2018.11.15 01:18

 難関校に合格するためにはご本人が相当努力しないといけないわけですね。ただご本人だけ努力なさればあとはどうでもいいかというとそういうわけにもいきません。ご家族の協力も絶対に必要で、いい環境でなければいわゆる優等生は育たないと思います。これはスポーツ選手なんかも同じですね。いい環境下に置かれることは、育っていく過程で何より大切ではないかという気がします。
 先日、Z会主催のあるイベントで改めてその感を強くしました。
 
 私はその会には参加していませんでした。内容を知っているのはあとで映像を見せていただいたからです。都立のトップ校の校長先生を何人かお呼びして、生徒や保護者の方の前でお話いただいた。
 そのとき、ある校長先生が次のような話をされていました。中学校までは学校給食がありますね。高校からはなくなりますと前置きをしてこうおっしゃった。「お金を与えて買わせるのではなく弁当にしてください」
 口調は当然でしょう・・・という感じでした。
 
 さらに「自分で作らせればいいのですから」ともつけ足されていました。ただそれは場に生じたある種の緊張感(?)を緩和するためのお話ではないかとも感じました。
 実際問題として、高校生の男子生徒が部活の朝練の前に早起きして弁当を作るというのは相当の負荷がかかります。夜は夜で遅くまで勉強しているでしょうから、不可能ではないにしても相当大変でしょう。先生は暗に「それぐらいの姿勢は親御さんのほうも持ってください」とおっしゃりたかったのではないか。
 
 毎朝お弁当を作るのが相当大変であるということは、息子が高校生のころ家内が毎日お弁当を作っていたのでわかります。家内自身が朝から仕事に出ますから真っ暗な時間帯に起きていました。
 息子は難関校でも何でもない高校に通っていたのですが、まあ作ってやりたいという気持ちがあったのでしょうね。息子が弁当を持っていくのを忘れたときに何度か自分は食べたのですが(息子は「ふつうは届けるだろうよ」と嘆いていました)、ふだんのご飯よりおいしいぐらいで、見た目も大切にしているのがわかりました。
 
 もちろんどの難関高校にも、買った食品を持参している生徒はいらっしゃるはずです。そもそも生徒自身がお仕事が忙しかったりするご両親の負担を考えて「作らなくてもいい」とおっしゃるケースがあることを私は知っています。それでもあえて「弁当にしてください」と校長先生がおっしゃったのは、深いお考えがあったのではないかという気がします。
 昨日、コメントをいただいたある優等生(志望校でわかってしまうといけないので匿名にしました)のお母さまも「仕事が忙しくて、朝のお弁当作りしか気にかけてやれない」と書かれていました。ズバリ! ですね。
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2018.10.18 01:09

 内申がどうしてもとれないという生徒がいます。まあ、そのあたりは仕方がない部分もあるのかもしれません。私は私立中学に通っていましたが、もし自分が公立中学に通っていたら内申は全然とれなかっただろうと思います。
 たとえば私は授業中絶対に手をあげなかったでしょう。提出物は怒られると面倒臭いので提出することはするでしょうが、適当に何かを丸写しして出すだけだと思います。しかも丁寧にはやらない自信まであります。
 
 先生に好かれるための努力もしないでしょうし、つまらない授業では寝る可能性もあります。反抗してそうするのではなく、私の生き方の中に「人さまに認めてもらう」のが極端に恥ずかしいという気持ちがあるのです。
 困ったことではありますが、こういうのはどこから来たのかと考えるとけっこう複雑な由来があるような気がしないでもありません。
 つまり幼少期に自分は褒められ慣れていないのですよ。
 
 何かがうまくいったときに褒められていない。できてあたりまえだとさらりと流され、できなかったときは厳しく叱責されました。
 私は考えるのですが、子どもの収入というのはおおむねごくごく近くにいる大人たちのーー多くはご両親のーー褒め言葉だけなのです。彼らにとってはそれだけが唯一の収入なのです。褒められれば豊かになりますし、まったく褒められなければ働いても働いても無収入な貧乏人みたいなもので、何かしらバランスが崩れる部分が出てくると思います。
 
 はたして少年期の私は、他人に褒められると非常に不安定になりました。褒められ上手ではないからですね。ウソをつきやがってと好戦的になる。あるいはおれを騙す目的でいいことを言っているに違いないなどと邪推する。はてはここでうれしそうな顔をしたら負けだとばかみたいなことを考えて、自分のことを認めてくださった大人を一方的に拒否したりしました。
 両親は私に大きな期待をかけていたと思いますし、私はその期待を裏切ってばかりいたとも思いますが、悲劇の出発点はそんなところでしたね。
 
 少しでも何かしらいいことがあったときは心の豊かさを与えるために、彼らを褒めるべきだと思います。漢字テストで満点の子がいる。それはたいしたものです。ただ先週30点だった子が50点をとったのであれば、それもまた褒めるべきでしょう。まだまだだめだなどというのはあまりにも残酷ではないですか? 褒められ上手な生徒を作れないのであれば、先生として失格だと考えています。ただこうしたことに気づけたのは歳をとってからで、若いころの指導には悔いが残ります。
 
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2018.09.19 08:38

 毎年似た催しを実施しているのですが、つい先日もZ会の教室から日本を代表するような一流大学に合格された先輩たちをお呼びして、中学生や保護者の皆さんにお話していただく機会を設けました。今回は3名の大学生がいらっしゃった。そのうちのおひとりは、私もよく知っている生徒でした。Z会進学教室の渋谷教室から第一志望の高校に(そして大学に)進学されたのです。
 今回面白かったのは「保護者の方との関係性」についてのコメントでした。
 
 3人が3人とも「おいしいご飯を作ってくれた」という事実を感謝の筆頭に持ってきたではないですか。たとえば朝の4時台に起きて、部活の朝練に行くお子さんのお弁当を欠かさず作ってくれた。あるいはZ会進学教室は教室を出る際にスイカやパスモを使ってご家庭に連絡がいく仕組みになっているのですが、帰宅までに30分かかるある生徒はご家庭にちょうど着くタイミングで温かい食事が用意されていたことを感謝されていた。皆さんそうしたことに心から感謝したとおっしゃっていました。
 
 作ってくださったというところも感激したのでしょうね。いまの世の中流通が発達していますから、お金だけ渡して「適当に食べなさい」でも大丈夫は大丈夫ですがそうではなかった。相当むりしてでも、手作りのものを出してくださっていた。
 中学生高校生でもやっぱりそのあたりの温かみは伝わるものです。自分が勉強しやすいようにご家族もまた応援してくれている・・・という感謝の念は、非常に強かったように感じました。
 
 そもそもこうした席でご家庭の方との関係を問いかけたとき「進学についてのアドヴァイスがありがたかった」とか「サボり気味のときに注意してもらえてよかった」とか「成績について叱咤激励してもらった」とかという類の感謝の言葉を私はまったく聞いたことがありません。
 逆に干渉しないでくれて助かったとか、点数が悪いときは静かに見守ってくれたとか、およそ逆の形の答ばかりが出てきます。
 
 要するにご家族があれこれ心配して発言されたり行動されたりしても、悲しいことにご本人にはまったく逆の効果をもたらしている可能性がきわめて高いということです。周囲が心配しすぎると生徒自身が著しく不安定になる例はきわめて多い。その事実はこういう仕事に携わっている人間であればほぼ全員が気づいていることです。
 ご家庭内の穏やかな空気の中で、多少つまずいたってあとから追いかけていけば大丈夫だよぐらいの会話が出てくる環境であれば、彼らも落ち着いて努力できるはずです。
 
 毎年面談のときに「では、私は何もできないのでなるべく健康的でおいしいご飯を作ることにします」とおっしゃるお母さまが実際にいらっしゃるのですが、そうしたご家庭の生徒はおおむね情緒も安定していて明るく穏やかです。お子さんの成績が気になっておいしいご飯を作るどころではないという状況であれば、何かしら本末転倒気味かもしれないということは少し意識されておいてもいいのかもしれません。
 
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2018.08.15 01:05

 うちの子はどうなってしまうのだろう? というご心配をときどきうかがうのですが、きちんと明るく育てていけば、まず杞憂に終わるものです。きちんとというのは生活においてという意味で、清潔にさせるとか食事を抜かないとか睡眠不足に気をつけるとかゲームに依存しすぎないとか・・・要するにあたりまえのことですね。
 明るさみたいなものも生きていくうえでは大切で、たとえば「すいかとメロンとどっちが好き?」みたいな他愛のない問いかけ1つで雰囲気はぐんと明るくなるものです。
 
 げらげら笑わせるようなものでなくていいということです。
 先日、息子が現在借りているアパートの大家さんから焼肉をご馳走になったというので、ちょっとびっくりしました。いまは大家さんと店子(たなこ)のあいだにあまり交流がないですからね。店子という言葉自体ほとんど使われなくなっています。
 ご馳走してくださったということは、息子のことをそれなりにいい人間であると認めてくださっているのでしょう。親としてはありがたいかぎりです。
 
 ただこの息子は、幼稚園小学生時代人間関係があまりうまくいかない時期がありました。友だちとの関係がうまくいかない。先生との関係もうまくいかない。何度かブログにも書きましたが、学校の先生からは「このままだと大変なことになりますよ」と言われました。大げさに書いているわけではないですよ。そういう先生の言葉は忘れないものです。
 もちろんあちらは善意でおっしゃってくださっている。私が呼び出されたときには年配の偉い先生まで同席されて、長い時間お話しました。
 
 私は私でーーまあその時点でもーー20年ぐらいは生徒を見てきていましたから、いちばん大切なのは現状がどうであるかということではなく、家庭の文化なのだということはわかっていました。要するに明るくて愛情深くて、多少の文化的要素(本がたくさんあるというような)があれば、いずれはしっかりしてくるはずだという確信はありました。
 ですから、家内には心配ないから大切にしてやれということだけを伝えていた。家内も何度も呼び出されましたが、息子を強く責めたりはしていません。親があそこで悠然と構えていられたのは何よりもよかった。
 
 成績も途中まで極端に悪かったのですが、あるときから自分でやるようになりました。大学受験も就職も、ぜんぶ自分1人で決めてきました。仕事はなかなか大変みたいですが、それこそ投げ出したりしないのは精神的にも大人になったのでしょう。そういえば昨日は珍しく、仕事のことでアドヴァイスがほしいという電話がありましたよ。
 あせらないことです。ひたすら心配なさるのではなく、少しでも温かな親子関係を目指されることが、結局はいい結果をもたらすはずです。
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2018.08.14 06:16

 今年の夏は非常に暑くて35℃を超えるような日がありました。まだまだありそうですね。そして、これは今年気づいたことです。
 このお話は非常に繊細な(?)内容でもあるので、気のせいではないかと思われてしまいそうですが、私自身は何度も実験してみたので自分の判断は正しいのではないかと感じています。
 猛暑のおかげで気づいたことです。
 
 あるところを私は歩く機会があります。そこは文字通り炎天下で、定期的に歩く用事があります。数年前から春夏秋冬あらゆる季節を歩きました。単純化して書くと、クリニックみたいなところですね。
 ただ行く時刻がまちまちですし天気もまちまちなので、夏場でもいつも暑いとは限りません。先日は35℃以上の真昼に歩くことになりました。近所に大きなビルが建っていないので、直線道路には日陰というものがないのです。
 
 以前も書きましたが私は暑いのは平気なので、そのときも上着を着て歩いていました。仕事ではないので、ネクタイはなしです。歩きながらさすがに今日は少しくらくらくるなと感じました。
 とにかく日よけになるものがない。道路に映る影を求めるのですが、それこそ少しだけ太目の電線の影しか見えません。下に入っても一本の線でしかないですから完全にはみ出します。一本の線に収まる人間なんているわけないですよ。
 
 ところが、ところがです。電線の下はかすかに涼しいのですよ。一本の線にすぎないのですが、あきらかに違う。何度も影を出たり入ったりして確認しました。
 面白いもので、30℃ぐらいだと変わりません。同じように暑い。気温が極端に高いときだけそんな一本の線でも涼をとるのに役立つということですね。
 こういうことは、いろいろな場面で応用できるような気もしました。極限状態のときこそ、ほんのちょっとした何かが非常に役立つことがある。
 
 つらそうな人に「ここでひと声かけたからってどうなるものでもない」と考えてしまうかどうか。つらければつらいほど相手はありがたく感じるでしょう。疲れて毎日塾の夏期講習から帰ってくる受験生なんかも、ある意味で極限状態かもしれません。そんな彼らにやさしい言葉をかけてあげられるかどうか。
「暑いからアイスクリーム買っておいたよ」とひと言伝えるほうが「食べたらすぐ復習しないと役にたたないよ」などとおっしゃる何倍も効果があると思います。
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2018.07.15 08:09

 先日、ちょっと面白い(?)出来事がありました。ビルの管理会社の方が大きな写真を持っていらっしゃった。「こんなことがありまして・・・」と見せてくださる。するとエレベーターの中で中学生数人が、まあいたずらですね。誰かが押してはいけないボタンを押してしまった。
 ここの管理会社の方は非常に理解があるので「まあ、お子さんのやることですから」とおっしゃってくださった。ただ毎回こんなことをやられては大変なので、注意してくださいというお話でした。
 
 監視カメラで写された写真は画像が粗くて、顔などはぼんやりとしか見えません。どなたであるかは特定できない。固まってごちゃごちゃ写っていて、だれがだれだかはわからない。こういうことこそ、落ち着いて注意しなければいけないですね。殺伐とさせてしまってはだめなのですよ。
 そこで写真を壁に貼り、わざと手書きの手紙を横につけておきました。「管理会社の方にご注意を受けた。カメラに撮られる撮られないではなく、ルールやマナーを守れる大人になってくれることを切に願う」という意味の文章を書きました。
 
 この件に関して知っている人は名乗り出なさい・・・みたいな書き方はしませんでしたよ。どの学年であるかはだいたい見当がつきましたが、そういうことも書きませんでした。
 すると何人かの生徒から反応があった。あれはどうしたのですか? みたいな質問が出たので、正直に「だれかがボタンを押してしまって注意されたんだよ」と答えました。「僕がそういう人を見たら注意します!」とおっしゃってくださった中学1年生がいた。頼むよと伝えました。
 
 貼り出して3日目だったかな、ある生徒が1人で私のところに来た。「あれ、僕です。すみません」と頭を下げるではないですか。みんなと一緒のときに、好奇心でボタンを押してみた。その瞬間は、とくに反応はなかったそうです。
 もう押さないでくれよと言いました。「はい、すみませんでした」むしろしっかりしたいい子だと感じました。「勉強を頑張って」と言うと「はい」とうれしそうに返事をして帰っていきました。この件はこれで終わりです。写真も手紙ももうはがしました。
 
 受験塾ですから、勉強する場ではあると思います。ただ生徒の中には「学校やうちより塾が好き」とまでおっしゃってくださる方が何人もいます。学校だと素のままのご自身になれなかったりする。ご自宅だとーーまあ私なんかもそうでしたがーー思春期にはおうちの方とぶつかってしまうときもある。
 そうしたとき、安定した空間としての塾の存在意義が出てきます。勉強だけでなく生活の場としても塾が大切になってくる。こうしたいたずら事件1つでも、どのように還元していくかは大事なことだと思っています。
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2018.06.11 01:38

 幼い子がご両親に虐待されて亡くなられるといういたましい事件がまた起きてしまいました。その子が書いた「ごめんなさい」「ゆるして」というひらがなのノートが話題になっていますね。
 あの事件を知って、私は幼いころのある出来事をまざまざと思い出しました。ここ20年ぐらいほとんど忘れていたことでした。
 ノートに書かれていたという話でしたが、あれは半ば強制されたのではないか。
 
 じつは自分も同じようなことを両親に書かされた経験が何度かありました。その記憶がよみがえってきた。少なくとも小学校2年生より以前です。幼稚園生だったかもしれません。私はそのころから字は書けました。何か悪いことをしたのでしょうね。両親に対して悪いこと(といってもたかが知れていますが)をした。それを父が怒って詫びる文章を書けという。
 何度も書き直しをさせられました。こんなのは心がこもっていないと叱られて、最後は土下座みたいな文章になりました。
 
 それを父は壁に貼りだしたのです。お客さんーー多くは親戚の人間でしたがーーが来たときに、私が反省して自主的に書いた手紙であると適当なことを言って大人同士で笑いながら見ていた。もうしません、今度したらご飯はいりませんというようなことを書いたのではなかったか。親戚の人は「謝罪文を自分から書くなんてなかなか偉いじゃないか」と言っていました。
 私は猛烈に恥ずかしかった。本当の気持ちなんてこれっぽっちも入っていない。何というか・・・全裸の写真を壁に貼りだされているような被害者意識さえ持ちました。
 
 ああいうことをするべきではないと本当に思います。文章はしばらく貼られていて、見るたびにくやしいような恥ずかしいような泣きたいような惨めな気分になりました。何がごめんなさいだ、何がもうしませんだと思いましたよ。自分は少年期になると両親とまったくうまくいかなくなりましたが、ああいう幼児期の経験は大きかったように思います。
 そういうことが平然とできる無神経さが許せなかった。彼らが絶賛する価値観には絶対に同調しないと決意したものです。優等生などというのも、その最たるものでした。
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2018.05.20 01:21

 妙な事件が起きるとよく「あの人がまさかこんなことをするとは思わなかった」という反応が出てきます。日ごろの人づきあいもきちんとしていたし、仕事(勉強)もズル休みしたりせず真面目にこなしていた。それがこんなとんでもない事件を起こすなんて・・・という話はしょっちゅう聞きますね。
 この場合、事件を起こした本人も「まさか自分が」という気持ちを持っていたりするものです。いわゆる「魔がさす」という心境ですね。そういうことがどうして起きるのか。
 
 日ごろからきちんと自分自身に向き合っていれば避けられたはずなのですよ。ところがあまりにも厳しくしつけられてきたりすると善悪の二項対立にいつも単純化させて、他者に正しい自分だけを見せようとします。正しい自分を「装う」だけであればきわめて簡単です。そのために本当の自分は徹底的に隠す。いいところだけを見せる。
 ところが、隠しているうちにご自身でも見失ってしまう。何かしら邪悪な影を感じると「これは自分ではないな」と考えよう考えようとする。
 
 残念ながらそうではないのです。それもまたご自身の一部ですよ。善だけということはない。悪だけということももちろんない。それがないまぜになって人間が形成されています。ですからいちばんいいのは、自分は善だけではないということに気づいている状態ですね。自分を油断なく見ているかどうか。
 本当はガイドできる人間が周囲にいると助かります。誰かが何か問題を起こす。「お前は最低だ!」とただ弾劾するのではなく、なぜそんなことをしたのかね? と本人に考えさせるガイドですね。
 
 自分がした行為についてーー子どものときの小さないたずらからはじまりますーー相手に考えさせる。たとえば、なぜお金を払わずに持ってきてしまったのか? なぜ見てはいけないところをのぞこうとしたのか? なぜ弱い者いじめが楽しかったのか? ご本人に考えさせる。
 だめだとか最低だとかというセリフは、内省的な何かとしてご本人がしみじみご自身に言い聞かせるべきもので、頭ごなしに怒鳴りつけて終わりでは内側に芽生えるべき貴重なものが芽生えずに終わってしまいます。
 
 まず気づかせる、自覚させるということは非常に大切なことだと思います。
 私自身、たとえば小学生のころ嬉々としてお金を払わずに商品を持ってきてしまった経験があります。高校生のときは北海道の温泉地で知り合った悪い男子大学生数人に誘われて女湯をのぞこうとして全員岩場から転がり落ちて失敗したことがあります。そういう愚かな過去は私自身が覚えている。油断したら再びあちら側に転落しないとも限らない。まさかこの私がどころか、私だからにやりかねないという恐れがあるのです。だからこそ逆に絶対にそちらには近づきません。
 
 やたらと断罪するだけでなく、とにかくご本人に考えさせてください。そのあたりが鍵になってくるはずです。
 
 
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2018.05.19 06:18

 勉強というのはりっぱな文化ですね。やりようによってはそれなりに面白いはずですよ。ただテストがどうのこうのと点数のことばかり気にしているとあまり面白く感じられないでしょう。心がけとしては、何か面白いことがないだろうか・・・という前向きな姿勢が大事です。
 文化が成熟していくためには「楽しみ」がないといけない。楽しいことしか上達しないものです。これは勉強に限らないと思います。
 
 ですから、私個人は塾もそれなりに楽しくないといけないと思っています。げらげら笑うような楽しさでなくても、とにかく塾のある日はそれなりに充実しているという感想を持ってもらいたい。
 授業が終わって何となく教室に残っている生徒がいます。勉強をしているわけではない。ただ走り回ったりゲームをやったりしているわけでもない。友だちと学校の出来事なんかを話している。うちの学校でこれこれこんなことがあったよと夢中で喋っている。
 
 そういうときに「自習しないのならすぐに帰りなさい」ではつまらないのであって、10分15分ぐらいはそういう会話ができる余裕を与えてやったほうがいいのです。勉強をしていない瞬間はすべてむだだというような考え方はうまくいかないものです。勉強の前後に何かしら心の余裕があったほうが、間違いなく成績も上がっていく。
 塾でのくつろぎというのはまた学校とは違うもので、その中に何かしら自分もしっかりしなければというものが出てきます。
 
 「そんな難しい本、面白いの?」みたいな会話が聞こえてくるときもあります。教科の勉強とは全然関係ないものの、難しい本(何の本だか確認していないのでわかりません)を読んでいる同学年の子がいたという認識を持つだけで勉強になるでしょう。
 最近も中1のテストにいま話題の「君たちはどう生きるか」が出ていました。問いの解説なんかをしてもつまらないので、大事そうなところには線を引いてもらってただ文章を読みました。そういう文化的な後方応援がじつはいちばん大切なのです。
 
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2018.05.09 09:11

 男女にかかわらず、ときどきこの子はとても繊細だなと感じる生徒がいます。それはある意味ご性格というか、特質ですね。
 昔ですが、個別指導の塾で教えていたころ地方から都会の私立高校に転校してきた生徒がいました。個別指導ですから合間合間にいろいろな話もできる。ある日すごくお腹がすいているというので、今日は学校でお昼をあまり食べなかったのかね? と気楽な気持ちで質問してみました。
 
 するとこう答えた。「ぼくはまだ十分高校に慣れていないので・・・」その日はお弁当の用意がなかったため校内の食堂に行ったそうです。「何とか定食みたいなのは面積をとるので恥ずかしいじゃないですか。仕方なくおそばとかカレーとか、手もとで小さく食べられるものだけを食べているのです」
 それだと16歳の少年にはちょっとヴォリュームが足りない。「はやく派手な定食が食べられるようになるのが夢です」と笑顔を見せていました。
 
 この話を聞いていて、私はこの子は勉強ができるようになるだろうと思いました。はたして現役で医学部に進み、現在は一流のお医者さんとして活躍されているはずです。
 堂々としっかりしている子というのももちろん伸びるのですが、繊細なご自身を責めることなく落ち着いて対処していける生徒もまた伸びます。等身大にご自身をながめられるということですね。心配なのは、本質的なご自身の繊細さを異様に恥じたり卑下したりするケースです。どうして「弱くてもいいじゃないか」と落ち着いて認められないのか。
 
 そこはやはり周囲からの干渉が大きいように感じます。さきほどの定食を食べられなかった生徒に私は「いまのきみの話には何となく感動したよ」と直接告げました。そういう肯定的な評価を日ごろ周囲の大人が投げかけているかどうかは、とても大切な要素だと思います。
 事情をよく知らない大人に「男のくせにそんな気弱なことでどうするんだ!」みたいな乱暴な応対をされると、素直に伸びられず変にねじれてしまうものがあるということです。
 
 等身大のご自身を大切にできるというのは非常に大事なことです。逆に等身大のご自身の特質と闘い続けるのは、どこかに不自然さがあるように思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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