2019.07.18 00:56

 昨日の朝刊に10代の自殺者数が過去最悪であるという記事が出ていました。抽象的に書けばお若い方が希望を持てない世の中だということになるとは思いますが、低年齢層になればなるほど自殺理由がご家庭やご両親との確執にあるということでしたので、ここはやはり大人側がきちんと考えないといけないと思いました。
 要するに、追いつめてはいけない。追いつめるというのは、何が何でも1つの価値観で1つの方向に引っぱろうとすることです。努力しろと追いつめる。勉強しろと追いつめる。それは危険です。
 
 私なんかーーこんなのは自慢になりませんがーーきわめて適当な人間で、ぶらぶら生きていればそれでいいような気がするので、自分の子どもに「努力しろ」などと言ったことはありません。適当にやっておきなよぐらいで、かえって息子のほうが「そんなんじゃだめだよ」と奮起していたぐらいです。
 就職のときも、彼は家内に40代半ばではじめて就職した私の話題を出して「お父さんみたいになったら大変だから」と頑張っていたそうです。そのあたりは、まあ人生観の違いもありますね。
 
 いずれにせよ、追いつめないということは本当に大切なことで、私自身子どものころ父から「勉強するのかしないのかお前自身が決めろ!」などと怒鳴られたりしたのですが、そういうのはじつに狡猾で恫喝的なやり方で、やります、頑張りますしか選択肢がない。いまにも鉄拳がとんできそうな雰囲気の中で、ではやめますと小学生が言えるわけがないのです。そしていやいややっていると、あのとき約束したのは誰なんだ? 約束を守れないなら家を出ていけなどと乱暴なことを言われる。毎日毎日そんなでは、自殺したくもなるでしょう。
 
 追いつめないこと、話を聞いてやることは本当に大切です。人間の心の中には、いろいろつまらないゴミが蓄積しているものです。友だちに悪質ないたずらをされればもちろん本気でなくても「ぶっ殺すぞ」と考えたりもする。次第に心の中はゴミ屋敷みたいになってくる。未熟な子どもたちの心の中は、けっこうそういう状態です。
 それを聞いてやることでゴミが減っていく。ただ聞いてやる。ぶっ殺すなどと言い出しても、とりあえずは一生懸命(ここは大切)に聞いてやる。
 
 ゴミ整理やゴミ出しのお手伝いですね。それを途中で言葉をさえぎって「お前はそれだからいつまでたってもだめなんだ」などと余計な意見をするものだから、逆にゴミは増える一方だったりする。
 仮にお子さんを叩いたとしますね。多くの場合、激情にかられてそうしてしまう。大人の社会でいきなりそんな行為に出たら大変なことになりますよ。怒鳴っただけでも大騒ぎになる。それをお子さんにだけは許されると考えるとしたら、やはり不安な要素が出てくるとは思います。
 
 大人の世界で到底許されない行為を持ちこまない礼儀は、子どもに対しても大切だと思います。私たち大人の見識が試されているということです。
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2019.07.15 02:14

 土曜日に教室でいわゆる講演会を実施させていただきました。ここのところお話していなかったので、久しぶりですね。教室の規模いっぱいーー約70名の方ーーがいらしてくださった。以前は100名近く入っていただける教室があったのですが、現在は70名ぐらいが上限になっています。
 たくさんの方に温かいお声をかけていただいた。アンケートもすべてきちんと読みました。多くの方が感想を書いてくださった。裏面にまで及んだものもありました。絆は強いですね。
 
 どうもありがとうございます。私は、私自身がどうこうはもうどうでもいいと思っているのです。長野正毅という人間が何をしているかは、ある意味でどうでもいい。いい歳をして、これから何かでうんと認められようとか大儲けしてやろうとかはまったく考えません。昔から私はいい加減な人間で、いわゆる「偉く」なるより徹底的に自由でありたいと望むタイプではあったのですが、現在はちょっと違った意味で変な煩悩は落ちています。
 
 私がお話するという事実より、内容のいくつかがお役にたてばそれで十分であると思っています。今回は「人間が他者にできる最大のプレゼントは相手の話を聞いてあげることだ」という話をさせていただいた。よく雑誌などで「一流大学生を育てたご家庭」特集みたいなのが組まれていますね。一流大学という部分に具体名が入っていることもしばしばあります。繰り返し繰り返し特集されるのは、それだけ需要が多いからでしょう。
 毎回同じことが書いてあります。保護者の方が決して感情的にならない、愚痴を言わない、つねに冷静にお子さんに接する、ご自身が勉強している姿を見せる・・・
 
 具体的なことがたくさん書かれていますが、何年も何年も読んできて、私は要するにご自身のお子さんだからといって失礼な取り扱いをしないということに尽きると気づきました。なるほど自分の周囲のよくできる生徒のご家庭もそうだなと感じます。
 お子さんが極端に反抗的であるのは、周囲の大人側にも落ち度があることが多い。つまりこちらがあまりにも子どもに対して失礼だったので、向こうも失礼な反応を返してくるようになった。そのあたりは、微調整をかけていかれるといいと思います。よりよい明日、というのが人生のテーマですから。
 
 尊厳みたいなものを重視されて育った人間は当然きちんとしてきますし、他者に対しても配慮できるようになります。人は扱われたように反応するようになるのです。
 ブログを続けてほしいというご要望やいつまでもいまの立場で仕事を続けてほしいというご要望もすべて確認いたしました。個人で決められないことも多いのですが、基本的には価値のあることであれば続くだろうと考えています。私があなたに多少なりとも価値があるうちは、私が突然消えることはないということです。
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2019.07.07 07:55

 教室に来た日はどこかで食事をするわけですが、何かのきっかけでこのお店はそろそろ卒業かな? と考えることがあります。だいたいは何となく気になる出来事が起きる。それで卒業してもいいなと思う。
 店員さんの雰囲気でということがあります。態度がいいとか悪いとかにわかには決められないものですが、挨拶の類が一切ないのは場の空気がいかにも固い感じで、腹をたてることはなくてもわざわざ行かなくてもいいかという気持ちになります。
 
 食べ物屋さんだけではないですね。コンビニエンスストアーで、夜遅く行くと店員さんがずーっとスマホをいじっているお店がありました。挨拶などもほとんどない感じでどうなのかなと思っていたら、いつのまにかお店自体がなくなってしまった。コンビニはたくさんある地域なので、やっぱり皆さん感じのいいお店に行くようになってしまったのでしょう。
 感じのよしあしは、けっこう大切なところだと思います。
 
 教室も同じで、なるべくなら感じよくしたい。相手に関係なくです。生徒や保護者の方だけでなく、お掃除の方や宅配の業者さんや自動販売機の管理会社の方なんかにもできるだけ感じよくしたい。私は総合力としてのやさしさややわらかさのことを強調したいのであって、よくある「笑顔で接客」みたいなマニュアルとは全然別次元の話です。
 そういう気持ちはお互いに伝播するもので、私がお掃除の方に「いつもありがとうございます」とお礼を言うと、あちらも「こちらこそありがとうございます」と笑顔でおっしゃるようになりました。
 
 何も言わずに掃除の現場をただ見ていたり、あちらもまた何もおっしゃらずに黙々と掃除されるよりは多少なりとも空間に温かみが出てくるわけで、そうやってほんの1℃か2℃教室の温度を上げておくことは間違いなく、そこに所属するすべての方に意味のあることだと考えています。
 こういうのはしかし、それぞれのご家庭でもできることであって、なぜやらないのか? という問題が出てきますね。
 
 ひょっとすると少年期の私のように何となく意地になってしまって、温かみのある空間なんかいまさら作れるかという要素があるのかもしれません。しかし、それはサイアクの感覚で、国と国の関係であったらーー戦争になりますからーー許されない。外交的な努力がどうしても必要です。その努力は成員全員でやっていくべきですが、当然知恵のある者が上手に歩み寄る必要があるでしょう。大人と子どもでは大人のほうが知恵がありますから、大人が意地になっていてはどうなのでしょうか。知恵のある者は本来強者なのですから、いくらでも歩み寄ることができると思いますよ。
 
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2019.06.29 01:16

 やる気がない状態を私はまったく否定するものではありません。私自身、あまりやる気があるタイプではありません。いちばん困るのは生きることにやる気がないという状態ですね。心の病気の方などから相談を受けることがありますが、さすがにそれは困ります。ただ困るものの、そういう方に「やる気を出してください」と強く激励するのはかえって負担になりますから、まあだらだら生きやすいように生きなよぐらいのアドヴァイスをしています。なげやりみたいですが、それで救われる側面もあるのです。
 
 仮に勉強のやる気がないとしても、生きる気力が強ければそれはそれでよしとしたい。そのままずーっと勉強をしなくて志望校に合格できるかどうかは別問題ですが、好きなことで何か頑張ってくだされば救われますよ。運動でもダンスでも料理でも芸術活動でもアルバイトでも、何でもいいですから打ちこんでみてください。
 最近いやな事件が多いので、改めてちょっとだけ書いておきます。うちの息子は小学生中学生時代勉強を好みませんでした。要するに勉強はやる気がない。テスト前でさえたいしてしていませんでした。
 
 いわゆる生きる気力がないわけではないので、放っておきました。家内には「あいつは大学までは行かない選択をする可能性もあるが、それはそれで認めてやろう」とは伝えていました。小学生だった彼自身から私は「お父さんの職業は知っているけど、ぼくは勉強したくないんだ。それでもいい?」と心配そうに訴えられたことがあり、私はぜんぶお前の自由だよと答えていました。
 ただ私の家庭は伝統的(?)に怠惰きわまりないのですが、非常に穏やかであるとは思います。穏やかなので親子の会話は常に存在します。
 
 やれとか、だめとか単語ではなく、落ち着いた会話ですね。大人が喋る。子どもが聞く。子どもも喋る。大人も聞く。ときには子どもはとんでもないことを言い出します。未熟ですから当然ですね。親がうれしくないことも言う。「親と歩くのは恥ずかしい」と言う。それもまた静かに最後まで聞く。
 穏やかに話していると当然さまざまな単語が出てきます。私たちは加減せずに喋りますから矛盾だとか葛藤だとか皮肉だとか時代錯誤だとか、ぽんぽん出てくる。語彙の乏しいほうは、豊かなほうから潜在的に学び続けることになります。
 
 また親が書籍に囲まれる(は大げさかな)生活を送っていたので、本を読むことに関しては抵抗がなかったと思います。楽しみに読む過程で漢字がわかってきたというぐらいですから。そうやって文化的な香りでガードしていた部分はあったかもしれません。
 次第に大人になり勉強するという定義ではなく、将来のために必要だからという定義でいわゆる勉強をはじめました。将来のためにやらなければいけないと考えたことが、昔いやがっていた勉強だったという程度です。
 
 勉強のように繊細なものを粗野にすすめるものではないですね。やる気がないのか! などとよくわからない子どもに体罰を加えたりするのは、非常に問題だと思います。道徳的な意味ではなく、永続的な効果がないから意味がない。繊細なものを伝えていくためには、ふさわしい繊細さが必要です。
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2019.06.26 03:36

 歯医者さんに定期的に通っています。健診ですね。月に1回というのは多すぎる気がしないでもないのですが、先生がおっしゃるので単純にそのほうがいいのだろうと通っています。
 もう何年にもなります。だいたいは朝一番に予約を入れる。9:30ですね。月1回としてまあ5年間60回ぐらいは(治療も含めて)通っていますが、1回も遅れたことはありません。
 
 9:30のときも9:45のときも、それ以外の時間帯もだいたい5分前には到着するように心がけています。早すぎても迷惑でしょうから、5分より前に着いてしまったらあたりをうろうろして時間をつぶす。
 ただ今日書きたいのは、そういう話ではありません。待合室で週刊誌を読んでいたら、痛ましい事件についての記事が出ていました。いわゆる社会的エリートのお父さまが暴力的なご子息を結果的にあやめてしまった・・・
 
 息子さんがはっきりとご両親の教育方針は間違っていたと、何かの文章に残していたそうですね。期待通りの点数がとれないと罰として宝物のようにしていたプラモデルだの何だのを壊されたりしたらしいのですが、もし本当だとしたらいくら何でもちょっとまずいやり方だなと思いました。
 息子さんは体力的に互角以上になるまでひたすら待ち、それからは逆襲(家庭内暴力)に転じた。積年の恨みを晴らすことが、もはや正義や使命になってしまっていたのでしょう。
 
 たかがおもちゃをこわされたぐらいで? と考えるのは大人のエゴであって、ものの価値はいちばん大切にしていた人間にしかわからない。それは私自身の体験とダブる部分もあり、自分の場合は楽しみにしていたテレビやマンガをこんな点数では今日から一切禁止と何の予告もなく命じられた。ご家庭のルールは親がかっとなって独断で決めるものではなく、闊達な話し合いの中で少しずつ調整していくべきものです。ですから、当時は私も「いつか絶対に復讐してやるぞ」と強く思いました。
 
 民主的に話し合う過程で、ひょっとするとこの子はあまり勉強に向かないかもしれないというケースは出てくるかもしれません。それはそれで本質がわかってきたわけですから、全然悪いことではない。見栄や体面をとりつくろおうとするよりも、よほど正直で幸福な生き方になっていくと思います。
 あるときある会合で、非常に社会的地位の高い方からお子さんについての教育方針をうかがったことがありました(仕事とは関係ないですよ)。
 
 猛勉強させすぎて、ご本人がおかしくなってきた。心療内科のお医者さんはこれ以上はむりだとおっしゃっている。お父さまは豪快に笑い「受験勉強程度でつぶれてしまうのであればどうせモノにならないわけですから、勝手につぶれろという気持ちでとことんやらせます」とおっしゃっていた。ライオンはわが子を谷底に突き落として這い上がらせるというたとえ話まで出てきました。
 そういうのは「先に行ってこわい」かもしれません。復讐心はつねに部分否定ではなく、全否定として働くからです。
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2019.06.23 00:39

 ある都立中高一貫校の校長先生が教室に講演にいらしてくださいました。そのとき保護者の方のご質問に答えてこういう話をされていた。
 学校はいいことばかりではない。つらいこと、いやなことなんかも起きるでしょう。そういうものですね。誰が悪い何が悪いというわけでもないのに面白くないことがなぜか起きます。そういうのは大人の世界と変わらないですね。そんなとき、お父さんやお母さんとあれこれ話せる環境だとうまくいく。よく出来る子のご家庭にはそういう要素があるというお話でした。
 
 先生は「そうしたご家庭は小学生のときからずーっとそうだったのでしょう」ともおっしゃっていた。世の中でいろいろ難しい事件なんかが起きたときに、ご家族であれこれ話し合う習慣があった。
 私も親子関係が円満であるというのはとてもいいことだと思います。いいことというより、必要なことでしょう。勉強でも何でもそうですがうまくいかなくなってしまう以前に、環境がまず劣化する事実があります。何だか親子関係がぎすぎすしてくる。いわゆる反抗期と言いますが、いきなり反抗するわけではないのです。
 
 はじめに独自の考えを持つようになる。大人が考えるのとは違う方向に発想していくようになる。生徒でもいます。奇妙なことを言い出すのが。たとえば全然勉強していないのに、びっくりするような難関校に入ると言い出す。どう考えても発想的におかしいところがある。そういうときーー仮に身内だとしてもーーお前みたいな成績の怠け者がよく言うよみたいなことを言ってしまったり、お前の点数でそんなところに合格できるわけがないじゃないかと嘲笑してしまったりするから、次は「反抗」という形をとらざるを得ない。
 
 ここはじっくりと聞いてやる。そのうえで現在の自分のレベルを脱却したい気持ちはよくわかった。ただそれを高名な学校の名称を出すことだけで、隠れ蓑にしていないか? というようなことをご本人と話し合える状況が大切です。
 このままではいけないということがわかっているだけでもたいしたものではあるのです。そこからスタートする。今日の勉強、いまの勉強がどうであるかということがいちばんの問題です。ところが、それは見たくないものだから将来どこどこ大学の医学部に行きますなどと飛躍させてしまう。
 
 そしてどこかで(そんなところを目指している自分はきっと大物だから)と安心しようとする。見えている部分、見ようとしない部分、見るのがこわい部分、けれども見なければいけない部分・・・落ち着いて「みんなの会話」にできるかどうか。おうちの方もできればご自身の失敗談を披露されるといいのです。私であれば、惨めな気持ちを払拭したくて「おれはそこらの雑魚と違ってノーベル文学賞を目指すから」などと言って(実話です)ごまかそうとした。しかも、気づかなかった。そうしたことを温かい空間で話せるかどうかはけっこう大切だと思います。
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2019.06.20 01:39

 何年か前、都立トップ高校のある校長先生が講演会で「何と言ってもまずはきちんとした挨拶でしょう。それができないようでは何もはじまらない」という意味のことをおっしゃっていたことがあって、そういうものだなと思いました。ちょっと考えてみればよくわかりますが、大人と大人の関係で何かを一緒にやっていこうというときに挨拶もせずいきなり作業というケースはまずありません。
 親しさの程度によって「おはようございます」なのか「オッス」なのかは別として。
 
 関係のスタート時点では挨拶が当然ということです。そんなものなくたって作業は可能じゃないかという考え方はわからないでもないですが、挨拶があったほうが心理的に円滑に進むのは間違いありません。それどころか挨拶なしではちょっとしたしこりが残る可能性もあります。片方が「こんにちは」と言ったのに、もう片方が何も返さなかったりした場合ですね。
 上下関係があるときなど尚更そうだと思います。先輩が「こんにちは」と声をかけたのに後輩が無視ではサイアクでしょう。
 
 何度も書いたように、私は少年期に両親への反抗心が高じて大人全体に絶対に挨拶をしないと決めていた時期がありました。それはもうひどいもので、たとえば先生(そういう先生もいらっしゃった)のほうから「おはよう」と声をかけてくださっても、下を向いて返事をしませんでした。ただ先生が憎いわけではないので、うしろめたさはつねに感じたものです。先生は悪くないけど、ぼくはもう大人に挨拶しないと決めたから・・・みたいな感じですね。
 
 ちょっとだけ気になるのですが、私の周囲にもやはり挨拶しない生徒が何人かいます。こちらから声をかけても挨拶はない。声は出さなくてもちょっと頭を下げてくださったりする子は大丈夫でまあ恥ずかしいのだろうなと理解できるときもあるのですが、まったく無反応という子もいて背後にあるものが何なのかちょっと心配になることがあります。そもそも学校の「内申」がとれないでしょう。校長先生が「まず挨拶」とおっしゃるぐらいですから。
 
 ご家庭での習慣の大切さというのは、そのあたりにあると思います。挨拶がまったくできない(しない)昔の私のような心理状態は、先天的なものではありません。挨拶をしないことで彼ら自身も葛藤していたりしたら気の毒です。ひょっとすると、ご家庭でも挨拶は一切なしできたのではないか? 
 挨拶の習慣や演出は、やはり大人のほうから積極的恒常的に努力するべきであり「一切挨拶しない少年」だった自分は、息子が私みたいにならないようにずいぶん配慮しました。まあ、できるところからですね。10代の彼らが、挨拶だけでも相当の人間関係が築けると気づいてくださるといいのですが。
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2019.06.15 00:18

 勉強がきらいだからやる気がないとは限りません。ここはとても繊細なところですが、勉強を最上位に置きたがる価値観への反発から勉強をやらなくなるケースだってあるのです。
 私自身がそうだったのでよくわかります。大人たちがいわゆる優等生ばかりを称賛することにうんざりした。中学生のころ、両親に級友のことをすごいやつがいると自慢(?)したところ「落ちこぼれを評価したがるのはお前自身も堕落しているからだ」と言われて、ショックを受けたことがあります。
 
 級友は確かに優等生ではありませんでした。成績は後ろから数えたほうが早かった。ただ非常に尊敬できる特質を持っていて、私はそのことをすごいすごいと興奮して話していたのです。ところが成績を確認した途端に、会ったこともない人間を「なんだ、落ちこぼれか」ですよ。
 尊敬する級友(自分が文章による創作活動をはじめるきっかけは彼でした)を非難されて、私は内心で(何様なんだ?)と思いました。こんな価値観に毒されてたまるかとも考えた。これ以外にも、そうした事件があまりに頻繁に起きすぎました。
 
 成績がいい者だけが絶対善だという価値観に腹がたって、勉強そのもののやる気をなくした。そもそも行きたい大学もやりたい勉強もなかったので、あとは適当に恥ずかしくない程度に・・・ぐらいですよ。
 先生によっては「やればできるのだから」とおっしゃってくださったりもするのですが、もはや深いところまでは届かない。表面上穏やかさを装っていましたが、内心「やらないと決意した人間につまらないことを言うもんだなあ」です。
 
 一般的にやる気をなくすような数々の出来事が長年累積してきているのだとしたら、もはや「やる気スイッチ」も何もないですよ。私なんかスイッチそのものがこわれていた。やらないこと自体が自己の証明になっていたからです。両親から「厳しいことを言うのはお前のためだ」などと言われるたびに、私は本当に自分のためを思うのだったらもう一切放っておいてくれと考えました。どんな善意のアドヴァイスであっても、迷惑なだけでした。ぜんぶ逆をいってやるという意地だけで生活していた。
 
 万が一、過干渉で極端にやる気をそいでしまったのであれば、とりあえずは自己責任という形で「任せたよ」と改めて見守ってやれる度量の大きさを見せる以外にないと思います。いまのまま何かしらあなたの理想の形を見つけてくれてもいいし、あなたの中にある種の「気づき」が出てきたらがらりと変わってもいい。どちらでもいい。
 あなたの幸せは、あなた自身の自主性に任せたよというメッセージです。いちばんまずいのは、過干渉によるつまずきをさらに干渉することで何とかしようと焦ることだと思います。
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2019.05.25 00:38

 私は自分の生き方が「正しい」という気持ちはまったく持っていません。単純に心地よいかどうかということを大切に生きていますが、他者に「干渉しない」という姿勢はけっこうはっきりしているかもしれません。余計なことを言わないということですね。それが相手のためになるかならないかわからない場合、余計なことは言わない。場合によっては、相手のためになることであっても黙っている。黙っていることの品格を意識する場合もあります。
 
 家族や生徒に対してもそうです。気づいたけれども言わないでおこうということがよくあります。相手から意見を求められたり望まれている場合は、それなりにお話することはもちろんあります(金曜日の晩もそういう機会がありました)。それでも露骨なことは口にしない。
 少年時代、ありがた迷惑みたいな友だちがいました。いい奴なのですよ。いい奴だけれどもあれこれ干渉してくる。あの時代なのでメールもラインもなく、定期的に電話がかかってきます。
 
 善意から来ていることは私にもよくわかりました。友だちの少ない私を気づかってくれて、みんなでどこそこに行くのだがきみもどう? と誘ってくる。私はほとんど「用事がある」と断っていました。仲間はずれにならないように配慮してくれるのはありがたいのですが、善意の干渉ではあってもどこかしら暴力的な感じを受けました。
 たとえばーー変な例えですがーー口臭のある人に「あなたは口が臭いからすぐに何とかしたほうがあなたのためだよ」と忠告する乱暴さとでも言えばよいのでしょうか。
 
 だいたいにおいて、おせっかいな方は善人が多いものです。でしゃばりだとか何だとか批判されても本来はいい人が多い。そういう意味で言えば、私はいい人ではないのでしょう。よほど信頼関係ができているときだけ、遠まわしに間接的に干渉する程度です。
 先日、10代のころの息子にあてて書いた私の置手紙が何通も出てきたと家内が見せてくれました。すでに記憶にはなかったのですが、口で言うと少しうるさくなりそうなことがさらりと書かれていました。
 
 置手紙ですから相手に通じたかどうかは確認できずじまいです。そもそも彼がそれを本当に読んでくれたかどうかもわからない。私の干渉というのはそのレベルです。ただそれで私と息子の親子関係がとても快適に推移したのは事実です。
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2019.05.24 09:06

 ときどき何を言いたいのかわからない中学生がいます(責めているのではないですよ)。こちらとしては助け舟を出して話を聞くのですが、いっこうに要領を得ない。緊張してというより、大人と話し慣れていないのですね。このままでももちろん最後の最後は大人になるものですが、それにはかなり時間を要するのではないかという若干の心配もあります。
 具体的に書くと「あの、これ・・・やってみて・・・でも・・・」みたいな会話ですね。何が何だかわからない。
 
 こういうのは訓練というか慣れが必要なのですが、たとえば作文が上手に書けない子どもたちがほぼ例外なく根本的に読んできた量が足りないように、上手に話がまとめられない子どもたちは上手に喋ってもらってきた経験が乏しい傾向があります。周囲の大人たち(多くはご家庭や先生)がきちんと彼(彼女)に会話を投げかけてこなかった可能性がある。
 コミュニケーションがないという意味ではないのですよ。コミュニケーションはあった。ただそれが整然とした会話体ではなかったのかもしれない。
 
 あれをやれ、これはだめだといった一方的な命令口調、どうしてこんなこともできないんだ! と感情をぶつけるだけの表現、あなたはいつもいつもこうなんだからというような愚痴・・・どれもこれも整然とした理知的な会話ではないわけで、来る日も来る日もそんな会話をぶつけられていたら、大人ときちんと話すことができるようになるわけがありません。
 たとえば、仮に30点をとってきたとしますね。落ち着いて理性的にはっきりと「おいおい、これはどうなっちゃったのかね?」と質問する。
 
 やみくもに怒っているわけではないんだよ、と安心させる。自分も昔似たようなときがあったんだ、とご自身の失敗談も述べる。そのときすごく困ったからお前にはそんな思いをさせるわけにはいかないな、と点数を指摘する理由を述べる。そもそもどうしてこうなったのだろう? とご本人に原因を考えさせる。そのうえで塾の先生に助けてもらったらどうだろう? と解決策を提案する。
 ところどころユーモアを入れていく気持ちも大切です。明るい展望が見えてこそ、大人の会話は続いていくものです。
 
 人間、いろいろなときがあるさと大きな洞察も与えてやってください。なあに、まずかった部分はこれから修正していけばいいだけの話だよ。
 そうやって日ごろからきちんとした「会話」を受けとめて育っていれば、特別なことがない限り必ず落ち着いて話せるようになります。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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