世の中を見ていて自分があまり好きではない生き方(?)がありますね。これは善悪とは違う意味です。たとえばすごく卑近な例で言えば、ご飯は食べずにお菓子だけで生きているような方がいます。私はあまりそのような食生活は好まないので、その方がどうこうではなく自身はそういう生き方を選択しなかったなと実感することができます。
そして私自身が「間食よりは、きちんとした食事をしたい」人間であるということに気づきます。
つまり自分とはまったく相容れない(だからといって嫌いであるとは限りませんが)他者の存在が、私がどういう人間であるかということを思い出させてくれる。これはすごくありがたいことだと考えています。
そうした他人の存在なしでは、ひょっとすると自分のことが十分理解できなかったのではないかとも考えます。ああはなりたくないとか、ああはとてもできない、やりたくないという行為や言動を意識することで真の自分がわかる。
私にもあまり好きではないタイプの音楽というのがあるのですが、それがどうしてなのか考えると、いろいろ面白いことに気づいたりもします。世の中で、ものすごく売れている。何十年も何十年も売れ続けている。ところが、自分は1回もいいと思ったことがない。音源を買ったこともないし、試しに聴いてみようという好奇心さえ湧いてこない。
そこまでかたくななのは異常であるような気もします。かたくなになるところに何かしら「自分」の秘密があるのでしょう。
小説やタレントさんや政治家なんかでもそうです。あまり好きではないタイプが存在する。作品やその人物に非があるのではなく、私の中のおかしな部分が発動してあれは好きではないと思わせる。その発動する部分に何が隠されているのか。
だからこそ私自身が気をつけなければならないことも少しずつ見えてくる。自分にはとてもできそうにないので、どこかに嫉妬心があるのではないか? というようなことも反省する。
自分自身を知ることは大切ですね。生きてきて、とうとう自分のことがよくわからないまま何となくふわふわ過ごしてしまう一生もありえます。みんなと同じようなことをやってきた。何となく「人並み」ということだけで安心していた。勉強や仕事もそれなりにした。楽しいこともそれなりに経験した。だが、本当に「私」になりきっただろうか? ということですね。
自分の苦手なものを観察することで、得られるものはとても多い。単純に目をつぶるのではなく、よく見てみるとよいと思います。
2019.07.20 06:12
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