2019.10.19 02:29

 高校受験部と大学受験部で交互に使用している教室がいくつかあります。先日、その部屋に弁当箱の忘れ物がありました。私たちが発見したのではなく、ある生徒が「これ、忘れ物みたいなんですけど」とわざわざ受付まで持ってきてくださった。
 中にまだ何か入っている。食べかけかもしれないと思って、その教室を使用している生徒たちに食べかけのお弁当が消えてしまったりしていないかと訊いたのですが、誰も何も言ってこない。
 
 ということは・・・高校生の忘れ物という可能性があります。高校部のほうに持っていこうかとして、はたと考えた。
 忘れ物の弁当箱というのは、基本的には保管しておいて忘れたご本人が取りにきたら渡します。当然ですね。ただご本人がいつ取りに来るかは予想できません。今日来るかもしれないし明日来るかもしれない。1週間後かもしれない。
 中身が残っているということは、1週間後にはちょっと悲惨な感じになってしまうでしょう。
 
 以前も書いたように、私は自教室の忘れ物の弁当箱は基本的に自分で洗っておくようにしています。今年に入って隣席にいらっしゃる(実質的に副教室長の)Y先生が「僕が洗います」と先に洗ってしまうことがよくあるのですが、とにかくそうしたことをいとわない精神が大切だと思います。
 生徒の忘れた弁当箱についての規則はさすがにありません。「洗わなければいけない」というルールはない。また「誰が洗うか」というルールもない。
 
 おととしの夏休みは、毎日のようにどなたかが弁当箱を忘れていく日が続きました。私はそれを1つ以外(私が帰ったあとで教務の方が洗ってくださった)すべて洗った。マナーというわけではないのですが、やり出すと誰かのだけ洗わないという選択肢がなくなります。
 先日の弁当箱も、とにかく洗ってから大学受験部に届けておいた。するとこのまえ非常に賢そうな女の子が受付に「お弁当箱の忘れ物はありませんでしたか?」といらっしゃった。
 
 洗っておいたよと告げると、ありがとうございますとうれしそうでした。
 誰々のためを思ってという表現があり、こうした表現は「おためごかし」でしかない場合があまりにも多い気がして私自身はめったに使いませんが、この種の周縁部のことがさっとできなければ本当はだめだとも思っています。勉強頑張れ! だけが生徒思いなのではないということですね。
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2019.10.18 07:15

 他の人がどうであるかということはたいしてモデルにならないものです。あなたはあなたのやり方で進むしかありません。仮に小テストで100点をとりたいとしますね。友だちのAくんは30分練習して100点をとっている。ところがあなたは30分練習して80点しかとれなかった。
 不公平だと思うかもしれませんが、あなたが100点をとりたいのであればあなた自身が100点とれるまで練習する以外に方法はない。時間は関係ありません。
 
 40分かかるか50分かかるか1時間かかるか、それはわかりません。友だちの倍勉強しなければならないということであれば、すればいい。
 それは、能力のせいなのかコツの問題なのか集中力の何かなのか? その種の問いかけはとりあえず意味がないと思ってください。そもそも30分で満点をとれる人と比べたこと自体が間違いであって、大切なことはあなた自身が満点をとれる時間はどれぐらいなのかということだけです。
 
 人より時間がかかるというのはよくあることです。1つには慣れでしょう。また1つには生活における習慣でしょう。食べるのもシャワーを浴びるのも着替えるのも支度をするのもゆっくりという人がいます。すると他のことも当然スローペースにはなってくるものです。
 私はその生活態度を責めているわけではありません。その生活でさしつかえありませんが、当然勉強「にも」時間をかける覚悟が必要だと思います。
 
 そんなに長いこと勉強していたくないという考え方も当然あります。それは個々人の選択であり、勉強が苦痛であればそちらの分野で最高峰を目指すのは難しいでしょう。
 ある競技者は、自分は競技が好きなので、他の選手より長い時間練習すること自体が幸福だという意味のことを語っていましたが、人よりたくさんやることを損だと感じることがそもそもその競技に「向いていない」ということになるのではないでしょうか。長くできる幸せを噛みしめないと。
 
 いずれにせよ、他者と比べるのはよくありません。とくに「数値」の比較は思わぬ落とし穴になりかねない。自分の理想形を目指すのみです。それが結局人生というものなのですよ。
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2019.10.16 08:12

 たとえば電車でふと席が空くことがありますね。立っている方が何人もいる状況で下りる方が席を立つ。私は基本的にーーがらがらでないかぎりーー立っていますから、すぐ目の前の座席であれば座ることも物理的には可能です。ただ、めったなことでは座りません。立ち位置をずらして他者に譲る。
 お年寄りや妊婦さんが座るとは限りません。座りたい人間が座りますから、頑健な若者が弱者を無視して座ってしまう場合もあります。
 
 先日もかなり調子の悪い日がありふらふらしたのですが、地下鉄の中で席が空いたときに自分は座りませんでした。どうしてだろう? と考えた。どうもいままでの自分の人生と方向性が合わないことはしたくないみたいですね。大げさに表現すれば、美学だとか人生観だとかということになるのでしょう。
 とりあえずの得になることに手当たり次第に飛びつかないという生き方を選択してきたとしか言いようがありません。
 
 電車内の座席のお話だけではないなという気がしました。昔から何かしらにわかに得をしそうな話(?)が出てきても、私は飛びついた試しがありません。むしろそうした話題からは距離を置くようにしてきました。みすみすチャンスを逃すことになったとしても、それは全然構わないのです。電車の中で空いた席にぱっと座れる類の幸運は求めたくないのです。
 幸運の女神にはうしろ髪がないという諺がありますね。チャンスは確実につかめという意味です。
 
 もちろんさまざまなチャンスはつかむべきだとは思いますが、混雑気味の電車内でぱっと席が空いたようなチャンスであれば、自分は見逃す選択をしている。座れた人間は立っている人間より多少は安楽かもしれません。しかし、それは主に肉体的な感想であって「自分の場合」精神的にはどうなのか。自身の美学は生き方の集大成であって、整合性のない行為はなるべく慎みたいのです。
 
 あのとき「車輪の下」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? あのとき「タクシー・ドライバー」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? あのとき「インサイド・ルッキング・アウト」に感動した人間がいまこうでいいのだろうか? 
 リストが脳裏をかけめぐり、あきらかに得であっても一貫したものがなければ放棄しようという意識が働きます。同世代の人間から見て、私はいったい何をやっているのか的な人生を歩んでいる自覚はあるのですが、過去の自分との整合性は保てている安心感は持っています。
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2019.10.14 07:50

 息子が生まれてから25年間ほぼ同じ地域に住んでいます。住宅自体は何度か変わりましたが、お互い歩いて10分未満に位置しています。ですから息子が幼いころ連れて行った近所の公園や川や神社は、行こうと思えばいますぐにでも行ける距離です。
 息子が3歳か4歳のころ、一時期川によく連れていっていました。ばしゃばしゃ入って遊べる川ではないですよ。ただ魚や鳥がいたりして、幼児には楽しい。「川に行くぞ」と言うと、ミニカーを片手にとことこ着いてきました。
 
 当時の彼は外出時にいつもミニカーを持っていました。その日は家内の母親に買ってもらった高級外車のミニカーを持っていたのですが、私に魚がいる場所を示そうとうろうろしているうちにうっかり川に落としてしまった。ちょっと拾える場所ではないのであきらめざるをえない。案外さばさばしていて「また買ってもらおう」と呟いていました。
 私は義母から場所を訊いてさっそく自由ヶ丘まで買いに行きましたよ。ただ同じものは入手できなかったように記憶しています。
 
 当時、子どもと一緒に寝るときに「いまごろお前の落としたミニカーはどこでどうしているだろう」というような話をしました。「いまごろ海?」と息子が言う。「そうだな、そろそろ海に出ていったかもしれないな」と答える。すると息子はしばらく考えこむ。銀色のミニカーが海に出ていく光景を思い浮かべていたのでしょう。
 先日の台風の日のまだ本格的な暴風雨になっていない時間帯、息子を「川を見に行こうか」と誘いました。
 
 増水している川に近づくのは危険だそうですね。ただ当日はサイレンも鳴っていなかったので、大丈夫だということはわかっていました。息子と川を歩くのは十数年ぶりです。少年期になると、意味なく親と川を歩こうなどとは思わないですからね。
 危険水域まではまだまだ余裕がありました。写真を撮っておくかと私がスマホを出した。風が吹くので息子は私の傘をおさえていてくれました。
 
 そのとき背後で彼が突然「おれのミニカーみたいに川に落とすなよ」と言いました。「ああ」と答えながら、何となくじーんときた。20年以上たっても覚えているものなのですね。
 と同時に、ミニカーを川に落とすという不運な出来事が彼の中の何かを育てたのだなという気もしました。ある種の悲しみは、変容して肯定的な何かになる可能性があります。日々の小さな出来事こそが大切ですね。
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2019.10.13 00:21

 この話は講演会でだいたいいつもお話していることなのですが、改めていろいろ考えたので、書いておこうと思います。私がお話することは、だいたいは実際の生徒から学んだこと(こういうお話も大きな意味で学んだことになると思います)ばかりで、だからこそお役にたてるという気持ちも持っています。私が創ったものではないのですよ。私は単純な観察者にすぎず、お役にたちそうなことはできるだけ冷静に正確にお伝えするべきだと考えています。
 
 少しぼかして書きますが、女の子4人が講習中の昼休み、机をくっつけて昼食を食べていました。私はーーこういうときの話題はじつは非常に勉強になるのですーーブラインドの点検のような形で、その部屋に入っていました。
 4人のうち1人だけが手作りのお弁当でした。あとの方たちは何かを買ってきていた。1人の子がお弁当の子に言った。「何々ちゃんのお母さん、そうやって毎日お弁当作ってすごいね。うちは働いているからむりなんだ」
 
 お弁当ではない他の2人も、そうそうとうなずいた。するとお弁当の子が「うちも働いてるけど毎朝早く起きて作ってくれるよ」と言った。あとの3人はへーっ! と大きな声を上げました。「何々ちゃんのお母さんって偉いねー!」
 この話をしかし、彼らは自宅に帰ってご自身の親には訴えないと私は思います。「何々さんのお母さんだって働きながら早朝お弁当を作っているのに、うちはどうしてできないわけ? 努力が足りないのでは?」なんて言うわけがない。
 
 人間と人間の関係として、そこまで干渉するのはちょっと配慮を欠くという当然の判断が働くからです。ところが逆はばんばんやってしまう。優等生が朝早く独力で起きて勉強しているという話を聞くと、ご自身のお子さんにそのまま「何々さんはそうやって努力しているのにそんなことも出来ないからあなたはいつまでたってもだめなのよ」と感情的に責める。批判する。場合によっては叱る。
 他者との突然の比較がどれほど人間の尊厳を傷つけるかということに関して、子どものほうが親よりも配慮しているという現実がありますね。
 
 尊厳を守れなければ親子関係がうまくいくわけがない。マナーですからね。そう思うことがあります。
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2019.10.12 14:19

 臨時の記事です。
 台風のために本日は完全なお休みになりました。今日明日と保護者会と授業の予定が入っていたのですが土曜日は完全にお休み、13日の日曜日は午前中はやはり完全にお休み、午後は2時半から(いつもより1時間遅らせて)授業だけがスタートします。
 休講になってしまった授業はどこかで補講しなければなりませんが、ぜんぶの先生と連絡がとれたわけではないのでまだ一部しか決定していません。決まったものにつきましては順次発表していきます。
 
 保護者会もいずれ必ず実施しますが、いまはまだ何も決まっていません。大きな教室を借りなければならない関係で、すぐには決められない事情があります。
 今回の台風は何かものすごいみたいですね。自然相手では、被害が大きくならないことを祈るばかりです。
 犬の散歩にもどこかでさっといけたらいいのですが、トラックでも吹き飛ばされてしまう暴風雨だそうですから、犬なんかどこかに飛んでいってしまいます。朝、1度だけ家内がトイレに連れ出していました。びしょ濡れになった犬の身体を私が拭いてやりました。
 
 土曜日にお休みできるというのはかなり珍しいことではあります。ただこんな形の休みだと、うきうきしないですね。昔から、晴れの日は晴れを満喫し雨の日は雨を満喫するというのが自分の生き方ではありますが、被害が出ているかと思うと楽しくはないな。 
 スーパーやコンビニで食べ物や飲み物、乾電池などがなくなっているという話を聞きました。そういうのも、必要とされている場所に適切に流れるといいのですが。
 
 台風の移動スピードというのはなかなか予測できないもので、けっこうするするいってしまうこともありますが、いま(14時)は首都圏はまだ序章みたいなものらしい。 
 昨日の夜中、どこかで大きなサイレンが鳴っていました。録音された女の人の声が流れてきた。よく聞こえなかったのですが、近くの川が・・・ということではなかったかのかと想像しています。ときどき増水して危ないことがあるのです。
 皆さんもどうぞお大事になさってください。明日からまた普通の記事に戻ります。
 
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2019.10.11 07:51

 おかげさまで、家内は昨日無事退院いたしました。土曜の明け方入院、木曜の朝退院ですから、はじめの予定より短くてすみました。私も息子も家のことがよくわかっていないので、大変は大変でした。
 先日は息子とお見舞いに行ったのですが、早すぎて病室に入れてもらえない。仕方がないので近所の適当な喫茶店で時間をつぶしたのですが、その喫茶店の椅子がーー驚いたことにーー何とブランコ(!)なのです。
 
 何が何だかわからないままブランコに座り、ゆらゆら揺れながら息子と今後のことを相談した。あまりにも不思議なのであとで調べてみたら、ブランコの椅子でけっこう有名なお店だったみたいです。全席ブランコというわけではないですよ。たまたまそのとき空いていた席がブランコだった。
 女性やお若い方が好みそうなお店で、スーツ姿の60男(私)と25歳の息子が入る感じではありませんでした。
 
 ただ知らないというのは恐ろしいことで、他に適当なお店もなかったので、堂々と入ってしまいました。
 犬の散歩は私が中心になって行っていたのですが、どなたがいわゆる「犬友」なのか私には見当もつきません。あんまりよそよそしいのも失礼ですし、そうかといって馴れ馴れしすぎるのも気味が悪いでしょうから、話しかけられれば適当に答える。話しかけられなければさっさと通り過ぎるという感じで終始していました。
 
 犬のたまり場みたいな公園なので、とにかく犬連れの方が多い。中には芸能界の方もいらっしゃる。そういうところで私は闊達な会話ができないのです。しようと思えばじつはけっこうできるのですが、そういう人(?)になりたくない気持ちがどこかにある。徹底的に不器用でいたい。
 で、女性に「ワンちゃん、オスですかメスですか?」と突然質問され、慌てふためいて「お、おんな・・・」などと答えている。
 
 あとになって、犬の性別に「おんな」というのもまた変な答え方だなと我ながらおかしくて仕方がない。そういう慌てぶりは犬にも伝わっているような気がしますね。
 まあ、家内はしばらくは静かにしていないといけないでしょうが、犬自身は「お、おんな」なんてどもっている頼りないおじさんより、家内と散歩に行きたいでしょうね。
 いろいろご心配をおかけいたしました。温かい応援をありがとうございます。
 
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2019.10.09 09:03

 さまざまな事情から、休会される生徒が出てくることがあります。学校の部活動であるとか、クラブチームの練習であるとか、通ってくれていた曜日と活動日が突然重なってしまうことが多いですかね。受験生であればそれでも勉強優先になってくるのですが、1年生2年生ですとしばらくお休みしていずれまた・・・という判断もないわけではないですね。
 相談を受ける場合もありますが、状況によってお返事は変わってきます。
 
 とりあえず休会しますと決断されても、教えていた側はご縁を大切にしたい気持ちがあるものです。困ったことがあったらいつでも相談してくださいという形にはしておきたいと思う。そもそもご本人が勉強がいやでいやでやめていくケースは、ほとんどない。やみくもに引き止めるより、気楽に相談できる状態にしておくのが望ましいでしょう。
 先日は「とりあえず休会」されている生徒から私あてにお手紙が届きました。
 
 中を見るとお手紙以外に「読書感想文」が入っていました。私が授業中に薦めた書籍(「君たちはどう生きるか」)を読んで感想文を書いてみたので、先生にも送りますとありました。
 この感想文がうなるほど上手なのでびっくりしました。もともと才能のある生徒だとは感じていましたが、ここまで書き慣れているのは珍しい。文章というのは書き慣れてくると独特の柔らかみが生まれてきます。歌と同じですね。
 
 歌がそこそこうまい人は、それなりに歌い慣れています。もちろんめったに歌わない名人というのもいらっしゃるでしょうが、それはまたプロ歌手の領域のお話であって、それなりに歌い慣れている方のほうが普通は上手に聞こえます。
 文章も本当に上手になりたいのであれば、書き慣れる必要がある。書き慣れることによって正直な部分が出てくる。正直に書くことがどこわくなくなるからです。書き慣れないと心配で心配で、ついつい虚勢を張った固い文章になりがちです。
 
 いずれにせよ、こうしてご縁が続いたら理想的ですね。そのことでまた通えるようになったときに快活に戻ってきていただける。いまの中3生でも過去1度抜けられた方が何人かいらっしゃいますが、非常にうまくいっているように感じます。 
 難しいものでこちらがあまり強く引き止めると、あちらに「強引に辞めた」という変な印象が残って帰りにくくなるかもしれない。「この教室が必ず必要になるからそのときは」ぐらいがいちばんいいようです。
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2019.10.07 08:05

 とくに何か理由があってというわけではないのですが、ふと昔の生徒を思い出すときがあります。彼(彼女)はいま何を考えているだろうか? という感じですね。私が教えた全生徒ということになると、上は50代になります。去年担当していた生徒が今年基本的に16歳ですから(現在教室にいらっしゃる生徒は直接話せるので、さすがにどうしているだろう? とは考えません)50代から16歳までのどなたかのことを思い出すという意味です。
 
 必ずしもこちらを慕ってくださっていた生徒ではなくても、ふと思い出すことがあります。Z会だけでも講師時代から考えればすでに20年以上経過しています。ついでに退職された先生のこともどうしているだろう? と思い出すときがあります。
 先生の何人かは現役のまま亡くなりました。仕事のあと一緒に飲みに行ったりしていましたから、亡くなられたと聞いたときはショックでした。私より年下の先生もいらっしゃいました。
 
 教室長という形では三鷹、池袋、渋谷の3教室で担当させていただく機会がありました。三鷹時代というのはもう20年近く昔になります。当時、お昼を食べに行っていた個人店のいくつかはもうなくなってしまったかもしれません。そうしたこともふっと気になります。
 三鷹は自宅からけっこう近いので見に行こうと思えばいつでも行けるのですが、そのためだけになかなか出かけて行くものでもないですね。
 
 池袋時代、私は仕事帰りにときどきある歩道橋(夜は人が通らない)から街の様子をながめてみることがありました。その歩道橋は20代のときに偶然渡ったものだった。池袋教室勤務になってしばらくしてから(あ、ここだったのか!)と気づいたのです。
 いよいよ50代になった私は、若く希望に燃えていた日と何がどう変わったのかということについてしばしば考えたものです。
 
 それは簡単に成功とか失敗とか名づけられないような感覚でした。成功でも失敗でもなく、獲得でも喪失でもなく、幸福でも不幸でもない。そういう何かが人生には確実にあるということを実感した。
 生徒の世代でもそんなことを意識しはじめる方が出てきているでしょう。簡単に表現してしまえば自分は自分以外にはなれず、そうであるならかつて「どこにもモデルのない」自分自身になりきってしまったほうが幸せなのだということです。
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2019.10.06 03:24

 ちょっとしたアクシデントがあり家内が緊急入院しました。救急車で搬送されていった。なかなか入院先が決まらないようでした。
 息子が力になってくれた。真夜中でしたが、おれが同乗するからと一緒に病院に向かった。私が翌日の朝保護者会があるということを知っていたのです。あたりまえのように着いていった。
 帰ってきたのが明け方でした。私は少しは寝ましたが、彼は全然眠っていない。それでも「犬の散歩はおれが行くので大丈夫だよ」と。
 
 まあ昔から自分は、授業や保護者会は非常に大切なのだとは話していました。その私が動きやすいように気を配ってくれるのです。
 父が他界したとき、私は教室で面談の予定を消化してから葬儀に出席しました。骨を焼いた日はそのまま教室に戻ってレギュラーの授業を担当しました。もちろん着替えたりはしましたよ。ただ、何とか穴はあけずにすみました。そうしたところを彼はずっと見ているので、全面的に協力してくれるのでしょう。親子関係が円満だということもあるのですが。
 
 入院は若干長引く可能性が出てきています。生命がどうこうではないのですが。こうしたごたごたはさっさと解消できればそれに越したことはありませんが、生きている限り不慮の出来事は起こりうるもので、いたずらに嘆いてばかりいてもいいことはありません。
 起きていることはマイナスであっても、その状況から何かしらプラスの要素を見つけ出そう作り出そうという気概が大切ではないか。いつものように、よりよく生きようという意志を持つことですね。
 
 昔も同じように息子の母親(=私の家内)が緊急入院したときがありました。そのとき彼はまだ小学生でした。私は仕事中で夜になってやっと病院に行くことができました。息子は病院の小さな椅子にひとりで涙を浮かべちょこんと座っていました。私がわざと乱暴に「おう!」と片手を挙げると、彼も強がって「おう!」と答えた。涙いっぱいなのに強がって。
 大人になったものです。だが、無理に何かをしたわけではない。過程が大切だと思います。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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