2017.12.16 01:01

 基本的に、生きることは選択の連続だと思います。あなたが何を選ぶのか。そしてまた1度選んだら金輪際変えられないというものでもありません。成長とともに選ぶ対象を変化させていけばいいだけの話です。
 私は自分自身がそうだったのでよくわかるのですが、成績がふるわない中学高校生は仮に勉強しているように見えても本心から勉強を選択しているとは言えないことが多いものです。だからだめという意味ではないですよ。
 
 うきうきと心から喜んでやっていない。うきうきと心からやっていないものに関しては、同じことをうきうきやっている人にはほぼ例外なく負けます。向かう姿勢が全然違う。
 いやいや将棋を勉強している人はプロ棋士にはなれないでしょう。走るのがいやでいやで仕方がなく走っているだけという人は陸上選手にはなれないでしょう。人前で歌を歌うのは恥ずかしいから大嫌いという人は歌手になれません。
 同じことなのですよ。
 
 学校でテストがあるから、受験があるから、そうしないと叱られるから・・・そんな理由では届かない深遠な世界があるということです。
 勉強を好きになる方法は人間の数だけあるでしょうが、食事にたとえればまず何といってもお腹をすかせる必要がある。満腹ではどんなご馳走も喉を通りません。それと同じです。
 そのためには生活を少し整理して落ち着いたものにする。用事だらけなら隙間を作る必要がある。
 
 私が「やらなくていいことはやらないほうがいい」と言うのはそのあたりの事情をさしています。そこまで娯楽に時間をつぎこまなくてもいい。そこまで友だちとべったりくっついていなくてもいい。勉強というのは隙間ができてはじめて、少し頑張ろうかなという気持ちになるものです。勉強する以前に、内省的にご自身のことをあれこれ考える時間も必要です。
 次にできるだけ「映像以外でも」学ぶようにしてください。映像教材は大変役立ちますから活用してください。ただ絶対に活字「だけ」から学ぶ時間も大切に。
 
 これは入試の実情と密接に連動します。本文に図などがないケースで、活字の文章内容を読み取れずに「勘違い」する生徒がすごく増えている。勉強に限らず生活全般で映像に頼りすぎるからだと思います。
 最後に、少しでも興味のある1教科を選んで何が何でも得意科目にしましょう。その教科だけは負けないというプライドを持つ。とにかくまず1教科に全力を尽くす。
 余計なことをセーブして時間を作る。活字からも学習する。得意科目を作る。そのへんからのスタートでうまくいきますよ。頑張ってください。
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2017.12.03 00:30

 2日連続でページビュー数が5千を超えていました。6千に限りなく近い日もあった。おそらく新しい何かの関係でブログにいらしてくださった方が増えたのだと思います。
 勉強法に関しては、右側の「長野先生からの応援メッセージ」をクリックなさってみてください。77回分「どうしたら勉強ができるようになるか」という記事を書いています。こちらは本当に勉強法だけに特化していて、居酒屋さんの話も音楽の話もありません。77回、勉強のお話のみです。
 
 何かしらご参考になるとは思います。よくできる先輩方の勉強方法をそっくりそのままご紹介したものですから、ぜひ真似してみてください。ぜんぶ真似する必要はありません。1つでも2つでもこれはやれそうだというものがあったら取り入れてみてください。やってみて自分には合わないなということであれば、別の方法を試してくださったらいいと思います。
 道はもちろん1つだけではありません。ただある種、共通項は出てくるものです。
 
 たとえば「繰り返す」「ていねいにやる」「音読する」「活字を読む」「つまらないことに大量の時間を浪費しない」・・・そうした事項はほぼ全員に共通していました。ですからあなたがどうしても繰り返したくないとか乱雑にやりたいとか声を出しては絶対に読みたくないとかいうことになると、成績を上げていくのは幾分難しいことになるかもしれません。
 スポーツ選手に例えれば、練習はしたくないけれども脚光を浴びる成績だけはあげたいと言っているのと似た感じになるからです。
 
 勉強法についてはそうやってまとめてしまったので、こちらのブログ本体は多少ゆるめな記事を書いています。大人の方からは酒場の話が参考になったとか将棋の話は面白かったとかお声をかけていただく機会がありました。
 私が心配しているのは、はじめていらした方が教育ブログだと思ったら全然違うじゃないかとがっかりされてしまうことです。右側の「長野先生からの・・・」の勉強法を実践なさってみてください。とてつもなく学力がついてくると思います。
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2017.11.19 01:07

 今月号の「将棋世界」誌にタイトル保持者同士の対談が載っていました。棋界では少数派である振飛車党の先生同士でしたのでちょっと興味があり、久しぶりに買ってみました。非常に興味深いことが語られていた中でとりわけ驚いたのは、両先生とも研究するときの心構えの質問に対し、ほぼ1手目から考えていると答えていた部分でした。厳密に書くと3手目前後からということになるのかな。とにかくそんなところから「何かないか」と研究されているそうです。
 
 これは非常に驚くべきことでーー将棋には長いあいだに蓄積されてきた定跡手順というものがあり、弱いアマチュアの私でさえはじめから20手ぐらいまではほとんど何も考えずに駒組を進めることができます。それでも絶対に悪くはならないのですが、それは定跡というものがそれだけの重みを持っているからです。
 コンピュータの進化でいままでの定跡に疑問点が・・・ということはときどき話題になりますが、部分部分の問題であって根本的に定跡が否定されたわけではありません。
 
 ですから、一般的には研究するのであれば中盤近くからということになるでしょう。駒と駒がぶつかり合う少し手前ぐらいから研究する。プロアマ問わずそういう発想が大多数ではないかと思います。
 それを初手から研究しているタイトルホルダーがいらっしゃるというので本当に驚いた。驚いたと同時に、野球の広岡監督の昔のお話を思い出しました。あまり成績のよくなかった時代の西武ライオンズの監督になられた広岡さんは、絨毯の上をころがした野球ボールを素手で選手たちに受けさせたと自著に書いていらっしゃいました。
 
 これには選手もさすがにむっとします。プロ相手にこんなことをやらせるのはいったい何のためかという質問が出ます。監督の答は「素手のどこで確実にボールをつかんでいるのかじっくり味わってほしい」というものでした。どの部分がどう動くと確実さが増すのかということを改めて体感してもらおうと考えていた。
 その後、広岡監督のもとで西武ライオンズは日本一になり常勝軍団とまで呼ばれるようになるわけですが、将棋で言えばこれは1手目からの基本を重視したということでしょう。
 
 タイトルを持っている棋士や日本一の野球チームが最初の最初から、とにかく注意深く真摯な態度で取り組んでいる。そうさせるのは勝ち負けを超えた将棋や野球そのものへの畏怖の心ではないかという気がします。
 ひるがえって私たちはどうか。仕事や勉強に対して(やりゃあいいんだろ)程度の気持ちで向かってしまっているのではないか。偏差値を手っ取り早く上げたいではなく、初手から考えこむようにあるいは絨毯の上をころがってくるボールを素手で受け止めるように真剣に向き合っているかどうか。
 
 ときどき「だいたいやりました」「いちおう終わらせました」という生徒がいます。全然やっていないよりははるかにいいでしょう。しかし1手目から真剣に研究(勉強)する人に評価させたら、ずいぶんいい加減に見えるかもしれません。
 超一流と呼ばれる人たちになかなか届かないのは、そのあたりの心構えにいちばん原因がありそうです。
 
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2017.10.24 09:03

 先生方があれこれ生徒のことを話されているのを聞いていると勉強になります。私もだいたいのことはわかってはいるのですが、やっぱりそうか・・・と自身の認識を改めて補強してくださる話がしばしば出てきます。
 先日、私が担当したことのない女子生徒のことが話題になっていました。すごくできる子なのですが、先生同士の会話で「だってあの子は大人だから」という話題が出てきました。ある先生がこうおっしゃった。
 
 今年の夏休みも50冊読んだと言っていましたよ。
 その生徒のこれまでの言動から考えて、けっしてはったりの類ではないと思います。ひょっとするとひかえめな数字かもしれない。同時に私も年間400冊以上読み続けてきたという生徒を知っていますから、休み中であればむりなことではないと思います。
 夏休みに50冊読むような生活を送っている。彼女だって部活はなさっているでしょうし、学校の宿題、塾の講習、いろいろなことがあった。
 
 それでも自ら50冊を読む。そこに知への渇望というか、教養への欲求というか、頭のなかで物事をふくらませることの喜びというか、そうしたものがある。それに時間を費やすことをまったくいとわない。
 会話だけでは人間そうは大人になれないものです。とくに同世代との会話。もちろん友だちとの会話は大切であり、楽しめるだけ楽しんでいいですよ。ただお互いに熟知した言葉をやりとりしているだけでは、大人の階段をのぼっていることにはなりません。
 
 少年少女期には未知の言葉や表現、概念との出会いが必要であり、それはやはり会話ではなく活字からということになるでしょう。
 今週私が担当した小6のあるクラスの教材にたとえば「想像すらできない」という表現が出てきました。こういうのは話すときは「想像できないよ!」と熱意をこめて伝えればすんでしまいます。熱意をこめて表現できない活字だからこそ「すら」をつけて強めた。こういうことに気づけるかどうかという話をした。それが大きいのです。
 
 読まないことにははじまらないというお話は何度も何度も繰り返しています。それでも読まない自由はもちろんどなたにもあります。ただ勉強ができるようになりたい、国語ができるようになりたい、いい作文が書けるようになりたいということであれば、大前提はまず読むことです。まったく読まずに大人の観念を身につけ優等生になり、国語も作文も大得意という生徒を私は知りませんが、そのあたりは個々人が判断してくださったらいいと思います。
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2017.10.22 00:42

 教科書より少しだけ文章が難しくなると「古文が全然わからない」という人がいます。相手によってアドヴァイスは変えますが、古文がわからないと言う人はだいたいにおいて国語の力が弱い傾向が強い。ですから、もちろん現代文でいいですから日ごろからとにかく文章を読みなさいということになります。日ごろから文章を読んでいないと、展開についてのある種の勘が養われません。文章を読み慣れている人は、無意識のうちに先の展開を予想しているものです。こうくるなという予知能力(?)がついてくる。それは古文でも現代文でも同じです。
 
 一般的に詳しい古典文法はふつうの公立中学では習いません。先生によっては面白がってお話してくださることがあるみたいなのですが、定期試験には出てこないので皆さんあまり真剣に聞いていない。ましてや自分のものにしていない。
 そういう状況下で古文をわかるようにしたいということであれば、まず古文そのものを音読することが大切です。繰り返し音読する。そのうえで現代語訳と「ご自身で」ていねいに見比べてみてください。舐めるように一字一句を見比べる。
 
 たとえばこういうところ。昨日私は授業でやりました。「朗夜のけしきいふばかりなし」とありました。現代語訳を見てみます。「気持ちよく晴れた夜の様子はとてもすばらしいものであった」と書いてある。
 何か感じませんか? 「いふばかりなし」を直訳したらどう考えても「とてもすばらしいものであった」になるわけがないですね。するとなるほどこういうところは夜の雰囲気のよさを表現するわけなので、大胆に「すばらしい」と訳してしまってもいいのだな・・・とわかってきます。
 
 こういう経験を1つずつ重ねていくとかなりわかってきます。単語なんかもそうして気づくことが多々あります。へええ、つれづれなりというのは退屈という意味なのか。するとつれづれぐさというのは・・・退屈で書いたという側面もあったのかもしれないなという広がりが出てくるでしょう。
 こうした地道な作業をいやがってはいけません。しばらくはこんな感じで慣れていく。高校に入ったらさらに緻密に単語に分けて考えていく必要が出てきます。ただとりあえずは高校入試が目標です。極端に緻密にやろうというのはーー時間があればいいのですがーーもう少し先でも大丈夫は大丈夫です。
 
 慣れてくると同じ10分間かけるのであれば、現代文より古文のほうが得点を稼げるとおっしゃっていた優等生がけっこういました。訳せなくても点はとれるようになってくる。頭からだめだと決めてかからないことが大切ですね。
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2017.09.24 00:55

 読み解く力が衰えてきているのは、あまりにも紙で読む体験が少ないからでしょう。紙で読むのと画面で読むのとでは何かが違う。ただ、それが何であるかということはこの先なかなかはっきりしないでしょうね。ただーーこの話は完全にタブー視されていますがーー1970年代後半、高層階に住む子どもと低層階に住む子どもとでは情緒の発達に差が生じると言われていたのと同じような微妙な差異が確実に存在しているのではないかと私は考えています。
 そして、もちろん紙「も」読んだほうがいい。試験もとりあえず紙ですからね。
 
 昨日の新聞に国立情報学研究所の新井紀子先生の調査結果がまたまた掲載されていました。新井先生の調査については以前から講演会などでお話させていただくことがありました。今回は公立私立中高生2万1000人を調査されたそうなので、これはもうある意味で結論みたいなものかもしれません。
 やはり教科書すら読めていない。教科書が読めていなければ問題集も参考書も何も理解できないですよ。中学1年生2年生は35%ぐらいが正確に読めていない。中学3年生でさえ25%がきちんと読めていないそうです。
 
 図表を文章からイメージする問題にいたっては中3の平均正答率が3割台(!)でした。理科や数学の先生が「国語力がないので問題内容を勘違いしている子が多い」と嘆いていらっしゃるのもむりはないなと感じました。
 読めるようになりたいというのであれば、とにかく紙でたくさん読めとしかアドヴァイスしようがありません。「量を読んで体験を積み重ね質を高めなさい」以外に何が言えるでしょう。ところがご本人はわかっていない。「効率よく」やることだけを求めてきます。受験学年にちょこちょこっと問題集でもやれば読解力はあがるだろうぐらいに考えている。
 
 さらに非常に重い結果も出ていました。高校生になると1年生も3年生も読解力は変わらないそうです。高1から高3で、たったの3%しか変動しない。「高校で読解力の向上が見られないことから、中学3年までに読解力を養うことが急務」という新井先生の言葉が引用されていました。
 私は中3ではもう遅いと生徒たちには話しています。中3(あるいは高校)からという方のためには特別な方法がないことはない(相談されたら個人的にアドヴァイスしています)のですが、中1中2生には中3になったら本当に大変だからできるだけいまのうちにたくさん読めと言っています。
 
 いまの子はいろいろなことができますが、だいたいは機器に頼り反応の速度やテクニックで器用に乗り切っている印象が強い。そのことを悪いとは言いませんが、自宅の住所や郵便番号が曖昧だったり、暗記している電話番号が1つしかなかったり、どうせわからないからと地図は見ずに音声だけで場所を調べたりしている様子を見ていると、本当に大丈夫なのか? という気持ちになることはあります。昔はそんな子どもは周囲にいませんでした。私なんか小学生のときには40以上の電話番号(いたずら電話先も含めて)を暗記していましたよ。ときどきノートで確認して楽しんでいたので間違いありません。
 
 反応速度ではなく、じっくり読んで理解し隠された意味を発見するという力は実際に読み進めていく流れの中だけで熟成してくるものです。1日15分間の活字読み(読書とはあえて限定しません)の習慣を、本当に大切にしてほしいと思います。
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2017.09.17 00:38

 たまには勉強の話題にしますかね。何度か書いていますが勉強方法に関しては、ブログの右端「長野先生からの応援メッセージ」に77回分記事があります。すべて勉強関係のお話だけですので、ご参考になさってください。
 何を書いてもその77回のどれかの繰り返しになってしまうので、最近は意識的にあまり勉強の話題を取り上げていませんでした。ただ最近つくづく感じていることもあるので、そのあたり触れてみます。
 
 私たちは何かを読んでいるとき、全部の言葉の意味を熟知しているわけではありません。それはどの状況下でも、です。読書をしているときも新聞や説明書を読んでいるときも問題文を読んでいるときも、全単語について熟知しているというのはむしろ珍しい現象だと思います。
 そうなってくると未知の言葉(単語だけではなく慣用表現、言い回しなども含めて)に対する類推力みたいなものがすごく大切になってきます。そもそも調べてさえわからないことだってあるのですよ。
 
 そのとき、こういう感じじゃないかな・・・と類推できるかどうか。経験の差が如実にあらわれてきますね。経験というのは何をどれだけ読んできたかということです。経験が乏しいとまったく類推できません。そのうえ、調べても調べてもピンとこなかったりする。
 例をあげましょうか。「魑魅魍魎が跋扈する」という表現があります。中学生の方、読めますか? 「ちみもうりょうがばっこする」と読みます。文脈の中にぽんと出てくる。たくさん読んでいる方なら中学生でもだいたいの想像はつくでしょう。
 
 想像というのはこういう感じです。あまりよくないことがたくさん起きているな・・・ぐらいはわかる。1文ではもちろんわかりませんが、慣れている方にとっては文脈の中でつかむのはそう難しいことではないでしょう。
 それこそ辞書だけを調べたって的確にはつかめません。魑魅魍魎は辞書をひけばおそらく「お化け」という意味が出てくると思います。跋扈は「悪が勢力を増す」ぐらいでしょうか。しかし、「魑魅魍魎が跋扈する」という記事の中にはお化けと関係する内容はまったく入ってこないはずです。つまり比喩なのです。
 
 そういう類推をどんどん働かさないとスピーディーに読めません。文章を理解する条件の中にはすばやく読めるという要素も入ってきますから、類推できない人はつっかえつっかえで抵抗感ばかり増してきます。それでますます読まない→いつまでたっても類推力がつかないという悪循環が生じてくる。
 結論としては同じことの繰り返しになりますが、量を読んで慣れるしかない。読解力をつけるためには、教材がどうのこうの塾がどうのこうの以前に「読むしかない」のだという覚悟を決めてください。
 
 知らない言葉でさえどれだけわかるかということが、高度な読解力がある/ないの分かれ目になってきます。そのためには読むしかないということです。
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2017.09.08 04:39

 いわゆるⅡ期の授業が今週の日曜日からはじまっています。中1のクラスで改めてーー私は同じことを繰り返し話していますーー3つ、これだけは守ってほしいと板書しました。できれば写しなさいとも言いました。たった3つでも「あれ? もう1つ何だっけ?」と忘れてしまうものなのですよ。
 まず、毎日15分以上活字を読む。これは紙で読んだほうがいい。いまのところテスト類は基本的にすべて紙ですから、紙で読む。条件を揃えます。
 
 つぎは、ていねいに書く。走り書きのメモであれば雑に書いてもさしつかえないですが、ノートやプリント類などは、とにかくていねいに書く。上手でなくてもいいのです。上手下手の問題ではなく、「ていねいにやろうという心」が大切なのです。のろのろ書いてもいいという意味ではありません。ていねいに、すばやく書けるように自分を鍛えていこうということです。
 そういう意識を持って、全教科全場面でていねいにていねいに書く。
 
 3つ目が解き直しです。1度やったものを解き直す。とくにミスしたものですね。ミスは消しゴムで消さずに(ていねいには書かれているはずです)残しておく。そして解き直してどこがどう変わったか確認してください。
 テストはもちろん解き直しますが、テスト以外のふだんの勉強でもミスしたもの、うんと時間をかけなければできなかったものは必ず解き直してみることです。
 これを復習と呼ぶのですが、一般的には復習というとやったことをざっと見るだけ(解き直しの作業はしない)という人がたくさんいますね。それではいけません。
 
 この3つをやらなければ、何をやってもうまくいかないよと言いました。ですから、現在不調である方はこの3つのうちの何かが欠けているのではないかと思います。活字を読んでいないか、雑に書いているか、解き直していないか。場合によっては3つともやっていないという方もいらっしゃるかもしれません。
 通信をやっているとか塾に通っているとか、それは非常にいいことなのですが、勉強習慣を大事にしないとなかなか点数が上がらないのは事実です。
 
 この3つを柱に頑張ってみてください。
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2017.09.01 00:09

 たとえば健康になりたいという人がいたとしますね。現在は可もなく不可もない。ただし漠然と健康でありたいと考えている。私は健康でいられるでしょうかと質問されたら、何と答えますか。
 どうしたってその人のふだんの生活ぶりを知らなければ答えようがないですね。そこでこんなことを質問してみるのではないかと思います。
 タバコは吸いますか。暴飲暴食をしますか。睡眠時間が不規則ということはないですか。まったく運動はしていないですか。心配事はありますか。
 
 5つともノーであれば、まずまず健康になれるんじゃないですか・・・ぐらいは言ってあげられると思います。逆だったら? タバコは吸うし暴飲暴食するし睡眠時間はまちまちだし運動は一切しないし心配ばかりしているということになってくると、現在は自覚症状がなくてもこの先ちょっと心配です。
 人間、誰しもそういうことがじつはわかっています。わかっているのにーーたとえば軽く心臓を病んでいる知人ですがーーいまでもこっそりタバコを吸ったりするそうです。医者に「自殺行為ですよ」と止められているのに少しだけこっそり吸う。
 
 そういう不思議なところが人間にはありますね。
 私は先日連載を終えた勉強法のコラムに同じようなテスト問題をあげてみました。こちらは健康になれるかではなく、成績優秀になれるかどうかのテスト問題です。ちょっと流用してみます。
 英語の音読を繰り返ししていますか。毎日15分以上活字を読んでいますか。ノートの文字は丁寧ですか。問題の解き直しはしていますか。スマホやゲーム機はルールを決めて使用していますか。この場合、5つとも「はい」でなければ成績は上がりません。
 
 この前やったよではだめなのです。それは7月は禁煙したよとか休みの日はたっぷり寝たよというのと同じで意味がありません。習慣化されているかどうかが大切なので、前回の英語の勉強時にどうだったか、いま書き終わったばかりのノートの文字がどうなのか、今日のスマホの管理はどうなっているのかということが問題です。
 そしてまた、勉強できるようになりたいとおっしゃりながらこうしたことは全然守れないというのも人間の不思議なところではあります。
 
 こっそりタバコを吸っている知人は、社会的には尊敬されている人間です。自室でこっそり明け方近くまでゲームをやっている中学生も、学校では後輩たちにおおいに認められているかもしれません。ですから人間全体をどうこう決めつける気持ちはまったくありません。
 ただそんなことをしていると、勉強がめきめきできるようにはならないというのも事実です。塾が先生が問題集が・・・といろいろな人間がいろいろなことを言いますが、まず先の5つをすべて「はい」にしてみてください。ここまでシンプルに道を示されることは珍しいかもしれません。あとはやるかやらないかだけですね。
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2017.08.17 00:43

 夏期講習中3のクラスである文学作品を紹介しました。これこれこういう文庫本に入っている、さすがにこの夏は忙しいだろうからいずれ時間ができたら読んでごらんよと言った。翌日、1人の生徒が「きのうの帰りに買って読みました」と文庫本を持ってきてくださった。
 と同時に、昔もこういう生徒がいたなと思い出しました。講習の猛烈に忙しいさなか、紹介した文庫本を紹介した当日に読んでしまった受験生。
 
 彼らのクラスは20人ぐらいですかね。読んでくれたのが1人だとしても5%ということになります。5%ぐらいの仲間はこうしたことを日々当然のようにしています。彼(今年の生徒)は作文関係でもいろいろ結果を残しているのですが、蓄積がある以上当然でしょう。大量の文章の蓄積があってはじめてきちんとした文章が書けるようになります。
 
 先日は太宰治の文庫本が忘れ物で残っていました。中1生のものでした。
 忘れ物は翌日さっと受け取れるように受付カウンターに並べておきます。するとその文庫本を見て「私もこれ読んでいる」あるいは「自分も昔これを読んだ」と告げてきた生徒が複数いました。中学時代、太宰治の文芸作品に親しんでいる同年代がそれだけいる。それは5%どころではないでしょう。きっかけはそれぞれでしょうが、読む人は読んでいます。
 
 ある中1生は芥川龍之介の「羅生門」の解釈についてこういう考え方はないだろうか? と質問に来ました。なかなか鋭い指摘で、私は「よくはわからない」(芥川ではないので)が、きみの解釈は正しいように思えると伝えました。
 こういう12、13歳がいる。楽しむだけではなく、こうも考えられないだろうかと自分なりの考察を加えている。それこそ将来教科書で「羅生門」が出てきたときには相当深く理解できるでしょうし、テストでももちろんいい点数をとるでしょう。
 
 教科書問題集以外の「古典」(単純な古文漢文という意味ではありません)を純粋な知的好奇心から読んでいる。だからーーあくまでも結果的にーーテスト程度なら軽くできてしまう。できるようになるためにそうしているのではなく、彼らは成長過程で文学だとか哲学だとか詩だとか活字表現だとかを必要としているのです。そういう生き方を選択しはじめた。ある文豪は「読書しないですむのは、その人間が真剣に人生を考えていない証拠である」という言葉を残しています。友人家族では簡単に答えが出てこないような人生の深淵さに真剣に立ち向かっていない証拠だというのです。
 
 あなたが生や死や愛や憎しみや人間の美醜や人生の不思議さにある種の困惑と戦慄を覚えたとき、同世代の近しい友人の言葉だけでは絶対に満足できない何かを感じるはずです。そのとき何かしらヒントを見つけ出せそうなものは、人類の叡智が詰まった先人の言葉以外にないのではないか。そうした真剣な生きざまに、そろそろ踏みこみはじめた仲間が出てきているということです。「どうしたら勉強が短期間ですごくできるようになりますか?」といった小手先のやりくりだけではどうにもならないということがわかりますか。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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