2017.08.05 00:06

 だらしなさが疲労感を運んでくるという事実に気づいていますか。ぴりっとしない精神状態がだるさを運んでくるのです。これはもちろん道徳的なお話ではありません。そもそも私自身がだらしない人間であり、そうした生き方を否定するものではまったくありません。
 ただ「疲れた疲れた」と嘆く生徒が多いので、疲れたくないのであればぴりっとしたーーだらしなさとは真逆のーー精神状態を維持しなさいとしか言いようがない。
 
 学校でも職場でもそうですが、恋をしているときは皆さんいきいきしています。いい意味で、精神的に張りつめているからです。お相手の方に好かれようと身なりはきちんとしている。動作もきびきびしている。勉強も仕事もまるでだめでは相手の方にあきれられてしまいますから、それなりに努力している。そういうときはなかなか「ぐったり状態」にならないものです。朝から晩まで活発に活動していても、だるくてだるくて何もできない・・・という疲労は感じないでしょう。
 
 だからといって、いきなり恋をするわけにもいかないですね。
 身なりをきちんとすることはできます。面倒臭いから髪なんかとかさなくてもいいだろうではなく、念のために鏡を見てください。着るものにしてもあなたに似合うものを着崩さずにきちんと着ましょう。新しいTシャツに腕を通すだけでも人間気分がよくなるものです。
 カバンの中をきちんと整えてください。テキストの向き、ノートの向きはどうなっていますか。筆記用具は整理されていますか。消しゴムは? コンパスは? 底にほこりがたまっていませんか?
 
 辞書や地図帳なんか教室で借りればいいやという発想自体がだらしないと言えばだらしない。わかっているのにわざと持っていかない。たった何百グラムですよ。先生には持ってきなさいと言われたのに、まあ持っていかなくてもいいだろうと勝手に決めつけてしまう。
 体力がある10代がたった数百グラムを厭うところがすでに負けているのです。それが疲労感を呼ぶ。こうしたことがわかるかどうかですね。一生の話です。
 
 一生、そのときどきの数百グラムを嫌がって道を誤る人がいる。そのあたりはじっくり考えてくださったらいいと思います。
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2017.08.04 00:08

 よくご当地グルメが話題になりますね。そういうの興味があるのですが、案外旅行しても食べていません。以前も何度か書いた愛知県豊橋市には先祖のお墓があり、ときどき寄ることがあります。豊橋市は町おこしのために10年ぐらい(正確ではありません)前からカレーうどんを売り物にしています。豊橋カレーうどん。
 カレーうどんの下からご飯が出てくる(!)変わったものなのですが、前から食べたいと思いながら1度も食べずに今日まできています。
 
 毎回、今回こそ食べようとは考えるのです。考えるのですが、どうしてもカレーうどんを食べるコンディションにならないのです。体調不良とかそういうのではないですよ。このタイミングでカレーうどんを食べるのはどうなのだろう? と考えて、毎回見送ってしまう。10年近くもそうしてきたということは、これはもう・・・食べる機会はないと考えたほうがいいのかもしれません。
 書いていても不思議です。アルコール類を飲んでいない昼に食べればいいとも思うのですが、なぜかうまくいきません。
 
 名古屋に「ひつまぶし」という食べ物があります。うなぎの蒲焼を細かく切ってご飯にまぶしたやつ。いまは有名ですから皆さんご存知だと思います。名古屋のガイドブックにはひつまぶしのお店がたくさん紹介されていますね。
 30年ぐらい昔はいまほど情報がなかった。そのころひつまぶしというものを偶然知って、私はぜひ食べてみたいと思い名古屋に行きました。ひつまぶしで有名なうなぎ屋さんが情報誌に載っていたので、地図を調べてわざわざ入りました。
 
 当時もこういう仕事をしていたので・・・あれは受験が終わった直後だったのではないかな。何ということのない平日の夜に行った。すると店内は家族連れでにぎわっていました。観光シーズンではないので地元の方ばかりです。
 周囲を見ると、皆さん普通のうな重やうな丼を食べています。値の張るひつまぶしを食べている方はいらっしゃらない。やがてお盆の上に大量にいろいろなものが乗った軍艦みたいなすごいセットが運ばれてきました。こりゃ大変なことになったと思いましたよ。
 
 周囲の、とくに子どもですね。いっせいに騒ぎ出した。「ママ、あれなーに?」「ねえねえ、見て見て!」「あれ、ひとりで食べるの?」
 親は親で「だめよ、座ってなさい」とか「指ささないでちょうだい」とかお子さんを注意している。私がひつまぶしを食べ出すと、遠くの席の子どもが立ち上がって背伸びしてこちらを見ています。
 顔を上げると皆さんと目が合う。好意的ににこにこしてはくださるのですが、公開食事みたいな感じで恥ずかしいことこの上ない。
 
 最後にお茶漬けで食べるようにお店の方には言われたのですが、ここでお茶なんかかけたら店内でいっせいに拍手が湧き起こるのではないかというような恐怖感で、珍しく(私は食べ物は残さないようにしています)最後まで行き着くことができずに残してしまいました。
 考えてみれば名古屋にこれだけ行っていながら、味噌カツもエビフライも天むすも喫茶店のモーニングも食べたことがありません。いつもビールを飲みながらポテトサラダを食べたりしています。こりゃだめだな。
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2017.08.02 00:18

 昔、名人までのぼりつめたある棋士がこういうことをおっしゃっていた。タイトル戦に挑戦者として名乗りをあげたときの談話です。タイトル保持者は当時棋界の最高峰の棋士でした。ところがその挑戦者は相手は関係ないという。相手は関係ない。戦型も関係ない。勝負はそういうところでつくものではない。あとを読んで、なるほどと思いました。自分がどうであるかだけなのだと。要するに自分が圧倒的に将棋が強ければ誰にでも勝つ、それだけが問題なのだというのです。
 
 だから自分のコンディションとか棋力とかを「最強」にもっていくことだけを考える。結局そのタイトル戦自体は接戦の末敗れてしまったのですが、のちのち名人になるような人間は深いことを考えているものです。相手の弱点がどうの、得意戦法がどうのとおろおろしているようではホンモノではないということでしょう。
 子どもたちに接することも、これに似た要素があるような気がします。この子はどこの中学だとかあの子はどういう性格だとかやたらと分析するより、自分はどうなのかという視点のほうがはるかに大切だと感じます。
 
 相手によってあれこれ態度を変えているようではーー瞬間的には効果があってもーー所詮は「その程度の人間である」ということです。普遍性がない。それはもちろん子ども側からもよくわかります。そのとき「この人は信頼できるからついていこう」と心底考えてもらえるものかどうか。
 現在の私は相手が小学生でも中学生でもあるいは卒業生のアルバイトの方でも、そんなに態度を変えることはありません。つねに一定の慈しみの気持ちを持って(昔はこれができなかった)接しているつもりです。
 
 子育てしていくうえでいちばん大切なことはお子さんにどう対処するかということではなく、育てている私たちがどの程度の人間であるかということです。私たちのレベル(という呼び方はちょっと抵抗もありますが便宜上使わせてください)が上がれば上がるほど、子どもたちはこちらを尊敬します。立派な人の言うことだから聞いておくかという自然な感情も芽生えるでしょう。
 ところが、往々にして大人は子育て本のノウハウみたいなものだけに頼りがちです。自分を高めることはせずにノウハウで何とかしようとする。
 
 それは無理のないことでもあるのですよ。ノウハウの提唱者は皆さん「これだけで大丈夫!」「奇跡の天才児に!」みたいなことばかりおっしゃいますからね。
 ただノウハウはともかくとして、自己の向上ーーより自分らしく、より愛情深く、より公平に、よりおおらかに、より世の中の役にたつように、より人間らしくーーを意志する人間ほど魅力的な存在はありません。彼らはこちらの人間性をじーっと見ています。
 自己の完成を目指す過程でお子さんともうまくいくようになってくださるのがいちばんです。そしてそれがまた何よりの近道でもあるのです。
 
 大人が、子どもに尊敬されなくてどうするのかということです。尊敬しない子どもが悪いのか、尊敬されない大人が悪いのか。
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2017.08.01 00:54

 今年のお盆期間の休室日(教室自体がお休みになる日)は8月10日~13日までです。これはあくまでも私の勤務するZ会進学教室(首都圏高校受験中心)の休室日ということで、ほかは違っていますからそれぞれのお休みの日はきちんと確認なさってください。
 そういうこともじつはとても大切です。ときどきお休みの日を勘違いして腹をたてたりしている生徒がいるのですが、仲間が全員間違えないのに自分だけが間違えてしまうのだとしたら、そこに何か課題があると考えるべきです。
 
 みんなができることができないというのはこれから先いろいろと考えるべきことが出てくるでしょう。10代の皆さんであれば、できれば他のみんなと同じことができたほうがいい。「いい」というのは道徳的な意味ではなく、そのほうが楽に生きられるということです。わざわざむりに余計な苦労をすることはないわけで、難しい問題ができたから計算や漢字はたくさんミスしてしまったけどまあいいや・・・という発想では、合格点に届かないものです。
 
 みんなができることは問題なくこなせて、そのうえで特別なこともできるというのが本当のエリートということになるでしょう。
 ただーーここからは個人的なことを書きますーー私はそういう考え方を選択してきませんでした。私自身、自分のよさはあまりにもいろいろなことができないことの補填作用の中にあるような気がしていました。これもできない、あれもできない、その果てに何かしら個性や価値みたいなものが醸成されることがありますね。その自覚があるので、あたりまえのことをわざとできないままにしておきたかった。
 
 昔、こういうことがありました。
 小説を発表していたころのことです。何人かの方にもっと積極的にアピールしたほうがいいということをアドヴァイスされました。編集者さんに今回送った作品はどんな感じですか? 掲載されそうですか? ボツになるのであればどういう理由ですか? ときちんと交渉するべきだと言われました。
 だめならだめでまた新しい作品を書けばいいだけの話で、とにかく新人なのだから積極的に動きなさいと。
 
 道理ではあるなと思いました。ただ私にはそういうあたりまえのことが生まれてから何もできないから小説を書くようになったのだという気持ちがありました。口べたで人間関係が苦手で交渉ごともまともにできないから黙々と紙の上に表現しているのだという誇り(?)があった。
 ですから「お世話になってまーす。ところで送った作品どうスか?」みたいな人間になってしまったら大変だという気持ちがあり、徹底的に消極的に生きいくつものチャンスをつぶしてしまったと思います。
 
 私はそれでいいのです。正直に生きたということですね。損得で言えば損ですが、私はそれでいいのです。人さまには薦めませんが。
 
 
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2017.07.31 00:19

 いろいろな意味で疲れてしまったら、しばらく休んでください。休むことは非常に能動的な行為です。休むことを消極的な姿勢と考えずに、積極的な準備期間だと思ってください。後日の大活躍に変えていくことが十分可能です。
 場合によってはただ寝ているという日もあるかもしれません。ひたすら好きなことーー生産的なことでなくても構いませんよーーだけをしている日もあるかもしれない。それでいいと思います。私も1日中ネット将棋を指していた日がありました。
 
 そうした過ごし方ももちろんあっていいのですが、自分を再生させるために時空間を有効に使う知恵もまた大切だと思います。それこそ旅をするとか、遠くまで散歩に出るとか。映画を鑑賞する。美術館に行ってみる。神社仏閣をめぐり歩く。憧れている人物の伝記(エッセイ)を読む。尊敬する人に話を聞いてもらう・・・
 重みのある時空間で何かを感じることは自己再生につながります。自分はこうだった、こうなりたかった、こういう夢を持っていた、こんなことでつまずいている人間ではないはずだ・・・それは「リセット」に近い感覚かもしれませんね。
 
 周囲も接し方には気をつけられるといい。疲れていると人間誰しも自暴自棄になりがちです。それは疲れが運んでくる要素であり、その人の本質とは違います。あまりにも疲れているので捨てたくなるだけです。ご本人も混乱のきわみにあり、何が何だかわからなかったりしますから「それは疲れの影響であって、あなたは本当は捨ててしまうような人ではないから安心して」ということは伝える必要があるかもしれません。
 昨年だったか、勤めはじめた息子がもう会社をやめたいと言い出したときがありました。
 
 やめないほうがいいというのは理屈であって、理屈は精神的な疲労のまえではまったく意味がありませんね。極端に疲れて眠りそうになっている人間に、このタイミングで眠るのは人間としてどうなのかなどと注意しても、そんなことわかっているけど死にそうに眠いんだからどうしようもないじゃないか! と反発されるだけでしょう。
 まず落ち着いた雰囲気作りを心がける。何でも話せる時空間ですね。息子には「やめたければやめてもいいよ」と言った。反対されなかったことで、気持ちが楽になるでしょうから。
 
 仕事はどうなろうとも生きていればいいこともたくさんあるだろうし、世の中の役にたつこともいろいろ出てくるだろう。そんなことだけを話しましたかね。疲れさえ癒えればどうにでもなる。自己再生のためのキーワードは「魂の洗濯」です。
 大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください。あなたの本質を軽く見てはいけません。それは世界の財産です。わかりますか? あなたが再生することが世界の財産なのです。
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2017.07.30 07:29

 先日、仲間と都内にあるオシャレなビアガーデンで飲みました。そこには「飲み放題」セットというのがあった。「70分間すべてのドリンクが飲み放題です」と説明され、それでいこうということになりました。
 食べ物は適当に選ぶことにしました。席自体は90分間いてもいいということでした。入れ替え制になっているのです。
 私がふだん行くようなシブいお店には、飲み放題というシステムがありません。ちょっと落ち着かない気分になりましたよ。
 
 ほかの皆さんは落ち着いているのです。おそらくその種の経験が豊富なのだと思います。もちろん私にしても「皆無」というわけではありませんが、ここ何年もそういう場で飲んだことがありません。
 そういう状況下でこそ人間の質が如実に出ますね。恥ずかしながら、私は時間内にたくさん飲まないとすごく損だという気分になりました。で、あっという間にジョッキのビールを飲み干してしまった。慌てているのです。
 
 あれ? ずいぶん早いですねと向かいの方に声をかけられて、ちょっとだけお代わりにいくのを躊躇しました。躊躇しましたが、頭の中に70分70分・・・と持ち時間がちらついてくる。ま、いいやと誰よりも先に席を立ちました。
 ビール、ハイボールと進んでいくうちに「持ち時間70分だとしても残りの10分ぐらいはないものとして考えなければいけない」という変な考えが湧いてきました。将棋の持ち時間じゃあるまいし、そんな発想はおかしいのですが酔っているせいもあってどうしてもそう感じてしまう。
 
 10分前に終わるということになると・・・時計を見ると加速度的に時間が進行していて、そろそろ45分になります。これはもう将棋で言ったら(飲み会を対局に例えること自体がおかしいのですが)秒読みじゃないかという気分になり、いつもと違ってがぶがぶとハイボールを飲み、もう十分なのにさらにお代わりに突撃しました。
 途中でどなたかに「今日は大人しいですね」と言われた記憶があります。秒読み状態なのにおちおち話なんかしていられんという切迫した精神状態でした。食事は全然慌てずにすんでいるのは、食べ放題ではないからでしょう。
 
 結局、何が何だかわからないぐらい酔っ払ってしまったのですが、あれが普通の飲み屋さんであればマイペースで飲めたわけで、まったくもって人間ができていないと痛感しましたよ。10年以上昔ある教室で火災報知機の誤作動があり、慌ててぜんぶ放り出して逃げてしまった先生(いまはもういらっしゃらない)がいて呆れたことを思い出したりしました。そういうところに本性があらわれますね。
 まあ、この程度の人間だったという自覚を持って、慎重に生活することにしますよ。
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2017.07.29 00:07

 何でもいいのですがたとえばどなたかがレスラーになりたいとしますね。すると何をしなければいけないか。あたりまえですが、相当身体を鍛えないといけないでしょう。しかもレスリングについての深い知識や経験が必要になります。当然、どなたかに習わないといけませんしご自身でも大変なトレーニングを積まないと。
 ましてチャンピオンになりたいということになってくると・・・それこそ全生活をレスリングに賭けないといけなくなるでしょう。血のにじむような努力を重ねてもチャンピオンになれる保証はありません。
 
 レスリングを例にあげましたが、何でもそうですね。その道で一流ということになってくると、全生活を賭ける必要が出てくる。スポーツに限りませんよ。棋士になる。プロのミュージシャンになる。建築士になる。芸能界で活躍する。
 どの程度になりたいかということはご本人が決めないといけません。世の中には「何ちゃって」料理人や「何ちゃって」会社員みたいな人がいることはいます。それを否定するものではありません。私なんかも「何ちゃって」先生程度かもしれません。「何ちゃって」スタイルでも生活はできるでしょうが、どこまでのぼるかということはあくまでもご本人が決めるべきだと思います。
 
 志望校がものすごく高い場合、当然「何ちゃって」受験生では受かりません。こういう書き方をするとすぐに志望校にふさわしい勉強ができるかどうかということだけを問題にしがちですが、勉強だけを見すえてもうまくいかないように思います。そうではなく、その志望校にふさわしい人間であるかどうか。それを判断基準にしてください。
 これまたすべてに言えることです。素敵な異性を好きになったら、次に考えなければならないことはあなたはその人にふさわしいレベルの人間なのかどうかです。運さえよければ・・・などということでは続かないですよ。
 
 志望校が「社会のリーダー」を求めているのであれば、あなたが考えなければならないことはあなたがいまの立場でリーダーとして生きようとしているのかどうかです。私自身はどちらかというとそういう考え方をしてきませんでしたから、必ずしもリーダー的な人間だけを高く評価しているわけではないのですが、少なくともその高校が「社会のリーダー」を目指す人間に来てほしいと高らかに宣言している以上、あなたは自分をそういう存在に創り変えていくしかありません。
 
 志望校とかなりたい職業とか明確にある場合は、自分の器をそちらに近づけていかないとだめだということです。勉強だけではだめですし、成績を上げる工夫だけでもだめです。あなた自身の波長を志望校の波長に同化させてください。私たちは自分と同じ波長の現実を経験します。全細胞、全時間を希望するものの波長に合わせる。そういうことがじつは大切だと思います。
 
 
 
 
 
 
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2017.07.27 08:09

 ときどき動画というのを見てみることがあります。一般の方が投稿されているものですね。はじめは飲み屋さんを探訪するものなんかを何となく見ていたのですが、じつに興味深い動画もあることがわかってきました。
 トラックの運転手さんがトラック内であれこれ煮炊きしてご飯を食べる動画というのがあります。1人の運転手さんだけではなく、複数の運転手さんが投稿しています。
 
 厨房があるわけではないですから市販のものをあれこれ活用するのですが、そこにひと手間加える。何となく得意そうに加える。微笑ましいというかいじらしい(?)というか、なるほどと見ていて感心しますよ。
 先日はモツ鍋を作っている運転手さんがいました。市販のものにあれこれとーー野菜なんかをーー加える。真面目な顔で解説をつけながら作業していきます。ご飯を食べたあとでしめにうどんまで作っていました。コメント欄を見たら、やたらとその運転手さんのシブい容姿を称えるものが多かった。
 
 若い運転手さんは自作のラップを披露していました。その運転手さんは食後のコーヒーまで豆から挽いて作っていましたよ。本格的なドリップコーヒーですね。ほかにも何人もの運転手さんの動画を見ました。
 コメント欄に返事を書かれている運転手さんもたくさんいました。多くの方が「楽しんでいただけてよかったです」という内容のコメントを返されていました。この「楽しんでいただけて」という部分は、やはり人間でなければ出てこない着想ではないかと感じます。
 
 はじめに漠然としたそういう感情があるのでしょう。はじめからいやがらせがしたいという方はーーよほど抑圧された生活を強要されていないかぎりーーあまりいらっしゃらないと思うのです。何かしらよいことがしたい。人を喜ばせたい。お金になるかどうかはとくに考えない。
 そのときどういう表現方法をとるかは人それぞれなのだと思います。その1つとして食事の光景を伝える。しかも特別な環境下でどんな工夫をしているかということを表現したい。人間しか持てない感覚だと思います。
 
 他にもやたらとたくさん食べてみせる方とか背後にある狙いが何かはよくわからないものの切迫した感じで食べる方とか、いろいろな形の表現方法があるものです。
 いずれにせよ、自己を表現したいという欲求を人間は持つわけですね。それが人間を他の動物からはっきり区別しているように思います。
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2017.07.26 08:03

 実話なので、ぼかして書きます。
 ときどきご相談を受けることがあります。先日もそういう機会があり、ある生徒と保護者の方が教室にいらっしゃった。学校成績が抜群(ほぼオール5)でしたので、お話の流れによっては夏期講習にお誘いしてもいいのかなと考えました。基本的に強引な勧誘は慎むようにしていますが、この子なら授業を面白がってくださるだろうとも考えたのです。
 女の子でしたが、落ち着いた独特のオーラが漂っていました。
 
 通信添削をなさってくださっているというお話でした。いろいろと話していくうちにこの生徒がよくできる理由がわかってきました。机の上の勉強だけをしてきた子ではないのですよ。
 ときどき勉強ひと筋・・・という子がいます。それだってりっぱなことですが、どこかしらひ弱な感じが否めなかったりするケースがないこともない。たとえば、入室すべき部屋がどうしてもわからなくて訊いてくる。渋谷教室は約10部屋(高校受験部だけでも)ありますから、はじめての方は迷うかもしれません。
 
 しかし各教室の上には大きく部屋番号が書かれているわけで、ほとんどの生徒ははじめてでも冷静に自分の教室を見つけて入っていきます。それがむしろ当然なのです。ところが、いつまでもおろおろしている。もちろんこの部屋だよと連れていきますが、じつはこのあたりの処理能力は勉強ができるようになるために非常に大切なのです。
 話をもどします。私がちらりと塾も面白いよと誘うと優等生は「自分の時間がほしい」とおっしゃった。
 
 お母さんがうれしそうに笑いながら、この子はお料理が大好きで毎日(!)作っているのですとおっしゃいました。「けさも仕込みをすませてきたんです。ものすごく手際がよくてびっくりしますよ」さらには野菜をたくさん育てたり、釣りに行って自分で釣ってきた魚をさばいたり、すごくいろいろなことができるのだとお子さんを見ながらゆるやかに褒めています(わざとお気持ちをお子さんに聞かせていたような感じがしました)。
 諸活動の時間を確保しながら勉強は通信添削でやりたいとおっしゃるので、私も彼女のケースは受験勉強という観点からも現在の生活を崩さないほうがいいと考えました。
 
 彼女はある職種につきたいと希望を口にされた。お母さんは興味のある活動を熱心に続けていけば何かしらいいお仕事があるのでは? ぐらいに考えていますとおっしゃっている。おうちの方の、おおらかな人生観に包まれて伸び伸びと活動してきたということなのでしょうね。
 手際よく料理が作れるとか自分で釣ってきた魚を上手にさばけるとか、その種のたくましさは人生における財産だと思います。勉強の力も所詮人間力の一部ですから、たくましく生きている方のほうが有利に決まっていますね。
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2017.07.25 07:19

 遠い昔、徐々に心を病んだ友人がいました。かなり重くなった。私たちは親しい関係であるということになっていました。同性ですよ。親しい関係ですから、おかしい状態になってからも頻繁に電話がかかってきます。当時私は家族と一緒に暮らしていたので母親が出ることがある。すると変なことをたくさん喋ってしまう。
 変なことというのは私自身の秘密ですね。彼が心を病んでいない時代は普通の友人としてとくに用心もせずに、あれこれ話していましたから。
 
 異性のことなんかも話してしまう。悩みなどをお互いにあれこれ語りあいましたからね。そういう話を次々と暴露してしまう。母からちょっと聞いたところでは「あの女はろくな女ではありません。なぜなら・・・」と余計なことを大量に話している。
 困ったなーと思いました。これが身体的な病気であれば、関係を解消するという発想は起きないのですが。心の病ですから要するに人格的に違う人間になってしまっています。するとそもそもなぜ友人でいなければならないのかよくわからなくなってくる。
 
 どう考えたものだろうと20代半ばの私は迷いました。結果的にこのままこの相手に一生つきまとわれて、あちらこちらで秘密を暴露されてはたまらないと考えた。そして、関係を解消することにしました。わかりやすく書けば「絶交」ということです。
 まあ、かなりあいまいにやりましたけどね。しばらくは何も感じなかったのですが、歳をとってから、あの判断は本当に正しかったのだろうか? とさかんに考えるようになりました。正しくなかったとしても、もはや訂正はきかなくなっていました。彼はもうこの世にはいないからです。
 
 何かしらやり方というか接し方があったのではないかとも思いますし、ああいう電話ががんがんかかってくる過程では緊急避難的に絶交するのもやむをえなかったかなとも思います。
 私が残念に感じるのは、自身の人間に対しての理解がいまぐらい深ければ対応は自然と変わっていただろうということです。私が昔の自分より少しはましになってきたのは、賢くなったからでも知恵がついたからでもなく、単純に人間というものを以前よりは理解できるようになってきたからではないかと思います。
 
 何かで迷ったときに私はブッダならどうするだろう? と考えるクセがついているのですが、それは仏教に対しての傾倒ではなく、人間というものをブッダほど深く理解した人物はいないのではないかと感じているからです。すべてのマイナスの感情を悲しみや慈悲の中に上手に溶かしこむ能力をブッダという人は持っていたように感じるのです。
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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