2020.02.12 00:50

 私のことです。私はもともとそういう子どもでした。小学校低学年のころ、そのことを非常に強く叱られました。主に母親にですね。わかっているときはわかっているという意志を示さなければいけない。消極性は悪である。抵抗はありましたがその年齢では母親の言うことが絶対ですから、いやいや手を挙げていました。
 いやいやだったのでぐにゃぐにゃした姿勢で手を挙げた。そのことを先生から注意された。背筋を伸ばしてまっすぐ手を挙げなければいけないと何度か言われました。
 
 わかっていることをなぜわざわざ発表しなければいけないのか? 黙っていると認めてもらえないからだそうです。先生に「わかっている」という事実を伝えないといけない。
 いまもそうですが、私は自分のやり方でわかってくれない人に強引に何かを伝えたいとはまったく思いません。「はい! はい! はい!」みたいな世界観は本来の自分にはないのです。あの一時期だけそうあるべきなのだろうと努力をした。正直なところ不快な努力でした。
 
 自分で生徒を見ていて感じるのですが、どの生徒に対しても「油断できないぞ」という要素を感じます。著しく成績がいい子にも感じますが、いわゆる成績のふるわない子に対しても感じます。単純に勉強していないだけで、独特の世界観を持っていてスケールはかなり大きかったりする。
 先日も授業中話した(ブログに書いたこともあります)のですが、昔「咳をしてもひとり」という有名な自由律俳句にはある種の甘えが残っているのではないかと指摘してきた生徒がいました。
 
 およそ手などはまったく挙げない子で、授業中こっそりマンガを読んだりしていたこともありました。文化的な話題が出てくると食い入るように聞いているので、私はその子がマンガより面白いと思ってくれるような授業を展開しなければいけないと強く意識したものです。
 咳をしてもひとりとした場合、咳をしたという訴えがある。その訴えのぶんだけ甘えているので、いい俳句にするためには「咳をしなくてもひとり」と変えるべきではないかと彼は言う。
 
 こういう生徒に私は間違っても「積極的に手を挙げて」とか「背筋を伸ばして」とかは言いません。ご本人が積極的にしたければもちろんそうすればいいのですが、したくないのであればいまのままでいい。いまのままのあなたを評価できない程度の人間に認めてもらうためだけに、人生の美学まで変えなくていいだろうということです。
 損をすることはあるでしょうね。考え方によります。しかし、たいした損でもないような気もします。
 
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この記事へのコメント

  • 1, すみれさん 2020.02.12 01:10
    素晴らしい感性ですね。
    中学生でそこまでの感じ方ができるなんて。
  • 2, 長野先生さん 2020.02.12 01:35
    すみれさま

     こんばんは。
     油断できないわけですよ。点数だとか偏差値だとかだけでは決められない重大な何かがありますね。それが見えないのであれば、単純に見えないほうの落ち度ではないかという気がします。

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