2017.03.10 01:42

 これまで半ば意識的に政治の話題には触れずにきました。これからもそのつもりですし、その手のことは得意な方にお任せするのがいちばんだと思っています。政治に深い関心がないのも事実で、それはちょうどオリンピックや海外旅行にあまり関心がないのと同じです。
 投票には極力行くようにはしていますが皆勤というわけではなく、またどちらかというと過去私が応援した候補者は落選される確率が高いように感じます。
 
 世界全体がきな臭くなってきているのは事実でしょう。いろいろいやなことが起きていますが私たちも巻きこまれる可能性があるわけで、ちょっと考えなければならないですね。過去のどの時代よりその心配が増しているような気がするのは、自分だけではないと思います。
 人間は自身の中に二重の基準を持つものです。ですから自国のために軍備を増強するときは必ず「自衛」と表現します。そして他国が軍備を増強すると、侵略の可能性を強く指摘します。
 
 そういうのが世論を形成していくとーーまた狙いを持って世論形成を推進しようという勢力が強いとーー本当に変なことが起きかねません。
 ある種の暴挙もじつは裏にあるのは極端な怯えであり、究極的な「自衛行為」の変形した何かなのだという冷静な洞察が、世界を動かしていく層にどれぐらい認識できているか。こちらが「自衛」と呼ぶものは、別の方向からは「侵略準備」に見えていたりするでしょうから。
 
 そもそも個々人もそうです。他人の生活に「だらしない」と眉をひそめながら、自分はできるだけ楽をしようとしていることがあります。きちんと計画通り生活が送れていない人を「どうしようもない」と切り捨てる一方で、自分はしょっちゅう計画変更したりもしている。子どもに時間とお金をむだにするなと注意しながら、ふらふら飲み歩いたりしている私のような人間もいます。
 そういうものだという自覚があれば大きく相手を刺激しないのですが、二重の基準に気づいていないと相手ばかり非難してしまう。要するにすべての事象は、まず人間の心の中で起きているものですね。
 
 
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2017.03.08 09:05

 今年の受験でいちばんの志望校までは届かなかったという生徒が何人か報告に来てくださっています。皆さん、それなりにいい高校に合格しているのですよ。ただいちばん行きたいところだけは残念な結果が出てしまった。
 わざわざいらしてくださるぐらいですから、もう落ち着いています。私も大げさに慰めたりはしません。実力そのものは合格者と変わらない。そのことが何よりの財産ですね。
 
 あとはここからのご本人の覚悟次第です。どうにでもなるでしょうし、覚悟ができていなければ逆に合格していても困ったことになるかもしれません。高いレベルの高校に合格したのに、1年生のときから「落第しそうです」と青くなって相談に来る生徒は過去何人かいました。もちろん知能の問題ではないのですよ。受験時と同じような気持ちを取り戻してくだされば、絶対にうまくいくはずです。覚悟の問題ですね。
 落ちたことが恥ずかしいとおっしゃっていた方もいましたが、そんな風には考えないことです。
 
 人間、恥ずかしいのは「100%の自分になりきろうとしない」ことだけでしょう。100%の自分というのはなりたい自分、憧れている自分、夢を叶えている自分のことです。その大きな目標から見れば、すべての試験は一里塚でしかありません。大学受験でさえそうです。
 大切なのは、きちんと夢に向かって「いま」歩んでいるかということだけです。それに比べたらどこの組織に所属するかということは小さな問題です。どこの組織であってもその中で「あなた」個人が実力をつけなければ意味がないわけですから。理想が現実化するようにとにかく努力しないと。
 
 なりたい自分というのは、職業名ではありません。医師とか先生とか政治家とか料理人とか世間はひとくくりで呼びますが、全員同じではないですね。すべての医師が同じことを話し、同じ振舞いをするわけではありません。
 ですから職業名ではない。精神性や人間性、もちろん外見や財力や知力、個性、協調性というようなものが渾然一体となって人間を作ります。あなたはどうなりたいのかということを真剣に考え、そちらに向かって「いま」も歩いていると宣言できますか。
 
 宣言できるのであれば、それほどの大人物が何を恥ずかしがることがあるのかという問題ですよ。
 精神が怠惰になってくると理想を求めるのが面倒になり、職業名や所属組織名で安易に表現したりしますね。医師と言っておけば、とりあえずエリートかなとか。職業名の前にたくさんの好ましい形容がーー誠実で知的で情熱的で努力家で冷静で慈悲深いというようなーーつかないのであれば、どのような職種もむなしいかもしれないですよ。
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2017.03.06 09:22

 中学3年生のとき、両親に精神科に通わせてほしいと頼んだことがあります。だめだと言われました。
 あれは何というか・・・自分の中にある種のダンディズムのようなものがあり、徹底的に病的でありたい、できれば病んでいるという確証を得て友人たちに宣言したいという変な気持ちがありました。精神病のことを医学辞典でさかんに調べ、自分はそうではないかと考えた。読めば読むほどそう感じてくるものです。
 
 鬱という漢字を覚えたのもそのころです。鬱だと自称しながら(?)漢字が書けないようではみっともないという思いがあり、何度も何度も練習しました。まあ、変わった少年でしたよ。
 権威だとか明朗だとか、立派、元気、快活、健康などという概念に徹底的な憎しみを抱いていたように思います。そういうことを押しつけてくる大人は絶対に信用できないと考えた。
 そうなってしまった主たる原因は、やはり家庭にあったと思います。私自身の内側だけでわかっていることですが。
 
 少年期に「負」のヒーローみたいなのがほしい。暗いくせに、ものすごく女の子にもてるというような。
 それがスコット・ウォーカーでした。ミュージックライフ誌のインタビュー記事を読んだら「公演は金のためだけ」と言い放っている。さらに鬱病にかかっていたという告白もありました。端正な顔を隠すように、真っ黒なサングラスをかけた写真(インタビュー時のものではなかったかもしれません)が掲載されているのを見て、私も真っ黒なサングラスを買いました。
 当時のスコット・ウォーカーは女の子にすごい人気でした。人気があるのになぜこうなる?
 
 もっともいくら何でも美男子の典型みたいなスコット・ウォーカーと自分を重ね合わせるほど狂っていたわけではありません。目指すことはできない高峰だという気持ちは常にありました。
 漠然と、そちらの方向に歩みたいと考えただけです。黒いサングラスは夜でもかけていました。夜道が見えなくて側溝に落ちたことが2度あります。
「ジョアンナ」というバラードが有名ですが、私は「ザ・ウォー・イズ・オーバー」という曲が好きです。じつに不思議な曲。うまく説明できません。
 
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2017.03.05 06:47

 シチューの食べ方についてネット上で話題になっていました。シチューをご飯にかけるか、かけずにわけて食べるか。
 関西は比較的わける派が多いらしい。逆に関東以北はかけて食べる方が多いらしい。私はどちらかというとわけて食べているような気がします。ただ終わりのほうにかけてしまうときもあります。要するに、どちらでもありどちらでもないという禅問答みたいなことになりますかね。ご飯が汚れる(?)のはちょっと気にかかるほうかもしれません。
 
 カレーはかけるものだとはじめから思っていましたから、かけて食べます。
 ところが25年ぐらい昔でしょうか、カレーを完全にわけて食べる方を目撃したときがありました。その方は当時、現在の私より歳上だったかもしれません。勤めていた塾のまとめ役みたいな先生で、その日は偶然講師室でその先生が市販のカレー弁当を食べようとするところに私が居合わせました。
 いわゆるカレーの「ほか弁」ですね。それをおもむろに広げられた。何かしら会話も交わしたように記憶しています。
 
 カレーとご飯の容器は別々になっていました。カレーをすくって口に入れる。それから今度はご飯を単独で食べる。
 はじめはカレーの味を確認しているのかと思いました。見ているとふた口目も同じ。カレーはカレーだけ食べて、ご飯には絶対にかけません。
 私は何となくカルチャーショックを受けました。最後の最後までこんな食べ方があるのか! という感じですね。
 
 すぐに真似をして食べてみようと考えました。そういうことはすぐに真似してみたくなるのです。もちろんこだわって「ほか弁」でやってみたくなる。
 当時も杉並区には住んでいたのですが、いわゆる「ほか弁」のお店が近くにありませんでした。そこでバス停をいくつぶんか歩いて、わざわざ遠くまで買いに行きました。カレー弁当というのをお願いして意気揚々と帰ってきましたよ。ところが開けてみてびっくり。
 
 白いご飯の容器の上にレトルトのカレーの袋が乗っているだけではないですか。殺風景な袋には業務用と書かれている。
 おいおい、こんなのありかよーとがっかりしました。仕方がないのでレトルトの封を開け、他の容器に移してカレーとご飯を別々に食べてみました。そもそもレトルト食品かと思うと風情も何もない。全然おいしく感じませんでした。それきりわけて食べる機会はなかった。
 ただこの文章を書きながら、今日のお昼にでもどこかでわけて食べてみようかなと考えています。
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2017.03.04 03:18

 生徒から「働くというのはどういうことか」と質問されるときがあります。まあ、そんなに深刻なお話ではない。ぽんと訊かれたときには、タイトルのような答え方をしています。自分のできること、自分の得意なことで世の中を明るくする。その過程でいろいろなことは整理されてきて報酬をいただく。簡単に言えばそういうことではないかと考えています。
 報酬に関しては、あまりとらわれすぎるとよくないかもしれません。上記のことを徹底的に心がけていけば自然と道は開けてくるように思います。
 
 ちょっと個人的なことを書くと、私は以前より収入は減りました。これは規定があり、そういうものでしょうから文句はありません。はじめからその契約で働かせていただいています。
 ところがーーありがたいことにーー教室の生徒はどんどん増えてきました。当然、定年前よりも忙しくなってきた。授業のコマ数とは関係なく、やらなければならないことが増えてくる。それはそうですね。生徒の数だけやらなければならないことは出てきますから。
 
 これは「損」なのかどうか。収入が減ったのに忙しくなったのは損なのか?
 私はむしろとてつもなく「いいこと」が起きつつあると考えています。自分たちのやっている(得意な)ことで人が増えてきている。卒業していく生徒のご家庭からは、先生だけではなく事務関係にも感謝の念をいただくことがしばしばあります。総合体として世の中を明るくしていることだけは間違いがないように感じています。
 得意なことは生きていくうちに見つかることも多いですよ。
 
 ときどき「小さいころから先生になろうと考えていたのですか?」というご質問をいただくことがある。それはまったくありませんでした。私はきわめて投げやりな少年期を送ったので、将来についてありとあらゆる希望を持ちませんでした。とりあえずうんと自由な、吟遊詩人とか放浪者とか流しのミュージシャンとか遊び人とか・・・そんな人生以外興味はありませんでした。
 それがいろいろあってこうなった。その過程で、右か左かということはありました。
 
 そのとき、楽な方というよりは、得意な方に曲がってきた。励ます機会が多いとか明るく話す機会が多いとかという感じですね。教える対象を13年前に小中学生に限定したのも自分の得意分野ーーおうちの方とお話したり傷ついている世代を励ましたりーーを活かせると考えたからです。
 得意なことで世の中を明るくする。報酬などはおそらく最終的に自分にふさわしいものになってくるはずです。
 私自身は大空であり、雲の動きについては気にかけずに生きたほうがよさそうだということです。
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2017.03.02 06:26

 学校の勉強はそれなりにやっているとしますね。他に1つだけ何をすれば優等生になれますかと訊かれたら、とりあえずは1つだけでは足りないと答えるでしょう。別コラムの「勉強ができるようになるには」(右側の応援メッセージから入れます)にはもう55回記事を書いています。55個やってくださいと答えたいところです。
 それでもどうしても1つだけ・・・と言われたら、私なら「考えながら活字を読む訓練」をあげます。読書と書いてもいいのですが、もう少し抵抗感(?)を持って熱心に取り組んでいただきたいところです。
 
 それもたまにではない。毎日毎日です。毎日一定時間考えながら読む。忙しくてむりだとおっしゃる方はたくさんいらっしゃるでしょう。
 今週、新聞で中学生高校生がスマホをどれぐらい利用しているかという記事を読みました。インターネットを見たりしている時間の合計。あくまでも平均ですが、何と! 中学生は1日約2時間、高校生は約3時間となっていました。驚くべき長さだと思います。記事では依存症のことにもちらりと触れられていました。
 
 その時間の半分だけでも紙で活字を読んでくだされば状況は劇的に変わってくると思います。ただそうしたことができるかどうか。
 以前も書きましたが、青少年に与えるスマホの影響を研究されている脳科学者の先生が、脳が成長していく18歳までスマホは制限ししっかりした文章を読む環境を作るべきだとおっしゃっています。専門の先生がいい加減なことをおっしゃるわけがない。危険な要素は確実にあるのだと思います。それをまたある意味で隠蔽しておこうという勢力もあるでしょう。
 
 もちろんスマホがない時代、皆さんが2時間余計に勉強していたわけではないですよ。昔の生徒たちは「雑誌を読んでいて勉強できなかった」と話していました。自室に雑誌を持ちこむとだめだという反省の言葉をよく聞いたものです。ついつい読みふけってしまう。
 自室でスポーツ誌や芸能週刊誌や音楽雑誌、ファッション誌などを夢中になって読んでいて、勉強時間が足りなくなる。1990年ごろは私も読んでいる「BURRN!」誌をほぼ徹夜で読んだと報告してくださる男の子がいたりしました。
 
 それでも毎日スマホ2時間よりははるかに救いがあったと思います。
 私たちの人生は同じ「1日24時間」をどのように使うかで決まってきます。24時間を人それぞれまったく違った要素に配分していますが、それは私たちの選択です。どうしようと個々人の自由ですが、優等生になりたいと言われれば私は経験的に一定量の活字を毎日必ず読みなさいとしか言えません。それなしで飛び抜けた優等生になることはーー特に国語はーー難しいと思うからです。
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2017.03.01 07:57

 説明会などで本気でいちばん高い進学先を目指すのであれば、大人になることが何より必要だというお話をしています。それこそ都立のトップ高校に推薦入試で合格しようということになってくると(一般入試は多少色が違ってきます)、大人以外不可能でしょう。そもそも内申ほぼオール5が必要なわけで、大人以外そんな成績はとれませんね。
 ですから本当に目指したいのであれば、いい悪いではなくそういう人間(=大人)になるしかない。
 
 おととい、いつものようにクリニックである週刊誌の人生相談を読んでいたらこういうフレーズにぶつかりました。「世間の人と同じことができないようでは、大人の資格はない」
 乗り物のつり革に素手でつかまることができないという潔癖症の方に対して厳しい意見が書かれていました。確かにこの「世間の人と同じことができないようでは、大人の資格はない」というのは一面の真理であるとは思います。そして、上に書いたレベルで勉強ができるようになるためには当然世間の人と同じことができる必要があります。
 
 するとどうなりますか。頻繁に忘れ物をする、きちんと大人と会話ができない、整理整頓の概念がない、食生活などが乱れている・・・という状態では世間の人(=ある程度しっかりした中学生)のレベルにまったく達していません。ということは大人とは言えない。その状態ではいくら勉強「だけ」をしてもトップ層に食いこむことは難しいでしょう。
 当然、ご家庭もわが子を守りすぎてはいけない。目的地に行き着けなかったというようなときに、問題は地図がわかりにくいことだけではないと考えなければならないということです。
 
 全員が行き着けなかったわけではありません。皆さん、ちゃんと探しあてている。お子さんだけがまごまごしてしまったのであれば、まだ相対的に幼いからでしょう。困ったときは大人に堂々と質問できるように、あるいは地図をきちんと理解できるように変化させていく必要がありそうです。
 ただーーここはあえて書いておきますーー私自身はとても子どもっぽい人間です。そして自分の個性はそこにしかなく、私がやっていることに少しでも価値があるとしたらとんでもなく子どもっぽい部分が活躍しているからだと考えています。
 
 私が大人だったらブログの内容も全然違っていたと思います。もっといいことを書いていた可能性はありますが、いまの内容では絶対に書けないでしょう。ですからそんな自分が現在中学生だったらどこの都立上位高校の推薦試験も受からないでしょうが、それならそれでいいと思っています。
 要するに生き方は人それぞれだということですね。そのあたりは個々の受験生ご自身が冷静にどう生きたいか考えてくださるのがいいと思います。
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2017.02.27 09:40

 私が小学生のころは、ごくごくあたりまえに看板に「食堂」と掲げられているお店があったものです。いまでもよく覚えているのは中野坂上の駅前。大衆食堂と書かれたお店が2軒並んでいました。どちらのお店にもあえて「大衆」食堂とあります。
 私はこの「大衆」というのを固有名詞だと勘違いしました。そこで混乱した。例えてみればあるデパートの隣に、まったく出自の違う同じ名称のデパートが建っているような変な気持ちになりました。
 
 これは何かあるなと思って、例によって向かいの電話ボックスから看板の電話番号に電話をかけてみた。まず左側のお店。「大衆食堂ですか?」と訊いた。するとおじさんがちょっととまどったように「はい、大衆食堂です」と答えました。「わかりました」そう言って電話を切った。
 次は右側のお店。今度はおばさんが出たので「大衆食堂ですか」と質問しました。おばさんは大きな声で「えっ?」と言った。「大衆食堂ですか」などという質問は珍しかったのでしょうね。
 
 細かくは覚えていないのですが、とにかく私は大衆食堂という固有名詞の食堂が奇跡的に2つ並んでいるのだと長いあいだ解釈していました。
 いまはそうした昔ながらの「食堂」がほとんどなくなってしまいましたね。わざわざ大衆食堂の特集本が出ているぐらいです。
 そんなに昔ではなくても、1990年ごろはまだけっこう「Yしろ食堂」というのが残っていました。どういう仕組みなのか知りませんが、非常にゆるやかなチェーン店であちらこちらで見かけたものです。
 
 私自身、中野、東中野、落合で入ったことがあります。いまはどのお店もなくなってしまったみたいですね。他でも入ったような気がするのですがよく覚えていません。雰囲気は似たり寄ったりでした。そして自宅近くの荻窪には珍しく(?)「Yしろ食堂」が残っています。
 何ヶ月に1回というレベルですが、お邪魔することがあります。だいたいはボードに書かれているセットの定食を頼みます。それと単品でキャベツサラダを頼むことが多い。クセなのです。
 
 たまにお昼からお酒を飲まれている方もいる。皆さん、仕事中みたいな感じなのですが。ちょっと「やってみたい感」はあるものの、私は頼んだことがありません。飲みたいというより真似してみたくなるのです。
 女性のお客さんは少なめですが、昭和風のゆるい食堂はなかなか風情があっていいものです。
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2017.02.26 00:13

 私が小学生のころの話です。遠くに住んでいる祖母がときどき遊びに来ました。単純に遊びに来ていただけではないのかもしれませんが、とにかく自宅に何泊かしていった。よくわからないのですが、祖母にはちょっと遊び人風の趣(?)があり、非常に面白い人でした。厳密に書けば血のつながりがなかったものの、私は祖母のことが好きでした。
 5歳年下の妹と2人で祖母の相手をします。昔の思い出話ばかりで何だかよくわからなかったのですが、ぼんやり聞いていました。
 
 そのうち祖母が突然何か歌ってやると言い出した。何でそんな流れになったのかよくわからないのですが、向こうも退屈だったのでしょうね。
 自宅にあった童謡の絵本を手にとって歌いはじめたところ、これが世紀末的に調子っぱずれなのです。はじめは喉の状態でも確認しているのかと思ったのですが、どうやらそうではないらしい。「てんてんてんまりてんてまり~!」とものすごく高い声で歌う。いまもってどうしてあんな高い声で歌っていたのか謎です。ジューダス・プリースト「ペインキラー」かよ! 
 
 私も妹も唖然としましたが、これは面白いことになってきたぞとわくわくしました。そういうところは子どもは残酷ですからね。
 それからは毎日毎日妹と「歌って歌って」と祖母にせがむ。祖母はこちらが夢中になって歌を聴きたがる本当の理由がわからない。得意になって「てんてんてんまりてんてまり~!」と絶叫する。他の曲も変でしたが、やはりてんてまりの破壊力にはかなわない。こちらは祖母が歌っているあいだ、爆笑しそうになるのを必死でこらえていました。横を見ると妹も真っ赤な顔をして肩を震わせていましたよ。
 
 祖母は母に「この子たちは本当に歌が好きだねえ。こんなに歌が好きな子も珍しいよ」と真顔で告げていました。母は私たちがけしからん理由で歌わせていることに気づいていたのでしょう。おばあさんに歌わせるのはもうやめなさい・・・という意味のことを何度か言いました。
 祖母が帰ってからは、毎晩私が妹のまえで大げさに祖母の真似をして歌って見せました。祖母がいない気楽さもあって、私たちは思いきり爆笑した。
 
 祖母が亡くなってから40年近くたちます。祖母が住んでいた田舎の土地は小さな小さな空き地のままいまも残っています。数年ごとに、私は1人でふらりとその空き地を見に行きます。
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2017.02.25 00:30

 いつも書いているように自分の考えを人さまに押しつける気持ちはありません。いろいろな方がいらっしゃって、いろいろな考え方がある・・・それが健全な世の中なのだと思います。
 私は成功失敗と幸不幸とは必ずしも一致しないと考えています。つまり成功者でも幸福とは限らない。また何かに失敗した人が必ずしも不幸を感じなければならないというわけでもない。
 世間に成功=幸福みたいな思いこみがあるせいか、つまずかれた方がご自身を不幸だと決めつけてしまうことがよくあります。
 
 たとえば失業する、失恋する、不合格が出てしまう、離婚する・・・いろいろなパターンがあると思いますが、出来事とは関係なく幸福を保つことがじつは私たちには可能です。可能ですというのは、そういう方を何人も知っているのでなるほど人間には深い能力(?)があるなという感慨を持っています。
 失業されたある方は、重責から解放されて本当によく眠れるようになったとおっしゃっていました。失恋されたり離婚されたりした方は、これからはご自身「だけ」の納得のいく人生を生きられるとおっしゃっていました。不合格になられた方は・・・こちらはいつも書いている通りです。
 
 不合格をバネにしてどれだけの方が頑張ってくださったか、枚挙にいとまがないですよ。結果を受け止めるときも案外ご本人はしっかりしています。がっかりしていてもうんと先を見すえていまから熱く燃えているわけで、その状態だけを見ていると不幸とはまた完全に質の違うものであると感じます。
 ちょっとしたつまずきを決定的な「不幸」に翻訳して子どもたちにすりこんでしまう世間の思いこみがよくないですね。彼らは不幸ではないですよ。
 
 私自身試験に何度も失敗したことがありますが、周囲(両親など)の反応を除外すれば、何も不幸な要素はありませんでした。自分なりに納得していましたし、将来の希望はどこに進もうと変更する気持ちはなかったので落ちこむ必要はないと考えました。
 また人間と人間の別れーー男女間に限りませんーーについても、今後お互いに縛られない広大な可能性が広がってくるのですから、悪いことばかりではないという希望を持ちました。つねにそう考えてきました。
 
 失意というのは確かにありますね。これはどこかで1度書いているかもしれませんが、何百枚も書いた原稿を新宿の東口のある喫茶店で「これは使えません」とあっさり編集者の方から返されたことがありました。1993年のことです。そのとき、ショックのあまり熟知している新宿の地理がしばらくわからなくなりました。お店を出てからどう行けば駅に着けるのかがなぜか判断できなくなった。
 ただ私はその晩から新しい原稿を書きはじめたように記憶しています。ですから不幸というのとは違った感触だったと思います。
 
 これから先、1つ1つの出来事にどういう結果が出たにせよ、変な自己憐憫に陥らず前に進んでくださることを希望します。失意は仕方がない。ただ、あなたには間違いなく新たな希望があります。希望のある人間は不幸ではないですよ。私は不幸ではない、と声に出して呟いてみてください。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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