2010.05.18 14:25

 業者さんが開催している模擬テストというのがあります。塾内でもオリジナルの各種テストがありますからその点数でだいたいのことはわかるのですが、私は時間があれば業者さんの模擬テストも受けてみては? と勧めています。
 大きな母集団での自分の位置がわかります。よければ勇気が湧きますし、悪ければこれは大変だという気持ちになります。Z会進学教室のテストであれば「難しいから」ですんでしまうかもしれませんが、業者さんの模擬テストは基本的な問題が主体ですから弁解はききません。とれていなければ勉強するしかないと覚悟が決まってくるでしょう。

 模擬テストで合格可能性も大雑把ながらわかってきます。第一志望校であればいまの時期は30%ぐらいの可能性でもいいでしょう。はじめはそれぐらいだったのがだんだん上がってきて受験のころは60%ぐらいになる。そういうケースは実際は60%以上合格しています。
 逆に30%のままで推移したり20%に落ちてしまったりすることもあります。いまはまだいいのですが、受験が近づいてきたら志望校についてもう一度考えないといけません。

 このあたりの学校を受けたらどうでしょう? と実際の学校名もあげてもらえます。第二志望とか第三志望の学校は名前のあがった中から決めていくという人もいます。説明会に行ったり体育祭や文化祭に行ったりするといいですね。
 模擬テストはだいたいは実際の学校を会場に借りて実施しますから、雰囲気になれておくという意味でもいいと思います。極端に緊張する人がときどきいますが、三回四回と受けていくうちに落ち着いて考えられるようになるでしょう。

 私立高校のなかには「学校や塾のテストではなく模擬テストの結果を相談会に持参してください」というところがあります。主に九月以降の成績を見てくださるのですが、その時点では点数がとれていなければいけないわけなので、いまから勉強しないといけないということがわかります。勉強をはじめてから点数が上がってくるまでに二三ヶ月かかるものだからです。
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2010.05.17 14:45

 が亡くなりました。ヘヴィ・メタル界に限れば、一番好きなシンガーでした。昨年もHEAVEN&HELL名義ですばらしいアルバムを発表しています。彼の作品がすべて好きというわけではないのですが、このアルバムは久々の会心作だったと思います。
 二十年以上昔、彼のバンド(DIO)のコンサートが武道館で予定されていたことがあります。直前に招聘元が倒産して中止になったのですが、私はわざわざ招聘元の事務所に出向いてチケットを入手した関係で、払い戻してもらえませんでした。幻の公演のチケットはその後しばらく私の手許にありました。

 リッチー・ブラックモアと組んでいたRAINBOW時代のDVDは自宅にあるのでときどき見ています。RAINBOWはのちに他のシンガーが加入しましたが、日本ではやはりディオ時代が圧倒的に人気があります。楽曲もよかったのでしょう。「STARGAZER」なんか本当に奇跡みたいな曲です。歌詞はすべてロニーが書いていました。メタル関係の曲ではやはり「STARGAZER」が一番多く聴いた曲だと思います。
 私はこのアルバムを作っている時期のリッチーのインタビューを読んだことがあるのですが「パープル+ツェッペリンみたいなすごいものになる」と珍しく意気込んでいたのが非常に印象に残っています。

 1980年にBLACK SABBATHとして来日したときは中野サンプラザまで見に行きました。あのときから声が全然衰えていないというのもすごいですね。いつのまにか60代も半ばを過ぎていたわけですが、ルックスも若いのでーー彼はインタビューで見た目には非常に気をつけているという発言をしていましたーーおじいさんという感じは全然しませんでした。

 HEAVEN&HELLの活動が中途半端で終わってしまったことが非常に残念です。まだまだ面白い展開が期待できると思っていました。今年も世界中をツアーする予定になっていたはずですが、これで終わりですね。トニー・アイオミはイアン・ギランとまた何かやっているみたいですが、ギーザー・バトラーはどうするのだろう。
 今夜は「KILL THE KING」でも聴くかな。
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2010.05.16 12:02

 落魄というタイトルにしようと思ったらなかなか変換されませんでした。らくはくーー落ちぶれることですね。私はなぜか落ちぶれていく人間や人生に非常に惹かれます。落ちぶれていく過程に美的なものを感じるのです。
 昔、私は落ちぶれていく人間の小説をずっと書いていました。テーマはいつも「落ちぶれること」でした。当時、編集者の方に「こういう暗いテーマだと一般に認められにくい」という意味のことを言われました。方向転換を勧められたような気がしました。暗いという形容を不思議に思ったものです。「暗い」ではなくて「美しい」だろう? と。

 落ちていくと言っても破滅派の作家が描くようなわざとらしい落ち方は好みません。事件があって落ちぶれていくのではなく、ただ何となく金属疲労のように疲れていく、じりじりと静かにだめになる、自分でもそれでいいと静観している、じたばたしないーーそういう落ちぶれ方や人間心理にすごく惹かれるのです。
 じつはこういう感覚を持っている人間は増えているのではないかという気もします。何年かたつと「普通の人間が少しずつ落ちぶれていく」物語が話題になったりするかもしれません。
 落ちぶれる=貧乏と短絡的にとらえてしまうとつまらないのですが、そんなに単純なものではありません。最後はふと昔を思い出して微笑んで終わるような物語がいい。

 最近は政治でも何でもそうですが、大衆に人気のあるものがすべてだという風潮があります。瞬間最大風速的な人気のあることが価値の尺度になっています。商業主義と微妙に絡み合っているのでしょう。
 それもいいと思うのですが、いま現在多くの人が気づいていない美的なものを「ほら、ここにも面白いものが・・・」と提示する人間も必要なのではないかという気持ちがあります。しかもーーここが大事なのですがーー先見の明を誇る意味からではなく、その世界に信念を持っているからこそ提示する人間ですね。

 落ちぶれた人がその生活の中で小さな幸福や価値のあるものを見つけるーー今朝も私はそんな物語をずーっと考えていました。私はふだんから一人でいることが圧倒的に多いのですが、じつはそんなことばかり考えています。
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2010.05.15 12:40

 昨日、十万人目の方が入ってくださいました。どうもありがとうございます。
 ブログをはじめてもうすぐ一年になります。書いてきた記事が三百十数本ですね。ここのところだいたいひと月で一万人ずつ増えている感じです。少しでもお役にたてていればうれしく思います。

 以前映像教材のお話を書きました。今年の夏は私もやることがほぼ決定しました。中学生のための作文・小論文講座みたいなものになる予定なのですが、中学生以外の方がご覧になっても役立つ面白いものにしたいと思っています。赤ちゃんが見ても面白い。百歳のお年寄りがご覧になっても面白い。
 前回も書いたのですが、本当はあまり気が進まなかったのです。私は自分の授業はあの「密教的」な雰囲気がいいと思っているので、オープンにしたくない気持ちもあったのでした。ただこういうお話がくること自体、そろそろ公にしなさいという天からの声だと判断して、今回はやることにしました。動く私を見ると幸せになりますよ。ご期待ください。

 すべてにおいて私は起きたことは必然でありいいことであると考えています。過去にたとえば私は足を三回手術していますが、それはいいことでした。弟を死産で失っていますが、それもいいことでした。何度も失恋しましたが、それもいいことでした。受験に落ちましたが、それもいいことでした。やりたかったことでうまくいかなかったことがたくさんありますが、それもいいことでした。
 客観的な数値でのいい悪いはもちろんわからないわけですが、現時点の私自身はいいことだと判断しているという意味です。何しろ自分の人生は今日のこの時点でしか改善できないわけなので、そうやって肯定的に考えた方が順調に進んでいくという側面はあります。

 その状況を幸福と呼ぶ人もいるでしょうが、現在の判断だけに基づいた幸福を追求するありきたりな生き方は個人的にはあまり魅力を感じません。個人の選択を超えた部分でやらざるを得ない状況になってきたようなことであれば、そこに飛びこんでみるのもおそらく「いいこと」なのだろうと思います。
 動く私を見ると幸せになりますよ。
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2010.05.14 13:20

 どの教科でも小テストというものがあります。漢字や英単語や計算のテストですね。範囲が決められていることが多い。ここからここまでを覚えてきなさいというように。
 たかが小テストではないかと考える生徒もいます。しかしそれはおかしな考え方であって、範囲を決められた小テストの準備もきちんとできないようでは、大きいテストができるようになるわけがないのです。長い目で見ると絶対にそうなります。建物を作るときと同じで、レンガの一枚一枚がいい加減では困るのです。

 どの科目も非常にきっちり準備してくる生徒がいます。Z会進学教室に通ってきてくれている中学生は志の高い真面目な中学生が多いので、三割ぐらいの子は几帳面に用意してきます。あとの七割の生徒は科目や時期によってむらが出てきます。たとえば漢字テストは満点だったけど英単語のテストは七割ぐらいしかとれなかった、今週は部活が忙しくてあまりできなかった・・・という感じでしょうか。それが普通の中学生でしょう。
 ただそういう姿勢だと学校の内申はなかなか5はもらえません。よく「テストの点はいいのにどうして5をもらえないのだろう?」と不思議がる生徒がいますが、一箇所でもスキがあったらもらえないものと考えてください。完璧ではじめて5です。

 なかには半分ぐらいしかやってこない生徒もいます。こういう生徒は頭が悪いわけではなく完璧に仕上げられないわけでもなく、単純にそこまでの時間を勉強に割きたくないという意志を持っています。部活だとか趣味だとか習い事だとかゆっくりしたいとか、理由は様々ですが、いまはそこまではやりたくないということですね。私は自分がそういうタイプの人間なのでーー自分は単純に会社員として見れば5は絶対にもらえないと思います。4も危ないかなーー彼らの気持ちもよくわかります。

 私立高校に進むと浪人生になられると困るので、力づくで勉強させるケースがあります。冗談ではなく漢字を百回書かせる二百回書かせるという高校を知っています。若干懲罰的な意味も含んでいるのですね。
 以前そういう高校に(第一志望だったのですが)進学した生徒の保護者の方から「本人が高校をやめたがっている」という相談を受けたことがありました。「ばからしくてやっていられない」という話でした。結局やめはしませんでしたが、本人と話したところ勉強そのものが大嫌いになってしまったと言っていました。

 本人の意欲が高まらない状態で強引にやらせるのは難しいものです。ただ本人が自分一人ではできないからむりやりでもやらせてくれる高校に進みたいという希望を持っているのであれば、大学進学に向けて私立高校の特進クラスなどは非常に意味があると思います。そのあたりはおうちでもよく話し合われるといいですね。
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2010.05.13 12:50

 半世紀以上生きてきたわけですから当然いろいろな方とお目にかかりました。自分の気質として古い関係にべたべたしたくないというのが強くあります。これは生理的な好き嫌いの問題であって、善悪とは関係ありません。そういう人間なのですね。
 小学校、中学高校(一貫校に通っていました)関係でいまも連絡を取り合う人間は私には一人もいません。僅かに年賀状のやりとりが続いているぐらいです。私は同窓会の類にも一切出席しない主義(?)なので今後も彼らと会うことはないと思っています。

 複雑な事情もあり大学時代の友人が一人残っている程度でしょうか。現在私の周囲にいる人間はぜんぶ「最近」出会った方たちばかりです。私はいろいろな塾で教えてきたのでその時々にそれぞれの塾の先生と親しくなったりもしましたが、その方たちとも交流は途絶えています。意図的にそうしようと思ったわけではなく、自然と消滅したという感じです。これまた年賀状のやりとりだけが残っています。

 小学生のころ、親しくなった友だち(男女を問わず)と「一生仲良くしようね」などとよく約束したものでした。十代のときに好きになった女の子とは「万が一別れてしまっても毎年○月○日にはどこそこで会おう」と真剣に話し合ったりしました。修復できる機会をはじめから用意しておきたかったのです。
 そしてそれらの「固い約束」はすべて反故になりました。私からそうしたのか相手からそうされたのかさえ覚えていません。

 私にとって周囲の人間が一変するというのはごく自然なことでした。私は感傷的な人間ですが、他者と一緒に感傷的でいたいという気持ちはありません。すべて個人的な問題です。昔のことを思い出すのがいやなわけではないのですが、あのときお前はさあ・・・というような騒がしいやりとりは苦手なのです。
 仮に昔親しかった人にばったり会ったとします。静かにうなずいてそれで終わりですよ。元気で生きていこうという合図ですね。「やあ、お前老けたじゃないか。懐かしいなあ! どうしてんだ、最近?」というようなやりとりは自分の人生にはないと思っています。
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2010.05.12 17:37

 何かの文化に深く影響を受けた人はその文化の匂いを自然と身にまとうものです。「あれ? この人何か違うな」という感じが漂ってきます。たとえばアニメが大好きな人と格闘技ファンと釣りに夢中な人と登山家の人たちと、それぞれ何かしら他のグループにはない共通した要素を持っているものです。どの文化が優れていてどの文化が劣っているということは言えませんが、自分と似た文化圏の人は理解しやすいとは言えるかもしれません。

 その昔将棋の道場に通っていたころ、将棋の強い人には共通の雰囲気があると感じたものでした。当時は将棋ゲームもインターネットもありませんから、未知の相手と指したければ町道場に行くしかありません。
 強い相手は黙っていてもすぐにわかりました。駒の持ち方とか着ているものとか眼光の鋭さとかそういう単純なことではなく、オーラが全然違いました。

 私がいちばん深く影響を受けたのはいわゆるROCK音楽です。二十世紀における人類最大の文化的発明はROCK音楽であるということを複数の文化人が語っていますが、歴史的側面はともかくとして、私という人間が同世代の標準(?)の方と違っているところがあるとしたら、間違いなくROCKに深くのめりこんだことが原因だと思います。
 また面白いもので、自分と同じようにその文化にどっぷりつかった人間は、全然違う職種や生活形態であってもすぐにわかったりします。
 
 美学みたいなものと言ったらいいのでしょうか。ふだんの生活に滲み出てくるのです。
 以前、初対面に近いある人と飲んでいたときにその人がうっかりグラスを倒してしまったことがありました。テーブルのうえが水(酒?)浸しになり、お店の人が慌てて拭いてくださいました。相手の方は「すみません」と謝っていたのですが、その微妙な余裕を持った詫び方にふと感じるものがあり「もしかすると昔ROCKがお好きだったのではないですか?」と訊ねてみました。

 はたして、私と同じでブリティッシュ・ハードロックの濃い洗礼を受けていました。自身でもギターを弾かれるそうで、その後FREEの「HEAVY ROAD」の間奏部分がすばらしいなどという話で盛り上がりました。
 歩き方一つにも文化的背景は滲み出てしまうので、こわいと言えばこわいものだと思います。
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2010.05.10 14:15

 あるとき受験生のお父さまから連絡がありました。さすがに今年の話ではないですよ。
 うちの息子にもっと勉強をさせたい、息子と「腹を割って」話し合ったが本人はやる気満々である、そこでプラスαの課題を与えてほしい。
 私が担当している生徒ではなかったので、各教科(Z会進学教室は各先生が専門の一教科のみ教えることになっています)の先生に課題をお願いしました。いままではあまりやる気のない生徒だったという話で、ついに○○くんも頑張る気になったのかと先生方は喜んでいました。

 ところがせっかくの課題をまったくやってきてくれません。強く提出するように求めるとほとんど白紙で出したりします。「まるでわからなかったんです」と弁解するのですが、一年生のころ習ったところまで白紙になっているので、考えたくなかったのでしょう。
 そのうち先生方から「量を増やしたら○○くんはかえってやらなくなってしまいました」という報告を受けました。ちょっと様子を見てみましょうかと話していたところに、またまたお父さまから「点数が上がらないのでもっともっとやらせてほしい」という連絡が来ました。これは・・・と思って私は直接その少年と話しました。

 人のよさそうな大人しい少年だったのですが、私がおうちから頼まれた課題の件を持ち出したとたんに泣き出しそうになり「もう、勘弁してくださいよー」と机のうえに上体を投げ出してしまいました。
 要するにお父さまが厳しくて何も言えない、受験勉強はいやでいやでたまらない、そんなことを口にしたらものすごく叱られるのでこんなことになってしまっている、この話は絶対に内緒にしてほしい・・・と切々と訴えます。
 こんなケースが案外多いのです。

 そこまでつらいのであればやはりご家庭で「そこまでは」やりたくないと正直に伝えられる空気がないと本人が気の毒だと思います。本当にやる気のある受験生ならたとえば「一年間ゲームはやらない」とか「テレビは週に三本まで」とか「朝も必ず勉強する」とか「塾では友だちと離れて座る」とか、形にあらわれる行動を必ず自身に課していくものです。そういうものなのです。
 漠然と「うんと頑張る」と抽象的に表現しているのは、何かをやりすごそうとしているだけかもしれません。

 私はその生徒に「むりなく頑張れる範囲でいいから最大限のところまでやってみてごらん」と言いました。ご家庭では○○高校合格の努力をせよと厳命されているというのですが、そういうことは一端離れて自身を成長させるためにきのうよりは今日、今日よりは明日と努力の量を増やしてほしいと言いました。
 それでさえ、僕にはできないと思うんですと本人は嘆いていました。能力の問題ではなく覚悟の問題ですね。

 お子さんが頑張る頑張ると大宣伝しながら何も生活が変わらない場合、そこにはまだ何かしら考えなければいけない要素が残っているのかもしれません。力づくで・・・というのはいっぺんにつぶしてしまう可能性がおおいにあり非常に危険です。特定の学校に合格したり同級生の誰々くんに負けない点数をとったりする以上にご本人の成長は大切なわけですから、長い目で見守ってあげないといけないケースも多いと思います。
 
 
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2010.05.09 11:32

 昨日、とても賢いある生徒が自習に来ました。自習に来たのはその子一人でしたので、私は教室まで案内して灯りとクーラーと換気のスイッチを入れました。礼儀正しい子で「どうもありがとうございました」と丁寧にお礼を言われました。「今日はたぶん君一人だよ。何時までいる?」「五時までです」程度の会話はありましたが、それ以上突っ込んだ話はしませんでした。
 五時になり彼は帰っていきました。私はちょうど電話中で挨拶ができなかったのですが、あとで教室を見てみると電灯もクーラーも換気もすべてきちんと消してありました。

 たとえばクーラーには「勝手に触らないこと」と書いてあるには書いてあります。ただそれはいたずらをしてはいけませんという意味であって、彼のようにきちんと消してはいけないということではありません。そのあたり柔軟な判断ができるかどうかということはじつは大きな問題ではないかと思います。
 彼は彼なりに考えたのでしょう。自習しているのは自分一人、自分が教室を出てしまえば灯りもクーラーも無意味になる、だから消しておこう・・・大人なら何でもない理屈ですが、中学生がすぱっとそう考えられたというのは評価していいと思います。

 じつは私が非常に好きで応援している棋士がいるのですが、実力者なのになかなかタイトルに手が届きません。あるときインタビューでその棋士が「自分は社会人としてのルールは絶対に守る。車がまったく走っていなくても赤信号を絶対に渡ったりしない」という意味のことを話しているのを見つけました。
 うーん、どうなのだろうと思いましたよ。将棋は臨機応変な柔軟さが求められる芸事ですから、このへんの頑固さが彼がいまだ第一人者にはなれない理由の一つなのかもしれません。

 まあ規則原理主義みたいな考え方は一つの立派な生き方だと思います。ただ規則がどうしてできたのかということまで考えていくと、べつの側面が見えてくるような気もします。
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2010.05.08 13:03

 Z会進学教室の連休は昨日で終わり、今日から仕事です。授業そのものは明日からですね。
 おとといは一人で一泊旅行に出ました。私の旅行はすべて愛知県ですが、二十年昔に偶然下りたあるバス停に行ってみたりしました。畑だったところが駐車場に変わっていました。すぐ脇にあったどぶ川もきれいに整備されていました。

 昨日、愛知県はかなりひどい雨だったのですが、帰りの新幹線のなかから巨大な虹が見えました。進行方向に直角に交わるような感じで、左側の窓からも右側の窓からも見えていたので、かなり大きなものだと思います。ちょうどRAINBOWというロックバンドの「CATCH THE RAINBOW」という曲を聴いていたので、おおっ! と思いました。そういうところで何かーー啓示と言ってはおおげさなのでしょうがーーを感じることがあります。

 五日ぶりに教室に来てみたら郵便物がたまっていました。
 なかに昨年手紙をさしあげた数学の先生からのお返事が来ていました。この先生は非常にりっぱな方(経歴だとか細かいことはわかりませんが、授業を担当されている様子や生徒への応対ぶりから無条件にわかりました)で、以前手紙をさしあげたのは「Z会だけで担当なさいませんか?」というお誘いの内容でした。
 いい先生というのはあちらこちらの予備校や塾から引く手あまたです。自然と何箇所かかけもちで教えられているケースが多いのですが、その先生はZ会だけで教えていかれることに興味を持たれているという噂(?)がありまして、当時のZ会進学教室の代表の方と相談してお手紙をさしあげたのでした。

 残念ながら先生は現在高校受験生ではなく大学受験生を教えていらっしゃるそうです。それも医学部を狙う優秀な受験生を専門に見ているようです。
 私のことを評価してくださっていました。私はたとえば教室の生徒がどこに入ったとかどれだけ増えたとか、そういう表面にはっきりあらわれる(もちろん非常に大切な要素です)以上のものを何か伝えられたらすばらしいのだがと常々思っています。そうした部分を細かく評価してくださったので非常にうれしく思いました。私は「褒めらたらとりあえずいやそうな顔をする」ということをモットーに(?)生きているのですが、尊敬する方によく言われるとやはりうれしいものです。

 と同時に、人は見られていますねー。これからもーーブログも授業も教室運営も講演会や説明会もーー日々がんばっていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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