2017.08.17 00:43

 夏期講習中3のクラスである文学作品を紹介しました。これこれこういう文庫本に入っている、さすがにこの夏は忙しいだろうからいずれ時間ができたら読んでごらんよと言った。翌日、1人の生徒が「きのうの帰りに買って読みました」と文庫本を持ってきてくださった。
 と同時に、昔もこういう生徒がいたなと思い出しました。講習の猛烈に忙しいさなか、紹介した文庫本を紹介した当日に読んでしまった受験生。
 
 彼らのクラスは20人ぐらいですかね。読んでくれたのが1人だとしても5%ということになります。5%ぐらいの仲間はこうしたことを日々当然のようにしています。彼(今年の生徒)は作文関係でもいろいろ結果を残しているのですが、蓄積がある以上当然でしょう。大量の文章の蓄積があってはじめてきちんとした文章が書けるようになります。
 
 先日は太宰治の文庫本が忘れ物で残っていました。中1生のものでした。
 忘れ物は翌日さっと受け取れるように受付カウンターに並べておきます。するとその文庫本を見て「私もこれ読んでいる」あるいは「自分も昔これを読んだ」と告げてきた生徒が複数いました。中学時代、太宰治の文芸作品に親しんでいる同年代がそれだけいる。それは5%どころではないでしょう。きっかけはそれぞれでしょうが、読む人は読んでいます。
 
 ある中1生は芥川龍之介の「羅生門」の解釈についてこれこれこういう考え方はないだろうか? と質問に来ました。なかなか鋭い指摘で、私は「よくはわからない」(芥川ではないので)が、きみの解釈は正しいように思えると伝えました。
 こういう12、13歳がいる。楽しむだけではなく、こうも考えられないだろうかと自分なりの考察を加えている。それこそ将来教科書で「羅生門」が出てきたときには相当深く理解できるでしょうし、テストでももちろんいい点数をとるでしょう。
 
 教科書問題集以外の「古典」(単純な古文漢文という意味ではありません)を純粋な知的好奇心から読んでいる。だからーーあくまでも結果的にーーテスト程度なら軽くできてしまう。できるようになるためにそうしているのではなく、彼らは成長過程で文学だとか哲学だとか詩だとか活字表現だとかを必要としているのです。そういう生き方を選択しはじめた。ある文豪は「読書しないですむのは、その人間が真剣に人生を考えていない証拠である」という言葉を残しています。友人家族では簡単に答えが出てこないような人生の深淵さに真剣に立ち向かっていない証拠だというのです。
 
 あなたが生や死や愛や憎しみや人間の美醜や人生の不思議さにある種の困惑と戦慄を覚えたとき、同世代の近しい友人の言葉だけでは絶対に満足できない何かを感じるはずです。そのとき何かしらヒントを見つけ出せそうなものは、人類の叡智が詰まった先人の言葉以外にないのではないか。そうした真剣な生きざまに、そろそろ踏みこみはじめた仲間が出てきているということです。「どうしたら勉強が短期間ですごくできるようになりますか?」といった小手先のやりくりだけではどうにもならないということがわかりますか。
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2017.08.06 00:08

 お年寄りがお孫さんと話しているときによくある話ですね。お年寄りはーーまあ、たいして面白くない内容かもしれませんがーーとつとつと語ります。それをじーっと聞いていてときどき「すごい!」とか「信じられない」とか合いの手を入れるような感心な10代がいらっしゃるかと思うと、こんな話聞いていられるかとばかりに途中で「ぼくさあ、このまえ学校で・・・」と強引に自分の話に持っていってしまう少年少女も出てきます。
 そうなっても、お年寄りはだいたいにこにこ聞いてくださるわけですが。
 
 聞きたい話しか聞けないという若者が増えているような気がします。あたりまえじゃないかと言われそうですが、たとえば入学試験、国語の問題であなたの興味のある話だけが出てくるとは限りません。むしろ10代の少年少女にはちょっと難しい、読みにくい、理解しがたい評論ーーしかも紙の上に書かれていますから表情も声の抑揚も何一つ手がかりになりそうなものはないーーが出てきます。大量に、複数出ています。
 人の話でさえじっくり聞けない人間が、そうした長文をじっくり読むことができるものなのかどうか。
 
 ときどき読解問題ができないと相談に来る生徒がいるのですが、3割ぐらいは読解がどうのこうのではなく人の話を聞けない症候群という印象を受けます。自分のことを話さずに徹底的に相手が伝えたい何かを探る機会を持ったことがないのです。それがなぜか許されてきてしまった。そうではなく、何か発言したいのであれば相手の話の内容に限定した話題にしてください。おれなんかさ・・・みたいな展開にせず、どこまでもどこまでも相手の話に追従していく忍耐力が必要です。
 相手の話がどんなにつまらなくてもです。入試問題の長文がどんなにつまらなくても正面から対峙せざるをえないのと同じことです。
 
 長文問題を読んでいて「何が何だかわからないや」とすぐに投げ出してしまう人もいますが、だいたいにおいて「理解しよう」という根本的な覚悟に欠けています。お年寄りが一生懸命話しているのを(きっとこの人なりに伝えたい何かがあるのだろう)と相手の気持ちに想像力を伸ばしていくやさしさや忍耐力が欠けている。
 1つの対処法としてーーこれはあくまでもご本人が決意すべきことですがーーたったいまから徹底的に人の話を聞くクセをつけるという手はあるかもしれません。余計な口をはさまない。徹底的に聞き役をつとめる。
 
 一方的に喋り散らしてばかりいる生活では、じっくり読む=相手を徹底的に受け止めるという精神状態にはなかなかなれないでしょう。お子さんが小さいのであれば、おうちの方はふだんの会話に気をつけられるといいと思います。徹底的に話を聞ける方向に導いていかれるといい。積極性と反対方向に進むように見えるかもしれませんが、まずとにかく聞く。発表するのはそのあとです。聞くことだけが世の中を救いますよ。
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2017.07.23 08:13

 Z会進学教室の夏期講習がはじまります。どこの塾でも夏休みは講習がありますね。渋谷教室はおかげさまで満員の講座も出てきました。とくに受験生ですね。教室数が限られているので、入りきらなくなるのです。その場合他教室をお勧めすることになりますが、他教室でも満員になりそうなところがあったりして、この時代にそれだけ生徒がいらしてくださるのは本当にありがたいことだと思っています。
 やはり口コミが多いですね。先輩から聞いた。先輩の保護者の方から聞いた・・・というケースがとても多い感じがします。
 
 まあ、そういうものでしょう。テキストだとか先生だとか、あれこれ宣伝できる(?)要素はあるのですが、実際に通っていた方からのお話がいちばん効果があるのは確かでしょう。中には私の名前をあげてくださったりした方もいらっしゃるみたいで、たいしたお世話もできていないのに恐縮してしまいます。
 他塾も含めて夏期講習を受けられる方にちょっと書いておきます。最近は勉強に関してはもう1つの「どうしたら勉強ができるか」のほうに主軸を移しているのですが、いいタイミングですからね。
 
 夏期講習に通って真面目にやっているのにあまり成績が上がらないとおっしゃる方がいますが、夏期講習に通っているのはあなただけではなく、真面目にやっているのもあなただけではないのですから、文字通り夏期講習に通って真面目にやった「だけ」ではまったく皆さんと同じことをしているだけで、他者より努力をしているわけではありません。
 相対的にあがっていくためには自分が他の人よりどういう努力をしているかという部分が大きいのです。
 
 講習中、宿題をサボらなかったなどというのも立派は立派ですが、やはりそういう人は大勢います。するとそこでも差がつきません。
 差がつくとすれば、皆さんがやっていること以外で何をしたかということですね。それはやはり復習につきるでしょう。昨日できなかったことが今日どれだけできるようになっているか、書けなかったものがどれだけ書けるようになっているか、知らなかったことをどれだけ暗記したか・・・そうした部分は全員が心がけているわけではないので、当然差がついてきます。
 
 ときどき課題に追われて復習しない人がいますが、それだと毎日できていなかったところを残しながら進むことになるので、効果が半減します。中には講習期間が終わったらゆっくり復習しようという人もいますが、それはよくない。日々、つまずいたところをしっかり確認しながら進めていくべきです。つまずいたところを補強していく過程がいちばん大切なのです。人生とまったく同じです。煩雑さの中であれこれ工夫できる力こそが、生きる力なのです。
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2017.06.24 01:29

 右側の「応援メッセージ」から入れる学習法の記事ですが、担当してくださっている方にお願いしてそろそろ終わりにさせていただこうかと考えています。現時点で69回目まで来ました。きりよく70回でとも考えたのですが、もう少し増やして77回で終わろうかと思います。
 さすがに正しい学習法が無限に出てくるということはない。するとどうしても同じ内容の繰り返しになってしまいますね。音読のこと、丁寧な作業のこと、時間の使い方のこと・・・延々と繰り返すわけにもいかないでしょう。
 
 学習法の記事を担当してくださっている方はブログをスタートさせるときにもお世話になった方です。このブログはもともとは通信で頑張ってくださっている中学受験生を応援する目的でスタートしました。書き手がどなたかいらっしゃらないだろうか? というときに彼女が私を推薦してくださったのです。あの人なら書けるかもということを進言してくださった。
 私が本当に適任者だったかどうかはわかりませんが、彼女がそうおっしゃってくださるのであれば、こちらはきちんとやろうと思いました。自分にはいろいろ考えることがあって、仕事に限らずできそうなことでも遠慮することがよくあります。
 
 これは個人的な美学なのです。できそうだなと思っても引いておく。小学生中学生にたとえれば一切挙手しない生徒と同じ。「これがわかる者?」と先生が教室でおっしゃいますね。わかっている。わかってはいるけれども絶対に手は挙げない。そういう生徒は評価が下がりますね。私はそれでいいのです。それが評価ということであれば、私個人は評価が低いままでいいのです。
 もちろん内申をとりたい受験生の方はそれではだめですよ。先生が授業を円滑に進行しやすいように協力的に手を挙げてください。一緒に授業を作る温かみが大事です。
 
 じつは彼女は私がはじめてZ会進学教室の講師として三鷹教室に出講したときーー20年以上昔の話ですがーー教務や教科の社員としていろいろなことを教えてくださったのでした。その時点で15年以上中学生は指導していましたが、やっぱり新しい塾だと心細いですからね。緊張していた私にあれこれアドヴァイスしてくださるので本当に助かりました。そういう意味で、私は恩義を感じています。
 学習法の記事に関しては、とにかく「あなたが実践する」ことがすべてです。健康法をたくさんご存知でも、実践されなければまったく健康にはなれません。それと同じです。冷静に考えてみてください。
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2017.06.11 08:51

 よくできる生徒のほとんどは勉強そのものが好きであるというのは事実だと思います。ただ全員がそうなる必要はないのであって、そのあたりは冷静に受け止める必要がありますね。
 勉強が大好きという子は何人もいました。勉強することで何かを証明しようというのではなく、内容そのものが好きなのです。するとたとえば一流大学で学んでもまだまだ足りないということになってくる。さらにもっともっと勉強したいというのです。
 
 さらに大学院で勉強する。就職も、じつは数年後に大学院に通うためにちょっとお金を貯めようと考えている。「大学の4年間だけではまだまだ学びたいことがあって全然足りません」という言葉を何度か聞きました。
 そうなってくるとーー実際にそういう生徒がいますがーー結局大学に残って学者さんになったりします。相当偉くなった子(という呼称も変ですが)もいます。
 
 ただ誰も彼もが学者さんになってしまったらそれは困りますね。世の中が動きません。企業のサラリーマンも漁師さんも美容師さんもミュージシャンもいなくなってしまいます。
 ですから基本的にはそれぞれの人間が好きなことを得意なことにして頑張っていけばそれでいいのではないかと思います。
 去年、ある優等生がこういうことを語っていました。その子は東京で1、2を争う難関高校に合格しています。
 
 体験記に勉強は好きになれなかったし、楽しくはなかったと正直に書いていました。ただーーここからはご参考になると思いますーー塾はすごく楽しかった。塾が楽しいので塾でやっている勉強はふだんの勉強とは異質なものとして楽しめた。
 原文どおりではないのですが、簡単に言うとそういうことです。仲間と一緒に努力するのは苦痛ではなかった。それで十分だと思います。何かしら勉強の周辺に楽しみを見出してください。勉強そのものではなくてもいい。ふさわしいライバルを見つける。好きな先生がいる。海外で生活するために。そのあたりがコツと言えばコツなのだと思いますよ。
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2017.06.04 07:29

 偉大な医師でもあった昔のインドの聖者が、どんな病気にも「日光浴と早朝の散歩」を薦めていたという記事をある本で読みました。どんな病気に対してもその2つは処方していたそうです。
 おそらく慢性病には効果があったのでしょうね。だからこそエピソードが残っているわけです。確かに早朝の散歩は気分がいい。さらに日の光を適度に浴びることはよいことであるように感じます。
 
 場合によってはそれだけで改善していく病気もあるでしょう。心理的なものはとくにそうかもしれない。昼夜逆転生活で部屋に閉じこもってばかりでは、治る病気も治らないですよ。
 早起きだとか散歩だとか適度な日光浴だとか、あたりまえみたいなことを平易に組み合わせた知恵がすばらしいと言えばすばらしい。まずその2つだけは愚直に実行しなさいということですね。そのうえで次の段階に入っていく。
 
 勉強に関して同じようにシンプルな表現を作るとしたらどんな感じになるだろうとあれこれ考えてみました。このお医者さんが患者さんに過度な要求をしないように、どなたでもできそうなことで効果的な組み合わせは何だろう?
 私なら「ていねいに読んで繰り返しなさい」と言うでしょうね。どの病気にも応用できるのと同じように、どの学年のどの教科にも応用できると思います。
 
 ていねいというのは、それこそはじめの1歩です。雑にやるのであればむしろやらないほうがいい。雑にやることでますますやっている対象が嫌いになってきたりします。終わらせりゃいいんだろう! とむかむかしながら殴り書く。もうちょっとていねいにやろうという気持ちになるまで待ったほうがいいのではないでしょうか。
 そして読むのはすべての基本です。ていねいに読むというのは、考えながら読むということです。読み飛ばすのではなく、1行また1行考え考え読み進めていく。音読だって同じです。ていねいに何かを感じながら読む。
 
 繰り返しは定着させるためです。算数の九九もアルファベットの書き方も反復しましたね。あなたが覚えている住所や電話番号も反復して覚えた。友だちの名前も好きな歌手の歌も楽器の演奏もそう。1回きりではないはずです。
 何でも同じですよ。勉強も、ていねいに読んで繰り返してみてください。
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2017.05.27 00:55

 先日中1のクラスで「いままで読んだ中でいちばん面白かった小説(物語)を1つだけ書いてください」というアンケートをとってみました。これはもう完全に私の趣味の世界で、カリキュラムに入っているわけではないですよ。
 ただこちらはふだんからとにかく読書しなさいと言っているわけで、何を読んだらいいかわからないという生徒にサンプル例みたいなものを提示できたら・・・という感じでしょうか。同い年の仲間が読んで面白かったのであれば、安心して手を出せます。
 
 推薦図書という感じで大人が指定してしまうと若干温度差が生じてくることがありますね。学校で薦められたある本を読んでいた中学生が「古臭くて本当につまらない」と嘆いていましたが、ファッション的(?)な要素があまりにも古いと現代の少年少女は抵抗があるみたいですね。
 確かに自分が子どものころのことを考えても、小説の中で着物がどうのこうのという描写があまり細かく出てくるとーーそんなもの着ませんからーー面白くなかった記憶があります。
 
 クラスでは私がまとめたものを印刷して配るつもりですが、映画やテレビドラマの原作がいくつもありました。そういうものでしょうね。重松清先生の「ゼツメツ少年」を2人の人が同時に「いちばん面白かった」ものとしてあげていました。
 小川洋子先生の作品も2つ出てきました。中1になったばかりですからね。よく読んでいるなと感心しました。大御所(?)では、司馬遼太郎の「坂の上の雲」、夏目漱石「わが輩は猫である」、坪井栄「二十四の瞳」があがってきましたよ。
 
 欠席者も複数いたので、20名ちょっとのアンケートです。仲間がこんなに読んでいるのだという事実は考えてみてください。
 いつも書くように、教科書、テキストをやっておくのはあたりまえです。全員やっている。熱の入れ方の違いはあるでしょうが、全員やっているものではそんなには差がつきません。しかし、それ以外の部分ではそれこそ漱石を「いちばん面白い」と読んでいる中学生と何も読まない中学生とではいずれとてつもなく差が開くでしょう。あたりまえなのに気づかない。あるいは気づかないふりをしている。
 
 今回は小説以外調べませんでしたが、いまをときめく中学生棋士藤井四段(デビュー以来公式戦19連勝!)のように、さらに毎日必ず大人の新聞を15分近く読んでいる中学生もいます。その部分も差がつきますね。稼ぐ人は黙々と稼いでいる。そして、あなたは稼いでいるかどうか。
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2017.05.23 09:06

 私のように少年期いい加減だった人間の目から見ると「真面目に勉強している」10代というのはすごい人だということになりますが、真面目にやり続けている優等生には真面目に勉強することはごくごくあたりまえであって、だから何? ということになります。
 真面目にやらないほうが大問題で、真面目にやっているからといって大騒ぎするほどのことではないのですね。
 
 ですからいわゆる真面目に勉強する人間にとって学校の教科書を隅々まで読む、予習復習を毎日欠かさない、授業そのものを真剣に受ける、定期テストの対策をする・・・というのは当然のことで、それだけでは差がつくわけがないということを彼らはちゃんと知っています。
 ときどき私のところに「真面目にやっているのに成績が上がりません」と来る生徒がいますが、先頭集団では真面目にやるのが当然ですからそんなに調子よく順位が上がるわけがないのです。
 
 それ以外に何をやっているかということが大事です。それ以外のことというのは、あきらかに他の人がやっていない努力ですね。たとえば学校以外の勉強でしょう。
 それはまたすごいことではありますが、ただその「学校以外の勉強をしている集団」にとってはそれが次の次元のあたりまえになってきます。ですからその集団内では、それだけではぐんぐん頭角をあらわせません。
 
 そのあたりを勘違いして自分は努力してもだめなのだなどと思わないようにしてください。みんなと同じことをやっているかぎり、その集団内でだいたい同じ位置にいるのはむしろ道理です。
 つねに自分は「属している集団でどこの部分で他人より努力しているだろうか」ということを意識しないといけません。そして高みにのぼりたいということであれば、みんなと違った何かをしないといけない。その何かが確実な文化的活動であれば、いずれ相対的に成績は上がっていきますからちょっと冷静に考えてみてください。
 
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2017.04.22 06:06

 私は子どものときから洋楽を聴いてきたので、ああこれはブルーズだなとかファンクだなとかカントリーの影響を受けているなとか、それぐらいのことならわかります。洋楽を聴きはじめたのが13歳ぐらいでした。何十年もかけてやっとわかるようになったということですね。
 単純な自慢ではないのですよ。大量に蓄積していかないと、新しく出てきたものに対処できないという話を書きたいのです。同じ音楽でもたとえばクラシック音楽は全然聴きませんから、曲を聴かされてもまったくコメントできません。
 
 いい曲ですねで終わってしまう。だれだれの曲ではないですかとかだれだれの影響を受けていますねとか、何も知らないわけですから比較のしようがない。万が一、クラシック音楽のテストを受けたら私は間違いなく落第点をとると思います。要するにクラシック音楽については何も勉強してこなかったということです。
 文章の読解もそうなのですよ。まったく読んでいない人には目の前にあらわれた文章がどの程度のものなのか正確に判断できません。
 
 内容はわかったとしますね。内容はわかっても「格」みたいなものまではわからない。同じような話を読んだ経験もありませんから、あああの手の話題か・・・と響くものもない。ただ書いてある内容と何も知らない自分と2人きりみたいな頼りなさだけが残ります。
 文芸作品なんかも、この文章はだれだれの影響を受けているなとすぐにわかる人は相当読みこんでいる人です。確かにそういうことはあるでしょう。太宰治の作品を読んで、芥川龍之介にちょっと似ているかなとか。
 
 読まない人にはそういうものが一切ありません。これがどれだけ不利なことだかわかりますか? 私のクラシック音楽は、テストも何もありませんからこのまま放置しておいてもいいと思っていますが、これから国語のテストを何百回も受けるであろう小中高校生の皆さんが、読む気がしないからという理由で放置しておくことの不利がどれだけ大きいか、ちょっと恐ろしいぐらいです。
 
 食べ物に例えるともっとわかりやすいかな。まずいと言えるのはおいしさを知っている人です。これは好きと言える人はきらいという経験を持っている人です。相対的に表現したり理解したりしているものですね。
 食べ物に関してはーー食べないわけにもいかないのでーーそれなりに皆さん蓄積を持っている。甘いか辛いかのテストならどなたでも合格されるでしょう。
 最低限(せいぜい教科書程度)の蓄積のまま進めていったら、多くは苦戦するようになるでしょう。どれだけ読んでいるか、日々確認されるクセをつけられるといいと思います。
 
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2017.04.11 01:16

 講習が終わったあと講習だけに参加してくださっている方(基本的には保護者の方対象)のために「報告会」を実施しています。本科生の方対象には別に「保護者会」というものが年に何度かあります。個人面談は、渋谷教室ではどなたでも基本的に何度でもお受けする形にしています。
 人数が少ない教室であれば報告会保護者会の日に個人面談までできてしまうかもしれないのですが、渋谷教室ぐらい大人数になると当日はちょっと厳しい感じです。
 
 ある先生が、こういう話をされていました。予定をきちんと書き出しておきなさいと。たとえば月水金が部活なら漠然とそう考えるだけではなく、紙に部活の日と記しておく。ピアノのレッスンが火曜日に入るのであればピアノと書いておく。塾が土日であればそれもきちんと書きこんでおく。
 表を作るといいですね。部活の欄、習い事の欄、塾通いの欄、それぞれ丸印でも入れておくといいでしょう。
 
 何となく忙しい・・・ではないのです。そうやって可視化する。すると完全に空いているのは木曜日しかないと明確にわかります。あとはぜんぶ学校以外も何らかの予定が入っている。自分の本当の自由になる時間は下校後の木曜日だけなのだということがはっきりわかりました。
 するとーーあくまでも勉強を優先して成績を上げたいと考えている方はーー木曜日は集中的に勉強しないといけないということになりますね。他の日は用事が入っているわけですからどうしたってそうなります。
 
 さらにピアノの練習なんかも少し多めに必要でしょうから、フリーな日こそ予定の管理を徹底しておかなくてはいけません。
 ところが人間というのは不思議なもので、予定がない日はひたすらだらだらしようとしたりします。今日は塾もピアノもないから仮眠したあとゆっくりゲームでもするか・・・みたいなことになってしまう。
 大人でもそういうことはあります。今日はスケジュール的に余裕があるからどこかでのんびり飲んで帰ろうかなとか。
 
 可視化するとじつは今日頑張るしかないということがはっきりわかります。どうしてもだらだらしたいのなら、今日はもう到底勉強なんか組みこめないよという他の日にゲリラ的(?)にやったほうがまだましですね。
 ついでにちょっとだけつけ加えておくと、塾の授業があった日の翌々日までに少しだけ見直しておくといい。上の例では土日を塾、余裕のある日を木曜日にわざと設定しましたが、土日の内容をまったく見ないままでは木曜日には大方忘れてしまっていると思います。少しだけでも見ておく。それが秘訣です。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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