2010.01.01 15:20

 あけましておめでとうございます。
 
 昨年度は結局このブログに約二百の記事を書きました。きのうは一年の終わりなので教室でざっと見直してみたのですが、いくつか自分が書いたとは思えないような内容のものがあり、ふーんと思って印刷しました。
 間違いなく私自身が書いてはいるのですが、たとえばこの瞬間の私にはとても思いつかないような話題のものがあります。それがけっこうお役に立ちそうな話だったりして、今後も何かのときにお話できるといいなと考えたのです。

 こういうのはとても不思議です。私の語ることというのは私のなかだけから出てくるものではないという気持ちがあります。とくに本当にいい話というのは、どこか遠くからやってくる印象があります。
 人類全体の知恵を集めたような巨大な貯蔵庫みたいなものがあって、そこから私が持ってきただけとでも表現すればいいのでしょうか。私自身は何も考えていないのですが、貯蔵庫に出入りする許可だけは持っている・・・変な話ですね。

 ですから自分が書いた記事でも私自身のものになっていないことがたくさんあります。
 こういうことはどなたかの相談に乗っているときにも感じることがあります。ふといいアドヴァイスが口をついて出る。ただそれは私自身が考え抜いたものでありません。ふだんの私ではいくら考えても思いつかないような内容のものであることが多いのです。
 授業をしていてもうまくいくときは自力以外に何らかの力が加わっている感覚があります。絶好調という状態はなかなか自力だけでは作り出せるものではありません。リラックスして何かの力がきてくれるのを待つ必要があるのです。
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2009.12.31 08:55

 あなたは何のために生きているのか? と訊かれてぱっと答えられる人は幸せなのではないかと思います。じつは私は数年前、自分が何のために生きるのかということを一つの標語にまとめてみました。いちいち発表するのもおかしいのでここには書きませんが、ほんの十数文字の中に自分が生きていく意味をこめました。私が生きている目的は「○○(十数文字)のため」というわけですね。

 自分が何をするときでもその標語に照らし合わせます。方向性が一致していればそのまま実行、一致していなければ再考します。仕事も趣味も他者との関係も何もかもその生き方の標語と照らし合わせて考えています。じつはこのブログをお引き受けしたのもその標語に基づいて考えました。皆さんのお役にたてていればうれしいのですが、そうでなくても標語の方針には従っているので私個人はやらせていただいてよかったと思っています。指針があるとブレることがないので大変役にたちます。
 
 もちろん小中学生の皆さんがそんな標語を持たなくてもいいのですが、こういうことはちょっと考えてみても損にはならないと思いますよ。いまは何のために生きているのか? ということですね。標語はもちろん途中で変えていって構いません。成長とともに変わっていくのが当然です。逆に言うと私みたいにある程度歳をとった人間は皆さんのようにはぐんぐん成長していないので、一つの標語で何年も生きてこられたという部分はあるでしょう。

 基本的に私は反社会的な人間ではないつもりですが、万が一今後何かしら世間で言うところの「悪いこと」をするときが来たとしても、標語に基づいた行為であることだけは間違いないと思います。
 2009年度も私はそうやって生きました。うまくいくときもありましたしあまりうまくいかないときもありました。2010年も成否にかかわらず自身の定めた生きる意味に従って生きていこうと思っています。

 皆さん、よいお年を!
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2009.12.30 11:10

 私は数百枚のCDを持っていますが、クラシック音楽のものは一枚もありません。海外のロックとソウルとポップスで、十枚ぐらいは日本のものもあったかもしれません。あ、演歌もどういうわけだか一枚だけ持っています。
 しかし、真夜中のクラシック専門番組を聴いているうちにこういうのも悪くないと思いはじめまして、昨晩仕事のあとで生まれてはじめてのクラシックアルバムを買いに新宿にある大きなミュージックショップに行ってみました。

 クラシックのCDを扱っている階自体がはじめてだったのですが、なんというか・・・ロックみたいに単純なベストアルバムというのがないのですね。何が何だかわからずただひたすら売り場をうろうろし続けました。店員さんにお勧めを訊いてみようかと思うものの、ベートーベンだとかバッハだとかあまりにも大物は恥ずかしいという気持ちがあります。たとえば私がロック音楽の初心者に「レッド・ツェッペリンのいちばんのアルバムはどれですか?」と質問されてもちょっと返答に窮するところがあります。それと同じことになるのではないか?

 あまりにも困っているように見えたのでしょう。笑顔のかわいらしい女の子がお探しのものがございますかと声をかけてくれました。とっさに棚に視線を泳がせ、なるべく無名の音楽家の名前を探し、これだというのが見えたので「このチョッピンの代表的なアルバムにはどんなのがあります?」と精一杯気取って質問したところ、女の子は笑顔をくずさずに「ショパンでございますね」と答えました。

 チョッピンじゃねーのかよー! とあまりの恥ずかしさに失神しそうになり、赤面したまま意味もなく微笑んだりしてその場は適当に取り繕い、階下のロック&ソウルの売り場にこそこそ逃げていきました。で、エドガー・ウインターの「TELL ME A WHISPER」が入っているソウル系ミュージックの編集アルバムを買ったのですが、やはり人には向き不向きがありますね。
 クラシックを聴くのは来世にしたいと思います。
 
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2009.12.29 11:16

 子どもが小さかったころもっと遊んでやればよかったと思うときがあります。後悔というようなおおげさなものではないのですが、ああいう形で「一緒に」遊べる日はもう来ないのだなという感傷ですね。
 息子が五歳のときに都内の大きな遊園地に連れていったことがあります。私はあまりそういうのが得意ではないのですが、ほんの気まぐれに連れていきました。そのときは家内は来ませんでした。

 平日の夕方でそれほど人は出ていません。息子はこわがりだったので激しい動きの器具には乗れず、園内を一周する機関車とか観覧車に乗りました。途中でやはりがらがらのレストランみたいなところでソフトクリームを食べさせ、私はビールを飲んだのかな。オープンエアーになっていて、空が美しく夕映えていたことを覚えています。甘くポップな音楽が流れていました。こういうのも悪くない、またすぐ来ようと思いながら、その遊園地には二度と足を運びませんでした。理由はないのですが、機会がなかったのですね。

 いま遊園地に行こうと言ったら息子は冗談じゃないといやがるでしょう。高校生ですから当然ですね。あのころもっと行っておけばよかったと思います。
 同じようにいまの親子関係もあとで「あのころ・・・」と思い出すときがくるかもしれません。
 お子さんが仮に中学生だったとします。高校までは家族一緒でしょうが、大学生になるとどこかに下宿するようなケースもあるでしょう。就職したら地元にいられるかどうかわかりませんし、そうこうしているうちに結婚して遠くに行ってしまうかもしれません。

 親の方の感傷だけではなく、彼らが「家庭」というものの「原型」を味わえるのはいまだけなのかもしれません。そういうときに親子関係がしっくりいっていないというのはやはり残念なことなのではないでしょうか。
 これは私自身が子どものとき厳しい両親とあまりうまくいっていなかったので感じるのですが、しっくりいかないのであればやはり親の方から関係修復の手をさしのべてやるべきではないかと思います。

 それは徹底的に討論するとかどちらが正しいか最終的な決着をつけるとかというのとはまったく別の次元の話です。
 あたたかみやぬくもりーー言葉にすれば簡単ですが、そこには相手に完璧さを求めない、相手の成長に手を貸してやるといった非常に高度な人間的配慮も必要です。そんな難しいことを子どもに要求できるわけがありません。大人の方が助けてやるしかないのだと思います。
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2009.12.28 11:19

 人間には誰にでも自己を表現したいという強い欲求があります。ないように見えても絶対にそれはあります。最も簡便な会話という形態であらわせない場合、他の形ーー激しい運動であるとかイラストを描くとかギターをかき鳴らすとかゲームで高得点をあげるとか、ときには粗暴な行動に出るとかーーで何とか自己を表現しようとするものです。

 保護者の方と面談していると(これは中学高校生の場合が多いです)、うちの子はほとんど家で口をききません。とくに父親と話をしなくなってしまいました。あの年ごろの子どもはみんなそんなものなのですか? というご質問をたびたび受けます。そんなものですよとお答えすることが多いのですが、勉強の出来不出来にかかわらず、そうではないーーつまり自宅でご両親と活発に意見交換している少年少女がたくさんいるのもまた事実です。

 私はせっかくの家族なのですから、可能であれば和気あいあいと楽しく話せた方が親も子も幸せではないかと思います。私自身、高校生の息子と話すのは非常に楽しみで、息子の友だちの話や趣味の話や将来の話を聞きながら(まあこういう考えならばとんでもない事件だけはしでかさないだろうな)と安心するときがあります。意見を交換しているということですね。

 人間共通の強い表現欲がありながらどうしてお子さんがご両親に(あるいはお父さまに)対して人間のいちばん手っ取り早いことばによるコミュニケーションを閉ざしてしまうようになったのかは、私は保護者側が考えるべき問題ではないかと思うのです。原因がどこにあれ、未熟な子どもの方から工夫して親子の会話を円滑におこなう努力というのはほとんど期待できないと思うからです。

 話をすると頭から否定される、恥をかかされる、場合によっては激しく叱責されるーー大人側はもっと聞き上手にならないといけないですね。聞き上手の第一歩は「その場では決して否定しない」ということではないでしょうか。彼らは話しながら自己修正をかけていく能力を持っています。「おいおい、よしてくれよ。またとんでもないことを言うもんだなあ」と穏やかに聞き続けてあげれば、自分自身で必ず微調整をかけていくものです。
 2010年は親子の会話が活発にできるようになるといいですね。それだけで大きな幸せを感じることができると思います。
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2009.12.27 09:45

 ちょっと気が早いのですが、上記の件について書いておきます。試験当日持参するものはきちんとリストに書かれているはずなので一つ一つ確認してください。一つ一つですよ。鉛筆、シャープペンシルなど・・・と書いてありますか? それとも鉛筆だけでしょうか。鉛筆だけの場合、勝手にシャープペンシルを使ってしまってもよいのかどうか、試験場ではっとするなどということがないようにしたいものです。

 わからないことが出てきたらそれぞれの志望校にじかに問い合わせてみてください。堂々と「受験生の者ですが」と名乗り、わからないことを質問してください。どこの学校でも親切に教えてくださるはずです。ただこういうことはあります。「シャープペンシルでもいいですよ」とおっしゃってくださったので安心していたら周囲がみんな鉛筆を使っていた、試験監督の先生に変に見られないかとても緊張したーー鉛筆もすぐに使えるようにしておくと安心ですね。
 普段シャープペンシルばかりで鉛筆では長いこと書いていないという人(たくさんいると思います)は少し慣らしておくといいでしょう。

 鉛筆は普通のものをたくさん持っていきなさい。ついでに消しゴムも複数個必要です。携帯の鉛筆削りも持っていると便利ですね。定規とかコンパスとかとくに書いていなくても持っていて邪魔になるものではありません。
 書いていないものでも持っていた方がいいものがあります。ハンカチやティッシュペーパーは必ず持参してください。鼻が出て困ったのにかむことができなくて大きな音でぐすぐすいわせていると、場合によっては注意されることがあります。最近はティッシュを持っていない生徒が非常に多いので気をつけてください。携帯用のものを三つぐらい持っていきましょう。
 ちょっと盲点になるのが救急絆創膏です。紙で指を切ったりするときがあるので持っていると便利です。

 もし忘れ物をしてしまったらどうしますか? そういうときは気づいた時点で試験監督の先生に申し出ましょう。貸してくださるケースが多いと思います。そのことで不利になることはまずありませんが、あれもこれも忘れましたでは印象がよくないので、リストを見て一つ一つチェックを忘れないように。自分一人ではなく必ずおうちの方にもチェックしてもらってください。
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2009.12.26 09:39

 今日は受験生以外の方に向かって書きます。この冬休み、どう過ごしますか? 何を勉強したらいいですか? 冬休みは夏休みほど長くはありません。あいだにお正月が挟まるのであっという間です。あれれ、学校の宿題以外何もできなかったぞとならないように(受験をまったく考えていなければそれでもいいのですが、将来のために少しだけでも自分なりの課題を持ちたいものだとも思います)しっかり計画をたててください。

 基本は復習。完全に新しいことに手を出すにはちょっと期間が短すぎるので成果が出ない可能性があります。ですからいままでやってきたことであやふやなこと、もやもやしていること、よく理解できていないこと、覚えきっていないことをこの短期間でしっかり自分のものにしてください。
 できればいままでのテキストを使うといいと思います。ところがいままでのものを使うことをいやがる人がいます。「えー、あれはもう一度終わったよー」というわけですね。で、新しいものに手を出したがる。

 終わったテキストがぜんぶできますか? とくに苦手科目。けっこう忘れているはずです。穴のままにしておいて大丈夫ですか? こういう話をすると「だって昔のテキストは汚く書きこんじゃったんだもん」という人もいます。ということは・・・テキストに汚く書きこんでしまうと復習しにくいということがわかりました。要点部分はいくら書きこんでもいいのですが、問題を解くときはノートに書いた方が復習しやすいということですね。こうしたことも一つ一つ実感として学んでいけばいいと思います。 

 新しいものをどうしてもやりたいということであれば、復習になる薄手の教材を選んでください。分厚いものはできるわけがありません。薄手のものであってもぜんぶ終えるには一日何ページになりますか? けっこう大変だということがわかります。
 お正月はどうしましょう。受験生は休まない方がいいのですが、そのあたりは柔軟に考えてください。ただ三日も休むとペース配分が相当大変だと思いますよ。

 呼吸をし物を食べるように勉強も自然にできるようになるといいのです。それがあたり前、ないとちょっと寂しいぐらいの感覚になってくると頼もしいですね。
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2009.12.25 13:54

 五十代に入り、私はあまり深く眠れなくなりました。時間も極端に短い。子どものころ、お年寄りというのはなぜあまり寝ないのだろうと不思議だったのですが、自分がそういう歳になってきたということなのでしょう。よく「寝るのにも体力がいる」と言われますが、体力そのものが少し落ちてきたのかもしれません。
 夜中の十二時前に寝るとだいたい三時台に目が覚めます。十二時すぎに寝ると五時台に目が覚めます。

 周囲にもそういう話はあって、皆さんお医者さんに行かれたりして睡眠薬を処方してもらったりしているのですが、私は基本的に眠れない眠らないということを否定的に考えていません。ですから、お医者さんに行って「治す」という発想自体が不思議です。死んでからいくらでも眠れるのですから、眠れないのであればそのままでいいと思っています。

 私は家内や息子と離れて一人で寝ているのですが(一緒だともっと眠れません)、目が覚めるとラジオを聴くことがあります。三時からクラシック音楽の専門番組をやっているのですが、これを聴いて生まれてはじめてクラシックをいいものだと思いました。五時台はもう「おはよう」の世界でニュースや天気予報をやっています。そういうのを聴きながら眠れたら少しうとうとする。眠れなければそのまま起きてしまうといった感じでしょうか。

 こういう生活をもう何年も続けていますが、私はほとんど風邪もひきませんし(今回のインフルエンザ騒ぎも乗り切ったような気がします)、体調はすこぶる良好です。急病の先生の代講を引き受けたことはあっても私自身が急病で代講をお願いしたことは一度もありません。精神的にも充実していますし、幸福かと問われれば、そういうことになるのだろうと思います。
 不眠症の人は昼間つらくて困るとよく言いますが、眠いときがあっても私はとくにつらくはありません。現在は授業中は万が一にも眠らないように生徒が問題を解いているあいだもずっと座りませんし、保護者の方と面談をしていて眠くなるなどという経験はさすがにありませんから、とくに問題はないのです。

 子どものとき眠れなくて心配したことがありました。妙に焦るのですね。私は息子にも一睡もしなくても人間は大丈夫だよと話すことがあります。試験前に緊張して眠れなかったという話はよく聞きますが、むしろ合格している確率は高いような気がします。
 眠れなくても健康的に、幸せに生きた人間がここにいます。これからずっと先、眠れなくて気に病んだときに私のことを思い出してください。
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2009.12.24 12:10

 面接について訊かれることがあります。面接はやはり大切だと思います。会って話せばあちらはプロの先生なのですから生徒のことはだいたいわかるものです。その場で適当に取り繕って・・・などと考えていると、そう考えていること自体見抜かれてしまうので気をつけて下さい。
 礼儀正しくあるのはもちろんのことですが、礼儀正しくだけではみんな同じなのでそこは若干の工夫が必要でしょう。

 どうしてこの中学(高校)に入りたいのかということを三つぐらい用意していって下さい。そのとき「進学率がいいので」というようなありきたりの理由だと(進学率だけならうちよりもっといい学校があるじゃないか)と思われてしまいますよ。もっと深みのある理由を見つけておく必要があります。
 とくに第一志望以外の学校で、入りたい理由はきちんと見つけておいて下さい。いろいろあると思いますよ。

 施設のこと、先輩や先生からの推薦、説明会の熱気、先生方の魅力(複数あるはずです)、進学実績の伸び率、一人一人を大切にして下さる指導方針、カリキュラム、部活動の充実・・・とくにそこの学校が売り物としているもの(たとえば英語教育とか道徳心の育成とか)ということに共感を覚えたと伝えるといいでしょう。
 わからないことを質問されたら「勉強不足でよく知りません」と正直に言いなさい。知ったかぶりはしないこと。正直さは最大の人間的魅力です。

 合格したら何をしたいですか? と訊かれることがあります。遊びたい! では相手の先生は(遊ぶためにこの学校に来るのか)とがっかりしてしまいますよ。ここはやはり「新しい勉強が待ち遠しいです」ぐらい答えるのが礼儀でしょう。
 自分をアピールするように言われたら、自分はまだまだ力不足だが、この学校で自分自身をとことんまで磨いていきたいと答えなさい。だって本当にそう考えているのでしょう? 嘘ではないわけですから照れずにそうやって上手に伝えなさい。

 最後に、最近の世の中のことで興味を持った事件は? と質問されることがあります。間違っても○○殺人事件などとは言わないこと。それもまた礼儀みたいなものです。環境問題とか調査捕鯨の問題とかインフルエンザワクチンのこととかデフレのこととか、一つだけ社会的な話題を用意しておくといいでしょう。
 愛読書と尊敬する人物も決めておきます。それなりに知名度のある書物や人物をあげた方が相手に対する思いやりがあるというのがわかりますか? 叔父が自費出版した「夢」という詩集ですなどと答えても相手はそれ以上質問のしようがありません。

 以上、いままでは自分の生徒にだけ話してきた秘訣です。頑張って下さい。

 

 
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2009.12.23 11:10

 最近は年賀状を書く人が減りました。私は四十代に入ってからけっこう真剣に書くようになりました。ちゃんと元旦に届くように前もって用意しておきます。
 ただこの年賀状というやつはけっこう面倒なもので、中には書きたくないという方もいます。そういう人に届けてしまうと場合によっては「返事を書くのが億劫だなあ」と迷惑がられてしまうケースもあるかもしれません。

 とくに生徒の場合、年齢的にもあまり年賀状を出したくないという子が多いでしょうから、前年にいただいた生徒に出すべきかどうかは難しいところです。出せばあちらは返事を書かなければいけないと負担に感じるでしょう。生徒の場合は出さないでおくことが多いです。
 またあちらから何かのタイミングで住所を教えてくださった方には出しますが、そういう機会のなかった方には、お世話になっていてもあえて出しません。これは私自身ちょっとそういうところがあり、自分をさらけ出すことに不安を覚えるので、同じように漠然とした不安を持たれている可能性があるからです。自然にわからなければむりに調べることはないということですね。

 高校時代の恩師には十年ぐらい前から突然年賀状を送りはじめました。また高校時代ただ後ろの席に座っていた(だけでとくに仲が良かったわけでもない)旧友とは三十数年間ひたすら年賀状のやりとりだけをしています。途絶えたときはどちらかが死んだときなのだろうなあ・・・と考えることがあります。
 昔親しかった人間と現在もむりに親しくあるべきだと私は思っていません。お互いに違う道を歩み別々の成長を遂げたわけですから、昔のように親しくできなくてもいいのだろうと思います。年賀状のやりとりだけという関係は案外幸せなのかもしれないですね。

 みなさんは学校の担任の先生にだけは年賀状を書かれるといいと思います。おじいさんやおばあさんにも書いてあげるといいのかな。ハガキ一枚で他者を幸福にできることは幸せなことです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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