2017.01.21 02:36

 幼児のころ実家で使用していた小さなちゃぶ台がありました。畳の部屋で使っていた記憶があります。2人で向かい合うのも狭い感じでしたから、個人用ということになるのでしょうか。どんな風に使われていたのかよく覚えていませんが、表面の模様というか柄がけっこう好きでした。
 脚の部分ががたがたになってしまい使いづらいので倉庫にしまわれていたのですが、数年前ふといまの自分の部屋に運びこみました。
 
 何度かあえて1人で使用してみたのですが、やはりがたがたして全然落ち着かない。私の部屋はいわゆるフローリング仕様ですが、こんながたがた状態で食事するのであれば、いっそのこと床の上にじかに皿を置いて食べたほうが落ち着きます。
 ということで、やはり畳んだまま何年か放置してありました。いつまでもそうやって放っておくのも情けない感傷にすぎないような気がして、先日とうとう処分してしまいました。
 
 ちゃぶ台がちゃぶ台として役にたたないのだからと割り切ったのですが、シブい紅色に黒い縞模様の柄の印象が脳裏に焼きついていて、ちょっと気の毒なことをしたかなという気持ちにもなります。私には非常にウエットなところがあり、そういう自分を許せないような変な意識も働きます。
 これまでも大切にしてきた日記やら書籍やら洋服やらを、ある日思い切って「えい、や!」と捨ててしまい後悔したことが何度もありました。感傷的な自分を持てあまし気味なのかな。
 
 つい最近、よく行く飲み屋さんの柱時計が昭和24年のものであることを知りました。あ、もちろんその飲み屋さんが昭和24年に買ったというわけではないですよ。古道具屋さんで見つけられたそうなのですが、裏にどなたかのお名前ーー達筆すぎて読めないそうですーーとともに昭和24年にいくらで買ったということが書かれていた。
 時計はとても静かにぼーんと鳴ります。それが、完全に「生きている」感がある。時計なのに自意識のようなものを持っている感じですね。
 
 Z会進学教室の国語のテキストにも、少年が修理から戻ってきた大きな古時計を背負って夜道を歩く詩が出ています。時計はときどきぼんぼんと時を告げる。今回はこうやって直ってきたけれども、この時計ももうあまり長くはないと考えて少年は寂しくて仕方がない。そういう詩でした。
 幼児期の私はこういう話を聞くとすぐ涙ぐんだりしていました。その本来の感性と「男のくせにめそめそするな」と周囲から叱責された経験が、自身の中でぶつかりあう感じが残っています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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