ月というのですから、まあ赤ちゃんど真ん中ですね。おもちゃを取り出すとき大人が努力して取り出す姿を見せます。別の赤ちゃんグループにはあっけなくおもちゃを取り出すところを見せます。赤ちゃんはどう違ってくるか。
 
 ボタンつきのおもちゃを渡された赤ちゃんは何度もボタンを押さなければならないのですが、はじめのグループの赤ちゃんはあとのグループの赤ちゃんの2倍ぐらい繰り返しボタンを押していたそうです。つまり努力が大切であると知っている。努力が報われるものだと気づいた可能性がある。
 子どもは親の背中を見て育つと言いますが、これだから大人は気をつけないといけないですね。相手が赤ちゃんだからということで、大人が寝ころがってテレビばかり見ていたら赤ちゃんはじーっとその様子を見て、こんなものでいいのかとなりかねない。
 
 ご両親が読書家であると一般的に子どもも本を読むようになります。読書家になったきっかけを訊いてみると例外なく、うちにあった本をただ何となく読んでいたという子が多い。要するにいろいろ読むものを選択できる環境で生活していたということですね。
 何もかも気づかれたところから調整していくので十分だと思います。どれだけ即効性があるかはわからない。ただより正しく振舞うことは、確実に周囲によい影響を与えはじめるものですからね。
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2017.09.15 02:06

 私は池袋教室に2004年~2010年までいました。丸7年間ということですね。そして渋谷に2011年に来て2017年度の現在までこうしてお仕事をさせていただいています。同じく丸7年間になろうとしているところです。
 池袋時代は非常に長く感じるのですが、おそらくゼロからのスタートだったからだと思います。新教室ができ、そこで教室長として働かせていただいた。ゼロからのスタートといっても生徒までゼロ人では困るわけで、あれこれけっこう気を遣ったような記憶があります。
 
 渋谷は既存教室ですでに生徒が大勢いました。そこに移ってきた形でしたから生徒が集まるかどうか、ものすごく心配な要素というのはありませんでした。
 物事にはいろいろな「方法論」があり、何が正しく何が間違えているとは一概に決められない要素もあります。ただ何をするにもより愛情深いほうが好ましいのは確実であり、現在の私はそういう人間として生きたいと日々を送っています。生徒の指導(というほどのものではないのですが)についても、高圧的な形は避けるようにしています。
 
 昔、ある生徒が他の生徒に迷惑をかけたことがありました。迷惑をかけられたほうから訴えられ、私はその加害者らしき生徒にそういう事実はあったのかねと訊きました。するとそんな事実はまったくありませんと明確に否定した。あまりにも率直な「いったいどういうことなのですか?」的な反応だったので、それならそれでいい、噂を聞いただけなので気にしないでくれと伝えてそのときは終わりました。
 ところが、やっぱりそれはウソだったということがあとになってわかりました。
 
 ウソがどうのこうのはともかくとして、注意する必要は出てきます。他の生徒にも再度迷惑をかけたりするとよろしくない。
 こうしたときに「大人にウソなんかつきやがって!」という大人げない感情を私は持たないようにしています。意識的に選択していますから、腹なんかたたないですよ。ごまかさざるをえなかったことを気の毒に思うぐらいです。
 ご本人を呼んで穏やかに話しました。ウソをつくことになった流れを特別異常なことだとは考えないとも告げました。
 
 どうして迷惑をかけたのかということもぽつりぽつりと話してくださった。ちょっと嫉妬心があったらしい。感覚的にはわかるよと言った。ただそこは人それぞれだから、きみはきみのベストの生き方を追求してくれたらいいと思う。
 それぐらいですね。もちろん保護者の方に、これこれこういうことでは困りますなどと告げたりもしませんでした。包みこむやわらかさは非常に強靭な何かであると考えています。いわゆるキレてしまったら終わりなのです。未熟な子どもならともかく、成熟した大人のほうがキレてしまったら・・・それはもう戦争を仕掛けるのと同じなのですよ。
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2017.08.18 07:17

 動物が寄生の意味ではなく他の動物を意識的に「飼う」ということはあるのですかね。他の動物を飼うのは人間だけであるような気がするのですが、どうなのでしょう。よく狼に育てられた人間の話を聞くことがあります。あれは狼が人間を飼っているというより何かの関係で自身の子どもだと勘違いしてしまったのだと認識しています。
 いわゆるペットとして飼うのはどうしてなのか。犬が来てから改めてそんなことを考えるようになりました。
 
 私自身、これまで犬だけでなく、亀、鳥(何種類か)、カブトムシなどの昆虫類(幼いころ)などを飼ってきました。ほかにもカニ、ヤドカリ、メダカ、金魚、どじょう、すごいところでは貝を飼おうとして失敗したことがあります。なぜ飼ったのかと言われると単純に面白かったからとしか答えようがないですね。
 子どものときは面白いだけでしたが、大人になるに連れて対象の生物を擬人化するようになりました。心が通じていると思いたくなってきた。
 
 大きい動物であればあるほど、心が通じているような気分になります。うずらを飼っていたときは私のあとをついて歩いたりするので、かなりわかっているらしいという感触を持ちました。亀も私と他の家族とでは反応が違ったので、自分のことがわかっているのだなと勝手に想像しました。
 犬はもちろんこちらのことを覚えますから、人間側が思っている状況とは違うにしてもとにかく心は通じます。「おすわり」と言うとすっと座る。
 
 ときどき家内が大きくなった犬を抱きかかえて狭い部屋をうろうろしていることがあります。脚があるのですから歩かせればいいのに、子守みたいに抱いたままうろうろしている。さすがにまだ頭がぼんやりしてくる年齢ではないので、何かの勘違いではなくそんなことをしたくなるのでしょう。
 不思議な光景ですが、要するにかわいい。かわいいのであえて抱いてやりたくなる。私も部屋の中はうろうろしませんが、膝の上で撫でてやることがあります。
 
 家内は優しい人間で、幼いころの息子でも鳥でも犬でも甘く甘く育てていました。相手が決まり事を破ってもそうは叱らない。どうしても破りたいのなら破ってもいいんだよ、そんなことではお前のことを嫌いにならないよという感じで接していました。そのことで息子も鳥も犬も情緒が安定してきた。ピリピリ感がないのです。深い愛情に包まれているという自信がつくのでしょうね。
 しつけはもちろん大切ですが、大前提としてとにかく愛されているという安心感を持てないといけないですね。交換条件見え見えの愛情では、なかなか本来の力が発揮されないように思います。
 
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2017.08.02 00:18

 昔、名人までのぼりつめたある棋士がこういうことをおっしゃっていた。タイトル戦に挑戦者として名乗りをあげたときの談話です。タイトル保持者は当時棋界の最高峰の棋士でした。ところがその挑戦者は相手は関係ないという。相手は関係ない。戦型も関係ない。勝負はそういうところでつくものではない。あとを読んで、なるほどと思いました。自分がどうであるかだけなのだと。要するに自分が圧倒的に将棋が強ければ誰にでも勝つ、それだけが問題なのだというのです。
 
 だから自分のコンディションとか棋力とかを「最強」にもっていくことだけを考える。結局そのタイトル戦自体は接戦の末敗れてしまったのですが、のちのち名人になるような人間は深いことを考えているものです。相手の弱点がどうの、得意戦法がどうのとおろおろしているようではホンモノではないということでしょう。
 子どもたちに接することも、これに似た要素があるような気がします。この子はどこの中学だとかあの子はどういう性格だとかやたらと分析するより、自分はどうなのかという視点のほうがはるかに大切だと感じます。
 
 相手によってあれこれ態度を変えているようではーー瞬間的には効果があってもーー所詮は「その程度の人間である」ということです。普遍性がない。それはもちろん子ども側からもよくわかります。そのとき「この人は信頼できるからついていこう」と心底考えてもらえるものかどうか。
 現在の私は相手が小学生でも中学生でもあるいは卒業生のアルバイトの方でも、そんなに態度を変えることはありません。つねに一定の慈しみの気持ちを持って(昔はこれができなかった)接しているつもりです。
 
 子育てしていくうえでいちばん大切なことはお子さんにどう対処するかということではなく、育てている私たちがどの程度の人間であるかということです。私たちのレベル(という呼び方はちょっと抵抗もありますが便宜上使わせてください)が上がれば上がるほど、子どもたちはこちらを尊敬します。立派な人の言うことだから聞いておくかという自然な感情も芽生えるでしょう。
 ところが、往々にして大人は子育て本のノウハウみたいなものだけに頼りがちです。自分を高めることはせずにノウハウで何とかしようとする。
 
 それは無理のないことでもあるのですよ。ノウハウの提唱者は皆さん「これだけで大丈夫!」「奇跡の天才児に!」みたいなことばかりおっしゃいますからね。
 ただノウハウはともかくとして、自己の向上ーーより自分らしく、より愛情深く、より公平に、よりおおらかに、より世の中の役にたつように、より人間らしくーーを意志する人間ほど魅力的な存在はありません。彼らはこちらの人間性をじーっと見ています。
 自己の完成を目指す過程でお子さんともうまくいくようになってくださるのがいちばんです。そしてそれがまた何よりの近道でもあるのです。
 
 大人が、子どもに尊敬されなくてどうするのかということです。尊敬しない子どもが悪いのか、尊敬されない大人が悪いのか。
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2017.07.31 00:19

 いろいろな意味で疲れてしまったら、しばらく休んでください。休むことは非常に能動的な行為です。休むことを消極的な姿勢と考えずに、積極的な準備期間だと思ってください。後日の大活躍に変えていくことが十分可能です。
 場合によってはただ寝ているという日もあるかもしれません。ひたすら好きなことーー生産的なことでなくても構いませんよーーだけをしている日もあるかもしれない。それでいいと思います。私も1日中ネット将棋を指していた日がありました。
 
 そうした過ごし方ももちろんあっていいのですが、自分を再生させるために時空間を有効に使う知恵もまた大切だと思います。それこそ旅をするとか、遠くまで散歩に出るとか。映画を鑑賞する。美術館に行ってみる。神社仏閣をめぐり歩く。憧れている人物の伝記(エッセイ)を読む。尊敬する人に話を聞いてもらう・・・
 重みのある時空間で何かを感じることは自己再生につながります。自分はこうだった、こうなりたかった、こういう夢を持っていた、こんなことでつまずいている人間ではないはずだ・・・それは「リセット」に近い感覚かもしれませんね。
 
 周囲も接し方には気をつけられるといい。疲れていると人間誰しも自暴自棄になりがちです。それは疲れが運んでくる要素であり、その人の本質とは違います。あまりにも疲れているので捨てたくなるだけです。ご本人も混乱のきわみにあり、何が何だかわからなかったりしますから「それは疲れの影響であって、あなたは本当は捨ててしまうような人ではないから安心して」ということは伝える必要があるかもしれません。
 昨年だったか、勤めはじめた息子がもう会社をやめたいと言い出したときがありました。
 
 やめないほうがいいというのは理屈であって、理屈は精神的な疲労のまえではまったく意味がありませんね。極端に疲れて眠りそうになっている人間に、このタイミングで眠るのは人間としてどうなのかなどと注意しても、そんなことわかっているけど死にそうに眠いんだからどうしようもないじゃないか! と反発されるだけでしょう。
 まず落ち着いた雰囲気作りを心がける。何でも話せる時空間ですね。息子には「やめたければやめてもいいよ」と言った。反対されなかったことで、気持ちが楽になるでしょうから。
 
 仕事はどうなろうとも生きていればいいこともたくさんあるだろうし、世の中の役にたつこともいろいろ出てくるだろう。そんなことだけを話しましたかね。疲れさえ癒えればどうにでもなる。自己再生のためのキーワードは「魂の洗濯」です。
 大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください。あなたの本質を軽く見てはいけません。それは世界の財産です。わかりますか? あなたが再生することが世界の財産なのです。
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2017.07.21 09:18

 極めて落ち着いた気持ちで静観しているのですが、基本的に学力の本質はそうは変わらないものです。知識というのはやはりそれ相応に重視されるべきもので、たとえば「情けは人のためならず」の正しい意味であるとか、「そんなご飯は食べれないよ」のどこが間違えているのかとか、「それは杞憂だった」の意味が正確にわかっているかとか、正しい答を出せる人のほうがぜんぶ間違えてしまう人より確実に勉強家であり、入学試験などで高く評価されるはずです。
 
 ですから、マークシート方式がどうのこうので、知識に関してたいして覚えなくてもよくなるのではないかという期待はまったくできないと思います。いままでと同じ、あるいはそれ以上の知識の定着は必要であり、勉強量を減らしても心配ないという事態にはならないでしょう。
 いままでの試験はある種の骨格として残り、そのうえで「臨機応変に対処できる力を確認していく」形に移行するでしょう。
 
 この「臨機応変に対処する力」というのは、確かに教科書の勉強だけではどうしようもない部分があります。それはある種「人間力」であり、あなた自身の生き方と密接に関係してきます。
 それこそーー以前も書きましたがーー特急列車のシートをどれぐらい倒していいものか、あなたはその理由とともに即座にまとめることができますか。即座に、です。そうしたことは現実場面では瞬間的に考えるべきことです。列車に乗って背後にどなたかがいて、いままさに倒そうとしているときに考えるわけですから。
 
 そうした物事を少しだけ時間はあげるかわりに理路整然とした文章で数百字で書いてくださいというのが「人間力」のテストですね。
 次々と使えそうな言葉が浮かびますか? 遠慮、礼儀作法、自由、権利、マナー、気分を害する、思いやり、我慢、人と人との関係、自分が座席を倒す場合と倒される場合、配慮、ルール、日本の風習・・・そうした用語がいくつもいくつもぱーっと頭をかけめぐるぐらいでないと的確に対応できないでしょう。
 
 そこは机上の勉強だけでなく、日常のお手伝い(それこそたまには料理を任されて途方にくれながら仕上げたり、洋服を1人で買いに行って店員さんとあれこれ相談できるぐらいの力が必要です)が威力を発揮するでしょうし、大人とのコミュニケーション能力は絶対に必要で、そのためにはもちろん「大人が何を考えているのか」ということがある程度わかっていないといけません。
 大人との関係が大切で、命令ー服従、指示ー反抗みたいなことだけではまったく能力は開発されません。そこは大人側も育てていく過程で大切に考えないといけないでしょう。
 
 正しい「人間力」は正しい「家庭力」からついていく側面もありそうです。
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2017.07.16 00:20

 1つの目安としてだいたい2学年上の教科書がすらすら読めるかどうかがいわゆる国語がよくできる・そうでもないの分岐点になってきます。小学校6年生であれば中学2年の教科書、中学3年生であれば高校2年の教科書ですね。
 すらすら読むためには内容が理解できないといけない。「うへー、何これ?」状態ではすらすらというわけにはいかないでしょう。自分ができるようになれそうか、そのあたりで確認してみるといいと思います。
 
 2学年上の教科書というのはたいした背伸びではありません。たとえば高校生のある教科書には芥川龍之介の「羅生門」が出てきますが、「羅生門」そのものをすでに読んでしまったという中学生はたくさんいます。小学生のときに読んだという子も相当数いるでしょう。私自身も小学生のとき読んだ記憶がありますが、高校生になって改めて何時間も解説されるわけですからそれはそれはよくわかる。
 語彙も表現も思想的な展開も、解析的に授業を受ければーーなるほどあのとき感じたもやもやはこういう解釈なのかとーー本当に深く理解できます。
 
 ところが中には芥川龍之介の名前すら知らない高校生がいます。私はそういう方を否定しているわけではありませんよ。いろいろな生き方があり、芥川龍之介を一生知らないままの人生だって全然悪いとは思いません。私だってありとあらゆるクラシック音楽を知らずにこの歳を迎えています。
 ただ少なくとも国語の授業で「羅生門」を学習しているときだけは、芥川を知らない高校生が著しく不利なのは事実でしょう。そもそもあらすじさえわからない。あれはこういうことだったのかという再発見もない。
 
 2学年上の教科書をすらすら読める生徒はもちろんむりに先取り学習しているわけではありません。先取りというのは「気づいたらだいぶ先のものに興味を持っていた」という形をとらない限り、なかなか効果が出てきません。むりに先取り学習をさせられた小中学生がかえって勉強嫌いになり、大きな壁にぶつかったりしている状況を何度も目撃してきました。文化的成熟が自然に同学年より2年程度進んでいるというのが理想です。中学時代に自然に芥川龍之介に手が出るぐらいの生活が、本当は好ましいのです。
 
 ただ現状、そうでなくても何も心配はないのでご安心ください。方向性としてというお話です。私はこのブログを選民思想みたいな気持ちでは書いていません。ここからのスタートですよ。私を含めて「全員」の方がここからです。よりよく生きるということですね。
 
 
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2017.07.04 01:13

 私たちは他者とコミュニケーションをとるときに、こちらの言いたいことがまったく伝わらなかったらどうしようという変な恐怖心を抱くことがあります。そこでわーっとまくしたててしまったりする。ところがそんなとき喋れば喋るほど事態は悪くなり、真意は伝わりません。
 コミュニケーションというのは双方向のものです。むしろあちら側の「伝えたい」という焦りをうまく引っ張り出してあげたほうが良好な関係を維持できますし、結果的にこちらの意志を伝えることも可能です。
 
 昔の人はそのことを「耳は2つで口は1つ」というような形で表現しました。つまり喋る倍きちんと聞きなさいということですね。それはコミュニケーションの1つの神髄ではないかと思います。
 たとえば教室にやる気のない生徒がいたとします。呼び出して「なぜ真面目にやらないんだ!」ではシロウト同然であって、そんな叱責はまったく効果がないだけではなく人間関係まで崩してしまう可能性があります。意味がないですよ。昔の大人はそんなのが多かった。
 
 私が彼らと話すときはまあ「最近どうかね?」ぐらいです。その回答の中にすべての要素が内包されている。それを読み取れない私のほうが悪いと思いますよ。自分が子どものころはそんな大人ばかりでした。だからこそ私はいまの立場でしっかりやろうと考えています。
 封建的な時代の大人たちの愚鈍さみたいなものを自分ははっきり覚えています。どれだけ鈍感でどれだけ浅薄だったか。大人というものがどんなにくだらないかということはじつにしばしば感じましたし、友人とはそんな話ばかりしていました。
 
 とにかく相手の話を聞くことです。そこにはもちろん巧妙なウソやごまかしが入ってくる。大切なのは「なぜ」ウソやごまかしを入れなければいけなくなったのかということですね。ウソをつくしかない方向に追いつめたものは何なのか。それを聞き取る気持ちが大切だと思います。
 部活は忙しいかい? きみが尊敬している人間って誰? いちばん面白かった本を教えてくれよ。どんな大人になりたい? いまの世界をどうすればいいと思う?
 
 そんな感じですよ。それで「しっかり勉強しようじゃないか」ということが伝わるかどうか。伝わらなければ何度でも話を聞きます。直接「勉強しろ!」では夢がない。露骨なプロポーズに似ています。相手はなかなか受け入れてくださらないと思いますよ。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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