2019.09.23 09:01

 大人は思春期を通過してきているわけですが、そのときの微妙な感覚は忘れてしまっているような気がします。あの憂鬱さ、あの絶望感、また逆にあの高揚感、あの興奮や感激、そうしたものをほとんど忘れて子どもたちに接していれば、ずいぶん理解のない人間だと思われるのも無理はないですね。
 若さゆえ、ただでさえつらかったりする。生きていること自体がひりひり痛い。その相手にいきなり「いいから勉強しろ!」ではうまくいかないのが当然でしょう。
 
 あれは中学2年生になる春休みのことでした。私は妹や母親と一緒に夕暮れどきの商店街を歩いていました。場所まで正確に覚えています。私は友人のためにある将棋の本を買った。翌日だか翌々日だか、彼の家に遊びに行くことになっていたのです。相手の少年も将棋に興味を持ちはじめていたので、ちょうどいいと思って自分も持っている本を買いました。
 夕日を浴びながら坂道を歩いているのですが、何だかむなしくて仕方がない。憂鬱でたまらない。
 
 理由を探ってもわからない。友だちのうちに遊びに行くじゃないかと自分を鼓舞してみる。将棋のテキストだって買ったじゃないか。将棋だって指せるじゃないか。レコードだって聴けるじゃないか。あれこれ考えても、ちっとも心が弾まない。
 そのうち憂鬱の1つの原因は、さっき見た洋画劇場のせいではないかということに気づきました。当時、昼の時間帯に古い洋画を流していたのです。「春の椿事」という映画だったと思います。
 
 内容はコメディでした。それにひきこまれたことの反動が起きているような感じがしました。つまりさっきまで面白がって明るいほうに心がぐーっと傾いた。それが逆方向にまたぐーっと戻りつつあるのではないか。
 いずれにせよ、憂鬱は憂鬱なのですからどうしようもない。だんだん口数も少なくなり、その日は夕食もあまり食べなかった記憶があります。食卓に出てきたコロッケ(商店街で買ったものでした)を見て憂鬱だったさっきの思いがぶり返し、食べる気がなくなってしまった。
 
 私は中学3年生のときに自身をホンモノの鬱病ではないかと疑った時期があり(そうであったら詩人として「はくがつく」とバカなことも考えた)、両親に病院に行かせてくれと訴えて逆に怒られたことがありました。そんなことを考えるのは精神がたるんでいる証拠だ、毎朝早朝に冷水まさつをしろ! だいたい軍隊では・・・ 
 そういう大人とはもう「会話」自体が成立しないと結論づけてしまうのは思春期特有の心理でしょう。私は生徒たちに接するときに、自身の経験してきた思春期の葛藤をつねに意識しています。いまでも心の色は同じだよということですね。
 
 
 
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2019.09.22 07:11

 たとえばご自身のお子さんに対してでも暴言を吐くのはよくないという記事を読むとしますね。まあ、間違いのない真理ではあると思います。するといままで暴言を吐いてきてしまった方にはある意味で感じの悪い指摘であり、いまさらそんなことを言われても・・・という不快感は抱かれるかもしれません。
 こういうのはいい悪いではないですね。歳をとっても少しは運動したほうがいいという常識がありますが、私なんか生まれてからまったく運動してきませんでしたから、それこそいまさら言われても・・・という気持ちになります。
 
 ごくごく自然な反応であって、現在私はどなたかを責める目的で発言することはまずありません。すべての提言は「こちらの方向のほうがより豊かさが増すようですよ」という情報提供でしかなく、人さまの生き方をどうこうという大それた気持ちはまったく持っていません。
 そもそも私たち大人も幼少期にじつは相当傷ついています。傷ついた結果、ある種の偏向が生じている可能性はおおいにありえます。しかも、それに気づいていない。
 
 ご自身の傷ついている微妙な部分を他者の中に見て批判的になるということはごくごく普通のことで、異常でも何でもありません。たとえば私には、非常にだらしないところがあります。そしてそれを両親に強く叱られて育ちました。叱られたことに対する強い反発が生じ、わざとだらしないままでいたい変な気持ちもあるのです。
 複雑なことになってしまったわけですね。だらしない自分は本当はいやである。しかしそれを矯正することはそれに輪をかけていやである。
 
 するとたとえば息子がだらしないところを見るとストレートに注意できない何かが顔を出します。ただこうやって気づいている要素があるので、彼の整理整頓がなっていなくてもそうは責めません。つまり複雑な背景を持っている自分は息子の欠点(だらしなさは欠点は欠点だと思います)を過剰に痛めつけるようなことをする可能性があるので気をつけているということです。
 気づかなかった時代は仕方がない。ただ気づいた瞬間からは十分注意する。できるところからスタートする気持ちはつねに大切だと考えています。
 
 
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2019.09.17 09:09

 大人はそれほどでもないのでしょうが、子どもの心は日々進化成長しています。外からだとなかなか見えないために、よほど意識していないと忘れられてしまったりもしますね。よく「中学時代1年間に10センチ以上背が伸びたよ」などというお話を耳にすることがありますが、当然心の身長も10センチ以上伸びているはずで、大人はそのあたりを十分配慮しないといけないと思います。
 成長に害になるようなことをしてしまうとまずいですね。さまざまなことがうまくいかなくなってしまう。
 
 ここはよく考えないといけないのですが、問題はこちらが「正しいかどうか」ではない。たとえば「子どもを厳しくしつける」という考え方があり、それはそれで正しいことだと思います。甘やかしていい加減に育てるよりよほどいいことではあるかもしれない。ただ相手によりけりでーーそれこそ小さいころの私自身のようにーーとことん弱虫であれば、厳しくしつけられて一方的に萎縮しだめになる可能性もあります。
 するとそれは健全な心の成長に結びつきません。正しく指導しても相手によっては逆効果ということもありうるわけです。
 
 毎日毎日接している大人が、相手の特性を見きわめながら与えていかないといけないでしょう。その能力こそが真の意味での子育ての能力と言えるのではないか。
 これまでも同じ話を書いていますが、月刊誌に優秀な大学に進んだ方のご家庭がどうであるかというような特集記事が載ることがあります。毎回毎回同じことが書いてありますが、ご家庭が穏やかで温和な、まるい空気を保っていらっしゃるということが書かれている。心が成長できる環境ということです。
 
 これは名人になるような棋士のご家庭もそうだという話を聞いたことがあります。亡くなられた米長元名人は将棋の強い若手棋士のご家庭を片っ端から訪問されていました。そして、まったく同じ結論を出されていた。
 そういう状況であれば、安心して心が成長できるということなのだろうと思います。要するに環境作りに成功している。
 ですから、極端に反抗的であるとか乱暴であるとか投げやりであるとかということであれば、絶望せずに「ここから」環境に修正を加えていかれたらいい。
 
 怒鳴らないとか愚痴らないとかからかったりくさしたりしないとかということは基本中の基本で、叱るにしても「話をじっくり聞く」形でとにかく徹底的に聞いてやる。かぶせるように意見したりせず、こちらの言いたいことは後日に譲るぐらいの余力がほしいと思います。
 言いたいことがあるなら言ってみろと言い、子どもがおずおずと喋りはじめるなり「そんなことだからお前はいつまでたってもだめなんだ!」と激怒するようではまったく逆効果だと思います。
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2019.09.05 00:02

 ブログを10年以上続けてきて、ある意味書くことがなくなってきています。同じ内容を繰り返して気づかなかったりということがだんだん頻繁に(?)なってきた気がします。個人でひたすら書いているだけで、チェックしてくださる編集者さんがいらっしゃるわけでもないので、多少の混乱は仕方がないのかなと感じています。
 ただあたりまえですが、私が永遠に会社員を続けられるわけではありません。そのときはブログも終了になると思いますので、もうしばらくご辛抱ください。
 
 勉強法については、右側の「どうしたら勉強ができるようになるか?」にまとめてしまいました。ここに77回分記事があります。そちらを読んでくだされば方法論そのものはわかっていただけるでしょう。ただ実行するかどうかは人それぞれですから、読んでくださった「だけ」では効果は薄いと思います。実践できるかどうかがカギになってきますね。
 最近は勉強法以外のことを主に書いていますが、各ランキングを見る限り、それでも楽しんでくださる方がいらっしゃるみたいでほっとしています。
 
 先日、危ない運転でつかまってしまった方の記事がある週刊誌に出ていました。私はその週刊誌を月曜日に皮膚科の待合室で読みました。「あおり運転」ですね。印象に残ったのは、その容疑者のおうちの方がやはり大変ないわゆる「クレーマー」であったというところでした。
 つまり彼は、幼いときからおうちの方があちらこちらに文句を言うところを目撃しながら育ってきた。幼いころのご両親というのは絶対ですからね。世の中はこうするものなのかと確信したに違いない。
 
 代々伝わっていく文化遺産というものがあります。それは子育ての過程でかなり意識されてもいいかもしれません。DVなんかもそう言われていますね。親に暴力をふるわれて育つうちに、そういうものなのだと思いこむ。そしてお子さんにも暴力をふるうケースが多いそうです。負の連鎖が起きてくる。
 もっとも私のように、意識しているから子どもを叩かないという選択もできる。自分が木製の棒で叩かれたり蹴られたり全裸で外に立たされたり(どれも誇張ではないですよ)して育ったからこそ「同じようなことは絶対にしない」と強く意識しました。
 
 よい文化は黙々と受け継ぐ。悪い文化は意図的に断ち切る。そうしたことは人間だけができることで、ここからよいことを自分がスタートさせるぞという気概は絶対に必要だと思います。まあ、気負いすぎてもよくないですけどね。
 
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2019.08.01 00:43

 夏休みですね。先日、こういうシーンを目撃しました。中央線の快速電車、親子3人連れが席についていらっしゃった。男の子は小学校の1年生ぐらいでした。ちょっと日帰りで遠出するというスタイルで、何となくうきうきムードが伝わってきます。
 お父さんお母さんはスマートフォンを見ていた。よくある光景ですね。お父さんはたぶんゲームをやられていたのだと思います。お母さんはゲームではなく、何か情報を探っている感じでした。
 
 遊びに行く先の何かではないか。私に近いほうからお父さんお母さん息子さんという並びで座っています。ときどきお母さんはご自身のスマホをご主人に見せて何か話しかけていました。ご主人も穏やかに答えていらっしゃるのですが、目はご自身のスマホに釘づけになっています。
 そのうち息子さんが窓の外を見て「あれ、なーに?」とおっしゃった。私の位置からでは何のことだかわかりませんでした。
 
 ご両親とも黙っている。「ねえねえ、あれあれ」ともう1度指さした。そのときもやはり反応はありませんでした。スマホの画面を見ている。ただ悪気はまったくないのです。3度目に彼が「ねえ」と声をかけたときには一段落した(?)お父さんがすぐに窓外を見て、どれどれ? と笑顔でおっしゃった。
 ただ息子さんは不機嫌になっていて「もういなくなっちゃったよ」と言った。さらに彼はこう言いました。作った話に見えるでしょうが、これは事実です。「なぜ、すぐに見てくれなかったの?」
 
 お父さんは、ごめんね、いいところだったんだとおっしゃった。お母さんはとくに返事をされていませんでした。
 ただこういうのはちょっとこわいと思います。私が偶然目撃した1回だけの出来事ではないのではないか。毎日そうなのでは? 当然、お子さんは「スマホに夢中になっているときは他者の話は黙殺してもやむをえないのだ」と学習していくことになります。将来ご両親に「人の話を聞きながらスマホを見るとは何事か!」と叱られても、納得できないのはあたりまえです。
 
 話の重要度が違うというのは理屈になりません。幼い彼にとって「あれ、なーに?」の問いかけは非常に重要だったはずです。悪気はなかったとはわかっても、とにもかくにも黙殺された思いは残ったでしょう。こういう小さな積み重ねを「それぐらいのことで」と片づけてしまうからいけないのです。相手は子どもじゃないか、すぐに忘れるよ程度の認識だからおかしなことがいっぱい起きてくる。いずれ何かで揉めたりしたときに、何しろうちの子も反抗期なので・・・と終わらせていいのかどうか。
「他者を扱ったごとく自分も扱われる」というのはある種の法則です。油断はできないと思いますよ。
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2019.07.30 00:36

 平熱という言葉があるぐらいですから、だいたいこの程度という目安があります。平熱が35℃であるとか38℃であるとかというのは、やはりどこかおかしい可能性がある。何かしら手をうつべきかもしれないですね。
 同じように私はご家庭で家族が「普通に」会話できないというのは、あきらかに何かがおかしくなりつつある可能性が高いと思います。どなたか一人の責任という意味ではありません。化学反応としておかしくなってきているということです。
 
 私自身は過去必然的に2つの家庭を経験しています。子どものときの家庭と現在の家庭。そして両方の親子関係は全然違っていました。子どものときの家庭ではーーとくに父親とはーーまともなコミュニケーションが成立しませんでした。現在の家庭ではその父親に私がなっているわけですが、息子との会話はごくごく「普通」です。
 昨日も息子が受けた試験のことを話していました。息子は「あまり期待しないでくれよ」と笑い、私は「いい経験になったじゃないか」と返しました。
 
 そのちょっと前、私が洗面所を使っていると息子がやってきたので、私は身体をずらして息子も使えるようにした。そうした1つ1つの行為はごくごく普通の社会的マナーにのっとったものであり、親子関係がうまくいっています! と得意になるようなものではまったくありません。
 その普通のことがどうして子どものときの家庭では実現できなかったのか。それは当時の親子関係が落ち着いたルールに基づいたものではなかったからでしょう。
 
 そもそもが挨拶さえない。おはようもおやすみも行ってらっしゃいもおかえりもない。私は挨拶より「勉強しろ」「点数を上げろ」と言われた回数のほうが圧倒的に多かった。少なくとも小学生のときはそうです。真剣に青臭いことを主張すると、幼稚なことをと親が笑う。嘲笑する。そんなことで食っていける世の中だと思うのか。
  それがどんなに非礼な態度かという認識がない。ですから私は息子がとんでもないことを言い出したときにはあえて「面白い」と話を続けさせました。
 
 他者の話を途中で「ばかじゃないのか」と打ち切るようなマナー違反は親であってもするべきではない。当然、子どもも次第に「うるせえな」と親の話を打ち切るようになります。非礼には非礼で返す。
 中学時代私は、母親に対して「うるせえな」ばかりでした。息子は家内に「うるせえ」などとは決して言いません。それは私と私の母が息子や家内に人間的に劣っていたわけでも何でもなく、ただただ関係性の構築の巧拙によるものだと思います。
 
 うまくいかなくなってしまった部分には強い緊張が存在しているわけですから、ゆるめる必要があります。会話も態度も緊張をゆるめる。あたりまえのことですが、双方の努力が必要です。ただ関係の無意識の破綻は多くの場合、親のほうの非礼さがきっかけになっているものです。そこは少し意識して変えていかれるとよいかもしれません。
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2019.07.18 00:56

 昨日の朝刊に10代の自殺者数が過去最悪であるという記事が出ていました。抽象的に書けばお若い方が希望を持てない世の中だということになるとは思いますが、低年齢層になればなるほど自殺理由がご家庭やご両親との確執にあるということでしたので、ここはやはり大人側がきちんと考えないといけないと思いました。
 要するに、追いつめてはいけない。追いつめるというのは、何が何でも1つの価値観で1つの方向に引っぱろうとすることです。努力しろと追いつめる。勉強しろと追いつめる。それは危険です。
 
 私なんかーーこんなのは自慢になりませんがーーきわめて適当な人間で、ぶらぶら生きていればそれでいいような気がするので、自分の子どもに「努力しろ」などと言ったことはありません。適当にやっておきなよぐらいで、かえって息子のほうが「そんなんじゃだめだよ」と奮起していたぐらいです。
 就職のときも、彼は家内に40代半ばではじめて就職した私の話題を出して「お父さんみたいになったら大変だから」と頑張っていたそうです。そのあたりは、まあ人生観の違いもありますね。
 
 いずれにせよ、追いつめないということは本当に大切なことで、私自身子どものころ父から「勉強するのかしないのかお前自身が決めろ!」などと怒鳴られたりしたのですが、そういうのはじつに狡猾で恫喝的なやり方で、やります、頑張りますしか選択肢がない。いまにも鉄拳がとんできそうな雰囲気の中で、ではやめますと小学生が言えるわけがないのです。そしていやいややっていると、あのとき約束したのは誰なんだ? 約束を守れないなら家を出ていけなどと乱暴なことを言われる。毎日毎日そんなでは、自殺したくもなるでしょう。
 
 追いつめないこと、話を聞いてやることは本当に大切です。人間の心の中には、いろいろつまらないゴミが蓄積しているものです。友だちに悪質ないたずらをされればもちろん本気でなくても「ぶっ殺すぞ」と考えたりもする。次第に心の中はゴミ屋敷みたいになってくる。未熟な子どもたちの心の中は、けっこうそういう状態です。
 それを聞いてやることでゴミが減っていく。ただ聞いてやる。ぶっ殺すなどと言い出しても、とりあえずは一生懸命(ここは大切)に聞いてやる。
 
 ゴミ整理やゴミ出しのお手伝いですね。それを途中で言葉をさえぎって「お前はそれだからいつまでたってもだめなんだ」などと余計な意見をするものだから、逆にゴミは増える一方だったりする。
 仮にお子さんを叩いたとしますね。多くの場合、激情にかられてそうしてしまう。大人の社会でいきなりそんな行為に出たら大変なことになりますよ。怒鳴っただけでも大騒ぎになる。それをお子さんにだけは許されると考えるとしたら、やはり不安な要素が出てくるとは思います。
 
 大人の世界で到底許されない行為を持ちこまない礼儀は、子どもに対しても大切だと思います。私たち大人の見識が試されているということです。
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2019.07.15 02:14

 土曜日に教室でいわゆる講演会を実施させていただきました。ここのところお話していなかったので、久しぶりですね。教室の規模いっぱいーー約70名の方ーーがいらしてくださった。以前は100名近く入っていただける教室があったのですが、現在は70名ぐらいが上限になっています。
 たくさんの方に温かいお声をかけていただいた。アンケートもすべてきちんと読みました。多くの方が感想を書いてくださった。裏面にまで及んだものもありました。絆は強いですね。
 
 どうもありがとうございます。私は、私自身がどうこうはもうどうでもいいと思っているのです。長野正毅という人間が何をしているかは、ある意味でどうでもいい。いい歳をして、これから何かでうんと認められようとか大儲けしてやろうとかはまったく考えません。昔から私はいい加減な人間で、いわゆる「偉く」なるより徹底的に自由でありたいと望むタイプではあったのですが、現在はちょっと違った意味で変な煩悩は落ちています。
 
 私がお話するという事実より、内容のいくつかがお役にたてばそれで十分であると思っています。今回は「人間が他者にできる最大のプレゼントは相手の話を聞いてあげることだ」という話をさせていただいた。よく雑誌などで「一流大学生を育てたご家庭」特集みたいなのが組まれていますね。一流大学という部分に具体名が入っていることもしばしばあります。繰り返し繰り返し特集されるのは、それだけ需要が多いからでしょう。
 毎回同じことが書いてあります。保護者の方が決して感情的にならない、愚痴を言わない、つねに冷静にお子さんに接する、ご自身が勉強している姿を見せる・・・
 
 具体的なことがたくさん書かれていますが、何年も何年も読んできて、私は要するにご自身のお子さんだからといって失礼な取り扱いをしないということに尽きると気づきました。なるほど自分の周囲のよくできる生徒のご家庭もそうだなと感じます。
 お子さんが極端に反抗的であるのは、周囲の大人側にも落ち度があることが多い。つまりこちらがあまりにも子どもに対して失礼だったので、向こうも失礼な反応を返してくるようになった。そのあたりは、微調整をかけていかれるといいと思います。よりよい明日、というのが人生のテーマですから。
 
 尊厳みたいなものを重視されて育った人間は当然きちんとしてきますし、他者に対しても配慮できるようになります。人は扱われたように反応するようになるのです。
 ブログを続けてほしいというご要望やいつまでもいまの立場で仕事を続けてほしいというご要望もすべて確認いたしました。個人で決められないことも多いのですが、基本的には価値のあることであれば続くだろうと考えています。私があなたに多少なりとも価値があるうちは、私が突然消えることはないということです。
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2019.07.07 07:55

 教室に来た日はどこかで食事をするわけですが、何かのきっかけでこのお店はそろそろ卒業かな? と考えることがあります。だいたいは何となく気になる出来事が起きる。それで卒業してもいいなと思う。
 店員さんの雰囲気でということがあります。態度がいいとか悪いとかにわかには決められないものですが、挨拶の類が一切ないのは場の空気がいかにも固い感じで、腹をたてることはなくてもわざわざ行かなくてもいいかという気持ちになります。
 
 食べ物屋さんだけではないですね。コンビニエンスストアーで、夜遅く行くと店員さんがずーっとスマホをいじっているお店がありました。挨拶などもほとんどない感じでどうなのかなと思っていたら、いつのまにかお店自体がなくなってしまった。コンビニはたくさんある地域なので、やっぱり皆さん感じのいいお店に行くようになってしまったのでしょう。
 感じのよしあしは、けっこう大切なところだと思います。
 
 教室も同じで、なるべくなら感じよくしたい。相手に関係なくです。生徒や保護者の方だけでなく、お掃除の方や宅配の業者さんや自動販売機の管理会社の方なんかにもできるだけ感じよくしたい。私は総合力としてのやさしさややわらかさのことを強調したいのであって、よくある「笑顔で接客」みたいなマニュアルとは全然別次元の話です。
 そういう気持ちはお互いに伝播するもので、私がお掃除の方に「いつもありがとうございます」とお礼を言うと、あちらも「こちらこそありがとうございます」と笑顔でおっしゃるようになりました。
 
 何も言わずに掃除の現場をただ見ていたり、あちらもまた何もおっしゃらずに黙々と掃除されるよりは多少なりとも空間に温かみが出てくるわけで、そうやってほんの1℃か2℃教室の温度を上げておくことは間違いなく、そこに所属するすべての方に意味のあることだと考えています。
 こういうのはしかし、それぞれのご家庭でもできることであって、なぜやらないのか? という問題が出てきますね。
 
 ひょっとすると少年期の私のように何となく意地になってしまって、温かみのある空間なんかいまさら作れるかという要素があるのかもしれません。しかし、それはサイアクの感覚で、国と国の関係であったらーー戦争になりますからーー許されない。外交的な努力がどうしても必要です。その努力は成員全員でやっていくべきですが、当然知恵のある者が上手に歩み寄る必要があるでしょう。大人と子どもでは大人のほうが知恵がありますから、大人が意地になっていてはどうなのでしょうか。知恵のある者は本来強者なのですから、いくらでも歩み寄ることができると思いますよ。
 
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2019.06.29 01:16

 やる気がない状態を私はまったく否定するものではありません。私自身、あまりやる気があるタイプではありません。いちばん困るのは生きることにやる気がないという状態ですね。心の病気の方などから相談を受けることがありますが、さすがにそれは困ります。ただ困るものの、そういう方に「やる気を出してください」と強く激励するのはかえって負担になりますから、まあだらだら生きやすいように生きなよぐらいのアドヴァイスをしています。なげやりみたいですが、それで救われる側面もあるのです。
 
 仮に勉強のやる気がないとしても、生きる気力が強ければそれはそれでよしとしたい。そのままずーっと勉強をしなくて志望校に合格できるかどうかは別問題ですが、好きなことで何か頑張ってくだされば救われますよ。運動でもダンスでも料理でも芸術活動でもアルバイトでも、何でもいいですから打ちこんでみてください。
 最近いやな事件が多いので、改めてちょっとだけ書いておきます。うちの息子は小学生中学生時代勉強を好みませんでした。要するに勉強はやる気がない。テスト前でさえたいしてしていませんでした。
 
 いわゆる生きる気力がないわけではないので、放っておきました。家内には「あいつは大学までは行かない選択をする可能性もあるが、それはそれで認めてやろう」とは伝えていました。小学生だった彼自身から私は「お父さんの職業は知っているけど、ぼくは勉強したくないんだ。それでもいい?」と心配そうに訴えられたことがあり、私はぜんぶお前の自由だよと答えていました。
 ただ私の家庭は伝統的(?)に怠惰きわまりないのですが、非常に穏やかであるとは思います。穏やかなので親子の会話は常に存在します。
 
 やれとか、だめとか単語ではなく、落ち着いた会話ですね。大人が喋る。子どもが聞く。子どもも喋る。大人も聞く。ときには子どもはとんでもないことを言い出します。未熟ですから当然ですね。親がうれしくないことも言う。「親と歩くのは恥ずかしい」と言う。それもまた静かに最後まで聞く。
 穏やかに話していると当然さまざまな単語が出てきます。私たちは加減せずに喋りますから矛盾だとか葛藤だとか皮肉だとか時代錯誤だとか、ぽんぽん出てくる。語彙の乏しいほうは、豊かなほうから潜在的に学び続けることになります。
 
 また親が書籍に囲まれる(は大げさかな)生活を送っていたので、本を読むことに関しては抵抗がなかったと思います。楽しみに読む過程で漢字がわかってきたというぐらいですから。そうやって文化的な香りでガードしていた部分はあったかもしれません。
 次第に大人になり勉強するという定義ではなく、将来のために必要だからという定義でいわゆる勉強をはじめました。将来のためにやらなければいけないと考えたことが、昔いやがっていた勉強だったという程度です。
 
 勉強のように繊細なものを粗野にすすめるものではないですね。やる気がないのか! などとよくわからない子どもに体罰を加えたりするのは、非常に問題だと思います。道徳的な意味ではなく、永続的な効果がないから意味がない。繊細なものを伝えていくためには、ふさわしい繊細さが必要です。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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