2009.11.23 13:15

 2004年に池袋教室が出来たとき、池袋という場所にお子さんを通わせることを心配なさっていたご家庭がありました。そういうイメージの街だったのでしょう。最近はずいぶん明るくなり、そんなお話もほとんど出なくなりました。実際、池袋教室が出来て以来、生徒が街中でトラブルに巻きこまれたという事件は一件もありません。池袋の東口から一直線のところにあるので、人の流れも多く恵まれていたのだと思います。

 ビルの中も警備の方がずっとモニターで監視してくださっているのでエレベーターの中も安全です。私も念のために確認してみたのですが、最近の監視カメラの画像はすごく鮮明で一人一人の表情まではっきりわかります。入口のところにもカメラはついていて妙な人間が入ってくれば一発でわかります。
 午後十時を過ぎるとビルから出ることは出来ても入ることが出来なくなります。それも防犯上の理由からです。

 じつは二十代三十代のころ、私は池袋によく来ていました。非常に珍しい洋楽のレコード(とくにヘヴィメタル系)を大量に置いている貸レコード屋さんというのが北口にあり、しょっちゅう借りに来ていました。ダイアモンド・ヘッドとかディーモンとか借りたな。そのときは二十年後にまさか池袋で働くことになるとは思いませんでした。
 レコードを借りて何となくあたりを散歩して帰ることがありました。跨線橋というのでしょうか、線路をまたぐ橋があり、そこから長いあいだ夕暮れどきの街を眺めていた思い出があります。

 そのとき私は自分の幸福などというものはすべて嘘なのだという変な気持ちになったことを覚えています。それから二十年、池袋教室に勤めることになって同じ橋の上に立つ機会がありました。私は自分はもう幸不幸というものを感じない人間になっているなと思いました。結果的にそういう人間になりました。そして、そのことを私はよかったのではないかと考えています。
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2009.11.22 12:15

 子どもには子どもなりの価値観があり、大人から押しつけられたものに対しては強い拒絶反応を示すことがあります。ですから、大人側もあまり自分たちの見方を強要しない方がいいでしょう。
 とくに友だち関係ですね。保護者の方はいわゆる優等生的なお子さんを無条件で賞賛してしまうところがあります。「○○くんは本当に優秀でいいわね。あなたもああなってくれたら何も心配ないのに」ところが、そこは子ども同士はいろいろわかっていますから、お子さんは(○○くんなんてガリ勉なだけでちっともりっぱな人間じゃないや)と感じているかもしれません。

 ときには優等生の保護者の方と友だちになるかもしれません。そして、いろいろな場面で一緒に行動される。そういう場所で子どもの方がすごく居心地悪そうにしていることがあります。中学生でも上の学年になってくるとさすがに自分なりの世界が出来てきますから意味もなく一緒にいることはなくなるのですが、中1ぐらいですと保護者の方が仲良くされていると子どもの方もそうしなければいけないと思いこんでしまう部分があり、気も合わないのに何となく一緒に行動するという状態が見受けられます。

 勉強とは別の意味でそれぞれが他者から学べることがあり(内気な子は社交的な子から、運動の苦手な子は活発な子からという具合に)、そのテーマに即した人間関係が本人にとってはいちばんためになるはずですから、妙な方向に行ってしまう危険性がない限りそのあたりは子どもたちの物の見方を尊重してあげたいものです。
 ときどきおうちの方が「あんな勉強の出来ない子と遊んでちゃだめよ」などと口走ってしまって子どもから大きな反発を受け大喧嘩に発展したりすることがありますが、気をつけたいものです。それよりは「その子と遊ぶことで何を学べるから楽しいの?」ということを訊いてあげた方がよっぽど本人が成長するきっかけになるはずです。
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2009.11.21 14:40

 お子さんとのコミュニケーションのとり方で悩んでいらっしゃるご家庭が多くあります。お子さんがまだ小学生であればそれほどではないのですが、中学生になってくると全然会話が噛み合わない、あるいはまったく口をきかなくなったなどというご相談を受けることがあります。難しい年ごろですからね。
 ほとんど口をきかないまま高校生になってしまったというケースもあります。べつに深刻な問題ではないと思いますが、せっかくの家族なのですからちょっと寂しいですね。

 コミュニケーションのほとんどは会話でなされるものと決めていらっしゃるのがちょっと問題かもしれません。私の息子は高校生ですが、私はいまでもときどき(とくに意味もなく)息子の肩を抱いてやることがあります。彼は私より背も高いのですが、そうやって何となくこちらのぬくもりを伝えてやりたくなります。お前もいろいろ大変なのはわかっているよという気持ちをこめています。
 もちろん、高校生になっていきなり身体に触れたりしたら相手もいやがるでしょう。赤ちゃんのときからずーっとそうしたコミュニケーションをとり続けてきたということですね。

 さらに私は息子によく置き手紙をしています。たいしたことは書いていないのですが、ときどき真面目なこと(勉強のことなど)を書くときもあります。またふざけたイラストみたいなものだけを残しておくこともあります。伝えたい何かがあるというよりは、今日もお前のことを考えていたよという証しみたいなものです。

 会話にならなくても「寒いから風邪ひくなよ」とか「自転車は気をつけなさい」とか「駅前に面白い人がいたよ」とか、何かしら温かみのある言葉を投げかけてやるだけでもりっぱなコミュニケーションだと思います。「お帰り」とか「ただいま」「おはよう」「おやすみ」だってそうでしょう。
 大事なのはコミュニケーションはやはり大人側からの働きかけがなければいけないということです。そのための努力は忘れないようにしたいものです。
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2009.11.20 12:40

 ときどき「試験前はみんな勉強をやっていないと言っていたくせに、いざ試験になったらいい点数をとっていた。○○さんも××くんもみんなわたしに嘘をついていた。もう誰も信じられない。みんなとてもずるい」などと本気で怒っている人がいます。小中学生だけでなく、じつは高校生にもいます。ひょっとしたら大学生でもそういう人はいるかもしれません。その純粋さは貴重ですが、それだけではちょっと困ります。

 何かを成し遂げようというのであれば、みんながやっているからやる、みんながやっていないからやらないではいけません。そういう人の多くがみんながやっていないことを期待して「勉強した?」と相手に訊いています。質問された相手にはそういう気持ちがダイレクトに伝わってくるので、仕方なく質問者の気持ちを害さないように「ううん、あまりやっていないよ」と答えるのでしょう。

 そもそも勉強は自分自身のためにやるものであって、他者に自慢したり報告したりするためのものではありません。またやったやらないということもそれぞれの主観に基づくもので、一時間やってすごく勉強したと満足する人もいれば、半日机に向かってもまだまだだと思う人もいます。一概に決められないということですね。
 また仮にうんと勉強したという自覚があってもそれを他者に吹聴することを好まない人間もいます。貯金がいくらあるというようなことを(仮に多く持っていても)他者に言いふらすのはちょっと品がないのではないかという感覚と同じです。

 ですから、もうお友だちがどれぐらいやっているのかということを詮索するのはやめた方がいいでしょう。基準はあくまでも自分自身、そしてやるべきことに対してどの程度まで取り組めているかということに置いてください。たとえみんながやっていなくてもやるべきことはやりましょう。
 他者に影響を受けて右往左往するのは心の弱さです。そうした心を少しでも減らしていこうという強い意志を持ってください。自立した人間でなければ本当の優等生にはなれないものです。そして、このことは勉強に限りません。
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2009.11.19 13:25

 ときどき周囲の方から「毎日ブログを書くのは大変ではないですか?」と質問されることがあります。私はこの仕事が長いですから、二十や三十であれば勉強のことでお役にたてそうな話題はありました。しかしこうやって総記事数が百五十を超え、さらには毎日必ず原稿用紙にして二三枚の文章をということになると若干困ってしまう日が出てきました。

 問題集信仰が危険であるということも書いてしまいました。ケアレスミスの直し方も書いてしまいました。効果のあがるノートのとり方も書いてしまいました。読解力のつけ方も書いてしまいました。復習のやり方も書いてしまいました。子どもたちが夜中にこっそり起きている理由まで書いてしまいました。
 教室に来る電車の中で今日は何を書いたらいいのだろうと途方にくれる日もあります。同じようなお話になってしまっては申し訳ないとは思うものの、どちらかと言えば狭い世界で生きている人間(これは私自身の好みでもあります)なので、そうはおもしろおかしい話が出てくるものではありません。

 ただ私は「自分はどんなときでもいざとなれば必ず文章が書ける人間なのだ」ということだけは信じています。ですから、どんなに困りながらでも机の前に座れば、ひとりでに文章が出てきます。そういう仕組みになっているのです。
 これはじつはとても大切なことであって、生徒を見ていても「自分はいざとなれば何とか点数をとれるのだ」と自信を持っている子は非常に強い。もちろんそれだけのことをやってきたという自負があるから「いざとなれば」と思えるのであって、自分の不勉強を隠すために大言壮語しているような種類の自信ではありません。

 なかなか自信が持てない・・・という方の気持ちはよくわかりますが、努力し続けていることが事実でありそれなりに場数を踏んでいれば、どんなに調子が悪くても「何とかなる」ということが感覚的にわかってくるはずです。そういう自己信頼が生まれてきていないのだとしたら、どこかに「自分はやっているように見えてもまだベストはつくしていない」という心理が隠されているのかもしれません。自信を持つためにはやはり自分はやれる限りのことをやっているのだという自負心が何よりも大切であるように思います。
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2009.11.18 13:15

 あまり詳しく書くわけにはいかないのですが、ずーっと昔、いわゆる天才児(?)というふれこみの方を何人か教える経験がありました。皆さん小学校の低学年児童で、ものすごく出来るということで一対一の個人で見ていました。男の子も女の子もいましたが、もちろんそんなケースは滅多にありません。
 前もってうかがっていた話では、小学校の勉強はだいたい終わってしまっていて、たとえば国語であれば古典に興味を持ちはじめている。あるいは大人向けの科学雑誌などを愛読していてそちらの方面にかけては中高生レベルの好奇心を抱いている・・・他にもいろいろなケースがあったような気がするのですが、ずいぶん昔のことなので細かくは忘れてしまいました。

 当然、ご家庭は中学も受験するつもりです。東京でも一二を争うような難関校を受験する。さらにその先も決まっていて、やはり高いレベルの職業(職種も決まっていましたがあえて書きません)につくとおうちの方が決めていらっしゃいました。
 そういう子どもたちは確かに先へ先へと勉強を進めていました。その気になれば小学校の低学年のうちに上の学年の問題集に取り組ませたりすることは可能です。具体的に言えば、どなたでも毎日勉強させれば二学年ぐらい上のものに取り組ませることは可能だと思います。

 こういった子たちを見ていて私はいろいろと考えこんでしまうことがありました。たとえば彼らは同級生をものすごく下に見ています。そして「マンガなんか読んだことがありません」とか「クラスの子たちと遊んでもどうせ話があいません」などと言います。ところが本当に打ち解けてくると彼らが非常にむりをしていることがわかってきます。本当はマンガを読みたい、友だちとばかばかしい遊びにも興じたい、そういう話がぽつりぽつりと出てきます。こっそりマンガを見たらものすごく面白かった。「この話お父さんやお母さんには絶対に黙っていて」例外なくそうでした。

 そしてまた彼らは勉強が何よりも大好きだという前提だったのですが、ときどきいやでいやでたまらないという姿を見せるようになってきます。連日勉強漬けですから。
 やはり子ども時代は子どもらしく生きることが望ましいのだと私は思います。子ども社会でのコミュニケーションもとても大切ではないでしょうか。子どもが遊んでいるところを見ているとばかばかしいこともたくさんありますが、そのあいだひたすら勉強に励んでいるというのはやはりちょっと心配な気がします。
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2009.11.17 02:42

 さて、真夜中です。
 この時期、受験生の保護者の方との個別面談が忙しくてなかなかお休みをとれないのですが、明日(厳密には今日と書くべきですね)は奇跡的に丸一日休めることになりました。そこでこうやって夜更かししているわけです。少し前までインターネットで将棋を指していました。人がいなくなってきたので私も抜けました。17日分のブログを書いて寝ます。

 多いときは一日に七人ぐらいの方とお話します。七人全員の生徒を私が見ているとは限りません。前もって各教科の先生方に詳しく様子を聞いておきます。また、先生方と進路指導会議というものをやって各人がどこの高校を受けたらよいかということを大筋で決めておきます。
 もちろん基本はご本人やご家庭が考えられている志望校でいいのですが、私たちは多くの高校の様子を知っていますから(いろいろな高校に教室の卒業生がいて様子を教えてくれます)、ご家庭がいいと思っていらっしゃる学校以外にもご本人に向いていそうな学校を「ここなんかはいかがですか?」と提案されていただくことがあります。もっとも受ける受けないはあくまでもご本人の自由意志です。

 一人の方とだいたい三十分ずつ話します。七人の方ですと三時間半になりますね。二週間以上かけて全部で六十人ぐらいの方とお話しています。あとの数十件のご家庭は各先生方に手分けして面談していただきます。なかには深刻なご相談をうかがうこともあります。こちらの精神状態が充実していないと湿っぽい雰囲気になってしまうので、私はとにかく皆さんが希望を持てるようにお話します。
 だからと言って、調子のいいでたらめを並べているわけではありません。いい加減なことを言えばすぐにわかってしまいます。それぞれの生徒の個性を分析して、こういう方向に持っていったら明るい未来が開けるのではないでしょうかとお話します。

 そしてまた、希望は希望を見ようという意志のある人間には必ず見えてくるものです。先生のおかげで本当に希望が持てましたとお礼を言われるときもありますが、その希望はもともとご本人の中に存在していたのであって、私が作ったものではありません。私はただその人に内在していた希望の光の見方を教えただけです。
 現在のありのままの生活の中に希望を見ようという強い意志を持ちましょう。そしてそれを習慣にしましょう。考えこむ以前に何か問題が生じたら「よし、最高だ!」とまず断言する癖をつけてください。それから考えればいいことです。希望の光の中で考えてください。闇の中で考えるよりよほどいい考えが浮かびます。 
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2009.11.16 13:10

 なかなか厳しい世の中です。最近は「私立に進学すれば塾には通わなくて大丈夫でしょうか?」というご質問をよく受けます。これは中学生高校生ともに大きな問題だと思います。
 実際、私立の先生は説明会などで「塾に通わなくても大学受験は学校の勉強だけで大丈夫です」とおっしゃいます。しっかりやってくれればちゃんと合格出来ます、補習も講習もたくさんやりますよと。ところがその私立生が大勢塾に通っているというのが現状です。これはどうしたことでしょう?

 ご本人が通いたいとおっしゃるケースがいちばん多いようです。学校にものすごく出来る子がいる。友だちになってどうしてそんなに出来るの? と訊いてみたら私立生向けの塾、たとえばZ会東大マスターコースのようなところに通っているということがわかる。で、私も通わせてほしい・・・となるのですね。
 学校は通ってくださる生徒全員のものですから(塾のように途中でかわることが出来ませんから)、やはり上位の生徒には若干やさしめなことも出てきます。もう少し難しいことを知りたい、もう少し速く進んでほしい、それぞれ希望があるわけです。

 で、Z会東大マスターコースに来てみると(私立生用の塾は他にもたくさんありますが、私自身が以前教えていたので様子がよくわかるのです)いろいろな学校からすごく出来る生徒がたくさん集まっている、先生が難しいことを速いテンポで説明していくのでとても刺激になる、学校では遠慮してあまり口に出せないような大学名が周囲の友だちからポンポン出てくる・・・ああ、来てよかったとあくまでも「ご本人が」思ってくださるわけです。

 実際、私が教えていた中学生のクラスではほとんど全員が「楽しいから」来ているとおっしゃっていました。受験云々というより学校より進んだ勉強が純粋に楽しいという気持ちなのですね。ただそれは本当の意味での勉強ではあると思うので、将来的には非常に役にたつことではないかと思います。
 ですから、ご本人が希望をおっしゃってこられたときにどうするかということは考えておかれるとよいかもしれません。受験の成功ということだけであれば学校だけでも何とかなるのかもしれませんが、その前提として好奇心を持って勉強出来る姿勢が非常に大切なので、そのあたりが難しいところかもしれません。
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2009.11.15 12:35

 私は現在池袋教室で週に三日授業を担当していますが、自分の授業の中でこのブログについて話したことは一度もありません。また保護者会や説明会でもお話したことはなかったと思います。つまり直接、私の口から池袋教室内でここを見てくださいというお話はしたことがないということになります。

 理由はいろいろありまして、万が一生徒のだれかが「これは自分のことではないか」と勘違いされ傷つかれると気の毒だからというのが最大のそれです。いろいろと困った実例も書いたりしているわけです。現在教えている生徒のことを露骨に書くほど私は無神経な人間ではないつもりですが、読んだ方がこちらの意図とは関係なくそう思いこむ可能性もあるわけで、そういう誤解を避けるためにあえて話してきませんでした。
 また別の理由として、こういうことは秘密でやっていた方が楽しいということがあげられます。生徒にしても「あ! あの先生はこんなことをやっていたのか!」と見つけた方が面白く感じられるのではないかという気持ちもありました。

 で、何ヶ月も経過しているわけですが、ブログについて授業前後に面と向かって話しに来た生徒はいません。ただおうちの方から私のブログをご本人が読んでいるというお話をうかがう機会は増えてきました。
 それでも教室内では私も相手の生徒もとくに何も言いません。淡々と授業をし、質問でも出てくれば淡々と答え、淡々と挨拶して別れるという感じでしょうか。その微妙な関係はお互いにとってすごく面白いものです。

 読んでくださっている生徒の方にもう一度。ここでいろいろな例が出てくるのは(とくに悪い例)絶対にあなたではありません。安心してください。と同時にそんなに似ていると感じるのであれば直すべきことが少しだけあるのかもしれませんよ。
 また授業で会いましょう。淡々と来てください。

 
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2009.11.14 12:11

 十代のころ、学校の先生が遠足や修学旅行の前などに「好きな者同士で適当に班を組みなさい」とおっしゃることがありました。そういうとき、私はどこの班にも入ることが出来ず必ず余りました。私には敵はいませんでしたが、「つるむ」連中というのもまたいませんでした。一対一であれば親しい人間はいましたが、彼らは彼らでどこかの集団に属しておりその仲間とは行き来がないわけですから、入れてくれとも頼みにくいという事情がありました。

 大人になってから、ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹先生が同じようなことをエッセイに書かれているのを知って驚いたことがあります。湯川先生はたしか「その出来事は自分の人生で決定的な意味を持った」というような意味の記述をされていたと思います。人間としてのレベルは月(湯川先生)とスッポン(私)であっても、心情は一致するのだなと思ったものです。
 学生時代、休み時間になると私はみんなと校庭でサッカーに興じたりしませんでした。だいたいは教室でイラストみたいなものを描いたり一対一の関係で人と話したり、登下校途中に憧れていた女の子(やたらとたくさんいた)のことをぼーっと考えたりしていました。そういう人間には「仲間」が出来ないのだという諦念はだんだん確固たるものになりました。

 じつは大人になった生徒からもときどきその種の話を聞くことがあります。仲間が出来ないという話ではなくても、やはり日常生活のささいな出来事が自分の進むべき方向を決めたというような話です。そして当然のことながら彼らはそういう話をご家庭ではしていません。私もこんな話は両親にしたことがありません。話したところで、自分から積極的に友だちを作りなさいなどとありきたりのアドバイスをもらうだけだと思っていたからです。

 こうしたことは一人一人の胸の中に沈潜して、うまく消化出来ないままその人の人格形成に影響を及ぼしていくのでしょう。それを表現出来るのはずっとあとになってからのことで、渦中ではただ「生きにくさ」のようなものしか感じません。のんきそうに見えても子どもたちは案外切ない日々を送っているものです。微妙な変化にはたとえ何も出来なくても気づいてあげたいものです。

 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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