2019.01.08 08:11

 お正月、バスや電車のなかで塾通いらしい小学生をたくさん見ました。厳密にはわかりませんが、持ち物などから想像してまあそうでしょう。大きなリュックとお弁当が入っているような小さなバッグを持たれている方が多かった。
 塾によってはかなり拘束時間が長い。お弁当以外にもお菓子がほしくなるかもしれません。私はチョコレートがいちばん効果的なお菓子ではないかと考えています。チョコレートはもともと薬だったという話を聞いたことがあります。
 
 バスのシートに座って大人の新聞を読んでいる小学生を目撃しました。大人の新聞と言っても、丸ごとではなくいくつかに分けられていました。記事を選択したのですね。新聞紙を広げて半分に切り、それを2回たたんで透明なクリアファイルに入れてありました。じろじろ見てはいませんが、ぜんぶで5、6種類あったように思います。ひょっとすると記事を選択したのはおうちの方かもしれません。
 それをかなり熱心に読んでいた。裏を見たり表を見たり、結局目的ではない記事も読んでしまったのでしょう。
 
 いかにも優秀な感じの小学生でしたが、大人の新聞などを読んでいるのでそう見えてしまうのかもしれません。かたや仲間とゲームに興じている小学生たちも見ました。電車のなかで「よっしゃー!」とうれしそうに片腕をあげたりしている。
 こういうのはもう個人生活の選択の問題であり、どちらが偉いどちらがだめということはないですね。人間的にどうのこうのはない。ただたとえば国語のテストの点数ということになれば、歴然と差が開いてしまうのではないかと思います。
 
 新聞を読んでいる習慣が小中学生の成績に影響しているという結果はいろいろなところで発表されています(私も以前そんな記事を書いたことがありました)。だから何? という考え方ももちろんあっていいのですが、読解力を高めるためにわらにもすがりたいという状態なのであれば、せめてバスの中の小学生ぐらいの努力はしないといけないと思います。読んだって点数は上がらなかったとおっしゃる方は、決まって「だからいまはまったく読んでいません」と話が続きます。
 
 即効性はないのですよ。そんな方法があれば、受験生は入試の直前だけ勉強すればいいということになってしまいます。それではだめなのであって、何ヶ月も何年も恒常的に読み続ける必要があるのです。その生活を「あたりまえ」にする。中断しないということも、また大切な要素です。
 そう言えば、お正月の新聞に将棋の藤井七段のインタビュー記事が出ていました。非常に面白かった。面白いというより、感心しました。それこそ記事はとってあります。いずれブログに書いてみましょうかね。
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2019.01.04 06:43

 今日は国語のお話です。
 
 繰り返し書いてきたことですが、それぞれの言葉には膨大な意味がこめられています。こめられているというより、使用されていく過程で意味の豊かさをおのずから獲得していったということなのでしょう。少しずつ少しずつふくらんできて、つねに「ゆらぎ」も生じている。そのふくらみやゆらぎを的確にとらえるためには、人間のほうのふくらみもまた必要になってきます。
 言葉ばっかりふくらんで、人間のほうに豊かさがないとどうなるか。せいぜい辞書でひいた最小単位の意味内容だけですべてを処理しようとするでしょう。
 
 たとえば「律儀」という単語があります。これはつい最近授業で出てきました。あの人は律儀な人だ。表面的な意味はあの人は・・・まあ、きちんとした真面目な人だぐらいでしょうか。するとそこにはネガティヴな要素はなさそうです。ところが実生活ではそうではありません。「おまえも律儀だなあ」と笑われたりする。
 その笑いの真意がわかるまで人間のほうもふくらんでいかないといけないのですが、現代っ子(死語?)はなかなかそのあたりを理解してくれません。
 
 そして、読解力はどうしたらつきますかと特効薬を求めてきます。
 要するにいままでその人が言葉にどれだけ親しんだか、あるいは格闘したか苦渋したか使用したかということです。律儀という用語に1度しか出会ったことのない人より5回出会った人のほうが理解が深い。しかし5回会った人より20回会った人はもっともっと深い理解を持っています。
 そうしてはじめて「あいつは変に律儀なところがあるからなあ」とにやりとできたりする。あるいはそうやって他者の示唆するところをたちどころに理解できる。
 
 言葉が豊かになる道筋は、話を聞くか文章を読むしかありません。そして小中学生(高校生もそうですかね)同士の会話にぽんぽん「律儀」という単語が出てくるわけがない。ということは、読む以外に出会う機会がないということです。
 それはもちろん「律儀」だけではない。「アイデンティティ」とか「コンテクスト」とか「概括的」とか「おどろおどろしい」とか「玉石混交」とか・・・すべてそうです。あなたがそれらの言葉と活字で遭遇した回数の総和が読解力の差になってきます。言語生活の総体の勝負なのですから、特効薬はないものと心して努力してください。
 
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2019.01.03 06:03

 先日、首都圏(埼玉県)のあるデパートで食事をしました。めったに行くところではないので、わざと最上階のレストラン街に行ってみた。時間の関係もあり、がらがらでした。地方都市のデパートが苦戦しているという新聞記事を何度も読んだことがありますが、ひょっとするとお昼どきにもあまりお客さんはいらっしゃらないのかもしれません。
 いくつか開いていたお店のうち、ちょっと格調が高そうな和食の店に入りました。せっかくなので、何とか御膳という高めの料理を頼んでみました。
 
 御膳というぐらいですから、いろいろなものが一緒になって出てきます。刺身と天麩羅に蒲焼までついてきた。それぞれの量は、もちろん少なめでしたが。
 ただこれがあまりおいしくないというか何というか・・・天麩羅も蒲焼も作りおきなのでしょうね。冷めています。刺身もまぐろなのですが、やっぱり作りおいているからでしょう。水分が抜けて若干ばさばさしていました。
 私はいわゆるグルメ通みたいな人間ではないので、文句はないのですよ。残さずにいただきました。
 
 そのお店はいくつも支店がある有名店で、当然きちんとした料理人はいらっしゃると思うのですが、要するに心がこもっていないのですね。所詮、デパートの買い物客相手だという意識もあるのかもしれません。お子さんだって多いでしょうから、あまり凝ったことをしても逆にむなしい感じになるときもあるのかもしれません。
 それでも、あえて変革を試みようとされる方がいらっしゃらないのはちょっと残念にも思いました。お客さんの少ない時間帯だけでも少し工夫(刺身を注文後に切り分ける程度の)して提供したらどうかぐらいの発想が出てこない倦怠感はどうなのかなと思います。
 
 私は単純にこの料理屋さんに文句が言いたくて書いているわけではないのですよ。あなたの勉強はどうですか? ということにちょっと気づいてほしいと思って書きました。腕のいい料理人でも倦怠感の中でルーティーン消化だけの調理をしていると凡作ができてしまう。あなたがいくら頭がよくても、ああ今日も勉強か・・・みたいなどんよりした気持ちでルーティーン消化だけの「作業」を続けていると思いのほか伸びないということも十分考えられます。
 
 心をこめてという表現がありますが、心をこめたらどこをどう変えたいかというところまで必ず見えてくるものです。そしてまた作業中は、ご自身の心はどこに位置しているかということをたえず意識しながらやってみてください。
 年も変わりました。今年はそんな感じで、大切なことに取り組んでみたらいかがでしょうか。
 
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2018.12.04 09:32

 あたりまえのことですが、文章というのは単語で構築されていますね。最小単位が「単語」です。「そして博物館に行きました」という文章、6つの単語でできています。で、ふつうの中学生であれば博物館に行ったのは過去のことだなということがわかる。「ました」となっているからです。
 文章を書いているほうは当然伝わっていると信じて話をどんどん進めていくでしょう。ところが日本語を習いはじめた外国人の方ならどうか。
 
 博物館に行く事実はわかっても、ひょっとすると「ました」の部分はまだあいまいになっているかもしれません。いまから行くのか過去の話なのか、ちょっとごちゃごちゃになってしまう可能性もあります。するとそのあとの部分も当然理解できる要素が低下してきますね。
 こうしたことが私たちのあいだでは頻繁に起きています。そこに差が、読解力の優れている人とそうでもない人の差が出てくるのです。
 最近、あちらこちらで目にする「遺憾」などという言葉もそうです。
 
 非常に幅の広い意味を持っている。辞書にはそこまでくわしく載っていないかもしれませんが、使うシーンによって意味の振れ幅が非常に大きい。日本語の単語というのはすべてそうです。その振れ幅のどこからどこまでを獲得できているか。
 長文で使われているすべての単語の振れ幅を正確にとれればとれるほど読解力は増すことになり、辞書的な通りいっぺんの意味しか知らなければ大変浅い理解になってしまう。書いている人間の「遺憾」と、読んでいる人間の「遺憾」は全然違う可能性があるということです。
 
 類推が逆に出ることもありますね。「せわしない」という言葉。「せわしい」の打消しではないですね。ないがついているからといって打消しとは限らない。「適当に」ということば。まったく逆の意味になることもあります。ちょうどいい感じともとれるし、いい加減にやったともとれる。そのあたりは前後の文章から読み取る必要が出てきます。
 全文章の全単語の振れ幅を豊かにするためにはどうしたらよいですか。読む「しか」ない。量をこなして同じ単語に何度も何度も正面からぶつかるしかない。
 
 話し言葉で小中学生の方が「遺憾」とか「概念」とか「アイデンティティ」とか「形而下」とか・・・使うとはちょっと考えられません。大人と話したって向こうも気を遣ってわかりやすい言葉を出してくるに決まっています。ですから容赦なくそうした言葉を浴びるためには読む「しか」方法はないということがわかりますか?
 読書と国語力とは関係がないという先生もいらっしゃり、必ずしも否定するものではありません。ただ私の知っている限り、すごく国語が得意だという生徒は例外なく大量に読み考えています。
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2018.11.21 09:31

 大学入学共通テストのことがいろいろ話題になっていますが、あのテストを受ける可能性がある方(主に高校1年生以下の方ということになるのでしょうが)は、要するにこう考えてください。
 人間として、あたりまえのことがあたりまえに処理できるようになってくれば大丈夫です。教科のことはそれぞれの先生から指示があるでしょうから、そのことは省略します。強調したいのは「生活者」として優秀な大人になってほしいということです。
 
 難しく考える必要はありません。生活者としての勝者が圧倒的に有利になってくるはずです。自分自身で考える力、処理能力、自身を管理する姿勢、落ち着いて読み取る習慣・・・そうしたものは教科の勉強だけではないことに気づいてください。
 たとえば忘れ物ばかりする。あるいは配付されたものをすぐになくしてしまう。あるいは掲示された指示をきちんと読み取れない。あるいはわからないことを適切な相手に質問できない。
 そうしたことはすべて好ましくありません。あたりまえではないからです。
 
 いい学校や塾に通うとか、難しい参考書に取り組むとかはそのあとに出てくることで、生活能力が劣化していれば何をやっても苦戦してしまいます。
 いわゆる「だらしない」という言葉がありますが、だらしなさを自覚して少しでも直していくということです。これはご両親や先生にちょっとやそっと注意されたぐらいでは直りません。どんなにだらしない人だって、いままで「しっかりしなさい」「自分でやりなさい」ぐらいは言われてきたはずです。しかし直らない。ご本人が直さなくてもいいやとどこかで考えているからです。
 
 たとえばこの私ーーだらしない人間の代表としてこういうことがありましたーー高校時代、昔の先生は厳しかったですからね。私がプリントをなくしたので再度もらいにいったところ「一度配ったものをなくしたのだからもうやらない」と言われました。「必要ならぜんぶ友だちに写させてもらえ」さらに「手書きで写せ。安易にコピーをとることは禁じる」ともつけ加えられました。
 そんなことがあって、その後はいくらだらしなくてもその教科のプリントだけはなくさなくなりました。直るのですよ。
 
 結局、時代が便利になりすぎて個々が訓練されていないのです。道順がわからなくても交番に行ったり駅員さんに質問したりする必要がない。食べたいものを組み合わせなくてもはじめからセットで出てくる。図書館に行って読んだり調べたりしなくても検索一発で答が出てくる。
 そういう世の中で質問できない、食べたいものが説明できない、読み方も調べ方もわからない・・・あたりまえのことができない人が大量に出てきてしまいました。
 
 とりあえずは、生活者として勝者をめざしてくださればいいのだと覚えておいてください。まず片づけましょう。整理整頓です。物の管理をしっかりしましょう。計画をたてましょう。おうちのお手伝いもきちんとしましょう。自分のことを友だちに決めさせないようにしてください。本当に大切なものを見極める努力。そして考える力を開発するためにたくさん読んでください。それが生活勝者への道です。
 そのうえで教科のことは(宣伝になってしまいますが)Z会にお任せくだされば完璧です。心配しすぎないことですよ。
 
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2018.11.01 09:07

 何事にも向き不向きというものがあり、勉強についてもそういう要素はあります。残酷なようですが、何の道でも「きらい」という人は向いていません。お稽古事や部活動で考えればよくわかる話で、たとえばサッカー大きらいと言いながらサッカー部に入ってきたり、ダンスは大きらいと言いながらダンススクールに通いたがる人がいたら、周囲は「いったい何を考えているのだろう?」と疑問を持つと思います。
 新入生が「先輩、ぼくは野球は大きらいなんですけど、どうやったら3割打者になれますか?」と質問してきたら、先輩は怒ると思いますよ。
 
 同じように勉強が大きらいだけれども試験だけ受かりたいとか、大きらいな勉強でトップになる方法はないものかとか、前提自体にむりがあるのです。大きらいなものはなかなか得意にはなりません。ですから、勉強が大きらいと表明している時点で勉強に向かないと宣言しているようなものです。
 こういう部分をもっともっと考えなくてはいけない。不向きであれば不向きであるなりに別の方向で生きていくことができる。大好きなことは逆に向いている可能性があるわけですから。
 
 勉強ぎらいの人がどうしても勉強できるようになりたいということであれば、根本的な部分で勉強に対する見方を改めていく必要があります。その際、全教科に向かっていくのは大変ですから、とにかく1教科だけ(この科目なら苦痛ではない)という教科を見つけてしばらく真面目に取り組んでみることです。
 真面目にというのは、学校や塾で授業をしっかり聞く。予習復習は必ずやる。先生が板書したこと以外でも面白いなと感じた部分のメモをとる・・・というようなことを続けてみてください。好きな科目ではなく好きな先生の科目でもけっこうです。
 
 黙ってじっと机に向かっていられないという人も本当は勉強に向いているとは言いがたいものがあります。画家がカンバスに向かって絵を描きながらじっとしていられないなどということがありえないのと同じことです。
 ですから読書習慣のある人は、いざ勉強をはじめたときに「じっと座っていられる」というだけで大きく有利です。読書そのものが有利に働く面もありますが、環境的に勉強と読書は親和性が高いのです。
 
 人間、好きなことができるのがいちばん幸せですが、全教科が好きなこととはまったく関係ないというケースもまた珍しいものです。まず1教科だけ・・・頑張ってみませんか。
 
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2018.10.19 08:50

 先週の新聞に、ビリギャル(という感じで呼ばれている方は複数いらっしゃいますか?)的な存在だった女性のインタビュー記事が掲載されていました。中学高校時代最低の成績だったのに、大学はすごいところに合格された。
 本当にできなかったとおっしゃっていました。偏差値30台の世界ですね。それが最後は70台まで上がっていった。
 しかしビリギャルという刺激的なネーミングのせいで、うっかり見落とされてしまいそうな要素もありました。
 
 イメージとして、劣等生が一夜にして優等生というスターになったみたいな印象を与えてしまいますが、ご本人は本当に努力したといいます。本当の努力というのは、あなたならどれぐらいのものを想像しますか?
 学校で集中して勉強する、さらに自分で参考書や問題集を勉強する、通信添削を利用する、塾に通う・・・いろいろなレベルがあるでしょうが、その方の場合何と「1日に15時間勉強した」と書かれていました。
 
 いいですか。15時間ですよ。15時間も勉強した。仮に学校に7時間滞在する(ただ学校では勉強だけしているわけではありません)として、帰ってきてから毎日8時間勉強している人がどれだけいらっしゃるでしょう。睡眠時間を6時間確保したらもうほとんど何もできないですよ。
 要するに生活をほとんど勉強にあてたということです。そんなにやっていれば「ビリギャル」という呼称があろうがなかろうが、成績は必ず上がっていくはずです。じつは不思議でも劇的でも何でもない話なのです。
 
 もう1度繰り返します。勉強はあくまでも作業であり、作業を1日のうちに15時間やればどなたでも必ずできるようになる。ビリギャルさんとまったく同じように上がっていかないのは、毎日15時間はやっていないだけであってそれ以上でもそれ以下でもないですね(私は、全員がそうあるべきだと言っているわけではないですよ)。
 昔、医学部に進んだある生徒から、受験前の半年ぐらいは食事しているあいだもずーっと受験関係の本を見ていたので、純粋な食事時間がなかったという話を聞いたことがあります。
 
 簡潔に書けばものすごい「努力の人」にすぎません。ただそれだと世間的にウケない。だからいろいろ刺激的なタイトルをつけるわけですが、本質の部分は見損なわないようにしないといけませんね。
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2018.09.12 07:57

 読解力をつけるための唯一の方法ということで活字を読みますね。ただ「面倒臭いなあ・・・読めばいいんだろ、読めば」というような姿勢では手間はかかっても、肝心の読解力はつかないと思います。読むときには、小さな感想を持ちながら読んでください。大きく主題をつかむことはもちろん大切ですが、それ以前にこまめな感想を持ちこむことが読む行為の過程で欠かせない要素だということです。
 たとえばビタミンという単語が出てきたとしますね。ビタミン不足でどうのこうのと書かれている。
 
 そのときはいい加減に読み飛ばしてしまってはだめなのであって、すぐに自分のこととして考えてみる。自分はビタミン不足ではないだろうか。そもそもビタミンというのは何に多く含まれていたか。何種類ぐらいあったか。緑黄色野菜を摂取するのが一時期流行していたけれども、最近の自分はそういう野菜を食べているだろうか?
 そうしたことをぼんやりでいいから意識する。それでいてすばやく読むのが読解力のつく読み方であり、訓練してほしいところです。
 
 わざわざ理科のテキストでビタミンについて確認するところまではなさらなくてもけっこうです。もちろん興味があれば、読み終わってから調べてみたらいい。読んでいる最中に中断ばかりしていると読み続けるのが苦痛になってしまいますから、とりあえずは頭の中で関連したことを考えるだけでいいですよ。
 そうやって自分に引き寄せて読む。「猛烈につらいことからは逃げても罪にはなりません」という文章を読んだ。そのときは自分にとって猛烈につらいことを考える。
 
 人それぞれぱーっと思いあたることがあるでしょう。そしてそれが「猛烈」と形容されるほどなのかどうか、ちょっとだけ思い浮かべてみる。読み進めながらですよ。読み進めながら、あれ? 著者の言う「猛烈につらいこと」というのは部活程度の話ではなさそうだぞという具合に、常にあれこれ連想しながら読む。肉体のつらさというよりは精神面のことを言っているのではないだろうか? つねにつねに他人ごとにしないで読む。
 
 そういう読み方を繰り返していく以外に読み取る力がつくわけがありません。どうせ別世界の話だろみたいな読み方をしていては、読んでも読んでも単純に数字や記号を読みあげているのと同じで、脳内で映像や思想や概念や面白さがダイナミックに動くことがないのです。
 けっこう読んでいるのに読解力がつかないと嘆いている方は、そのあたりですね。段落ごとにいまのところは何か連想できたかどうか、ちょっと確認なさってみてください。
 
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2018.09.09 01:52

 以前もこの話は書いたことがあります。大昔からさまざまな健康法が存在しますが、早朝の散歩とある程度の日光浴は高い効果があるそうです。最近、日光浴についてはいろいろ悪く言われていますが、多少の日ざしを浴びる程度であればまったく問題ないでしょう。早朝、朝日の中をしばらく歩くのは身体だけでなく心の健康にまで効果が大きいような気がします。
 私自身健康法として意識しているわけではないのですが、どちらかといえば日なたを選んで歩く傾向はありますね。
 
 勉強ができるようになるコツはブログでも何度も取り上げてきました。方法論はだいたい書き尽くしてしまいましたから、あとは勉強しようと考えている方が実行してくださるかどうかだけでしょう。もちろん個々人の自由であり、私の提唱する学習法をまったく利用しなくても優等生になる道はあると思います。
 ブログの右隅に「どうしたら勉強ができるようになるか?」というコーナーがあり、ここには優秀な先輩方の勉強法がつまっています。よろしければご参考になさってください。
 
 ただもっと簡単に教えてよという方もいらっしゃるかもしれません。記事は77回分あり、読むのが面倒だとおっしゃる方も出てくると思います。本当はぜんぶ読んでくださるといいのですよ。
 そこで単純化して書いてしまいますが、いずれは勉強で成果を出そうということであれば規則正しい生活と読書、この2つだけは必ず実践してください。あとのことはゆっくり整えていけばいいので、とりあえずはまずこの2つだけ先行させてほしいと思います。逆に書くと不規則で、活字をまるで読まない生活だと非常に心配です。
 
 先日の文科省の「学力テスト」の結果とご家庭の環境での調査にもこのことははっきり書かれていました。一般的に収入の多いご家庭のほうが収入が極端に低いご家庭よりお子さんの成績がいいという結果が出てくるのですが、「規則正しい生活」と「読書」を心がけていれば、収入に関係なくよい点数がとれる可能性が高いとありました。
 規則正しい生活というのは、さまざまな危険性から私たちを守ってくれているのですよ。守られている当人は気づかないのですが。まあ、そういうものです。
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2018.08.05 00:20

 これから書く話は道徳的な問題として提示したいという気持ちはほとんどありません。単純に「勉強しているのになかなか成績が上がらない」といらいらされている生徒が多いので、こういうところに気をつけてみては? という提案の気持ちで書いています。
 ある優秀な受験生ーー女子ですーーが、先日授業が終わったあとで机の上を注視していました。何をしているのか見ていると、ご自身が使った消しゴムのかすを集めていました。片手に乗せて廊下のゴミ箱に捨てに行く。
 
 感心ですが、そうしたことをしている生徒は彼女1人ではありません。何人もいます。そして、ほとんど例外なく彼らは成績がいい。現在いいというだけでなく、これからまだまだ伸びていくでしょう。私は40年近くこの仕事についていますから、どのようなタイプの子がどう伸びていくのかはだいたいわかります。
 かたやこういうこともあります。授業後、ひどく周囲を散らかす生徒もいる。ペットボトルが床に落ちていたり空のビニール袋が机の周囲に散乱していたり食べかけの何かがそのまま捨ててあったりする。
 
 繰り返しますが、道徳の話ではありません。
 そういう状態で平気でいられる鈍感さが生活すべてに蔓延しているのだということに気づいてほしいかな。塾でこうであれば、学校でも自宅でもご自身の部屋でも、そして頭の中もそうでしょう。散らかっていませんか? 机の上がメチャクチャになっているのではないですか? たくさんの知識がこんがらがっているのではないですか?
 塾の机に残っている消しゴムのかすを注意深く集めて捨てにいく同級生とどれだけの差があるか考えてみてください。
 
 何かしらわざとやっているというのならまだいいのです。男の子がわざと野卑に見せたいとかそういうことであればいい。ただ何も気づかないというのはまずいですよ。鈍感さ、だらしなさみたいなものは当然勉強の中にも忍びこんできます。
 雑に書く、適当に読む、ろくに繰り返さない、とばし読みばかりする・・・これで力がつくわけがない。「やっているのに」という生徒の中にはけっこうこういうケースがあるのですよ。「だらしない生活を送る者はだらしない将棋を指す」というのは将棋の故花村元司九段の至言ですが、勉強にもそういう側面が確実にあります。
 
 本気でできるようになりたいのであれば、生活から直していかないといけません。勉強時間だけ延ばしても「だらしない生活」であれば「だらしない勉強」にしかならないのだということを考えてみてください。音楽をかけっぱなしの散らかった部屋の中でお菓子をぽりぽり食べながらパジャマ姿で勉強しているということであれば・・・残念ながら十分な効果は上がらないのですよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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