2020.01.29 09:23

 先日の休みの日に、25年以上昔に教えていた生徒とあるところで飲みました。25年以上昔の中学生ということです。彼ももう40代に入ります。
 Z会で教えていた生徒ではなくいろいろ複雑な経緯があってつながってきたのですが、こちらを慕ってくださってときどき連絡をいただくことがあります。今回会ったのは5年ぶりぐらいでしょうか。もっと昔だったかもしれない。赤羽に飲みに行ったときがありましたが、それ以来です。
 
 ちょっと迷いのようなものがあって連絡をくださったようです。彼はこのブログの存在を知っていてときどき読んでもくださるそうで、露骨な内容は書かないでおきます。まあ、生き方みたいなものですかね。若干の迷いが生じたということでしょう。
 一般的にどなたかが悩んでいるとしますね。相談されたとき、よくわからないので手がかりを探す。いちばん安易な方法はわかりやすい「数値」に頼ることでしょう。塾で言えば、この塾なら難関校に30人合格しているけれども別の塾では10人しか合格していないぞという感じでしょうか。
 
 しかし、その数字が本当に意味を持っているのかどうかは、じつは言っているほうも聞いているほうもよくわからなかったりします。そもそもある人間が難関校に進むこと自体に、どれぐらいの決定的な意味があるのかよくわからない。のんびりした学生生活を送りたいという人間だって相当数いらっしゃるわけで、数字でどうこう決めつけるのはちょっと危険かもしれません。
 私なんかその最たるもので「頑張らない」自由を享受してきました。義務の放棄までしてはいけませんが、最低限「頑張らない」権利はどなたでも有しているはずです。
 
 すべての価値を数字であらわそうとするからおかしなことになるのであって、たとえば私は自分の生活を相当豊かなものだと感謝していますが、数字で周囲に豊かだろう? と主張できる類のものは何も持っていません。それでも気分的には豊かなのですから、貧しいと嘆いたり反省したりする必要もないだろうと思っています。
 私は、年齢とともに自分が他者に寛容な姿勢を持つことができるようになってきたことを大変な豊かさだと考えているのです。
 
 何かの件で私が「まあ、いいじゃないか」と言うと、親しい知人から「長野はいつもそんな風に言うけど自分は許せない」と抗議(?)を受けることがあり、私は私自身の寛容さ(いい加減さ)に本当に救われていると実感することがあります。若いころはこうではなかった。歳をとり自然に豊かになってきたとしか表現しようがないですね。
 生きていて目覚めの感覚がよかったり散歩をしていても憂鬱な妄想に苦しめられたりということがありません。そういった内実の豊かさに生きてみるのもいいかもよという話をしました。
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この記事へのコメント

  • 1, 長野先生さん 2020.01.30 00:37
    コメントをいただいた方

     こんばんは。
     気楽に考えてやっていくといいよ。人生をお祭りの場として生きることだ。気持ちが楽になる方向でだいたいは間違いないものだよ。まあ、何をしてもときに陽はかげるものだが、それもまたちょうどいい休息になったりする。

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35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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