2017.09.12 02:19

 年に2回ぐらい行く飲食店があります。新南口なのでここからは遠いのですよ。それでどうしても年2回ぐらいになってしまう。今年は初春に1回行きました。あのときはカキフライを食べたのではなかったか。タルタルソースを自分で作る形になっていて(マヨネーズやタマゴやピクルスみたいなのを小皿であえるのです)、妙に感動しました。
 先日もそれをやってみたかったので、タルタルソースを作るメニューを選びました。今年2回目の訪問ですね。
 
 その日の晩、教室に電話がかかってきました。はじめに「そちらのお教室は新南口にあるのですか?」とおっしゃる。場所がわからなくて困っている方なのかなと思いいろいろ話したのですが、微妙に話が噛み合わない。ここの場所を説明しようとしても困ったような反応なのです。
 そのうちその方が、じつは・・・と私が昼間うかがったお店の名前を出しました。その飲食店の人間ですと。え、昼間何かまずいことをしたか? とどきりとしましたよ。
 
 「お財布を・・・」と続けられたので、忘れたのか! と思ってとっさに自分の財布を確認した。するとあるではないですか。よく聞いてみると「会員証が入っているお財布が忘れ物であったのですが、生徒さんでは?」という話でした。
 整理するとこういうことになります。生徒らしき人物が私が昼間うかがった飲食店にたったいま財布を忘れていった。中を確認した店員さんが教室に電話をくださった。「どうしましょう」とおっしゃるので、こちらで預かりますと答えました。
 
 お店のほうも困っていらっしゃるでしょうし、わざわざ警察に届けていただくのも申し訳ない。さらに中学生が警察署に入るのは緊張するでしょう。塾で預かってご本人に連絡するのがいちばんいいと思いました。
 で、夜の8時すぎに出かけていった。名刺を持っていくとすぐにわかってくださいました。財布を受けとり、さきほどすぐその席で自分も食事をしていたという意味のことを告げると相手の方は笑っていらっしゃいました。それにしても「当日」というのは不思議です。
 
 ご家庭とも連絡がつき、ご本人が財布をとりにきました。忙しくて休会中の生徒だったのですが、会員証を捨てずに持っていてくださったということは・・・受験生になったら戻ってきてくださるのかもしれません。久しぶりに元気そうな顔を見られたのもよかったですよ。何でもないことです。何でもないことで、私たちはもっともっと幸せになれるような気がします。
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2017.09.10 00:22

 食の軍師というマンガがあります。私は第1巻からこの夏発売された最新第6巻までぜんぶ持っているのですが、この6巻は非常に面白かったのでちょっと書いておきます。無理に読まなくてもいいですよ。
 面白いというのは・・・ばかばかしいのですが、こだわりですね。主人公には独特の美学があり、徹底的にこだわる。そこが面白い。今回は「大衆食堂」がテーマになっていました。そういうお店が首都圏にまだいくつか残っている。そこに出かけて行ってこだわりを見せる。
 
 大衆食堂というのは私なんかの世代には懐かしいのですよ。あちらこちらにあった。以前、中野坂上に2軒並んで「大衆食堂」があったため、それを固有名詞と勘違いした小学生の私が混乱したという話はどこかで書きました。つまり大衆という単語の正確な意味がわからなかったのです。「長野食堂」と書けば固有名詞的になるのでしょうが、そういうお店が並んでいるのは奇跡だと変な錯覚をして、それぞれのお店に電話をかけてみたりしました。このお話は繰り返しになるので省略します。
 
 主人公の「ホンゴウ」さんが胸を張って勢いよく「入堂!」と大衆食堂に入っていく。入堂なんて言葉、よく作ったものだと思います。
 野方のあるお店に入る話がありました。野方は私が35年以上昔に勤めていたところです。そのとき、先輩の先生方と宴会をした。カニを食べたのではなかったか。そこの会場になった食堂が出てきます。
 数年前だったか、私もふらりと行ってみたことがありました。30年ぶりぐらいだったのですが、建物そのものがすっかりきれいになり進化していましたよ。
 
 昼間から地元の方たちがお酒を飲んだりしていて、ゆるい感じのいい雰囲気でした。私もーービールだったかなーー何か飲んだと思います。そして定食を食べた。昔からおいしいと評判だったのですが、この値段でよく頑張っているなという気持ちになりました。めちゃくちゃに安いというわけではないものの、高くはない。何しろ種類が豊富ですからね。定食も丼物も麺類も個人店でおいしく作っているというのはすごいことだと思います。
 昔、西日暮里に深淵な大衆食堂がありました。ここは凄まじかった。皆さん、昼間からべろんべろんに酔っ払っている。
 
 お年寄りが多かったですね。着物姿のおばあさんが複数のおじいさんを引き連れて飲んでいたりしました。私はテレビで見て(「ガード下酔いどれ人生」)2回お邪魔しました。ただ浮きましたね。浮くことはあまり気にはならなかったのですが、雰囲気をこわすのはよくないような気がして行かなくなりました。いまはもうなくなっています。
 十条にいい食堂があります。こんなことを書いていたらむしょうに「入堂!」したくなってきましたよ。月曜日はお休みなので、歯医者さんのあと入堂しようかな。
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2017.09.09 00:58

 おおげさな話ではないのですが、歳をとって若いときよりはさまざまな存在に慈悲(的確な表現が見つからないので使わせてください)の気持ちを抱くようになりました。人間に害をもたらすものに対しても、です。
 たとえばアナサキス。魚の内臓が腐ってくると身にほうに移動してくるというのですが、それはそうだろうという気がします。腐ったところにはいたくないでしょう。自身が生きていくことに一生懸命であるというだけのことですね。だからと言って駆除しないわけにはいきませんが、気の毒だなとは思います。
 
 同じくヒアリ。先日の報道では何百匹も駆除したと書いてありました。ヒアリにしてみれば何が何だかわからないでしょうね。女王アリも含めてわーっと殲滅させられてしまう。日本に来たくて来たわけではないでしょうし、これまた駆除しない選択肢はないものの気の毒は気の毒ですよ。
 駆除は確かに必要でしょう。ただ自然保護と声高に叫びながら、あくまでも人間中心でしかない側面については、少しだけ意識しておいてもいいのかなと思います。全体から見たら、人間はあまりにも勝手です。
 
 畏怖の感情をなくしているところが、現代人の不気味さを助長しているのではないか。以前ーー何で読んだのか忘れてしまいましたーー工事で土を深く掘ったりするときには皆さんで心から祈ったらしいですね。地球に対して大それたことをしてごめんなさいと祈った。儀式だけではなく心から祈った。祈ったご本人が書いていた文章でしたから、そういうものだったのでしょう。
 ところが最近の若い方は、そんなのは迷信だと感じているとも書いてありました。儀式的なものに参加しても、地球に痛みを与えているという申し訳なさは全然感じていない。
 
 そういう人がどんどん増えてきて社会を形成するとなると、ちょっとこわいのではないかという気持ちになります。戦争に関しても勝ち負けとか軍事的な規模だとか最新兵器の優劣みたいなことばかり問題にしていて、相手に与える痛みをあまり想像しようとしない。
 自分が殺されないために他者を殺すしかないのが戦争ですが、それが双方にどれぐらいの打撃であるかという本質がないがしろにされているような気がします。そのほうが都合がいいと考えている存在があるのかもしれません。
 
 1人が殺されればその人の親兄弟、子ども、親友や恋人、同級生、世話になったり世話してきたりした人・・・全員に相当痛烈な痛みを届けることになります。何十人も亡くなれば、その痛みの総量は何十倍にもなります。
 昔は恨みだとか呪いだとか逆念だとか、いろいろな用語を駆使して乱暴を止めようとしていました。それを昨今のようにすべて科学的ではない、迷信だよと片づけてしまうのはどうなのでしょう。
 
 アナサキスやヒアリの駆除もせめて祈りながらやる。形だけではなく、心の底からごめんねと呟きながらやる。生き物の生命を奪うという大それた行為への畏怖心ですね。そうした感覚を育てていくしか人類が生き延びていく方法はないような気がしています。
 どこと組むとか、何を働きかけるとか・・・そういうのは末梢的なことであり本質的な解決策ではないでしょう。子どもたちは気づかないですからね。そうしたことを真面目に提言する人間は絶対に必要だと思います。
 
 
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2017.09.08 04:39

 いわゆるⅡ期の授業が今週の日曜日からはじまっています。中1のクラスで改めてーー私は同じことを繰り返し話していますーー3つ、これだけは守ってほしいと板書しました。できれば写しなさいとも言いました。たった3つでも「あれ? もう1つ何だっけ?」と忘れてしまうものなのですよ。
 まず、毎日15分以上活字を読む。これは紙で読んだほうがいい。いまのところテスト類は基本的にすべて紙ですから、紙で読む。条件を揃えます。
 
 つぎは、ていねいに書く。走り書きのメモであれば雑に書いてもさしつかえないですが、ノートやプリント類などは、とにかくていねいに書く。上手でなくてもいいのです。上手下手の問題ではなく、「ていねいにやろうという心」が大切なのです。のろのろ書いてもいいという意味ではありません。ていねいに、すばやく書けるように自分を鍛えていこうということです。
 そういう意識を持って、全教科全場面でていねいにていねいに書く。
 
 3つ目が解き直しです。1度やったものを解き直す。とくにミスしたものですね。ミスは消しゴムで消さずに(ていねいには書かれているはずです)残しておく。そして解き直してどこがどう変わったか確認してください。
 テストはもちろん解き直しますが、テスト以外のふだんの勉強でもミスしたもの、うんと時間をかけなければできなかったものは必ず解き直してみることです。
 これを復習と呼ぶのですが、一般的には復習というとやったことをざっと見るだけ(解き直しの作業はしない)という人がたくさんいますね。それではいけません。
 
 この3つをやらなければ、何をやってもうまくいかないよと言いました。ですから、現在不調である方はこの3つのうちの何かが欠けているのではないかと思います。活字を読んでいないか、雑に書いているか、解き直していないか。場合によっては3つともやっていないという方もいらっしゃるかもしれません。
 通信をやっているとか塾に通っているとか、それは非常にいいことなのですが、勉強習慣を大事にしないとなかなか点数が上がらないのは事実です。
 
 この3つを柱に頑張ってみてください。
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2017.09.06 00:06

 先日「奇妙な話」というタイトルで記事を書いたところ、皆さん面白がってくださったみたいなので、もう1つすごい話を書きます。
 ところが、この話、ウソが含まれている可能性があるのです。可能性があるというのは・・・あまりにも面白い再会だったので、何十年も昔に小説化しました。そのとき確実に何かをつけ加えました。それがどの部分だかわからなくなっているのですよ。つまり事実と創作の境界線がわからなくなってしまった。それぐらい異常な事件でした。
 
 仮にAくんとしておきますか。イニシャルではないですよ。同い年の人間です。Aくん、学生時代に失踪しました。家出ですね。通っていた学校にももちろん行かなくなり、その後のことは私は知りません。私たちはほとんど話したこともなかった。Aくんはもともとは勉強家で、真面目な人間でした。ご家庭で何かあったらしいのですが、細かい事情はまったくわかりません。
 Aくんを最後に目撃してから3年後ぐらいですかね。
 
 当時大学生だった私は、神泉駅近くの配送所で夏休みだけ短期間のアルバイトについていました。配送所に送られてくるお中元用の荷物や伝票を整理する仕事でした。カルピスのセットが全盛期で、やたら重かったなあ。
 帰りは好奇心から、渋谷まで裏通りを歩いて帰りました。いまでこそ神泉にはオシャレな飲食店がたくさんできていますが、当時はいわゆる「あやしげな」旅館街で夜間女性や子どもが1人で歩くのは避けたい雰囲気が漂っていました。40年前ですからね。
 
 そこでグリーンのダブルのスーツ姿のAくんとばったり会った。Aくんは女性連れで、しかもその女性は欧米系の外国人でした。それはそれは目立ちますよ。グリーンのスーツに白人連れでは。
 何を話したか忘れてしまいましたが、こう言われたことだけは覚えています。「お前、まだ『せーがく』やっとるんかー!」
 せーがく、つまり学生ですね。ひっくり返してそう発音した。さらにちょうどいいところで会った。これ、どこかに捨てておいてくれ・・・と何かを手渡されたという小説を書いたのですが、本当に手渡されたかどうかはわからなくなっています。
 
 と同時に、他のこともウソではなかったのかという混乱があります。「せーがくやっとるんか」と言われたこと以外、ウソではないのか。うーむ・・・何かを手渡されたとしても私はそれを捨てた記憶がない。気持ちが悪いので、中も見ていない。
 Aくん、配送所のアルバイト、たぶんグリーンのスーツ、たぶん欧米系女性、そして確実に「せーがく」。
 生きているといろいろなことがありますよ。
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2017.09.05 08:22

 私はファッション関係は何も知りません。制服、スーツ、ウェディングドレス、ワンピース、Tシャツやワイシャツ類・・・ぐらいしか区別がつきません。興味がないというより、そういうことに興味を抱かない自分を誇るような変な気取りがあるのです。
 若いころ黒のジーンズばかりはいていたのですが、一時期世の中にブラックジーンズが流行したときは、自分が流行を追っているように見えたらどうしようと困惑したものです。
 
 ジミー・ペイジが2回目に来日したとき、自分は絶対にオシャレな人間ではないと言い張っていたという記事をミュージックライフ誌で読んだのですが、当時の彼なんか誰が見てもオシャレには間違いないわけで、要するに他者にそういうことを言われるのが苦痛なのだと思いました。
 ロックファンでなくてもロックTシャツを着るというのが流行っていますか? 流行っているという記事を読んだのですが、自信がありません。
 
 賛否両論があると書かれていました。なるほどファンの方にしてみるとアーティストも楽曲もまったく知らずに、デザインがかっこいいというだけの理由でTシャツを着られるのはちょっと面白くないのかもしれません。
 以前、荻窪だか中野だかで私の大好きなハードロック・グループのワールドツアー用のTシャツを着たすごい「おばちゃん」を目撃したことがありました。人を見た目で判断することはよくないですが、さすがに洋楽は聴かないだろうという感じのおばちゃんでした。何かで安く手に入れたということなのではないかと思います。
 
 私はもういい大人ですからいやな気持ちはまったくしませんでしたが、そのおばちゃんの雰囲気とTシャツのミュージシャンの楽曲との乖離はめまいがするほどで、なかなか難しいものだとは感じましたよ。
 ときどき生徒(中学生)でロックTシャツを着ている子がいます。自分が担当している生徒には訊いてみることがあります。きみはその歳でレッド・ツェッペリンを知っているのかね? と。するとだいたいはおうちの方の影響ですね。おうちの方が好きで何となく聴くようになった。
 
 難しいのはストーンズの例の舌やKISSなんかのTシャツですね。デザインの面白さだけで気に入っている可能性があり、いきなり音楽のことを話しかけてもご存じないかもしれません。
 で、そのままになってしまう。昔ーーこれは生徒ではないのですがーー街中でものすごく素朴な感じのおそらくは中学生の男の子が、ルー・リードのTシャツを着ているのを目撃したことがありました。あれは何だったのだろう。
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2017.09.04 08:47

 主婦と生活社さんのほうから「励ます力」の完売にともなって電子書籍という形で残してくださるというお話が出てきました。私自身は電子書籍というものになじみがないのですが、可能であるならそうしてくださいとお願いしました。いずれ用意が整いましたら、また告知いたします。
 家内や息子が詳しそうなので、彼らに聞いてみようと思います。どういう形であれ、残していただけるのはありがたいですね。
 
 私のブログはもう8年以上続いていますが、つい最近読みはじめたという方もーーご連絡いただくことがありますーーいらっしゃいます。それはそういうものですね。ついでに「教室で書籍は買えるのですか?」とおっしゃってくださったりするので、何かしら形に残るといいなとは思っていました。
 人と人の出会いというのは不思議なもので、私はどのような出会いにもそれなりの理由があると考えています。
 
 もっと若いときにとか、もう少しあとだったらとか、私たちは自分たちなりの尺度で勝手なことを考えるものですが、出会ったのであればそこには何かしら理由があるものなのですよ。
 私自身、かつてちょっとネガティヴな人間関係(仕事でも個人生活でも)の中で生活していた時代があったのですが、ある日ふと私自身がそういう人間なのでこうしたネットワークが生まれたのだなということに気づきました。つまり現実の不調が私自身に(いまのお前の生き方ではいけないよ)という気づきをもたらしてくれていたということです。
 
 どんな関係も必ず教訓として生きてきますから、出会いそのものは心の糧として大切に考えられるのがいいと思います。
 類は友を呼ぶという諺があります。それは人間同士のことだけではなく、たとえばあまりにもめそめそしすぎると次から次へと変なことが起こるときがあります。ある意味で楽観的な要素、何とかなるさ的な軽さがないといけない。そしてその軽さはお金になるならないは別として、世の中に少しはいいことを還元している・・・という自負心が基調になってきたりするものです。
 
 本当に小さなことでいい。
 私は両サイドが空いている改札機では必ず相手側に道を譲ることにしているのですが、そんなことでさえ積み重なっていいことが起きるのが少しずつ実感できるようになりました。善行とも呼べない程度の気遣いでも、蓄積してくると相当の重みや力を持つものなのです。
 自分にそうそう悪いことばかりが起きるはずはないのだというある種の暗示が生まれる。それが心を軽くしてくれる要素は非常に大きいかもしれません。
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2017.09.03 08:18

 先日、菅井竜也さんというお若い棋士が羽生三冠から「王位」というタイトルを奪取して話題になっています。菅井先生はいまをときめく藤井四段もきっちり負かしているので、現在の棋界で間違いなくベスト5に入る実力者であると思います。
 この先生はいまでは珍しい振り飛車(戦法名)党であり、私も振り飛車は好きなので、以前から気にはなっていました。居飛車(これまた戦法名)全盛の棋界にあってあえて振り飛車を追求しているところがーー他にも何人かいらっしゃいますがーー興味深いと言えば興味深いところです。
 
 ただ今回脚光を浴びるまで、菅井先生ご自身のことはほとんど知りませんでした。年齢的には私の息子と同じぐらいです。いくら強い先生ではあっても、自分の人生の何かを重ね合わせたる気持ちにはなかなかなれませんでした。
 亡くなってしまった真部一男先生なんかは年齢的に近かったこともあって、自分と重ね合わせたりしていた時期がありました。真部先生が頑張っているから自分も人生をしっかりやろうとか。ある時期、私はまったく将棋に興味を失うのですが、それは真部先生が首の病気のため調子を崩されてからのことでした。
 
 私はいまはネットで将棋を指すだけですが、晩年近くの大山名人の活躍がどこかで支えになっていたりします。大山名人は大病のあと、還暦すぎに名人戦に挑戦されています。そんな棋士はいままで1人もいらっしゃらないですし、ひょっとするとこれからも永遠に出てこないかもしれません。60歳すぎても強い人は強いのだというのは何かしら精神的な支えになっている気はします。それを言ったら62歳で初代のアマ朝日名人をとられた大田学先生の活躍も同じかな。
 
 話がそれました。今回、私が菅井先生の記事を読んでいて感銘を受けたのは、菅井先生が対局者であるにもかかわらず早めに対局室に入室されて盤を磨いているというお話でした。対局者にそんな義務はないのですよ。係の人間がきちんと磨いてくれます。しかし、それをあえて早めに来て磨く。タイトル戦だけではなく、ふだんの対局でもそうされているそうです。
 やはり心は姿勢に、態度にあらわれますね。こういうのは「自然発生」が大切であり、形だけ真似してもだめでしょう。対局前に盤さえ磨けばタイトルをとれるということではない。
 
 勉強で言えばどういうことになりますか。
 勉強をはじめる前に机の上を片づけ、筆記用具をきちんと並べ、辞書や地図帳なんかも取りやすい位置に置いておくという感じでしょうか。場合によっては部屋全体を片づける必要もあるかもしれません。
 心の姿勢ですからね。服装もそれでいいですか。音楽を聴きながらでよい? すべてがこれからしっかり勉強するぞという心の自然発生的なあらわれであるべきだと思いますよ。
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2017.09.02 00:39

 いままで全集を揃えた作家というのは2人だけです。太宰治と木山捷平。後者のものはその後売ってしまったのですが、前者の全集はまだ自宅のどこかに残っているはずです。
 ただ現在の私は太宰も木山もめったに読む機会はありません。そもそも小説というものをあまり読まなくなりました。いろいろな理由がありそうな気がしますが、細かく分析したことはありません。
 活字そのものはたくさん読むのですよ。その中にほとんど小説は入ってこない感じです。
 
 一方で、あれは太宰の何という小説だったかな・・・と考えることもあります。私はその小説を大きな池の前で読みました。ベンチに座って読んだ。もう40年以上昔の話です。
 太宰治の文庫本を片っ端から読んでいました。そしてその不思議な小説に出会った。タイトルもあらすじも忘れてしまったのですが、中の一節だけ繰り返し思い出すのです。それは聖書の言葉でした。文語調のその一節を私は暗記しています。
 
 読んだ瞬間に暗記しようと思って暗記したとはちょっと考えられないですね。池の前で読んだだけでは覚えられないですよ。ですから当時ーーおそらくですがーー気に入って何度も何度も読み返したのではないかと思います。
 まあ、そのあたりは忘れてしまいました。10年前のことだってうろ覚えになってきているのに20年前、30年前・・・さらには40年前となるともはや前世の出来事です。
 道を歩きながらふと思い出す。これは太宰の小説で覚えた一節だなと。
 
 聖書そのものを調べたのですが、文体が違うのでぴんとこない。内容は同じなのですが、やさしい口語体で書かれています。「・・・をご覧よ」と書かれている。太宰の小説では「・・・を見よ」となっていました。それだけでまったく違う感じになる。私が求めているのは内容ではなく、文体なのです。概念は同じでも伝わり方が違う。それが決定的な意味を持つ。
 その小説が何だったかわからないまま生きてきたのですが、最近ちょっと意図的に探してみました。
 
 少しだけ時間がかかりました。2週間ぐらいかな。本屋さんでぱらぱらと調べてみた。その小説の入っている文庫本を買おうと探すのですが、なかなか見つからない。これかな? こっちかな? と手間がかかりました。
 そしてついに見つけた。「鷗」という作品でした。「空飛ぶ鳥を見よ、蒔かず、刈らず、倉におさめず。野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり・・・」作品そのものは非常に風変わりです。「きりぎりす」というこの文庫本には「畜犬談」という隠れた名作も入っています。いかがですか。
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2017.09.01 00:09

 たとえば健康になりたいという人がいたとしますね。現在は可もなく不可もない。ただし漠然と健康でありたいと考えている。私は健康でいられるでしょうかと質問されたら、何と答えますか。
 どうしたってその人のふだんの生活ぶりを知らなければ答えようがないですね。そこでこんなことを質問してみるのではないかと思います。
 タバコは吸いますか。暴飲暴食をしますか。睡眠時間が不規則ということはないですか。まったく運動はしていないですか。心配事はありますか。
 
 5つともノーであれば、まずまず健康になれるんじゃないですか・・・ぐらいは言ってあげられると思います。逆だったら? タバコは吸うし暴飲暴食するし睡眠時間はまちまちだし運動は一切しないし心配ばかりしているということになってくると、現在は自覚症状がなくてもこの先ちょっと心配です。
 人間、誰しもそういうことがじつはわかっています。わかっているのにーーたとえば軽く心臓を病んでいる知人ですがーーいまでもこっそりタバコを吸ったりするそうです。医者に「自殺行為ですよ」と止められているのに少しだけこっそり吸う。
 
 そういう不思議なところが人間にはありますね。
 私は先日連載を終えた勉強法のコラムに同じようなテスト問題をあげてみました。こちらは健康になれるかではなく、成績優秀になれるかどうかのテスト問題です。ちょっと流用してみます。
 英語の音読を繰り返ししていますか。毎日15分以上活字を読んでいますか。ノートの文字は丁寧ですか。問題の解き直しはしていますか。スマホやゲーム機はルールを決めて使用していますか。この場合、5つとも「はい」でなければ成績は上がりません。
 
 この前やったよではだめなのです。それは7月は禁煙したよとか休みの日はたっぷり寝たよというのと同じで意味がありません。習慣化されているかどうかが大切なので、前回の英語の勉強時にどうだったか、いま書き終わったばかりのノートの文字がどうなのか、今日のスマホの管理はどうなっているのかということが問題です。
 そしてまた、勉強できるようになりたいとおっしゃりながらこうしたことは全然守れないというのも人間の不思議なところではあります。
 
 こっそりタバコを吸っている知人は、社会的には尊敬されている人間です。自室でこっそり明け方近くまでゲームをやっている中学生も、学校では後輩たちにおおいに認められているかもしれません。ですから人間全体をどうこう決めつける気持ちはまったくありません。
 ただそんなことをしていると、勉強がめきめきできるようにはならないというのも事実です。塾が先生が問題集が・・・といろいろな人間がいろいろなことを言いますが、まず先の5つをすべて「はい」にしてみてください。ここまでシンプルに道を示されることは珍しいかもしれません。あとはやるかやらないかだけですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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