2009.08.05 10:38

 休みごとに一人で名古屋に旅行すると言うとしばしば「そんなところで何をしているのか?」と訊かれます。何をするのかという質問自体不思議と言えば不思議なのですが、基本的に何もしません。ただだらだらしているだけです。逆に言うと何もしないために場所を変えているわけです。
 唯一ーーそれが目的ということはないのですがーー伏見という駅の近くに古くて非常にいい居酒屋が一軒あり、そこには必ず寄っています。日本全国からわざわざお客さんが集まるような名居酒屋で、どんなときもだいたい満席になっています。ある程度の年配の男性一人客が多いのが特徴で、私も彼らのなかにまぎれて静かに飲んでいます。このまえ行ったときはシャコを食べました。甘くて驚きました。殻つきのシャコを出す店は東京では珍しいかもしれません。

 自分はぜいたくな人間ではないと思うのですが、宿泊するところはきれいなホテルと決めています。金山という駅近くに大きなホテルがあり、だいたいそこのシングル・ルームに泊まります。大きな窓から美しい夜景がよく見えます。窓脇に張り出した枠があり、その上に乗ってずーっとながめているときがあります。大人一人が十分乗れるスペースなのです。

 一度、酔っていたせいか私はその枠の上で寝てしまったことがありました。はっと目が覚めたときは夜がすっかり明けていました。ひと晩窓枠で寝ちゃったのかよー! と、慌ててふかふかのベッドに移動しましたが、それからは変に目がサエてしまってまったく眠れませんでした。

 帰りの新幹線の中で身体のあちこちが痛く、おかしくて笑いを噛み殺すのが大変でした。そんなバカな一泊旅行でも、心に何かしらあたたかいものが残るから不思議です。明日からまた授業だなと新鮮な気持ちになれるのです。
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2009.08.04 10:46

 こういう仕事をしていますと夏も冬も講習で忙しくて、なかなか休みをとれません。今年の夏は(私は)連続では三日しか休めない感じです。これまでも長くとれてもせいぜい五日間程度ではなかったでしょうか。お正月はお正月で授業がありますから、そのときも長い休みはとれません。長く休みたい人は教室での仕事はあまり向かないのかもしれませんね。

 講習期間休めない大きな理由として、私自身も授業を担当しているということがあります。現在は四時間持っているので、休んでしまったら先生がいなくなります。ただ仮に授業を持っていなくても保護者の方から急に面談を希望されることがあり、教室長として私がお話する機会が多くなります。生徒総数が百数十名(講習生を入れたらもっとたくさんの生徒が来てくれています)、もちろん自分が担当していない生徒はほかの先生にお願いするケースもありますが、先方が私と話したいとおっしゃるときには、私が担当の先生にじっくり話を聞いたうえで面談させていただくことになります。
 それぞれのご家庭にそれぞれのご都合がありますから休んでいられないわけですが、そうやって多少なりとも世の中のお役にたてるのは、むしろありがたいことだと思っています。

 昔はほんの数日の休みに家族で旅行したときもありました。子どもが小さかったころですね。大阪だとか山形だとか仙台だとかーー日数がないものですから動きやすい地方都市に行きました。いい思い出です。ですが、子どもももう大きくなって両親とべったり行動することを好まなくなりましたので、いまは一人で一泊旅行をする機会が多くあります。一人というのがいいのです。

 もともと私は学生のころから一人旅をよくしました。人と一緒だとわずらわしいのです。東海道新幹線が好きだったので(子どもみたいですが、いまも大変好きです)、必然的に名古屋、豊橋(先祖の墓があります)、浜松あたりが多くなりました。なかでも名古屋はよく行きました。合計で三十回以上行っているかもしれません。
 
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2009.08.03 12:51

 先生はみんな気づいていますが、音読がすらすら出来る子は成績がいい。やはりたどたどしい感じですと他の努力をしていてもなかなか思うように伸びません。つまり音読が上手になることは、すべての努力に優先すると言えるのではないかと思います。
 声に出さなくてもいいじゃないかという意見もありますが、本当に正確に読めているのか他者が確認するためには、声に出してもらわないとわかりません。また自分の読んでいるところを自分の耳で聞くというのも(英語なんかもそうですが)大変役にたつ勉強法です。耳で聞きながら、これじゃちょっと堅苦しい感じだからもっと気取って読んでみようななどと思えるようになればしめたものです。

 私はとくに小学生と中学一年生の授業では音読を重視しています。まず、私が声に出して課題文全体を読みます。そのとき、語句や大切なポイントについても説明していきます。線を引きなさい、印をつけなさいと指示を出します。説明しながら、少しでも生徒の興味を引くおもしろい話を交えようと「努力」しています。おもしろいというのはやはり勉強を推進する大切な要素だと思うのです。
 みのもんたさんの報道番組などを見ていると、一行ごとに何とか笑わせようと努力されているのがわかります。そうやって興味を引き続けようという努力なのでしょう。

 ひととおり私が音読を終えたあとで、今度は生徒を指名して順番に読んでもらいます。さすがにここに来てくださるような生徒でたどたどしい子はいません。ただすごく上手な人というのも一割程度です。女の子に多い。感情をこめて読んでいます。もちろん国語の成績もとてもよい。
 いちばん多いのは、下手ではないけれどもミスしていることに気づかないというケースでしょうか。たとえば「私にはわからなかった」というところを「私はわからなかった」「私にわからなかった」と読み間違えてしまう。そして、そのまま気づかない。
 しかし「私にはわからなかった」と「私はわからなかった」はずいぶん感じが違います。そこに気づけるかどうか。頂上に近づけば近づくほど繊細な部分で差がついてしまう。だからこそ音読はとても重要なのです。
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2009.08.02 17:08

 大人でも体調が悪いときや収入が少ないときなどに、ついつい人に冷たくあたってしまったりすることがあるものです。なんで熱のある自分がこんなことまでしなければならないーーそんな気持ちでとげとげしい態度をとってしまうのは、むりのないことなのかもしれません。
 しかしそういう状態にある人に、いまのあなたは本当のあなたなのですか? と問いかけてみたら、それは違うと答えるでしょう。今日のこの姿は、病気(でも貧乏でも理由はなんでもいいのですが)が原因であって、本当の私はもっと思いやりの深いよい人間ですと。そしてそれはそのとおりなのだろうと思います。

 つまりその個人のなかにたくさんの自分が存在している。ただし本当のいちばん底の彼(彼女)はいい人なのですね。いい人なのに表面に病気だとか貧乏だとかのちりが付着して、その人が本来のよさを発揮していく邪魔をしている。その人自身もどこかでその仕組みに気づいていて「本当の私」などという表現が飛び出し苦しんでいる。
 子どもを叱るとき、彼らにもその「本当の私」を思い出させるようにしないといけません。表面的に何がどうであれ、あなたのなかには非常に素直な善意にあふれた純粋な人間がひそんでいるのであって、私はその本当のあなたに向かって語りかけているのだと伝えられるような大人でありたいものです。

 とんでもないいたずらをする、あるいはなげやりで全然言うことを聞かない、あるいは問題集を解いているふりをして解答を丸写ししていたーーそういうとき正しいか正しくないかで叱ってもほとんど効果はありません。正しいのはいつも大人、叱られるのはいつも子ども、それでお終いです。
 彼らはときに「本当の」自分自身を見失っています。それを思い出させてやって自信を持たせてやる。こういう状況は、あなたのストレスだとか疲れた心や身体が引き起こしている現象であって、本来のあなたはすばらしい存在なのだということを叱りながらも認識させてこそ、本当の教育的指導と言えるのではないかと思います。
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2009.08.01 10:11

 あなたにとっていちばん大切な人間というのは、やはりあなた自身なのではないかと思います。あなたがいなければあなたの世界がなくなってしまうわけですから。今回はそれほど大切な自分自身を、日々の生活で本当にVIPとして扱っているだろうかというお話です。

 昔、将棋の大名人に大山康晴という人がいました。現在も将棋界には強い人がたくさんいますが、この大名人は桁外れでした。何度も何度も棋界最高位の「名人」というタイトルを防衛し、その回数は現在までだれにも破られていません。今後もこの記録だけは破られないのではないかとも噂されています。そこまで強い名人がこういうことを言っていました。
 一流と二流の棋士の差はほんのちょっとのことで決まる。みんなにどこかに一緒に行こうと誘われたときに「わたしはちょっと用事があるので帰ります」と言えるかどうかだけだーーそんな内容だったと思います。

 簡単そうに見えて、これが大人の世界でもなかなか難しい。まして小・中学生ではどうでしょうか。
 孤立しなさいということではありません。また周りと仲良くしてはいけないということでもありません。ただたとえば、友だちに誘われればトイレにまで必ず着いていく、塾の帰りに質問している仲間を自分は質問もせずにずーっと待っている、とくにお腹が空いているわけでもないのにハンバーガー・ショップにつきあう、いつまでもいつまでも誰かの話相手をしている、気が進まないまま遠回りして帰る・・・他の人のために貴重な自分の時間を浪費していることに気づいていないのはもったいないと思います。

 あなたが本当にお腹が空いているのなら、それはそれでいいのです。そうではないのにただつきあいだけで着いていく。つきあいが大事? なぜそのつきあいがそれほど大事なのか、よく考えてみてください。今日のことだけではない。毎日、毎週、毎月、毎年ですよ。その蓄積が本当にあなたの合格や成功、繁栄や幸福を保証してくれているでしょうか。
 みんなだってそうだもん。たしかに平均的な人たちはそうです。ただし、行動が平均であれば得られる結果も平均値におさまってしまいます。
 
 そのことを大山名人は「一流と二流の差」と言いたかったのではないかと思います。自分の時間、自分の欲求を吟味して、最優先してくれることをなによりも望みます。
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2009.07.31 10:26

 二十年ぐらい昔でしょうか。小学五、六年生に小説の主人公の顔を連想させていたことがあります。「この問題文の主人公はどんな顔だろう?」彼らに次々と提案してもらって、私が下手な絵を黒板に描きます。
 「髪は長いな」「絶対一重瞼だろう」「そうそう、僕もそう思う」「ヒゲが生えてるかも」「えー、それはないよ。絶対剃ってるよー」・・・そんなやりとりをしつつ、絵は完成していきます。面白いもので、だいたいみんなが納得出来るような姿かたちが出来あがります。

 昔の子どもは楽しく遊びながら活字をうまく映像化出来ていました。ところが、こういう遊びがだんだん出来なくなってきました。いまでは中学生でさえ出来なくなってしまいました。彼らは「問題文のどこにも容姿は描写されていません。だから顔かたちまではわかりません」と答えます。想像もつかないと。
 これはちょっとこわいことです。問題文を読みながら(小説全体を読めば容姿の描写もあるでしょうが)、その主人公がどんな顔をしているのか想像もつかずにーーそれこそ太っているのか痩せているのかも思い浮かばないような状況でーー繊細な気持ちの変化を読み取る問いに正解を出さなければいけないわけですから。

 こうなったのは、周囲が映像化されすぎてしまったからでしょう。困ったことが出てくるとすぐに「映像で」助けてもらえる。映像まではいかなくても、マンガで解説してくれる。
 昔はそんなことはありませんでした。説明書というのは基本的にすべて活字でした。おおげさに騒がなくても、自然に日々活字→映像化という訓練がなされていました。

 文明が進んだせいで人間の一部の能力(筋力など)が退化してきたと言われますが、気づかぬところでそんな風にして頭の能力も退化しています。成績云々ということから離れても、活字を読むことはやはり大切な基礎訓練だと思います。読むものはなんでもいいのです。活字→映像化という回路を作ることが目的だと考えてください。
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2009.07.30 10:18

中学受験では「低学年で通用していた勉強方法(親が手取り足取り教えてやる)は高学年には通用しない。」という話を聞きます。実際自分の子も小5になりそれを痛感しております。でも自分があれこれ言うのをやめたら子どもの成績が落ちてしまうのでは、と思いやめられずにおります。どうしたらいいでしょう。

 現在は世の中全体が「手取り足取り」状態になっています。ハンバーガーショップに行けば、いくつかの商品がセットになっていて注文の仕方もだいたい決まっています。コンビニエンスストアーでもわかりやすく商品が展示してあり、レジで袋にまで入れてくれます。すべてがそんな世の中なので、勉強も自分一人だけではなかなかうまくいかないのもむりはありません。

 6年生でも徹底的にご両親が管理しているご家庭は相当数あります。中学受験の成否は親の姿勢の違いだと断言している塾があるぐらいです。ですから手をかけること自体はそんなに悪いことではありません。
 実際問題として、中学生どころか高校生でさえご両親が勉強を管理されているというケースを目撃しています。いずれは個々人がしっかりしてくることが望ましいのですが、手助けされることをそんなに悪く感じる必要はないですよ。

 プリント類の管理などはお手本を見せてあげれば段々出来るようになってくるでしょう。ノートの丁寧さなども時々チェックしてあげれば本人も張り合いが出るのではないでしょうか。最近は学校でも何も注意してくださらないとかで、国語のノートを横書きにしていたりします。そういう何でもない常識みたいなことも注意してあげるといいのではないでしょうか。

 気をつけるべきことは、不都合なことが出てきても怒ってはいけないということだけです。プリントがくしゃくしゃで出てきても(よくあることです)、こういうのはこうしましょうと根気強く見本を見せてあげましょう。親子のコミュニケーションをよくするためにやっているのだぐらいの意識でよいのです。外でキャンプをしながらそうは激しく叱らないのと同じ感覚ですね。
 合否がすべてではない(=その先が大切)ということだけを前提に面倒を見てあげたらよいのではないですか。きっといい思い出にもなるでしょう。
 明るくいきましょう。
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2009.07.29 09:54

 風邪をひいて寝ているときは「ああ、早く元気になるといいなあ。病気さえ治ればもう何もいらないのに。熱が下がったらあれもしようこれもしよう・・・」と考えたりするものです。ところが、いざ治って二三日もたてば、健康なのがあたりまえになってしまい、毎日忙しくておもしろくもなんともないやとありがたさを忘れてしまいがちです。

 なんでもないささやかな喜び、うれしいことを人間は見失いがちです。そして小さなつまらないことでずっとくよくよする。そうした傾向はだれにでもあります。
 黒板の隅に先生が消し忘れたチョークの跡が少しだけーー線のようになってーー残っていることがあるでしょう? ああいうのを見ていると気になって気になって仕方がない。いらいらしてきて、他の部分はぜんぶきれいなのに黒板を見ているだけで気分がふさいでくる。そんな経験はありませんか? 人生にも似たような要素があります。

 幸福のリストを作ってみてください。このリストは夢を書くのではありません。現実生活の中であなたがうれしく感じることを書くのです。
 他人に見せるものではありませんから、日本が平和であるとか、私が人々の善意と愛情に包まれているとか、おおげさなことを書く必要はありません。もちろんそれが本当にあなたの幸せの源泉であるなら書いてください。

 ゲームで高得点が出た、親友の○○さんが話を聞いてくれた、大好きなテレビ番組が水曜日にある、プールに行く予定がある、憧れの歌手のCDがもうすぐ発売される、先生に誉められた、ガリガリ君を今日も食べられた、お年玉がたまっている、××くんと目が合った・・・気楽にいくつか書いてみてください。
 書いたらそれをじっくり確認しましょう。ときには勉強がつらかったりテストの点が悪くて叱られたりしているかもしれませんが、こうやってみるとあなたはけっこう幸せ者ではないですか! そうです。よくよく確認してみると私たちはけっこううれしいことを生活の中に持っているものなのです。

 私もまた心の中に幸福のリストをいくつか持っています。いちいち発表する種類のものではありませんが、そうしたものはどんな主義主張、思想、信条よりも、ときには生きる活力となってくれるような気がします。
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2009.07.28 09:04

 自分の子どもが生まれるとき、私はとにかく元気に(死なないでというだけの意味です)生まれてきてくれたらいいという程度のことしか考えませんでした。ほかに希望は一つもありませんでした。
 もちろん、いい学校に入ってほしいとか○○になってほしいとかそういう感情は一切ありませんでした。男の子でも女の子でもどちらでもいいと考えていましたので、性別を調べることもしませんでした。私の両親は「女の子では?」などと話していましたが、生まれてみると男の子でした。

 それが原点で、私はいまも自分の息子に特別どうなってほしいという願望を持っていません。親である私よりは長生きしてほしいというのが願いと言えば唯一の願いでしょうか。そうなってくると「息子が生きているだけでありがたい」というような気分になり、勉強しているとかしていないとかでがみがみ言う気持ちがほとんど起こりません。よく食べ、よく眠り、快活に過ごしてくれれば私個人は十分です。それだけに息子を叱る機会はめったにありません。
 家内は私よりは子どもに期待しているところがあるらしく、ときどき息子のことを叱っています。

 こういうのは気質や人生観の問題なので、いい悪いではないと思います。こうあらねばならないということでももちろんありません。ただ、ときどき私は保護者の方から「先生のお子さんはさぞかし勉強が出来るのでしょう? いい大学を目指されているのでしょう?」と質問され、実際はまったくそうではないので大変申し訳なく思うときがあります。それで一度ぐらいは自分の家庭のことも書いておこうと思ったのでした。
 自分の子どもは平均的な都立高校に通っていますが、将来は大学に行かないかもしれないし行くかもしれないと言っています。私はおまえの好きにしたらいいと答えています。

 親である私よりは長生きしてほしいという願望も、万が一のことがあると彼自身が可哀想なので、私は口には出さないでいます。
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2009.07.27 15:59

 毎日暑いですね。雨がたくさん降って難渋している地方もあるようです。受験生のみなさんが困っていないといいのですが。
 さて、今日も一日勉強ご苦労さまでした。ところで、勉強が終わったあとちょっと机の周りを見てみてください。消しゴムのカスはどれぐらい残っていますか? 全然ない? ひょっとしてまるで書かなかった?

 赤ペンはどの程度使いましたか? 大切なところに線を引いたと思うのですが。はじめからテキストで太字になっているから・・・では寂しいですね。印をつけるという行為そのものに「ここは大切なんだぞ」と自分自身に言い聞かせる象徴的な何かがあるからです。
 ひょっとすると勉強中、一度も声を出していないのではないですか? ただ黙ってじーっとテキストを目で追っていた。もちろんそれも勉強には違いないのですが、それだけで十分だと勘違いしてはいけません。

 テキストを目で追うのは視覚を使っています。それも大事ですが、人間にはほかにもたくさんの感覚があり、総動員させた方がたった一つの感覚だけに頼るよりはるかに多くのことを残せるでしょう。
 大切なところは線を引き、声に出して何度も読み、その声を自分の耳で聴く。さらにノートに繰り返し書いて身体に覚えさせる。そうした一連の行為が勉強するということでしょう。

 中学生のとくに女の子に多いのですが、ときどき英語のすごく出来る生徒がいて、どうやって勉強しているのかを訊ねると、舞台に立った俳優のような気持ちで身振り手振りをつけ全身を使って英文を暗記しているという話を聞くことがあります。彼女たちは恥ずかしがってこっそり教えてくれるのですが、けっこう同じようなことをやっている生徒は多いのです。感覚を総動員させた勉強法をいつのまにかあみ出していたというわけです。
 だれが見ても明らかにここで努力していたなという痕跡が残るような勉強を工夫してみてください。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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