2017.05.21 00:21

 とくに小学生の男の子なんかで、やたらと軽そうに見える子がいます。これはそう見えるというだけであって本来の軽薄さとはじつは別種のものです。私は自分がそうだったのでよくわかるのですが、自分自身の内側で何かよくわからないものを韜晦させる目的でとりあえずそう演じているケースがしばしばあります。
 ですからある日突然、内省的で静かになることがある。口をきかなくなる。笑顔を見せなくなる。もともとその素養があったのです。
 
 概して、小中学生は男の子のほうが女の子より重心が高いものです。うろうろきょろきょろしていて落ち着かない。生理的な何かもあるのでしょう。いわゆるじっとしていられない。
 自分の場合は中学2年生ぐらいになって突然他人と話すのが苦痛になりはじめましたが、性的な目覚めみたいな要素が微妙に関係していたような気もします。とまどいですね。何か考えこんでしまうようになったとでも言うのでしょうか。
 
 いずれにせよ、重心が高い位置にあるときはどうしてもじっくり考える態勢になれません。ぐらぐらしている。喋ったり動いたりマインドが落ち着かない。
 勉強に限ったことではないですよ。お手伝いをさせても失敗する。買い物に行ってお釣りを忘れてきたり、洗濯物を干そうとして地面に落としたりする。重心が高くて不安定なのです。
 やみくもに叱ったところでどうにもならないでしょう。そそっかしさの根本原因が重心の高さにあるのですから。
 
 そこは時期を待たないといけませんね。と同時に生活の中で重心を少しでも下げられるような働きかけをしていかないといけない。
 本当は瞑想でもさせるのがいいのでしょう。しかし、小中学生相手にそういうわけにもいかないですね。落ち着いた空間作り、じっくりと姿勢正しく座らせ食べさせる、家の中の空気を泡立たせない工夫などは必要になってくると思います。ずーっとテレビがついているとか部屋中散らかっているとか家族が怒鳴り合ってばかりとかいうのはちょっと感心しません。逆に重心が上がってしまいますよ。
 
 お子さんの重心を下げてやるにはどうしたら・・・ということを常に意識されるといいと思います。「がみがみ文句を言う」などというのは重心を上げることこそあれ、下げることはまずないと思います。何かあったときは、明日対処法を訊くからまとめておいてでいいでしょう。1人でまとめながら、彼らの重心は静かに下がっていくはずです。
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2017.05.15 09:32

 大昔、こういうことがありました。私が中学に入ったときのことです。私は本格的にある活動をしたいと思いました。そういう部活もあったので入りたいと両親に話した。するとだめだというのです。どうしても入りたいと訴えたのですが、絶対にだめだと。
 理由がいかにもうんざりで、受験に関係がないからそんな活動はむだだという。大学受験(私が入ったのは私立の中高一貫校でした)に役にたたない。まだ中1になったばかりなのですよ。受験勉強に役にたたないことはお前の人生に必要ないとまで言われました。
 
 そしてある部活に入るようにも言われた。これまた私にとってはうんざりするような部で入ったもののすぐにやめてしまいました。全然面白くない。
 先輩たちはすごくいい方ばかりでした。人間関係自体は楽しめました。ただ自分にまったく興味のない分野ですからね。放課後、貴重な時間をつぶして何をやっているのだろうという気持ちになりましたよ。
 そんなことが度重なって、自分は「受験」しか頭にない両親の価値観を徹底的にきらうようになりました。あまりにも浅薄に思えたのです。
 
 嫌悪というよりは軽蔑の感情に近かったような気がします。こりゃ話にならんわという感じですね。ですから、もう何も言うことを聞かない。ただまだ正面から反抗できるほどの体力はなかったので、ウソばかりつきました。ウソばかりついて、とにかく自宅に帰る時間を遅くした。
 友人と都会の雑踏を用事もないのによくうろついたものです。彼にもまたそうしていたい事情がありました。あんな家帰りたくねーよな・・・みたいなことを愚痴りあったことを覚えています。
 
 もうそうなってしまうととにかく親には何も相談できない。相談したところで受験のことしか言わないのですから、深みも何もない。
 たまに生徒が私のところに来て「勉強する気が起きない」と訴えてきます。状況を見て「ぜんぶやめちゃえばいいじゃないか」と言うとすごくうれしそうな顔をするときがありますよ。お互いにもちろん「ぜんぶやめていい」とは考えていない。ただ「ぜんぶやめてもいい」と語りかけられる大人の感性の中には、窒息しかけている少年少女の魂をよみがえらせるだけの何かが潜んでいるのです。
 
 ぜんぶやめたって何とかなるだろうと言う。するとそれはさすがにまずいスよ・・・とにやにやしながら帰っていく。しばらくして担当の先生に様子を訊いてみると「最近、けっこう頑張っていますよ」という返事が返ってきたりする。
 大人側が深い人生観を持っていないといけないですね。背反するものを包括しているのが人生です。矛盾は当然であり、一時的にどちらにころんでも、こちらは守ってやれるよという安定感ですね。本当の大人のすごみはそのあたりに出てくるのだと思いますよ。
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2017.05.14 07:24

 入社後1年経過ということで、息子の会社で面接があったそうです。偉い方がいらっしゃって、1年間の仕事ぶりを総括してくださった。その話を聞いていて、なるほどと思ったことがありました。
 伝え方の問題ですね。本人がやる気を起こすように起こすように引っぱっていく技術というか心構えというか。こういうところは先生と生徒や親子の関係でも同じです。どんな正論であっても、本人がやる気をなくしてしまったら失敗でしょう。
 
 ひととおり面接が終わったあとで、担当の偉い方がこうおっしゃった。「すごくできる社員になりたいのであれば・・・」とわざわざ前提をつけた。ですから命令口調ではありません。熟練の話術ですね。
 いままで見ていると、できる社員に限ってなぜか早め早めに出社してくるとおっしゃったそうです。そして「もしそうなりたかったら朝早く来るといいかな」とアドヴァイスされた。
 
 息子はおれも早めに行こうかなと笑顔を見せていました。気分のいい提案だったのでしょう。確かに聞き方によってはおまえだって「できる社員」になることは夢ではないぞと言われた感じを受けるかもしれません。息子は単純にそう受け取ったような気がします。
 これを「もっと早く来なくちゃだめじゃないか」とか「来るのが遅いんだよ」とか叱責されたらどうでしょうね。命じられればもちろん早くは行くでしょうが、うきうきとした気分で行けるのかどうか。
 
 こういうのは本当に技術の問題だと思います。その技術を生み出す原動力は何といっても相手に対する思いやりですね。こう伝えたほうが相手の気持ちが高まるのではないかという想像力が必要です。伝達というのは、伝えたい内容を垂れ流すことではありません。自分の伝えたいことを相手の心にしみわたらせることこそが本当の目的でしょう。
 ご本人の気分がまったく盛り上がらないようであれば、伝達した行為によって真の伝達が阻害されるというおかしな状況も考えられます。
 
 ちっとも勉強しないだめなやつだなと言う。伝達したいことは「勉強してほしい」ですが、そのセリフでお子さんがへそを曲げてしまったのであれば、何も言わなかったほうがましだったということになりかねない。
 伝えたいことが相手の心にどう響くか。的確な想像力が働く背景にはやはり相手に対する大きな思いやりがあるはずです。人間の信頼関係はそうやって作っていくものですね。想像力を駆使して相手を鼓舞することだけを伝えていく。あの人の言葉は進んで聞こうという大人に、私たち自身がならないといけない。こちら側も細心の注意を払って提案しなければいけないと思いますよ。
 
 
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2017.05.10 10:09

 子どもたちがはじめに体験する社会はご家庭でしょう。まずはご両親が「先生」のような存在になる。もちろんご「両」親ではないケースはありますが、これはまったく心配いりません。過去も非常に優秀で円満な人格者に育っていった生徒を数え切れないほど見ています。
 やがて保育園や幼稚園、小学校に通うようになり第2の社会と出会うことになります。それまではご家庭がすべてです。
 
 そしてご家庭はまたふるさとみたいなものですね。他の土地に行くことがあっても、ふるさとに帰ってくればほっとできるという安心感は絶対あるはずです。わかりやすく書くと他の土地(幼稚園とか学校とかさらには将来の職場なんかもそうかもしれません)でどんなにつらいことがあっても、ふるさと(ご家庭ーーご結婚されればご自身で作られたご家庭ということになりますね)に帰れば安心できる。そのことは本当に大きな救いになるでしょう。
 
 他の土地では理不尽なことや相容れない要素が出てくるものです。そこはお互いさまでもあるのですよ。育ってきた環境が違います。文化が違う。場合によっては生活信条や教育や宗教が違ったりということもある。
 帰ってきたふるさとまで殺伐としてしまっていたらどうでしょうか。実際世の中には何かの原因で故郷に帰れなくなってしまう方もいらっしゃいますが、いざとなれば帰れるところがある方の何十倍も不安感は大きいと思います。
 
 ふるさとを構成するすべての要員が、そのことを意識しておいてもいいですね。ご家庭の全員が意識されていていい。「全員がくつろげる権利を有している」ということです。万が一にも他の方の権利を侵害していないかどうか。受け入れ態勢の豊かさをとくに強調したいと思います。
 お子さんが成長していく過程で、価値観の揺れはどうしても出てくる。それこそ極左から極右にブレるぐらいの揺れが出ることもあります。それを大人側まで一緒にカリカリしていたらくつろぐ空間ができないのではないかと思います。
 
 ゆるやかに受け入れられる空気を意識的に作る。ふるさとでは最低限の約束事さえ守れれば、あとは穏やかに過ごせる。穏やかさというものは平和と同じで意図的に更新していくものでしょう。意図的な努力で更新していく。
 現状がどうであってもいいのですよ。いつも書くように、いまからここからです。いまからここから積み重ねていく気持ちが大切です。私たちにはよりよい関係を築く力がありますね。大げさに書けば、その力が世界を救う。ご家庭は第1歩ということでしょうか。
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2017.05.04 07:14

 話題になっていますね。特急電車なんかでどれぐらいまでシートを倒したらよいのか。よいのかというのは、後部座席の方がどれぐらいまでの倒し方なら不快感を覚えずにすむかという意味ですね。
 けっこう乱暴な意見も出てきていて興味深く感じました。倒せるだけ倒したっていいじゃないかという。もともとシートがそういう構造になっているのだから、それが道理じゃないか。
 
 まあ、そういう考え方も確かにあるでしょう。またこういう意見もありました。文句が出てくるほど倒せる構造にしたこと自体が悪い。深い角度まで倒れない椅子をはじめから作っておけば何も問題は生じなかったというのです。要するに人間ではなく、技術のほうから解決を図る考え方ですね。
 数年前、都内のいわゆるトップ高校(文字通り、首都圏のトップ校です)で出題されていた記述問題を反射的に思い出しました。テーマは携帯電話でしたよ。
 
 変なところで鳴ってしまうことがよくありますね。「あ、いけない」となる。マナーモードにし忘れていたのです。するといっそのこと、会合の場では電波を切断できるようにしておいたらいいのではないかという案が出てきます。そこの部屋ではどなたの機器も一切電波がつながらないようにしておく。すると、どなたの携帯も「うっかり」鳴ることは絶対にない。便利ですね。
 そして受験生への問いはこんな感じで投げかけられました。「この考え方にはどんな問題点が生じるか」
 
 高校受験の問題です。もちろん中学生にこれを考えてみなさいと言っているわけです。暗に技術のみで何かをなしていくことは非常に危険だし問題だぞ・・・と語りかけていることがわかりますか? こういうことをじっくり考えられるようになることこそが、私は本当の自立した大人であると思います。そして、そうしたトップ校はホンモノの大人しか入れないようになっているのです。こんなこと「受験」参考書をいくら読んでも、こう書くと合格ですとは出ていません。
 
 今回のシートを倒す話なんかはさっそく次年度の公立高校の推薦試験に出てくるような気もします。ただそういうこととは関係なく、また正しい答がどうあるべきかということではなく、こうしたことこそおうちで話し合われてみるといいと思います。「どう思う?」とざっくばらんに話せる空気は非常に大切ですし、それこそ子どもたちを大人にします。
 先日、私は大阪に行ったと書きました。新幹線で自分もシートを軽く倒した。帰りは背後にはまだどなたもいませんでしたが、あとのことを考えそれでも細心の注意を払って圧迫感がないように倒しました。
 
 私はそうやってさまざまに気を遣う瞬間の人間ほど崇高な(?)存在はないと思っています。倒れない椅子なんか作って、人間からこの唯一の瞬間を奪わないでくれよ・・・とは考えましたよ。
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2017.04.28 00:25

 今年も生徒たちが合格体験記を書いてくださいました。保護者の方が書いてくださったものもあります。ある生徒、私は教科は教えたことがなかったのですが面接の練習をしただけですばらしい人間だということがよくわかりました。
 本人にも告げましたが、話していて半端ではない温かみを感じました。優秀な子はたくさんいます。それで十分でしょう。ただその生徒は、加えてものすごく温かい。具体的なことは書きにくいのですが、こんな子がいれば日本も安心だと感じました。
 
 彼のおうちの方が書いてくださった体験記を読んで、なるほど・・・と思いましたよ。勉強はそれなりに大変だったということが書かれていた。それは全員同じだと思います。そのあとがいい。
 食卓でその日の授業内容や先生方の話を楽しそうに話していた。友だちのすごさを自分のことのように楽しそうに話していたとありました。
 私が感心したのはそうした空間を構築された保護者の方の手腕です。その温かみがそのままその生徒の温かさにつながっていったわけですね。
 
 話の途中で、腰を折らないことはとても大切です。徹底的に聞く。話が少し矛盾していてもとにかく聞く。「しっかりやらなければだめだ」とか「ところで、点数はどうだったのだ」とか「ちっともやっているように見えないぞ」とか、こちらの主観に基づいたことを口にする以前に、とにかく徹底的に聞く。
 それだけの度量が必要で、話の途中でこちらが怒り出したりしたら彼らはもう2度と話そうとしないでしょう。
 
 どんなアドヴァイスよりも話を聞いてあげられる、闊達に自由に喋れる場を作るということは大切なことだと思います。
 うちの子なんかいまでも、夜遅く帰ってきて深夜食卓であれこれ家内に会社のことを喋っています。愚痴が出たり文句が出たりする日もありますが、家内は楽しそうに聞いているだけで、雰囲気が悪くなることはまずありません。
 
 数年前も合格体験記に「母の明るさに救われた」と書いていた生徒がいました。応援というのはそうしたものだと思います。極論すれば、私たちにできることは相手を明るくするか暗くするかだけなのでしょう。どちらがいいか、わざわざ書くまでもないことですね。
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2017.04.26 01:28

 はじめのうちはそうでもないのです。中には最初から若干雑な生徒もいますが、中学生になりたてのころは名前ぐらいは丁寧に書いている子のほうが圧倒的に多い。ところがある時点からーーとくに男の子ですねーーすごく乱雑に名前を書くようになったりします。
 読めない、続け字、殴り書き、名字だけ、途中までしか書いていない・・・いろいろなケースがありますが、困った答案が出てきます。
 
 毎回毎回漢字テストをやっていますからね。変化の様子はよくわかります。名前というのは要するに顔と同じでしょう。その顔をわざと汚くして他人と会う。本当はもっと整っているのに、場合によっては汚したりわざと表情を歪めたりして対面する。そういうことになると思います。
 そこには非常に大きな「心のすさみ」みたいなものが存在しているわけで、そのすさんだ感情をそのままにして成績だけがぐんぐん上がっていくということはありえないですね。
 
 顔をわざと汚しているような相手に、身なりをきちんと整えて好感を持たれましょうと提案しても効果はなさそうです。
 私は名前を乱雑に書く生徒を責めているわけではありません。まず、気づきなさいということです。名前をきちんと書く気がなくなっているあなたの心の中には何かしら不平不満、怒り、憂鬱、不安などが付着しているに違いない。理由は千差万別でしょう。学校のこと、友だちに対する憤り、部活の不満、先生への反発、親子関係がうまくいかない、漠然とした不安、他のことをしていたいなど色々あるとは思います。
 
 とにかくその不満や不安を解消することが、猛勉強するよりも先です。名前すら丁寧に書けない精神状態で猛勉強をはじめたところでうまくいくわけがないと思いませんか。名前だけではなく、数式も英単語も記述問題も何でも殴り書きたくなるでしょう。
 こちらも名前が非常に乱雑になってきた生徒のことは注意深く見るようにしています。ときどき答案に「あと少しだけ名前も丁寧に書きなよ」程度のコメントはつけて返すことがありますよ。
 
 精神的に落ち着いてくると乱雑に書かれていた名前がまた丁寧に書けるようになってくるから不思議です。気をつけるべきなのは、名前を丁寧に書かせるためにいくら「名前を丁寧に書け!」と叱責してもまったく意味がないということです。少なくとも永続的な効果はありません。
 症状の奥にあるものを察知して、そこに手当てを加えてやらなければいけない。医学と同じことになってくると思いますよ。症状の背後にある病巣をとりのぞくということですね。ご自身でもご家庭でもちょっと意識してみてください。
 
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2017.04.19 09:04

 難しいですね。数値をことさら重視する世の中になって、私は一般の人間が少しけちになったのではないかと思っています。吝嗇という意味のけちですね。お金を払う払わないというだけではなく、感情の表出についてけちになっている。
 心のどこかで、感情でさえ数値化するクセがついているのでしょう。ですから、けっこう計算はしているような気はします。気づかないふりではなく冷静に計算している。そして、ここは譲らなくていいと結論づける。
 
 譲らなくていいというのは、自分の時間や感情を使わなくてもいいということです。自分だけが親切にするのは、自分だけが支払いするのと同じであるという計算が働くのかもしれません。
 具体的に書くと、ちょっと困っているように見える級友(同僚)がいるけど、みんなだって声をかけていないのだし、まあいいんじゃないかなという感じでしょうか。
 昔よりけちけちした感じになってきたのは、数値による損得計算だらけの世の中の影響はやはりあると思います。
 
 お金を動かす(使う)ことも感情を動かす(他者に優しく接する)こともどちらもじつはすごくいいことです。血液の流れと同じです。いくら大切な血液でも、貯めこむばかりで一切動かさなければ大変なことになってしまうでしょう。
 適切にむりのない範囲で身体を動かして、どんどん循環させたほうがよほど健康的です。そうやって豊かな感情を大きく流せる人間を世の中では「心の広い人」と呼んでいますね。
 
 構造的に難しい問題というのはいくらでもありますが、基本的に狭い心ではうまくいかない。上の人間がやたらと雷を落とす。いらいらしている。ときにはヒステリーを起こす。国家間の係争でさえ、現在はそんな感じになってきていますね。まあまあ少し落ち着いて・・・と言いたくなります。
 大人が子どもにものすごく厳しいとしますね。すると子どもは命令に従うのみですからちっとも大人になれません。従順なだけで、自分で物事を考えない生活を続けます。
 
 仮に本当に勉強ができるようにということであればご本人を大人にするしか手はないのですから、やたらと厳しくて命令を聞かせるだけ・・・ということでは永遠に進歩がないですね。
 親子関係も組織も国家も同じですね。上に立つものの度量が試されている。まずは愛情の伝達にけちけちしないことです。内にも外にもふんだんに。愛情の「磁場」を個々人が意識的に形成する。そのうえで未熟な者を自立できるように助けていく。道はそれしか残されていないように感じます。
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2017.04.05 00:08

 以前、非常に頭のいい子から相談を受けたことがありました。「塾に通わなくていいように両親を説得してほしい」と言うのです。要するにご本人は塾に来たくない。それをご両親がむりに行けと言うのでつらいというのです。
 自分でいくらいやだと言っても認めてくれないので、先生から通わなくていいと説得してくれませんかと言う。私は「これだけの成績がとれているということは、勉強は嫌いじゃないんだな?」と質問しました。
 
 すると勉強は好きなほうだと思うが、塾に来てやらされるのに抵抗があると言うのです。好きなものだけをやっていたい。また本を大量に読みたいのに授業で読めないのが大変苦痛だとも語っていました。
 ここまではっきりしていなくても、教室で受験勉強させられることに向いていない方というのはいらっしゃるものです。たとえば身体を動かすのが大好きでつねに走り回っていたいタイプであれば、机の前に縛りつけられるのは苦痛でしょう。
 
 勉強そのものをしたくないという相談を受けることもあります。ご本人は入れる学校に進めればいいと考えている。勉強生活はサボりたいというわけではなくても、厳しい生存競争はごめんである。確かに優秀な方が集まる学校に入ったら、競争はますます激化するでしょう。将来、そんな日々を送りたいとは思わないと言う人がいてもおかしくないですね。
 ご本人が心底そう感じていらっしゃるのであれば、やはりむりはさせられないと思います。いやがる人間を机に縛りつけておくことはできませんし、むしろ逆効果でしょう。
 
 時期的なものもあるのです。「いま」はやりたくないというセリフが出てくることがある。やらなければいけないとは思っているものの、いまはやりたくない。そういうときに強制してもいい結果は出てこないと思います。
 向かないことを強制して心の病になってしまうという深刻なケースもときどき目撃します。勉強でも運動でも通勤通学でも、強烈にやりたくないことを強制するのはまずいい結果を生みません。
 
 とりあえず緊張している部分を少しゆるめてあげてください。解放ですね。いいよ、少し休んでごらんと認めてあげてください。同じ休みをとらせるのでも、こちらが「まったくどうしようもない」などと考えていると落ちつけないものです。ここはあなたの基地なのだからいくらでも休んでいいよと伝えれば、本人の内側からまた新たな力が湧いてきます。
 要するにバランスが崩れている。その崩れたバランスのまま「とことん前進せよ!」というのは上手なやり方ではないということです。
 
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2017.03.26 00:33

 私は10代のある時期、明確に「成績は上げない」と決めました。勉強をやらないではないですよ。成績は上げない、です。そういう時期は何年間も続きました。理由はいろいろあるのですが、はたから見ればもはや「学習障害」みたいなものですね。上げないと決めているのだからもうどうしようもない。
 もっとも見栄があったので、友だちに笑われない程度には調整していました。ただ仲間と別れてからは、そうした見栄も一切必要なくなった。
 
 崩れていくほうが美的だと考えていたので、上昇志向はまったくありませんでした。いまでもときどき、自分はーー本質的にはーーあれからずーっと落ち続けているのかもしれないと考えるときがあります。
 こんな親ですから、息子に過度な負担をかけるのはいかがなものかと考えました。そういう意味で過大な要求をしたことはありません。息子は小学生のころ素行が悪く、勉強どころではない時代がありました。
 
 勉強はやりたくないと言っていたので、家内とも話しました。あの子は私たちの生活圏(仕事や友人など)とは別の形の人生を送る可能性がありそうだ。ただどういうことになっても、とにかく大切にしてやろうという話はつねにしていました。そうした合意事項以外にはとくに作戦はなかったですね。
 息子は気質的な真面目さが発露してくるにつれ、少しずつ「あたりまえのこと」ができるようになってきました。
 
 勉強したいというより「まともに生きないと恥ずかしい」という純朴さが彼を救ったのかもしれません。仲間の手前、あまりぐだぐだしているとみっともないという気持ちが彼を真人間化(?)したように思います。
 それはしかし高校生になってからです。いちおうのことがわかってきたのが高校生のときです。やっぱり勉強すると言い出した。こちらはびっくりして「むりしなくてもいいんだよ」と言った。それぐらい変化した。
 
 ときどき「勝手なことをやっている」生徒が出てきます。担当の先生から報告を受ける。しかし、待たないとわからない部分があるのです。待って変わるという保証はないものの、待たないとわからないのも事実。
 待てるだけの時空間を子どもたちに用意できるかどうか。入試に間に合う間に合わないは大問題ですが、人間を真の高みにおしあげていくことに比べればじつは小さな問題だと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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