2019.02.08 09:25

 都立高校の推薦入試の結果が出ています。うまくいかれた方は素直に喜ばれていいと思いますが、うまくいかなかった方は毎年そういう受験生のほうが圧倒的に多いわけですから、やみくもに動揺することなくしっかり生活を送ってください。
 都立高校の推薦入試は学科試験はありませんが、小論文だとか作文だとかが課されています。中には何をどう書いたらいいのかわからないような作文が出される高校もあります。抽象概念をぽんと出してくるので、子どものマインドではどう対処したらいいのかわからない。
 
 それが普通だと思います。成績が優秀な生徒でも「あの作文はやりにくい」とおっしゃっていたのを聞いたことがあります。書くのが好きであればけっこう面白く遊べる課題ではあるのですが、全員がそうとは限らないですからね。国語が得意でも、自由に創作するのはあまり好まないという方も当然いらっしゃるはずです。
 そこへいくと小論文は少しだけ書きやすいかもしれません。文学的な創作能力はあまり必要とされないですね。細かく分析して丁寧にまとめれば何とかなる。「そこに映し出されてくるのは未来の私自身の姿ではなかろうか」みたいな終わり方をしなくてもいい。
 
 首尾よく合格されたある生徒とちょっとだけ話をしました。残念だった方も大勢いらっしゃるので、私はまだ合格した子たちとあまり話していません。作文のことが話題に出た。彼はなにげない感じでこうおっしゃった。「父に添削してもらっていました。父の目だけを通しての評価だったので、ちょっとだけ不安はありました」非常に穏やかな、大人びた口調でした。
 彼がお父さんを尊敬している感じが強く伝わってきました。そういう落ち着いたご家庭を築かれていること自体が価値のあることだと感じます。
 
 自然に、ちょっと見てやろうか? じゃあ、見てくれる? という流れになるのでしょうね。私も以前息子が就職活動の際に、何かで必要な書類を「ちょっと見てくれるかな」と持ってきたことがありました。「見せろ」とか「指導してやる」とか「チェックさせなさい」ではない。あちらから、どうだろうと持ってきたのです。
 そうしたことに自分が適任かどうかはある意味どうでもいいことで、親子関係として自然にそうあれたこと自体は誇らしく感じました。
 
 以前、将棋の故米長邦雄先生が「名人になるような少年のご家庭はすべて丸い空気を持っている」とおっしゃっていたのを思い出します。谷川先生、羽生先生、森内先生、佐藤先生・・・すべて名人のタイトルをとられた方ばかりですが、そのあたりのご家庭を米長先生はさかんに訪問されたりしていました。面白いところに目をつけられたものだと改めて思います。
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2019.01.26 07:00

 渋谷教室で教室長をさせていただいてからもうすぐ丸8年になります。この2月まで継続したところで、8年間ということですね。それ以前、池袋教室にいたのが丸7年間でしたから、いつのまにか池袋時代より長く勤め(この場合務めかな?)させていただいたことになります。
 中学生や保護者の方との関係は、どこでも同じと言えば同じです。これが東京と大阪みたいに距離が離れてくるとそれなりに違いも出てくるのでしょうが、池袋と渋谷ではそうは変わりません。
 
 街そのものとしては、私は池袋のほうが愛着があります。最近の渋谷はどんどん変わってしまうので、落ち着いて歩けない感覚があるのです。のんびり散歩する気持ちにはなれないですね。お店の変遷なんかも渋谷のほうが激しい。8年間のあいだに何度変わったのだろうという店舗もあります。
 渋谷はやはり圧倒的に若い方が多いですね。どの地域に行ってもそう感じます。例のハロウィンの日なんかは本当に大騒ぎですが、私にはあまり関係ないですね。
 
 教室は、おかげさまでうまくいっています。何をもって「うまくいく」と呼ぶのか難しいところがあるのですが、要するに通ってくださっている生徒自身がどれぐらい楽しんでくださるかということがいちばん大きい。さらに保護者の方がどれぐらい安心されているか、あるいは教えている先生がどれぐらい落ち着けるか、さらには教室に関係しているーー自動販売機の業者さんや清掃をしてくださる方などーーがどれぐらい気分よく仕事をしてくださるか・・・ということです。そうした空間の演出がいちばんの仕事だと考えています。
 
 生徒はときどきこういうことを口にするわけですよ。「安心して授業を受けられるとほっとする」教室を預かる人間は相当考えなければならない問題で、彼(あるいは彼女)自身は大人しく成績のいい子でいつも褒められていたとしても、他の生徒が同じ教室内で強い叱責を受けたりするとそれなりに大きなストレスを感じるものなのです。ときにはひどく調子が悪くなりもする。
 そうしたご自身に起因しないストレスも、できるだけ生徒たちが受けないようにとはつねに心がけてきました。
 
 柔らかい空気を演出することはさほど難しいことではないのですが、柔らかい空気を保ったままいい成績を残し続けることはじつは非常に難しい。見せかけだけではないホンモノの愛情がないと、むりではないかと思います。それは集団でも個人でも同じことです。
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2019.01.14 08:05

 教育に熱心という表現がありますね。
 私の感じでは、その熱心さが具体的な何かと結びつきすぎるとなかなかうまくいかないような気がします。これは非常にデリケートな問題で、気づかれている方は気づいている・・・という感じではないかと思います。
 ただ、だからこうしなくてはだめだというお話ではありません。単純に、ご参考になればという程度です。
 
 具体的というのは、こういうことです。何点をとる。偏差値をいくつにあげる。あるいは何番以内に入る。さらには志望校はどこどこでないとだめ。
 ご本人がまだ何となくぼんやりされている状況(=幼いという意味)にもかかわらず、周囲がやたらと具体的に追いつめるとその逼迫した感覚に飲まれてうんざりしてしまい、うまくいかなくなることがありますね。
 わかりやすくたとえるとおなかが全然すいていない相手に、絶対鮨にしなさい、15貫以上は食べられなくてどうする! というのと似た感じでしょうか。
 
 教育に熱心なことが悪いというのではないですよ。熱心さを抽象的な方向に広げたほうが効果が高いという意味です。たとえば自然とのふれあいの機会を多く持たせるとか、科学館や博物館に連れていくとか、ご本人が興味を持っている分野の本を与えるとか、いろいろな方法があると思います。
 そして、少しでもご本人が面白がるものが出てきたら、偏差値や順位とどう結びつくのかなどということはいったん棚上げして、ご本人の面白がるところだけを突破口にして切りこんでいく。
 
 そんなに天体が好きなら望遠鏡を買ってやろうかとか、小説が面白かったならエッセイも読むとどんな作家かよくわかって楽しいよとか、科学者に興味があるのなら自宅でも実験セットぐらいは用意しようかとか・・・もちろんご本人の興味の対象が変化することはありますが、大きな「教養」枠からアプローチしたほうが結局は勉強に熱意を持って取り組む確率が高いですね。
 それが「何点以上とらないとだめじゃないの」「何とかくんはお前よりずっと上位にいるぞ」「そんな学校じゃ行く意味がない」などと言ってしまうと、およそ「つまらない」という感覚しか伝わりません。
 
 そうした激励は、勉強(教科)内容とは全然関係のない部分で勉強させようというのと同じです。これまた例えれば、栄養価の観点だけからある物を食べろ食べろと強制するのと同じです。進んで食べたくなるのは食品そのものがおいしいからでしょう。その視点が欠如していると、なかなか「自ら進んでは」食べません。勉強もまた同じです。
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2018.12.28 00:40

 最近、事情があってしばしば話を交わす昔の優等生がいます。わざわざ「優等生」と書いたのは、そうなりたがっている生徒が多いので彼らのために書いているだけで、全員の方にそうなるべきだと強制したいわけではありません。
 世の中、ロックン・ローラーや吟遊詩人や格闘家なども必要なわけで、あるテレビ番組で世界的に有名な日本人ギタリストが「いいロッカーになりたいのなら学校の勉強をあまりやるなよ」とおっしゃっていましたが、それもまた至言だなと感じています。
 
 ただ、漠然と優等生になりたいという方のためにはこうしたお話も役にたつと思うので、さらに続けます。
 優等生の定義はいろいろあって難しいですからもう少し書いておくと、その生徒は都立のトップ校から有名な国立大学に進んでいます。まあ、どなたがご覧になってもしっかりした優秀なお嬢さんという印象を持たれるはずです。
 今年彼女のご家庭では、現時点で大掃除はだいたい終わったとおっしゃっていました。
 
 現時点というのは、26日に話した時点でということです。家族できちんと役割分担して、大掃除を少しずつ進めてきた。あとはお父さまの分担された箇所が残されているだけだというお話でした。くわしくは聞いていませんが、お父さまはおそらく年末にお仕事を終えられてから掃除をされるのでしょうね。
 とにかくーーここが大切ですーーご家族全体がきちんと計画的に物事を進めている。そういう文化をご家庭が持っているのは、非常に心強いことだと思いました。
 
 さらにすごいなと感じたことは、こういうことでした。毎年、おせち料理はご一家総出で作っているそうです。全種類ちゃんと作る。もちろん彼女も毎年毎年お手伝いしてきた。若いせいか、力がいる料理を任される。ご兄弟も全員手伝う。和気藹々としたムードの中でおせち料理を毎年作る。そうした光景もまた大変文化的に成熟した環境だと思いました。
 優秀さはその種の文化的背景の中で熟成されてきたもので、単純に勉強時間がどうのこうのという次元ではなさそうです。
 
 勉強法だけをあれこれいじってもなかなか成績が上がらないという場合、こうした文化的背景の見直しが必要かもしれません。きちんと計画をたてるとか手作りの生活を大切にするとかご家族が落ち着いて仲よく物事を進めていくとか、何のテキストをやるかどこの塾に通うかよりそうしたことのほうが大切なのは確かでしょう。
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2018.12.24 06:26

 受験のことを考えてみます。難関校の問題は半分以上「わかりにくい」ですね。選別するわけですから、それが当然なのです。わかりやすいものばかりだったら、難関校を受ける生徒はほぼ全員優秀ですからみんな高得点をとってしまいます。すると選別が難しくなる。
 というわけで、これはほとんどの子ができないだろうという問題もいくつか混じっています。平均点が60点ぐらいになるように作られているのです。
 
 そういう試験を突破して入学するわけですから、わかりやすさみたいなものだけを求める生活態度では難しいと思います。もっとわかりやすくしてくれ、もっと簡潔にしてくれ・・・では対応力がつかないでしょう。何が何だかごちゃごちゃしているけれども、粘って粘って突破口を見つけてやるぞ! という前向きなファイトはどうしても必要になってくるでしょう。
 わかりません。どうしたらいいですか? 正しい方法を指示してくださいとすぐに泣きつく精神状態から脱却しないといけないということです。
 
 ときどき教室などがわからなくてまごまごしている生徒が出てきます。もちろん案内します。教室がわからない生徒を放置したことはありません。ただ私は内心では「落ち着いて自分で探せるようになりなさい」とは思っています。
 他の多くの生徒が難なく見つけている。ご自身の名前の入っている部屋番号のところに行けばいいだけで、複雑なことは1つもない。部屋がわからないというのはごくごく少数派なのですから意地悪ではなく、見つけられるところまで自身を鍛えなくてはいけないとは考えています。
 
 そうしたたくまさしこそ財産なのですよ。たくましい精神が勉強にも生きてくる。
 保護者の方もそこのところは、時期が来たらある程度突き放せるようにならないといけないでしょう。
 以前も書いた話ですが、都立高校のいわゆるトップ校、受験時に1人で来た生徒のほうが保護者の方といらっしゃる生徒より合格率が高いと・・・これは応援に行かれた先生方が皆さん異口同音におっしゃっていることです。自立しているからです。
 
 トップ校の高校生になるのだから1人でしっかり行って来いという姿勢ですね。万が一入口がわからなかったらどうしよう、交通機関が遅れてしまったらどうしよう、忘れ物をしたことに現場で気づいたらどうなるのだろう・・・大人側が心配しすぎるといつまでたっても「ご自身で地図を判読できない(これはもちろん比喩です)」状況が続いてしまう。
 ましてうちの子は特別扱いされないとできませんから、などとリクエストしてしまうのはまずい。入試問題は個々人を状況によって特別扱いしてはくれません。愛情があるからこそ、守りすぎずに見守る精神が大切だということです。
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2018.11.25 00:59

 面談が終わって生徒ご本人や保護者の方に「安心しました」とおっしゃっていただけるとほっとします。結局、自分の仕事というのは教科を教えることをべつにすれば、生徒や保護者の方に心安らかにしていただくことではないかと思うのです。
 進学塾ですから、合格していただかないといけない。それは至上命令みたいなもので、当然こちらも最重要視しています。ただ1人残らず第一志望に合格できるわけではありません。それは、世の中そういうものですね。
 
 つまり結果にかかわらず何かしら価値を与えないといけないということです。万が一不合格であっても、好ましい意味を与えないといけない。かつて何人もの生徒から私は「失敗したことで得たものがあった」という意味のセリフを聞いています。中には失敗した「おかけで」あとはすごくうまくいったとおっしゃっていた子がいました。けっして特殊なケースではないのです。
 現在の日本では、ご本人さえしっかりしてくれば、どの時点からでも巻き返しがきくということです。
 
 そうしたいくつもの実例を交えてお話する。
 世の中、さまざまな教育機関がありーー本当かウソがわかりませんがーー他から移ってきた生徒から「危機感をあおってオプションの授業をたくさんとらせようとするのでやめてきました」などという話を聞かされることがあります。
 よくはわかりませんが「受かれば天国落ちれば地獄」という価値観は、恐怖心から勉強に向かせる形になりますから、ちょっとどうなのかなとは感じます。
 
 私は生徒のいいところをうんと強調して話します。どの子にもそれなりにいいところがあるもので、それがわからないようでは先生失格でしょう。もちろん謙遜もあるのでしょうが「うちの子にはいいところがなくて・・・」とおっしゃる保護者の方もいらっしゃいますが、いいところがない人間なんてこの世に存在するわけがありません。
 大人側がいいところを見つける努力を放棄してもよくないですし、いいところを評価しない文化圏に子どもを巻きこんでしまうのもよくありません。
 
 自分は明確に彼らの長所を指摘しています。ご本人が一緒であれば面と向かってきみはこういうところがいいねと伝える。合格不合格とは別問題で、いいところはいいところなのですからそれを意識させておけば、それこそ進学先がどこであろうと大成できるでしょう。大切なことは絶対に伝えるべきです。
 私は子どものころ母親に、よく「おもしろいだけじゃ人間はだめなのよ」と叱られました。母は私が大人の前でおどけたりすることをあまりよく思っていないようでした。
 
 しかし、いま振り返ってみると私なんか、おもしろおかしいこと「だけ」で一生(もう少しありますが)を乗り切ってきたようにさえ感じます。いいところはあくまでもいいところなのです。徹底的に意識させたほうがご本人のためだと思います。
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2018.11.15 01:18

 難関校に合格するためにはご本人が相当努力しないといけないわけですね。ただご本人だけ努力なさればあとはどうでもいいかというとそういうわけにもいきません。ご家族の協力も絶対に必要で、いい環境でなければいわゆる優等生は育たないと思います。これはスポーツ選手なんかも同じですね。いい環境下に置かれることは、育っていく過程で何より大切ではないかという気がします。
 先日、Z会主催のあるイベントで改めてその感を強くしました。
 
 私はその会には参加していませんでした。内容を知っているのはあとで映像を見せていただいたからです。都立のトップ校の校長先生を何人かお呼びして、生徒や保護者の方の前でお話いただいた。
 そのとき、ある校長先生が次のような話をされていました。中学校までは学校給食がありますね。高校からはなくなりますと前置きをしてこうおっしゃった。「お金を与えて買わせるのではなく弁当にしてください」
 口調は当然でしょう・・・という感じでした。
 
 さらに「自分で作らせればいいのですから」ともつけ足されていました。ただそれは場に生じたある種の緊張感(?)を緩和するためのお話ではないかとも感じました。
 実際問題として、高校生の男子生徒が部活の朝練の前に早起きして弁当を作るというのは相当の負荷がかかります。夜は夜で遅くまで勉強しているでしょうから、不可能ではないにしても相当大変でしょう。先生は暗に「それぐらいの姿勢は親御さんのほうも持ってください」とおっしゃりたかったのではないか。
 
 毎朝お弁当を作るのが相当大変であるということは、息子が高校生のころ家内が毎日お弁当を作っていたのでわかります。家内自身が朝から仕事に出ますから真っ暗な時間帯に起きていました。
 息子は難関校でも何でもない高校に通っていたのですが、まあ作ってやりたいという気持ちがあったのでしょうね。息子が弁当を持っていくのを忘れたときに何度か自分は食べたのですが(息子は「ふつうは届けるだろうよ」と嘆いていました)、ふだんのご飯よりおいしいぐらいで、見た目も大切にしているのがわかりました。
 
 もちろんどの難関高校にも、買った食品を持参している生徒はいらっしゃるはずです。そもそも生徒自身がお仕事が忙しかったりするご両親の負担を考えて「作らなくてもいい」とおっしゃるケースがあることを私は知っています。それでもあえて「弁当にしてください」と校長先生がおっしゃったのは、深いお考えがあったのではないかという気がします。
 昨日、コメントをいただいたある優等生(志望校でわかってしまうといけないので匿名にしました)のお母さまも「仕事が忙しくて、朝のお弁当作りしか気にかけてやれない」と書かれていました。ズバリ! ですね。
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2018.10.18 01:09

 内申がどうしてもとれないという生徒がいます。まあ、そのあたりは仕方がない部分もあるのかもしれません。私は私立中学に通っていましたが、もし自分が公立中学に通っていたら内申は全然とれなかっただろうと思います。
 たとえば私は授業中絶対に手をあげなかったでしょう。提出物は怒られると面倒臭いので提出することはするでしょうが、適当に何かを丸写しして出すだけだと思います。しかも丁寧にはやらない自信まであります。
 
 先生に好かれるための努力もしないでしょうし、つまらない授業では寝る可能性もあります。反抗してそうするのではなく、私の生き方の中に「人さまに認めてもらう」のが極端に恥ずかしいという気持ちがあるのです。
 困ったことではありますが、こういうのはどこから来たのかと考えるとけっこう複雑な由来があるような気がしないでもありません。
 つまり幼少期に自分は褒められ慣れていないのですよ。
 
 何かがうまくいったときに褒められていない。できてあたりまえだとさらりと流され、できなかったときは厳しく叱責されました。
 私は考えるのですが、子どもの収入というのはおおむねごくごく近くにいる大人たちのーー多くはご両親のーー褒め言葉だけなのです。彼らにとってはそれだけが唯一の収入なのです。褒められれば豊かになりますし、まったく褒められなければ働いても働いても無収入な貧乏人みたいなもので、何かしらバランスが崩れる部分が出てくると思います。
 
 はたして少年期の私は、他人に褒められると非常に不安定になりました。褒められ上手ではないからですね。ウソをつきやがってと好戦的になる。あるいはおれを騙す目的でいいことを言っているに違いないなどと邪推する。はてはここでうれしそうな顔をしたら負けだとばかみたいなことを考えて、自分のことを認めてくださった大人を一方的に拒否したりしました。
 両親は私に大きな期待をかけていたと思いますし、私はその期待を裏切ってばかりいたとも思いますが、悲劇の出発点はそんなところでしたね。
 
 少しでも何かしらいいことがあったときは心の豊かさを与えるために、彼らを褒めるべきだと思います。漢字テストで満点の子がいる。それはたいしたものです。ただ先週30点だった子が50点をとったのであれば、それもまた褒めるべきでしょう。まだまだだめだなどというのはあまりにも残酷ではないですか? 褒められ上手な生徒を作れないのであれば、先生として失格だと考えています。ただこうしたことに気づけたのは歳をとってからで、若いころの指導には悔いが残ります。
 
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2018.09.19 08:38

 毎年似た催しを実施しているのですが、つい先日もZ会の教室から日本を代表するような一流大学に合格された先輩たちをお呼びして、中学生や保護者の皆さんにお話していただく機会を設けました。今回は3名の大学生がいらっしゃった。そのうちのおひとりは、私もよく知っている生徒でした。Z会進学教室の渋谷教室から第一志望の高校に(そして大学に)進学されたのです。
 今回面白かったのは「保護者の方との関係性」についてのコメントでした。
 
 3人が3人とも「おいしいご飯を作ってくれた」という事実を感謝の筆頭に持ってきたではないですか。たとえば朝の4時台に起きて、部活の朝練に行くお子さんのお弁当を欠かさず作ってくれた。あるいはZ会進学教室は教室を出る際にスイカやパスモを使ってご家庭に連絡がいく仕組みになっているのですが、帰宅までに30分かかるある生徒はご家庭にちょうど着くタイミングで温かい食事が用意されていたことを感謝されていた。皆さんそうしたことに心から感謝したとおっしゃっていました。
 
 作ってくださったというところも感激したのでしょうね。いまの世の中流通が発達していますから、お金だけ渡して「適当に食べなさい」でも大丈夫は大丈夫ですがそうではなかった。相当むりしてでも、手作りのものを出してくださっていた。
 中学生高校生でもやっぱりそのあたりの温かみは伝わるものです。自分が勉強しやすいようにご家族もまた応援してくれている・・・という感謝の念は、非常に強かったように感じました。
 
 そもそもこうした席でご家庭の方との関係を問いかけたとき「進学についてのアドヴァイスがありがたかった」とか「サボり気味のときに注意してもらえてよかった」とか「成績について叱咤激励してもらった」とかという類の感謝の言葉を私はまったく聞いたことがありません。
 逆に干渉しないでくれて助かったとか、点数が悪いときは静かに見守ってくれたとか、およそ逆の形の答ばかりが出てきます。
 
 要するにご家族があれこれ心配して発言されたり行動されたりしても、悲しいことにご本人にはまったく逆の効果をもたらしている可能性がきわめて高いということです。周囲が心配しすぎると生徒自身が著しく不安定になる例はきわめて多い。その事実はこういう仕事に携わっている人間であればほぼ全員が気づいていることです。
 ご家庭内の穏やかな空気の中で、多少つまずいたってあとから追いかけていけば大丈夫だよぐらいの会話が出てくる環境であれば、彼らも落ち着いて努力できるはずです。
 
 毎年面談のときに「では、私は何もできないのでなるべく健康的でおいしいご飯を作ることにします」とおっしゃるお母さまが実際にいらっしゃるのですが、そうしたご家庭の生徒はおおむね情緒も安定していて明るく穏やかです。お子さんの成績が気になっておいしいご飯を作るどころではないという状況であれば、何かしら本末転倒気味かもしれないということは少し意識されておいてもいいのかもしれません。
 
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2018.08.15 01:05

 うちの子はどうなってしまうのだろう? というご心配をときどきうかがうのですが、きちんと明るく育てていけば、まず杞憂に終わるものです。きちんとというのは生活においてという意味で、清潔にさせるとか食事を抜かないとか睡眠不足に気をつけるとかゲームに依存しすぎないとか・・・要するにあたりまえのことですね。
 明るさみたいなものも生きていくうえでは大切で、たとえば「すいかとメロンとどっちが好き?」みたいな他愛のない問いかけ1つで雰囲気はぐんと明るくなるものです。
 
 げらげら笑わせるようなものでなくていいということです。
 先日、息子が現在借りているアパートの大家さんから焼肉をご馳走になったというので、ちょっとびっくりしました。いまは大家さんと店子(たなこ)のあいだにあまり交流がないですからね。店子という言葉自体ほとんど使われなくなっています。
 ご馳走してくださったということは、息子のことをそれなりにいい人間であると認めてくださっているのでしょう。親としてはありがたいかぎりです。
 
 ただこの息子は、幼稚園小学生時代人間関係があまりうまくいかない時期がありました。友だちとの関係がうまくいかない。先生との関係もうまくいかない。何度かブログにも書きましたが、学校の先生からは「このままだと大変なことになりますよ」と言われました。大げさに書いているわけではないですよ。そういう先生の言葉は忘れないものです。
 もちろんあちらは善意でおっしゃってくださっている。私が呼び出されたときには年配の偉い先生まで同席されて、長い時間お話しました。
 
 私は私でーーまあその時点でもーー20年ぐらいは生徒を見てきていましたから、いちばん大切なのは現状がどうであるかということではなく、家庭の文化なのだということはわかっていました。要するに明るくて愛情深くて、多少の文化的要素(本がたくさんあるというような)があれば、いずれはしっかりしてくるはずだという確信はありました。
 ですから、家内には心配ないから大切にしてやれということだけを伝えていた。家内も何度も呼び出されましたが、息子を強く責めたりはしていません。親があそこで悠然と構えていられたのは何よりもよかった。
 
 成績も途中まで極端に悪かったのですが、あるときから自分でやるようになりました。大学受験も就職も、ぜんぶ自分1人で決めてきました。仕事はなかなか大変みたいですが、それこそ投げ出したりしないのは精神的にも大人になったのでしょう。そういえば昨日は珍しく、仕事のことでアドヴァイスがほしいという電話がありましたよ。
 あせらないことです。ひたすら心配なさるのではなく、少しでも温かな親子関係を目指されることが、結局はいい結果をもたらすはずです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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