2019.05.15 09:26

 丁寧に書きなさいとか声に出して何度も音読しなさいとか紙に書いて繰り返し練習しなさいとかというのは、丁寧に書くことや音読することや繰り返しそのものが目的ではありません。形だけそんなことをしても仕方がないでしょう。
 要するに「心をこめる」ことに目的はあります。心をこめて愛情深く勉強した結果として、丁寧にもなるでしょうし声に出して音読したくもなるでしょうし覚えられるまで練習したくもなるでしょう。目的と手段を取り違えてはいけませんね。
 
 これは勉強だけではありません。何でも同じです。得意にしたいことがあれば、心をこめて接するしかない。あたりまえですね。人と人との関係を考えてみればすぐにわかるはずです。相手が物質の場合でも感情なんかないだろうからと乱暴に扱えば、やはり心をこめて取り扱うときより劣化のスピードがはるかにはやい。こういうことを本当はそれぞれがうんと子どものときに教えるべきではないかとも思うのですが、現代は心をこめるなどというのは古臭い感じで、そんなことより効率重視という大人が増えているのかもしれない。
 
 たとえば私はこの文章を自宅のパソコンで書いています。手書きしているわけではありませんから、文字はすべて丁寧です。丁寧にと意識しなくても自然に丁寧な文字が出てくる。こういうのがこわいところで、そういう感覚に慣れてしまってはいけないとも思っています。文字は丁寧なものが出てくるにしても言葉づかいなんかは意図的に丁寧に書いていくことができるわけですから、気をつけてとにかく「きちんとした文章を書こう」という意志を持つ。それが心をこめることにつながってくると考えています。
 
 そもそも生きること自体、心をこめたほうがこめないよりははるかにいいですね。生きるというのは細かい作業の連続であり、1つ1つの作業が無限に接続して「生活」というものを形作っています。その生活全体をいつかは人生と呼ぶわけでしょう。
 すると細部の1つ1つに心をこめずに心のこもった人生を送ることは不可能になります。原理的にそういうことになりますよ。細部のすべてに心をこめてこそ、人生全体が心のこもった連続体として完成する。
 
 昔、将棋の大名人がホテルの浴室で洗濯していたという話がありました。現在では考えられませんが、昭和のころはそんなこともあったのでしょう。洗濯物を干すヒモ(?)にかすかな皺も見逃すまいという真剣な面持ちで衣類を干されている姿を見て、記事を書いた方はこうした緻密さが盤上でも生きているのだと感心されたそうです。心をこめた将棋を指せる土台は心をこめた日常生活にあったのだと。
 あなたがホンモノになりたいということであれば、心をこめて生活するのが最上の方法です。
 
 心をこめてご飯を食べ、心をこめて歯を磨き、心をこめて服を着替えてください。その延長線上に心をこめて勉強するという行為が見えてくると思いますよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.05.10 08:48

 ときどき生徒からこういう質問を受けます。先日の(中学生なので「先日の」とは表現しませんが)テスト、読解問題ができなかったのですが、どうしたらああいう問題ができるようになりますか?
 相手によって答え方は違いますが、基本は「同レベルのもの、できればその作品を断片ではなくまるごと読みなさい。そういう生活をこれからずっと継続しなさい」ということに尽きます。わかりますか。
 
 あるものがわからない。困らないのならそのままでいいのですが、どうしてもわかるようになりたいという場合その「あるもの」に正面からぶつかっていく以上の方法はないはずです。たとえばテニスが不得手である。けれどもどうしてもテニスが上達したいということなら、テニスの練習に励む「しか」ないでしょう。
 えー、同じスポーツなのだから自分の好きなサッカーや水泳じゃだめですか? というのがどれだけ的外れな質問かということは、どなたでもおわかりになると思います。
 
 あるいは時間を切り取って「毎週90分間テニスの学校に通うだけでテニスがめきめき上達できませんか」というのもずいぶん虫がいい質問で、テニススクールで教えてもらったあとは相当の自主練習を積む必要があります。あたりまえなのですが、そこがなかなかわかってもらえない。わからないというより、面倒なのでしょうね。なるべくテニスはしないで(読まないで)すごくテニスが上手になりたい(読解力をつけたい)。
 つい先週の中1のテストでは問題文に、話題の「君たちはどう生きるか」が使用されていました。
 
 読み取れないというのであれば、1冊まるごと読んでみればいいのです。文庫本で入手できます。考え考え毎日読んでください。
 実際すぐに読む子もいます。ちょっとだけあとで読む子もいます。とりあえず一部だけ読む子もいる。ただまったく読まないという生徒も当然出てきます。それは個々人の選択ですから責めはしませんが、読まないでいながら相変わらず便利なコツをつかみたいなどと変なことを迷っている。
 コツなんて概念として獲得したところで役にはたたないのですよ。読み取るコツを体感するために読むのですから。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.04.05 08:40

 授業を受けて「全員が同じことをやっているはずだから大丈夫」と油断していたら大間違いですよ。こちら側から見ているとそれぞれの生徒がやっていることは、かなり違ってきます。とくにこちらが話していることをどれだけメモしているか。印をつけているか。わざわざ板書しなくても大切なことは大量にあります。ぜんぶ板書していたら終わりきらない。どの先生も全体に向かって「気になることは必ずノートしておくように」とおっしゃっているはずです。
 
 人数が多いので、手が動いていない生徒がいてもたぶんこのあたりは大丈夫なのだろうと判断して先に進んでしまいます。きちんとメモできないのは、いわば自己責任であるという前提で授業は進みます。とくに受験生の授業で、書いたか? 大丈夫か? などと連発していたら、予定通り進まなくなってしまう。「個々人への注意の時間」は、カリキュラムに含まれていないからです。
 ましてぼーっとしているなどというのは論外で、それでは「同じことをやっている」ことにはもちろんなりません。
 
 私自身は学生時代(とくに高校時代かな)、まったくやる気がなくて授業中どうやって遊んでいようかということばかり考えていました。どの先生もおそらく(私立でしたし)いい授業をしてくださっていたはずなのですが、こわくない先生の場合ノートの後半のページに詩みたいなのをいつも書いていましたし、こわい先生の場合はとにかく前だけ向いて時間が経過するのをひたすら待つという状態でした。
 ごく少数の科目以外興味がなかったので、あとは本当にひどいものでした。
 
 当時、級友から「きみほど何もやらなくて真ん中の席次を保っているのは天才だと思う」と変なことを感心された覚えがあります。いろいろ見栄もあり、真ん中の順位は確保できるように最低限のテスト前勉強だけはやったのです。ただ瞬間的に覚えるだけですから、もちろん実力にはなりません。
 要するに同じ曲を聴いていても、人によって残るものは全然違うということです。ピアノが入っていたよね、悲しい曲調だったねという人もいれば、何か音が鳴っていたかなあ程度の人もいます。
 
 参加の意志、参加の姿勢ですね。私のようなケースは例外中の例外だと思いますが、とくに成績を上げたい方はご自身の参加度みたいなものには敏感でいてください。ノリの悪い日というのはどうしても出てくるものだとは思います。それでも瞬間瞬間の参加度を意識する。私は「いまどれぐらいこの現実に参加しているか?」と自問するクセをつけましょう。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.04.02 00:22

 現在、春期講習中です。ふだんは通っていない講習生の方が相当数いらしてくださっています。初対面ですから、どれぐらい力があるかということはよくはわかりません。準備テストを受けていただいているのですが、たった1回のテストでははっきりしない部分もあるのです。
 ただ様子を見ているとだんだん伝わってくるものはあります。先生方はみんなそうおっしゃいますよ。見ているとある程度のことはわかってくる。
 
 私は基本的に机の上の様子をよく見ています。この判断は、経験上おおよそ間違っていないと思っています。皆さん、同じテキスト同じ机で勉強しています。全員同じ環境になってもいいはずなのですが、これが著しく違う。
 わかりやすく書くと、非常に整頓されている机上と散らかっている机上に分かれます。余計なものが大量に乗っていることがある。勉強道具ではあっても現在受けている教科以外のテキストやノートは、この瞬間は余計なものでしょう。
 
 複数教科のプリント類が雑然と出ていることもあります。なくしてしまうのではないかと心配になる。整理して片づけておく習慣がないのでしょう。プリントの折り方も印刷面が外に出ていたり白紙の面が外に出ていたり・・・行き当たりばったり折っているらしい。
 筆記用具類が散乱している生徒もいます。いま使わないものまで出ている。国語の授業中、コンパスやセロテープが乗っていたりする。
 
 他のものに場所をとられるためか、テキストにノートを重ねて使用している。盛り上がったノートに書くので、なかなかきれいに書けません。ノートはのびのびとあいだをあけて書きなさいと言うのですが、やたらとつめて書く子もいます。
 人生と同じで、生活の中に余白の部分がたくさんないとうまくいかない。けちけち生きる、けちけち勉強するというのはうまくいかない。けちけち愛したりけちけち祈ったりするのがうまくいかないのと同じです。のびのびとやらなくてはいけない。
 
 中にはこわれかけた筆記用具を使っている子もいます。こわれた筆記用具で書いているというのは、破れた服で生活しているのに似ています。物を大切にしているというより、道具を扱うことに無頓着なのではないか? わざとならどんなにぼろぼろでもいいのですよ。しかし、気づかないままぼろぼろというのはいけない。塾内だけでなく、ご自宅ではどうでしょう。意識的に環境を整えるのはまず第一歩だと思いますよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.03.13 09:10

 物事を処理するスピードは人によって違います。勉強に関して言えば、先に行けば行くほどすばやくこなしていく必要が出てくるので、そのあたりは少し意識されてもいいのではないかと思います。難関校だとすばやくできるのが当然だと先生は考えています。ですから、授業はどんどん進んでいく。黒板なんかもあっという間に消されてしまいます。
 生徒たちからそういう話を聞くことがあります。板書を写しきれない。あるいは写しきれない同級生が数人いる。
 
 それでは早晩着いていけなくなるのであって、すばやさみたいなものを身につけていかないといけません。
 じつは処理能力というものは生活すべてに共通してきます。勉強だけゆっくりということはありません。勉強でゆっくりな人は生活ぜんぶがスローである可能性があるのです。それを悪いと責めているわけではないですよ。ゆっくりお風呂に入るとかゆっくり食事をとるとか、もちろん悪いことではありません。悪いことではないのですが、極端に時間がないときも「ゆっくりにしかできない」となるとちょっと話が違ってきます。
 
 忙しい日もなかなかお風呂から出られない(たとえばシャワーだけで我慢しておくことができない)とか、あきらかに遅れてしまいそうな状況下いつまでもいつまでももぐもぐ噛んでいるとか・・・優雅さもまた状況によって評価が違ってくるでしょう。
 必要なときは、それこそ立ったままつなぎの気持ちで何かを胃の中におさめて次の作業にとりかかるぐらいの柔軟さがないと大人になる過程で難しいものが出てくるように思います。大人というのは、そのときそのときの状況に応じて臨機応変に対処していける存在ですから。
 
 勉強の処理能力を高めていくためにも生活全般を見直してみてください。本当に広域の生活全体です。寝床から抜け出すタイミング、蒲団の後始末、着替えのスピードと着替えたものの処理(すばやく畳めているか)、時間がないときの食事、ご家庭のお手伝い(それこそ成績向上のためにも何かはするべきだと思います)にかける時間、お風呂に入ったり歯を磨いたりトイレに行ったりするときの効率的な時間のつかい方・・・など、きちんとできる延長線上に勉強の処理能力の高低が出てきます。
 
 すばやく動けるようになってください。ご自身のペースを他者から(のろいなどと)指摘されると、どなたでもすごく腹がたつものです。ですから、ご自身で意識なさるようにしてください。ここは「すばやく」やるべきかなと。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.01.08 08:11

 お正月、バスや電車のなかで塾通いらしい小学生をたくさん見ました。厳密にはわかりませんが、持ち物などから想像してまあそうでしょう。大きなリュックとお弁当が入っているような小さなバッグを持たれている方が多かった。
 塾によってはかなり拘束時間が長い。お弁当以外にもお菓子がほしくなるかもしれません。私はチョコレートがいちばん効果的なお菓子ではないかと考えています。チョコレートはもともと薬だったという話を聞いたことがあります。
 
 バスのシートに座って大人の新聞を読んでいる小学生を目撃しました。大人の新聞と言っても、丸ごとではなくいくつかに分けられていました。記事を選択したのですね。新聞紙を広げて半分に切り、それを2回たたんで透明なクリアファイルに入れてありました。じろじろ見てはいませんが、ぜんぶで5、6種類あったように思います。ひょっとすると記事を選択したのはおうちの方かもしれません。
 それをかなり熱心に読んでいた。裏を見たり表を見たり、結局目的ではない記事も読んでしまったのでしょう。
 
 いかにも優秀な感じの小学生でしたが、大人の新聞などを読んでいるのでそう見えてしまうのかもしれません。かたや仲間とゲームに興じている小学生たちも見ました。電車のなかで「よっしゃー!」とうれしそうに片腕をあげたりしている。
 こういうのはもう個人生活の選択の問題であり、どちらが偉いどちらがだめということはないですね。人間的にどうのこうのはない。ただたとえば国語のテストの点数ということになれば、歴然と差が開いてしまうのではないかと思います。
 
 新聞を読んでいる習慣が小中学生の成績に影響しているという結果はいろいろなところで発表されています(私も以前そんな記事を書いたことがありました)。だから何? という考え方ももちろんあっていいのですが、読解力を高めるためにわらにもすがりたいという状態なのであれば、せめてバスの中の小学生ぐらいの努力はしないといけないと思います。読んだって点数は上がらなかったとおっしゃる方は、決まって「だからいまはまったく読んでいません」と話が続きます。
 
 即効性はないのですよ。そんな方法があれば、受験生は入試の直前だけ勉強すればいいということになってしまいます。それではだめなのであって、何ヶ月も何年も恒常的に読み続ける必要があるのです。その生活を「あたりまえ」にする。中断しないということも、また大切な要素です。
 そう言えば、お正月の新聞に将棋の藤井七段のインタビュー記事が出ていました。非常に面白かった。面白いというより、感心しました。それこそ記事はとってあります。いずれブログに書いてみましょうかね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.01.04 06:43

 今日は国語のお話です。
 
 繰り返し書いてきたことですが、それぞれの言葉には膨大な意味がこめられています。こめられているというより、使用されていく過程で意味の豊かさをおのずから獲得していったということなのでしょう。少しずつ少しずつふくらんできて、つねに「ゆらぎ」も生じている。そのふくらみやゆらぎを的確にとらえるためには、人間のほうのふくらみもまた必要になってきます。
 言葉ばっかりふくらんで、人間のほうに豊かさがないとどうなるか。せいぜい辞書でひいた最小単位の意味内容だけですべてを処理しようとするでしょう。
 
 たとえば「律儀」という単語があります。これはつい最近授業で出てきました。あの人は律儀な人だ。表面的な意味はあの人は・・・まあ、きちんとした真面目な人だぐらいでしょうか。するとそこにはネガティヴな要素はなさそうです。ところが実生活ではそうではありません。「おまえも律儀だなあ」と笑われたりする。
 その笑いの真意がわかるまで人間のほうもふくらんでいかないといけないのですが、現代っ子(死語?)はなかなかそのあたりを理解してくれません。
 
 そして、読解力はどうしたらつきますかと特効薬を求めてきます。
 要するにいままでその人が言葉にどれだけ親しんだか、あるいは格闘したか苦渋したか使用したかということです。律儀という用語に1度しか出会ったことのない人より5回出会った人のほうが理解が深い。しかし5回会った人より20回会った人はもっともっと深い理解を持っています。
 そうしてはじめて「あいつは変に律儀なところがあるからなあ」とにやりとできたりする。あるいはそうやって他者の示唆するところをたちどころに理解できる。
 
 言葉が豊かになる道筋は、話を聞くか文章を読むしかありません。そして小中学生(高校生もそうですかね)同士の会話にぽんぽん「律儀」という単語が出てくるわけがない。ということは、読む以外に出会う機会がないということです。
 それはもちろん「律儀」だけではない。「アイデンティティ」とか「コンテクスト」とか「概括的」とか「おどろおどろしい」とか「玉石混交」とか・・・すべてそうです。あなたがそれらの言葉と活字で遭遇した回数の総和が読解力の差になってきます。言語生活の総体の勝負なのですから、特効薬はないものと心して努力してください。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2019.01.03 06:03

 先日、首都圏(埼玉県)のあるデパートで食事をしました。めったに行くところではないので、わざと最上階のレストラン街に行ってみた。時間の関係もあり、がらがらでした。地方都市のデパートが苦戦しているという新聞記事を何度も読んだことがありますが、ひょっとするとお昼どきにもあまりお客さんはいらっしゃらないのかもしれません。
 いくつか開いていたお店のうち、ちょっと格調が高そうな和食の店に入りました。せっかくなので、何とか御膳という高めの料理を頼んでみました。
 
 御膳というぐらいですから、いろいろなものが一緒になって出てきます。刺身と天麩羅に蒲焼までついてきた。それぞれの量は、もちろん少なめでしたが。
 ただこれがあまりおいしくないというか何というか・・・天麩羅も蒲焼も作りおきなのでしょうね。冷めています。刺身もまぐろなのですが、やっぱり作りおいているからでしょう。水分が抜けて若干ばさばさしていました。
 私はいわゆるグルメ通みたいな人間ではないので、文句はないのですよ。残さずにいただきました。
 
 そのお店はいくつも支店がある有名店で、当然きちんとした料理人はいらっしゃると思うのですが、要するに心がこもっていないのですね。所詮、デパートの買い物客相手だという意識もあるのかもしれません。お子さんだって多いでしょうから、あまり凝ったことをしても逆にむなしい感じになるときもあるのかもしれません。
 それでも、あえて変革を試みようとされる方がいらっしゃらないのはちょっと残念にも思いました。お客さんの少ない時間帯だけでも少し工夫(刺身を注文後に切り分ける程度の)して提供したらどうかぐらいの発想が出てこない倦怠感はどうなのかなと思います。
 
 私は単純にこの料理屋さんに文句が言いたくて書いているわけではないのですよ。あなたの勉強はどうですか? ということにちょっと気づいてほしいと思って書きました。腕のいい料理人でも倦怠感の中でルーティーン消化だけの調理をしていると凡作ができてしまう。あなたがいくら頭がよくても、ああ今日も勉強か・・・みたいなどんよりした気持ちでルーティーン消化だけの「作業」を続けていると思いのほか伸びないということも十分考えられます。
 
 心をこめてという表現がありますが、心をこめたらどこをどう変えたいかというところまで必ず見えてくるものです。そしてまた作業中は、ご自身の心はどこに位置しているかということをたえず意識しながらやってみてください。
 年も変わりました。今年はそんな感じで、大切なことに取り組んでみたらいかがでしょうか。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.12.04 09:32

 あたりまえのことですが、文章というのは単語で構築されていますね。最小単位が「単語」です。「そして博物館に行きました」という文章、6つの単語でできています。で、ふつうの中学生であれば博物館に行ったのは過去のことだなということがわかる。「ました」となっているからです。
 文章を書いているほうは当然伝わっていると信じて話をどんどん進めていくでしょう。ところが日本語を習いはじめた外国人の方ならどうか。
 
 博物館に行く事実はわかっても、ひょっとすると「ました」の部分はまだあいまいになっているかもしれません。いまから行くのか過去の話なのか、ちょっとごちゃごちゃになってしまう可能性もあります。するとそのあとの部分も当然理解できる要素が低下してきますね。
 こうしたことが私たちのあいだでは頻繁に起きています。そこに差が、読解力の優れている人とそうでもない人の差が出てくるのです。
 最近、あちらこちらで目にする「遺憾」などという言葉もそうです。
 
 非常に幅の広い意味を持っている。辞書にはそこまでくわしく載っていないかもしれませんが、使うシーンによって意味の振れ幅が非常に大きい。日本語の単語というのはすべてそうです。その振れ幅のどこからどこまでを獲得できているか。
 長文で使われているすべての単語の振れ幅を正確にとれればとれるほど読解力は増すことになり、辞書的な通りいっぺんの意味しか知らなければ大変浅い理解になってしまう。書いている人間の「遺憾」と、読んでいる人間の「遺憾」は全然違う可能性があるということです。
 
 類推が逆に出ることもありますね。「せわしない」という言葉。「せわしい」の打消しではないですね。ないがついているからといって打消しとは限らない。「適当に」ということば。まったく逆の意味になることもあります。ちょうどいい感じともとれるし、いい加減にやったともとれる。そのあたりは前後の文章から読み取る必要が出てきます。
 全文章の全単語の振れ幅を豊かにするためにはどうしたらよいですか。読む「しか」ない。量をこなして同じ単語に何度も何度も正面からぶつかるしかない。
 
 話し言葉で小中学生の方が「遺憾」とか「概念」とか「アイデンティティ」とか「形而下」とか・・・使うとはちょっと考えられません。大人と話したって向こうも気を遣ってわかりやすい言葉を出してくるに決まっています。ですから容赦なくそうした言葉を浴びるためには読む「しか」方法はないということがわかりますか?
 読書と国語力とは関係がないという先生もいらっしゃり、必ずしも否定するものではありません。ただ私の知っている限り、すごく国語が得意だという生徒は例外なく大量に読み考えています。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.11.21 09:31

 大学入学共通テストのことがいろいろ話題になっていますが、あのテストを受ける可能性がある方(主に高校1年生以下の方ということになるのでしょうが)は、要するにこう考えてください。
 人間として、あたりまえのことがあたりまえに処理できるようになってくれば大丈夫です。教科のことはそれぞれの先生から指示があるでしょうから、そのことは省略します。強調したいのは「生活者」として優秀な大人になってほしいということです。
 
 難しく考える必要はありません。生活者としての勝者が圧倒的に有利になってくるはずです。自分自身で考える力、処理能力、自身を管理する姿勢、落ち着いて読み取る習慣・・・そうしたものは教科の勉強だけではないことに気づいてください。
 たとえば忘れ物ばかりする。あるいは配付されたものをすぐになくしてしまう。あるいは掲示された指示をきちんと読み取れない。あるいはわからないことを適切な相手に質問できない。
 そうしたことはすべて好ましくありません。あたりまえではないからです。
 
 いい学校や塾に通うとか、難しい参考書に取り組むとかはそのあとに出てくることで、生活能力が劣化していれば何をやっても苦戦してしまいます。
 いわゆる「だらしない」という言葉がありますが、だらしなさを自覚して少しでも直していくということです。これはご両親や先生にちょっとやそっと注意されたぐらいでは直りません。どんなにだらしない人だって、いままで「しっかりしなさい」「自分でやりなさい」ぐらいは言われてきたはずです。しかし直らない。ご本人が直さなくてもいいやとどこかで考えているからです。
 
 たとえばこの私ーーだらしない人間の代表としてこういうことがありましたーー高校時代、昔の先生は厳しかったですからね。私がプリントをなくしたので再度もらいにいったところ「一度配ったものをなくしたのだからもうやらない」と言われました。「必要ならぜんぶ友だちに写させてもらえ」さらに「手書きで写せ。安易にコピーをとることは禁じる」ともつけ加えられました。
 そんなことがあって、その後はいくらだらしなくてもその教科のプリントだけはなくさなくなりました。直るのですよ。
 
 結局、時代が便利になりすぎて個々が訓練されていないのです。道順がわからなくても交番に行ったり駅員さんに質問したりする必要がない。食べたいものを組み合わせなくてもはじめからセットで出てくる。図書館に行って読んだり調べたりしなくても検索一発で答が出てくる。
 そういう世の中で質問できない、食べたいものが説明できない、読み方も調べ方もわからない・・・あたりまえのことができない人が大量に出てきてしまいました。
 
 とりあえずは、生活者として勝者をめざしてくださればいいのだと覚えておいてください。まず片づけましょう。整理整頓です。物の管理をしっかりしましょう。計画をたてましょう。おうちのお手伝いもきちんとしましょう。自分のことを友だちに決めさせないようにしてください。本当に大切なものを見極める努力。そして考える力を開発するためにたくさん読んでください。それが生活勝者への道です。
 そのうえで教科のことは(宣伝になってしまいますが)Z会にお任せくだされば完璧です。心配しすぎないことですよ。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2019年05月   >>
      01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

新着記事

月別アーカイブ