2017.03.04 03:18

 生徒から「働くというのはどういうことか」と質問されるときがあります。まあ、そんなに深刻なお話ではない。ぽんと訊かれたときには、タイトルのような答え方をしています。自分のできること、自分の得意なことで世の中を明るくする。その過程でいろいろなことは整理されてきて報酬をいただく。簡単に言えばそういうことではないかと考えています。
 報酬に関しては、あまりとらわれすぎるとよくないかもしれません。上記のことを徹底的に心がけていけば自然と道は開けてくるように思います。
 
 ちょっと個人的なことを書くと、私は以前より収入は減りました。これは規定があり、そういうものでしょうから文句はありません。はじめからその契約で働かせていただいています。
 ところがーーありがたいことにーー教室の生徒はどんどん増えてきました。当然、定年前よりも忙しくなってきた。授業のコマ数とは関係なく、やらなければならないことが増えてくる。それはそうですね。生徒の数だけやらなければならないことは出てきますから。
 
 これは「損」なのかどうか。収入が減ったのに忙しくなったのは損なのか?
 私はむしろとてつもなく「いいこと」が起きつつあると考えています。自分たちのやっている(得意な)ことで人が増えてきている。卒業していく生徒のご家庭からは、先生だけではなく事務関係にも感謝の念をいただくことがしばしばあります。総合体として世の中を明るくしていることだけは間違いがないように感じています。
 得意なことは生きていくうちに見つかることも多いですよ。
 
 ときどき「小さいころから先生になろうと考えていたのですか?」というご質問をいただくことがある。それはまったくありませんでした。私はきわめて投げやりな少年期を送ったので、将来についてありとあらゆる希望を持ちませんでした。とりあえずうんと自由な、吟遊詩人とか放浪者とか流しのミュージシャンとか遊び人とか・・・そんな人生以外興味はありませんでした。
 それがいろいろあってこうなった。その過程で、右か左かということはありました。
 
 そのとき、楽な方というよりは、得意な方に曲がってきた。励ます機会が多いとか明るく話す機会が多いとかという感じですね。教える対象を13年前に小中学生に限定したのも自分の得意分野ーーおうちの方とお話したり傷ついている世代を励ましたりーーを活かせると考えたからです。
 得意なことで世の中を明るくする。報酬などはおそらく最終的に自分にふさわしいものになってくるはずです。
 私自身は大空であり、雲の動きについては気にかけずに生きたほうがよさそうだということです。
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2017.03.02 06:26

 学校の勉強はそれなりにやっているとしますね。他に1つだけ何をすれば優等生になれますかと訊かれたら、とりあえずは1つだけでは足りないと答えるでしょう。別コラムの「勉強ができるようになるには」(右側の応援メッセージから入れます)にはもう55回記事を書いています。55個やってくださいと答えたいところです。
 それでもどうしても1つだけ・・・と言われたら、私なら「考えながら活字を読む訓練」をあげます。読書と書いてもいいのですが、もう少し抵抗感(?)を持って熱心に取り組んでいただきたいところです。
 
 それもたまにではない。毎日毎日です。毎日一定時間考えながら読む。忙しくてむりだとおっしゃる方はたくさんいらっしゃるでしょう。
 今週、新聞で中学生高校生がスマホをどれぐらい利用しているかという記事を読みました。インターネットを見たりしている時間の合計。あくまでも平均ですが、何と! 中学生は1日約2時間、高校生は約3時間となっていました。驚くべき長さだと思います。記事では依存症のことにもちらりと触れられていました。
 
 その時間の半分だけでも紙で活字を読んでくだされば状況は劇的に変わってくると思います。ただそうしたことができるかどうか。
 以前も書きましたが、青少年に与えるスマホの影響を研究されている脳科学者の先生が、脳が成長していく18歳までスマホは制限ししっかりした文章を読む環境を作るべきだとおっしゃっています。専門の先生がいい加減なことをおっしゃるわけがない。危険な要素は確実にあるのだと思います。それをまたある意味で隠蔽しておこうという勢力もあるでしょう。
 
 もちろんスマホがない時代、皆さんが2時間余計に勉強していたわけではないですよ。昔の生徒たちは「雑誌を読んでいて勉強できなかった」と話していました。自室に雑誌を持ちこむとだめだという反省の言葉をよく聞いたものです。ついつい読みふけってしまう。
 自室でスポーツ誌や芸能週刊誌や音楽雑誌、ファッション誌などを夢中になって読んでいて、勉強時間が足りなくなる。1990年ごろは私も読んでいる「BURRN!」誌をほぼ徹夜で読んだと報告してくださる男の子がいたりしました。
 
 それでも毎日スマホ2時間よりははるかに救いがあったと思います。
 私たちの人生は同じ「1日24時間」をどのように使うかで決まってきます。24時間を人それぞれまったく違った要素に配分していますが、それは私たちの選択です。どうしようと個々人の自由ですが、優等生になりたいと言われれば私は経験的に一定量の活字を毎日必ず読みなさいとしか言えません。それなしで飛び抜けた優等生になることはーー特に国語はーー難しいと思うからです。
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2017.03.01 07:57

 説明会などで本気でいちばん高い進学先を目指すのであれば、大人になることが何より必要だというお話をしています。それこそ都立のトップ高校に推薦入試で合格しようということになってくると(一般入試は多少色が違ってきます)、大人以外不可能でしょう。そもそも内申ほぼオール5が必要なわけで、大人以外そんな成績はとれませんね。
 ですから本当に目指したいのであれば、いい悪いではなくそういう人間(=大人)になるしかない。
 
 おととい、いつものようにクリニックである週刊誌の人生相談を読んでいたらこういうフレーズにぶつかりました。「世間の人と同じことができないようでは、大人の資格はない」
 乗り物のつり革に素手でつかまることができないという潔癖症の方に対して厳しい意見が書かれていました。確かにこの「世間の人と同じことができないようでは、大人の資格はない」というのは一面の真理であるとは思います。そして、上に書いたレベルで勉強ができるようになるためには当然世間の人と同じことができる必要があります。
 
 するとどうなりますか。頻繁に忘れ物をする、きちんと大人と会話ができない、整理整頓の概念がない、食生活などが乱れている・・・という状態では世間の人(=ある程度しっかりした中学生)のレベルにまったく達していません。ということは大人とは言えない。その状態ではいくら勉強「だけ」をしてもトップ層に食いこむことは難しいでしょう。
 当然、ご家庭もわが子を守りすぎてはいけない。目的地に行き着けなかったというようなときに、問題は地図がわかりにくいことだけではないと考えなければならないということです。
 
 全員が行き着けなかったわけではありません。皆さん、ちゃんと探しあてている。お子さんだけがまごまごしてしまったのであれば、まだ相対的に幼いからでしょう。困ったときは大人に堂々と質問できるように、あるいは地図をきちんと理解できるように変化させていく必要がありそうです。
 ただーーここはあえて書いておきますーー私自身はとても子どもっぽい人間です。そして自分の個性はそこにしかなく、私がやっていることに少しでも価値があるとしたらとんでもなく子どもっぽい部分が活躍しているからだと考えています。
 
 私が大人だったらブログの内容も全然違っていたと思います。もっといいことを書いていた可能性はありますが、いまの内容では絶対に書けないでしょう。ですからそんな自分が現在中学生だったらどこの都立上位高校の推薦試験も受からないでしょうが、それならそれでいいと思っています。
 要するに生き方は人それぞれだということですね。そのあたりは個々の受験生ご自身が冷静にどう生きたいか考えてくださるのがいいと思います。
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2017.02.27 09:40

 私が小学生のころは、ごくごくあたりまえに看板に「食堂」と掲げられているお店があったものです。いまでもよく覚えているのは中野坂上の駅前。大衆食堂と書かれたお店が2軒並んでいました。どちらのお店にもあえて「大衆」食堂とあります。
 私はこの「大衆」というのを固有名詞だと勘違いしました。そこで混乱した。例えてみればあるデパートの隣に、まったく出自の違う同じ名称のデパートが建っているような変な気持ちになりました。
 
 これは何かあるなと思って、例によって向かいの電話ボックスから看板の電話番号に電話をかけてみた。まず左側のお店。「大衆食堂ですか?」と訊いた。するとおじさんがちょっととまどったように「はい、大衆食堂です」と答えました。「わかりました」そう言って電話を切った。
 次は右側のお店。今度はおばさんが出たので「大衆食堂ですか」と質問しました。おばさんは大きな声で「えっ?」と言った。「大衆食堂ですか」などという質問は珍しかったのでしょうね。
 
 細かくは覚えていないのですが、とにかく私は大衆食堂という固有名詞の食堂が奇跡的に2つ並んでいるのだと長いあいだ解釈していました。
 いまはそうした昔ながらの「食堂」がほとんどなくなってしまいましたね。わざわざ大衆食堂の特集本が出ているぐらいです。
 そんなに昔ではなくても、1990年ごろはまだけっこう「Yしろ食堂」というのが残っていました。どういう仕組みなのか知りませんが、非常にゆるやかなチェーン店であちらこちらで見かけたものです。
 
 私自身、中野、東中野、落合で入ったことがあります。いまはどのお店もなくなってしまったみたいですね。他でも入ったような気がするのですがよく覚えていません。雰囲気は似たり寄ったりでした。そして自宅近くの荻窪には珍しく(?)「Yしろ食堂」が残っています。
 何ヶ月に1回というレベルですが、お邪魔することがあります。だいたいはボードに書かれているセットの定食を頼みます。それと単品でキャベツサラダを頼むことが多い。クセなのです。
 
 たまにお昼からお酒を飲まれている方もいる。皆さん、仕事中みたいな感じなのですが。ちょっと「やってみたい感」はあるものの、私は頼んだことがありません。飲みたいというより真似してみたくなるのです。
 女性のお客さんは少なめですが、昭和風のゆるい食堂はなかなか風情があっていいものです。
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2017.02.26 00:13

 私が小学生のころの話です。遠くに住んでいる祖母がときどき遊びに来ました。単純に遊びに来ていただけではないのかもしれませんが、とにかく自宅に何泊かしていった。よくわからないのですが、祖母にはちょっと遊び人風の趣(?)があり、非常に面白い人でした。厳密に書けば血のつながりがなかったものの、私は祖母のことが好きでした。
 5歳年下の妹と2人で祖母の相手をします。昔の思い出話ばかりで何だかよくわからなかったのですが、ぼんやり聞いていました。
 
 そのうち祖母が突然何か歌ってやると言い出した。何でそんな流れになったのかよくわからないのですが、向こうも退屈だったのでしょうね。
 自宅にあった童謡の絵本を手にとって歌いはじめたところ、これが世紀末的に調子っぱずれなのです。はじめは喉の状態でも確認しているのかと思ったのですが、どうやらそうではないらしい。「てんてんてんまりてんてまり~!」とものすごく高い声で歌う。いまもってどうしてあんな高い声で歌っていたのか謎です。ジューダス・プリースト「ペインキラー」かよ! 
 
 私も妹も唖然としましたが、これは面白いことになってきたぞとわくわくしました。そういうところは子どもは残酷ですからね。
 それからは毎日毎日妹と「歌って歌って」と祖母にせがむ。祖母はこちらが夢中になって歌を聴きたがる本当の理由がわからない。得意になって「てんてんてんまりてんてまり~!」と絶叫する。他の曲も変でしたが、やはりてんてまりの破壊力にはかなわない。こちらは祖母が歌っているあいだ、爆笑しそうになるのを必死でこらえていました。横を見ると妹も真っ赤な顔をして肩を震わせていましたよ。
 
 祖母は母に「この子たちは本当に歌が好きだねえ。こんなに歌が好きな子も珍しいよ」と真顔で告げていました。母は私たちがけしからん理由で歌わせていることに気づいていたのでしょう。おばあさんに歌わせるのはもうやめなさい・・・という意味のことを何度か言いました。
 祖母が帰ってからは、毎晩私が妹のまえで大げさに祖母の真似をして歌って見せました。祖母がいない気楽さもあって、私たちは思いきり爆笑した。
 
 祖母が亡くなってから40年近くたちます。祖母が住んでいた田舎の土地は小さな小さな空き地のままいまも残っています。数年ごとに、私は1人でふらりとその空き地を見に行きます。
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2017.02.25 00:30

 いつも書いているように自分の考えを人さまに押しつける気持ちはありません。いろいろな方がいらっしゃって、いろいろな考え方がある・・・それが健全な世の中なのだと思います。
 私は成功失敗と幸不幸とは必ずしも一致しないと考えています。つまり成功者でも幸福とは限らない。また何かに失敗した人が必ずしも不幸を感じなければならないというわけでもない。
 世間に成功=幸福みたいな思いこみがあるせいか、つまずかれた方がご自身を不幸だと決めつけてしまうことがよくあります。
 
 たとえば失業する、失恋する、不合格が出てしまう、離婚する・・・いろいろなパターンがあると思いますが、出来事とは関係なく幸福を保つことがじつは私たちには可能です。可能ですというのは、そういう方を何人も知っているのでなるほど人間には深い能力(?)があるなという感慨を持っています。
 失業されたある方は、重責から解放されて本当によく眠れるようになったとおっしゃっていました。失恋されたり離婚されたりした方は、これからはご自身「だけ」の納得のいく人生を生きられるとおっしゃっていました。不合格になられた方は・・・こちらはいつも書いている通りです。
 
 不合格をバネにしてどれだけの方が頑張ってくださったか、枚挙にいとまがないですよ。結果を受け止めるときも案外ご本人はしっかりしています。がっかりしていてもうんと先を見すえていまから熱く燃えているわけで、その状態だけを見ていると不幸とはまた完全に質の違うものであると感じます。
 ちょっとしたつまずきを決定的な「不幸」に翻訳して子どもたちにすりこんでしまう世間の思いこみがよくないですね。彼らは不幸ではないですよ。
 
 私自身試験に何度も失敗したことがありますが、周囲(両親など)の反応を除外すれば、何も不幸な要素はありませんでした。自分なりに納得していましたし、将来の希望はどこに進もうと変更する気持ちはなかったので落ちこむ必要はないと考えました。
 また人間と人間の別れーー男女間に限りませんーーについても、今後お互いに縛られない広大な可能性が広がってくるのですから、悪いことばかりではないという希望を持ちました。つねにそう考えてきました。
 
 失意というのは確かにありますね。これはどこかで1度書いているかもしれませんが、何百枚も書いた原稿を新宿の東口のある喫茶店で「これは使えません」とあっさり編集者の方から返されたことがありました。1993年のことです。そのとき、ショックのあまり熟知している新宿の地理がしばらくわからなくなりました。お店を出てからどう行けば駅に着けるのかがなぜか判断できなくなった。
 ただ私はその晩から新しい原稿を書きはじめたように記憶しています。ですから不幸というのとは違った感触だったと思います。
 
 これから先、1つ1つの出来事にどういう結果が出たにせよ、変な自己憐憫に陥らず前に進んでくださることを希望します。失意は仕方がない。ただ、あなたには間違いなく新たな希望があります。希望のある人間は不幸ではないですよ。私は不幸ではない、と声に出して呟いてみてください。
 
 
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2017.02.24 03:33

 あるバス通り沿いをときどき歩きます。バスは走っているものの、そんなに大きな通りではありません。先日は夜の6時ごろ歩きました。いつもは駅を背に左側を歩くのですが、ちょっとだけ気分を変えたくて右側を歩いていました。
 ふと見ると向かい(いつも歩く側)に不動産屋さんが見えた。明かりがついていて社員の方が談笑していらっしゃった。1人の女の人が笑顔のまま立ち上がり、瞬間的に踊るような(?)仕草を見せた。何の話題だったのでしょうね。
 
 私にはその姿が衝撃的にかわいらしく見えました。細かいところはよくわからないのですよ。40代のごく普通の「おばさん」と呼んでしまえばまあそういうことになるだろうという女性です。女優さんみたいな人というわけではありません。
 濃紺の制服を着ていらっしゃったのですが、弾けるような波動というか何かがこちらに伝わってきた。と同時に、昔よくこんな風に恋をしたものだということを思い出しました。
 
 10代のころはとくに。突然の何かがきっかけになって好きになる。その何かというのはあまりにも小さなことでした。いつもとは首のかしげ方が違ったとか、窓の外を見ながら「雨」と無声音で呟いているのがわかったとか。
 ところが、そんな理由だと相手の方に告白しても信じてもらえません。そういうことが何度もあったような気がします。いつから、どうして自分のことが好きなのか? と相手に質問されてもうまく説明できないのです。
 
 雨と呟いた瞬間の横顔で真剣に好きになったとも言えないですよ。その程度の「好き」では全然あてにならないと思われるでしょう。そうしたことは、いまならよくわかります。たとえば息子が不動産屋さんの中で一瞬踊っていた女性社員が猛烈に好きになったのでどうしたらいいかと相談してきたら、だいぶ疲れているようだからとりあえずじっくり寝てそれでも治らなければお医者さんに行きなさいと言うかもしれません。それぐらい変なことですね。
 こうしたクセは小説をたくさん読んでいるうちに身についたような気もします。
 
 先日もレイモンド・カーヴァーの「大聖堂」のことをブログに書きました。あれからちらちら読み返したりしている。それでふと不動産屋さんの女の人のことなんかが気になったのかなと思いました。
 私たちは心酔している他者の「目」を借りて世界を認識してしまうことがありますね。自分は物事の細部に強く美を感じるのですが、そのレイモンド・カーヴァーや若いころ好んだヘミングウェイの影響が大きいように思います。
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2017.02.22 00:20

 勉強についての記事を書くときに「全員がそうあるべきだ」という意味で書いているわけではありません。単純に、すごく勉強のできる人が何をしているかということを紹介しているだけです。ですからーーたとえば学生時代の私のようにーー勉強はどうでもいいと考えている方にはあまりご参考にならないかもしれません。ただその方がご自身の好きな何か(スポーツでも趣味でも何でも)をなさろうとしたときに、お役にたつ可能性があるでしょう。
 
 入試結果がいろいろ出ているというお話は先日も書きました。都立の最上位校に推薦で合格された方もいました。もちろん世の中、残念だった方のほうが多い。一般入試で頑張ってくださればいいと思います。推薦入試は倍率から考えて、やはり宝くじ的要素があります。過去もすごい実力者が落ちたりしています。
 今年の合格者の何人かはその後もずっと自習に来続けています。先日など最後まで残っていた生徒がいました。最後の最後まで勉強していてーーいよいよ閉まるのでーー名残惜しそうに帰っていった。
 
 教室がもっと開いていたら、さらに残って勉強されていたと思います。ただ夜ですからね。何かあると大変なので、こちらも22時すぎには閉めますよと声をかけざるをえません。
 合格後に毎日自習に来てくださる生徒はじつは1人だけではありません。さらに今年だけの現象でもありません。全員が、やったー! これからは毎日遊べるぞ! ではないということです。
 
 合格のためだけに勉強していたのではないのですよ。合格しても勉強しているということは、万が一残念な結果が出ていたらもっともっと勉強しているでしょう。勉強生活の途中に「合格」という出来事がぽつんと落ちていた程度ではないかと思います。
 勉強だけではないですね。大リーガーで活躍された松井選手は試合に勝ったあともどの選手より長い時間練習されていたという記事を読んだことがあります。普通なら、ほっとして遊びに行かれるところでしょう。
 
 勝つためだけに練習しているわけではないのですね。もっともっと深化した何かがあった。並の努力家程度では、そういう人間にはかなわないでしょう。
 合格後も勉強している生徒は、当然学校の定期テストが終わった日も勉強していたはずです。強制されずに楽しんでできるかどうか。要するにやりたいことをやっているだけなのです。それが勉強や仕事や練習だった。どの世界もトップはそういう感じだと思います。
 
 
 
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2017.02.20 09:57

 ときどき不安であるというご相談を受けることがあります。子どもでも大人でも。人間である限り、不安を感じられるのはごく自然なことだと思います。
 すべての不安はうんと深い部分では死につながっている気がします。たとえば受験なんかも不老不死で永遠に生きられるという前提になると、現役とか浪人とかという概念が曖昧になってくる。1浪も1000浪も見た目は変わらない。ある意味不安はかなり軽減するでしょう。
 
 乱暴な言い方をしてしまえば、不安は基本的に自分のことを考えているから出てきますね。他者のことで不安を感じるときも、じつは自分のことを心配している。恋愛相手の安否を気遣うのも、つきつめていけば相手に何かあると大波が来ていまのご自身の幸せが消失してしまうのがこわいという要素は大きいでしょう。
 お子さんに対する不安も同じです。ご本人以上に大人側がダメージを受けたりする。子どもも気づいていて(私はそうでした)ご両親に対する復讐の意味で、わざとひどい成績をとって見せたりする。
 
 不安なときにむりやり解消しようとするとますます不安になって負の連鎖に陥ることがあります。
 私自身はまずはいずれ死ぬという事実を見つめるようにしています。不安に感じている何かが起きる可能性があることも覚悟します。と同時に、いまはまだ死んでいないし不安が現実化していないということを強く感謝します。
 するとどうなりますか。死んでいない現実、不安が起きていない現実を楽しまない手はない。改めて思い切り生きようということになる。
 
 死ぬことは運命として受け入れるしかありませんが、不安はどうでしょうか。いま手を打っておけることがあれば打っておきます。それができなければどういう不安が的中してもその状態の中でーーたとえ不幸な気分になってもーー世の中のために可能な限りいいことをしようと決めてあります。
 いいことというのは他者に親切に、小さな子に微笑みかける程度のものです。しかしそれは絶対にやろうと思う。
 
 去年ぐらいですか、いろいろ不安なことがあった。その時期、私は生涯で見知らぬ他者に対していちばん親切だったと思います。
 あなたの瞬間的な望みが叶うかどうかは私にはわかりません。ただ叶っても残念であっても、私はあなたが大胆に「この瞬間世界で可能な限り役にたつ人間」であろうとしてくださったらいいと思っています。
 それ以上の勝利はあるのですか? 肩書がどうであれ、それ以上の成功があるのでしょうか?
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2017.02.19 06:40

 高校入試の結果がいろいろと判明しています。まだまだ受験は残っていますから、総括する時期でもありません。
 ただ個人的に感じることはいろいろあります。じつは現在かなり善戦してくださっています。例年より人数は少ない学年でした。それでもそれなりの成績を残しています。いずれ公立高の合否が判明した時点で、何人中何人合格という一覧を作成することになると思います。
 この学年は中2のころ、いろいろ言われていた時期がありました。
 
 あんなに落ち着かなくて大丈夫なのかと心配してくださる先生もいらっしゃった。特定の授業を脱走(?)する子が出たりして、ちょっと雰囲気が乱れがちの時期が確かにありました。そんなに多くはないのですが、抜けていく生徒もいた。
 本部から「大丈夫ですか?」と会議のときに質問されたりもしました。私は「いまは落ち着かないときもありますが、このままで大丈夫です」と答えていました。いずれは落ち着くということがわかっていましたから。
 
 もちろん何もしないで放っておいたわけではありません。あるクラスには手紙を配付して教室に来る意義を問いかけたりしました。落ち着かない生徒がいるらしいということは知っていましたが、個人の責任云々ではないのですよ。あくまでも全体で高めていってほしいという気持ちがあった。
 中2の夏休みぐらいまではわさわさした感じもあったのですが、秋以降だんだん落ち着いてきた。そういうものなのです。場の力でそうなるものなのです。何ヶ月かタイミングがずれる程度でしかない。
 
 はたして中3になるころには、何人もの先生に「あの子たちもずいぶん大人になりましたね」と言われました。代講に入られた先生から春先(に代講されたとき)とはべつのクラスのようですと絶賛されましたよ。
 自ずからそうなっていくというのがやっぱり大切なところですね。外から強い力が加わって変わるのではなく、内から開いてくるものがあった。外圧であれば見張られていないとまたゆるむでしょう。内からの変容であれば安心です。辛抱強く待てる知恵は大切だと思います。
 
 待てずに土を掘り返してしまえば花は咲かない。どうなっているのか心配しすぎてこっそり卵を割ってしまったら雛は永遠にかえりません。時機を見通す力が大切ですね。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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