2018.05.08 00:45

 息子がひとり暮らしをはじめたことを先日ご報告しました。さっそく手紙を出しておきましたよ。もちろん手書きのものです。相手の住所と名前、私自身の名前も手書きです。ポストを見ない可能性もあるので、手紙がつくかどうか実験のために送ったよとは伝えてあります。
 ふだん話していますからね。緊急な用件があるわけではありません。それでもこのタイミングで、手紙だから伝わることもあるでしょう。
 
 現代人のコミュニケーションというと、主に直接話す、電話で話す、メールやラインでやりとりする・・・ということになるのでしょうか。印刷されたものではなく手書きの手紙で伝えるという手段は相当後退してしまいました。逆方向からながめると手書きの手紙を受け取るというのは、じつに貴重な機会であるとも言えそうです。息子もうれしいうれしくないは別にして、仕事から疲れて帰ってきて「ほう、こんなものが来ていた」という感慨らしきものは持つかもしれません。
 年賀状でさえ、印刷されたものと手書きのものとでは印象が違いますからね。
 
 歳をとって、私は自分にできる範囲で世の中を明るくしていこうという気持ちを持つようになりました。むしろダークな芸術世界が好きではあるのですが、そうしたものを好める自由を有するためにも現実にはいくらか光がないといけないと考えています。人さまにお手紙を書くのはその一貫で、今後どんなに時代が進化しても私は他の手段より手書きの手紙を重んじるつもりです。
 温故知新といういい言葉があり、どの世界でも非常に大切ですね。ただこういうことはあるかもしれません。
 
 老舗の居酒屋さんなんかで、ここ10年ぐらい基本的なルールをがらりと変えてしまったお店がいくつも出てきました。たとえば以前は受けていなかった「予約」を受けるようになった。置いていなかった種類の洋酒を置くようになった。二次会的な使用や酔って来るお客さんを門前払いするようになった。価格を大幅に変更した。
 それによってお客さんの層もがらりと変わりました。そもそも私自身がぎりぎり(予約なしなので)入れてもらえたりしている。「昔はこんなにぎすぎすしてなかった」と嘆いている年配のお客さんもいらっしゃって、必ずしもすべてが成功してはいないように感じます。
 
 いずれにせよ、世の中「知新」の部分に埋没しかけて大切なものが失われはしまわないかと疑う人間がいてもいいのでしょう。そうしたことを声高にならないように、ぽつりぽつりと呟くのも「温故」活動の1つなのかもしれませんね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.05.07 07:21

 占いのつぎは超能力についてです。超能力というのがどの程度のものを指すのかそれぞれ認識が違ってくると思うのですが、私個人は何かしら一般には発動できない不思議な力を持つ人間は存在しているような気がしています。
 と言っても自分が語れる範囲では、空を飛んだり物体を念力で自由自在に動かせたりという類のものは入ってきません。ただ昔ある高僧のエッセイ(?)を読んでいたら空を飛ぶ人間のことが書かれていて、どう考えても高僧がウソを書くとは思えないので、そういう力も存在するのかもしれないですね。
 
 私のレベルで超能力に近いなと思えるのは、たとえば何かの本の一節で読んだ文章をもう1度読みたいものだ・・・と思いながら偶然開いた別の書籍に読みたかった本のその部分の引用が載っていたり、あの人はどうしているだろうと考えていたら数年ぶりにばったりその人に会ったり・・・いわゆるシンクロニシティと呼べるようなものですね。そういう体験ならいくつかあることはあります。
 具体的には書きませんが、中にはすごく不思議なものもありました。確率的にまずありえないだろうというような。
 
 そういうことはどなたにも1つか2つは起きているのだろうと思います。
 仮に何かしら不思議なことができるようになると誰でも「自分はすごいな」と感じるでしょう。まして連続すれば「自分はひょっとして選ばれた特別な人間なのかもしれない」とも感じる。
 ある書物(それこそタイトルは忘れました)に面白いことが書いてありました。その種の「奇跡」は、非常に低級な動物の霊などが面白がって起こしている可能性があるというのです。
 
 人の心が読めた! とか、隠されている数字がくっきり浮かんできた! とかですね。いやしい動物の霊がいたずらしている可能性があるのにご本人が得意になって「自分は神に選ばれた人間だ」とエゴばかりふくらませていると、動物霊のいたずらに全面的に操られて次第に人格がゆがんできて最後は精神がおかしくなってしまうと注意が喚起されていました。
 その話を読んでから、自分はシンクロニシティが起きたときにもあまり大げさに考えすぎないようにしています。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.05.06 08:00

 私は占いという概念が昔から好きでした。信じる? 信じない? と二者択一みたいに迫られると返答に窮するのですが、長いこと伝わってきたものには何かしら「価値」があるはずだとは考えています。とくに易経だとか四柱推命だとか占星術だとかタロットだとか・・・長い歴史のあるものですね。まあ、普通の現代人(?)ぐらいにはその手の書籍なんかを読んできたのではないかと思います。
 占い師の方に見ていただいたこともあります。20代のころ、ある下町の高名な占い師に見ていただいたときにはこういうことがありました。
 
 名字と自宅の電話番号だけで予約をとってたずねて行ったのですが、席に着くなりいきなり「人相学的にはあなたみたいな人は塾の先生なんかをなさると人気が出ていいと思いますよ」と言われてびっくりしたことがあります。私は職業については最後まで隠しておくつもりでした。当時は長いこと教えていく自信も覚悟もなかったので、あえて「いろいろな仕事をしてきたもののどうもぴんとこないので、いったい自分はどういう方向性が合うのでしょうか?」と相談するつもりでいたのです。ひと目見るなり「塾の先生」と限定してきたのはすげえなと感じました。
 
 街角に立っている占い師さんに診ていただいたことも数回ありますが、そんなに真剣になっていたわけではありません。だいたいは友人と酔っ払って診てもらったりすることが多かった。
 30歳ぐらいのとき新宿駅の西口に当時ずらりと並んでいた占い師さんの中から特別いわくありげな先生を選んで診ていただいたことがあります。この先生は着ているものからして周囲の占い師さんと違っていました。手相を見てからおもむろに「あなたは53歳で成功します!」と言われ、がっくりきた。20年以上先じゃんかよー。
 
 いずれにせよ、占う側の感性の鋭さは大切ですね。ある占いの本にシロウトが個人でタロットカードなどで占ったとしても、その人自身の感受性が相当鋭くなければカードがいちばん示したがっていることさえ伝わらないだろうと書かれていました。そういうことはあるかもしれない。そのあたりは普通の勉強と同じです。どんなにいい先生に習ったところで、生徒側がぼんやりしていたら内側に残るものはほとんどないということです。授業に対する感受性が必要だと思います。
 
 私は占い関係のグッズをいくつか持っていて、たまにいろいろ遊んでみる(文字通り遊ぶ程度です)ことがあるのですが、変な札が出たときにはちょっとだけ気をつけようと考えます。事故に遭うとか健康がどうのということではなく、何かしら生きる姿勢について気をつけようかなと思う。
 こんなことを書いているのは、じつはいままた占い関係のグッズでほしいものが出てきたからです。そうした道具はちょっと高価なのですが、遊ぶという意味ではーー私にはーー申し分ないものなのですよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.05.05 00:23

 今日からまた仕事に復帰します。
 いつでもそうなのですが、私は自身の考えを人さまに押しつけたくはありません。それは家族に対してもそうで、息子にもこう考えないと「いけない」という伝え方はしてきませんでした。息子は人生に対して私とはまったく別の発想をしていて、それはそれでいいと考えています。私とまったく別の発想をすることで彼自身がちょっと苦しんでいるようなときもあり、アドヴァイスを求められたら話そうとは思っています。
 
 そもそも私は人間というのは2つに分類されると思っています。「自身の持ち物に心から感謝している人間」と「自身の持たない物に心底不満を抱いている人間」です。どういう考え方をしてももちろん自由なので、人それぞれでいいと思います。
 私は徹底的に前者であり、こうして生きていることに、家族を含め親しい仲間がいることに、仕事があることに、生活できる収入があることに、そこそこ健康であることに、ブログなどを書いたりする機会を有していることに、愛や慈悲の気持ちが自然に湧きおこることに心から感謝しています。
 
 持っているものはーー同世代から見ればーーむしろ少ないほうかもしれません。露骨な書き方をしてしまえば、数字になるものは間違いなく少ないほうだと思います。ただそのことにまったく不満はない。私は私が大切だと考えてきた豊かさを大切にしてきたつもりです。
 もう10年以上昔になりますかね。大変豊かなご家庭がありました。生徒ですよ。あるときあることでその生徒に手紙を書きました。おうちの方からすぐに丁重なお礼があった。「手紙はうちの家宝です」とおっしゃってくださった。
 
 わかりやすいお話というだけで、私は自慢したいわけではないのですよ。豊かなご家庭に「家宝」と呼ばれるぐらいのお手紙をさしあげられたのは、まぎれもなく私自身が豊かさを持っているからだと思いました。自分は大変豊かで恵まれている。それはまた私自身持っているものを心から感謝しながら生活しているからでもあるでしょう。持たないものに文句ばかり言っていないから豊かなのです。
 先日、ある生徒が遊びに来てくださった。高校1年生です。第一志望ではないところに進学した。ぎりぎり届かなかったので、私自身がくやしい気持ちを持っていました。
 
 ところが驚くほどすっきりしている。雰囲気ががらりと変わっていました。ご本人が「落ち着いた」と笑顔を見せていた。そして、どんなにいい高校かということをあれこれ説明してくださった。「いまがいちばん充実しています」という言葉には他の先生方もうなずかれていました。いい高校だということを後輩たちに伝えたくて来ましたとおっしゃっていた。担任の先生が今年度日本有数の国立大学に合格を出した先生で、その生徒自身がそうしたことを意識しはじめているのがわかりました。
 
 持っているものに対して感謝できるのは1つの習慣でもあるでしょう。たとえば今日の私の立場で言えば「あーあ、もう休みは終わりか」という考え方もある。「いよいよ今日からまたたくさんの生徒の役にたてるぞ」という考え方もある。
 すべては選択だと思います。習慣にすぎませんが、私は持っているものに常に感謝し続けてます。そのことでいちばん救われているのは私自身でもありますね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.05.03 09:48

 連休中、遠出をしてきました。ある書籍に謎の居酒屋が出ていた。JR線の最寄り駅から歩いて25分もかかる。あたりは住宅街です。そもそも駅にさえあまり人がいない。ところが何と、その居酒屋のまえには午後4時の開店前にぽつりぽつりと人が集まってくるのです。ぽつりぽつりがあっという間に10人以上の集団になる。今回は私自身がその中に混じっていました。
 いわゆるおじさんおばさんが多いですね。若い方はーーその時点ではーーどなたもいらっしゃらなかった。午後4時ちょうどにのれんが出てスタートです。
 
 びっくりしたのは、あるお客さんが入店時に「準備中」の札をひっくり返して「営業中」にしていたことです。おそらくいつもそうされているのでしょうね。はじめてなので、どうしたらいいのかよくわからない。お店の方(おそらくご夫婦だと思います)は何も注文を取りに来ません。
 周囲を見ていると、皆さん冷蔵庫から勝手に飲み物を取り出しています。そしてコップも勝手に持っていく。ははあ・・・という感じで自分もそうしました。私はいくつかあるテーブル席に座ることができました。
 
 自然木を使ったものなのかな、十条の有名店Sのテーブルに似ています。ところどころ穴があいたりしている。食べ物のほうはどうやって注文するのだろうと思ってきょろきょろしていると、皆さん何か紙に書いています。ほしいおつまみを書くのですね。
 かつおの刺身と白エビの揚げたものを書いた。で、奥さんらしき人に渡しに行く。私がどこに座っているのか確認はとれていないはずなのですが、そこはちゃんとわかるのですね。しばらくしてきちんと料理が運ばれてきました。
 
 なるほどと思ったのですが、料理の質が非常に高い。値段は明記されていないのですが、高くないことだけは事前に調べてあるのでわかっていました。それでこのレベルのお料理を出しているわけですから、たいしたものです。
 しばらくするとテーブル席に2人組のおじさんがやってきて相席になりました。席も案内はないので、ご自身で決めないといけない。おじさんは「すみませんね」と私に挨拶してくださったのですが、要するに1時間足らずで座敷も含めてだいたい埋まってしまっています。
 
 私は開店時からいるわけで、そろそろ出たほうがいいかなと考えて会計を済ませました。やはり安い。立飲み屋さんほどではないですが、それはそうでしょう。
 がらりと引き戸を開けて外に出てみるとまだ日が高い。夕方という感じすらありません。そこから大通りに出るまでどなたともすれ違わない。大通りを駅のほうまで歩いていってもやはりほとんど人影はない。あのお店の中だけ人口密度が異様に高いわけで、まあ不思議な感じが残りましたよ。夢だったような・・・
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.04.30 03:49

 子どもたちがときどき「お金持ちになりたいから将来何々になりたい」と無邪気に口にすることがあります。お金持ちになった「だけ」では思ったほど幸せになれないのかもしれませんが、わざわざ伝えなくてもいいのでしょうね。希望を持って生きよう、という姿勢がすべてです。
 ただお金持ちになれなくてもーーそれこそ苦しい生活になりそうでもーー物を書くことで生活したいとか、経済活動社会活動とはまったく関係なくとにかく書きたいと強く願う人間も存在します。
 
 その衝動はどこから来ているのか。
 漢文に「白亀」という話があります。私は漢文の専門家ではないので詳しくは知らないのですが、高校の教科書にも出てくるお話です。
 ある軍人がかわいらしい白い亀を飼う。大きくなったので逃がしてやる。その後、戦争が起こり軍人はよろいのまま川に飛びこまざるをえなくなります。溺死覚悟で飛びこむと、何と! 昔の亀が突然あらわれて背中に乗せて向こう岸に渡してくれる・・・簡単に書けば「亀の恩返し」です。あらすじは、それだけです。
 
 ところが最後がこうなっています。インターネットで検索したら書き下し文が出ていたので、なるべく正確に訳してみます。
 (亀は)頭を高くしてこの人(軍人のこと。「あえて」この人とだけ表現されています)を見、ゆっくり去っていった。流れの途中でまた首をまわしてこの人を見、静かに水にもぐっていった。
 軍人側の感謝の気持ちは一切書かれていません。また教訓めいた説明もありません。別れ際、亀が2回わざわざ「この人」を見たという事実だけが書かれています。2回に分けたのは非常に考えられていると思いました。
 
 そこには強い惜別の情が漂っています。どこにも「別れがつらくて」とか「恩を感じて」とは表現されていませんが、理解できる人であれば「わかるわかる、亀の気持ちも軍人の気持ちすごくよくわかる」とそれこそ涙ぐんだっておかしくない描写です。
 亀は喋れないから何も言えない。軍人はあえて喋らない。亀が2回「この人」を見たというのは描写のようでもあり、軍人の切ない認識のようでもあります。
 
 安っぽい涙や感謝の言葉が出ていないからこそ価値がある。書き尽くさないで何かを表現できる可能性は、やはりある種の人間の衝動を突き動かすものがある。大げさに書けば、生きていくことの救いや解放になるのですよ。
 お金になるならないはともかくとして、とにかく表現したいという人間はいなくならないでしょう。仮に生まれ変わった世の中でーー悲しいことに「物語」を書くことがすでに職種として成り立たなくなっていたとしてもーー自分はやはりひたすら書くと思いますよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.04.28 01:07

 とりあえず仕事は本日4月28日までで、明日から連休に入ります。教室も29日~来月の4日までは閉まるので、その期間はブログもお休みします。もっとも1日ぐらいは何か書くように心がけます。
 読んでくださっている方がときどき教えてくださるので、反応というか影響というか・・・何となく感じ取ることができます。楽しみにしてくださっている奇特な方(?)もいらっしゃるので、6連休は少し長すぎるなと思いました。
 
 ちょっといま調べてみたところ、3月のページビュー数というのが49520となっていました。訪問者数が17162。月によって変動があるのですが、毎月だいたいそんなところではないかと思います。
 ブログのさまざまなランキングは、あまり気にならなくなりました。あたり前のように書くだけですからね。上がったから書く、あるいは逆に上がったから書かないという選択や発想はないわけですよ。
 
 おとといは息子の借りる部屋のスペア・キーを作るためにあちらこちらうろうろしました。2本あり、何軒も「片方の鍵はいまはありません」と言われてしまった。取り寄せになるというのですがすぐにほしいということだったので、長時間うろうろして探し続けました。ある鍵屋さんの扉にーー結果的にそこで作ることができたのですがーー14時まで外出中と貼りだしてあったので、30分ほどあたりをうろうろしました。ふだん熟知している場所なのに駅の逆側に行ってみると改めてほほう・・・というお店が見つかったりする。
 
 きれいな古書店がありました。店頭に年代物の滝井孝作や木山捷平の色あせた単行本が飾られています。木山に関しては自分は以前全集を揃えていた関係で、その単行本がどれほど貴重なものかということがわかります。展示されている感じで値段は書かれていなかったので、ひょっとすると売り物ではないのかもしれません。
 展示されていた作家は他にもたくさんいらっしゃった。こうした「紙の書籍」そのものがだんだんなくなっていくのは複雑な気分です。
 
 物を書いて生計をたてるということがますます難しくなってきましたね。それでも書く人間は書きます。するとその人にとって「なぜ表現するのか?」ということが非常に大切になってくると思います。そのあたりを丁寧に考えていくことが、表現したい人間には生きる意味につながってくるのでしょう。
 もちろん言葉とは限らないですね。絵であったり踊りであったり音楽であったり、さまざまでしょう。ただそこであえて文字や言葉を使うのはなぜなのか。連休中に続きの記事を書きます。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.04.27 08:25

 20年ぐらい昔でしょうか、「料理の鉄人」というテレビ番組がありました。当時は自分もよくテレビを見ていまして、この番組もだいたい見たのではないかと思います。あるとき画面に自分の妹が出てきました。インドネシアでの収録があり、通訳として出てきたのです。
 簡単に書くと、私の妹はインドネシア語が得意であるということです。ただインドネシア語を話せる方は他にもたくさんいらっしゃるので、なぜ妹に依頼が来たのかはよくわかりません。
 
 何年か前、池袋教室で教えていた秀才Mくん(都立の最上位校から京都の国立大学に進学・・・って何大学だかばればれだな)がインドネシアに留学することになったときも、妹に声をかけてちょっと協力してもらいました。
 インドネシアには妹の知り合いがたくさんいて、彼女は日本で人を集めてインドネシアに連れて行ったり、逆にインドネシアで活動している舞踊団を日本に呼んで公演させたりというような活動をしています(ほかにもいろいろやっているみたいですが、くわしいことはわかりません)。
 
 その関係で、私も会ったことがあるインドネシアの方がいました。男性の舞踊家です。25年ぐらい昔になるのでしょうか。日本にいらしたとき何度か一緒にーーもちろん妹つきでーー食事をした。お酒を飲んだりロックバーをはしごしたりもしました。
 正確な年齢はわからないのですが、同世代で非常に思慮深く、私から見ると日本人に近い感じがしました。おそらく標準から見れば気難しい人間なのでしょうが、そういうところが逆に信頼できる感じもありました。ちゃんと考えている人だなということがわかるのです。
 
 と同時に、ちょっとはにかんだりするところが日本的だと思いました。私に向かって「インドネシアにはいついらっしゃいますか?」と質問してきたことがあり、私は「自分は日本からたぶん出ないと思います」と妹経由で答えたところ、なるほどという感じでうなずいて終わりました。どうして? とは問いかけてこない。そういう奥ゆかしさみたいなものを持っていました。
 今週彼が突然妹に連れられて教室に来ました。来日していて、少しだけ挨拶をという感じでいらしてくださった。
 
 教務の方が大丈夫ですとおっしゃってくださったので、その後妹夫婦とインドネシアの方2人と食事に行きました。途中で、あなた(=長野)のことはずーっと考えていましたと静かにおっしゃっていました。
 家庭教師の先生、渡欧していた昔の生徒、インドネシアのその人・・・というように今年に入って驚くような再会が続きます。「死期が近いのかも」という説もあるのですが、まあそれはわからないですね。ただ、生きているこの瞬間を充実させていこうとは思います。
 
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.04.25 00:16

 先日、息子がひとり暮らしをしたいと言い出しました。現在の勤め場所に近い吉祥寺に住むということだったので、それならそれでいいよと許可しました。許可というのも・・・相手はもう大人なのでおかしいかな。賛成したということです。
 本当はこのままでもいいのかもしれません。いま住んでいる西荻窪と吉祥寺はJR線でひと駅です。私も家内も息子の生活などにはまったく口出ししませんから、いまのままでもとくに問題はないのではないか。
 
 でも、そういうものでもないのでしょう。やっぱりひとりで暮らしてみたいと言い出した。彼がひとり暮らしをはじめるとなるとーー私自身のときと違ってーー掃除とか洗濯とか全然やらないのではないかという危惧はあるのですが、それはまた自由なのかもしれません。どれぐらいだらしないかというのも個人の自由だとは思います。
 犬が不思議がるかもしれないですね。どういう形であっても息子と犬は日に1度は顔を合わせていました。それが突然いなくなるわけですから、どうしたのかな? と不安がるような気はします。
 
 お祝いを少しあげました。長くそこで暮らすつもりなのかどうか私にはわかりませんが、とにかく部屋を借りたり引越し屋さんの手配をしたり、ぜんぶひとりでやっていてこちらに援助を・・・などとはまったく言ってきませんでした。ですから、純粋なお祝いです。
 私が夜中に帰ってくると息子は気づく範囲で「おかえりー」と挨拶してくれました。すでに休んでいたりするときは部屋の電気は消えたままです。寝た姿勢のまま「おかえりー」とだけ言う。
 
 小さいころから家族間でつねに挨拶だけは交わしてきました。行ってきますとかお帰りとかおはようとかおやすみとか。きっかけは記憶に残っていませんが、たぶん家内がはじめたのでしょう。気持ちが安らぐのでーー本当にそういう面は大きいですよーー私も必ず挨拶を返すようになりました。その「おかえりー」が聞けないと思うと、ちょっと寂しいですね。
 ブログに「あひる男」という記事を書いたことがあります。2011年の11月23日でした。
 
 あひるから電話がかかってきたとだまされていた幼児がついに独立か・・・と感慨深いものがありますね。まあ、終始応援していくだけですが。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.04.23 08:36

 善行と書くとちょっと違和感があるのですが、世の中それなりによい行いというものがあります。公道を掃除したりお年寄りに席を譲ったりという一般的なものもたくさんありますが、それぞれのお仕事におけるよい行いというのがありますね。そしてそれはまた細かく規定されていなかったりもするものです。
 お客さんの動向を注視していたほうが気づかないより「よい行い」に決まっていますが、たとえば働いていらっしゃる方が数人いる場所で、やたらと気づく方となかなか気づかない方が混在していたりすると複雑になってきますね。
 
 気づかぬほうが得ではないかという考え方が生まれてくる。同じお給料で仕事量をわざわざ増やすことはないじゃないかというわけです。
 飲み屋さんなんかでも注文を受けているのが特定の方ばかりという状況を目撃するときがあります。「すみません」という小さな声を良心的にみな拾ってしまう。ここは聞こえなかったことにしても問題ないだろうという場面でもとりあえず振り向いてしまう。
 先日も新宿のB(話題の立ち飲み屋さんは新宿店もオープンです)で獅子奮迅の大活躍ぶりを見せている若い女性を目撃しました。
 
 すごかったですよ。何となくぼんやりしている男性アルバイトの方に「こちらお願いします」とか「これ、運んでいただいていいですか?」と次々声をかけていく。本来は彼女がものすごく忙しいのですから、他の方が気づくべきなのです。
 私は、仕事における「よい行い」というのは地位や立場のこととか報酬のことなんかを考えていたら全然活性化されないのであって、それ以外の自己の魂の発露みたいな要素がすごく大きいのではないかと思っています。どんなきれいごとを並べても、結局のところは「その人」でしかない。「その人」が「その人」らしく生きている。
 
 そこまでは自分の仕事じゃないよと考えるのか、この程度のことは仕事以外の部分で助けてあげるのが自分の生き方だと考えるのか。お金になるならない。認められる認められない。世間が評価してくれるしてくれない。昇級するしない。・・・よけいなお世話だよ、自分はいいことをするのだ、自分らしく生きるんだという個人の主義思想はすごく大きいと思います。
 じつは息子の仕事にもそういう要素が出てきました。周囲の大人が何をアドヴァイスしてやれるかですね。偉くなるためにはそんなつまらないことより、もっと大事な何かがあるぞ・・・程度の「大人」が増えてしまったのが、世の中を痩せさせてしまった原因だと思います。
 
 点数や偏差値が1点でも高いほうがすごいという評価軸が、そのまま大人の世界に移行してしまうとこわい。世の中全体が子どもっぽくなっていますね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2018年05月   >>
    01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

新着記事

月別アーカイブ