2017.04.13 00:49

 お休みですので、臨時の記事です。
 Z会進学教室にはいろいろな先生がいらっしゃるのですが、橋野先生はダントツに有名ですね。昔からたくさん書籍を出版されていますし、Z会の映像講座やテレビコマーシャルにも出演なさっています。北海道とか関西とか、毎年全国で講演活動もされています。ふだんはお茶の水教室にいらっしゃるのですが、ときどき渋谷教室でもお話をお願いしています。
 対話形式の講演会は私も拝見させていただきましたが、とても面白かった。なぜ勉強するの? という橋野先生の問いかけに中学1年生の方が真剣に答えていらっしゃった姿が印象に残っています。
 
 いろいろな答えが出てきます。それはそうでしょう。なぜ勉強するのか? という問いかけはなぜ生きるのか? という問いに似ています。そう簡単に答えられないですよ。考え方は無限に出てくるように思いますし、実際にいろいろな答えが出てきます。
 それを橋野先生がまとめていく過程は圧巻でした。私は感心したのですが、どんな突拍子もない返事がきても先生は否定しません。なるほど・・・と引き受けて、その中から本当に大切な要素を瞬間的に抽出していく。その回転の速さは、ちょっと真似できないですね。
 
 その橋野先生の講演会が近々あるそうですので、ご紹介しておきます。
 
   http://www.zkaiblog.com/z-shingaku/59668
 (Z会blogの「Z会進学教室便り」の記事をご覧ください)
 
 世の中にいろいろ講演会はあると思いますが、橋野先生のお話の中にはすべての要素が包括されています。可能であれば、保護者の方とお子さんとご一緒にお聞きになると面白いのではないでしょうか。こういうの、あとで「あのことどう思った?」という感じで親子の会話にされるといいのですよ。ご覧になったもの、お聞きになったもの、お読みになったもの、すべて会話の材料になさってみてください。それがそのまま心の肥やしになってきます。
 
 橋野先生のお話がいくらよくても「ああいう感じでやっておけ」ではちょっとお子さんは寂しく感じると思います。それよりは「お父さんもなかなかできなかったぞ」とか「お母さんもああいう風にやっておいたら楽だったかなあ」とか、わざと盛りあげるのですよ。勉強のお話で盛りあがれる文化は非常に望ましいと思います。
 最後に、私と橋野先生とはけっこう親しいのです。北千住や大塚の名居酒屋にもご一緒したことがありました。先生はお忙しいのですが、またどこかでお誘いしようと思っています。
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2017.04.12 01:25

 学校でも塾でもそうですが、何となく通いづらくなってしまうことがあるものです。まあ、塾はいいとして、小学校中学校は義務教育ですからできることなら頑張ってくださったらいい。
 通えなくなるきっかけみたいなものばかりが注目されますが、じつはきっかけ以上に現時点の居場所のなさをつらく感じている子が多いですね。具体的ないじめがあるとかそういうことではなく、自分はどこにも所属していない! という疎外感。
 
 私自身がそんな感じでした。学校に通いながら何度もそういうことを考えたものです。男子校で生活していてーー学校自体は温かみのあるいい私立校でしたーー行事やスポーツ、部活動などがぜんぶ好きではないわけです。またいろいろな人とざっくばらんに話すのもあまり好きではなかった。さらに勉強だけはやらないと決めていました。
 すると長い休みには何をすればいいですか? スポーツはやらず部活はなく勉強はしない。どうすれば?
 
 長い休みの期間、私は自室でラジオばかり聴いていました。当時、FEN放送で1日中音楽(ポップス)を流していました。それをずーっと聴いている。聴いていてときどき録音したりメモをとったりする。深夜は以前も書いたように国内放送も聴きました。FENほどではなくても洋楽がかかります。
 ふだんの学校生活でも困るといえば困るのです。20分休みだとか昼休みだとか放課後だとか、自由時間が長くなるとやることがありません。他者と普通に話せることは話せるのですが、積極的に話したいとは思いませんでした。
 
 友だちがいても彼らは必ず何らかの集団に属していて、たとえば昼休みは大勢でサッカーに興じていたりします。その「場」が自分には1つもありませんでした。
 だれもいない教室で、さすがにラジオは持ちこみ禁止でしたからぼんやりと考えごとをしている。校庭を走り回るクラスメートが楽しそうに見えて、反感を抱くことがありました。所詮、あいつらはあの程度の憂さ晴らしで満足できるやつらなのだという倒錯した反感ですね。
 
 何が何だかわからないままにキルケゴールだとかフィヒテなどを読んでいましたが、とにかく自分はこちら側だという気持ちにはなりました。キルケゴール側。思想内容ではなく「深刻さ」という意味です。
 当時フランク・ザッパという先鋭的なミュージシャンが一般的な人間を「豊かな百姓たち」と揶揄している記事をミュージック・ライフ誌で見つけ、私は日記にもさかんにその用語を引用しました。友だちを「あいつも豊かな百姓に堕落した」と書いたりした。
 
 ある時期から、わかってもらえるかも・・・という幻想を払拭できたことが、最後まで高校に通えた大きな理由ではないかと思います。孤立はそう悪いことではない。面倒に巻きこまれないために校則にだけは従い、内実は好きなことばかりしていながらとにかく卒業証書までたどり着きました。
 本当の自分自身を見つけられたのは間違いなくあの孤立感からです。ごまかさなかったのがよかった。何が幸いするかわからないものです。あなたの迷いもまた確実に財産になりますから、勇気を出して日々の生活を整えてください。
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2017.04.11 01:16

 講習が終わったあと講習だけに参加してくださっている方(基本的には保護者の方対象)のために「報告会」を実施しています。本科生の方対象には別に「保護者会」というものが年に何度かあります。個人面談は、渋谷教室ではどなたでも基本的に何度でもお受けする形にしています。
 人数が少ない教室であれば報告会保護者会の日に個人面談までできてしまうかもしれないのですが、渋谷教室ぐらい大人数になると当日はちょっと厳しい感じです。
 
 ある先生が、こういう話をされていました。予定をきちんと書き出しておきなさいと。たとえば月水金が部活なら漠然とそう考えるだけではなく、紙に部活の日と記しておく。ピアノのレッスンが火曜日に入るのであればピアノと書いておく。塾が土日であればそれもきちんと書きこんでおく。
 表を作るといいですね。部活の欄、習い事の欄、塾通いの欄、それぞれ丸印でも入れておくといいでしょう。
 
 何となく忙しい・・・ではないのです。そうやって可視化する。すると完全に空いているのは木曜日しかないと明確にわかります。あとはぜんぶ学校以外も何らかの予定が入っている。自分の本当の自由になる時間は下校後の木曜日だけなのだということがはっきりわかりました。
 するとーーあくまでも勉強を優先して成績を上げたいと考えている方はーー木曜日は集中的に勉強しないといけないということになりますね。他の日は用事が入っているわけですからどうしたってそうなります。
 
 さらにピアノの練習なんかも少し多めに必要でしょうから、フリーな日こそ予定の管理を徹底しておかなくてはいけません。
 ところが人間というのは不思議なもので、予定がない日はひたすらだらだらしようとしたりします。今日は塾もピアノもないから仮眠したあとゆっくりゲームでもするか・・・みたいなことになってしまう。
 大人でもそういうことはあります。今日はスケジュール的に余裕があるからどこかでのんびり飲んで帰ろうかなとか。
 
 可視化するとじつは今日頑張るしかないということがはっきりわかります。どうしてもだらだらしたいのなら、今日はもう到底勉強なんか組みこめないよという他の日にゲリラ的(?)にやったほうがまだましですね。
 ついでにちょっとだけつけ加えておくと、塾の授業があった日の翌々日までに少しだけ見直しておくといい。上の例では土日を塾、余裕のある日を木曜日にわざと設定しましたが、土日の内容をまったく見ないままでは木曜日には大方忘れてしまっていると思います。少しだけでも見ておく。それが秘訣です。
 
 
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2017.04.09 02:11

 私は基本的に少し調子が悪いぐらいでは「調子が悪い」とか「体調不良」とか言わないようにしています。言霊というほど大げさな話ではないのですが、口にしてしまうと本当にそうなっていくという気持ちがあります。ですから、口先では(?)つねに絶好調です。
 一般的なお話として書くのですが、春のこの時期若干むりをしてしまうときがありますかね。春期講習で朝早くから授業を担当し、その後もひっきりなしに入会を希望してくださる方がいらっしゃったりするので、あまりのんびりできません。
 
 そのうえ家族が風邪(インフルエンザではないですよ)をひいたりして、ここのところちょっと疲れてはいました。そしてまたこういうときには攻撃的な気持ちが大切なので、先週の休みはあえて豊橋に行きました。家内には寝ていればいいのにと笑われました。
 ただどういうことになってもやはり行ってよかったとは感じています。雨の中、ひとけのない地方の橋を歩いた感傷みたいなものが、内側にじわじわ広がっていく感じがします。
 
 余韻とでもいうのでしょうね。
 私はふだん子どもたちに何かを教える仕事に就いているわけですが、この歳になって彼らに何かしら伝えるとき、ある種の人間的な「余韻」や「余情」が必要だということがわかってきました。
 たとえば簡単なルールがあるとしますね。彼らにそれを守ろうという気持ちにさせるのは、提案した人間の厚みではないかという気がするのです。こんな人の注意なんか聞かなくていいやと思われないだけの厚みですね。
 
 若いころはルールを守らせているのは、単純に提案者の厳しさではないかと考えたりしていました。もちろんそういう側面もあるのでしょうが、それだけでは底が浅いものになってしまいます。こわいから守る。それだけでは組織間でも個人間でも、組織と個人との関係でも弱い立場にある人間の内発的な成長は望めないように感じます。
 真の成長はやはりリラックスした状態で促進されるのではないか。そしてそこはやはり情緒的な要素が大きく関係してきます。情緒的な要素が呼応しあって、それ以外の部分も噛み合ってくる。それが理想ではないかと思っています。
 
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2017.04.08 07:12

 右側の「長野先生からの応援メッセージ」をクリックしていただくと入れるようになっています。すでに59回分記事を書きました。ただこちらは完全に勉強の話だけですので、家内や息子などは読んでいないと言っていました。ブログの記事はときどき読んでくれているらしいのですが、
 これから書くことは60回目の記事(書きかけです)と完全にかぶるのですが、ブログだけを読んでくださっている方のために残しておこうと思います。
 
 史上最年少でプロの将棋指しになった中学生棋士が話題になっていますね。藤井四段。デビューしてからの公式戦の連勝記録も塗り替えられたそうです。私がふだん見ている生徒たちと同じ年齢です。
 以前プロ棋士の方のエッセイを読んでいたら、奨励会時代は1日15時間ぐらい研究されたと書かれていました。日の光を浴びずに来る日も来る日も部屋に閉じこもって将棋ばかり研究していて体調が悪くなったという記事も読んだことがあります。それぐらい努力が必要だということですね。
 
 藤井四段も当然努力されたでしょう。不思議だったのは、藤井四段が難しい中高一貫校に合格されていたことでした。将棋の勉強が忙しくて、当然他の小学生のように塾に通う時間はなかった(実際、塾には通わなかったとインタビューにありました)はずです。いくら大天才でも、何もやらずに合格できるはずがありません。
 最近、いくつかのインタビューを読んでいて謎が解けました。藤井先生は小学校4年生ぐらいから毎日大人の新聞を熟読されていたそうです。
 
 1面をまず読み、次に社会面から順番に1日十数分読む・・・と書かれていました。新聞なんかまったく読まないという小中学生に比べて、どれだけの蓄積になるか想像してみてください。365日(休刊日はありますが)15分ずつ新聞を熟読するとしますね。文章量は問題集の10冊20冊なんてあっという間ですよ。
 アルコール依存症の患者さんの特集が印象に残っているともおっしゃっていました。プロ棋士をめざす小中学生にはそんな知識は必要ないとは考えないのです。好奇心から一生懸命読まれたのでしょう。活字を読む姿勢として王道ですね。
 
 スマホやパソコンは主に将棋のことを調べるときに利用されている程度だそうです。年がら年中触れているということはない。
 さらに好きな作家の名前を見て感心しましたよ。司馬遼太郎、新田次郎、沢木耕太郎とありました。いきなりそんな先生の書籍を手にとる中学生はいません。当然、子どもらしい物語をたくさん読んだ果てに至った「途中経過」であると思います。塾に行かず受験勉強していないように見えても蓄積が桁外れに違うのです。
 
 ちっとも読まないとか、スマホばかりいじっているとか、それは人それぞれの選択ですからとくに責める気持ちはありません。ただ本当にできるようになりたければ、大切なのは次の1点だけです。あなたの所属している文化圏はどこなのか。日々新聞を読むのが楽しくてたまらない人たちの仲間なのか。活字なんかかったるくて読んでいられないよという人たちの仲間なのか。
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2017.04.07 00:02

 現在つかの間の「休講期間」になっています。来週日曜日からは本科の授業がスタートします。授業期間に入ると、休みの日でもとことんくつろぐということがーー精神的にーーなかなかできなかったりもする。
 以前べつの教室にいたときのことですが、休みの日の夕方事務の方から「国語の先生が来られなくなりました」という連絡をいただいたことがありました。ちょうど風呂上りでビールでも飲もうかなと考えていたのですが、それどころではないですね。慌てて着替えて教室に向かい代講に入りました。
 
 そういう意味での落ち着かなさはあります。
 1つの考え方として休みの日は連絡がつかない状態にしておくというのがありますね。やはり以前一緒に働いていた方で、そうしているとおっしゃっていた方がいらっしゃった。周囲にもその姿勢は徹底しておくそうです。中途半端にすると返って混乱しますからね。
 それはありだなと思いました。勤めと休みのけじめをきちんとつける。ただ自分はそのあたり非常に「ゆるく」考えていて、休みにして教室に来たりするときもあります。
 
 どうあるべきかという話ではないのですよ。ハンドルでいうところの「遊び」の要素が少し多めにあったほうが人生は楽でしょう。生きることは管理された仕事とは別の部分がたくさんあります。自由さや突発的な可能性を残しておいたほうが、豊かさは確実に増していきます。
 前置きが長くなりました。休講期間連休はとれませんでしたが、昨日日帰りで念願の愛知県豊橋市の豊橋を渡ってきました。全長200メートルぐらいの大きな橋です。行って帰った。雨の中を往復しました。
 
 今回はそれだけが目的でしたので、あとは適当にうろうろしただけです。大通り沿いにA屋酒店という日本一(と自分で勝手にきめている)の立ち飲み屋さんがあるので、夕方20分間だけ寄りました。名居酒屋Cは腰を落ち着けていると遅くなってしまいそうでしたので、今回は断念しました。またどこかで(あまり行く機会もないですが)お邪魔しようと思います。
 豊橋は以前に比べるとちょっと元気がないような気がします。橋の往復、どなたもいませんでした。地方都市はこんな感じなのかもしれないですね。
 
 いずれにせよ、1人で遠くに行くのは非常にいい気分転換になります。今日からまた仕事ですが、こうした日をはさむかはさまないかでずいぶん違ってくるものがあると思います。ついに橋を渡りましたよ。
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2017.04.05 00:08

 以前、非常に頭のいい子から相談を受けたことがありました。「塾に通わなくていいように両親を説得してほしい」と言うのです。要するにご本人は塾に来たくない。それをご両親がむりに行けと言うのでつらいというのです。
 自分でいくらいやだと言っても認めてくれないので、先生から通わなくていいと説得してくれませんかと言う。私は「これだけの成績がとれているということは、勉強は嫌いじゃないんだな?」と質問しました。
 
 すると勉強は好きなほうだと思うが、塾に来てやらされるのに抵抗があると言うのです。好きなものだけをやっていたい。また本を大量に読みたいのに授業で読めないのが大変苦痛だとも語っていました。
 ここまではっきりしていなくても、教室で受験勉強させられることに向いていない方というのはいらっしゃるものです。たとえば身体を動かすのが大好きでつねに走り回っていたいタイプであれば、机の前に縛りつけられるのは苦痛でしょう。
 
 勉強そのものをしたくないという相談を受けることもあります。ご本人は入れる学校に進めればいいと考えている。勉強生活はサボりたいというわけではなくても、厳しい生存競争はごめんである。確かに優秀な方が集まる学校に入ったら、競争はますます激化するでしょう。将来、そんな日々を送りたいとは思わないと言う人がいてもおかしくないですね。
 ご本人が心底そう感じていらっしゃるのであれば、やはりむりはさせられないと思います。いやがる人間を机に縛りつけておくことはできませんし、むしろ逆効果でしょう。
 
 時期的なものもあるのです。「いま」はやりたくないというセリフが出てくることがある。やらなければいけないとは思っているものの、いまはやりたくない。そういうときに強制してもいい結果は出てこないと思います。
 向かないことを強制して心の病になってしまうという深刻なケースもときどき目撃します。勉強でも運動でも通勤通学でも、強烈にやりたくないことを強制するのはまずいい結果を生みません。
 
 とりあえず緊張している部分を少しゆるめてあげてください。解放ですね。いいよ、少し休んでごらんと認めてあげてください。同じ休みをとらせるのでも、こちらが「まったくどうしようもない」などと考えていると落ちつけないものです。ここはあなたの基地なのだからいくらでも休んでいいよと伝えれば、本人の内側からまた新たな力が湧いてきます。
 要するにバランスが崩れている。その崩れたバランスのまま「とことん前進せよ!」というのは上手なやり方ではないということです。
 
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2017.04.04 06:40

 犬がなついてきましたよ。こちらの姿を見ると飛びついてきます。すぐに手を噛むので困っています。もちろん本気で噛むわけではなく遊んでいるだけなのですが、だんだん歯もしっかりしてきたので痛いことは痛い。
 少し叱ったほうがいいと考えて「こらっ!」と怒るのですが、私自身のオーラに「怒り」みたいなものが全然ないので(今回、はっきり自覚しました)、叱るとかえって大喜びで周囲をくるくる駆けまわったりするので困りますよ。
 
 犬と人間はそうは違わないようにも見えますが、やはりずいぶん違うものだとつくづく感じました。以前飼っていたときはあまり深く考えなかった。それだけこちらも進歩しているのかもしれませんね。
 確かに生物体としてはそう差がないとは思います。痛い、寂しい、おなかがすく、はしゃぐ、寝る・・・そうしたことは大差ないように思います。では、大きく違うのはどういう部分か。
 
 やはり文化ということになるでしょうね。
 難しいことを考えているわけではないのですよ。たとえばーーちょっと汚いですがーー排尿とか排便とか。一瞬難しい顔をしたりしますが、すぐに終わります。あっという間に終わり。いまは部屋の中でシートの上にさせていますが、本当にそこには何の感慨(?)もないように見えます。
 しかし、人間のトイレタイムというのはそうではないですね。長いあいだトイレにこもっている方もいらっしゃる。
 
 もちろん人間も排尿や排便だけであればそんなに時間はかかりません。ただ排尿や排便の時間帯にほかのこともしている。ほかのことをしたいと考える。ほかのことをしているのが楽しい。そういう考え方もあります。
 詰め将棋が解けるまでトイレから出てこないと決めているなどという将棋仲間が昔いましたが、そうやって何かしら色をつけながらトイレタイムでさえ利用する。新聞や雑誌を読むという人もいますね。マンガを読むという人もいる。
 
 ものをじっくり考える人もいる。最近は男性でも便座に座って小用をたす方がいらっしゃって座っているうちにうとうと寝てしまったという話を聞いたことがあります。
 食事にしても犬は満腹に向かって一直線です。「ため」みたいなものがない。後半もっとおいしく食べるための箸休め的な「ため」ですね。ガフガフガフガフと食べてしまう。そのあたりの文化は大きく違うと思いました。・・・こんなことばかり考えているから、叱っても喜ばれてしまうのでしょうね。
 
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2017.04.02 06:27

 基本的にテレビを見ない生活を続けています。するとちょっとだけ皆さんがおっしゃっていることがわからないときがあります。「ちょっとだけ」ですね。
 私がはじめてテレビを見たのは1960年代でした。自宅にテレビがやってきた。近所の方がわざわざ見物に来ましたよ。家具みたいな大きなテレビでした。男の人が2人がかりで運びこんだ。当時は白黒放送ばかりです。電気屋さんがチャンネルを回し、ぼくどれがいい? と質問してきました。
 
 料理番組をやっていたのでそれがいいと答えたところ、男の子なのにこんなのが見たいのかい? と笑われてちょっとむっとしたことを覚えています。
 私が小学生から中学生にかけてーーつまり1960年代のーーテレビ番組は信じられないほどメチャクチャなものが混じっていました。それも実際の中継だったりするわけですよ。中継中に信じがたいような事故(?)が起きる。それがそのままお茶の間に流れてしまう。笑えないような事故もありました。
 
 すごく印象に残っているのが、どこかの国から毒ヘビ(大蛇でした)が来たという番組でした。ヘビ使いの外国人が舞台の上で慣れた手つきでヘビを扱う。観客はわーわー騒いでいます。アナウンサーは本当に危険なヘビなのですというようなことをさかんにあおっていました。私も緊張して画面を見つめていました。
 するとどうしたことか、突然ヘビがヘビ使いの腕を噛んでしまいました。白黒ですから黒い血が流れ出るところが見えました。アナウンサーは「あっ!」と叫んだ。
 
 猛毒のヘビなのですよ。ところがヘビ使いは全然慌てた風はなく、白いクリームみたいなのを腕に塗って処置はおしまい。そのまま舞台は続いていきます。アナウンサーは困り果てて「何と! この薬を塗れば猛毒もこの通り大丈夫なのです!」とわけのわからないことを賞賛していました。
 要するにヘビの毒は抜いてあったのでしょう。そもそも毒ヘビではなかったのかもしれません。子ども心に「いい加減なものだな」と思いました。
 
 他にも力自慢なのに用意した俵が持ち上がらない人とか、数字を暗記できますと豪語していたのにいざやらせてみたら全然覚えられない先生とか、奇跡の映像に出てきたのが見世物小屋の蜘蛛女だったとか、いまだったらどなたかが責任をとらされそうな内容のものがたくさんありました。黎明期ということなのでしょうね。コマーシャルも含めて、未開の力強さ(?)みたいなものがありました。
 
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2017.04.01 00:14

 面白くも何ともない教訓めいたことを書くのははばかられるのですが、こういうことは年寄り(?)が発言しておくべきだという気もするので、ちょっとだけ書いておきますかね。
 豊かさというものはなかなか勘定するのが難しい。世間ではすぐにお金に直結させようとします。お金があるからあの人は豊かである。お金がないから自分は豊かではない。そんな会話が飛び交っています。それが間違っているというわけではないですよ。
 
 ただ、豊かさというのは数値に表せるものだけだとは限りません。
 先日、朝のバスで偶然息子と一緒になりました。講習期間は私も早いのでそういうことが起こり得るのです。ただ息子が勤務しはじめてから丸1年間ではじめてのことでした。
 バスは混んでいたので、私たちは目で合図し合っただけでした。終点の駅に着いて息子は先に下りていきました。私は後部座席の左端(いちばん好きなところ)に座っていたので、下りるのはかなり遅くなりました。
 
 見ると、息子がバスの脇で私を待っていてくれたではないですか。結局、渋谷まで彼と話しながら一緒に来ました。彼はさらにうんと電車を乗り継がなければなりません。「おれはここでやっと半分だよ」と笑顔で歩いて行きました。
 非常に豊かな気持ちになりましたよ。お金がどうのこうのという話では全然ありませんが、この出来事があったことであるいは息子の振る舞いによって、私の豊かさが飛躍的に増したことだけは事実です。
 この種の豊かさについて、私たちはもっともっと意識的に味わうべきだと思います。
 
 仕事場でもそんな話になることがあります。教室の目標というのはそのときどきで決められます。到達できることもあるし、できないこともある。到達できたから豊かであると決めつけるのは数字だけの問題で、通っている生徒、通わせて下さっている保護者の方、また一緒に働いている仲間たちーー先生や事務の人間だけではなく出入りの業者さんまで含めてーーどれだけ満足できているかどうか。それこそ豊かさであり、働く仲間が疲弊する状況では目標に到達できてもむしろ貧しいのではないかと考えています。
 
 私なんかこの歳になると生きてこられたことに対する感謝ばかりで、お金もないよりはあると助かるのだが・・・程度です。明確な夢もありますが、ほとんど金銭に反映してくる内容ではありません。それでも夢は夢です。叶ったら、とてつもない豊かさを感じるでしょう。儲からないから夢には相当しないという気持ちはありません。
 子どものころ海辺で珍しい貝殻を拾って宝物にしていた。その種の感動を人生から失ってしまうのは、ちょっともったいないことではないでしょうか。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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