2017.05.04 07:14

 話題になっていますね。特急電車なんかでどれぐらいまでシートを倒したらよいのか。よいのかというのは、後部座席の方がどれぐらいまでの倒し方なら不快感を覚えずにすむかという意味ですね。
 けっこう乱暴な意見も出てきていて興味深く感じました。倒せるだけ倒したっていいじゃないかという。もともとシートがそういう構造になっているのだから、それが道理じゃないか。
 
 まあ、そういう考え方も確かにあるでしょう。またこういう意見もありました。文句が出てくるほど倒せる構造にしたこと自体が悪い。深い角度まで倒れない椅子をはじめから作っておけば何も問題は生じなかったというのです。要するに人間ではなく、技術のほうから解決を図る考え方ですね。
 数年前、都内のいわゆるトップ高校(文字通り、首都圏のトップ校です)で出題されていた記述問題を反射的に思い出しました。テーマは携帯電話でしたよ。
 
 変なところで鳴ってしまうことがよくありますね。「あ、いけない」となる。マナーモードにし忘れていたのです。するといっそのこと、会合の場では電波を切断できるようにしておいたらいいのではないかという案が出てきます。そこの部屋ではどなたの機器も一切電波がつながらないようにしておく。すると、どなたの携帯も「うっかり」鳴ることは絶対にない。便利ですね。
 そして受験生への問いはこんな感じで投げかけられました。「この考え方にはどんな問題点が生じるか」
 
 高校受験の問題です。もちろん中学生にこれを考えてみなさいと言っているわけです。暗に技術のみで何かをなしていくことは非常に危険だし問題だぞ・・・と語りかけていることがわかりますか? こういうことをじっくり考えられるようになることこそが、私は本当の自立した大人であると思います。そして、そうしたトップ校はホンモノの大人しか入れないようになっているのです。こんなこと「受験」参考書をいくら読んでも、こう書くと合格ですとは出ていません。
 
 今回のシートを倒す話なんかはさっそく次年度の公立高校の推薦試験に出てくるような気もします。ただそういうこととは関係なく、また正しい答がどうあるべきかということではなく、こうしたことこそおうちで話し合われてみるといいと思います。「どう思う?」とざっくばらんに話せる空気は非常に大切ですし、それこそ子どもたちを大人にします。
 先日、私は大阪に行ったと書きました。新幹線で自分もシートを軽く倒した。帰りは背後にはまだどなたもいませんでしたが、あとのことを考えそれでも細心の注意を払って圧迫感がないように倒しました。
 
 私はそうやってさまざまに気を遣う瞬間の人間ほど崇高な(?)存在はないと思っています。倒れない椅子なんか作って、人間からこの唯一の瞬間を奪わないでくれよ・・・とは考えましたよ。
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2017.05.03 10:01

 1泊で、本当に大阪に行ってきましたよ。今回は南田辺のSという有名な居酒屋さんに行きました。これはしかし素晴らしかった。東京にもここまでレベルの高い「大衆」酒場はほとんどないように感じます。太田和彦先生が書籍に「涙が出た」と紹介されていましたが、伝えたい要素はわかりました。涙という大げさな単語を使いたくなるレベルでした。
 昼間は阿倍野の有名な老舗店Mにも行きました。通天閣のほうも歩きました。
 
 ぜんぶ見ておきたいということですね。ただMは少し心配になった。昔ほど勢いがないような気がします。若い方が入りにくい要素がある。もちろんそれで守られている部分も多々あるのです。私のような年配の旅人がふらっと入っていくのに何の違和感もない。
 それでも注文したものが瞬間的に出てきたりするとうん? と感じました。あれをスピーディーですばらしいと評価する方もいるでしょうし、作り置きかとがっかりする方もいるでしょう。ちょっとだけ昔とは空気が変わってきているような気もしました。
 
 今回は音楽の話を書こうと思っています。
 ラテン系でTIERRAというグループがいます。自分はメタル以外は全然詳しくないのですが、けっこう有名なバンドみたいですね。彼らの「TOGETHER」という曲自体はイントゥルーダーズだとかラブ・アンリミテッドだとかで有名なので、ご存じの方も多いかもしれません。
 私はこのTIERRAのバージョンをーー詳しくは書きませんがーーある意味不快な状況下で聴きました。1981年の初頭だったのではないかと思います。
 
 最低の環境下で聴いたものの、音楽自体の持っている肯定的な力のせいで印象に残りました。夕暮れ時でしたね。結果的に忘れられない思い出の曲になっています。こんな記事を書いているぐらいですから。
 私は基本的には「幸福」の伝播のために音楽の話を書いているのですが、この曲は間違いなくそうした力を持っているように思います。幸福だけを伝播していく感じ。興味がおありの方は、Youtubuで検索なさってみてください。
 
 そしてまた私は感じるのですが、あんな不快な気分の中で聴いた音楽でさえ結果的にこんなに意味を持つのであれば、私たちのひと言ひと言も非常に大きな価値を持っていいという気がします。大上段に構えたものではなく、「きみはこれこれこういうところがすごい」「そういうあなたが大好きだ」のひと言でいいと思うのです。心のこもった肯定的な表現はどういう状況下でもご本人の胸に残るはずです。私が「TOGETHER」を36年間忘れないできたように、温かなひと言がどなたかを救うことだってあると考えています。
 
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2017.04.29 07:45

 先日ちょっと書いたのですが、明日4月30日の日曜日から5月5日の金曜日まで私の勤務しているZ会進学教室は連休のため閉まります。記事のほうもお休みしますが、例年どこかで1~2回は更新していますので、今年もそんな感じになってくるかと思います。
 ブログ右側をクリックしていただけると入れる応援メッセージ「どうしたら勉強ができるようになるか」はもう62回分記事を書きました。こちらは無限にネタがあるわけではないので、どこかで終わりになりそうです。
 
 私は明確に招待をいただいた会合以外には参加したくないのです。もちろん比喩ですよ。何かみんなでごちゃごちゃやっていて楽しそうだから、自分も参加させてくれという発想を持ちません。
 幼いころ、私が誰かと遊んでいる輪の中に「いーれーてー!」と突然入ってくる子がいました。よくある光景ですね。そのとき、心の狭い私は内心ちょっと邪魔だなと感じることがありました。誰かが入ってくると空気が変わる。せっかくいい感じで盛り上がっているのに・・・という気持ちでした。
 
 ということは、私があとから入っていくのを不快に感じる人間もいるはずです。そこで明確に招待されなければ入っていけない人間になりました。ブログに関しては日々たくさんの方がいらしてくださるので、招かれているという安心感があります。
 文章を書くのが大変ではないかと質問されることがありますが、そうでもありません。言葉はひとりでに湧いてくる感じです。何を書いていてもそう。先日も観念的な小説を1本完成させた(趣味でそんなものまで書いているということですね)ので、ある地方文学賞に応募してみました。
 
 地方文学賞というのは中間小説的なものが求められるでしょうから、観念的な作品はかすりもしないでしょう。それはそれでいいのですよ。何かしら目標があったほうがはかどるかも・・・程度のことでした。
 報酬や賞賛が得られなくても何かを一心に完成させたくなる。人間のそうした側面はある種の救いに思えます。現在の自分が本当に興味のあることは、個々の魂の進化です。生活の発展や経済的、社会的な成長よりもっと本質的な部分がどう変わっていくかに関心があり、文章を書くことは深いところでそこにかかわってくる気がしています。
 
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2017.04.28 00:25

 今年も生徒たちが合格体験記を書いてくださいました。保護者の方が書いてくださったものもあります。ある生徒、私は教科は教えたことがなかったのですが面接の練習をしただけですばらしい人間だということがよくわかりました。
 本人にも告げましたが、話していて半端ではない温かみを感じました。優秀な子はたくさんいます。それで十分でしょう。ただその生徒は、加えてものすごく温かい。具体的なことは書きにくいのですが、こんな子がいれば日本も安心だと感じました。
 
 彼のおうちの方が書いてくださった体験記を読んで、なるほど・・・と思いましたよ。勉強はそれなりに大変だったということが書かれていた。それは全員同じだと思います。そのあとがいい。
 食卓でその日の授業内容や先生方の話を楽しそうに話していた。友だちのすごさを自分のことのように楽しそうに話していたとありました。
 私が感心したのはそうした空間を構築された保護者の方の手腕です。その温かみがそのままその生徒の温かさにつながっていったわけですね。
 
 話の途中で、腰を折らないことはとても大切です。徹底的に聞く。話が少し矛盾していてもとにかく聞く。「しっかりやらなければだめだ」とか「ところで、点数はどうだったのだ」とか「ちっともやっているように見えないぞ」とか、こちらの主観に基づいたことを口にする以前に、とにかく徹底的に聞く。
 それだけの度量が必要で、話の途中でこちらが怒り出したりしたら彼らはもう2度と話そうとしないでしょう。
 
 どんなアドヴァイスよりも話を聞いてあげられる、闊達に自由に喋れる場を作るということは大切なことだと思います。
 うちの子なんかいまでも、夜遅く帰ってきて深夜食卓であれこれ家内に会社のことを喋っています。愚痴が出たり文句が出たりする日もありますが、家内は楽しそうに聞いているだけで、雰囲気が悪くなることはまずありません。
 
 数年前も合格体験記に「母の明るさに救われた」と書いていた生徒がいました。応援というのはそうしたものだと思います。極論すれば、私たちにできることは相手を明るくするか暗くするかだけなのでしょう。どちらがいいか、わざわざ書くまでもないことですね。
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2017.04.26 01:28

 はじめのうちはそうでもないのです。中には最初から若干雑な生徒もいますが、中学生になりたてのころは名前ぐらいは丁寧に書いている子のほうが圧倒的に多い。ところがある時点からーーとくに男の子ですねーーすごく乱雑に名前を書くようになったりします。
 読めない、続け字、殴り書き、名字だけ、途中までしか書いていない・・・いろいろなケースがありますが、困った答案が出てきます。
 
 毎回毎回漢字テストをやっていますからね。変化の様子はよくわかります。名前というのは要するに顔と同じでしょう。その顔をわざと汚くして他人と会う。本当はもっと整っているのに、場合によっては汚したりわざと表情を歪めたりして対面する。そういうことになると思います。
 そこには非常に大きな「心のすさみ」みたいなものが存在しているわけで、そのすさんだ感情をそのままにして成績だけがぐんぐん上がっていくということはありえないですね。
 
 顔をわざと汚しているような相手に、身なりをきちんと整えて好感を持たれましょうと提案しても効果はなさそうです。
 私は名前を乱雑に書く生徒を責めているわけではありません。まず、気づきなさいということです。名前をきちんと書く気がなくなっているあなたの心の中には何かしら不平不満、怒り、憂鬱、不安などが付着しているに違いない。理由は千差万別でしょう。学校のこと、友だちに対する憤り、部活の不満、先生への反発、親子関係がうまくいかない、漠然とした不安、他のことをしていたいなど色々あるとは思います。
 
 とにかくその不満や不安を解消することが、猛勉強するよりも先です。名前すら丁寧に書けない精神状態で猛勉強をはじめたところでうまくいくわけがないと思いませんか。名前だけではなく、数式も英単語も記述問題も何でも殴り書きたくなるでしょう。
 こちらも名前が非常に乱雑になってきた生徒のことは注意深く見るようにしています。ときどき答案に「あと少しだけ名前も丁寧に書きなよ」程度のコメントはつけて返すことがありますよ。
 
 精神的に落ち着いてくると乱雑に書かれていた名前がまた丁寧に書けるようになってくるから不思議です。気をつけるべきなのは、名前を丁寧に書かせるためにいくら「名前を丁寧に書け!」と叱責してもまったく意味がないということです。少なくとも永続的な効果はありません。
 症状の奥にあるものを察知して、そこに手当てを加えてやらなければいけない。医学と同じことになってくると思いますよ。症状の背後にある病巣をとりのぞくということですね。ご自身でもご家庭でもちょっと意識してみてください。
 
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2017.04.25 00:04

 昔、ヨガだか何だかの不思議な(?)本をぱらぱらめくっていたら、くしゃみを我慢することでエネルギーを温存する面白い技法について書かれていました。詳しくは忘れてしまったのですが、確かにくしゃみそのもののエネルギーはすごいものがありますね。口を覆わないと迷惑がかかることもありえます。
 それを内部にエネルギーとしてためることが本当にできるものなのかどうか私にはよくわかりませんが、発想としてはとても面白いと思いました。
 
 似たようなアメリカのことわざに「汽笛を鳴らす蒸気は機関車を動かさない」(そっくりそのままではありません)というものもありました。こちらは自己啓発の教材で見たものです。もちろん比喩的な解釈が施されていて、威勢のいいことばかり口にしている人間はそれだけで満足してしまって実行力がともなわない可能性があるから気をつけなさいと書かれていました。
 確かにそういうことはあるでしょう。適切に、力をためておく配慮は必要です。
 
 先日の朝、興味深い場面を目撃しました。あるお店のまえで従業員らしき女性がマネージャーらしき男の人に向かって文句をおっしゃっていた。文句というより嘆いているのです。マネージャーさんは水を撒いている途中だったらしいのですが、ホースからは水が出ていませんでしたから長いこと話していたのかもしれませんね。
 抗議している人の声は必然的に高くなります。「昨日だってあの人のために休憩時間を5分も削って」マネージャーさんの返事はぼそぼそしていて聞こえませんでした。5分さえ譲れないのか・・・と私は思いました。
 
 一般的な話になりますが、ネガディヴなエネルギーはそのまま外に出すより他の形に変形できればそれに越したことはないでしょう。ときどき運動選手なんかでも「悔しさをバネに」大きく飛躍するケースを目撃することがありますが、いくら悔しいからといってわめいたり暴れたりしていてはどうしても消耗してしまうでしょう。
 理不尽なことというのは生活にはつきもので、致命的な事件でなければ(これもまたある種の機会だ)ととらえようと私個人は考えています。あきらめるというより、新しい意識を作る瞬間として活用している感じですね。
 
 するととんでもない遠方から吉報が来たりする。これを理不尽さに腹をたてなかったことと関係ないと見るか関係ありと見るか。私はもちろん密接に関係していると考えています。証明はできませんが、あ、あの分がやっぱりという感覚があるのです。
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2017.04.23 00:25

8b433102d3960c28d9a1900e5ae38ad3eacde38d.jpg タマゴボーロというお菓子がありますね。さすがにこの歳になって積極的には食べないのですが、子どものころはよく食べた記憶があります。ただすごく好きだというわけでもなかった。子ども時代の私にとってタマゴボーロというのは「中途半端な」お菓子で、あれば食べもするけれども、なくてもべつに苦痛はない存在でした。
 そういう存在ってありますよ。唐突な例えを出すといま現在、たとえば「ちくわ」だとか「ひじきの煮物」だとかが私にとってそんな感じです。
 
 そのボーロに犬用のものがあることは知りませんでした。私が昔犬を飼っていた1970年代は、犬にも人間とたいして変わらないものを食べさせていました。おじやみたいな食事。犬専用のものを用意していなかった。
 現在はーー家内と息子が買ってくるのですがーー近所のペットショップから犬用の食べ物を仕入れてきます。お菓子もあるのですが、ぜんぶ犬用なので形だけは人間のタマゴボーロそっくりですが、味はよくわかりません。
 
 ちょっと食べてみようかなとも思う。やたらと犬が喜ぶので、そんなにおいしいのかという気持ちがあります。と同時に、そんなものを食べていてはいかんだろうという気持ちもあります。体調云々ではなく、そういうことを喜んでやっていると道(?)を踏み外すような気持ちがあるのです。
 犬はますます大きくなってきて、ケージから出すと喜んで大暴れするようになりました。息子は「だんだんバカになってきた」と嘆いていますが、はじめ品行方正だったのは単に緊張していただけだったのでしょう。
 
 噛み癖は相変わらずなので、ときどき全身をおさえつけたりしています。すると15秒ぐらいは噛みませんが、すぐに忘れてしまって再度噛みついてきます。力を入れてくるわけではありませんが、歯もしっかりしてきたので痛いことは痛いですね。
 そうやってひとしきり遊んでから突然「おすわり」をはじめる。「おすわり」はいちおう教えたのですが、自分から行儀よくそうする。そして、じーっとボーロの容器のほうを見つめている。
 
 はじめは偶然かとも思ったのですが、視線の先がいつもボーロの容器なのです。で、そわそわしはじめる。そろそろボーロをくれよという合図なのですね。ボーロを食べるか? とかお菓子がほしいか? とか呟くと、その単語だけは覚えたらしく、伸びあがって催促します。
 で、2粒やってケージにもどすという感じです。お菓子を楽しみに感じる心は人間に近いですね。近影をご覧ください。犬らしくなりました。ちなみにここは自室です。右奥に現在使用していないテレビデオがあります。さらに右手には毎日使用しているスチームアイロンが写っています。
 
 
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2017.04.22 06:06

 私は子どものときから洋楽を聴いてきたので、ああこれはブルーズだなとかファンクだなとかカントリーの影響を受けているなとか、それぐらいのことならわかります。洋楽を聴きはじめたのが13歳ぐらいでした。何十年もかけてやっとわかるようになったということですね。
 単純な自慢ではないのですよ。大量に蓄積していかないと、新しく出てきたものに対処できないという話を書きたいのです。同じ音楽でもたとえばクラシック音楽は全然聴きませんから、曲を聴かされてもまったくコメントできません。
 
 いい曲ですねで終わってしまう。だれだれの曲ではないですかとかだれだれの影響を受けていますねとか、何も知らないわけですから比較のしようがない。万が一、クラシック音楽のテストを受けたら私は間違いなく落第点をとると思います。要するにクラシック音楽については何も勉強してこなかったということです。
 文章の読解もそうなのですよ。まったく読んでいない人には目の前にあらわれた文章がどの程度のものなのか正確に判断できません。
 
 内容はわかったとしますね。内容はわかっても「格」みたいなものまではわからない。同じような話を読んだ経験もありませんから、あああの手の話題か・・・と響くものもない。ただ書いてある内容と何も知らない自分と2人きりみたいな頼りなさだけが残ります。
 文芸作品なんかも、この文章はだれだれの影響を受けているなとすぐにわかる人は相当読みこんでいる人です。確かにそういうことはあるでしょう。太宰治の作品を読んで、芥川龍之介にちょっと似ているかなとか。
 
 読まない人にはそういうものが一切ありません。これがどれだけ不利なことだかわかりますか? 私のクラシック音楽は、テストも何もありませんからこのまま放置しておいてもいいと思っていますが、これから国語のテストを何百回も受けるであろう小中高校生の皆さんが、読む気がしないからという理由で放置しておくことの不利がどれだけ大きいか、ちょっと恐ろしいぐらいです。
 
 食べ物に例えるともっとわかりやすいかな。まずいと言えるのはおいしさを知っている人です。これは好きと言える人はきらいという経験を持っている人です。相対的に表現したり理解したりしているものですね。
 食べ物に関してはーー食べないわけにもいかないのでーーそれなりに皆さん蓄積を持っている。甘いか辛いかのテストならどなたでも合格されるでしょう。
 最低限(せいぜい教科書程度)の蓄積のまま進めていったら、多くは苦戦するようになるでしょう。どれだけ読んでいるか、日々確認されるクセをつけられるといいと思います。
 
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2017.04.19 09:04

 難しいですね。数値をことさら重視する世の中になって、私は一般の人間が少しけちになったのではないかと思っています。吝嗇という意味のけちですね。お金を払う払わないというだけではなく、感情の表出についてけちになっている。
 心のどこかで、感情でさえ数値化するクセがついているのでしょう。ですから、けっこう計算はしているような気はします。気づかないふりではなく冷静に計算している。そして、ここは譲らなくていいと結論づける。
 
 譲らなくていいというのは、自分の時間や感情を使わなくてもいいということです。自分だけが親切にするのは、自分だけが支払いするのと同じであるという計算が働くのかもしれません。
 具体的に書くと、ちょっと困っているように見える級友(同僚)がいるけど、みんなだって声をかけていないのだし、まあいいんじゃないかなという感じでしょうか。
 昔よりけちけちした感じになってきたのは、数値による損得計算だらけの世の中の影響はやはりあると思います。
 
 お金を動かす(使う)ことも感情を動かす(他者に優しく接する)こともどちらもじつはすごくいいことです。血液の流れと同じです。いくら大切な血液でも、貯めこむばかりで一切動かさなければ大変なことになってしまうでしょう。
 適切にむりのない範囲で身体を動かして、どんどん循環させたほうがよほど健康的です。そうやって豊かな感情を大きく流せる人間を世の中では「心の広い人」と呼んでいますね。
 
 構造的に難しい問題というのはいくらでもありますが、基本的に狭い心ではうまくいかない。上の人間がやたらと雷を落とす。いらいらしている。ときにはヒステリーを起こす。国家間の係争でさえ、現在はそんな感じになってきていますね。まあまあ少し落ち着いて・・・と言いたくなります。
 大人が子どもにものすごく厳しいとしますね。すると子どもは命令に従うのみですからちっとも大人になれません。従順なだけで、自分で物事を考えない生活を続けます。
 
 仮に本当に勉強ができるようにということであればご本人を大人にするしか手はないのですから、やたらと厳しくて命令を聞かせるだけ・・・ということでは永遠に進歩がないですね。
 親子関係も組織も国家も同じですね。上に立つものの度量が試されている。まずは愛情の伝達にけちけちしないことです。内にも外にもふんだんに。愛情の「磁場」を個々人が意識的に形成する。そのうえで未熟な者を自立できるように助けていく。道はそれしか残されていないように感じます。
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2017.04.18 08:57

 世の中がわさわさしていて落ち着きませんね。ミサイルが飛んできたら・・・みたいな注意が公になされていました。核爆発があったときはという記述も読みましたが、本当のことを言ってしまえばそんなことになったらもう何をしても遅いでしょう。どこの国がどうこうということではなく、人間の良心的な英知が残忍な欲望に敗れたということになるのだと考えます。
 そんなとんでもないことにならないように政治や科学や教育や哲学、宗教などが機能するべきだと思うのですが、上手く働いていませんね。
 
 いちおう予定だけ書いておくと、本年度私が所属しているZ会進学教室(Z会全体ではありませんよ)の休室日(講義がないだけではなく教室自体が閉まる日)は4月の30日から5月の5日までです。6日の土曜日はやはり授業はありませんが、教室は開いています。翌日からの準備をしておかないといけませんからね。
 とくに何もなければ6連休です。長い連休がとれるのは1年でこの1回きりなので、またぶらぶらしてこようかな。
 
 豊橋市の豊橋は今月渡ってしまったので、さすがに中京地方はもういいですかね。歩きたいところはだいたい歩いてしまいました。もう1度行きたい場所を冷静に整理してみようかなとも思っています。
 ガイドブックなどを見ていて、私はあまり施設に惹かれることがありません。土地というか場所のムードというか、そういうものに惹かれるのです。ですから、あの施設にもう1度行きたい・・・というよりは、あのあたりをもう1度歩きたいという感覚が強い感じです。
 
 大阪にちょっと歩いてみたいところがあります。いわゆる新世界なのですが、ちょうど10年前「最後の真剣師」と呼ばれていた将棋の大田学先生が亡くなられた。大田先生はプロにもならず家庭も持たず、最後の最後までアマチュア棋士としてーー道場の師範などをされーー生活されていました。その大田先生が住んでいらっしゃった簡易旅館のあたりが現在どうなっているのかちょっと見たい気持ちがあります。
 じつは過去そのあたりを見に行ったことが2回ありました。しかし、そうなるとさすがに日帰りはむりそうですね。
 
 そんな平和な連休が送れたらありがたいことです。平和というのは単純に軍事力でどうこうなるものではなく、思想的にも努力して維持できるのだということをつくづく感じています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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