2018.04.14 08:17

 最近の若い方が無欲であるという話がときどき出てきます。それはどちらかといえばよいことではないという論調が多いような気がします。車はいらない。部屋は住めればいい。会社で出世しようとは思わない。結婚はとくにしなくてもいい。
 私はーーよくわかりませんがーーそういうのは、悟りの境地に近いような気がしなくもありません。日本人(長年日本で生活されている方という意味です)全体が、ある意味成熟した意識に移行しつつあるのかもしれないですね。
 
 だいたいの場合、それではいかんだろうという強い意見は経済畑のほうから出てきます。若い人たちがみんなそんなになってしまっては、豊かになれないではないかというわけです。金銭的な面では確かにそういうことはあるでしょう。物が売れない。何しろほしがらないのですから売りようがない。
 ただ豊かさというのはお金だけではないですからね。彼らはお金や物をたいして持っていなくても、ご自身を豊かであると認識している可能性もあります。もしそうであるなら、他者があんまりあれこれ言うのはどうなのかなとも思います。
 
 その豊かさというのは、ほら見て見て・・・という類のものではないでしょう。自由に使える時間がたくさんある。いろいろな人を好きになれる。面倒なことを指示されずにすむ。寝たいときはやすらかに十分眠れる。かけがえのない友だちがいる。趣味が豊富である。
 ほら見て見てということが1つもなくても、ある意味かなり豊かなのではないかという気はします。
 じつは自分自身がそうした若者の先駆的な(?)タイプではなかったかと感じることもあるのです。
 
 私の若いときは、若い方が車を持つのがブームでした。友人にもそういう人間が何人もいました。私はしかし、まったく興味がなかった。免許だけはとりましたが、友人が何々という車を買ったと自慢していても、うらやましくもなんともなかった。とくに乗りたくないのですからほしいわけがない。
 また「大志」というのがよくわかりませんでした。「少年よ、大志を抱け!」の大志です。何となく生きていればいいという気持ちしかない。批判されると面倒臭いのでさまざまな形に韜晦させていましたが。
 
 自分の場合は、若干育てられ方も関係していたかもしれません。いずれにせよ、無欲であるというのはそれなりに意味のあることではないかと私は考えています。大志はないという生き方も、一概に否定されるものではないということです。むしろ他者を傷つけてしまう目標や大志が、世の中にはあまりにも多いのではないかと危惧しています。 
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2018.04.13 03:54

 毎年、ゴールデンウイークのあたりはお休みになります。私の勤めている部署のお話であって、会社のすべてが連休になるわけではありません。通っていらっしゃる方は、それぞれの教室のスケジュールを確認してください。
 Z会進学教室渋谷教室は休室日が4月29日~5月4日の6日間です。5月5日は授業はありませんが、教室そのものは開けます。翌日からの準備がありますからね。6月に1泊で遠出をしようと思っているので、今回は東京で大人しくしているかもしれません。
 
 親しい方の結婚式があり、それはうかがうことになっています。私としてはこれが最後の結婚式出席かな。息子は何となく私が生きているうちは結婚しないのではないかという気がするのです。
 その息子が「ひとり暮らしをしたい」と言いはじめました。吉祥寺で部屋を探したみたいです。私はそういうことも本人の好きにさせたほうがいいと思うので、放置してあります。部屋を借りるときの保証人になる程度ですね。西荻窪から吉祥寺では一駅しか違わないのでいまのままでもいいようにも感じますが、そういうものでもないのでしょう。
 
 犬がちょっと寂しがるのではないかという気がします。最近は息子の部屋にもそろそろ入っていったりしているそうなので(寝ているところを起こされたと言っていました)、犬にしてみればあのおにいちゃんはどうしたのだろう? ぐらいには思うかもしれない。
 私もひとり暮らしをしていた時代がありますが、部屋なんかはすごくきれいにしていました。引越すときに不動産屋さんに「これだけきれいに使ってもらえれば大家さんもうれしいだろう」と言われたぐらいです。
 
 掃除をして洗濯をしてときに食事を作っていました。アイロンをかけたりということも頻繁にしていた。
 ところが他人と暮らすとそういうわけにはいかなくなります。自分の領域ではないところは自分の好き勝手にはできません。私から見ると汚れていることがあります。ただ何をきれいきたないというのはそれぞれの感覚ですから、私は自分の感じ方をあまり押しつけたくない。何が何でも整理整頓を強制したくないのです。
 
 息子や家内の居場所は雑然としているので、犬もまたそのあたりは安心して歩き回る。私の部屋だけは入ることを躊躇しています。私のいないときだけこっそり入ったりしています。何かしらいたずらの形跡が残っているのでわかってしまう。
 犬なりに何か感じるのでしょうね。その何かがそれぞれの個性なのだと思います。
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2018.04.12 01:29

 渋谷教室に私が移ってきたのが2011年でした。大震災があった年ですね。丸7年経過し今年で8年目に入っています。そのまえに担当していた池袋教室が2004年~2010年でしたからいつのまにやら渋谷教室勤務のほうが長くなっていました。
 ときどき生徒や保護者の方に「先生はいつまでいらっしゃいますか?」と質問されることがあり、あそうか、自分は歳をとっていたのだった・・・と妙なことに感心するときがあります。ふだんは忘れているものなのですよ。
 
 そう長くはないかもしれませんが、少なくともこの1年間は渋谷にいることになりました。
 私は毎日どこで昼食をとったかを手帳にメモしています。狙いがあるわけではなくあとで振り返るとけっこう楽しいというだけなのですが、池袋時代もずーっとそうしていました。当時の手帳を見るといろいろなことを思い出します。
 渋谷に移った当初、池袋より飲食店の物価(?)がちょっとだけ高いように感じました。地域差みたいなものですね。
 
 まあ、平均して150円ぐらいですかね。
 行くお店というのはだんだん限られてくるものです。盛り場にはお店が無限にありますが、無限にうろうろするのは落ち着きません。向かいの洋食屋さんはーー面白いので行くたびに回数を記録してきましたーー379回通っています。すごい数字ですが、7で割れば54なので、だいたい週に1回ということです。そこまでなじみになってしまうとしばらく行かないと心配されたりするので、渋谷教室勤務のあいだは通い続けることになると思います。
 
 池袋教室でも渋谷教室でもそうですが、私は一緒に働いてくださる教務関係の仲間がお仕事をやめないことをひそかにうれしく感じています。こういう時代ですから、世の中の皆さんはひんぱんにお仕事をかえますね。それはもちろん悪いことではありません。私にしてもいくつかの塾で教えてきて、最終地点としていまここにいます。よりよい環境を求めるのは、ごく健全な欲求でしょう。
 ただやめる方が少ないのは、仕事場自体を楽しく感じてくださっているのかなと思うのです。
 
 仕事というのは、できればうきうきやれたほうがいいですね。同じ作業でもうんざりよりはうきうきのほうがいい。先生業の私であれば、教える内容は同じでもげんなりしながらよりは面白がって教えたほうがいいに決まっています。
  楽しんでいる波は他者に伝播しますから、教室の環境として楽しんでいる感じが少しでも広がっていけばいいと思います。楽しまなければいけないのはまず自分ですね。そこが原点でしょう。
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2018.04.10 08:30

 教室に中学生時代の家庭教師の先生が突然いらしてくださった話を書きました。その先生から改めてご連絡をいただき、先日30年ぶりぐらいで食事をしました。私にとってそう呼ぶのが自然なので「先生」としておきますが、当然のように「ここでどうだろう?」と入っていかれたお店はフランス料理のお店でしたよ。
 ふだん立ち飲みばかり行っているので、めまいがしました。立って飲み食いするのが習慣になってしまい、座るとかえって不安定だったりするのです。どうかと思いますよ。
 
 フランス料理を食べる機会は私の生活にはまずありません。どなたかの結婚式以来ではないかと思います。先生は年齢的なこともありアルコール類は召し上がらないとおっしゃるので、私だけビールを飲みました。がぶがぶは飲めないですよ。1回だけおかわりしたのですが、ホッピーだとか酎ハイだとかあるわけがない。そうかと言ってワインは色しかわからないので、2杯目もビールにしました。
 昔の話がいろいろ出てきた。私がはじめて書いた小説をお見せした話をしたら、そんなことがあったかね? という感じでした。それはそうでしょうね。
 
 ヘミングウェイに似ていると言われた話もしました。「そんなことを言ったか」と笑顔を見せられていた。
 きみは音楽が好きだったよなと覚えていてくださったのはうれしかった。中学生のころ、しばしばザ・フォー・シーズンズの話をしたものです。「裏声が好きだったね」とも言われました。小さなプレイヤーでこの曲のこの部分・・・と裏声のところばかり聴いていただいた記憶があります。私は先生を全面的に信頼していたので、自分の好きなものは理解してもらいたかったのです。
 
 きみの教室はまじめで賢そうな子が多いねともおっしゃっていた。先生が教室に来られたとき、ちょうど休み時間で廊下に生徒が出ていました。その集団が賢そうだというお話だったのですが、それは講師の先生にも指摘されます。別の曜日は他塾で教えていらっしゃったりする先生が「ここの生徒は見るからに賢そうですね」と。
 集団の雰囲気というものがあり、私もはじめてZ会進学教室(三鷹教室)で授業を担当した21年前、これはできそうな集団だなと緊張したことを覚えています。
 
 先生ご自身にも思い出に残る高名な数学の先生がいらっしゃるそうで、その先生のひと言がいまだに印象に残っていて現在も勉強を続ける原動力になっているとおっしゃっていました。経営されている会社のお仕事とは全然別に、数学的な何かを継続的に勉強されているニュアンスでした。そういうところはやはりすごい。見習いたいと思います。
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2018.04.09 07:31

 昨日、他者を好きになることについてご質問をいただきました。どうもありがとうございます。恋愛生活62年(病気か!)の私は現在こう考えています。
 人間はどなたでも現実生活に若干うんざりする瞬間があります。何が悪いどこがおかしいというわけではない。けれども何かしら疲弊している。磨耗している。いつもの豆腐の味噌汁、いつもの悪ふざけみたいなテレビ番組、いつもの風呂場のカビ・・・いま眼前にある生だけがすべてであるとは考えたくない。どこかに行きたい。ほかの世界をかいま見たい。そうしたときにぽんと飛べる世界の1つが「恋」です。
 
 もちろん他の方向に飛んでいく方もいますね。海外に、仕事を変える、学校をやめる、ギャンブルに興じる、山にこもる・・・いろいろあると思います。
 要するにいまの等身大の自分自身からちょっと距離を置きたいということです。そしてある人は激しい恋をする。恋をしている最中はすべてがいままでとは違って見えてくる。見慣れた丘の木々がやたらと美しい。何百回も聴いてきたバラードを聴いて涙ぐむ。通勤通学途中で目撃した夕焼けにさえ手を合わせたくなる。
 その感覚は劇薬に近いものがあるので、継続していくうちに当然疲れてきます。
 
 神経が疲れてくるのです。夢のような感覚でふわふわ生きているものですから、現実の世界でつまらない失敗も起こしてしまう。相手と一緒にいることばかり考え、生活自体がいびつな形になってくる。全時間を相手に捧げていきたいのにそれが困難になってくる。
 するとどこかにまた「等身大の、リアルな自分自身に戻りたい」という気持ちが生じてきます。夢の中は楽しいものの、楽しいだけではないひりひりした切ない生活もまたよかったのではないかと考える。
 
 そして、恋する気持ちを無意識に冷却させます。「自分自身の本当の気持ちがわからなくなった」という表現の中には、多かれ少なかれそうした要素が混入している。ところがまたしばらくあたりまえの生活を送っていると、そのリアルさに息がつまってくる。そして再び劇的な恋に陥ることがある。それを何度も繰り返す。
 いずれにせよ、相手の方はあくまでも触媒にすぎず、恋する激情はご自身の中から出てきたものです。この人がいなければ愛はないという切迫した感覚はじつはトリックなのですが、そのことに気づける人間はほとんどいません。
 
 過去、私は何人かの女性に恋をしましたが、すべて自身の感性や美学をどこかで誇りたいがためのものであったという感想をーーいまだからこそーー意識することができます。こういう恋をする自分って最高だなという自負心が他者を好きになる気持ちの背後に隠れていたという意味です。
 相手に力を与えすぎて破滅的な感じに混乱されるケースも起こりえますが、その情熱は相手ではなくあなたご自身のものです。じつは依然として、あなたがあなたの全生活の指揮権を握られているということです。
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2018.04.08 07:52

 ものの値段というのはどう考えたらいいのかなかなか難しいところがあります。いつも私が散髪していただいている理容師の方(天皇陛下と同い年)が、駅なかなどにある1500円でカットだけするお店を非常に批判的に見ていらっしゃってときどき話題になることがあります。正しい値段設定ではないとおっしゃるわけです。
 以前、ある大臣がその種のお店でカットされたというニュースがテレビで放映されたことがありました。庶民派というイメージを演出したかったのかもしれませんね。
 
 そういうのはやっぱりーー大臣ですからねーーふさわしくないのではないか。立場を考えて、それなりのお店で散髪したほうがいいとおっしゃっていた。
 まあ、そういうことはありそうですね。何かの本で読んだことがありますが、宮内庁や最高裁判所の方なんかは、あんまり妙なお店に出入りしていてはまずいそうですね。屋台の立ち飲みで気楽にホッピーでも・・・というわけにはいかないのでしょう。不慮の事故でもあったらまずいですから。
 
 私は何でもない一庶民なのでその点はどこにでも自由に出入りできます。異様に安いお店もあり、そういうところでは本当に安上がりに飲めます。俗に言う「センベロ」というやつですね。千円でべろべろになるぐらいという意味ですが、いくら何でも千円ではべろべろになりません。
 ただおつまみ類は信じられないほど安いお店も存在します。最近、あちらこちらに出店されているBという立ち飲みチェーンもそうです。
 
 異常に安い。つまみ類が110円、130円、180円と豊富に揃っている。200円を超えるのは高級品です。飲み物も酎ハイなんかは250円ですごく安い。酎ハイ2杯と2品おつまみを頼んで千円しないというのですから場合によってはランチより安い。
 ここのチェーン店は急成長しているので、古くからの常連客が存在しません。それで若い人たちや女性なんかも安心して入っています。明るくていい雰囲気ではあると思います。
 
 それがあたりまえになってくると普通のお店に入るのを躊躇するようにもなります。酎ハイが350円「も」するのかよーなどと思ってしまう。おつまみにしてもBなら3品頼めるじゃないかと考えながら注文したりする。これは私だけではないらしく、食べログに「Bが基準になってしまって老舗の価格では満足できない」という意味のことを書かれていた方がいらっしゃった。
 ただ私もすべての機会にBを使っているわけではないですからね。ふさわしい状況に応じた価格というものがあるのだと思っています。
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2018.04.07 02:16

 ある時期から禅に興味を持つようになりました。宗教的な何かというより、俳句にひかれたりするのと同じ感覚でした。若いときは俳句はあっさりしすぎて何も感じませんでしたが、歳をとってーーいまもとくに詳しいわけではありませんがーーあえて17文字だけで表現しようという姿勢はすごいと思うようになりました。
 昔は長編小説のほうが、韻文(短歌や俳句)よりはるかに価値があるような錯覚を持っていたのです。
 
 別種の何かですね。民謡とヘヴィ・メタルは同じ音楽という意味では重なる部分があるものの、やっぱり比べるのは不自然でしょう。どちらがどうと優劣をつけたりするものではなさそうです。ただその種の比較は話題にしたいこととあまり関係がないので、この程度にしておきます。
 俳句にひかれる気持ちで禅にもひかれ、いろいろな書物を読みました。集団で活動するのが苦手なので、会合に参加するのではなくあくまでも原理を直接理解したいという気持ちがありました。
 
 何より強く魅了されたのが、日常のすべてが禅であるという考え方です。禅を歩く禅を生きる。生活のすべてが禅だというのです。歩くことも眠ることも勉強することも遊ぶことも、すべてかけがえのない瞬間であると意識して生活する。
 この発想は画期的だと思いました。と同時に、自分の中には分裂した部分がたくさんあることにも気づいた。つねに全力で日々の生活を送ってきたわけではなく、頑張ったり頑張らなかったりのまだら模様に生きているということです。
 
 頑張る部分はものすごく真面目にやってはいた。勉強にたとえるとこういうことです。たとえば英語にしておきますか。それはものすごく真剣にやると決めて頑張ってきた。しかし他教科は関係ないということでほとんどやらない。英語の時間は先生の話を一生懸命聞き、ノートもとるし質問にも行く。予習も復習も完璧にやる。ところが他教科は予復習はゼロで授業中も寝ている。それでいいと考えていた。
 そうではない。全教科頑張るのが生きることだと禅の本には書いてありました。
 
 私は少しでもそちらの方向に近づいていきたいと考えたのですが、同時に少しずつ個人の目標がなくなってきました。すべての時空間が等質に大切だということになってくると、これだけは・・・という概念が喪失します。そういう意味では、目標を失った感覚はあるのです。
 行き着きたいところがない。絶対手に入れたいものがない。これだけはという何かがまったくない。パジャマまでぜんぶ「勝負服」になってしまったので、あえて人さまに「これが勝負服です」とお見せする晴れ着がない感覚なのです。
 
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2018.04.06 08:19

 これはとても不思議なのですが、生徒に授業のアンケートをとると歳をとった私に対して「かっこいい」と書く生徒が昨年から突然出てくるようになりました。とくに小学生や低学年の中学生の男の子ですね。以前は皆無でしたから歳をとることによって何かしら「じじいのくせに頑張っていてかっこいいなー」というおかしな要素が出てきたのではないかと思います。
 さすがに笑ってしまいますよ。彼らにとってーー仮に12歳だとするとーー私は田舎(でなくてもいいのですが)のおじいさんおばあさんの世代でしょう。
 
 たぶん本当のおじいさまやおばあさまが彼らと接するときは、仕事ではないわけですからもっとゆったりした感じなのだと思います。お孫さんがいらっしゃってにこにこ相手をするイメージですね。ほんのちょっと昔にさかのぼれば、抱っこされたり一緒に寝たりということもあったのかもしれません。
 おじいさまやおばあさまのお仕事ぶりまではご覧になっていないでしょうから、その世代はゆったりしているのが当然だと考えていた。私がスーツ姿で教壇に立っているところを見ると「このじじいはくつろいでいない!」と思われるのかもしれないですね。
 
 考えてみれば、現在私がいちばん勢いがあるのはやはり授業中かもしれません。酒場でも若干の勢いはあるような気はしますがそれはまた別種の勢いで、いちばんしっかりしているのは授業しているときだと思います。わかってもらわなければいけないというだけでなく、何かしら興味だとか関心だとかを持ってもらわなければいけないという気持ちもありますし、またつまらなくて苦痛・・・というような状態だけは回避したいとも考える。
 生徒が私を見ているのがわかるので、何を着るべきかどう振舞うべきかということもかなり意識します。
 
 ここ10年以上私は生徒を強く叱ったりする機会がないのですが、それはあくまでも意識的にそうしています。だめだとか見こみがないとかというようなことも言ったことはありません。不用意な表現に限って心に残ってしまう。ですからつねに温かみのようなものは意識して対応しています。
 たとえば私は授業後に黒板を丁寧に消していますが、それは生徒に見せている要素もあります。いろいろな先生がいたほうがいいと思うので、他の先生のなさっていることとはまったく関係なくそうしています。授業に入ると黒板が消されていないときもまれにあります。
 
 そのときこそいつも以上に黙々と丁寧に消す。それを生徒がじっと見ている。1分ぐらいかかるときもありますが、わざと「こうやってはじめる前にうんときれいにしておくことでいい気分になれる」とか「きみたちも何かをスタートするときにはまず丁寧に周囲を片づけるといい」とか言ったりしています。すべて人生の勉強ですね。
 そういう62歳の男を「かっこいい」と思っていただけるのは光栄ですよ。
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2018.04.03 07:22

 スタートラインというか出だしというか、そこは妙な期待値なしにありのままの相手の状態を受け入れるところから出発するべきでしょう。うちの息子は小さいころ「ぼくは勉強したくないよ」とさかんに言っていました。いろいろなことを考えていたらしく、こう告げられたことがあります。「お父さんの仕事はわかっているけど、ぼくは勉強はやりたくないからね」
 笑ってしまいましたよ。受験勉強はたくさんしなくてもいいが、他に得意なことを見つけないといけないなと答えました。
 
 そのときは「大工さんになりたい」と言っていましたかね。家内にもそんなことを言っていたので、それならそれで将来は大工さんの勉強とか訓練をするといいと話したような気がします。
 私の住んでいる東京の杉並区は中学受験が盛んで、小学生のときから学習塾に通っている子がたくさんいます。小学校では当然そういう子の成績が高く出るので、受験しないご家庭でもお子さんを塾に通わせたりします。
 
 本人が何か言ってきたらそれも考えたかもしれませんが、「勉強したくない」息子は小学校時代1度も塾に通いませんでした。あるとき小学校の先生が受験をする生徒に長野くんとはーー勉強しなくなるといけないのでーー遊ばないほうがいいとおっしゃったという事件(?)があり、家内は多少憤慨していましたが私はそれは1つの考え方だと思いました。要するにそれぞれの生き方がある。
 小学校時代は劣等生でもまあよかったのですが、中学であまりにできないとちょっと恥をかくかなとは思いました。劣等意識の塊みたいになるのはよくないでしょう。
 
 そこで近所の、比較的ゆるやかな塾に通わせました。学校の友だちがいるところですね。みんなで自転車で帰ってくる。突然その日の授業科目が変更されたり若干心配な部分はあったのですが、ずーっと何も言わず本人任せにしました。そこでさえつらいということであれば、それもまた選択です。
 息子が大学に行きたいと言い出したのは高校2年生のときでした。そちらの方向には進まないものだとばかり考えていたのでちょっと意外でした。ではと応援するだけです。
 
 その後の大学や就職の選択も、私は一切口を出していません。やりたいようにやれ、あまりむりはするなぐらいです。社会人になって3年目に入りますが、今後もこちらの言いたいことは変わりません。
 ありのままの相手を受け入れる度量は大切だと思います。とくに相手がお子さんの場合ですね。「子ゆえの闇」という言葉がありますが、ありのままからスタートして少しずつ成長しようという気持ちを上手に持てないと親子ともども大混乱ということが起こりうるからです。
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2018.04.02 06:19

 ときどき教室に勧誘の電話がかかってきます。「教室長の先生はいらっしゃいますか?」みたいな電話ですね。だいたいは何かの投資話が出てきます。興味がないと言っても、本当に儲かるんですから・・・と粘られたりして困る。私は金銭は生活できるだけで十分だと考える人間であり、やみくもにお金をふやそうと考えることはむしろ避けて生きたいという信念(?)を持っていますと真面目に答えるのですが、相手は儲かりますの一点張りで若干うんざりするときもあります。
 
 乱暴に切ってしまってもいいのでしょうが、変に逆恨みされるといけない。そういうのは運命論的に不用意な対処法だと思っています。作用反作用の法則がありますから、相手がどなたであっても乱暴な風をあちらに吹きこめば、こちらにもどこからか同じ種類の風が戻ってくる可能性があります。
 相手も仕事のために必死なのでしょうから、いきなり切ったりするのはよろしくない。できればあちらから「それではまたの機会に」と切ってほしいのです。
 
 先日はチェーン展開している高級ホテルの会員にならないかという勧誘電話がかかってきました。女性の方でした。会員になると国内や海外で安く泊まれるというのです。私は海外には行きませんし、国内でもそのレベルの高級ホテルには泊まりません。20年ぐらい前に1度だけ家族旅行で大阪で泊まったことがありましたが、基本的には自分はJRグループ程度のホテルにしか泊まりません。
 列車はやみくもにグリーン車が好きなのですが、ホテルについてはそのレベルで十分満足なのです。
 
 自分の生活ではあまり利用しないという意味のことを伝えると「それではレストランやバーラウンジなどはいかがでしょう」とおっしゃった。レストランやバーでも会員はかなりお得だというのです。
 そのときはっきり自覚したのですが、私はーー少なくとも今回の人生でーーホテルのレストランやバーを使う人間ではなかったですね。お金がどうこうというだけではなく、そうした空間に魅力を感じないタイプだった・・・みたいです。私が落ち着くのは基本的に大衆酒場や立ち飲み屋さんであり、ゴージャスな雰囲気は苦手なのかもしれません。
 
 どうしてそうなったのかはよくわからない。ただそれは本質的な何かのようです。銀座よりは十条赤羽、ホテルのレストランよりは大衆酒場、オシャレなゲームよりは将棋、カクテルよりはホッピー、クラシック音楽よりはロック・・・という感じで、きわめて庶民的な文化を好んでいるように感じます。
 じつは私のすぐ周囲にはあまりそういう方がいませんでした。それでやたらと単独行動になるケースが多いのかもしれません。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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