2018.01.20 02:02

 以前も何度か同じ話題で書いているのでくわしい話は省きますが、昨日1月19日は私にとってささやかな記念日でした。1979年。39年前になります。その年も金曜日でした。3日後の1月22日の月曜日もまた自分にとっては記念日になったので明確に覚えているのです。
 私は1年間365日をすべて何らかの記念日にしたいという気持ちで生きています。元旦とかバレンダインデーとか誕生日とかだけではなく、365日すべてを記念日にして祝いたいということです。
 
 いつごろこんなことを思いついたのか正確には記憶していないのですが、生きることは祝祭であるという人生観が強くなってからは、ぜんぶ祝えて当然だと思うようになりました。一般的には祝日でも何でもない日ーーたとえば1月19日は何年間か中断していた日記を再開した日でした。非常に美しい音楽をラジオで耳にしてこういう事実は残しておかなければだめだという気持ちになったのです。
 3日後の22日はそれまでどんなに探しても見つからなかった目黒の喫茶店を、これまた偶然再発見した日でした。
 
 ほかにも適当に挙げていくと・・・2月10日は少年時代ある女の子と知り合った記念日、3月9日は中延という街をはじめて歩いた記念日(犬が来た日でもあるな)、5月30日は親友と1度だけ再会した記念日、6月29日は向かいのバスの中から年上のかわいい女の子が手を振っていた記念日、12月26日は名古屋にはじめて1人旅した記念日という感じでどれもこれも個人的な思い出ばかりですが、だからこそ私にとって生きていく意味をあれこれ考える大切な日ということになります。
 当然ながら、365日の中に記念日ではない日はまだまだ大量に残っています。
 
 それらの日々も今後の人生ですべて何かの記念日にできないものかということを考えています。何かの記念日にふさわしい1日になるようこちらから積極的に働きかけていこうと待ち構えているとでも言えばいいのでしょうか。
 ときどき「頑張ろうとはずっと思っているのだけど、きっかけがつかめない」とおっしゃる方がいらっしゃいます。気持ちはとてもよくわかります。天啓みたいなものを私たちは求めていますね。ただそういうのは私の記念日と同じ要素がありますね。
 
 きっかけをつかみたいと考えている今日こそがじつはきっかけなのかもしれないということです。記念日を自分から作るようにきっかけもまた自分から作ればいい。きっかけの日にしようと意識するだけで、十分きっかけではないですか。そうしたものを作れるのは目に見えない偉いどなたかではなくて、じつはご本人なのだということです。別の言い方をすれば、それこそ偉いどなたかが「きっかけがいるんだろう?」とあなたの背中を押してくれているということです。
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2018.01.19 09:39

 ふだんは家内が犬を散歩に連れて行くのですが、事情があり自分が行くこともあります。夕方は息子に頼み、私は朝が多いですね。朝というより明け方です。
 というのも・・・何となく愛犬家の皆さんと顔を合わせるのが気恥ずかしいので、まだ暗いうちにさーっとまわってきてしまう。皆さんが来ないうちにということですね。どれだけ対人恐怖なんだよ! とも思いますが。
 私が連れて行く日は犬も不思議そうな顔をします。あんたと行くの? みたいに。
 
 玄関を出て外階段で下りるのですが、何度も何度も足を止める。用心している感じです。本当に行くの? ということなのでしょう。
 下に着くとあきらめがつくらしく、すたすた歩きはじめます。昔はぱーっと走り出したりしたのですが、いまはちゃんと言うことを聞きます。ちょっと待てというと、足を止める。よしいいぞと言うと再び歩行をはじめます。よほどのことがないかぎり、わっと飛び出したりはしません。
 
 トイレは部屋でもできるようにしてあったのですが、室内ではしなくなりました。そのへんは犬なりに気持ちが悪いのかもしれませんね。外でしたいらしい。現代の飼い主の方はお行儀がいいので、おしっこのあとを洗浄しますね。うちもそういうことになっていて、水をかけます。もちろん固形物のほうも持ち帰ります。
 私が以前犬を飼っていた1970年代はおしっこのあとに水をかけたりしている飼い主は見かけませんでしたし、私もやっていませんでした。
 
 フンにしても街中いたるところに落ちていました。ベルボトムのジーンズの裾にくっついてしまって大変だったことがありました。
 自宅マンションの前にある公園をうろうろしているだけなのですが、いつからかベンチや石のテーブルにやたらと飛び乗るようになりました。昔から「ぴょん」と言うとぱっと飛び乗ったりはしていたのです。いまは何も言わなくても飛び乗る。そして「どや!」みたいな顔をしてこちらを見る。
 
 私は知らなかったのですが、家内は台に飛び乗らせてお菓子をあげていたらしい。当然私からももらえると思って一目散に台のところに行き、ぴょんと乗る。ところが私はただ見ているだけです。おかしいなと思うのでしょう。次から次へと手当たり次第に飛び乗っては「どや!」「どや!」とこちらを見つめ続けます。
 こっちはふーん・・・程度でしかない。こりゃだめだと絶望したらしく、さっさと自宅に戻っていきました。家内と一緒のときは1時間以上戻らないのに。
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2018.01.18 06:17

 この時期受験生の方に向かって、何かしらメッセージを表明しなければならないときがあります。文章にするのはいいのですよ。考え考え書けますし、訂正もききますから。
 言葉で直接お話しなければならないときに私自身の中に若干葛藤が生まれます。というのは・・・私は自分の受験について「真剣に」考えたことがないのです。受からなければと必死になった経験がない。そんな自分が話していいものだろうか? と煩悶したりする。
 
 今年のセンター試験の古文の問題文、本居宣長の文章にいいことが書いてありました。中3の方でもある程度わかるでしょう。高1高2の方はーー細かい部分はわからなくてもーー大意はつかめると思います。
 なぜ歌(和歌)には恋の歌が多いのか? 人間、成功したいとかお金持ちになりたいとか偉くなりたい、立身出世を望む・・・いろいろありますね。ところがその手の和歌はほとんどない。頑張るぞー、偉くなるぞー、成功するぞーという和歌がないのはなぜか。
 
 どうしてですか? という問いかけに本居宣長が答えています。私はあながち自分が間違っていたわけでもないのかもしれないというようなことを考えました。
 ちなみに私は中高一貫校に通っていたので、高校受験は経験していません。大学受験ですね。当時、好きな女の子がいました。好きな女の子とおつきあい(時代も時代ですから深刻な関係ではないですが)していたものの、愛だとか恋だとかの観念に縛られてしまってーー少年時代は観念が確立しないと方向性が定められませんでしたーー身動きがとれなくなりました。
 
 春に親しくなったものの夏にはうまくいかなくなってきた。そもそもデートも月1回会えるかどうか。男女交際というものに対して世間が厳しいわけですよ。好きでも「ひたすら考える」しかない。
 どう考えても受験より彼女との仲を成就させることのほうが大事だと思いました。そこで、もう受験はどうなってもいいから全時間を彼女について観念的に考えることに使おうと決めました。
 男子校でしたから異性のことで悩んでいた人間はいましたが、恋愛のために受験をあきらめた人間は私以外には周囲に1人しかいませんでした。みんな「受験が終わるまでそれどころじゃないよ」と言う。
 
 私はそういう仲間をすごく不純に感じた。ちょっと前まで「女の子のことで頭が一杯で勉強も何も手につかないよ」と同調してくれたのに。裏切られたような気持ちがして、こういう不純な連中とはもう口をきかないようにしようと考えたものです。
 自分はいまも、これからも、永遠に永遠に恋愛に生きるんだ! と1人で興奮しましたよ。その結果、受験だけでなくあらゆる世間の成功ーーいわゆる立身出世ーーからは見放されるだろうという予感はありました。恋の歌さえ残せれば、私はそれでよかったのです。
 
 なんて話ができるわけがありません。とは言え私を観察している幾人かの生徒は、私がそういう人間であるということに直観的に気づいているような気がします。そこに妙な信頼関係が成立していたりする。
 ある種の人間にとって・・・確かに恋の歌さえ残せればいいのですよ。
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2018.01.15 07:51

 私がたまにうかがう定食屋さんがあります。夜は居酒屋さんになるのかな。腕のいいーー私より明らかに年上のーーご主人が数種類のランチを作っているのですが、どれも非常においしい。激安店ではありませんが、この味でこの値段なら十分お得という気持ちになります。
 お客さんは中年のサラリーマンが多いですね。落ち着いたお店なので、あまりはじけた方はいらっしゃらない。女性同士のお客さんもよく見かけます。
 
 私はだいたい1人で行くのでカウンター席に座ります。本当にいいお店なのですが、ちょっとだけ問題がありご夫婦の関係があまりよろしくないのです。
 喧嘩をするというより・・・ご主人が昔かたぎな方で、奥さんをしょっちゅう小声で叱責しています。「あとにしろよ!」「そんなところに置くな!」「こっちが先だろ!」「洗いはどうなってるんだ!」ほぼ無声音なので、カウンター席で注視していないと気づかないかもしれません。
 
 奥さんはもう慣れっこになっているのでしょうね。表情一つ変えない。つまらなそうな顔でとにかく言うことを聞いています。そういう姿勢もまたご主人にはかちんとくるのかもしれません。
 あるときこういうことがありました。3人組の中年サラリーマンがテーブル席に座った。1人の方は刺身定食を注文し、ご主人は刺身を切りはじめました。途中で何かが起き、奥さんを叱責しはじめた。珍しく奥さんが言い返したのです。するとご主人は激高して「刺身はなし!」と包丁を置いてしまいました。はらはらしましたよ。
 
 気の毒なのは奥さんです。お客さんのところに行って申し訳なさそうに「お刺身は終わってしまいました・・・」と告げた。お客さんは気づいていたみたいで苦笑しながらほかのものを頼まれていました。
 最近行ったとき、珍しくご夫婦が笑顔で働いていらっしゃった。ご主人の機嫌がよく、奥さんも安心している感じが漂ってきました。どう考えてもお店の雰囲気はそのほうがいいですし、そもそもご当人たちが幸せそうでした。
 
 自分をコントロールするように心がけることで、私たちは世の中全体のみならず自分自身をも幸せにできるということですね。不機嫌というのはある種の生活習慣だとも思うのです。必ずしも原因があって不機嫌になるわけではない。不機嫌になるためにわざわざ原因を探してしまうことさえある。そのあたり、私自身も気をつけようと思います。
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2018.01.14 00:12

 今週新たに開校となるZ会進学教室八王子教室で来月の頭に講演することになりました。2月4日、日曜日の午前中ですね。お近くの方、よろしければいらしてください。お電話やネットでお申しこみができるようになっているはずです。
 昨年から仙台、南浦和、八王子と・・・新教室で順番にお話させていただくことになりました。私自身本当はよくわかっていないのですが、新しくできた教室でお話をさせていただくスタイルになってきているみたいです。来るなと言われるよりは、来なさいと言われたほうがいいですね。
 
 八王子にはちょっとした思い出があります。
 あれは1999年ですから、もう前世紀になるのか。私は会社の仲間と朝まで飲んでいてカバンをなくしました。けっこういいカバン。
 たぶん電車の中に忘れたのでしょうが、確信はありませんでした。何しろ酔っ払っていましたから。JRに問い合わせようかとも思いましたが、どこでどういう状況でなくしたのかは全然わからないので遠慮しましたよ。
 
 仕方がないかと思っていたら、会社に電話がかかってきました。それが八王子警察署です。長野正毅という先生はいますかという電話でした。当時の本部教室にかかってきた。私はちょうどそこに居合わせたのです。
 いったい何のお咎め(?)かと心配しながら電話口に出てみると、あなたのカバンがここに届いていますよと言われました。どなたかが電車内で拾って届けてくださった。警察が中を確認した。すると私のものがいろいろと出てきた。どうやらZ会の先生らしいということでお電話をくださったのです。
 
 ああ、確かに高尾行きの網棚に忘れたみたいな気がするなあ・・・とは、ずっとあとで考えたことです。翌日だか翌々日だか八王子警察まで引き取りにうかがいました。それ以来の八王子訪問だと思います。
 新教室をめぐっていく過程ではどこでも同じ種類のお話がいいと思うので、子育てや勉強についての心構えを中心に話そうと考えています。勉強法が必要になるのはそのあとですからね。
 
 ちなみに同じ年、私はもう1度カバンをなくします。そのときは豊田のある施設まで取りにうかがいました。豊田行きの電車の中で忘れたという自覚があったので、比較的簡単に見つかりました。
 施設は豊田駅から少し離れた場所にありました。忘れ物を保管しておくところらしい。途中、畑があった。こんな光景を幼稚園生だった息子に見せてやりたいと思い、次の休みに連れて行ったことを覚えています。
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2018.01.13 07:01

 昨日の朝刊に野球の松井選手の現役時代のエピソードが掲載されていました。大リーガーでも大活躍された「ゴジラ」松井秀喜選手ですね。
 野球にあまり興味がない方にも名前を知られた歴史に残る名選手ですが、記事を読んでいてなるほどなーと感心したことがありました。以前、イチロー選手の特集記事を何かで読んだときも似たような記載があった。タイプは違っても歴史に名を残すような一流選手は同じ結論に行き着くものなのかもしれません。
 
 キャンプのときですね。キャンプのときに大切なのは宿舎に帰って(1人になって)からだということを強調されていました。1人で徹底的に長島監督仕込みの素振りを実践したそうです。長い時間をかけて徹底的に振り続けた。翌日の練習をイメージしながらひたすら練習したそうです。キャンプだけでは集団で同じことをやっているので差がつかないと自覚している。
 これは勉強で言うとどういうことになりますか。塾の講習に行った。仮に1日5教科真剣に5時間勉強した。
 
 それはそれでたいしたものです。真剣にやったのであれば相当身についたはずです。あー、疲れた、あとはうちでゆっくりしよう・・・が人情ではあると思いますし、それもまた間違った生き方ではないと思います。
 ただ松井選手のように(あるいはイチロー選手のように)、みんなでやった勉強(練習)が終わってからが本当の勉強(練習)だという発想を持つ人間は絶対にいるでしょう。当日の復習と翌日の予習に授業をイメージしてじっくり取り組む人が。
 
 面白いのは、1人になっても変わった練習をしていたわけではないというところですね。素振りをしていた。イチロー選手も柔軟体操と素振りと・・・あと何かあったかもしれませんが、そんなものでしたよ。
 勉強で言ったら計算や漢字の練習、英語や古文の音読、活字をひたすら読む、暗記しなおす、と言ったところでしょうか。そういう基礎的なことを黙々と「ここからが本当の勉強なのだ」と毎日できるかどうか。そこが「まあまあできる人」と「超一流の人」の境目になるのでしょう。
 
 これは別の雑誌で読んだ教育関係の記事ですが、いわゆる優等生のご家庭ではおうちの方(とくにご両親のどちらかやご兄弟)が勉強している姿勢をしばしば見せていたケースが多いと報告されていました。わざと見せていたというよりは自然なのでしょうね。
 子どもはおうちの方が「自宅でも」仕事や勉強をされている姿をじーっと見てきた。帰ってきてからもこうやってまだ何か勉強しているのか。そういう印象が、自分も同じように頑張ろうという気持ちを醸成したかもしれません。
 
 
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2018.01.12 07:49

 昨日の小宇宙についての続きを書きたくなってきました。
 たとえば名古屋に旅行するとしますね。こだま、ひかり、のぞみとまあ3つの選択肢があります。ここで考える。今回は新幹線に乗っている時間そのものも楽しみたいのか、それとも早く着くほうが楽しめるのか。
 自分の場合、けっこう車内に長く留まっていたい気持ちがあります。車内でのんびり飲み食いしたり景色を眺めたりしたい。それなら・・・こだまで行くかということになりますね。
 
 余裕があまりないときは自由席の先頭車に乗ります。がらがらなのです。余裕があるときはグリーン車ですね。「ぶらっとこだまグリーンプラン」はプランのお客さん同士席を固められてしまうので、あえてフリーで券売機で座席を選んで買うこともあります。何千円か違ってくるのですが、そこは納得できる。
 1つ問題なのは、こだまには車内販売がありません。お弁当とかビールとかは買っておくとして、本当は名古屋に着くちょっと前に車内販売のブラックコーヒーを飲みたい。さっぱりしたいのですね。
 
 ただそれは絶対にむりですから、のぞみやひかりにしなくていいのか改めて作戦をたてます。
 酒類は2つ買っておきます。ビールと赤ワイン。気に入っている携帯用の赤ワインは東京駅に隣接している大丸デパートの地下でしか売っていません。小さいワインは他にもいろいろあるのですが、こだわりがあってどうしてもそのコップつきの携帯用ワインにしたい。すると少なくとも大丸デパートが開く10時前の新幹線には乗れないということになります。
 さらにお弁当はーーいろいろと試しに試した結果ーー現在はわざと軽めのサンドイッチ(やはり大丸で売っている)にしています。
 
 このサンドイッチは非常においしい。量はなくても質はすごくよくて、コンビニのサンドイッチの3倍ぐらいの価格ではあります。それを買って準備万端で左側の座席(海を見たい)に陣取ります。
 どこでビールを飲みはじめるかですが、車内では列車が動く前から飲み食いしている方もけっこういます。ちょっと風流さが足りないなあ。できれば新横浜駅を出てからにしたい。人の動きがそのあたりで落ち着きますからね。
 
 と思ったけどあまりにもがらがらなので、新橋あたりでもういいやとプラスチックのコップ(ちゃんと用意しておく)を取り出し、思いっきり泡をたててビールを注いでいたら品川駅から大量の外国人グループが乗ってきて、1人の明るいおじさんに「グーーーーッド!」と泡のたったコップに向かって親指をたてられて恥ずかしい・・・というようなエピソードも多々あるのですが、小さな宇宙が展開していく感じでしょう?
 私が楽しそうに見えるとすれば、こうした工夫が人生で連綿と続いているからではないかと思いますよ。
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2018.01.11 02:57

 大人でも子どもでも、何をやっても面白くないとおっしゃる方がいます。自分の人生には楽しいことが全然ない。長野先生には面白そうなことがたくさんあって本当にうらやましい・・・とおっしゃるのですが、私の人生は普通のおじさんの人生(?)でしかなく、特別面白おかしいことが大量に起きているわけではありません。
 普通に目覚めて食べたり飲んだりして仕事に行き娯楽の時間も適当に持って寝る、ということの繰り返しです。自宅にサンドイッチマンさんが毎日いらしてくださるわけではないですよ。
 
 コツのようなものがありますかと質問されればコツとまではいかないのですが、次のように答えるようにしています。
 つまり私はやることすべて1つの小宇宙だと考えるようにしています。そしてその小宇宙をどのように充足させようかということを計画実行します。
 たとえばお風呂に入りますね。最初から最後までを1つのまとまりのある映画みたいに考える。ためる湯の温度、湯船に温まる時間、使う入浴剤などすべて作戦をたてます。
 
 食事もそう。ただ漫然と食べることはなく、あれこれと作戦をたてる。人と飲みに行ったときも相当考えます。「食の軍師」というコミックのことを以前ブログでも取りあげましたが、あんな感じです。さすがにライバルを作って闘うところまではいきませんが、この流れだともうこれは頼めないぞとか、ここまできたらこういう感じで流していくしかないなとか、要するに起承転結を自分で用意します。どらやき1つ食べるときでさえうきうきとそうします。
 たかが昼飯じゃないかとか飲みなんだから何も考えずに・・・という形にはしません。
 
 何もかもが小宇宙であるという認識のもとにもちろん授業も展開しているつもりです。授業時間なども非常に厳格に守っているのですが、そのあたりも小宇宙なので規則性を大切にしたいという気持ちがあります。これは私個人の発想のクセにすぎず、他の先生のやり方をどうのこうのと言いたいわけではまったくありません。それぞれの先生の個性があるからこそ面白いのでしょう。
 ただ何事も小宇宙をやるぞー(?)とご自身に宣言してからはじめると充実することは間違いないですよ。一杯のコーヒーを飲むことでさえドラマになる。
 
 つまり1泊旅行でも将棋を指すのでも、駅までの道を歩くこともどなたかに手紙を書くことも、その日の服装も電車の中での姿勢なんかもぜんぶ小宇宙。
 その姿勢が楽しそうに見えるのかもしれませんね。
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2018.01.09 13:25

 これは受験に限りませんが、受かったり落ちたりということはつねにありますね。実力もそうですが、運が介在する要素もとても大きい。中にはアクシデントで受験日に試験会場に行けなかったという方もいらっしゃる。私ぐらい長く(四捨五入すると40年になります)この仕事を続けていると、そういう方も複数知っています。
 残念な思いをされている方に伝えたいのですが、よくよく考えてみてください。あなたの本質みたいなものはじつは変わりません。合格でも不合格でも変わらない。あなたはあなたです。
 
 そこをまずしっかりさせてください。
 自分は自分である。受かればおめでとうと言われるでしょう。残念な結果が出ればーーそんな方が周囲にいらっしゃらないことを祈りますがーーひょっとしたら心ない言葉を投げかけられることもあるかもしれません。ただどうであっても、あなたはあなたです。あなたはあなたである意味において偉大ですし、あなたである意味において卑小でもあります。
 私は昔から感じているのですが、増えたり減ったりするものは自分の本質ではないと思っています。わかりやすい例がお金ですね。
 
 増えたり減ったりする。増えれば楽で減れば苦しい。ただそれは生活がそうだということであって、私自身の他者に対する思いやりや愛情がどうこうなるわけではありません。私は私です。逆に言えば、そんなことで人間性そのものがよろよろしているようでは修行(?)が全然足りないのであって、60年間も生きてきていったい何を学んできたのだということになるでしょう。
 ですから、増えもしない減りもしない何かをつかむことこそが人生では大切ではないかと思うのです。
 
 肩書きはいろいろ変わるでしょう。何々中学、何々高校、何々大学、何々大学院、何々企業、さらに書記だとか部長だとか生徒会長だとか役員、取締役、名誉会長・・・つねにいろいろ変わってくるとは思います。それはもちろん意味のあることではあるのですが、肩書きが全然通用しない場所でこそ、じつはあなたの真価が問われるのも事実です。
 満員電車の中で私は生徒会長なのだから、あるいはどこそこの部長なのだからもっと楽にしろと主張したところでそれが何だ? と言われてしまうだけです。
 
 勝ったり負けたりは人生の常で、勝ちが負けに変じたり負けが勝ちに変じたりというのもまた人生の常です。どういう状況下でもあなた自身が試されているということを忘れないように。人生全体から見れば、勝っても負けても一瞬のことでしかありません。何々高校に合格した人全員が一生の富と幸福を保証されるなどということがあり得ると思いますか? そうではない。何々高校合格者もご縁がなかった人も、ご本人のその後の考え方によって幸福になったり不幸になったりしています。つまりどんな状況下でも「あなたがあなたの人生を決める」ということです。
 
 勇気を出して顔を上げて、ここから進む。私は私を全面的に生き切ってみせると自分自身につねに宣言していますか。私には肩書きが必要だ、ではないですよ。あなたの夢はじつはあなたを探しています。人が夢を追いかけるだけではなく、夢もまたふさわしい人間を探し続けるからです。
 立ち上がって明るく前に進みましょう。ここからいいことを起こすのはご自身なのですから、暗くなる必要はない。そうでしょう?
 
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2018.01.09 02:31

 よく聞く話ですね。子どもというのは、ある年齢になると親の言うことはなかなか聞かなくなるものです。しかし、ご両親の真似はじつによくしている。ただご家族全員そのことに気づいていないことが多い。
 皮肉な見方などというのは、そのまま伝染するように感じます。いいことか悪いことか一概には決めつけられないでしょう。ただ保護者の方がおうちで痛烈な学校批判などを展開されるとご本人もーー事件がなくてもーーそうした目で物事を判断するようになりがちです。
 
 おうちの方は大人なので批判はしてもそこはちゃんと考えて行動されている。そしてお子さんにも口頭で「そうは言っても学校の内申は大事だからしっかりやるだけのことはやりなさい」と伝えます。ところがこれはあくまでも「言っていること」なので子どもたちは全然聞きません。
 そして先生に対して批判的な反応が目立ってしまったりします。学校の先生は敏感に察知するので、せっかくテストでいい成績をとっても5をつけてもらえない。どうしてですか? と質問に行くと「ふだんの態度が悪い」とあっさり言われてしまう。
 
 ときどき保護者の方がわざとこちらに腰を低く接してくださることがあります。隣にお子さんがいらっしゃるのです。「あ、お手本を見せているのだな」とすぐにわかります。じつはそこまで丁寧に接してくださらなくても、十分信頼関係はできています。できているのですが、先生という存在にはこれぐらい丁寧に接しておくといいことがあるよと身をもって教えてくださるわけですね。
 すると生徒も非常に愛想よく、礼儀正しく接してくれるようになります。大人とのコミュニケーション作りが上手になる。
 
 言葉遣いも子どもは家族の真似をしますね。それこそいい悪いではないのでしょうが、おうちの方が昔のべらんめえ口調みたいな感じだとお子さんもしばしばそうなります。敬意の表現は机の上で学んで使えるようになるわけではありません。周囲の大人の言葉遣いを聞きかじりながら身体で覚えていきます。
 ちょっと「うかがって」みました、本当に感謝「いたして」おります、こちらも「承知して」いたのですが、おいしそうに「めしあがって」いた・・・こうした言葉は自然と使えるようになるものです。
 
 意識してこうなってほしいという方向に導いてやれるといいのですが、それは言葉ではうまくいかないことだけは確かです。行為によってーー整理するとか挨拶するとか興奮せずに話すとか落ち着いて本を読むとか勉強するとかーー教えていければいいように感じます。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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