2017.05.31 09:50

 現在読んでいる本にとてもいいことが載っていたので、ちょっとご紹介しておこうと思います。私はふだん相当数の書籍を読みますが、読み方にむらがあり読む時期は大量に読んで読まない時期はひと月ぐらい何も読みません。小中学生や高校生の方が読解力を鍛えようというのであれば、絶え間なく読み続ける必要があります。筋力と同じでしばらく読まないでいると衰えてしまうからです。
 自分の場合書籍を読まない期間も新聞や雑誌、さらに国語の入試問題などを大量に見ているのであまり心配していません。
 
 こういうことが書いてありました。ほとんどの人々が、自分の時間を仕事(勉強)、遊び、家族(友だち)のためにあてているというのです。セルフケアのためにあてている時間はほとんどない。
 思い巡らしてみると確かにその傾向はありますね。私もそうかもしれません。遊びとセルフケアは似ているようでちょっと違います。たとえば自分の場合、真夜中まで将棋を指したり気ままに飲み歩いたりしているのは楽しい「遊び」ではありますが、セルフケアとはとても言えないでしょう。
 
 そして、こう続きます。いまの自分を大切にケアすることは今後10年間の自分の人生を決定することである。
 実例がいろいろ出てきました。たとえば自分の人生に意味と目的があるかどうか考えているか。それとも意味のないルーティーンに見えても日々の実用性を重視しているだけか。どちらですか?
 より高次のビジョンに従って生きているか。それともよりよい仕事(成績)、より多くのお金といった外的なものだけを求めて生きているか。どちらですか?
 
 端的に言えば生き方についてよく考えなさいということですね。こういうことこそ子どもたちに示唆しなければと考えています。
 テストで何点、順位が何番、偏差値がいくつ・・・幼いころからそんなこと「だけ」に追いまくられていたらセルフケアも何もないでしょう。もっと大きなところから見られるようにしておかないと。
 最近、いろいろなところでいわゆる偉い人たちの不自然な「ずるさ」が目立ってきていますね。「忖度(そんたく)する」という難しい言葉が流行ってしまったぐらいです。
 
 渦中にいらっしゃる方たちは「優秀」な人間ばかりです。優秀だからこそそうした立場に立てた。その優秀さがさまざまなトラブルを呼んでいるわけで、それこそ「高次のビジョン」を確認するクセをつけなかった弊害が出てしまったのかもしれませんね。外的な価値観を重視しすぎたのでしょう。
 彼らもまた苦しんでいるとは思いますよ。自身の善性を犠牲にして生きていかざるをえないのですから。ただ全員がそうなるわけではありません。個から出発してあくまでも内側の声を大切にする。内側の声を真摯に聴く=セルフケアということになりますね。
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2017.05.30 00:40

 自分の場合ーー基本的にはすべて洋楽ですがーー過去に好きだった曲がたくさんありました。そこには微妙な要素が混じっていて、特定の時期のことを考えたくない意識がどこかに潜んでいるとせっかくいい曲であるのに、現時点ではあまり聴こうとしなかったりしますね。
 もったいないとは思うのですが、映画のサントラ盤と同じで、好んだ音楽はどうしても人生に密着していますからね。つねに無邪気に聴き返すだけ・・・というものでもないようです。
 
 中学生時代の自分は英国の国民的シンガー、クリフ・リチャードが大好きだったのですが、のちのち当時の(クリフではなく)自分自身を非常に軟弱に感じて、いまはめったに聴くことがありません。はじめて買った洋楽のシングル盤はクリフ・リチャードの「幸せの朝」だったのですが。
 また初期のローリング・ストーンズも変にのめりこんでいた時期の自分が恥ずかしくて聴かなくなりました。「シーズ・ア・レインボウ」は言葉を失うほど感動したものです。こんな発想の曲、まずないですね。発想だけならプロコル・ハルムの「青い影」が似ていますかね?
 
 自室では身支度をしているときにYoutubeで適当に音楽を流していることがよくあります。メドレー形式でさまざまなアーティストの代表曲が流れてくる。真剣に聴く感じでもありません。
 ときどき昔大好きで、いまはあまり聴かなくなった名曲が流れてきてはっとすることがあります。瞬間的に当時のことを思い出す。アイズレー・ブラザーズの「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」が日曜日の朝偶然流れてきました。あ、という感じで1975年ごろのことを思い出した。
 
 この曲はのちのちアイズレーの代表曲になった曲ですが、発売直後はまあまあの評価しか得ていなかったように思います。当時、全米トップ40を聴いていてベスト10内に入ってこないのでとても不満でした。日本ではシングルカットさえされなかったと記憶しています。シングル盤でないとなかなか手が出なかった。
 この曲と「傷だらけの天使」というテレビドラマが自分の中ではダブります。再放送だったのかな。若くして死んでしまった友人と新宿をうろうろした。路上でもお店でもみんなどこでもずーっとタバコを吸っていました。
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2017.05.28 02:34

 お若い方だと何ヶ月も湯船につかっていないというケースがままあるそうですね。もちろんきれいにはされているのですよ。シャワーを浴びている。うちの息子なんかも仕事が忙しくて、ゆっくりお風呂に入っている時間がないというようなことを嘆いているときがあります。
 確かに夜遅く帰ってきて翌朝早くお仕事ということになると、眠る時間を確保するためにぱっぱとシャワーで済ませるしかないのかもしれません。
 
 私の家の体重計にはいろいろと複雑な機能がついていて、体脂肪率だとか基礎代謝なんとかだとか筋肉量だとか、体重を表示するだけでなくいろいろなことを調べてくれるようになっています。体重計は昔のものが壊れたので「ただ買ってきた」だけでした。それに偶然そうした機能がついていたということです。
 私は基本的に毎日必ず体重を量っているので、それ以外の余計な数値もひとりでに目に入ることになります。深刻に受け止めはしないですけどね。
 
 体内年齢という項目があり、数字が出てきます。私の場合だとだいたい15歳ぐらい実年齢より若く出てきます。よくわかりませんが、体内年齢は若いほうがいいのでしょうね。
 面白いのはここからです。私はお風呂に入ることもありますし、シャワーだけ浴びることもあります。夏場はやっぱりシャワーのほうが多いですかね。そしてその前後に体重計に乗ってみます。お風呂に入ったとき体重が変化していることがあり興味深いので、何となく前後で量るようになりました。
 
 するとーーあるとき気づいたのですがーーお風呂に入ると体内年齢が1つ下がります。ところがシャワーの場合は同じ。自分はとくに長風呂ということはないのですが、やっぱり何かしら変化というか効能というか、あるのでしょうね。汚れを落とすというだけなら同じだとも思うのですが。
 身体を温めるのはとてもいいことだという記事をときどき見ます。ただあまり熱いお湯だと表面だけが温まって、身体の芯まで熱がいっていなかったりするそうですよ。
 
 ぬるめのお湯にじっくりつかるのがいいらしい。入浴剤なんかもいまはいろいろとありますから、そのあたりも楽しみながら入るのがいいのでしょうね。ドイツ製の有名な入浴剤があり、高いのですが買ってみることがあります。
 週末は忙しいのでどうしても慌ててシャワーだけのことが多いのですが、また休みの日だな。お風呂に入って体内年齢を1つ下げることにしますよ。
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2017.05.27 00:55

 先日中1のクラスで「いままで読んだ中でいちばん面白かった小説(物語)を1つだけ書いてください」というアンケートをとってみました。これはもう完全に私の趣味の世界で、カリキュラムに入っているわけではないですよ。
 ただこちらはふだんからとにかく読書しなさいと言っているわけで、何を読んだらいいかわからないという生徒にサンプル例みたいなものを提示できたら・・・という感じでしょうか。同い年の仲間が読んで面白かったのであれば、安心して手を出せます。
 
 推薦図書という感じで大人が指定してしまうと若干温度差が生じてくることがありますね。学校で薦められたある本を読んでいた中学生が「古臭くて本当につまらない」と嘆いていましたが、ファッション的(?)な要素があまりにも古いと現代の少年少女は抵抗があるみたいですね。
 確かに自分が子どものころのことを考えても、小説の中で着物がどうのこうのという描写があまり細かく出てくるとーーそんなもの着ませんからーー面白くなかった記憶があります。
 
 クラスでは私がまとめたものを印刷して配るつもりですが、映画やテレビドラマの原作がいくつもありました。そういうものでしょうね。重松清先生の「ゼツメツ少年」を2人の人が同時に「いちばん面白かった」ものとしてあげていました。
 小川洋子先生の作品も2つ出てきました。中1になったばかりですからね。よく読んでいるなと感心しました。大御所(?)では、司馬遼太郎の「坂の上の雲」、夏目漱石「わが輩は猫である」、坪井栄「二十四の瞳」があがってきましたよ。
 
 欠席者も複数いたので、20名ちょっとのアンケートです。仲間がこんなに読んでいるのだという事実は考えてみてください。
 いつも書くように、教科書、テキストをやっておくのはあたりまえです。全員やっている。熱の入れ方の違いはあるでしょうが、全員やっているものではそんなには差がつきません。しかし、それ以外の部分ではそれこそ漱石を「いちばん面白い」と読んでいる中学生と何も読まない中学生とではいずれとてつもなく差が開くでしょう。あたりまえなのに気づかない。あるいは気づかないふりをしている。
 
 今回は小説以外調べませんでしたが、いまをときめく中学生棋士藤井四段(デビュー以来公式戦19連勝!)のように、さらに毎日必ず大人の新聞を15分近く読んでいる中学生もいます。その部分も差がつきますね。稼ぐ人は黙々と稼いでいる。そして、あなたは稼いでいるかどうか。
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2017.05.26 09:37

 自分の考えていることをどなたかに押しつけようとすることはまずありません。それぞれがそれぞれの意見を持ちながら協調して生活していくのがベストだと思っています。
 ただ現実を見ていると、権力的なものの腐敗や堕落は昔よりひどくなってきていると感じます。全世界的にそういう感じがする。
 本当の力ではない力を信奉するからでしょう。増えたり減ったりするものはーー不安定なわけでーー本当の力ではない。そのことをきちんと学ぶ場がない。
 
 本当の力ではないものをやたらと持ち上げて、これさえあればあなたも勝利者だ! という要素が教える側(広義の教育する者たち)に強すぎるのです。
 おまえも成功者だなどと安易におだてるからいけない。決してなくならないものを丁寧に獲得していくのが徳性ですよと穏やかに伝えて考えさせる経験を持たせるのが本当の教育(導き)ではないかという気はします。
 教える側に、生きる哲学が欠落しているのかもしれないですね。
 
 本年度の自分の中1のクラスにはすでに25人以上生徒がいて、ほぼ満員状態です。机はあと少しだけ余裕がありますが、やみくもに増やそうという気持ちはありません。
 私はカリキュラム通りにあたりまえの授業を展開しているだけでとくに特別なことはしていませんが、大人の流儀みたいなものは伝えておかないといけないとつねに考えています。テストの点数だとか偏差値だとかはそのあとのことなのですよ。そういう増えたり減ったりするものは骨格形成のあとで大切にしていけばいい。
 
 私の授業は最終コマです。すでに英数と3時間勉強してきた彼らは疲れています。途中でトイレに行きたがる生徒が出てくる。にこやかに「行っておいで」と言う。毎年そうです。中2中3になると落ち着くのですが、中1のときはそういうことが多々あります。これを「どうして休憩時間に行っておかないんだ!」と私の年齢(ここは大切です)でやみくもに叱ったりするのは、成熟した大人の行動ではないと考えています。休み時間には上級生がたくさん来るからトイレに行きにくい子も絶対にいるはずで、そうした想像力を大人だから持てるのだと感じさせることはじつは大切なことだと思っています。
 
 規則はきちんと話したうえでいろいろとイレギュラーな応対をしていますが、それは単純に甘やかしているのではないのですよ。大人はいろいろ考えているということを伝えたい。伝わっているものはあるのでしょうね。彼らは授業中決して騒いだりはしません。何人いてもきちんとやってくれます。
 授業中生徒が騒いでしまうと先生が嘆かれているケースを過去何度か見たことがあります。「舐められないように」とやたらと厳しくされる。その姿勢が、逆に軽く見られてしまう。重みみたいなものは自然と伝えていく必要がありますが、それは大人側がどれだけーー科目内容だけでなくーー人生を勉強しているかという要素がじつは大きいですね。
 
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2017.05.23 09:06

 私のように少年期いい加減だった人間の目から見ると「真面目に勉強している」10代というのはすごい人だということになりますが、真面目にやり続けている優等生には真面目に勉強することはごくごくあたりまえであって、だから何? ということになります。
 真面目にやらないほうが大問題で、真面目にやっているからといって大騒ぎするほどのことではないのですね。
 
 ですからいわゆる真面目に勉強する人間にとって学校の教科書を隅々まで読む、予習復習を毎日欠かさない、授業そのものを真剣に受ける、定期テストの対策をする・・・というのは当然のことで、それだけでは差がつくわけがないということを彼らはちゃんと知っています。
 ときどき私のところに「真面目にやっているのに成績が上がりません」と来る生徒がいますが、先頭集団では真面目にやるのが当然ですからそんなに調子よく順位が上がるわけがないのです。
 
 それ以外に何をやっているかということが大事です。それ以外のことというのは、あきらかに他の人がやっていない努力ですね。たとえば学校以外の勉強でしょう。
 それはまたすごいことではありますが、ただその「学校以外の勉強をしている集団」にとってはそれが次の次元のあたりまえになってきます。ですからその集団内では、それだけではぐんぐん頭角をあらわせません。
 
 そのあたりを勘違いして自分は努力してもだめなのだなどと思わないようにしてください。みんなと同じことをやっているかぎり、その集団内でだいたい同じ位置にいるのはむしろ道理です。
 つねに自分は「属している集団でどこの部分で他人より努力しているだろうか」ということを意識しないといけません。そして高みにのぼりたいということであれば、みんなと違った何かをしないといけない。その何かが確実な文化的活動であれば、いずれ相対的に成績は上がっていきますからちょっと冷静に考えてみてください。
 
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2017.05.22 08:11

 いつもの耳鼻科でいつもの週刊誌のいつもの「人生相談コーナー」を読んでいたところ、いいことが書いてありました。旅というのは人間への最大の贈り物だというのです。どなたの言葉なのか出ていませんでしたが、そういう名言があるそうです。
 ほう、と思いました。いい言葉を聞くとひと呼吸置いて「なるほど」という気分になりますね。
 確かに旅行は気分がリセットされます。何か非常に新鮮な気持ちになります。
 
 すぐにでも旅に出たくなりましたが、次の休室日はお盆のときですからね。まだちょっと間があります。先日の愛知県豊橋市みたいに日帰りだとやっぱり疲れるからな。
 そうなると私は軽いので、とりあえずすぐに中京地方の「るるぶ」なんかを買ってしまったりするのですよ。するといまの「るるぶ」はすごいのですね。昔と情報量が全然違う。ここまでやらないとネット全盛の時代、売れないのかもしれません。
 
 その情報量ですが、どちらかというと昔より圧倒的に庶民向けの情報が増えています。これはどういうことか。庶民階級(?)にターゲットを合わせるようになったというよりは、お若い方や豊かな生活を送っていらっしゃる方が昔より庶民文化に興味を持たれているということではないかと思います。
 実際、東京でも赤羽あたりに山の手から観光(でいいのかな)目的のお客さんがたくさんいらっしゃるようになりました。とくに土日祭日ですね。それこそ赤羽線のころ(古すぎますか?)は硬派な街というイメージがありましたから、えらい変貌ぶりです。
 
 中京地方の「るるぶ」にも、私が昔から行きたいと思っていながらちょっと入りにくさを感じていたお店が堂々と紹介されていました。10年以上昔の雑誌(観光ガイドではありません)には、女性客一見客はまず見かけない・・・みたいなことが書かれていたものです。そのお店が「るるぶ」に掲載されている! 優しく明るくいかにも楽しそうに紹介されていていたので、雰囲気もずいぶん変わってきているのだと思います。
 旅は時間とお金を消費します。ただ「人間への最大の贈り物」という表現は言い得て妙ですね。確かにどんな物品よりうれしいかもしれません。
 
 
 
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2017.05.21 00:21

 とくに小学生の男の子なんかで、やたらと軽そうに見える子がいます。これはそう見えるというだけであって本来の軽薄さとはじつは別種のものです。私は自分がそうだったのでよくわかるのですが、自分自身の内側で何かよくわからないものを韜晦させる目的でとりあえずそう演じているケースがしばしばあります。
 ですからある日突然、内省的で静かになることがある。口をきかなくなる。笑顔を見せなくなる。もともとその素養があったのです。
 
 概して、小中学生は男の子のほうが女の子より重心が高いものです。うろうろきょろきょろしていて落ち着かない。生理的な何かもあるのでしょう。いわゆるじっとしていられない。
 自分の場合は中学2年生ぐらいになって突然他人と話すのが苦痛になりはじめましたが、性的な目覚めみたいな要素が微妙に関係していたような気もします。とまどいですね。何か考えこんでしまうようになったとでも言うのでしょうか。
 
 いずれにせよ、重心が高い位置にあるときはどうしてもじっくり考える態勢になれません。ぐらぐらしている。喋ったり動いたりマインドが落ち着かない。
 勉強に限ったことではないですよ。お手伝いをさせても失敗する。買い物に行ってお釣りを忘れてきたり、洗濯物を干そうとして地面に落としたりする。重心が高くて不安定なのです。
 やみくもに叱ったところでどうにもならないでしょう。そそっかしさの根本原因が重心の高さにあるのですから。
 
 そこは時期を待たないといけませんね。と同時に生活の中で重心を少しでも下げられるような働きかけをしていかないといけない。
 本当は瞑想でもさせるのがいいのでしょう。しかし、小中学生相手にそういうわけにもいかないですね。落ち着いた空間作り、じっくりと姿勢正しく座らせ食べさせる、家の中の空気を泡立たせない工夫などは必要になってくると思います。ずーっとテレビがついているとか部屋中散らかっているとか家族が怒鳴り合ってばかりとかいうのはちょっと感心しません。逆に重心が上がってしまいますよ。
 
 お子さんの重心を下げてやるにはどうしたら・・・ということを常に意識されるといいと思います。「がみがみ文句を言う」などというのは重心を上げることこそあれ、下げることはまずないと思います。何かあったときは、明日対処法を訊くからまとめておいてでいいでしょう。1人でまとめながら、彼らの重心は静かに下がっていくはずです。
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2017.05.20 00:47

 歳をとってわかってきたことが多々あり、そのへんは歳をとるしか理解の方法がなかったのだろうと感じます。一般的に歳をとることは評価の分かれる要素があり、だからこそ「アンチエイジング」が流行ったりもするのでしょう。それを私はとくにいいこととも悪いこととも感じませんが、歳をとってわかってきたことに関しては大切にしたい気持ちがあります。
 1つはコミュニケーション=会話だけではないのだということがあります。それは強烈に意識するようになりました。
 
 昔は何かしら伝えたいことがあるとき、相手にわーっとすべて話さなければ伝わらないと思っていました。たとえばそれこそ若いころ、女の子に思いを伝えるとき何をどう話そうかということを常に考えていました。あれがいけなかったのかといまになってーーあまりにも遅いですねーーよくわかります。
 あるいは生徒を呼びますね。何か注意したいことがあって呼ぶ。そのときに会話体ですべて訴えてしまったら絶対にうまく伝わらないということが、やはりいまはよくわかるようになりました。
 
 伝えたいことはもちろん何も言わなければ伝わらないでしょう。ですから少しは言葉に頼る。あとはこちらの様子を見てもらうだけでいいと思っています。落ち着いたまなざしや顔つきや身振り。それから伝えたいこととは直接関係のない会話。そういった絵画でいえば背景みたいなところをしっかりと構築していく。それでただ言葉を羅列する以上にテーマが伝わるということは、経験上はっきり言えると思います。
 わーわー文句を並べたところでまったく効果はない。むしろ思慮深い沈黙のほうが人を動かす可能性があります。
 
 他にもーー以前書いたかなーー昨年ぐらいから、私はうちわの風と扇子の風の微妙な違いがわかるようになってきましたよ。これなんかは本当に加齢の賜物(?)だと考えています。
 言葉では説明しにくいのですが、おそらく空気を大きく動かしすぎてしまうからでしょう。うちわの風のほうが暑い。扇子の風のほうが涼しい。心理的なものがあるとは思うのですが、いろいろなうちわと扇子で何度も何度も実験してみたのでそういうものなのでしょう。扇子には香料がついているものもあり、その場合香料が運んでくる涼しさももちろんありますね。外気温だけではないのですね。
 
 ・・・という具合に、歳をとることをネガティヴにとらえずその過程で得られるものをいろいろ楽しんでいければいちばんいいと感じています。まだまだ何かが発見できそうで、うきうきしますよ。
 
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2017.05.19 08:45

 成績のお話ではありませんよ。
 昔、自分は目立ちたくないのでいわゆる平均値によりかかって生きようと考えていたときがありました。10代のころですね。勉強はやらないことに決めていた(両親との確執があり断固としてそう考えていました)のですが、そうかと言ってあまりにも低レベルだと友人の手前恥ずかしい。
 そこでだいたい真ん中に来るような努力だけはしていました。真ん中から落ちると勉強し、真ん中以上になったらすぐに勉強をやめる。
 
 唯一国語だけはすごくいい点数をとることがありましたが、普段から文芸書や哲学書などを読む趣味があったからで、勉強とはちょっと違います。それはそれで効果があるのですよ。ときどき「何もしていないのにどうして国語だけ点数がいいのか」と級友に訊かれることがありましたが、そこは数学や英語などとは違って遊びではあっても教科書の何倍も難しいものを大量に読んでいるわけですから、文章の理解がはやいのは当たり前だと考えていました。
 
 とにかくそうやって平均値に隠れるような人生を送っていくつもりだったのですが、どこからかその生き方は諦めたというかできなくなってきました。
 過去何十年間、自分はあきらかに世間の「平均値」を逸脱しています。何もかもがそんな具合で、卑近な例で言えばたとえば自分は何十年も深夜に食事をして朝は何も食べない生活を送っています。お酒も好きなだけ好きなときに(許される範囲でですよ)飲みます。運動の類は一切やったことがありません。睡眠はとりませんし(めまいが起きるぐらい)、お金は計画なく適当に使います。
 
 お金に関しては、昔から私は自分自身がどんな無駄遣いをしたところで次の段階で人々の役にたっているはずなので後悔がないのです。ですから、人生でお金の使い方だけは失敗したことがないと考えています。世の中に流した時点で、完璧に正しいことをしているように感じるからです。
 ただこういうのは「平均値」の考えではないですね。それはわかってはいるけれども、いまさら「平均値」の考え方にもどすのは難しい。
 
 平均値とは無縁の生活を送っているからこそお役にたてている部分もあるのかもしれません。何か相談されたときの自分の回答はとても平均値の答ではないのでしょうが、お礼をおっしゃってくださる方がないでもない。
 息子は「お父さんは狂人だな」と面白がっている(家内から聞きました)らしいのですが、まあ、ここまで来てしまうと引き返せないですよ。このまま自己の真実にひたすら忠実に進むしかないのでしょうね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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