2018.07.20 02:08

 それほど多くはないのですが、ときどき塾をやめられる方が出てきます。事情はさまざまで、部活動が忙しい、やる気がなくなった、成績が思うように伸びない、遠すぎた・・・などですかね。転居という方もけっこう多いかな。
 部活動が忙しい場合、いずれ戻ってくださる方もいらっしゃいます。1年生の途中で1回抜けて3年生でまた戻ってきてくださるケースがけっこう多い。塾そのものがいやだったわけではないことがわかり、こちらもほっとします。
 
 通塾時間というのはーー渋谷教室の場合ーー平均して40分ぐらいでしょうか。けっこう遠くからもいらしてくださる。東京都以外の生徒も毎年在籍されているので、30分というのはむしろ恵まれているほうだと思います。
 別の教室に勤めていたときには、毎週新幹線で来てくださる方もいました。行きも帰りも新幹線。そうされるだけの価値があると考えてくださったのでしょう。ご本人を見ていてもそんなにつらそうではありませんでした。
 
 やる気がなくなったというのも私は悪いことではないと思います。そういうことであれば、ちょっとご自身を冷静に見つめなおしてみるとよいでしょう。こう考えてください。とりあえず塾の勉強はひと休みして、自分は何をするつもりなのか。
 部活動に打ちこむのであればそれもいい。他にやりたいことーー楽器や水泳やダンスなどを習っている方がけっこういらっしゃいますーーに打ちこむというのもいいことだと思います。
 
 心配なのは、単純に(これで勉強しなくてすむぞ)というケースでしょうか。自由時間が増えてだらだらできると喜んでいる場合ですね。ご本人が一生そんなものでいいと思っているのならそれはそれでいいのですよ。どのような生き方も他人に迷惑がかからずきちんと選択されたものであれば、否定されるべきではないと思います。
 ただご本人の志望校や将来の希望の難易度だけは相変わらず非常に高かったりした場合、ひたすらだらだらしたがるいまのあなたのままでは届かない可能性があります。
 
 いまのあなたとさまざまな夢を実現させたあなたは紛れもなく同一人物なのですから、「いま何をしているか」ということはいちばん大事になってくることを理解してください。
 また塾に限らず習い事そのものは全員同条件ですから、教室に通うだけでは相対的な順位は上がりません。習い事から帰ってきてからの練習は人それぞれ違います。そこで差がつくことにも気づいてほしいと思います。
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2018.07.17 00:29

 先日、あるバス停で中年のご夫婦ーーいかにも上流階級という感じでしたーーがこういう話をしていらっしゃった。盗み聞きしたわけではないのですが、その時点でバス停には私を入れて3人しかいませんでした。私は彼らのすぐ後ろに並んでいるので、会話が聞こえてしまうのは自然の流れでした。
 断片的にしか聞こえなかったのですが、2千万円のランボルギーニが・・・というセリフが出てきました。ランボルギーニというのはスポーツカーですね。
 
 それぐらいは知っていますよと胸を張りたいところですが、まったくの偶然です。大学生のときに家庭教師をしていたある中学生が非常にくわしくて、しょっちゅう固有名詞が出てきた。フェラーリという車種もありますね? いずれにせよ、何となく覚えている程度です。
 ですから目の前にいくつか車を並べられて、どれがランボルギーニかと訊かれても自分には全然わかりません。
 
 これがたとえば「リッチー・ブラックモアズ・レインボーがとうとう来日する」(具体例というだけでそんな情報はないですよ)とか「急戦石田流の早仕掛けが成立する」(こちらも適当に具体例を書いただけです)とかであったら、私は断片的なセリフだけでかなり理解することができます。特に前者のような噂を耳にしたら、すぐに詳しく調べると思います。
 何に興味を抱くかというのは本当に人それぞれであって、ある方にはすごく価値のある情報が別の方にはまったく意味がなかったりしますね。
 
 何に興味を抱くようになるかということは、ある程度はコントロールできるように思います。私が子ども時代の読書の大切さを繰り返し提唱するのは、読書習慣のある子はいざ勉強をはじめたときに非常に抵抗感が少ない事実があるからです。黙々と本を読む姿勢と机に向かって勉強する姿勢がいろいろな意味で似ているからでしょう。集団で何かをやるのではなく、個人で作業していく共通の要素がある。勉強するときには必然的に活字を読まなければなりませんが、読書で鍛えた部分が役にたちます。
 
 ただコントロールできない部分もあるようには思います。
 私は子どものときお金の使い方をけっこう細かく管理されていました。昔の教育はそんなものです。無駄遣いのないよう小遣い帳みたいなものにきちんと記入するように指示された。ところがそれが苦痛で仕方がない。変なことを書きますが、私はお金のことを細かく考えるのは自分の美学にはない何かだと感じるのです。根本的に愛情がないのだと思います。
 そこで小遣い帳にはでたらめを書くようになりました。要するに月の最後が0円になればどうでもいいんだろと。
 
 そのまま生き続けてここまで来てしまいましたね。大変は大変ですが、まあ仕方がない。自分らしく生きていきますよ。
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2018.07.16 09:51

 たとえば現在の私が突然オリンピックのためにボランティアで何か頑張り出したとして、それはそれで多少は出来るのかもしれませんが、唐突すぎてむしろ皆さんのご迷惑になることのほうが大きいのではないかと思います。
 努力だとか志だとかはとても大切なことだと思いますが、方向性やこれまでの人生との整合性みたいなものを冷静に考えないと、せっかくの頑張りも空回りしてしまう可能性がおおいにありそうです。
 
 将棋の藤井聡太七段が大変な話題になっていますが、ほんの数年前にはたとえば将棋指しの本職は何なのかと質問してきた知人がいたぐらいでした。知人は将棋をまったく指しません。ですからある意味で「ゲーム」が職業として成立しているのが信じられないというのです。ご自身の生活にはまったく何の接点もない。彼に言わせれば、将棋に夢中などとというのはパチンコなんかのギャンブルに夢中というのとたいして変わらないように見える。それなのに職業として成立しているのが不思議で仕方がないと言うのです。
 
 こちらは文化や教育の話を持ち出したのですが、好きな人にとってはそうだろうけれども自分のように1度も興味を持たなかった人間にとって、なぜ囲碁や将棋だけが大新聞に掲載されているのか不可解であると言っていました。そうした記事は囲碁将棋ファンの役にはたっても大多数の読者にとって何の娯楽にもならないじゃないかというのです。
 現在の藤井七段の活躍は見方にもよるのでしょうが、りっぱに将棋をご存じない方たちの役にもたっていると私は感じます。
 
 ただこれは藤井七段おひとりの手柄というわけではなく、それこそ伝統的な文化としての下地があり、その環境下でお若い彼が大活躍されているのでさまざまな世界で同じように頑張っていらっしゃる方が勇気づけられているという流れがありますね。
 だから「将棋界でなければ注目されない」などということはないのであって、それぞれの方がとにかくご自身の持ち場でしっかりやらなければいけないというある種の象徴になっているのではないかと感じます。
 
 彼はまだ高校1年生ですが、インタビューなどを読んでいてもひたすら「強くなりたい」としかおっしゃっていません。「タイトルがほしい」「名人位につきたい」「賞金王になりたい」などとは一切おっしゃらない。ただひたすら「いまより強くなりたい」です。
 勉強にたとえれば「いまより理解できるようになりたい」とか「深い勉強がしたい」とかということになるのでしょうか。「合格したい」「順位を上げたい」ではないですね。才能は表現を選ぶものだと感心しました。そうしたことにまで気づかせてくださった藤井先生は、ご自身の場所で非常に有意義な多くのことを発信されていると思います。
 
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2018.07.15 08:09

 先日、ちょっと面白い(?)出来事がありました。ビルの管理会社の方が大きな写真を持っていらっしゃった。「こんなことがありまして・・・」と見せてくださる。するとエレベーターの中で中学生数人が、まあいたずらですね。誰かが押してはいけないボタンを押してしまった。
 ここの管理会社の方は非常に理解があるので「まあ、お子さんのやることですから」とおっしゃってくださった。ただ毎回こんなことをやられては大変なので、注意してくださいというお話でした。
 
 監視カメラで写された写真は画像が粗くて、顔などはぼんやりとしか見えません。どなたであるかは特定できない。固まってごちゃごちゃ写っていて、だれがだれだかはわからない。こういうことこそ、落ち着いて注意しなければいけないですね。殺伐とさせてしまってはだめなのですよ。
 そこで写真を壁に貼り、わざと手書きの手紙を横につけておきました。「管理会社の方にご注意を受けた。カメラに撮られる撮られないではなく、ルールやマナーを守れる大人になってくれることを切に願う」という意味の文章を書きました。
 
 この件に関して知っている人は名乗り出なさい・・・みたいな書き方はしませんでしたよ。どの学年であるかはだいたい見当がつきましたが、そういうことも書きませんでした。
 すると何人かの生徒から反応があった。あれはどうしたのですか? みたいな質問が出たので、正直に「だれかがボタンを押してしまって注意されたんだよ」と答えました。「僕がそういう人を見たら注意します!」とおっしゃってくださった中学1年生がいた。頼むよと伝えました。
 
 貼り出して3日目だったかな、ある生徒が1人で私のところに来た。「あれ、僕です。すみません」と頭を下げるではないですか。みんなと一緒のときに、好奇心でボタンを押してみた。その瞬間は、とくに反応はなかったそうです。
 もう押さないでくれよと言いました。「はい、すみませんでした」むしろしっかりしたいい子だと感じました。「勉強を頑張って」と言うと「はい」とうれしそうに返事をして帰っていきました。この件はこれで終わりです。写真も手紙ももうはがしました。
 
 受験塾ですから、勉強する場ではあると思います。ただ生徒の中には「学校やうちより塾が好き」とまでおっしゃってくださる方が何人もいます。学校だと素のままのご自身になれなかったりする。ご自宅だとーーまあ私なんかもそうでしたがーー思春期にはおうちの方とぶつかってしまうときもある。
 そうしたとき、安定した空間としての塾の存在意義が出てきます。勉強だけでなく生活の場としても塾が大切になってくる。こうしたいたずら事件1つでも、どのように還元していくかは大事なことだと思っています。
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2018.07.14 01:22

 今週、ある物故棋士の名局集を買いました。名局集が出版されるほどですから、一流の先生です。私は若いときからこの先生の将棋が非常に好きで、以前もーーもう何十年も昔に出版されたものですがーー分厚い実戦集を買ったことがありました。それ以外にも何冊か単行本を購入していて、大山康晴永世名人を別格とすれば二番目に棋譜を並べたことが多い棋士ではないかと思います。
 ただ大山先生とこの先生とではずいぶん棋風が違っていて、交互に並べているとおかしな感じになるのが面白い。
 
 そこで時期的にダブらないように並べていました。大山先生の棋譜を並べる時期は他の棋士のものはとりあげない。この先生の棋譜を並べる時期は、とくに大山先生の棋譜は並べない・・・という感じでしょうか。
 お名前を書いてしまってもいいのでしょうが、ちょっとだけネガティヴな要素も出てくるのでいちおう匿名にしておきます。
 成績的には波の激しい先生でした。A級とB級を行ったり来たりする。そこがまたファンにははらはらして応援しがいがありました。
 
 タイトルをとったこともあります。防衛戦ではいまをときめくヒフミンこと加藤一二三先生に敗れてしまいました。棋士の先生方の勝ち負けに一喜一憂していた日々をなつかしく思い出します。
 この本の前書きにその先生がこういうことを書いていらっしゃった。簡単に書くと、現役最後の10年間に悔いが残るというのです。将棋連盟の専務理事をされていた。非常に忙しくて将棋そのものに向き合えていなかったと告白されている。
 
 なるほど成績一覧を見てみると、最後の数年間はがくんと勝率が落ちています。年齢的なこと以上に、理事としての仕事が多忙をきわめ対局、ましてや将棋の研究どころではなかったのかもしれません。それをご本人がとても残念に思っている。
 具体的に生涯何勝ぐらいしたかったし、当然するべきだったということまで書かれていました。電車の中でその言葉を目にして、はっとしました。ひょっとしたら自分もそうではないのか。
 
 私は棋士ではないので将棋という意味ではありません。単純な「仕事」という意味でもない。ただ何となく現在の恒常的な忙しさに紛れて、何かを忘れているような気がしないでもないのです。私もいろいろな意味で最後の10年間の内側にいることは間違いないでしょう。生物として、生きるか死ぬはもちろんわからないですよ。そういうことではなく、あとで気づくようなやるべき何かが意識下に隠れている気持ちがあるのです。
 いい示唆を得たと思います。ここまで来られたのだからまあいいかではなく、悔いのない晩年(?)を心がけたいと思います。
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2018.07.13 02:55

 世の中、向き不向きは当然あります。どなたにだってあるでしょう。勘違いしてしまうとちょっと大変なことにもなりかねない。ご自身に向いているものを見つけてくださったらいいですよ。
 私は中学生のとき、男の子なのだから自動車というものに興味を持つべきだと考えた時期がありました。友人が車種にやたらとくわしかったので、自分も走っている車を見て「あ、何々だ」ぐらいは言えないと釣り合わないと思ったのです。
 
 ところがこれが全然面白くない。本やカタログを見て覚えようとするのですが、あまりにもつまらなくてまったく覚えられない。そもそも自動車というものに美的な好奇心を抱いていない。乗りたいとも思わないし、運転したいという気持ちも起きない。
 友人は、大人になって早く免許を取りたいとさかんに話していました。ギアがどうのこうのと教室の椅子に腰かけながら説明してくれるのですが、つまらなくてあくびが出てしまう。
 
 逆にこんなこともありました。やはり中学生のときに自分は将棋に興味を持ちました。そして、親しい友人にはぜひ将棋を覚えてほしいと思いました。彼らが覚えてくれたら、いつでも指せますからね。そこで将棋の入門書を貸したり、変な自家製の将棋講座を数枚の紙に書いて渡したりしていました。
 ところが彼らはーー頭がいいにもかかわらずーー全然覚えないのです。駒の動かし方でさえ「どう動くんだっけ?」などと対局中に訊いてくる。
 
 要するにやる気がないわけですよ。やる気が起きる対象ではない。将棋については、やる気スイッチそのものがない。何に対してやる気を起こすかというのは、きわめて人それぞれですからね。
 そのあたりはご自身でだんだんと見極めていかないといけないですね。見栄だけでレギュラーを目ざすとか一流の結果を残すとか最難関校を志望するとか宣言しても、どれぐらい本気になれるかはあくまでもご本人の問題です。
 
 昔、ある棋士が「三度の飯より将棋が好き」でさえ大成しないケースが多々あるのだから、三度の飯のほうがひょっとしたら好きかも・・・程度では到底見込みがないとおっしゃっていましたが、そういうことは何の世界にもいえるのではないかと思います。
 深く触れてくる興味のあることを素直に探していくことが大切ですね。ただ刺激と興味を取り違えないようにはしてください。ゲームにだけは夢中になれるなどという人がいるのですが、単純に刺激に反応している可能性もありうるからです。
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2018.07.11 01:50

 甚大な被害です。大雨でここまでの状況になってしまうのは、ちょっと想像できませんでした。台風であるとか竜巻であるとか具体的な何かが暴れまわる様子はしばしば見てきましたが、いわゆる「大雨」がここまで広範にひどい被害をもたらす感覚は自分にはあまりなかった。そういう方も多いのではないでしょうか。
 亡くなった方が大勢いらっしゃった。ご冥福をお祈りいたします。行方不明の方も心配ですし、何とか避難できた方たちの生活も大変であるというニュースを読みました。
 
 広島県には友人がいます。大騒ぎになっているところにのんびり連絡するのもどうかと思っていたところ、あちらから連絡をいただいた。友人の住居は幸い高台にあったので、濁流が押し寄せてくるようなことはなかったそうです。ただスーパーに行っても「まったく何もない」と書かれていました。
 災害時に備えて備蓄していたものが多少はあり、当面のところはそれでしのいでいくという話でした。
 
 私はこういうことに関して、まずは情緒的に動くことがーー自分にとってはーー大切ではないかと思っています。一般的に人間はどなたでも、たとえばよその国に悲劇的なことが起きたときに心を痛めながらもどこかで「自分の周囲じゃなくてよかった」などと考えがちです。
 もちろん人さまがどう考えるかは自由ですが、こと自分自身に関しては、あまりに傍観者的な態度ではよい活動ができないと考えています。
 
 だからといって、用意も何もないのにやたらと騒ぐのもよくないですね。まずは心の中で放っておけないぞという意志を持つのは第1歩だと考えています。
 大震災のときもそうでした。部分が弱っているときに他の部分まで脆弱になってしまったら全体が崩れてしまいますから、とにかく現在の持ち場でしっかり生きる。そのうえで可能な物理的援助はさせていただくという流れでした。やはり被災直後は、金銭的援助がお役にたつという記事を目にしたことがあります。
 
 それにしても、本来もうちょっと国の舵取りをなさっている方たちが具体的に何か呼びかけ続けるべきではなかったかとも感じました。鳥瞰図的にご覧になることができる立場ですから、お題目みたいなこととは別に「こうしないと危険ですよ」という強い要望があってもよかったように思うのです。
 そもそも地震と違って大雨はかなり予測がたちますね。念のために対策本部みたいなものを事前に作れないのかなとも思いました。個人ではどうしようもない要素がありますからね。
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2018.07.09 07:41

 大人になった犬がどんどんクール化していくので、つまらないと言えばつまらない。何しろ私が帰ってきてもぴくりとも動きません。尻尾なんか振る姿はここ何ヶ月も見たことがないですよ。さらに名前を呼んでも、こちらの顔をじっと凝視しているだけです。「こっちにおいで」と言ってもほとんど表情を変えない。仕方がないのでこちらから近づいていくと迷惑そうに後ずさりします。
 昔飼っていた雑種の柴犬はこうではありませんでした。喜怒哀楽みたいなのが激しかった。
 
 そのほうが変化があって面白いことは面白かったですよ。散歩や食事のときは尻尾を振って大喜びする。いまの犬はまったく変化なしです。「散歩か・・・やれやれ」みたいな感じで近づいてくるので、本当に行っていいのか? と心配になってしまいます。
 家内に対しては、私よりは喜怒哀楽を見せています。それでもクールはクールですね。まして他人には完全に「知らん顔」です。公園で撫でられたりするのですが、迷惑そうに頭を振って撫でられないように工夫しています。
 
 相手がお菓子を持っているときだけは現金にも飛びついていく。その落差があまりにも激しいので、いやしさが目立って恥ずかしいと言えば恥ずかしい。
 ただこういうのは性格ですからね。もっと感情の振れ幅を大きくしろ! と命令できるものではありません。
 かわいがってはいるのですよ。いつも声をかけていますし、撫でてもやる。それはとくにいやがらないのですが、気づかないふりをしているときもあります。
 
 柴犬というのはもともとはわりとあっさりした犬種だという話を獣医の先生からうかがいましたが、慰められているような気がしないでもない。
 ときどき部屋の中央にでんと座っていることがあります。こちらを見て難しい顔をしている。姿かたちはいいので、まるで置物のように見えます。声をかけてもまったく無反応なまま真面目な顔でじーっとにらんでいる。私「こだま(犬の名)」犬「・・・」私「こだま」犬「・・・」表情はまったく変化しません。
 
 スフィンクスか! と突っこみたくなりますよ。とにかく彫像みたいにじーっとしています。初期のころ、私はときどきふざけて犬の前で踊ったりしていたので(もちろん誰も見ていないときです)、こちらを軽蔑しているのかもしれません。子育てと同じですね。何かを要求する以前に、まずこちらが尊敬される親、尊敬される飼い主になる必要がありそうです。
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2018.07.08 07:33

 一時期毎朝毎晩お香を焚いていたのですが、先月ぐらいに突然興味をなくしました。数年間、わざわざ朝晩別々のものを焚いていたのですが。ときにはたて続けに2本楽しんだりして、旅行にも持参して使い切ってしまう勢いさえあったのですが、突然(もういいかな)という気持ちになりました。理由はとくにないので不思議なものだと思います。
 数年間同じところで買っていたので、どうしたのだろう? と思われているような気はします。上質なものも買っていて、けっこう高くついてはいました。
 
 興味を失ったものをむりに持続していくのも変ですからね。このままフェイド・アウトしていくのではないかと思います。
 昔好きだったもので、そうやって突然興味を失ったものがいろいろあります。強引に離れたというよりひとりでに離れていった。たとえば少年期ーー皆さんと同じですーー私はゲームセンターに行くのが好きでした。友だちと渋谷や新宿をうろうろした。ところがあるときから面白く感じられなくなりました。行っても楽しくない。で、誘われても行かなくなった。
 
 食べ物でも、昔好きだったのにいまは全然食べないものがあります。我慢して食べないわけではなく、食べる気持ちが起きなくなった。
 果物類がそうですかね。スイカだとかブドウだとか、昔は食べましたがいまはまったく食べません。メロンやパイナップルなんかもそうですね。それでもナシは比較的食べるかな。果物がきらいというわけではないのですが、食べる必然性が感じられないのです。家族は好んでいるのですが。
 アイスクリームやケーキもそうかもしれません。出されれば食べるという程度です。
 
 息子はいまでもホールのケーキを食べたりしています。どうかと思いますが、昔は自分もそんなことをしてみたいという願望を持っていました。
 洋服でも、昔はかっこいいと思っていたけれどもいまはあんなの着られないというスタイルの服があります。もちろんもう持っていませんけどね。あんな服を着て、よく外をうろうろできたものだと呆れてしまいます。
 
 成長だか退行だかわかりませんが、変化していくものなのでしょうね。行かないうちに行きたくなくなってしまった場所というのもあり、ちょっともったいないことをしたなという気持ちがあります。
 息子が5歳のときにある大きな遊園地に行きました。そこには近いうちに必ずもう1度連れて行こうと思っていた。それぐらい私自身が楽しかった。ところが、そのままついに行かずじまいでした。一期一会という言葉がありますが、この瞬間もじつはそうなのだろうなと思います。
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2018.07.07 00:48

 少し前に新宿駅で女性に体当たり(?)的なことをしていた男性が話題になっていました。ただうさばらしとしてぶつかりたいだけなのか、性的な要素ーー擬似痴漢みたいなーーが含まれているのかよくわからない。よくわからないけれどもあきらかに不自然に連続してぶつかっている。
 どういう罪状になるのかはわかりません。もしかするとたいした犯罪にはならないのかもしれませんが、まあ困ったものですね。
 
 あれは若い男の子でした。どなたかが映像を撮っていて、後ろ姿がニュースに出てしまいました。
 先日、私は似たようなことをしている男の人を電車内で目撃しました。ただこの人は50代ぐらいのいわゆる「おじさん」で、いい歳をしてどうなのだろうと思いましたよ。
 彼は、電車を下りるときにわざとぐずぐずしているわけです。私はつり革につかまって座席の前に立っていました。そして、駅に着くたびに周囲の座席から立ち上がる人の有無を確認していました。
 
 それは私が座るためではありません。基本的に私はバスでは座りますが、電車ではよほど疲れているとき以外はがらがらでも座りません。外の景色を眺めていたいという気持ちが強いのです。
 そのおじさんは荷物(リュックでした)を整えて一瞬下りるように見えました。私も用意して背後を彼が通れるように空間を確保した。ところが駅に着いても彼はしばらくじっとしていて立ち上がらない。様子を見ているといよいよ危なそうになってきたら突然勢いをつけて立ち上がり、周囲の人間に手当たり次第に体当たりしながら通路を進んでドアから抜けました。
 
 急いでいるのだから乱暴でも仕方がないだろうという風に見せているのがよくわかりましたよ。通路の両側の人間にリュックを強くぶつけながら小走りに出ていった。ホームを歩く横顔を見ると満足したような感じだったので常習なのかもしれませんね。
 これもまた犯罪ではないと言えば犯罪ではないのでしょう。私は断罪したいというより、どうしてああしないではいられないのだろうということに興味を持ちます。
 昔ある飲食店の出前の人が、すぐ前をカップルがいちゃいちゃしながら歩いているときはわざとおかもちをぶつけてやると話していたことがありましたが、同じですね。
 
 日ごろの何でもない所作の中に、その人間の精神的な問題点が色濃く出てくるように思います。うさばらし的なことをせずにはいられないというのであれば、根本の理由を考えたほうがよりいい解決につながるはずです。うさばらしというのは、所詮対症療法ですからね。どう考えても、うさばらしという発想自体がない生活が望ましいですよ。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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