2017.10.21 00:39

 今週、私は月曜日以外はすべて教室には来ていました。来週の水曜日まではそうなります。ただおとといの木曜日はお休み扱いにしました。で、用事だけをすませて1時間ちょっとで帰りました。
 出勤した日には必ずブログを更新するとお約束しています。これは私は生徒との約束だと考えています。大人の方相手であれば、忙しくて更新できませんでしたごめんなさいでもそう怒られないでしょう。ただ10代の少年少女には、大人は都合よく生きているなという印象を与えたくないのです。
 
 ですから2009年以来、出勤した日にブログを更新しなかったことは1度もありません。社員会という催しが朝から沼津であった日も、午前4時前に起きて記事を更新しています。
 ところがこうして8年間続けてくると書くことが大量には残っていないという状況に陥ります。とくに何日も続くと、ぼんやりしてきて焦点が定まらない感じになる。そこで、どうしてもひと呼吸入れたい。そんなこんなで、簡単に帰れる日は正式に「お休み」という形をとっています。
 
 もっとも休みの日は自宅にいてもろくなことはしていません。
 おとといは帰ってから犬の前でビールを飲んでみました。例のーープロの陶芸家の教え子が作ったーー陶製の器と缶ビールを床に置いて犬を撫でながらビールを飲んだ。
 何飲んでいるの? と興味津々で器をのぞきこもうとします。鼻がひくひく動いているので匂いを嗅いでいるのでしょう。匂いどころか舌まで出してちょっと舐めようとする。だめだめとおさえつけて器を別のところに置く。するとまたそちら側にまわっていく・・・
 味なんかまったく予想もつかないはずですから、とにかく好奇心なのでしょう。
 
 器をあっちにもっていったりこっちに引き寄せたり落ち着かないことおびただしい。仕方がないので犬用のビスケットをやって時間を稼ぎます。
 家内が教えこんだのですが、うちの犬は「おすわり」「お手」だけでなく「ハイタッチ」という変なことができます。二本足で立ち上がり前脚をこちらの両手にぱっと合わせる。ばかなことを教えこんだものです。「ハイタッチ!」と声をかけるとわっと立ち上がる。ビスケットに気を取られているうちに私はビールを飲む。
 
 家内は自分の部屋に犬のケージを置いているのですが、最近は在宅時はずーっと自由に放し飼いにしているみたいです。つまり家内の部屋=犬の部屋ということになりますね。
 先日は、キッチンテーブルにスナック菓子の袋があったので何気なしに食べようとした寸前袋に犬の絵が大きく描いてあることに気づきました。「これ、犬用じゃねえか!」慌てて袋にもどしましたよ。もう犬も人間も同権みたいになってきました。人犬同権家庭です。それはそれで、幸せですかね。
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2017.10.20 00:12

 選挙も近くいろいろ騒然としてきていますが、観察しているとどうなのかな? と感じることもあります。要するに何をしたいのか。何のためにそうしたいのか。視界の悪い状況下なので「とりあえず」という候補者も多いのかもしれません。
 これはどの世界でも同じでしょう。何をしたいのか。何のためにそうしたいのか。答は人間の数だけあっていいと思うのですが、世の中の混乱にまぎれてしまってご自身のことが把握できていないケースもありそうですね。
 
 人のふり見てわがふり直せという言葉がありますが本当にその通りで、私ぐらいの年齢になっても何をしたいのか、何のためにそうしたいのかと考えることは大切なことだと思っています。考えるというより、深く思いを沈めていく感じですね。
 宝くじがあたったら・・・と、ときどき破滅的なことを口にする方がいます。いますぐ学校(会社)なんかやめてやる! あんなやつらとはすぐに別れてやる! こんな家出ていってやる! 
 よく聞いているとそうしたせりふの中には何かしら潜んでいる。
 
 本当は何々が悪いということではなく、ご自身がすべてを発揮しきれていないことに苦しんでいる。外部の圧迫こそが原因であるという結論を便宜上出してきて、乱暴なことをおっしゃることで溜飲を下げようとしている要素を感じます。
 ご自身を発揮できていないのは「何をしたいのか深く考えていない」「したいことはあってもそれが人生や社会全体とどういうつながりを持つのか考えていない」「自己を発揮するための具体的な行動に転化していない」というところに原因があるような気がします。
 
 ご自身を発揮するというのは、いまこの瞬間でさえ発揮していなければならないということです。ある人が偉大な詩人になりたいと願うのであれば、食事をとっているいまこの瞬間も偉大な詩人のように振舞うべきでしょう。
 人生は有機体で、どこの細胞も同じ生命体の一部です。ひとりの人間の腕は詩人の細胞だけれども脚は外科医の細胞だったなどということは絶対にありません。ぜんぶがつながっている。時空を超えてじつはすべてつながっている。
 
 最近、国民的な人気を誇る将棋の藤井聡太四段が高校進学されるかどうか悩まれているという記事を読みました。先輩の永世名人のアドヴァイスに「いずれにせよどちらに決断してもうまくいくだろう」という意味の記述がありました。高校に進学されても、中卒のまま将棋の世界に専念されてもどちらでもうまくいくというのです。
 それは「主体が藤井聡四段だから」ということですね。時空を超え、手段を超えてうまくいくということでしょう。方法論ではありません。
 
 同じことです。宝くじがあたろうとあたるまいと、点数がとれようがとれまいが、いまお金を潤沢に持っていようがいまは貧しかろうが、主体が自分だからうまくいく。そういうご自身を作りあげていくということが大切ですね。いまの行動で、いまの発想でということですよ。わかりますか? いまのあなたが、そのまま将来のあなたなのですから。
 
 
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2017.10.18 00:44

 私はいまでも大きな書店さんに行くのが大変好きで、よくうろうろしています。私が行くコーナーはだいたい決まっていて、多くは神秘思想だとか精神世界だとか哲学とかの棚でしょうか。あやしいものとあやしくないものとの境界線上のあたりで面白そうな書籍を探す感覚です。
 昔から人づきあいはあまり得意ではなかったので、娯楽の入口はほとんどが活字でした。ルールを本で覚えるということです。
 
 将棋なんかにしても細かいところはすべて活字で覚えました。昔、有吉道夫という将棋界の偉い先生が、ご自身は本で覚えた将棋なのでひ弱さがあるとインタビューで語られている記事を見て以来、自分もそうかもしれないと考えるようになりました。私の知人は逆に本なんか一切読まず、実戦だけで将棋が強くなった。どうしても勝てませんでしたよ。終盤になって逆転負けを喫したものです。
 
 いわゆるノウハウ本というものがあります。健康法とかお金の増やし方とか。
 ノウハウ本にはいろいろ思い出があります。20代前半ではなかったか。私は女の子にもてたくて仕方がありませんでした。もてたいと願うのですからもてなかったのでしょう。これは何か研究しなければいけないと思い、例によって活字で研究しようと考えた。女の子にもてるための本を買ったことがあります。
 タイトルも著者も出版社もぜんぶ忘れてしまいました。その本だけを買うのはいかにも恥ずかしかったので、どうでもいいような本を同時に何冊か買った。恥ずかしさを薄めようとたくらんだのですが、バレていたかもしれませんね。
 
 じつにくだらないこと(?)が書かれていましたよ。時代に合わせて長髪にしましょうとか。ただし清潔にしなければならないとあった。当時、男の子でも髪を伸ばしている人間が多かったからでしょう。タバコの吸い方の項目もあった。
 あと何だったか、とにかくいろいろあったのでそのうちのいくつかを私は実践したように思います。女の子のまえであまり喋らないとか。タバコは短くなりすぎないうちに捨てるとか。
 そうやって実践して、結局さらにもてなくなったように思います。
 
 要するに、もて方の本を読んでいるような人間ではもてないということです。これはどの世界でもそうかもしれません。ノウハウを追い求めている程度の器ではその世界での飛躍的な進歩は見られないということでしょう。やり方ではなく、あり方が大切。もて方の本を買っていた私が、偉そうに書けるお話ではないですけどね。
 
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2017.10.17 08:05

 ときどき生徒同士の会話が全然噛み合っていないなと感じることがあります。話したいことを話すだけでは会話になっていない。会話というのはキャッチボールと同じですから、相手が投げてきた言葉は確実に受け止めなければならない。相手がすぐに投げ返してこないのであれば、何かしら準備が必要でそうしているのだろうと想像してじっと待つべきだと思いますよ。
 それを待てないからと自分だけが続けざまに投げてしまってはボールが2つ3つと増えてしまい収拾がつかなくなった球技みたいになります。
 
 相手が言葉をすぐ返してこないときにその理由について憶測できる才覚は必要でしょう。単に物理的なものなのか、あるいは心理的な何なのか、もっとべつの理由がありそうなのか。
 適切な言葉が見つからないときの黙し方と心理的に混乱しているときの黙し方とは相当違うはずです。場合によっては相手は気持ちを隠そうとするかもしれませんが、無言の反応のなかでそのあたりが読み取れるかどうか。読み取れるようにならなければ、将来深い人間関係はうまくいかないと思います。
 
 子どものうちは仕方がない面もありますが、高学年になってきたらそのあたりは積極的に考えて取り組むべきです。まだ子どもだからわからなくてもいいじゃないかではいずれ困ることが出てくるかもしれません。
 自分の話したいことだけを連続でまくしたてている人も見かけます。相手があきらかに困惑している。遠目で見ていてもそのことがはっきりわかる。周囲の人たちは全員わかる。ところが話者のみ興奮してかまわず喋りまくる。相手が大人であれば、微笑んで聞いてくださるでしょうが。
 
 ご本人は「何も悪いことをしていないのに」とおっしゃるかもしれないですね。確かに相手を害する意図はまったくない。しかし健全な会話のあり方にとっては非常にまずいことをしています。キャッチボールにたとえれば、相手にボールを投げさせようとは一切しないわけです。逆の立場だったらどうでしょう。「きみは投げる必要はない。ぼくの投げるボールだけ受け続けてくれればいいよ」と言われたら内心(そんなのキャッチボールじゃないよ)と不快になるのではないでしょうか。
 
 会話は講義ではありません。投げる以上に受け止める力が試されています。ときには相手がこめた皮肉や諧謔や風刺も含めて正確に理解する能力を磨かないといけない。
 ともかくまずよく聞くことですよ。その度量、忍耐力、余裕、親切心・・・そうしたものが求められています。よく聞いてください。それが必ず授業にも生きてくるはずです。
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2017.10.15 00:39

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 犬がすっかりおとなになってきました。見た目だけですけどね。1月1日生まれですから、約10ヶ月ということになります。
 このまえ体重を量ってみたら8キロを超えていました。だいたい8キロぐらいになりますよと言われていたので、そろそろ成長しきった感じかもしれません。相変わらず自宅では噛みつきますが、加減がわかってきたらしく強く噛むことはありません。どちらかというと、噛みながら舌を動かしてこちらの手を味わっているようにも感じます。甘えているのでしょう。
 
 ひと月に1度、近所のペットショップでシャンプーしてもらっています。ぜいたくですね。で、そのとき必ず写真を撮ってくださる。今回は今月の9日に撮っていただいたものです。携帯で写すときちょっと光ってしまいましたが、雰囲気はおわかりいただけると思います。3月11日の記事「突然犬が来ました」の写真と比べるともはや別人(犬?)のようです。
 散歩をしていると頻繁にオスに間違えられるというのですが、確かにきりっとしたりりしい顔かもしれません。毛並みもーーとくに何もしていないのですがーーそれなりに整っています。
 
 ただ中身はたいしたことないですよ。見ているとばかみたい。もちろん人間から見て犬がばかみたいというのはあたりまえではあります。あたりまえではあるけれども、それでも平均値よりいくぶん頭が軽いほうかもしれないぞと最近は考えるようになりました。
 食べてはいけないというものを喜んで食べようとする。ビニールの切れ端とかプラスチックの破片だとか。そんなものを食べてもおいしくもなんともないと思うのですが、食べようとして「こらっ!」と叱られるのがうれしくて食べてしまうらしいのです。
 
 1日に何度も何度も「こらっ!」と叱られて、そのたびに大喜びするのでちょっと大丈夫かいなという気持ちになります。血筋はすごくいいらしいのですが、逆に血筋がよすぎて頭が軽いという可能性もあるわけで、そのあたりはもう少し成長してみないとわからないですね。
 反面、急速におとなになった部分もあります。以前のように腹話術風に歌を歌っても私の背後を確認しに行かなくなりました。つまらないですよ。「ぞーうさんぞーうさん」と歌っても無視されたりする。
 
 あれ? 頭が軽いのはお互いさまみたいな部分がありますかね。飼い主に似るというからな。私もまた平均値の61歳よりはだいぶ頭が軽い自信はないでもありません。まあ、せいぜいかわいがりますよ。
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2017.10.14 00:22

 政治的な話題はこれまでも避けてきました。1つには、私はほとんど政治に興味を持ってこなかったのでとりあげる資格がないと考えているからです。よくわからないことを偉そうに語るのはちょっとどうかなという気持ちがあります。そういうのってどの世界でもありそうですね。昔飲み屋さんで「おたく、ロックが好きなんだって? おれも大好きだよ。マイケル・ジャクソン!」と話しかけられ、このあといったいどういう展開にもっていったらいいのだろうと困ってしまったことがあります。そういう困惑を他者に与えたくありません。
 
 ただ選挙のときにはそれなりに応援したい候補者が出てくることがあります。若いときは「無所属で魅力的な女の人」「極端に面白いことを公報に書いている人」「気の毒そうな人」に入れていた時期がありました。この選択ですと、だいたいの方は落選されてしまいます。毎回毎回落選される方ばかりなので、これはもう選挙に行く意味がないやと棄権していた時期もありました。
 前回のアメリカ合衆国の大統領選挙のときにちょっといいことを言うなと感じた候補者がいましたが、その方は党の代表者に選ばれませんでした。そもそも投票もできませんけどね。
 
 具体的には書きませんが、今回の選挙でそのアメリカ人に似たことをおっしゃる政党が出てきました。応援したいので、期日前投票には行くつもりです。いまはネットで街頭演説の様子を見ることができます。そこで非常に面白いことを発見しました。
 ふだん私は街頭演説を見ませんから、こういう手法がどれぐらい流行しているのかはまったくわかりません。ひょっとすると「そんなことも知らなかったのか」と笑われるような気もします。
 
 その党首が演説している最中にかすかに音楽をかぶせているのです。はじめは何かの錯覚かと思ったのですが、間違いなくかぶせている。音楽というよりは効果音みたいなものですね。単音だったり和音だったり、トークの合間にポローンと入る。
 それがじつにじつに心地いいのですよ。音楽とまで言ってしまっていいものなのか心配ですが、要するに音というのはこんなにいいものだったのかという気持ちになります。そしてまたその音が訴えにすごくマッチしています。思想のある音なのです。
 
 授業なんかでもこの手法はありだなと思いましたよ。かすかに音が、メロディーが入る。知っている曲では、逆にそちらに意識を持っていってしまわれるでしょうから、単音でいいかもしれない。
 用言というのは3つあったのを覚えているかね? ポローン。日本人ではじめてノーベル文学賞をとったのは誰だっけ? でまたまた和音。いずれにせよ、こういう効果を考え出す人間という動物は不思議ですね。
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2017.10.13 01:13

 いわゆる感傷的な人間というのが存在しますね。いい悪いではありません。ご性格ということになってくると思います。私もどちらかと言えば感傷に流されやすいタイプだと思っています。
 小さなころから悲しいことは大小いろいろ経験してきました。しかし、それが自分を磨いてくれた側面は否定することができません。自分の場合は、楽しいことより悲しいことから学んだほうがずっと大きいですね。人格形成に役立ったということです。
 
 具体的に書くとこういうことです。できないことのほうができることより何かしら意味を持った。合格できなかったときのほうが合格できたときより深く考える契機になった。失恋のほうが円滑なおつきあいより深い痕跡を残した。失敗したときは成功したときより人生の意味に気づけた・・・きりがありませんが、そういう感じです。
 不合格だとか失恋だとか失敗だとか、当然かなりの痛みがあります。その痛みはしかしやがて「激痛」ではなくなってきます。そしてじわじわと生きる意味を考える材料になる。
 
 以前読んだ書籍ーー何だったかは忘れてしまいましたーーに「神とは生きることである」という記載があり、はっとしたときがありました。「生きることが神である」だったかもしれません。とにかく生=神と人生を全面肯定していた。
 私が現在読んでいる「発心集」ではむしろ自由闊達に生きることを否定する内容が大量に列挙されていてとても興味深いのですが、私個人は生きることが神であるという着想は非常に「元気が出る」いい考えだと思います。
 
 失敗したときの痛みは、やがて形を変えて努力することの源泉になったり他者に対する優しさや寛容さになったり人生に対するふところの深さになったりします。現在の私はまずまず穏やかな人間ではないかと思うのですが、私が一切の失敗や痛みを経験していなかったら(そういう方はあまりいらっしゃらないでしょうが)、もっと冷淡に振舞っていたかもしれません。
 生徒が何かいたずらをしているのを見ても(自分もあんなことをしていたな)という気持ちがあればこそ、怒るのではなく静かに注意できる。
 
 私は自分が少年時代に予定していた形ではいわゆる「成功」を収められなかった人間です。それは人生のあらゆる分野に及んでいるのかもしれません。しかし「予定していなかった形」では成功を収めているようにもまた感じます。すべてのネガティヴな体験も「生きることは神である」という概念に結びついていったわけですから。
 一時的な痛みがあっても、勇気を持って進んでください。予定の形ではないかもしれませんが、生きることによる大成功が待っているはずです。
 
 
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2017.10.10 09:41

 昨日、仙台教室にうかがってきました。勉強のことと生活のことをお話した。くわしくは書きませんが、うかがってよかったと思います。お手紙をいただいた複数の方には簡単なお返事をさしあげました。いずれお手許に届きます。
 私はきわめて平凡なおじさん(?)ですが、中学生を教えることに関しては35年以上継続しているので、ある意味職人みたいな感覚があります。ある程度のコツはつかめている。それをお伝えしていく感じになるでしょうか。
 
 直近では11月19日の日曜日の午前中ーーやはり新しくできるーー南浦和教室で同じようなお話をすることになっています。こちらはすでにかなりの方がお申しこみくださっていて、おそらく満員になってしまうと思います。ご興味がおありの方はお早めにお申しこみください。
 毎年お話していて、核心的な部分はじつは変わりません。あたりまえですね。そんなに方法論がころころ変わるものではない。たとえば「たくさん読んでください」というのがある年から「あまり読まなくていいですよ」となるわけがない。
 
 ただエピソードなんかは毎年どんどん増えていきますからそのあたりを多少入れ替える感じになります。たくさん読むということに関して、今年知った生徒のエピソードを入れたりする。私が軽い気持ちで紹介した文豪の小説を、帰り(講習中は昼間授業が終わるので)に買って帰った中学生が複数いたとかですね。感度のよさが彼らの学力向上に一役買っている。全員がそうしなさいという意味ではなく、知的好奇心の強さはひょっとすると成績と連動しているのかもしれない・・・程度に認識していただければ、何かしらご本人の中で動きが出てくるかもしれません。
 
 昔、ある私立高校で入試を受けてきた生徒が憤慨していたことがありました。もう合格しても絶対に行かないつもりだと言う。話を聞いてみると面接でこう言われたというのです。最後に面接官の先生が「きみのほうから何か質問したいことはある?」とおっしゃった。真面目な彼は「どうしたら勉強ができるようになりますか」と訊いた。
 すると担当の先生は顔を見合わせて(お二人だったそうです)笑いながらこうおっしゃった。「ばかとつきあわないことだよ」さらに追い討ちをかけるように「茶髪のね」とおっしゃった。
 
 緊張した生徒をなごませてやろうぐらいのお気持ちだったということは大人の私にはわかるのですが、彼はその答えに心底失望してしまった。大人側の振舞いは本当に大切だと思います。
 講演を終え、新幹線に飛び乗って教室に戻りすぐ授業に入りました。「中学受験をしない」小学6年生の初回の授業。授業が終わったところである生徒(ご兄弟がすでに通われています)にこう声をかけられた。「ごくろうさまでございます」一瞬意味がわからなかったのですが、続けてこうおっしゃった。「お酒が飲めなくて残念でした」
 
 あ! と思いましたよ。昨日の私のブログを読んでから来られたのでしょう。油断できないですね。まあ、せいぜい一生懸命生きていく姿を見せていこうと思います。それがいちばんの「教材」になりますからね。
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2017.10.09 00:46

 この3連休はなかなか忙しい。昨晩は保護者会もあり日曜日でも早めに帰ることができませんでした。今日はいまからちょっと寝て、早起きして仙台教室にお話に行くことになっています。
 なかなか目まぐるしい1日になりそうです。お昼に仙台に着いて1時間半お話して、30分後には新幹線の中。そうしないと夜の授業に間に合いません。東京に戻ってそのまま渋谷教室に直行します。
 現在はすこぶる体調もいいので、とくに問題ありません。少しでもいいお話をしてきたいと思っています。
 
 人数的にはあまり多くはなかった(突然いらっしゃっても大丈夫そうでしたよ)のですが、そういうことはたいして問題ではありません。私はご縁を大切に考えているので、とにかくお話できる機会をいただけたことを幸せに感じています。
 最近、興味があり鴨長明の「発心集」を読んでいます。古文のテキストとして一部を読んだことはありますが、今回は完全に読書ですね。高校生用の問題集で見かけた発心集のエピソードにいたく感動して、いっそのことぜんぶ読もうかという気持ちになりました。
 
 私自身は古典専門ではないので、古文そのものだけだとすらすら読めない部分がやはり出てきます。ただ現代語訳もついていますからまったく不自由はありません。
 どの章も世捨て人だらけ。人さまの前でお話したりするのは営利や名誉を求めてのことだと反省してとことん逃げてしまう高僧の話なんかが次から次へと出てくる。
 それはもう徹底していますよ。居所を知られただけで逃げてしまう。もともと所持品(?)もたいしてないですからね。さっといなくなる。余計なことはすべて仏道修行の邪魔になるというのです。
 
 私なんかのレベルですと名誉だとか利益だとか、それはそれで楽しいことではないかとも考えるのですが、徹頭徹尾いやがる姿が面白い。ぜんぶ煩悩であると排除してしまう。いずれはこんな心理になるのかもしれませんが、現時点では自分は世俗の楽しみや成功も肯定的にとらえています。
 そもそも発心集を買ったのは、新宿で「エイリアン・コヴェナント」を見た帰りでした。エイリアンの映画帰りに発心集というのも我ながらちょっと分裂(?)しているなあとあとで気づいて苦笑しましたよ。
 
 東北新幹線は久しぶりです。3連休最終日ですので、帰りはけっこう混んでいるみたいでした。授業があるのでほっとしてビールを飲めない(あたりまえだろ!)のがつらいところではありますかね。
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2017.10.08 06:31

 私は10年以上まえから自宅のトイレの掃除をしています。家事の分担というほど大げさなものではなく、トイレ掃除が何となく好きなのでずーっとやっています。やりたいことをやっているという感じでしょうか。
 ここがポイントだというところがあり、流れるような作業ぶりですよ。いまは使い捨ての紙ブラシ(?)みたいなものもあり、本当に掃除しやすくなりました。お風呂もバスタブなどは私が洗っていますが、これまたコツがつかめてくると楽しい。
 
 1人暮らしをしていたときはけっこうこまめに掃除をしていました。またときどき料理を作ったりもした。料理に関しては40歳ぐらいのときにもう1度基礎からやってみようかと考えたことがありました。そして本を買った。
 休みの日にキッチンでアルコール類を飲みながらつまみを作ったりしていたのですが、どうも自分にはあまり合わない作業だという気がしました。これは感覚的なもので、楽しいことは楽しいのですが本質と合わないように感じるのです。比喩的に書くとたとえば自分は将棋は指しますが、碁は打ちません。
 
 少しだけかじってみて、あまり自分に合わないような気がしたのでやめてしまいました。それと似たような感じです。
 極端なことをしたくなるのですよ。徹底的にすりつぶしたらどうなるだろうとか3倍ぐらい胡椒を入れてみたらどうなるだろうとか考える。あるいは途中で面倒になってもう食べちゃえと未完成で食べてしまったりする。
 いまは家内が忙しいときは買い食いか外食ですね。何かを作ることはめったにありません。
 
 息子の革靴を磨くのはまだ続けています。これもまた趣味みたいなもので、磨いておいてやりたいという気持ちになるのです。靴墨を使用せずに外国製の特殊なクリームで磨く。これまた流れるよう。そしてぴかぴかになります。もちろん自分の靴も磨く。
 昔「長野先生の靴はいつもぴかぴかですね」とある先生に言われたことがありました。ちょっと得意な気分になりました。
 あとは自室の掃除ぐらいでしょうか。ゴミ出しは息子が必ずやってくれます。缶やビンを出す日には「うちは、酒飲みすぎなんだよ!」とぼやいたりしています。私もそう思います。
 
 犬は家事を分担することはもちろんありませんが、うろうろしているだけで私たちの心が明るくなりますから十分役にたっています。
 小中学生のお子さんであっても、簡単なお手伝いをやらせたほうがいいとは思います。何かしら温かいものが生まれてくるからです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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