2017.03.19 00:18

 何度も書いていますが、純粋な勉強法につきましては右側の「長野先生からの応援メッセージ」から入れるようになっています。バランスをとりたい気持ちがあり、ブログのほうはここのところ勉強とは関係のない話題を多めに入れています。
 ただブログだけを読んでくださっている方もいらっしゃると思うので、たまには勉強のお話も書きましょうね。
 今年度の入試問題をいろいろ見ています。解くというより読むのが楽しいのです。
 
 とくに国語の長文問題は、高校側の受験生に対するメッセージだと思うわけですよ。伝えたいことがあるからあえてその文章を選ぶ。そういうことを考えながら読むと「ははあ・・・」と感じることがよくあります。
 受験生に対するメッセージであるとともに、将来の受験生に対するメッセージにもなっています。志望校の過去問は皆さん解きますから。過去問を解きながらその高校(大学)の考え方を理解していくことになります。
 
 都立トップ校に示唆に富む文章が出題されていました。
 世間では、やる気があるとかないとか言いますね。あたかも「やる気」という固有のエネルギーがあって、持っている人と持っていない人がいるような感じです。ところがそういうものでもないのでは? ということが書かれていた。
 やる気という固有のものがあるわけでなく、特徴をもった行動パターンやふるまいの傾向性があるだけなのだというのです。勝手に文章を引用していいのかどうか心配なので、直接的な引用はしないでおきます。
 
 困難に対して「手を抜かない」「注意深く」「不平をこぼさない」というきちんとした作業ができるかどうか。やる気のあるなしを前提にせず、作業を丁寧にやったり注意深く考えたり、不平を言わなかったりということは可能なはずです。ご飯を食べているときのことを考えてみてください。ものすごく空腹(つまりやる気満々)でなくても、丁寧に注意深く不平をこぼさずに食べることはできますね。
 要するに傾向性なのですよ。やる気のことは忘れてください。そしてこの瞬間からの作業だけを丁寧に全力でやる。
 
 深いものがありますね。作業の深化だけであれば、どなたでもいまからすぐできるはずですよ。やる気は感じなくてもいい。とにかく丁寧に、不平をこぼさずにやってみてください。やる気が出るのを待っていたら一生出ないかもしれません。それは食事をとろうとする方が、死ぬほど飢えたら食べようかというのと似ている感じがしますよ。
 
 
 
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2017.03.12 00:27

 私たちはいろいろな人とおつきあいします。同性異性問わずです。深く親密な仲になることもあるでしょうし、表面だけのおつきあいで終わることもあります。人と人との関係はなかなか難しいもので、親密だった友だち同士がとくに原因があるわけでもないのにふと話さなくなってしまったり、逆に反目しあっていた2人が何かのきっかけで急速に親しくなったり、いろいろなケースがあります。
 同年輩だけでなく、先輩後輩の関係もありますね。年齢とは関係なく尊敬したり、また逆の感情を持ったり。
 
 そうやって人と人との関係でいろいろなことを学ぶわけです。いいこともくだらないことも学ぶ。できればくだらないことは最小限に抑えたいでしょうから、おつきあいする友だちを選びなさいと言われたりしますね。人間的にすぐれた友だちに触発されて、ご本人もしっかりしてきたらそれは確かに好ましいことですね。
 逆につまらない友だちから悪い遊びを教えられるということもあります。悪いほうにどっぷりというのはしかし、個々人の選択でしかないと思います。
 
 読書することを難しく考えすぎてなかなか手をつけられない人がいますが、人と人との関係と同じようなものだと考えてください。挨拶程度のおつきあいも大切ですし、じっくり語り合うようなおつきあいも大切です。対面して少し話してみないとわからないものです。
 ですから、1冊の書籍を何が何でも1ページ目から最終ページまで読み通さなければならないというものでもありません。真ん中へんの面白そうなところを少しだけ読んで終わりということがあってももちろんいい。
 
 新聞記事をちらちら読んだり、スポーツ雑誌の興味のあるところだけを読んだりというのも、挨拶程度の人間関係と同じで意味のあることです。そこから学ぶことがたくさんあります。
 難しく考えすぎないでください。とにかく面白そうなものを読む。何でもいいから読む。じっくり読まなければ読書のうちに入らないという先入観があなたを活字から遠ざけている可能性があります。挨拶「だけ」だってりっぱな人間関係ですから、新聞の折りこみちらしを読むこともまたある種の貴重な経験だと考えてください。
 
 いい友だちという意味では、同じ書籍を繰り返し読んだりある作家のものを集中的に読んだりする経験も非常に意味があります。とにかく楽しんで。本当に楽しめることだけがあなたの得意な何かになります。堅苦しく考えすぎないことです。
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2017.03.02 06:26

 学校の勉強はそれなりにやっているとしますね。他に1つだけ何をすれば優等生になれますかと訊かれたら、とりあえずは1つだけでは足りないと答えるでしょう。別コラムの「勉強ができるようになるには」(右側の応援メッセージから入れます)にはもう55回記事を書いています。55個やってくださいと答えたいところです。
 それでもどうしても1つだけ・・・と言われたら、私なら「考えながら活字を読む訓練」をあげます。読書と書いてもいいのですが、もう少し抵抗感(?)を持って熱心に取り組んでいただきたいところです。
 
 それもたまにではない。毎日毎日です。毎日一定時間考えながら読む。忙しくてむりだとおっしゃる方はたくさんいらっしゃるでしょう。
 今週、新聞で中学生高校生がスマホをどれぐらい利用しているかという記事を読みました。インターネットを見たりしている時間の合計。あくまでも平均ですが、何と! 中学生は1日約2時間、高校生は約3時間となっていました。驚くべき長さだと思います。記事では依存症のことにもちらりと触れられていました。
 
 その時間の半分だけでも紙で活字を読んでくだされば状況は劇的に変わってくると思います。ただそうしたことができるかどうか。
 以前も書きましたが、青少年に与えるスマホの影響を研究されている脳科学者の先生が、脳が成長していく18歳までスマホは制限ししっかりした文章を読む環境を作るべきだとおっしゃっています。専門の先生がいい加減なことをおっしゃるわけがない。危険な要素は確実にあるのだと思います。それをまたある意味で隠蔽しておこうという勢力もあるでしょう。
 
 もちろんスマホがない時代、皆さんが2時間余計に勉強していたわけではないですよ。昔の生徒たちは「雑誌を読んでいて勉強できなかった」と話していました。自室に雑誌を持ちこむとだめだという反省の言葉をよく聞いたものです。ついつい読みふけってしまう。
 自室でスポーツ誌や芸能週刊誌や音楽雑誌、ファッション誌などを夢中になって読んでいて、勉強時間が足りなくなる。1990年ごろは私も読んでいる「BURRN!」誌をほぼ徹夜で読んだと報告してくださる男の子がいたりしました。
 
 それでも毎日スマホ2時間よりははるかに救いがあったと思います。
 私たちの人生は同じ「1日24時間」をどのように使うかで決まってきます。24時間を人それぞれまったく違った要素に配分していますが、それは私たちの選択です。どうしようと個々人の自由ですが、優等生になりたいと言われれば私は経験的に一定量の活字を毎日必ず読みなさいとしか言えません。それなしで飛び抜けた優等生になることはーー特に国語はーー難しいと思うからです。
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2017.02.10 03:10

 毎年のことですが、都立の推薦入試で最上位グループに合格した生徒が日々自習室に来て勉強をしています。先日は、私のところに質問にも来てくれました。「濡れ手で粟」という慣用表現がありますね。もちろん優等生ですから意味はわかっている。ちゃんと調べる習慣もついています。質問はそうした辞書的な意味ではなくて、どういうニュアンスで使われるのかということでした。もう1つ、やはり慣用表現で中学生はまず使わないものについても質問を受けました。
 
 都立高校の推薦合格の発表があったのが2日です。質問内容から見て非常に地に足がついた勉強を続けられている。
 最上位校を目指している中1中2の方、ご自身だったらできるかどうか冷静に考えてみてください。どういう人が合格できるのか。どういう人が内申でオール5がとれるのか。どういう人が勉強ができるようになるのか。
 答えは簡単ですよ。合格当日から新たに地に足のついた勉強をはじめられる人「だけ」が最上位に来ます。彼らの勉強は、合格のためだけではないのですよ。
 
 私はーーいつも書くようにーーそういう中学生活を送りませんでした。私は私で自分の生きかたはよかったとも思っています。ただそれは私が成績や進学先というものをまったく重視しなかったからであって、そういう観点から見たら大学卒業時に人さまから3年も遅れてしまったような私の学生生活は失敗です。
 こういう記事を書いているのは、皆さん全員が優等生になるべきだと考えているからではありません。ただときどき「自分はやっているのにできない」と言う人がいるので、そのやっているは本当の「やっている」の次元ではないと気づいてほしいとは感じます。
 
 けっこう勉強しているのに成績が上がらない。その「けっこう」はここまでの努力なのかどうか。仮にその合格した生徒にきみは「けっこう勉強しているほうだと思うか?」と訊いたら、間違いなく彼はまだまだ足りないと思うと答えるでしょう。勉強に限らず、上に行けば行くほどそうなってくるものです。まだまだ足りないという自覚が、彼らをどんどん高みにのぼらせてくれるのです。
 
 ことわざなんかにしても表面的な意味だけ覚えればそれでいいと考えてしまうのが普通でしょう。言葉なのだから細かいニュアンスまでつかみたいと考えるのは非常にレベルの高い発想であって、そういう気持ちを持ち続けて勉強している彼らには向上心しかありません。「けっこうやっている」という言葉の背後に隠された(だからもうこれ以上はやらなくていいじゃないか)という甘えた気持ちはないということです。
 
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2017.01.13 08:08

 昨年も同じ時期に書きました。中学入試のない小学生のコースの授業を今年も自分は担当しています。そこに「あいさつの重要性」という長文が出てきました。
 ことばというのは伝達の目的を持っていますね。今日は何時に帰るよ。ご飯は何が食べたい。明日はテストなので早めに寝ます。来週の日曜日は遊びに行きたい。すべて伝達ですね。こちらの意志を相手の方(複数かもしれません)に伝える。あるいは相手の意志をこちらが正確に受け止める。そのためにことばは大きな役割を果たします。
 
 と同時に、ことばには「あいさつ」としての大きな機能があると書いてありました。あいさつと言っても「おはようございます」とか「行ってまいります」という堅苦しいものばかりではありません。「やあ」も「元気?」も「きのうのサッカーすごかったね」もみんなあいさつと言えばあいさつです。
 その機能がすごく大きいという。「元気?」なんてわざわざ声に出さなくても、相手を見ていればわかることです。それをあえて声に出す。
 
 人間関係を上手にいかせるためにはこうしたあいさつ語、社交語こそが大切であるという内容の文章を50分間読んで説明しました。生徒たちにも順番に音読してもらいました。時間がなかったので一問も解かせませんでしたよ。枝葉末節な問いより要旨そのもの、あいさつがいかにこれからの人生で大切になるかということを徹底的に伝えたい気持ちがありました。
 中学生になって変ないじめにあったりしたら困る。先輩にあいさつをしないことで誤解されたら困ります。
 
 具体的にそんな話もしました。これから新しい人間関係がはじまるから、あいさつだけはするといいぞと。彼らは真剣に聞いていました。いつでもそうです。私の授業中に騒いだりする生徒はいません。そういう空間ができているのです。
 1人だけですが、いつもあいさつしなかった子が「さよならー」とこちらにあいさつして帰っていきました。じつはそうやって学んだことを体現化する気持ちが非常に大切です。あなたが学んでいることは、この瞬間からのあなたの生活を変える可能性があります。それぐらいの真剣さを持たれるといいと思います。
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2016.12.27 01:27

 生活のすべての断片で、どういう人間であるかということが試されています。私はこの冬、小5生対象の3日間の講座を担当しました。そのとき強く感じたことを報告会のときお話したのですが、その中に次の話題を出しました。
 私の授業は文系の授業(簡単に言えば国語です)で90分間でした。90分通してやってもべつにいいのですが、2時間目でしたし小5ですからね。途中で5分間ほど休憩を入れました。
 
 そのとき「何をしていてもいい」と言った。食べたり飲んだりしてもいい。食べる時間はさすがにちょっととれないかもしれませんが、飲むことはできそうです。廊下に出て身体を動かしてもいいよと言いました。
 要するに完全な自由時間ということです。5分間だけ時間を与えられ、彼らはどうしたか。
 
 自分のクラスには10名ぐらいの生徒がいました。そのうち3人がすぐに何かを読みはじめた。2人は活字の書籍でした。1人はコミックでした。とにかく5分間、机のまえでじっと読み続け、授業再開とともに書籍はカバンにしまいました。
 私はそのことについて何もコメントしませんでした。ただ手持ち無沙汰にしていた生徒は仲間が読書しているところを目撃したので「ああ、ああいう時間の使い方はあるな」と感じたかもしれません。
 
 最終日の3日目になると4人の生徒が休み時間読書をしていました。コミックはなしです。コミックについても何も言いませんでしたが、何となく気恥ずかしかったのかもしれませんね。
 授業と授業のあいだのたったの5分間でさえむさぼるように活字を追う子どもがいる。こういう子がいずれ勉強ができるようにならないわけがないのです。私が日ごろから伝えたい文化的な力というのはこうした部分に宿るのです。どこの塾で問題をどれだけ解いたかの次元ではないのですよ。
 
 活字は全然読まないという生徒もいます。その選択は自由であり、いろいろな道での成功があると感じますが、あくまでも勉強の成功ということになると勉強とフォームの似た行為をどれだけしているかにかかってくるでしょう。1人で活字を黙々と読み想像力を駆使して理解する読書は、勉強に驚くほど形態が似ています。囲碁や将棋も似ているかもしれません。強い刺激で反射的に動く必要のある映像系のゲームは、似ているようでもまったく似ていません。
 断片の集積が全体を支配します。それだけに断片に違和感が生じてくると、勉強そのものはしていても伸び悩むことがあるのでしょう。
 
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2016.12.13 08:23

 達筆である必要はまったくないのですが、答案用紙に文字をきちんと書けないというのはちょっと問題だと思います。いきなり名前から走り書き状態の人がいます。冗談ではなく、本当に読めない。私ははじめからその生徒を知っていますから読めるような気がしてしまうのですが、客観的に考えたら読めるわけがないような文字を書いて平然としていたりする。
 平然としているのは悪気があるという意味ではなく、それが日常、あたりまえになってしまっているのです。
 
 ご自身のノートであればまだいいですよ。汚いよりは丁寧に書くほうがよいのでしょうが、もともとご自身で見るものですからいいとしましょう。ただ答案用紙はどう考えても提出するものです。つまり人さまに見ていただくものですね。人さまに見ていただくどころか評価もしていただかなくてはならない。
 志望校の先生に「私という人間をこの答案用紙で評価してください」とお願いするものです。読めない文字で評価してくださいというのは、ある意味で私はこんなにマイナス面がありますとアピールしているようなものですよ。
 
 デートのときに汚い格好で出かけていったりプレゼントを包装するときにしわくちゃの紙に包んだりレストランでお客さんに出す料理をひどい盛りつけにしたりということは、ありえないことですね。それと同じぐらい問題であることを認識してほしいと思います。
 私は道徳的なお話をしたいのではなく、答案用紙の文字さえ丁寧に書きたくないという精神面を心配しているのです。丁寧に書けないというのは、心が落ち着かないからでしょう。いらいらしている。何かに腹をたてている。落ち着いていれば、少なくとも殴り書きみたいな字は書かないと思います。
 
 ぴりぴり感を生活の場で取り除いていかないかぎり、勉強どころではないことがわかりますか。テキストや塾の選択以前の問題です。答案の文字を慈しみながら書けない何かを抱えたまま、右肩上がりで成績が上がっていくという状態はちょっと想像できません。
 生活の作業全般においてーー食べたりシャワーを浴びたりドアを開けたり閉めたりーーひどく乱暴な方がいます。何か怒っている。内包している怒りの正体をまず確認する必要がありそうです。
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2016.12.04 00:35

 毎年毎年、受験生の方にこの時期「1日1点上げていく気持ちで勉強しなさい」という内容の記事を書いています。それぞれの教科で1点ではありません。全教科で1点です。たったそれだけ? と思われるかもしれませんが、大丈夫、真剣に努力していけばーーそして現実に全教科で1日1点上げていければーー十分合格できるはずです。
 いちばんいけないのは漠然と偏差値を上げようと考えて、努力の肝の部分を見失うことです。
 
 今年も同じような心構えの記事をブログ右端の学習法コラム第45回に書いておきましたので、よろしかったらお読みになってください。
 要するに、切実に真摯に地道に生きるということです。そういう生き方を勉強の中心に取り入れていく。それができるかどうかです。
 実生活でも同じようなことがあります。男女の会話で「きみのことを世界でいちばん大切にするから」などと言いますね。言われたほうはうれしいわけですが、きわめて抽象的な表現でもある。
 
 もちろんそうしたセリフはあっていいわけですが、同時に具体的には何をするかです。待ち合わせに絶対に遅れない。相手が忙しそうなときは強引に誘わない。こまめに連絡を入れる。一緒に暮らしているのであれば、可能なときは自分の役割ではなくても洗い物ぐらいはしておく。沈黙が続くときには軽く声をかける。そういった配慮がどれだけできるかということは、大きな問題だと思いますよ。
 昔の生徒でガールフレンドと待ち合わせするときは音楽を聴かないという子がいました。ふだんはいつも聴いているのです。しかし待ち合わせ場所では聴かない。直前までは聴いていても、いよいよの瞬間は聴かない。
 
 どうしてか。
 心ここにあらずみたいになってしまうと相手に失礼だからと言うので感心しました。さすがは自分の教え子だけあります(関係ないか)。
 彼は音楽が大好きなのです。聴いていると夢中になってしまう。その陶酔感に浸っている姿を待ち合わせの場所で彼女が目撃すると「あ、自分より大切な世界があるのだな」という意識を抱かせてしまうかもしれない。「大切にする」という概念からはずれる可能性があるから気をつけているという。
 
 これが1日1点につながる発想だと考えてください。漠然とした感じではなく、目の前で何をするか、何ができるかということです。
 こういう生き方であれば、必然的に整理整頓をしたくもなるでしょう。1点という最小単位は本当に繊細な生き方をしないと見逃してしまう。整理整頓、道具の管理、忘れ物の根絶、丁寧な音読・・・そうしたことができないうちは1日1点の勉強にまだ入っていないのかもしれないと厳しく考えられたらいいと思います。
 
(保護者の方、もし今回のお話をお子さんになさるのであれば、この記事だけお見せください。直接おっしゃるとうまくいかないと思います。私の言葉は彼らにーー程度の差こそあれーー必ず伝わるはずです)
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2016.11.24 09:53

 突き抜けてできるようになりたいのであれば、生活力みたいなものがどうしても必要になります。ある程度できるようになりたいぐらいなら勉強「だけ」やっていても大丈夫なのですが。
 すごくできる子にたとえば「今日は晩御飯を作っておいて」と突然告げたとします。男女関係なくですよ。忙しくてご飯を作れないからあなたが作っておいてねと告げる。
 
 まともな料理をいままで作ったことがなくても、すごくできる子であれば絶対に作れますよ。何かしら調べて、ご飯を炊いたり味噌汁を作ったり・・・ぜんぶ手作りというわけにはいかないでしょうが、それなりに「平然と」用意するはずです。逆に言うとこんなこともできないようでは「突き抜けた優等生」にはなれません。
 生活力というか、たくましさが必要です。晩御飯作っておいてと言われて「うへー、お弁当買ってきていいでしょう?」ではいけない。
 
 臨機応変に対処できる力というのはそうした日常から身につけるものです。それこそひと昔前はいろいろ不便で、不慮の出来事がたくさんあった。どうしたらいいのかわからない。どうしたらいいのかわからないことを自力で切り抜けていくことで人間力がつく。ときには大失敗もやらかすでしょうが、自力で切り抜けていく力をつけるためには失敗も必要です。
 依頼心が異常に強いとすれば、すべて依頼して生きてきたか物事を強制されて過ごしてきたかどちらかです。
 
 その状態で、次から次へと展開していく未知の課題に自力で対処することは不可能です。どうすればいいの? と指示を仰ぐだけになってしまう。
 どうしたら国語の勉強ができるようになりますかという質問を受けますね。とにかく大量に読む以外にないよと答える。何を読めばいいのですかという問いかけ自体じつは情けない。手当たり次第に読めばいい。教科書、塾のテキスト、通信の教材・・・習ってないところもぜんぶ読む。大人の新聞、ベストセラー小説、趣味の雑誌、尊敬する選手のエッセー、チラシや広告などもぜんぶ読む。
 
 時間がなければ時間を作る。晩御飯を作った日はそのために何かを犠牲にしたはずです。国語ができるようになりたいというのが切実な願いであれば、そのために何かを犠牲にして読む時間を作る。
 そういうたくましさが身につかないとホンモノの秀才にはなれないですよ。真面目に机に向かっている以上の何かが必要なのです。
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2016.11.11 07:55

 この歳になっても教え方はあれこれ工夫して変えています。現在は主に中学生を教えていますが、工夫しながらなるほどなあと感じることがあります。
 いまの子どもはーー当然ですがーー昔より便利さに慣れています。わかりやすさにも慣れている。悪いことではないでしょうが、逆に考えると不便さに対する耐性がなく、わかりにくいことをわかろうとする執念に欠ける傾向があるように感じます。「何だかごちゃごちゃしていてよくわからないや」であっさりすませてしまう。
 
 テキストに書いてあることも、ある年からわざわざ黒板に書くようにしてみました。以前はテキストを開けさせて、大切な部分に線を引いてもらっていた。できればマーカーで目立つように引きなさいと。時間の節約のためにそうしていたのですが、どうも一部の生徒の頭には全然残っていないような気がしました。
 そこでたとえば奈良時代万葉集、平安時代古今和歌集、鎌倉時代新古今和歌集と実際に黒板に書いて写しなさいと指示しています。
 
 時代がずれていくのがわかるだろう? とゆっくり進める。さらに大伴家持とか紀貫之とか藤原定家とか書きこんでいく。「ちゃんと漢字で覚えなよ」と。
 テキストを見れば全部整理されているので、考えようによっては時間のむだです。しかし、そうするようになってからあきらかに理解が深まったような気がします。理解もそうだし記憶もそうですね。
 やっぱり手をかけないといけないということなのでしょう。字面だけ追ってふーん古今和歌集ね・・・ではいけない。そんな覚え方をしているから「今古和歌集」などという妙な誤答が出てくるのです。
 
 いまは各種説明会に行くと画面にわかりやすく表示されるようになりました。順番に流れるように出てくる。講師の先生がその画面にしたがってあれこれ説明してくださる。この実績の伸張具合を見てくださいと右肩上がりのグラフを見せられる。
 なるほどこれはすごいなと感激する(私のことですよ)のですが、あとで実数が全然わかっていなかったりします。何だか知らないけどいちばん右の棒グラフがすごかった程度しかわかっていない。昔のように口頭で数値を言われたら必死にメモしたはずなのですが、映像化されているのでうすぼんやり見ているだけだった。
 
 授業は「説明会」ではないわけですから、指導する側は便利さによりかからせるだけではいけないと思います。確実に身につけさせるために少し手間のかかる方法もーー効率が悪いなどといやがらずにーー伝えないといけないということでしょう。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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