2017.07.09 07:23

 昔、こういうことがありました。高校時代ですね。学校帰り、新大久保駅で友人を待っていた。同性ですよ。するとある男の人が話しかけてきた。見るからに肉体労働者というごつい感じの男でした。歳は40前後ではなかったでしょうか。
 紙を出してきて、言われた通りに書いてくれというのです。泊まった簡易宿泊所らしき名前ですね。大久保・・・・・・(いまでも覚えています)と書いてくれという。
 
 非常に簡単な名前です。どうしてご自身で書かないのか。ひょっとして日本の文字がわからないのかなとも思いました。見た感じは普通のおっかなそうな日本人のおじさんなのですが。
 何種類か紙が出てきたような気がします。ぜんぶその大久保・・・・・・を記入してくれという。まさか犯罪に加担することにはならないだろうなぐらいに考え、男の人の指示のまま書きこみました。するとよほどほっとしたらしく、ありがとうな、ぼうず(?)と笑顔を見せた。
 
 ぼうずの住所を教えてくれ。
 え? ですよ。さすがにちょっと危ない感じがしたので躊躇していると、お礼を送りたいからさっさとここに書いてくれと言う。「いや、いいですよ」「いいから書けって」「いや、いいです」すると男の人はちょっと怒ったみたいに「グローブかカステラを送ってやるから早く書け」と怒鳴った。
 まずいなーと思ってでたらめな住所を書きました。もちろん名前も必要だったので、これまた友人の名前を借りて創作しました。
 
 男の人は紙をとりあげるとすらすらと住所を読みあげました。(なんだ、読めるんじゃないか)と思いましたよ。大久保・・・・・・ぐらいご自身でも書けたはずです。
 グローブとカステラのどっちがいい? と訊いてくる。どっちみち届かないわけですからどちらでもいいのですが、いちおう「カステラ」と答えました。よし、わかったと男は改札口に消えていきました。
 本当にお礼を送ってくださっていたら申し訳ないのですが、あれはやはり違う何かだったのではないかといまでも感じます。
 
 それから三十数年後、私は会社(Z会ということです)から指定された健康診断のために大久保駅から職安通り(通り沿いに施設があります)に向かって歩いていました。到着が早すぎたのでぐるぐる路地を徘徊して時間をつぶしていると、偶然大久保・・・・・・という粗末な簡易宿泊所の前に出ました。はじめ「うん?」となり、直後に「おおーっ! これは・・・」となった。
 まったくでたらめに歩いていたので、2度と行きつけないと思います。人生は不思議ですよ。
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2017.07.08 01:04

 私が行く理髪店のご主人は非常に見識が高い方です。80代なのですが、矍鑠(かくしゃく)とされていてお話も多岐に渡りためになっています。この理髪店には10年ぐらい前からうかがうようになりました。近隣のお店より若干価格は高いのですが、ためになるお話を聞けるうえに仕事そのものもとても丁寧なので、ほかにはまったく行かなくなりました。
 とにかくお話が深くて面白い。昔の日本人には「節度」があったという話をしてくださいましたよ。
 
 何年か前、廃棄食材を再利用していた事件がありました。とんかつだか何だったか・・・要するにお店が余らして捨てたものを引き取ってほかのお店に安く流していた業者さんが出てきた。本来は廃棄処分にするべきもので、もちろん再利用はいけない。再利用を持ちかけた業者さんもまた再利用していたお店も何かしら罰されていたような記憶があります。
 その出来事について、ご主人は「私のような古い世代ですと」と前置きしながら次のように語ってくださった。
 
 そもそも大量廃棄処分になるほどたくさん仕入れていたはじめのお店にも問題があるのではないか。どこまでも儲けたいと欲張るからそんなむだが出るのであって、必要なのはこの程度の儲けということを計算したうえでできるだけむだを出さないようにという心遣いがあれば、毎回毎回大量に廃棄食材が出たりはしないはずだとおっしゃるのです。
 人間に巣食うその種の強欲さが格差社会の元凶であり、世の中を醜くしていると思いますよとーー主張するというよりは世間話という感じで話されていた。
 
 確かにそうした側面はあると思います。
 以前記事を書いた三大煮込みのお店があります。どこも名店ということで有名ですし、私自身もそう感じます。ただお店によってその後の行き方は全然違ってきていて、あるお店は新館を作り本館もビルにしていまでは5つの大鍋で日々50キロ近くも煮込みを作っているそうです。別のあるお店は、お客さんが殺到するようになった現在も相変わらず1つの大鍋だけで作っています。それで対応できなくなったら今日はおしまいということです。
 
 どちらがいいということではありません。ただあえて拡大しないという意志には何かしら大きな理由が含まれているように感じます。独自の化学反応みたいなものがある。拡大していくことでその化学反応を万が一失ってしまったら大変だと考えるのでしょう。
 節度という概念はある方向からは、消極的とも解釈されてしまいそうです。それはそれでいいでしょうね。ただ節度と消極性の違いがわかる人生は、それなりに大きな価値があるとは思います。
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2017.07.07 09:28

 今週、私はある都立高校の塾向け説明会にうかがいました。いわゆる「共通問題のトップ校」です。最近説明会の類はお若い先生方にお任せしているのですが、何となく気になったのでうかがってみた感じでしょうか。
 ちょうど試験期間中で、生徒たちは早めに帰宅していました。私は早く着いてしまったので少しだけ校内をぶらぶらしました。本当に「校内」ぶらぶら状態ですと不審者と勘違いされるかもしれませんので、敷地内ですね。
 すると1人で下校する男子生徒があちらからやってきた。
 
 どうも、こんにちは。
 足を止め、はっきりと声に出してあいさつされ、ちょっとびっくりしました。過去いろいろな高校の説明会にうかがっていますが、そもそも生徒とすれ違う時間帯ではなかったりします。また私立高校ではーー礼儀作法に厳しいからでしょうかーーあいさつそのものが非常に固いことがあります。校則まではいかなくても、大人に対してあいさつすることが前もって決められているような感じを受けるのです。それだってもちろん十分りっぱなことですが。
 
 ただここの高校生は来る子も来る子も非常に自然に声をかけてくださる。これほど伸びやかな学校も珍しいですよ。あいさつのとき微笑んでくださる方までいました。こちらが緊張して「ども」みたいな頭の下げ方をしている(もちろん他塾の先生方は私と違って自然に挨拶されていました)のに、もはや孫みたいな世代の少年少女がごくごく自然な笑みを浮かべて「こんにちは」と言葉を投げかけてくるのはただごとではありません。その自然さには非常に感動しました。
 
 ちょうど前々回(第70回)の「どうしたら勉強ができるようになるか」(ブログの右側「長野先生からの応援メッセージ」から入れます)に私はあいさつのことを書いています。あいさつも一切できないような精神状態で落ち着いた勉強生活が送れるものだろうかと書きました。
 私自身がそうだったので、よくわかるのです。高校生のころ、大人に対して猛烈に腹をたてていた。お前らの言いなりになってたまるかとそんなことばかり考えていました。
 
 ですから、大人とはあいさつをしないことに全力を尽くしていました。例外を作らないため、尊敬している大人とは目を合わせないようにしました。気づかなかったのであいさつできなかったという形にしたかったわけです。
 大人の世界の価値観を全否定したい気持ちがあったのですが、そんなとげとげしい気持ちで日々過ごしている人間が、豊かな勉強なんかできるわけがありません。勉強がうまくいかないのは多くの場合、生活や人生観自体に原因があります。塾やテキストを替えるだけでは改善しないということに、まずご本人が気づく必要がありますね。
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2017.07.06 09:13

 私の住んでいるマンションからJR線の駅まではそれなりに距離があり、急いでいるときや真夏などはバスを利用しています。西荻窪の駅までは徒歩でだいたい20分ぐらいなのですが、いくら健康のためといっても真夏に汗だくで教室に来るのは・・・ちょっと問題かなという気がします。
 穏やかな季節で時間がたっぷりあるときは、行きも帰りも歩いてみることがあります。帰りは西荻窪からですとすでにバスがない時間帯なので、やむをえずという側面もあるのです。
 
 おかしなものだなと感じるのは、行きと帰りと歩く道が何となく違ってしまっていることです。行きは行きで絶対にこの道というのがあり、道路工事などで曲がるところが1つでもずれるアクシデントがあると相当の違和感があります。ですから毎日同じ道を歩く。
 そして帰りは帰りで絶対にこの道というのができていて、行きとは全然違う通りを歩いてきます。どうしてそうなってしまったのかよくわからないのですが、何かの都合ーー買い物などーーで違う道を選択すると、非常に変な気持ちになります。
 
 しかもどの時間帯でもそう。休みの日の昼間、用事で西荻窪まで出かけて行くことがちょくちょくありますが、行きはいつもの行きの道、帰りはいつもの帰りの道を歩いて帰ってきます。
 ある意味で無限に歩き方はあるはずなのに、どうしてもいつもの道を歩きたくなるから不思議です。そういう意味で、人は本当の可能性よりうんと狭いところに自分を限定して生きているものなのかもしれません。もっとも駅までの道程度のことであれば、いくら限定してもそれほど困ることもないのでしょうが。
 
 たまに意識的に歩くルートを変えてみることがあるのですが、非常に歩きにくいというか変な感じがします。これは私だけなのかもしれません。もう1回さっきの分岐点(途中まではどう歩いても同じです)から歩きなおそうかなと考えたりする。そんなばかなことは実際にはしませんが、いつもと同じ道をいつもと同じように歩いてはじめてその日が始まりその日が終わるという要素があるみたいですね。
 
 
 
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2017.07.04 01:13

 私たちは他者とコミュニケーションをとるときに、こちらの言いたいことがまったく伝わらなかったらどうしようという変な恐怖心を抱くことがあります。そこでわーっとまくしたててしまったりする。ところがそんなとき喋れば喋るほど事態は悪くなり、真意は伝わりません。
 コミュニケーションというのは双方向のものです。むしろあちら側の「伝えたい」という焦りをうまく引っ張り出してあげたほうが良好な関係を維持できますし、結果的にこちらの意志を伝えることも可能です。
 
 昔の人はそのことを「耳は2つで口は1つ」というような形で表現しました。つまり喋る倍きちんと聞きなさいということですね。それはコミュニケーションの1つの神髄ではないかと思います。
 たとえば教室にやる気のない生徒がいたとします。呼び出して「なぜ真面目にやらないんだ!」ではシロウト同然であって、そんな叱責はまったく効果がないだけではなく人間関係まで崩してしまう可能性があります。意味がないですよ。昔の大人はそんなのが多かった。
 
 私が彼らと話すときはまあ「最近どうかね?」ぐらいです。その回答の中にすべての要素が内包されている。それを読み取れない私のほうが悪いと思いますよ。自分が子どものころはそんな大人ばかりでした。だからこそ私はいまの立場でしっかりやろうと考えています。
 封建的な時代の大人たちの愚鈍さみたいなものを自分ははっきり覚えています。どれだけ鈍感でどれだけ浅薄だったか。大人というものがどんなにくだらないかということはじつにしばしば感じましたし、友人とはそんな話ばかりしていました。
 
 とにかく相手の話を聞くことです。そこにはもちろん巧妙なウソやごまかしが入ってくる。大切なのは「なぜ」ウソやごまかしを入れなければいけなくなったのかということですね。ウソをつくしかない方向に追いつめたものは何なのか。それを聞き取る気持ちが大切だと思います。
 部活は忙しいかい? きみが尊敬している人間って誰? いちばん面白かった本を教えてくれよ。どんな大人になりたい? いまの世界をどうすればいいと思う?
 
 そんな感じですよ。それで「しっかり勉強しようじゃないか」ということが伝わるかどうか。伝わらなければ何度でも話を聞きます。直接「勉強しろ!」では夢がない。露骨なプロポーズに似ています。相手はなかなか受け入れてくださらないと思いますよ。
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2017.07.02 00:38

6bd5b9c2c3c4e3cbae56e3b14b9839bff5fe3482.jpg うちの犬は1月1日生まれなので、生まれてちょうど半年たちました。いまは歯が抜け替わる時期で、顔つきなんかはすっかり大人になってきました。
 とはいえ身体は大きくなっても内側はまだまだ子犬です。いつまでもいつまでも遊びたがって困ります。
 先週はこういうことがありました。その日は息子、家内、私の順で仕事に出ました。まず息子が「行ってきまーす」と出て行きます。うちはまだ挨拶をするのです。その様子を柵の手前で犬はじーっと見ていました。
 
 後ろ姿に哀愁が漂います。しっぽをくるんと巻いて玄関のほうを凝視している。ああ、行ってしまうのか・・・という感じ。尻尾の先だけが少し黒くなっていて、その黒い部分を震わせていました。
 出かけるまでに間があった私は、犬の横にぺたんと座りこんで半バカみたいに犬の様子をながめていました。こりゃちょっと寂しいだろうなと考えたりしながら。
 つぎは家内が出かける番になった。
 
 すると犬はさきほどよりさらに大きく「くーんくーん」と鳴きはじめました。家内のことはとにかく大好きですから。玄関のほうを凝視するだけでは我慢できなくなって、柵を跳び越えようとした。ただやはりちょっとむりです。ぴよんぴょん跳ねているうちに家内は外に出て行ってしまいました。
 がっくりと前脚を柵から下ろし、さっきと同じように玄関を見つめたまま黒い尻尾を軽く動かしています。帰って来てくれよと念じているのでしょうね。
 
 さすがにかわいそうになったので、名前を呼んだ。すると振返ってものすごい表情で乱暴に飛びかかってきましたよ。どうして自分だけ置いて誰も彼もいなくなっちゃうんだ! という怒りをぶつけているのがよくわかります。やけくそみたいな突撃で噛みついてくる。本気ではないのですが。
 それから床の上のおもちゃをくわえてめちゃくちゃに振り回したり、紙類を引き裂いたり大暴れでしたよ。仕方がないのでしばらく相手をしてやります。
 
 やがて少し落ち着いてくる。私も出かけなくてはいけないので、ケージににぼし(好物)を置いてうまく誘いこみます。しばらくすると寝てしまう。あとはそーっと外に出ます。犬でさえこんなに傷つく。小さな子どもに対しては本当に細心の注意が必要だと思います。
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2017.07.01 01:16

 どうしてそういうことになるのかよくわかりませんが、ある種の関係性ができてしまうとむげに断ち切るのもどうだろうという気持ちになりますね。そこのところは難しいと感じます。
 たとえば私は渋谷教室に来てから向かいの洋食屋さんにこれまで350回近く(もっと正確にわかっています)食事に行っています。基本的に私は自分のことをこちらから話したりはしませんが、問われれば現在は自然に事実だけを答えています(そうしない時期もありました)。
 
 その結果、あちらは私が道路をはさんだ職場にいて、中学生を教えているということをご存知なわけです。理由もなく突然行かなくなるというのは何となく冷たい感じがするので、週に1度は意識的にお邪魔しています。
 さすがに7年間近く通い続けていると若干飽きてはきます。メニューにあるどの料理もむしろ個人店らしい個性があって(ソース類やドレッシングなどすべて手作りです)おいしいほうだとは思うのですが、流れというか雰囲気というかどうしても似てきますからね。
 
 こういうことはしばしば起こります。
 じつは飲み屋さんでもそういうお店があって、月に何度かお邪魔するようにしています。必ずしも行きたい気持ちにならないときでも、ここのところご無沙汰しているし今日を逃すとまた当分行けなくなるから・・・という感じで出かけていくことがあります。
 こちらを知られていなければ、そこまではしないのですよ。知られているとちょっと間をあけすぎるのは申し訳ないかなという変な遠慮が出てくる。
 
 昔ーー10年以上昔ですーー小さな酒場に集中的にお邪魔していた時期がありました。そこにはときどきある小説家がいらしていました。その作家が近所のカルチャースクールで教えていて、そこの生徒さん数人と飲みに来ているのです。狭いお店なので話が筒抜けで、聞いていて非常に面白かった。つらい話も多いのですが、そこが面白い。
 そんなこんなで(今日もいるかな?)と、しょっちゅう出入りしていました。ところが忙しい時期に、ふと行かなくなりました。
 
 ひと月がたちふた月が過ぎると、非常に行きづらくなってきた。忙しい程度の理由でなぜ来なかったのかとーー現実にはそんなわけがないのですがーー責められそうな落ち着かない気持ちになる。で、とうとう完璧に行かなくなってしまいました。
 経営者の方とは何度もお話したことがありました。その後もその方と街中でばったり会うことが何度かありました。お店は自宅の近所でしたからね。視線が合うのですが、お互い気づかないふり(?)をしている。そして、何となく苦い感覚が残る。
 人間というのはおかしな動物だと思いますよ。
 
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2017.06.30 03:01

 社会人になった息子がきわめて勤勉に働いてくれるので、親としては非常にありがたく感じています。ときどき休みの日にわざわざ出かけていって現地調査みたいなことまでやっているのですが、やらなければいけないとどなたかに言われたわけではないそうです。
 仕事が円滑に進むようにと自主的に行動しているというので、いやまあ予習復習とかめちゃくちゃだったあの中学生がよくそんなことまで考えられるまで成長したものだと思いますよ。
 
 時機を待つというのは、大切なことですね。
 息子を見ていて私は少年期に大きくそれてしまった自分を感慨深く思い出すのですが、私は勉強そのものがきらいだとか学校がいやだとか感じたことはありませんでした。むしろ、好きなほうだったかもしれません。
 ただ両親が絶対化している価値観の中で生きることだけはごめんだと強く思いました。点数のいい子を見て「ああいう子は『偉い』」と無条件に賛美する。点数の悪い子を「劣等生はだめだ」と言い放つような人生観ですね。
 
 中学生のとき父親に「ラジオの深夜放送のDJになるにはどうしたらいいのか」と訊いたことがありました。当時、糸井五郎さんとか八木誠さんとかラジオで活躍されていたDJに私は漠然と憧れを抱いていました。父親の答は「猛勉強していい大学に入れ」でした。
 なんだよ、それ? ですよ。私はまたしばらくして「それでは音楽評論家にはどうしたらなれるのか」と訊いてみました。父親は即答しました。「猛勉強していい大学に入るしかない」
 
 何を質問しても同じ答ばかりが返ってきます。他のことは何も考えるなとでも言いたげで、そんな浅薄な人生観ではまともな会話をする気になるわけがありません。そのうち私は、もう両親にだけはどんなことも相談するのはよそうと考えるようになりました。お経みたいに「猛勉強して・・・」を繰り返されても不快になるだけだからです。
 親子の会話というのはじつは大切なもので、そこに何かしら夢だとか希望だとか愛情だとか人生に対する深みだとか、せめて予感のようなものだけでも含まれていてほしいものだと思います。
 
 一般的に考えて、大人(親に限りません)は子どもたちのガイドと言えるでしょう。そのガイドが人生の豊穣さや深遠さを示唆してやれないようでは、そもそもガイドとしてどうなのかなという気持ちがあります。
 いまは行きづまった感じかもしれないが、可能性というのは内側からひとりでに開いていくものだから他者に何か言われてもいいとも悪いとも決めつけないほうがいいーー私は息子にはそう告げてきたつもりですが、もちろん生徒に対しても何かしら希望を与えられる存在でありたいという気持ちを持っています。
 
 
 
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2017.06.28 00:31

 新聞でも第1面に載っていました。もはや社会現象と呼んでいいのかな。中学生棋士の藤井四段。ついに将棋界の連勝記録を塗りかえてしまいました。
 月曜日は私はお休みをいただいていました(将棋中継を見るために休んだわけではないですよ)。例によってクリニックをはしごして(定期健診みたいなもので体調は万全です)、その後は時間があったので自宅でときどき中継を確認していました。夕方ぐらいからはけっこう見ていたかな。
 
 途中、はっきり相手の方がよくなったような気がしました。これは28連勝で止まりそうだなと思った。具体的に書くと先手が▲2二歩と指したあたりです。藤井四段の飛車は確実に詰んでいます。相手の陣形は厚みがあるので細工をしても、角と桂馬では手が作れないような気がしたのです。
 何しろ相手も相手ですからね。同じ10代のすごく強い棋士です。師匠の森下先生(森下先生のことは以前ブログにも書きました)が「モノが違う」とおっしゃるぐらいなので、ちょっとどうかなあという気持ちでした。
 
 藤井四段の活躍に比例していろいろ便乗したような記事も増えてきているので、私はそろそろ控えようと思っています。ご家庭の教育がいい、ご両親がいい、盛んにそんな話が出てきます。ご本人の落ち着いた雰囲気を見ればそれはすぐにわかります。対局中の食事も話題になっていますが、ああしたところにこそご家庭の文化が色濃く出てくるわけで、一般の都会の中学生のようにファーストフード系に飛びついたりしないのは、つまりはそういう生活を送られているということでしょう。
 お母さまが読書家で書籍がたくさんあったので自然に読書家になったというインタビュー記事も読みましたが、それもまた活字を好む習慣を持つご家庭に共通した要素です。
 
 それより、私は現在の藤井四段の活躍を見ていて、こう考えている方がいらっしゃるのではないかと考えました。「自分もはじめからやり直せるのであればああなれたかもしれないのに・・・」
 全員の方がそう考えるという意味ではないですよ。ほんの少数の方かもしれない。現状何か思うようにならないことがある。こんなはずではなかった。こんな自分ではなかった。もっと大きな、正しいことができたはずなのに・・・
 それは運動競技かもしれませんし勉強や仕事かもしれません。人間関係や趣味の何かかもしれません。
 
 藤井四段の活躍は、そうした方たちに「もう1回やってごらんよ」と語りかけているようにも感じられます。過去なげやりになったことはもういいから、夢を捨ててしまったご自身を責めなくてももういいから、とにかく一生懸命やってみたらどうだろう? 
 大切なのは「はじめからやり直せるのであれば」の「はじめから」の部分です。いまのあなたの「はじめ」ってどこですか? 14歳だろうと35際だろうと50歳だろうと80歳だろうと「ここ」しかありません。
 今日、ここから一生懸命やり直してみたらどうでしょう。
 
 藤井四段、さきほどの▲2二歩を指したあと前傾姿勢でずーっと考えているので、一瞬手番がどちらだか混乱しました。私は立ったり座ったり席をはずしながらちらちら見ていたので、はじめは、あれ? 相手はとれる飛車をとらずに別の手を指したのか・・・と思ったほどです。
 するとそうではなかった。相手がどう指してくるかわからないまま自分の手番のときのように没頭していたのですね。一生懸命生きることに尽きると思います。ここからまた全力で生きることだけが人生の正解であると思います。
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2017.06.27 00:25

 リッチー・ブラックモアのバンド(レインボー)が今年もイギリスでライヴをスタートさせています。ロック・フェスティバルに出ているのですが、初日17日のステージの模様はすでにYoutubeにたくさん投稿されていました。前座が「フォックス・オン・ザ・ラン」のスイートでしたよ。
 メンバーは昨年度と同じです。ベースとドラムスについてはいろいろ言われていましたが交代はありませんでした。もっとも指摘されていたベーシストの服装とドラムセットは圧倒的にロックバンドらしくなっていました。
 
 ドラムセットはバスドラが2つ。コージー・パウエルが叩いていた曲を再現するわけですから、やっぱりこうじゃないと。
 興味深いシーンがありました。私がいちばん好きな「スターゲーザー」という曲、今年はレコード通りドラムソロから入っています。もともとそういう曲なのです。コージーのど派手なドラムソロからスタートする。
 ところが昨年はその部分が省略されていました。アマチュアでもちょっと頑張れば叩けるはずなので、どうしてだろうと不思議に感じたものです。
 
 その部分をドラマーが再現して見せた。ところがベーシストが明らかに不快そうにやめろやめろと反応しているではないですか。さらに馘首だぞみたいな動きまで見せました。右側にいたリッチーもさっと腕を伸ばして「そこまで!」みたいなアクションを見せた。あれは何だったのだろう? 
 ドラマーは立ち上がって、観客にどうだ! と両腕を広げていました。まさかとは思いますが、独断? 演出? 大丈夫かな。
 
 シンガーのロニー・ロメロという人はとにかく歌が上手です。昔のレインボーのシンガーたちがさかんにリッチーと再演したがっていましたが、これだけの逸材が見つかるといまさら他の人間とやろうという気分になれないのもよくわかります。ルックスが若干地味めではあるのですが、昨年度のステージと比べると今年のほうが数段リラックスしていて、笑顔も自然な感じでした。それだけ大舞台に慣れてきたのでしょうね。そういえば「銀嶺の覇者」を演奏しているとき背後のスクリーンにはロニー・ディオが大きく映っていましたよ。
 
 昨年度よりディープ・パープルの曲が減り、レインボーの曲が増えました。72歳になったリッチーは相変わらず気難しそうですが、ディープ・パープルの末期みたいにうんざりしている感じはまったくありません。
 最近のインタビューでは飛行機に乗りたくないので日本には行かない・・・みたいなことを語っていましたから、もう来日はむりかもしれないですね。
 知的でシャイな大人がどう振舞えばいいかということを、この人ほど体現してくれている人間はいないような気がします。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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