2019.11.12 09:23

 勉強の話はさんざん書いてきたので繰り返しになってしまうのですが、少しだけ補足しておきます。「成績が『飛躍的に』上がらない」と嘆いている方がいますが、原因は比較的はっきりしています。
 ご本人は「勉強している」とおっしゃる。ウソではないでしょう。ただご本人の基準から見てということです。相対的にもっともっと勉強している仲間は大勢います。それをやりなさいというのではないですよ。ただ原因がわからないというのであれば、原因の1つは間違いなくそうです。
 
 数学の得意な生徒がいました。いわゆる最難関高校に進学された。自習室で黙々と数学に取り組んでいる。見たことのないテキストを使っていたので、ちょっとのぞいてみた。あ、これ高校生用のテキストなんですよ・・・と答えました。面白いので、暇さえあれば個人的にどんどん先に進んでいるという話でした。
 また別の生徒で、通りを歩きながらある教科のテキストを読んでいる男の子を目撃したことがありました。歩きながらですよ。
 
 さすがに危ないと思ったので、あとでちょっと注意しました。「あ、見られてましたか。何やってても勉強のことばかり考えちゃって・・・完全に趣味の世界です」と恥ずかしそうにおっしゃった。
 繰り返しますが、全員そこまでやりなさいという意味ではありません。ただそういう人間がけっこう実在する。英語の音読20回を実行している生徒もそうでした。大変じゃないのかね? と質問すると、好きでやってきただけですとけろりと答えました。
 
 好きだからという仲間がたくさんいる。特定の科目にかたよるのかもしれませんが、とにかく勉強が好きである。サッカーが好きダンスが好き音楽が好きゲームが好きと同次元で、勉強が好きという人がーー珍しくはない程度にーー存在します。もしあなたがその仲間に所属していないのであれば、それもまた「飛躍的に」は伸びない原因の1つでしょう。
 ただその人たちは、あなたが得意なことはあなたほど好きではないかもしれない。
 
 私は将棋が好きで徹夜で指し続けたことが何度もあります。賭け将棋なんかではないですよ。実利はまったくない。ただ面白いから私も相手も朝まで夢中で指し続けた結果です。「少しは将棋に興味がある」程度の人にはとても無理でしょう。強い愛情や執着心がないとできません。
 勉強も同じことで、私が見た感じでは睡眠時間を削ってまで勉強している人たちの何パーセントかは単に無我夢中になっているだけで、苦痛は感じていない。
 
 ある優等生(私立の中3生)にどうしてきみはそんなに成績がいいのかと訊ねたことがあります。即答しましたよ。「そりゃぼくほど勉強している人間はいませんから」
 勉強にかける思いや愛情だけでなく作業量も多ければ多いほどうまくいくわけですが、何の世界でも同じです。トップに負けないほどできるようになりたいということであれば、自分ほどやっている人間はいないと断言できる同級生と対等になるまで頑張るしかないでしょう。ただ、それが個々人にとって本当に意味があるのかどうかは別問題です。それぞれの価値観でしょう。
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2019.10.18 07:15

 他の人がどうであるかということはたいしてモデルにならないものです。あなたはあなたのやり方で進むしかありません。仮に小テストで100点をとりたいとしますね。友だちのAくんは30分練習して100点をとっている。ところがあなたは30分練習して80点しかとれなかった。
 不公平だと思うかもしれませんが、あなたが100点をとりたいのであればあなた自身が100点とれるまで練習する以外に方法はない。時間は関係ありません。
 
 40分かかるか50分かかるか1時間かかるか、それはわかりません。友だちの倍勉強しなければならないということであれば、すればいい。
 それは、能力のせいなのかコツの問題なのか集中力の何かなのか? その種の問いかけはとりあえず意味がないと思ってください。そもそも30分で満点をとれる人と比べたこと自体が間違いであって、大切なことはあなた自身が満点をとれる時間はどれぐらいなのかということだけです。
 
 人より時間がかかるというのはよくあることです。1つには慣れでしょう。また1つには生活における習慣でしょう。食べるのもシャワーを浴びるのも着替えるのも支度をするのもゆっくりという人がいます。すると他のことも当然スローペースにはなってくるものです。
 私はその生活態度を責めているわけではありません。その生活でさしつかえありませんが、当然勉強「にも」時間をかける覚悟が必要だと思います。
 
 そんなに長いこと勉強していたくないという考え方も当然あります。それは個々人の選択であり、勉強が苦痛であればそちらの分野で最高峰を目指すのは難しいでしょう。
 ある競技者は、自分は競技が好きなので、他の選手より長い時間練習すること自体が幸福だという意味のことを語っていましたが、人よりたくさんやることを損だと感じることがそもそもその競技に「向いていない」ということになるのではないでしょうか。長くできる幸せを噛みしめないと。
 
 いずれにせよ、他者と比べるのはよくありません。とくに「数値」の比較は思わぬ落とし穴になりかねない。自分の理想形を目指すのみです。それが結局人生というものなのですよ。
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2019.09.25 00:20

 先日、小学校6年生向けの公開授業がありました。30分間の短いやつだったのですが、教材(どこの教室も同一のものを使用しています)がなかなかよくて、こういうことが書いてありました。
 まとめてしまうと、どの人間も自分の中に字引ーー辞書と考えてくださっていいでしょうーーを持っているというのです。そしてその辞書によって読んでいるものや他者の言葉を理解する。
 
 ところが、現代はその辞書がどんどん薄くなってきた。昔に比べて格段に薄っぺらくなった。だからちょっと難しい用語や言い回しが出てくると理解できない。心の辞書にないわけですから調べようがない。もちろん本物の辞書をひくことはできますが、テストではそんなことが許されるわけがありませんから、ちんぷんかんぷんのまま終わってしまう。
 余談ですが、先日この「ちんぷんかんぷん」を知らない中学生がいました。なるほど、心の辞書は間違いなく薄くなってきているのかもしれません。
 
 ではなぜ昔に比べて心の辞書が薄くなってしまったのか。
 読まないからですよ。言葉や言い回しに対する体験が乏しいからです。いまをときめく将棋の藤井七段は中学生のころから「僥倖」だとか「隘路」だとかという言葉を使われていましたが、それは中学生であっても彼の心の辞書にその言葉が記録されていたからですね。自然とそうした言葉が出てくるのはすごいことで、使用法まできちんとわかっているわけですから、意味調べを1回しましたレベルでないのは歴然としています。
 
 藤井先生は小学校の4年生のころから大人の新聞を毎日読まれていたそうです。そうやって心の辞書の厚みが「自然に」(ここは大きい)増えていった。大人の新聞を小学生が読んでいれば毎日毎日わからない言葉が大量に出てくるはずで、いちいち調べなくても難しい語彙のシャワーを浴びているうちに(ははあ、これは以前も見たことがあるぞ。これこれこういう意味じゃないかな)というのがわかるようになってくるものなのです。
 ちんぷんかんぷんというのは、全然わからないという意味らしいぞとわかってくる。
 
 そうやって心の辞書を分厚くしていく努力をまったくしないまま、受験があるので読解力だけすぐにつけたいなどと欲張るのはどう考えても無理だということがおわかりになると思います。あなた自身の心の辞書を厚くしていくしかないのです。対話では限界がありますし、そんな難しい言葉で友だち同士が話す機会はまずないでしょう。ということは、こつこつ活字で獲得していくしかない。
 昨日も何も読まなかった、今日も何も読んでいないということであれば、いつまでたっても心の辞書は薄いままです。ではいまからどう動いていけばいいのか、はっきりしていますね。
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2019.08.21 00:43

 講習期間中、先生方が講師卓で質問を受けているのですが、ときどきどうなのだろう? と感じるときがあります。先生方の声が聞こえてくるのですよ。たとえば「そこからはもう自分で考えなくちゃ」とか「そんなところまで教えてもらおうと期待していたらだめだよ」とか「やり方がわかったのだからあとは自分で進めてごらんよ」とか。
 要するに、何でもかんでも最後まで答を教えて・・・と依存しすぎる質問が案外多いということです。
 
 科目はやっぱり数学が多いですかね。「これ、授業でやったのにどうして聞いていなかった?」とか「復習していないからやったところを順番に忘れていっているじゃないか」とか、心配になるような会話が聞こえてくることもあります。「自分でも考えようという意志を持ちなさい」というのもあったな。
 質問をしないよりはしてくださったほうがありがたいですが、自助努力を欠いた質問ばかりだと、やはり先に行ってどうなのだろう? ということはありそうです。
 
 国語でも「何が何だかわからない」という要領を得ない質問が来ることがあります。「この文章、わけがわからないんですけど」という。根本的な問題はその文章がどうこうではなく、読み手がその文章を理解できるレベルまで成熟していないというところにあります。こういうものがすらすらわかるようになりたいのであれば、日々の生活で同レベルのものを読みこなして訓練するしかない。具体的には・・・と話を続けるのですが、そこはまだ中学生なので「もっと楽にぱっとわかる方法はないですか」と言う。
 
 それは無理だろう。サッカーだって楽器だって日々訓練に訓練を重ねて何とか上達していくのに、勉強だけ「ぱっと」上達することはありえないと思わないか? と話すと納得はしてくださるものの、納得だけで終わってしまう。そしてまた「わけがわからないんですけど」と嘆く。
 質問したときにーーどの教科でもーー先生がこういうやり方をするといいよと勉強方法まで示唆してくださるときがありますね。それを面倒がっている生徒が多い。それでは何のための質問なのかわからないですよ。
 
 解答以上に「どういう方法論で勉強するか」ということは重要なはずです。質問者の状態を見て先生はアドヴァイスをされているわけですが、当然「復習しなさい、練習しなさい、努力をしなさい」ということになってきますね。そこは大変だからといい加減に聞き流してしまっては、いくら答を教えてくださいという質問をしてもいまひとつ実りが乏しいように思います。
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2019.06.12 00:53

 勉強しなさい勉強しなさいとうるさく言われていやになってしまったという小中学生の方も多いと思います。私もそうでした。小学生のときーー時代が時代ですからーー点数が悪いだけで殴られる。努力が足りないからだと言われるのですが、点数と暴力と努力の相関関係は理解できませんでした。
 やらなければ落ちるだろう。負け犬になりたいのか? みたいなことは言われました。ですが、受かるとか落ちるとかを超えた本質的な概念こそが本当は大切なのではないですか。
 
 なぜ勉強しないといけないのか。
 くわしくは書きませんが、今年ある人から自殺の相談を受けました。相談はメールできました。簡単に書くと、つらいことがあって死のうと試みて失敗した。でも、やはりもう一度死のうと思っているという内容でした。
 夜中の3時ぐらいにメールに気づいて、私は返事を書きました。相手からもすぐに返事がきて、しばらくやりとりした。直接話してもよかったのですが、少し距離をとりながらのほうがいいという判断も働いた。
 
 具体的に何をどう書いたかは省略しますが、間違いなく勉強してこなかった人間には書けない内容です。この場合、勉強というのは文学や哲学や宗教学や死生観みたいなものですね。変な表現になりますが、自分は自殺についてはそれなりに勉強してきたつもりです。だから、慌てずにその場できちんとした意見を送ることができた。
 これが全然勉強していなかったら「死ぬのはよくない」ぐらいしか書けなかったと思います。何も発信していないのと同じですね。
 
 ところがたとえば不動産。10年ぐらい前、現在借りているマンションのことでちょっとしたトラブルがありました。私たちに落ち度がないということは弁護士さんに相談してはっきりしたのですが、はじめはまったくわかりませんでした。そうしたことを私は一切勉強してこなかったからです。不動産の契約関係の法律ということになるのでしょうか。弁護士さんに相談したらそれこそ10分もしないうちに「何も心配ないですよ」と笑われてしまうような簡単なことですら、何日もあれこれ悩むはめになりました。
 
 要するに「生きていく力」とでも言うのでしょうか。そうしたものを少しずつ身につけていくのが勉強することであり、バランスよくたくさんやればやるほど全分野で強くなれます。それこそ家族の誰かが倒れたり、お金が足りなくなったり、仕事がなくなったり、好きな人にふられたり、場合によっては戦争が起きたり深刻な事件に遭遇したり・・・そのとき、さまざまな勉強が総合的な人生観となってあなたを守ってくれるはずです。人はお金以上に、人生観によって守られるのだということを忘れないようにしてください。
 
 しかしいきなり「人生観」では教科にまとめようがありません。そこで学びやすく「国語」「社会」「英語」「音楽」・・・と細分化して専門の教える人をあてた。しかし、いずれは統合されて「人生観」となり、1人1人がそれに従って物事に対処していけるようになるはずです。
 人生観の引き出しが多ければ多いほどさまざまな状況に対処していくことが可能になるでしょう。亡くなるときにまったく動じない方がいますが、わかりやすく書けばそこまで勉強されたということです。
 勉強したほうが得ですか? サボったほうが得ですか?
 
 
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2019.05.15 09:26

 丁寧に書きなさいとか声に出して何度も音読しなさいとか紙に書いて繰り返し練習しなさいとかというのは、丁寧に書くことや音読することや繰り返しそのものが目的ではありません。形だけそんなことをしても仕方がないでしょう。
 要するに「心をこめる」ことに目的はあります。心をこめて愛情深く勉強した結果として、丁寧にもなるでしょうし声に出して音読したくもなるでしょうし覚えられるまで練習したくもなるでしょう。目的と手段を取り違えてはいけませんね。
 
 これは勉強だけではありません。何でも同じです。得意にしたいことがあれば、心をこめて接するしかない。あたりまえですね。人と人との関係を考えてみればすぐにわかるはずです。相手が物質の場合でも感情なんかないだろうからと乱暴に扱えば、やはり心をこめて取り扱うときより劣化のスピードがはるかにはやい。こういうことを本当はそれぞれがうんと子どものときに教えるべきではないかとも思うのですが、現代は心をこめるなどというのは古臭い感じで、そんなことより効率重視という大人が増えているのかもしれない。
 
 たとえば私はこの文章を自宅のパソコンで書いています。手書きしているわけではありませんから、文字はすべて丁寧です。丁寧にと意識しなくても自然に丁寧な文字が出てくる。こういうのがこわいところで、そういう感覚に慣れてしまってはいけないとも思っています。文字は丁寧なものが出てくるにしても言葉づかいなんかは意図的に丁寧に書いていくことができるわけですから、気をつけてとにかく「きちんとした文章を書こう」という意志を持つ。それが心をこめることにつながってくると考えています。
 
 そもそも生きること自体、心をこめたほうがこめないよりははるかにいいですね。生きるというのは細かい作業の連続であり、1つ1つの作業が無限に接続して「生活」というものを形作っています。その生活全体をいつかは人生と呼ぶわけでしょう。
 すると細部の1つ1つに心をこめずに心のこもった人生を送ることは不可能になります。原理的にそういうことになりますよ。細部のすべてに心をこめてこそ、人生全体が心のこもった連続体として完成する。
 
 昔、将棋の大名人がホテルの浴室で洗濯していたという話がありました。現在では考えられませんが、昭和のころはそんなこともあったのでしょう。洗濯物を干すヒモ(?)にかすかな皺も見逃すまいという真剣な面持ちで衣類を干されている姿を見て、記事を書いた方はこうした緻密さが盤上でも生きているのだと感心されたそうです。心をこめた将棋を指せる土台は心をこめた日常生活にあったのだと。
 あなたがホンモノになりたいということであれば、心をこめて生活するのが最上の方法です。
 
 心をこめてご飯を食べ、心をこめて歯を磨き、心をこめて服を着替えてください。その延長線上に心をこめて勉強するという行為が見えてくると思いますよ。
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2019.05.10 08:48

 ときどき生徒からこういう質問を受けます。先日の(中学生なので「先日の」とは表現しませんが)テスト、読解問題ができなかったのですが、どうしたらああいう問題ができるようになりますか?
 相手によって答え方は違いますが、基本は「同レベルのもの、できればその作品を断片ではなくまるごと読みなさい。そういう生活をこれからずっと継続しなさい」ということに尽きます。わかりますか。
 
 あるものがわからない。困らないのならそのままでいいのですが、どうしてもわかるようになりたいという場合その「あるもの」に正面からぶつかっていく以上の方法はないはずです。たとえばテニスが不得手である。けれどもどうしてもテニスが上達したいということなら、テニスの練習に励む「しか」ないでしょう。
 えー、同じスポーツなのだから自分の好きなサッカーや水泳じゃだめですか? というのがどれだけ的外れな質問かということは、どなたでもおわかりになると思います。
 
 あるいは時間を切り取って「毎週90分間テニスの学校に通うだけでテニスがめきめき上達できませんか」というのもずいぶん虫がいい質問で、テニススクールで教えてもらったあとは相当の自主練習を積む必要があります。あたりまえなのですが、そこがなかなかわかってもらえない。わからないというより、面倒なのでしょうね。なるべくテニスはしないで(読まないで)すごくテニスが上手になりたい(読解力をつけたい)。
 つい先週の中1のテストでは問題文に、話題の「君たちはどう生きるか」が使用されていました。
 
 読み取れないというのであれば、1冊まるごと読んでみればいいのです。文庫本で入手できます。考え考え毎日読んでください。
 実際すぐに読む子もいます。ちょっとだけあとで読む子もいます。とりあえず一部だけ読む子もいる。ただまったく読まないという生徒も当然出てきます。それは個々人の選択ですから責めはしませんが、読まないでいながら相変わらず便利なコツをつかみたいなどと変なことを迷っている。
 コツなんて概念として獲得したところで役にはたたないのですよ。読み取るコツを体感するために読むのですから。
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2019.04.05 08:40

 授業を受けて「全員が同じことをやっているはずだから大丈夫」と油断していたら大間違いですよ。こちら側から見ているとそれぞれの生徒がやっていることは、かなり違ってきます。とくにこちらが話していることをどれだけメモしているか。印をつけているか。わざわざ板書しなくても大切なことは大量にあります。ぜんぶ板書していたら終わりきらない。どの先生も全体に向かって「気になることは必ずノートしておくように」とおっしゃっているはずです。
 
 人数が多いので、手が動いていない生徒がいてもたぶんこのあたりは大丈夫なのだろうと判断して先に進んでしまいます。きちんとメモできないのは、いわば自己責任であるという前提で授業は進みます。とくに受験生の授業で、書いたか? 大丈夫か? などと連発していたら、予定通り進まなくなってしまう。「個々人への注意の時間」は、カリキュラムに含まれていないからです。
 ましてぼーっとしているなどというのは論外で、それでは「同じことをやっている」ことにはもちろんなりません。
 
 私自身は学生時代(とくに高校時代かな)、まったくやる気がなくて授業中どうやって遊んでいようかということばかり考えていました。どの先生もおそらく(私立でしたし)いい授業をしてくださっていたはずなのですが、こわくない先生の場合ノートの後半のページに詩みたいなのをいつも書いていましたし、こわい先生の場合はとにかく前だけ向いて時間が経過するのをひたすら待つという状態でした。
 ごく少数の科目以外興味がなかったので、あとは本当にひどいものでした。
 
 当時、級友から「きみほど何もやらなくて真ん中の席次を保っているのは天才だと思う」と変なことを感心された覚えがあります。いろいろ見栄もあり、真ん中の順位は確保できるように最低限のテスト前勉強だけはやったのです。ただ瞬間的に覚えるだけですから、もちろん実力にはなりません。
 要するに同じ曲を聴いていても、人によって残るものは全然違うということです。ピアノが入っていたよね、悲しい曲調だったねという人もいれば、何か音が鳴っていたかなあ程度の人もいます。
 
 参加の意志、参加の姿勢ですね。私のようなケースは例外中の例外だと思いますが、とくに成績を上げたい方はご自身の参加度みたいなものには敏感でいてください。ノリの悪い日というのはどうしても出てくるものだとは思います。それでも瞬間瞬間の参加度を意識する。私は「いまどれぐらいこの現実に参加しているか?」と自問するクセをつけましょう。
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2019.04.02 00:22

 現在、春期講習中です。ふだんは通っていない講習生の方が相当数いらしてくださっています。初対面ですから、どれぐらい力があるかということはよくはわかりません。準備テストを受けていただいているのですが、たった1回のテストでははっきりしない部分もあるのです。
 ただ様子を見ているとだんだん伝わってくるものはあります。先生方はみんなそうおっしゃいますよ。見ているとある程度のことはわかってくる。
 
 私は基本的に机の上の様子をよく見ています。この判断は、経験上おおよそ間違っていないと思っています。皆さん、同じテキスト同じ机で勉強しています。全員同じ環境になってもいいはずなのですが、これが著しく違う。
 わかりやすく書くと、非常に整頓されている机上と散らかっている机上に分かれます。余計なものが大量に乗っていることがある。勉強道具ではあっても現在受けている教科以外のテキストやノートは、この瞬間は余計なものでしょう。
 
 複数教科のプリント類が雑然と出ていることもあります。なくしてしまうのではないかと心配になる。整理して片づけておく習慣がないのでしょう。プリントの折り方も印刷面が外に出ていたり白紙の面が外に出ていたり・・・行き当たりばったり折っているらしい。
 筆記用具類が散乱している生徒もいます。いま使わないものまで出ている。国語の授業中、コンパスやセロテープが乗っていたりする。
 
 他のものに場所をとられるためか、テキストにノートを重ねて使用している。盛り上がったノートに書くので、なかなかきれいに書けません。ノートはのびのびとあいだをあけて書きなさいと言うのですが、やたらとつめて書く子もいます。
 人生と同じで、生活の中に余白の部分がたくさんないとうまくいかない。けちけち生きる、けちけち勉強するというのはうまくいかない。けちけち愛したりけちけち祈ったりするのがうまくいかないのと同じです。のびのびとやらなくてはいけない。
 
 中にはこわれかけた筆記用具を使っている子もいます。こわれた筆記用具で書いているというのは、破れた服で生活しているのに似ています。物を大切にしているというより、道具を扱うことに無頓着なのではないか? わざとならどんなにぼろぼろでもいいのですよ。しかし、気づかないままぼろぼろというのはいけない。塾内だけでなく、ご自宅ではどうでしょう。意識的に環境を整えるのはまず第一歩だと思いますよ。
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2019.03.13 09:10

 物事を処理するスピードは人によって違います。勉強に関して言えば、先に行けば行くほどすばやくこなしていく必要が出てくるので、そのあたりは少し意識されてもいいのではないかと思います。難関校だとすばやくできるのが当然だと先生は考えています。ですから、授業はどんどん進んでいく。黒板なんかもあっという間に消されてしまいます。
 生徒たちからそういう話を聞くことがあります。板書を写しきれない。あるいは写しきれない同級生が数人いる。
 
 それでは早晩着いていけなくなるのであって、すばやさみたいなものを身につけていかないといけません。
 じつは処理能力というものは生活すべてに共通してきます。勉強だけゆっくりということはありません。勉強でゆっくりな人は生活ぜんぶがスローである可能性があるのです。それを悪いと責めているわけではないですよ。ゆっくりお風呂に入るとかゆっくり食事をとるとか、もちろん悪いことではありません。悪いことではないのですが、極端に時間がないときも「ゆっくりにしかできない」となるとちょっと話が違ってきます。
 
 忙しい日もなかなかお風呂から出られない(たとえばシャワーだけで我慢しておくことができない)とか、あきらかに遅れてしまいそうな状況下いつまでもいつまでももぐもぐ噛んでいるとか・・・優雅さもまた状況によって評価が違ってくるでしょう。
 必要なときは、それこそ立ったままつなぎの気持ちで何かを胃の中におさめて次の作業にとりかかるぐらいの柔軟さがないと大人になる過程で難しいものが出てくるように思います。大人というのは、そのときそのときの状況に応じて臨機応変に対処していける存在ですから。
 
 勉強の処理能力を高めていくためにも生活全般を見直してみてください。本当に広域の生活全体です。寝床から抜け出すタイミング、蒲団の後始末、着替えのスピードと着替えたものの処理(すばやく畳めているか)、時間がないときの食事、ご家庭のお手伝い(それこそ成績向上のためにも何かはするべきだと思います)にかける時間、お風呂に入ったり歯を磨いたりトイレに行ったりするときの効率的な時間のつかい方・・・など、きちんとできる延長線上に勉強の処理能力の高低が出てきます。
 
 すばやく動けるようになってください。ご自身のペースを他者から(のろいなどと)指摘されると、どなたでもすごく腹がたつものです。ですから、ご自身で意識なさるようにしてください。ここは「すばやく」やるべきかなと。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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