2017.04.25 00:04

 昔、ヨガだか何だかの不思議な(?)本をぱらぱらめくっていたら、くしゃみを我慢することでエネルギーを温存する面白い技法について書かれていました。詳しくは忘れてしまったのですが、確かにくしゃみそのもののエネルギーはすごいものがありますね。口を覆わないと迷惑がかかることもありえます。
 それを内部にエネルギーとしてためることが本当にできるものなのかどうか私にはよくわかりませんが、発想としてはとても面白いと思いました。
 
 似たようなアメリカのことわざに「汽笛を鳴らす蒸気は機関車を動かさない」(そっくりそのままではありません)というものもありました。こちらは自己啓発の教材で見たものです。もちろん比喩的な解釈が施されていて、威勢のいいことばかり口にしている人間はそれだけで満足してしまって実行力がともなわない可能性があるから気をつけなさいと書かれていました。
 確かにそういうことはあるでしょう。適切に、力をためておく配慮は必要です。
 
 先日の朝、興味深い場面を目撃しました。あるお店のまえで従業員らしき女性がマネージャーらしき男の人に向かって文句をおっしゃっていた。文句というより嘆いているのです。マネージャーさんは水を撒いている途中だったらしいのですが、ホースからは水が出ていませんでしたから長いこと話していたのかもしれませんね。
 抗議している人の声は必然的に高くなります。「昨日だってあの人のために休憩時間を5分も削って」マネージャーさんの返事はぼそぼそしていて聞こえませんでした。5分さえ譲れないのか・・・と私は思いました。
 
 一般的な話になりますが、ネガディヴなエネルギーはそのまま外に出すより他の形に変形できればそれに越したことはないでしょう。ときどき運動選手なんかでも「悔しさをバネに」大きく飛躍するケースを目撃することがありますが、いくら悔しいからといってわめいたり暴れたりしていてはどうしても消耗してしまうでしょう。
 理不尽なことというのは生活にはつきもので、致命的な事件でなければ(これもまたある種の機会だ)ととらえようと私個人は考えています。あきらめるというより、新しい意識を作る瞬間として活用している感じですね。
 
 するととんでもない遠方から吉報が来たりする。これを理不尽さに腹をたてなかったことと関係ないと見るか関係ありと見るか。私はもちろん密接に関係していると考えています。証明はできませんが、あ、あの分がやっぱりという感覚があるのです。
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2017.04.23 00:25

8b433102d3960c28d9a1900e5ae38ad3eacde38d.jpg タマゴボーロというお菓子がありますね。さすがにこの歳になって積極的には食べないのですが、子どものころはよく食べた記憶があります。ただすごく好きだというわけでもなかった。子ども時代の私にとってタマゴボーロというのは「中途半端な」お菓子で、あれば食べもするけれども、なくてもべつに苦痛はない存在でした。
 そういう存在ってありますよ。唐突な例えを出すといま現在、たとえば「ちくわ」だとか「ひじきの煮物」だとかが私にとってそんな感じです。
 
 そのボーロに犬用のものがあることは知りませんでした。私が昔犬を飼っていた1970年代は、犬にも人間とたいして変わらないものを食べさせていました。おじやみたいな食事。犬専用のものを用意していなかった。
 現在はーー家内と息子が買ってくるのですがーー近所のペットショップから犬用の食べ物を仕入れてきます。お菓子もあるのですが、ぜんぶ犬用なので形だけは人間のタマゴボーロそっくりですが、味はよくわかりません。
 
 ちょっと食べてみようかなとも思う。やたらと犬が喜ぶので、そんなにおいしいのかという気持ちがあります。と同時に、そんなものを食べていてはいかんだろうという気持ちもあります。体調云々ではなく、そういうことを喜んでやっていると道(?)を踏み外すような気持ちがあるのです。
 犬はますます大きくなってきて、ケージから出すと喜んで大暴れするようになりました。息子は「だんだんバカになってきた」と嘆いていますが、はじめ品行方正だったのは単に緊張していただけだったのでしょう。
 
 噛み癖は相変わらずなので、ときどき全身をおさえつけたりしています。すると15秒ぐらいは噛みませんが、すぐに忘れてしまって再度噛みついてきます。力を入れてくるわけではありませんが、歯もしっかりしてきたので痛いことは痛いですね。
 そうやってひとしきり遊んでから突然「おすわり」をはじめる。「おすわり」はいちおう教えたのですが、自分から行儀よくそうする。そして、じーっとボーロの容器のほうを見つめている。
 
 はじめは偶然かとも思ったのですが、視線の先がいつもボーロの容器なのです。で、そわそわしはじめる。そろそろボーロをくれよという合図なのですね。ボーロを食べるか? とかお菓子がほしいか? とか呟くと、その単語だけは覚えたらしく、伸びあがって催促します。
 で、2粒やってケージにもどすという感じです。お菓子を楽しみに感じる心は人間に近いですね。近影をご覧ください。犬らしくなりました。ちなみにここは自室です。右奥に現在使用していないテレビデオがあります。さらに右手には毎日使用しているスチームアイロンが写っています。
 
 
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2017.04.22 06:06

 私は子どものときから洋楽を聴いてきたので、ああこれはブルーズだなとかファンクだなとかカントリーの影響を受けているなとか、それぐらいのことならわかります。洋楽を聴きはじめたのが13歳ぐらいでした。何十年もかけてやっとわかるようになったということですね。
 単純な自慢ではないのですよ。大量に蓄積していかないと、新しく出てきたものに対処できないという話を書きたいのです。同じ音楽でもたとえばクラシック音楽は全然聴きませんから、曲を聴かされてもまったくコメントできません。
 
 いい曲ですねで終わってしまう。だれだれの曲ではないですかとかだれだれの影響を受けていますねとか、何も知らないわけですから比較のしようがない。万が一、クラシック音楽のテストを受けたら私は間違いなく落第点をとると思います。要するにクラシック音楽については何も勉強してこなかったということです。
 文章の読解もそうなのですよ。まったく読んでいない人には目の前にあらわれた文章がどの程度のものなのか正確に判断できません。
 
 内容はわかったとしますね。内容はわかっても「格」みたいなものまではわからない。同じような話を読んだ経験もありませんから、あああの手の話題か・・・と響くものもない。ただ書いてある内容と何も知らない自分と2人きりみたいな頼りなさだけが残ります。
 文芸作品なんかも、この文章はだれだれの影響を受けているなとすぐにわかる人は相当読みこんでいる人です。確かにそういうことはあるでしょう。太宰治の作品を読んで、芥川龍之介にちょっと似ているかなとか。
 
 読まない人にはそういうものが一切ありません。これがどれだけ不利なことだかわかりますか? 私のクラシック音楽は、テストも何もありませんからこのまま放置しておいてもいいと思っていますが、これから国語のテストを何百回も受けるであろう小中高校生の皆さんが、読む気がしないからという理由で放置しておくことの不利がどれだけ大きいか、ちょっと恐ろしいぐらいです。
 
 食べ物に例えるともっとわかりやすいかな。まずいと言えるのはおいしさを知っている人です。これは好きと言える人はきらいという経験を持っている人です。相対的に表現したり理解したりしているものですね。
 食べ物に関してはーー食べないわけにもいかないのでーーそれなりに皆さん蓄積を持っている。甘いか辛いかのテストならどなたでも合格されるでしょう。
 最低限(せいぜい教科書程度)の蓄積のまま進めていったら、多くは苦戦するようになるでしょう。どれだけ読んでいるか、日々確認されるクセをつけられるといいと思います。
 
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2017.04.19 09:04

 難しいですね。数値をことさら重視する世の中になって、私は一般の人間が少しけちになったのではないかと思っています。吝嗇という意味のけちですね。お金を払う払わないというだけではなく、感情の表出についてけちになっている。
 心のどこかで、感情でさえ数値化するクセがついているのでしょう。ですから、けっこう計算はしているような気はします。気づかないふりではなく冷静に計算している。そして、ここは譲らなくていいと結論づける。
 
 譲らなくていいというのは、自分の時間や感情を使わなくてもいいということです。自分だけが親切にするのは、自分だけが支払いするのと同じであるという計算が働くのかもしれません。
 具体的に書くと、ちょっと困っているように見える級友(同僚)がいるけど、みんなだって声をかけていないのだし、まあいいんじゃないかなという感じでしょうか。
 昔よりけちけちした感じになってきたのは、数値による損得計算だらけの世の中の影響はやはりあると思います。
 
 お金を動かす(使う)ことも感情を動かす(他者に優しく接する)こともどちらもじつはすごくいいことです。血液の流れと同じです。いくら大切な血液でも、貯めこむばかりで一切動かさなければ大変なことになってしまうでしょう。
 適切にむりのない範囲で身体を動かして、どんどん循環させたほうがよほど健康的です。そうやって豊かな感情を大きく流せる人間を世の中では「心の広い人」と呼んでいますね。
 
 構造的に難しい問題というのはいくらでもありますが、基本的に狭い心ではうまくいかない。上の人間がやたらと雷を落とす。いらいらしている。ときにはヒステリーを起こす。国家間の係争でさえ、現在はそんな感じになってきていますね。まあまあ少し落ち着いて・・・と言いたくなります。
 大人が子どもにものすごく厳しいとしますね。すると子どもは命令に従うのみですからちっとも大人になれません。従順なだけで、自分で物事を考えない生活を続けます。
 
 仮に本当に勉強ができるようにということであればご本人を大人にするしか手はないのですから、やたらと厳しくて命令を聞かせるだけ・・・ということでは永遠に進歩がないですね。
 親子関係も組織も国家も同じですね。上に立つものの度量が試されている。まずは愛情の伝達にけちけちしないことです。内にも外にもふんだんに。愛情の「磁場」を個々人が意識的に形成する。そのうえで未熟な者を自立できるように助けていく。道はそれしか残されていないように感じます。
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2017.04.18 08:57

 世の中がわさわさしていて落ち着きませんね。ミサイルが飛んできたら・・・みたいな注意が公になされていました。核爆発があったときはという記述も読みましたが、本当のことを言ってしまえばそんなことになったらもう何をしても遅いでしょう。どこの国がどうこうということではなく、人間の良心的な英知が残忍な欲望に敗れたということになるのだと考えます。
 そんなとんでもないことにならないように政治や科学や教育や哲学、宗教などが機能するべきだと思うのですが、上手く働いていませんね。
 
 いちおう予定だけ書いておくと、本年度私が所属しているZ会進学教室(Z会全体ではありませんよ)の休室日(講義がないだけではなく教室自体が閉まる日)は4月の30日から5月の5日までです。6日の土曜日はやはり授業はありませんが、教室は開いています。翌日からの準備をしておかないといけませんからね。
 とくに何もなければ6連休です。長い連休がとれるのは1年でこの1回きりなので、またぶらぶらしてこようかな。
 
 豊橋市の豊橋は今月渡ってしまったので、さすがに中京地方はもういいですかね。歩きたいところはだいたい歩いてしまいました。もう1度行きたい場所を冷静に整理してみようかなとも思っています。
 ガイドブックなどを見ていて、私はあまり施設に惹かれることがありません。土地というか場所のムードというか、そういうものに惹かれるのです。ですから、あの施設にもう1度行きたい・・・というよりは、あのあたりをもう1度歩きたいという感覚が強い感じです。
 
 大阪にちょっと歩いてみたいところがあります。いわゆる新世界なのですが、ちょうど10年前「最後の真剣師」と呼ばれていた将棋の大田学先生が亡くなられた。大田先生はプロにもならず家庭も持たず、最後の最後までアマチュア棋士としてーー道場の師範などをされーー生活されていました。その大田先生が住んでいらっしゃった簡易旅館のあたりが現在どうなっているのかちょっと見たい気持ちがあります。
 じつは過去そのあたりを見に行ったことが2回ありました。しかし、そうなるとさすがに日帰りはむりそうですね。
 
 そんな平和な連休が送れたらありがたいことです。平和というのは単純に軍事力でどうこうなるものではなく、思想的にも努力して維持できるのだということをつくづく感じています。
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2017.04.17 08:47

 ある生徒がいわゆる「ブラックバイト」について調べたものを見せてくださいました。さまざまな訴訟の例の中に「塾の先生」というのが出てきたので苦笑してしまいましたよ。私自身は35年以上昔から塾の先生をしています。いまは会社員(契約社員)としてお仕事をさせていただいているので、純粋な塾講師とは立場が違います。ですから、いまの一般的な塾の先生の待遇がどのような感じか、ごく近しい方以外はよくわかっていない側面があります。
 
 ただ35年ぐらい昔は確かにそう呼ばれてしまう傾向はあったかもしれません。ある日、突然仕事がなくなる先生というのがたくさんいました。それはどこの塾でもそうでしたよ。生徒に人気がない。あるいは生徒やご家庭から文句が出る。学生講師だと本当にすぱっと切られていました。もっともご本人も本業は大学生なので、あっけらかんとしたものでした。
 やめさせられた学生講師を飲みに誘ったりしたものです。何となく気の毒じゃないですか。塾の悪口を延々と聞かされたりしました。
 
 授業時間ではない待機時間に手当てが出ることになっていたのがある月から突然なくなったり、予習の時間や質問対応などの残業については一切お金がつかなかったり、はては交通費が支給されなかったり・・・ということは当時は半ば常識(?)でした。
 反旗を翻そうとしてやはりやめさせられたりしていた先生を知っています。組合みたいなものを作って一緒に文句を言おうじゃないかと誘われたこともありましたが、私個人はそういう活動自体が好きではなかったので、とくに何かをしたことはありません。
 
 そのへんは個人の感覚ですね。私は放っておかれるのがありがたいぐらいでしたよ。予習についてもお金が出ないからやらない的な発想は持ったことがありません。むしろこっちの楽しみの1つみたいな感じで、苦痛ではなかったですね。
 要するに純粋な「バイト」感覚が徐々に麻痺していったのだと思います。時間が来たらすぐに帰らなければ損をするとは考えられなくなっていった。勤めている塾はかけもちしていることが多かったですね。家庭教師もしていました。
 
 家庭教師センターに登録してあるわけです。面白かったですよ。こっそり教えたらいけないという。センターを通してくださいと。それはそうでしょうね。こっそり教えたら違約金が30万円という契約書がありました。ところがご家庭は必ず(といってよかった)「個人的に見てもらえませんか」と相談してきます。
 理由がだいたい同じで「先生に見てもらったあとは子どもが元気になる」というのです。この仕事で自分には何らかの価値があるのだなとぼんやり考えるようになったきっかけは、そんなことでした。
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2017.04.16 00:38

 味覚というものは、大きな文化的要素だと私は考えています。いいとか悪いとかのお話ではないですよ。高級だとか低級だとかも関係ありません。ただどういう育ち方をしてきたかということは、けっこうーーファッションなんか以上にーーどんな味を好むかという部分に出てくるように感じます。
 ときどき行く渋谷の中華屋さん、以前「東京五大」という書籍に掲載されていると書きました。チャーハンが東京五大チャーハンに入っています。
 
 味が濃いのですが(じつは作る方によって微妙に違いが出るところも面白い)、おいしいことはおいしい。黄色いたくわんが2つつきます。さらにスープがつく。このスープも味は濃いのですが、おいしい。
 ひょっとするとお若い方にはちょっとしつこい感じかもしれません。私は昭和の古い東京人なので(関係ないか)濃い味つけには慣れているのです。子どものころ、そんなものばかり食べていましたから。
 
 ところが、その濃厚なチャーハンにときどき醤油をかけている方がいらっしゃったりしてちょっとびっくりします。余計なお世話ですがただでさえ塩分が強いのに、いったいどうなってしまうのだろうとはらはらしますよ。
 じつはこのチャーハン+醤油という組み合わせは他店でも見たことがありました。池袋教室時代ですね。池袋にはFという有名な中華のチェーン店が何軒もあります。私はいくつかのお店を回る感じでお邪魔していました。
 
 そこでチャーハンに醤油をどくどくかけている方を目撃しました。ぐるーっとまわしがけしていたので、かなり強く醤油味がついたのではないかと思います。好みなのでしょうね。
 渋谷にはKという関西で有名なラーメン屋さんもあります。「3回食べるとやみつきになる」というラーメンを提供していて、外国人とりわけ西洋人の方が大勢いらっしゃっている。そこではラーメンの中にお好みで自由に味つきのニラを入れられるようになっています。
 
 先日、隣の席の方がある程度の大きさの容器のニラをすべてラーメンに入れているところを偶然目撃しました。濃く味つけられた大量のニラをぜんぶ投入した。根本的にラーメン自体の味が変わってしまうと思います。
 逆に極端な薄味を好む方もいらっしゃる。生徒で、とんかつやカキフライに何もかけないという子がいました。レモンをしぼるだけ。ご家庭がそうだというので、まさに文化だと思いましたよ。
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2017.04.15 09:19

 不穏な東アジア方面の情勢が気になって仕方がないのですが、毎日そんなことばかり書くのもどうかと思うので、今日は愛犬のことを書きます。
 我が家に来てからひと月たちました。はじめのころはたぬきみたいな黒い顔をしていたのですが、柴犬らしい白くてほっそりした顔つきになってきました。身体もそれなりに大きくなって、手足もしっかりしてきました。赤ちゃん犬から子犬に変身しているということなのでしょうね。
 
 私はまだ外に連れ出していないのですが、家内や息子が散歩に行くといろいろな方が寄ってきてくださるそうです。とくに子どもがわらわらと寄ってくる。撫でさせてとさかんに言うので、撫でてもらう。
 犬自身が子どもたちに撫でられることをとても喜んでいるように見えるという話でした。生まれてからーー少なくとも私の家に来てからーー彼女は1度もいじめられたことがないですからね。いつもいつもかわいがられてきました。
 
 そういうことは非常に大切なことで、彼女自身の意識の中に「人間は冷たい生き物なのだ」という概念がありません。
 よく言われますね。小さいときからいじめられて育った犬は人間不信になってしまって、素行がどうしても荒れる。それはそうだと思います。繰り返し繰り返し理不尽な叱られ方をしていたら、愛情というものの存在を信じられなくなるでしょう。
 
 じつは人間にも同じことが言えます。あまりにも強く叱られすぎて育ってくると、極端に萎縮していたりいじけていたりすることがあります。何もしないうちからどうせ自分なんか・・・という無気力さがどんより漂っていたりする。そういう意味ではやはり、より多く適切に褒められ励まされてきた子のほうが、少なくとも前向きな気持ちを持てるはずです。
 そのあたりは本来ならはじめから計画をたてておかないといけないところですが、気づいたところからすぐに修正されるのも価値あることだと思います。
 
 甘噛みではありますが、やたらと手に噛みついてきます。さほど痛くないものの人さまを噛むとよくないので注意をする。いろいろな遊び道具は与えるのですが、どうしても人間の肌の部分を噛みたいらしい。
 考えてみれば、そんなやり方でしか愛情の確認や表現ができないのですね。言葉がありませんから。噛むことで「好きだよ」「好きでしょ?」と確認している。人間の愛情表現はさすがにもうちょっと洗練されていますが、表現していなければせっかくの洗練さも台無しです。
 
 言葉で穏やかに大切に思っていることを、あるいはお相手(お子さんとは限りません)がいらっしゃってどんなに楽しいかということをお伝えになるといいでしょう。犬は毎回噛むことで表現しています。人間も負けないぐらい「毎回」何かで表現するといいですね。多くは言葉でしょうか。日ごろの気持ちが大切だと思います。
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2017.04.14 05:01

 きな臭いという言葉がありますね。改めて辞書をひいてみたところ、紙やきれなどがこげるような臭い云々と書かれていました。何かよくないことが起きそうな予感を抱いたときに使いますね。対立が深まったりして、ちょっときな臭くなってきたぞ・・・というような使い方をします。
 ずばり書いてしまうと、私個人は現在偶発的な戦争について心配しています。いやな感じがする。巻きこまれることにならなければいいのですが。
 
 戦争というのはあとで総括すると明快にどちらかが一方的に悪いということになりがちですが、そんな単純なものではないでしょう。場合によっては戦争をしかけたいほうが相手がとことん悪くなっていく過程を期待しているケースだってありそうです。わざとそちらに追いこんでいく。そして一線を超えたら、ついに超えたぞ! という感じで衝突に突き進んでいく。
 ただそうした真実が一般の人間に伝わるのは悲惨な争いが終わってから何十年もたってからだったりしますね。
 
 私はちょっと危惧しているのですが、世の中で「偉い」と称されている人間が、実際はたいして徳を積んでいないという事例が最近非常に増えているのではないかと思うのです。つまり世間で言う「偉さ」の中に権力であるとか名誉であるとか金銭的優位性であるとかは入っていても、「徳」の要素は案外希薄なのではないかという気がするのです。
 ひょっとするとーーこれはよくわかりませんがーー徳を積んだ人間はやみくもに高い立場につこうとはしないのかもしれません。
 
 世の中でリーダーとなる人間(政治家に限りません)は、自分だけがリーダーになりたいからなったでは困るわけで、その世界全体の穏健さみたいなものを維持させないといけないと思うのです。リーダーの役割の大きな要素は、構成員の幸福を増進させることでしょう。ところが必ずしもそうなっていないということは、どこの国を見ていても感じます。
 場合によっては、ご自身の周囲の満足(物質的精神的)のためだけにリーダーとしての権限を行使しているのではないかという事例は、新聞なんかを読んでいれば枚挙にいとまがないですね。
 
 ときどき優秀な高校の生徒会をそっくりそのまま政治や行政のトップに持っていったら世の中はもっとよくなるのではないかと真剣に考えるときがあります。もっともいまの世の中のリーダーの方たちだって何十年か前にはそうした立場だったはずで、長い年月の間に好ましくないものを得たというよりは、貴重な何かを失ってしまったのかもしれません。
 世の中が穏やかに推移していくことを強く望みます。そのためにせめて自分の周りの世界を穏やかに保つよう日々努力していきます。
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2017.04.13 00:49

 お休みですので、臨時の記事です。
 Z会進学教室にはいろいろな先生がいらっしゃるのですが、橋野先生はダントツに有名ですね。昔からたくさん書籍を出版されていますし、Z会の映像講座やテレビコマーシャルにも出演なさっています。北海道とか関西とか、毎年全国で講演活動もされています。ふだんはお茶の水教室にいらっしゃるのですが、ときどき渋谷教室でもお話をお願いしています。
 対話形式の講演会は私も拝見させていただきましたが、とても面白かった。なぜ勉強するの? という橋野先生の問いかけに中学1年生の方が真剣に答えていらっしゃった姿が印象に残っています。
 
 いろいろな答えが出てきます。それはそうでしょう。なぜ勉強するのか? という問いかけはなぜ生きるのか? という問いに似ています。そう簡単に答えられないですよ。考え方は無限に出てくるように思いますし、実際にいろいろな答えが出てきます。
 それを橋野先生がまとめていく過程は圧巻でした。私は感心したのですが、どんな突拍子もない返事がきても先生は否定しません。なるほど・・・と引き受けて、その中から本当に大切な要素を瞬間的に抽出していく。その回転の速さは、ちょっと真似できないですね。
 
 その橋野先生の講演会が近々あるそうですので、ご紹介しておきます。
 
   http://www.zkaiblog.com/z-shingaku/59668
 (Z会blogの「Z会進学教室便り」の記事をご覧ください)
 
 世の中にいろいろ講演会はあると思いますが、橋野先生のお話の中にはすべての要素が包括されています。可能であれば、保護者の方とお子さんとご一緒にお聞きになると面白いのではないでしょうか。こういうの、あとで「あのことどう思った?」という感じで親子の会話にされるといいのですよ。ご覧になったもの、お聞きになったもの、お読みになったもの、すべて会話の材料になさってみてください。それがそのまま心の肥やしになってきます。
 
 橋野先生のお話がいくらよくても「ああいう感じでやっておけ」ではちょっとお子さんは寂しく感じると思います。それよりは「お父さんもなかなかできなかったぞ」とか「お母さんもああいう風にやっておいたら楽だったかなあ」とか、わざと盛りあげるのですよ。勉強のお話で盛りあがれる文化は非常に望ましいと思います。
 最後に、私と橋野先生とはけっこう親しいのです。北千住や大塚の名居酒屋にもご一緒したことがありました。先生はお忙しいのですが、またどこかでお誘いしようと思っています。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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