2019.12.04 09:41

 抽象的な概念の中で目標を設定できる人間はいろいろなことがうまくいく気がします。逆に具体的なことしか思い浮かべられないとなると、若干子どもじみていてもう少しだけ深く考える必要が出てくるかもしれません。
 たとえば特定のだれだれさんと結婚したいと考えたとします。非常に具体的です。具体的すぎてそのための努力というのが、あまりにも露骨になってくる。何しろだれだれさん以外とは結婚したくないわけですから。
 
 そうした願望の中で特定のだれだれさんと結局一緒になれなかったら、いったい何が残るのか。場合によっては人生に対する絶望だとか不信感だとか厭世観だとか、そうしたものでいっぱいになってしまうかもしれません。
 じつはこうしたことこそ、もう少し広げて考えられるといいのです。妥協でも何でもない。だれだれさんのような人がどうして好みであるのか。どのような家庭を築きたいのか。一緒になることで、周囲には何が還元できるのか。
 
 成功だとか幸福だとかを自分のためだけに希求していると、じつは成功した後でも(こんなものか)という失望を味わったりすることがあります。自分が喜んだ。家族も喜んだ。だから何? みたいな要素が出てくる。
 もしあなたの成功や幸福が他者にも関係するものであれば、それはまた別の広がりが出てきて、さらに幸福を感じることができるでしょう。ところが、現代人は利己的になってしまって他者を喜ばせるのは損だとまで考える人もいます。
 
 志望校なども特定の学校名しかあげない人がいます。もちろん悪いことではない。ただ理由を聞いてみると、あまりはっきりしない。いちばん有名だからとか、自分にもプライドがあるからとか、ときには合格してみんなを「あっ!」と言わせたいとか、ほほえましい理由は出てくるものの、そこでしかできない勉強をしたいと詳細に語れる人は案外少なかったりします。
 同レベルの他校では何がそんなにだめなのか? そのあたりはいろいろ考えてみるといいかもしれません。
 
 自分はこういう方面に何となく進みたい。そのためにたくさんの道があり、あれこれ比べてみて現時点の自分に負荷がかかりすぎず、かと言って相当の努力が必要な場所で次のステップに向かって日々頑張ろうという精神こそ健全でしょう。
 同じようにやりたい仕事を固定化してがんじがらめになっている人もいますが、やりたいことにそれなりの幅が見出せないのはちょっと心配でもあります。「先生になりたい」より「多くの人に何かを伝えたり教えたりする仕事がしたい」のほうが広がりがある。あらゆる意味で寛容さが欠如しているのは、未成熟だからだと思います。逆に言えばまだ成長の余地がありますね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

この記事へのコメント

印は入力必須項目です。
※ログインしていると自動的に名前が挿入されます。

名前
URL
Mail
コメント
画像

画像認証 :

※表示されている数字を半角で入力してください。

 

トラックバックURL

トラックバックURL
【トラックバックにつきまして 】
Z会ブログでは、トラックバックにスパム対策を講じております。
Z会ブログの記事へトラックバックを送信する際には、トラックバック元の記事の本文中に、トラックバック送信先の記事の「ページURL」を記載してください。「ページURL」が含まれていないトラックバックは受け付けできません。
なお、一部のブログやサービスからのトラックバックは受け付けできない場合がありますので、あらかじめご了承ください。

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2020年01月   >>
      01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

新着記事

月別アーカイブ