2020.01.08 09:23

 今年の2月にふたつの教室でお話させていただくことになりました。2月2日が町田教室、2月29日が川越教室。新しい教室ができるたびに何となく呼んでいただいていろいろお話してきました。
 勉強のことより、むしろどうやって成長していくのが望ましいか・・・みたいな内容になってしまいます。この2回を終えるとしばらくお話する機会はなさそうなので、いままでのまとめでもあるかなと考えています。
 
 世の中、幸せではないという人が多い。生徒という意味ではないですよ。周囲の大人を見ていてそう感じることがしばしばあります。人生は終わることのない悲しみや苦痛の連続にすぎないと認識されている方がたくさんいる。
 おそらく知人がーーくわしくは書きませんがーー昨年自ら生命を絶っています。確かめようがないことですし勘違いであればいいのですが、あることからそう想像できる。しかし、つらいこと苦しいことの連続こそが人生であるという認識は、あくまでもご本人の印象にすぎないと思います。
 
 そう痛感されるのはその人間の責任ではなく、あまりにもその種の教育(と呼べるのかどうか)を受けてきたからでしょう。徹底した悲観主義教育ですね。悲しくて切なくて苦しくてつらいことばかりだぞと繰り返し教えられてきた。露骨に教えられなくても、少なくともそう示唆されてきた。
 周囲の人間も悪気があるわけではない。ご自身がそういう連鎖の中で育ち、よかれと思って目下の者に伝えてしまう。「このままいったら大変なことになるぞ」「生存競争に敗れたら終わりだぞ」と。
 
 もちろんうまくいかないことはあるかもしれません。それが受験であったり恋愛であったりお金儲けであったりする。ただ、ひとつの扉が閉ざされれば、逆に開く扉も無限に生まれてくるとも考えられます。
 わかりますか? 行きたかったA校に失敗してしまったら、A校以外の無数の学校に進める可能性、そこで考えもしなかった濃密な人間関係に恵まれる可能性が生まれてくる。そうしたところにすぐに光をあてられる強靭な精神力こそが幸福の原動力なのです。
  失意の感情を味わうのは悪いことではありません。仮に涙を流すことがあっても、光が見えていればその情緒は非常に美しい。
 
 結論が「人生は何もかも思うようにならない苦難の連続でいいことなんかひとつもない!」となってしまってはいけないのであって、どの瞬間も「私は新しい扉をたくさん開く自由を得た。うんと冒険して予定通りではない人生の妙味を味わい尽くしてやる」とご自身の中に希望の灯をともせる人間へと導いていくことこそが、本当の意味での「教育」ではないか。
 ではどうしたらそういう人間に近づけるかということです。個人でご家庭で、希望を灯せる人間へと近づく方法論ですね。そんなお話ができたらと思います。
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この記事へのコメント

  • 1, RB26DETTさん 2020.01.09 00:36
    今日もありがとうございました。今まで話してなかったのでここで一応話しておきたいのですが部活は2学期の初めに辞退していました。全てが部活のせいというわけではなかったものの、少なくとも生活自体も楽しくはなかったのでやめました。簡潔に、2学期の僕の生活は廃れた自分の克服の歴史といった感じでした。自分を取り戻しつつはあるのですが、今の時点でも完全に取り戻しているわけではありません。取り戻すことが必ずしも必要とは限らないのですが複雑な要因が絡まってた故のことでもありました。今日久しぶりに会話をさせて戴いていた最中に薄々気づき始めたのですが、自分が高校生になり、新しく得たものもあるけれども失ったものも結構あるということを感じました。いいアビリティが得られても、反対にネガティヴな面もあると感じました。これからもよろしくお願いします。
  • 2, 長野先生さん 2020.01.09 10:01
    RB26DETTさま

     こんにちは。
     人間も繰り返し脱皮していくからな。原型はそれなりに保ちながら何かしら変わっていくものだろう。何かを得ると同時に何かを失うということはあるかもしれない。私には高校生のとき非常に印象に残った場所というのが少し遠くにあって、これまで数回行ってみたことがある。最後に行ったのはちょうど10年前だな。2時間ぐらいひたすら歩きながら人生で得たものと失ったものについて考え続けたよ。
  • 3, ささん 2020.01.09 23:43
    はじめまして。2年前、高校受験でZ会にお世話になった者です。唐突なのですが、僕は高校に入ってから、自分の生きる理由を考えずにはいられなくなりました。死にたいという意味ではありません。ただ、その疑問が僕の頭から離れないのです。今の生活に”楽しさ”が無い訳ではありません。客観的に見れば、僕の生きてきた17年間の中で最も好きなことをしているはずなのです。しかし、”楽しさ”が僕を離れて一人歩きしているような感じなのです。僕は今まで、好きなことをして生きようと思っていました。誰しもそうだとは思いますが。それなのに、好きなことをして感じる充足感すら自分の物のように思えなくなりました。自分が自分を分析しようとすればするほど自分の感情がわからなくなります。難題にぶち当たっているというよりは、感情そのものが剥がれ落ちてしまったような気がするのです。何かを感じても、それは僕の影が感じていて僕自身は空虚なハリボ
  • 4, ささん 2020.01.09 23:44
    テのような気がするのです。何故こんなことを書いたのかは分かりません。初めてブログを拝見し、気づいたら書いていました。駄文を失礼しました。
  • 5, 長野先生さん 2020.01.10 09:08
    ささま

     おはようございます。
     楽しみとか悲しみの奥にそれぞれの「核」のようなものがある。見方によっては、楽しみも悲しみも映画みたいなものであれこれ場内で笑いだの涙だの悲鳴だの大騒ぎを起こすことが可能だが、映写幕そのものは不変だ。
     そうした奥の奥に気づきはじめたのではないかと思う。非常に好ましい進化成長なのであって、きみは「運命にもてあそばれた」と言うタイプの人間にはならないだろう。

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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