2017.09.26 00:32

 事実より大きなことを示そうという姿勢を「はったり」と表現しますね。はったりをきかすとか。きけばよかったのでしょう。しばしば見破られて、きかせたつもりのご本人が皆さんに笑われていたりします。ところが、だいたいは見破られていることに気づかない。世間はーー優しいような冷たいようなーーそうしたことをいちいち指摘したりはしないからです。
 するといつまでもいつまでも見栄をはって生きていくことになります。自業自得とも言えそうですが、複雑ですね。
 
 自分は昔からはったりみたいなことが嫌いでした。道徳的な何かではありませんよ。気質的なものです。実際にはないことで自分自身を大きく見せようとすること自体が惨めな感じでたまらない。ですからどちらかと言えば、じつは可能なことも自分はできないと逆はったり(?)をきかせてきたぐらいです。
 何が書きたいのか。
 おととい私は小学生時代に40以上の電話番号を暗記していたと書いた。はったりだと考える方がいらっしゃるかもしれないと思いました。
 
 きちんと書かなかったのがいけないですね。これは自宅の番号や110番、119番、117番、177番、104番・・・などをすべて含んでということです。いたずら電話先の何とかの1111番というようなものも含んでいます。そこはいまはもうなくなってしまった結婚式場でした。以前もこのお話はどこかに書いたのではなかったか。「結婚したいんですけど」といたずら電話をかけたら、受付の女性に「ぼく、だれと結婚したいの?」と笑われてしまいました。小学生でまだ声変わりしていなかったのですね。
 そういうものも含んでの40いくつかです。
 
 ちなみにいまはいくつ覚えているだろうと思って、昨日のお休みに書き出してみました。するとほとんどがそれこそ当時覚えた番号であるということに気づきました。中学時代の友人宅(!)とか。ここ数年はほとんど増えていません。さすがに渋谷教室の番号などは暗記していますが、個人宅はまったく増えていません。
 検索で一発で出てしまうからでしょう。それはそれでいいものの、少なくとも脳を鍛えてはいないですね。結局、子ども時代の半分しか出てきませんでした。
 
 飲み屋さんなんかで、ときどき「芸能人の知り合いがたくさんいる」みたいなことをおっしゃる方を見かけることがあります。本当なのかはったりなのか私には判断できかねるのですが、気の毒なことに皆さんからは完全に甘く見られていたりする。
 西荻の沖縄料理のお店で昔、コメディ界のすごい大物の名前をあげて「あいつの芸はぜんぶおれのパクリだ!」と憤慨されている自称「浅草の売れっ子芸人さん」がいましたが、さすがにそれはないだろうという気がしました。
 まあ、はったりをきかせる方にはそう悪い方はいないような気はします。
 
 はったりというのは、自分とは離れたところに価値を置くということですね。等身大のご自身では自信がない面があるので、芸能人の友だちが・・・という形をとる。ただ本当は、自分は自分でしかないというところからスタートできるのがいちばん幸せだと思います。
 もっといい成績をとりたいのであれば、もっといい収入を得たいのであれば、あるいはもっと認められたいのであれば、黙々とご自身を鍛えていくほうがよさそうです。仮に何か惨めな思いをされたとしても「はったり」という形で表現してしまわずに「黙々と鍛える」エネルギー源にする。いくつになってもそうあるべきだとは思いますよ。
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2017.09.24 00:55

 読み解く力が衰えてきているのは、あまりにも紙で読む体験が少ないからでしょう。紙で読むのと画面で読むのとでは何かが違う。ただ、それが何であるかということはこの先なかなかはっきりしないでしょうね。ただーーこの話は完全にタブー視されていますがーー1970年代後半、高層階に住む子どもと低層階に住む子どもとでは情緒の発達に差が生じると言われていたのと同じような微妙な差異が確実に存在しているのではないかと私は考えています。
 そして、もちろん紙「も」読んだほうがいい。試験もとりあえず紙ですからね。
 
 昨日の新聞に国立情報学研究所の新井紀子先生の調査結果がまたまた掲載されていました。新井先生の調査については以前から講演会などでお話させていただくことがありました。今回は公立私立中高生2万1000人を調査されたそうなので、これはもうある意味で結論みたいなものかもしれません。
 やはり教科書すら読めていない。教科書が読めていなければ問題集も参考書も何も理解できないですよ。中学1年生2年生は35%ぐらいが正確に読めていない。中学3年生でさえ25%がきちんと読めていないそうです。
 
 図表を文章からイメージする問題にいたっては中3の平均正答率が3割台(!)でした。理科や数学の先生が「国語力がないので問題内容を勘違いしている子が多い」と嘆いていらっしゃるのもむりはないなと感じました。
 読めるようになりたいというのであれば、とにかく紙でたくさん読めとしかアドヴァイスしようがありません。「量を読んで体験を積み重ね質を高めなさい」以外に何が言えるでしょう。ところがご本人はわかっていない。「効率よく」やることだけを求めてきます。受験学年にちょこちょこっと問題集でもやれば読解力はあがるだろうぐらいに考えている。
 
 さらに非常に重い結果も出ていました。高校生になると1年生も3年生も読解力は変わらないそうです。高1から高3で、たったの3%しか変動しない。「高校で読解力の向上が見られないことから、中学3年までに読解力を養うことが急務」という新井先生の言葉が引用されていました。
 私は中3ではもう遅いと生徒たちには話しています。中3(あるいは高校)からという方のためには特別な方法がないことはない(相談されたら個人的にアドヴァイスしています)のですが、中1中2生には中3になったら本当に大変だからできるだけいまのうちにたくさん読めと言っています。
 
 いまの子はいろいろなことができますが、だいたいは機器に頼り反応の速度やテクニックで器用に乗り切っている印象が強い。そのことを悪いとは言いませんが、自宅の住所や郵便番号が曖昧だったり、暗記している電話番号が1つしかなかったり、どうせわからないからと地図は見ずに音声だけで場所を調べたりしている様子を見ていると、本当に大丈夫なのか? という気持ちになることはあります。昔はそんな子どもは周囲にいませんでした。私なんか小学生のときには40以上の電話番号(いたずら電話先も含めて)を暗記していましたよ。ときどきノートで確認して楽しんでいたので間違いありません。
 
 反応速度ではなく、じっくり読んで理解し隠された意味を発見するという力は実際に読み進めていく流れの中だけで熟成してくるものです。1日15分間の活字読み(読書とはあえて限定しません)の習慣を、本当に大切にしてほしいと思います。
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2017.09.23 00:59

 先日、アルバイトについてのご質問をいただいた。いろいろと思い出したこともあるので、大学時代のアルバイトについて少し書いてみたいと思います。
 若いころの私は、基本的に働かないで生きたいタイプの人間でした。つまりお金がなくても自由さえあればいいという考え方でしたかね。周囲にはばりばり働いて高価な何かを買っている友人もいましたが、私は物欲がなかったのでお金を稼いでも適当に飲み食いするだけなのです。しかも当時はたいしてお酒も飲まなかったので、稼ぎたい=働かなければという意識が乏しかった。
 
 それでもいろいろなことをやりました。いちばん楽だったのはデパートの生け花展の水運びでした。40年近く昔のことなので記憶が定かではないのですが、デパート内で生け花展があり大勢の女性がそれぞれの花を準備されている。水が足りなくなったら補充するというぼんやりしたいい加減な仕事でした。
 1日中、ほとんど座って仲間たちと雑談していました。それでもかなりの額をいただいたのではなかったか。期間が2日間だけでしたので、金額も高かったのだろうと思います。
 
 パン屋さんのアルバイトも面白かった。もともとは妹が手伝っていた近所の個人店なのですが、妹が忙しくなりときどき私が手伝うようになりました。お客さんがほとんど来ないお店で、ずーっとFEN放送で音楽を聴いていました。
 日曜日は午後の8時にお店をしめ売上げの計算をするのですが、その時間帯のFENはフュージョン・アワーとかで私はそのときグローバー・ワシントン・ジュニアのある曲を聴き大変な感銘を受けました。
 何年も何年もかかって、それが「パラダイス」という曲だということを突き止めたものです。
 
 家庭教師のアルバイトも楽しかった。数人教えましたが、数年前その中のお1人と衝撃的な再会を果たしました。ただあちらは気づいていらっしゃらない。街中の看板を見て、私だけが「あ、あの子だ!」と気づいたのです。ある街をうろうろしていてーーその子のご実家とは全然関係ない場所ですーーまったく偶然に彼のフルネーム(珍しいお名前なのです)とイラストつきの大きな看板を目撃しました。
 わざわざ確認はしませんでした(相手も驚かれるでしょうから)が、まず間違いないと思います。彼もいまでは50代か。大学生の私が教えていた当時は、かわいらしい中学生だったのですが・・・
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2017.09.22 01:55

 10月9日の祝日に、新しくできるZ会進学教室仙台教室でお話させていただくことになりました。1時間半ぐらいですね。子育てと勉強について。近隣の方、よろしければいらしてください。午後1時にスタートします。
 私はーーいつでもそうですがーーできるだけ普遍性のあるお話をと考えています。いいことはどこのどなたにもいいのです。愛情深く接することは、相手が小学生でも中学生でも高校生でも大人でも、明治時代でも昭和でも平成でもいい。
 
 そしてまた悪いことはどこでも悪い。虐待なんかしたら、相手が人間でなくてもいけないですね。そういうルールはじつにシンプルで、シンプルすぎて逆に見落とされがちであったりもします。よいお話ができるように準備しようと思います。
 仙台にはこれまでに2回旅行したことがありました。最後から2回目に家族旅行をしたのも仙台でした。そのとき、私は極端に体調が悪かった。夜は1人だけ早く寝てしまいました。
 仙台駅前で小学6年生だった息子が「下の学年のやつがいた」と言っていたのも印象に残っています。帰省されていたのかもしれません。
 
 中学生になると息子は「親と歩くのは恥ずかしい」と言い出しました。私自身、10代のころはよくそんなことを考えたものです。ですから、私もどこかに行こうとむりに誘ったりはしませんでした。中学3年生のとき、息子は脚をけがをしたことがありました。学校でふざけていて筋か何かを切った。
 そのときもクリニックに1人で行くと言い張ったのですが、何しろ歩けないので私がタクシーでお医者さんに連れて行きました。「一緒に外出」できて、ちょっとだけうれしかったのを覚えています。
 
 親と歩くのは恥ずかしいというのはきわめて健全な反応ですが、全員がそうおっしゃるわけではありません。ある人は一緒に歩くのは大丈夫でも、部屋には入らないでと言う。ある人は部屋には入ってもいいけど、友だちのことは干渉しないでと言う。ある人はまったく何も喋らなくなる。ある人は乱暴なことばかり口にする・・・という具合に症状(?)は千差万別ですが、いろいろ出てくるのが10代でしょう。大人側の心構えとしては、とにかく冷静に向き合ってくだされば大丈夫なので、そのあたりもお話してこようと思います。
 
 今回は日帰りです。行って話して帰ってくる。お話をいただいたあとで、じつは当日6年生の授業(6V)がスタートすることにも気づきました。何とか代講を出さずにやれないものかと画策しています。算数の先生と相談してみよう。5時では間に合わない可能性がありますが、6時なら大丈夫そうです。算数と国語の順番を入れ替えれば当初の予定通り私自身が授業できます。そのあたり頑張ってみますよ。
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2017.09.19 02:54

 とんちゃんという名称の料理(?)があります。私が知ったのは都内のあるお店の紹介記事でした。豚の内臓を味噌などであえて焼いたもの(・・・でいいのかな)を小皿に盛って提供する。一皿100円ちょっとという驚異の値段設定でした。
 そこは有名な大衆酒場で、毎日常連さんが開店前(!)からお構いなしに入ってくると書いてありました。Youtubeでーー確か「おんな酒場放浪記」だったかーーそこのお店を取り上げている回を偶然見たのですが、なかなか勇気がなくて訪問できないままでいます。
 
 ところが、このとんちゃんというのは有名な料理だったらしい。先日買った名古屋のガイドブックに大量に出てくる。あちらにもこちらにもとんちゃんを扱うお店が出ていました。
 何のことはない、昔から名古屋ではごくごくあたりまえの料理だったみたいですね。豚の腸(お店によって部位は少し違ってくるみたいです)なんかを八丁味噌や豆味噌(これまたお店によるみたいです)に揉みこむ。それを七輪に乗せて焼いて食べる。お酒のあてにもいいしご飯も食べられると紹介されていました。
 
 私は名古屋探訪歴40年になります。旅行のチャンスがあればまず名古屋に行くことを考えますし、だいたいは実際に名古屋に行きます。これには理由がいくつかあるのですが、それはまあ省略します。それだけ名古屋に来ているわけなので、何十年も前から名古屋のガイドブックは買い続けています。あまりに古いものは捨ててしまいました。自宅にある最古の名古屋のガイドブックは四半世紀ほど昔のものでした。
 当時もとんちゃんは存在していたはずなのですが、ガイドブックには一切紹介されていません。
 
 90年代、あるいは今世紀に入ったころのガイドブックを調べてみてもやはりとんちゃんについて紹介された記事はまったく見あたりませんでした。ひつまぶしやきしめんや味噌カツ、味噌煮込みうどんなどは必ず載っているのですがとんちゃんは載っていない。
 これは1つには当時の感覚としてガイドブックを買う方たちーー比較的お若い方や女性が多いような気がしますがーーに、豚の内臓を食べるイメージがなかったのではないかと思います。
 
 大衆酒場やとんちゃんが紹介されるようになったのは、情報公開という意味ではいいことなのでしょうね。七輪で焼くのは私世代には魅力的ではあるのですが、1人ではなあ。東京に支店を持つお店もあったので・・・いずれ息子でも連れていこうかと思っています。
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2017.09.18 00:14

 先日、歩きスマホの若い女性にわざと激突した男の人の記事を読みました。駅の構内で勢いよくぶつかって、女の人は転倒した。打ちどころが悪く、一時は生命が危ない状態だったみたいです。後頭部から倒れたのでしょうか。そのあとどうなったのかは確認していませんが、とりあえず亡くなったりはしなかったみたいでよかった。ただ後遺症は残るかもしれないですね。
 防犯カメラで確認したところ、男性はわざわざ向きを変えて激突したという話でした。確信犯的な何かだと思います。
 
 この歩きスマホの方に対して腹をたてる現象はとても興味深いものがあります。私の知人ーーと言っても飲み屋さんで知っているだけですがーーにも歩きスマホは絶対に許せないといきまいている方がいました。「見かけたらわざとカバンをぶつけてやるんだ」というのですが、そんなことわざわざしなくてもいいのになという気持ちがないでもありません。
 歩きスマホをいやがる方たちは異口同音に「だって危ないじゃないか」とおっしゃいます。それは事実でしょう。危ないことは危ない。
 
 ですから、あちらから歩きスマホの方が歩いてきたら、私は注意深くよけます。よけなくても何となくあちらが気づくことも多いですね。まずぶつかる心配はありません。スクランブル交差点でも複数の方が歩きスマホでこちら側に渡ってこられることがありますが、私は1度もぶつかったことはありません。ましてやわざとぶつかってやろうという気持ちにはなりません。
 そして、私が彼らに激突しようという気持ちにならないのは自分が単純に幸せだからではないかと思うのです。
 
 怒りという形で表現せざるをえないような何かがない。そうした負のエネルギーはしばしば噴出するチャンスをうかがっているものです。どこかで爆発したい、うっぷん晴らしをしたい。私にはそのうっぷんがない。ですから、何かをきっかけにしようという気持ちは皆無です。
 あちらから歩きスマホの方がいらっしゃったら器用によけます。よけて「危ないな」とは感じるかもしれませんが、それで終わりです。親近感は持たなくても憎しみも感じません。
 
 何かで腹がたったときに負のエネルギーが形を変えているのかもしれないと意識することは大事なことだと思います。子どものころはやたらと感情的になるときがありましたが、目の前の事象に対してではなくじつは環境に対して憤りを覚えていたからでした。そういうことは大人になってから自覚しました。
 改善すべき点は、他者の歩きスマホ(やそれに類する何か)ではないのかもしれません。そこに気づくだけで、人生はずいぶん変わってくるものだと思います。
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2017.09.17 00:38

 たまには勉強の話題にしますかね。何度か書いていますが勉強方法に関しては、ブログの右端「長野先生からの応援メッセージ」に77回分記事があります。すべて勉強関係のお話だけですので、ご参考になさってください。
 何を書いてもその77回のどれかの繰り返しになってしまうので、最近は意識的にあまり勉強の話題を取り上げていませんでした。ただ最近つくづく感じていることもあるので、そのあたり触れてみます。
 
 私たちは何かを読んでいるとき、全部の言葉の意味を熟知しているわけではありません。それはどの状況下でも、です。読書をしているときも新聞や説明書を読んでいるときも問題文を読んでいるときも、全単語について熟知しているというのはむしろ珍しい現象だと思います。
 そうなってくると未知の言葉(単語だけではなく慣用表現、言い回しなども含めて)に対する類推力みたいなものがすごく大切になってきます。そもそも調べてさえわからないことだってあるのですよ。
 
 そのとき、こういう感じじゃないかな・・・と類推できるかどうか。経験の差が如実にあらわれてきますね。経験というのは何をどれだけ読んできたかということです。経験が乏しいとまったく類推できません。そのうえ、調べても調べてもピンとこなかったりする。
 例をあげましょうか。「魑魅魍魎が跋扈する」という表現があります。中学生の方、読めますか? 「ちみもうりょうがばっこする」と読みます。文脈の中にぽんと出てくる。たくさん読んでいる方なら中学生でもだいたいの想像はつくでしょう。
 
 想像というのはこういう感じです。あまりよくないことがたくさん起きているな・・・ぐらいはわかる。1文ではもちろんわかりませんが、慣れている方にとっては文脈の中でつかむのはそう難しいことではないでしょう。
 それこそ辞書だけを調べたって的確にはつかめません。魑魅魍魎は辞書をひけばおそらく「お化け」という意味が出てくると思います。跋扈は「悪が勢力を増す」ぐらいでしょうか。しかし、「魑魅魍魎が跋扈する」という記事の中にはお化けと関係する内容はまったく入ってこないはずです。つまり比喩なのです。
 
 そういう類推をどんどん働かさないとスピーディーに読めません。文章を理解する条件の中にはすばやく読めるという要素も入ってきますから、類推できない人はつっかえつっかえで抵抗感ばかり増してきます。それでますます読まない→いつまでたっても類推力がつかないという悪循環が生じてくる。
 結論としては同じことの繰り返しになりますが、量を読んで慣れるしかない。読解力をつけるためには、教材がどうのこうの塾がどうのこうの以前に「読むしかない」のだという覚悟を決めてください。
 
 知らない言葉でさえどれだけわかるかということが、高度な読解力がある/ないの分かれ目になってきます。そのためには読むしかないということです。
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2017.09.16 00:50

 いまの地域(杉並区)に住むようになってから、今年で25年になります。それまでは新宿区や練馬区に住んでいました。生まれは中野区ですから、そんなに大きく動いたことはありません。25年間で3回住居を替わりました。その3軒はせいぜい徒歩10分ちょっとの距離です。要するに同じ町内をうろうろしているような形です。
 25年前からビデオやDVDを借りているお店がありました。25年前はすべてビデオでした。青梅街道沿いにそのお店はありました。
 
 しだいにDVDばかりになり、いつのまにか店名も変わっていました。個人店だったのがいつのまにかチェーン店の傘下に入っていた。昔は毎晩ぎわっていたのですが、だんだん人が集まらなくなってきました。レンタルだけでなく、ゲームソフトなども販売していて、息子はときどき購入していたみたいです。
 私自身が昔のように映画館で映画を見なくなりました。最後に見たのは昨夏の「インディペンデンス・デイ」の続編ですね。つまり1年間映画館には行っていない。見たい映画がないわけではなく、自由になる時間が乏しい事情があるように思います。
 
 するとやっぱりDVDで見られるのは便利なのですよ。最近、見逃した「ライフ」も見逃しそうな「マミー」もいずれDVDのレンタルで出てくるでしょうから、そのとき借りようと考えていました。
 ところが近くのお店は今月で閉店になることが判明しました。今月で完全閉店になります。すると近隣にDVDのレンタル店が1軒もなくなります。致命的な何かでは全然ないのですが、不便は不便ですね。
 
 チェーン店ですから系列店はいくつかあります。少し離れた停留所からバスに乗って終点までいかなければなりません。借りてくるだけではなく返しにもいかないといけないので(あたりまえですね)ちょっと面倒です。
 その一画には25年前は洋装店、畳屋さん、薬屋さん、肉屋さんなんかがありました。いまはぜんぶなくなっています。小さな食堂が1軒残っているだけです。
 
 現在、お店は貸し出しを終了し返却作品のみ受けつけています。先日、最後に借りたB級ホラー映画(わざとそういう作品にした)を返しに行ったとき、ごく自然に「長いあいだありがとうございました」という挨拶が口をついて出ました。店員さんはちょっと驚いたみたいです。本当に自然でした。私はそういう自分に満足しましたよ。そうは間違って生きてこなかったのではないかと。長いあいだお世話になったのですから、当然お礼は言うべきであると思ったのです。
 
 
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2017.09.15 02:06

 私は池袋教室に2004年~2010年までいました。丸7年間ということですね。そして渋谷に2011年に来て2017年度の現在までこうしてお仕事をさせていただいています。同じく丸7年間になろうとしているところです。
 池袋時代は非常に長く感じるのですが、おそらくゼロからのスタートだったからだと思います。新教室ができ、そこで教室長として働かせていただいた。ゼロからのスタートといっても生徒までゼロ人では困るわけで、あれこれけっこう気を遣ったような記憶があります。
 
 渋谷は既存教室ですでに生徒が大勢いました。そこに移ってきた形でしたから生徒が集まるかどうか、ものすごく心配な要素というのはありませんでした。
 物事にはいろいろな「方法論」があり、何が正しく何が間違えているとは一概に決められない要素もあります。ただ何をするにもより愛情深いほうが好ましいのは確実であり、現在の私はそういう人間として生きたいと日々を送っています。生徒の指導(というほどのものではないのですが)についても、高圧的な形は避けるようにしています。
 
 昔、ある生徒が他の生徒に迷惑をかけたことがありました。迷惑をかけられたほうから訴えられ、私はその加害者らしき生徒にそういう事実はあったのかねと訊きました。するとそんな事実はまったくありませんと明確に否定した。あまりにも率直な「いったいどういうことなのですか?」的な反応だったので、それならそれでいい、噂を聞いただけなので気にしないでくれと伝えてそのときは終わりました。
 ところが、やっぱりそれはウソだったということがあとになってわかりました。
 
 ウソがどうのこうのはともかくとして、注意する必要は出てきます。他の生徒にも再度迷惑をかけたりするとよろしくない。
 こうしたときに「大人にウソなんかつきやがって!」という大人げない感情を私は持たないようにしています。意識的に選択していますから、腹なんかたたないですよ。ごまかさざるをえなかったことを気の毒に思うぐらいです。
 ご本人を呼んで穏やかに話しました。ウソをつくことになった流れを特別異常なことだとは考えないとも告げました。
 
 どうして迷惑をかけたのかということもぽつりぽつりと話してくださった。ちょっと嫉妬心があったらしい。感覚的にはわかるよと言った。ただそこは人それぞれだから、きみはきみのベストの生き方を追求してくれたらいいと思う。
 それぐらいですね。もちろん保護者の方に、これこれこういうことでは困りますなどと告げたりもしませんでした。包みこむやわらかさは非常に強靭な何かであると考えています。いわゆるキレてしまったら終わりなのです。未熟な子どもならともかく、成熟した大人のほうがキレてしまったら・・・それはもう戦争を仕掛けるのと同じなのですよ。
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2017.09.14 00:18

 とくに小中学生の方にお伝えしたいのですが、私たちは自分が幸せになる大きな権利を持っています。幸せというのは非常に曖昧な概念であり、たとえば面白がるというのも幸せの中に含まれるでしょう。げらげら笑うのも幸せと言えば幸せです。
 同時に私たちは、他者の幸福を損なってはならないという義務を負っています。この場合、たとえば他者が静かにしていたいのに波風をたてたりするのは幸福を損なっていることになってくるでしょう。極端な例をあげれば寝ているところをむりやり起こすとか。
 
 いじめというのはこのあたりがおかしくなっているのです。面白い。面白いから、からかう。からかわれた相手もはじめは面白がったりしている。お互いにけらけら笑っている。ところがある時点から相手は本気では楽しめなくなってくる。それはそうです。からかわれているのですから。笑いがごくごく表面的なものになってくる。もしくはまったく笑わなくなる。
 そのとき、からかっている側ははっと気づくべきなのです。これは他者の幸福を侵害しているなと。
 
 いじめのつもりはなかったというセリフを耳にしますが、それは想像力が欠如しているからそんなことになるのです。ふざけていただけと加害者が弁解したりしますね。ふざける過程で相手がどう感じているか、それがわからないのは鈍感なのです。他者の幸福を侵害してはいけない、そういう義務を負っているのだという強い責任感を持っていないからそんなことになる。
 自分が面白がる権利ばかり主張してしまう。あなた1人がからかうだけならまだましなのかもしれません。寄ってたかってやられたらたまったものではない。それが想像できないのは子どもすぎると思います。
 
 私が子どものころ、いじめられている子どもに学校の先生が「いじめられるほうが悪い!」とめちゃくちゃなことを言っていました。いわゆる「いじられる」傾向を持つ子どもがいるのは事実でしょう。当時は体罰も当然という時代でしたから、とにかく「たくましくなれ」ということだったのでしょうか。
 きちんとした概念を子どもたちに教えるのが面倒だったのかもしれないですね。幸福を追求する権利と他者の幸福を損なってはいけない義務とを正確に天秤にかけられる大人になりなさいと教えるのが面倒だったのかもしれません。
 
 からかって楽しかった。相手もはじめは間違いなく楽しんでいた。ただからかう人数が増えるにつれ相手が暗い表情も見せるようになった。そのときこれは他者の幸福を侵害しているなと想像してすぱっとやめられてこそホンモノですよ。さらに周囲にももうやめようと言えるかどうか。それだけでどれだけ社会の役にたつ人間かわからない。
 楽しみを犠牲にしろというのではありません。あなたの楽しみが他者の不幸せは許されないという原則にかすかにでも抵触するのであれば、その楽しさは捨てるということです。えー、他のやつらはどうなの? ではない。そういうところに品性があらわれます。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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