2019.10.16 08:12

 たとえば電車でふと席が空くことがありますね。立っている方が何人もいる状況で下りる方が席を立つ。私は基本的にーーがらがらでないかぎりーー立っていますから、すぐ目の前の座席であれば座ることも物理的には可能です。ただ、めったなことでは座りません。立ち位置をずらして他者に譲る。
 お年寄りや妊婦さんが座るとは限りません。座りたい人間が座りますから、頑健な若者が弱者を無視して座ってしまう場合もあります。
 
 先日もかなり調子の悪い日がありふらふらしたのですが、地下鉄の中で席が空いたときに自分は座りませんでした。どうしてだろう? と考えた。どうもいままでの自分の人生と方向性が合わないことはしたくないみたいですね。大げさに表現すれば、美学だとか人生観だとかということになるのでしょう。
 とりあえずの得になることに手当たり次第に飛びつかないという生き方を選択してきたとしか言いようがありません。
 
 電車内の座席のお話だけではないなという気がしました。昔から何かしらにわかに得をしそうな話(?)が出てきても、私は飛びついた試しがありません。むしろそうした話題からは距離を置くようにしてきました。みすみすチャンスを逃すことになったとしても、それは全然構わないのです。電車の中で空いた席にぱっと座れる類の幸運は求めたくないのです。
 幸運の女神にはうしろ髪がないという諺がありますね。チャンスは確実につかめという意味です。
 
 もちろんさまざまなチャンスはつかむべきだとは思いますが、混雑気味の電車内でぱっと席が空いたようなチャンスであれば、自分は見逃す選択をしている。座れた人間は立っている人間より多少は安楽かもしれません。しかし、それは主に肉体的な感想であって「自分の場合」精神的にはどうなのか。自身の美学は生き方の集大成であって、整合性のない行為はなるべく慎みたいのです。
 
 あのとき「車輪の下」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? あのとき「タクシー・ドライバー」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? あのとき「インサイド・ルッキング・アウト」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? 
 リストが脳裏をかけめぐり、あきらかに得であっても一貫したものがなければ放棄しようという意識が働きます。同世代の人間から見て、私はいったい何をやっているのか的な人生を歩んでいる自覚はあるのですが、過去の自分との整合性は保てている安心感は持っています。
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この記事へのコメント

  • 1, 長野先生さん 2019.10.18 07:05
    コメントをいただいた方

     おはようございます。
     志望校ということであれば、さまざまなアドヴァイスを受けられますから、学校に行かれたほうがいいと思います。相談コーナーで志望校の先生に模試の結果を見ていただき「これぐらいとれていればきっと合格できるよ」と激励されて、ますますやる気になったという生徒もいました。
     行かないと不利ということもないでしょうが、心理的に行っておいて有利ということはありえます。まあ、私も勧めていたよとお子さんにお話なさってみてください。
  • 2, 長野先生さん 2019.10.18 07:10
    コメントをいただいた方

     続けます。
     さらに他県のごく一部の私立高校で、相談に来てくださった方が多少有利になるらしい・・・という噂も聞いたことがあります。地域特性のようなものもあるのでしょう。お住まいの場所がわからないので何とも言えませんが、学校の先生は何かご存じなのかもしれませんね。
  • 3, 長野先生さん 2019.10.18 10:04
    コメントをいただいた方  

     こんにちは。  
     あたりまえみたいなことを質問されたりするのも関係性をよくするという意味では非常に有効なコミュニケーションになるものです。「国公立大学を目指したいのですが、御校に入ってから特に注意すべきことはありますか?」「自習のときの質問は常に可能ですか?」ぐらいであっても、あちらは非常にいい印象を持ってくださるはずです。そうお伝えいただけますか。
  • 4, ウエノさん 2019.10.23 23:03
    長野先生,こんにちは.

    いままでの自分と整合性のないことはできない,なるほどと思いました.
    自分にも思い当たるところがあり,たとえばついクセで身体に負担のかかる姿勢をとってしまうような,明らかに合理的でない自身の言動もそういう思考回路が働いてのことかもしれません.

    ふとお聞きしたくなったのですが,今までとは一貫性のない行動をとってみようとしたとき,果たしてほんとうに突拍子のない行動ってとれると思われますか.発信源が自分であるという一貫性からはどうやっても逸脱しないわけですし.
    (そう思うとたまには"楽な体勢"をとっても整合性は保てるのかな,と思ったり,そんな発想をするようになった自分が嘗ての自分から逸れているようにも感じたり複雑です.)
  • 5, 長野先生さん 2019.10.24 10:52
    ウエノさま

     こんにちは。
     いままでと違うことを意図的になさることはあっていいと思いますよ。私にとって「これは違うな」というのはもう少し本能的なものです。あのはにかみを忘れないという感じの・・・16歳の私が現在の私を見て幻滅しない程度には生きたいという感覚でしょうか。

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35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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