2019.09.14 08:56

 またまた恋の話を。
 昔の話ばかりで恐縮ですが、あたりまえと言えばあたりまえで、仮に(仮にですよ)私が現在進行形で突然恋の話を書きはじめたら、それこそえらいこっちゃ! です。
 当時、20代前半で人生がいろいろと煮つまっていました。仕事も私生活も何となくもやもやしている。総合的に生き方がよくわからなくなってきている感じがしました。
 
 自信を持っている部分が、残念ながら世間的に見て価値が低そうであることは確かでした。そうかと言って、世間の価値観に合わせて生きる気持ちにもまったくなれません。どうしたものか。
 人間関係も同じような感じで、同性異性を問わず「なぜこの人たちとおつきあいしているのか?」ということがわからなくなってきた。何もかも妥協の産物ではないかという疑念に苦しめられる。
 
 理想というのは何だろうということを考えました。たとえば大金持ちになるということを自分は理想として堅持できるだろうか? 世間的に偉くなるということを理想として本気で掲げることができるだろうか? 権力は? 所属したいグループは? 恋愛は? 
 恋愛に関して何が理想なのかわからなくなってきました。好きになるというのはどういうことか。この人なら自分程度でも相手にしてくれるかもしれないという打算だけできたのではないか。
 
 そんなある日、友人から共通の知り合い(女性)に偶然会ったという話を聞かされた。いまでも覚えています。都営バスの乗り場でばったり会ったそうです。その女性とは私は「挨拶ぐらいはしたことがある」程度の関係でした。
 ところが、何日かたつうちに「これは啓示ではないか?」と変なことを考えるようになった。同時に、自分は彼女のことが世界でいちばん好きだったのではないかと強く思うようになりました。
 
 彼女は、確かに知的で魅力的な女性でした。ただ現実は何も知らないに等しい。ところが何も知らないからこそ、未知の世界へ踏み出していけという啓示を受けているのではないかと考えたのです。彼女こそが夢の世界への扉なのではないか。
 この考えがとんでもない勘違いであったことはその後明確になるのですが、この勘違いの過程で自分が経験したことは非常に大きく、現在のある種原点になっています。啓示というものに対する反省自体も財産です。
 
 恋することは受験にちょっと似た側面があり、成就(合格)するかどうかとは別に「何を学ぶか」という要素があります。逆に成就(合格)したことで何かを失う可能性もある。成就するしない以上に学ぶ姿勢に価値があるということだと思います。己を知るということですね。
 
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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