2017.01.20 00:49

 先日、教室長代理のN先生が都立高校推薦入試の集団討論対策の練習会を開いてくださったので私も見学させていただきました。こういうのは私なんかがやらないほうが、活発に意見が出てきていいのです。
 いろいろなことを感じました。しっかりしている子は本当にしっかりしています。話すときにつねに笑みを浮かべられるという精神力だけでもたいしたものです。声の通りもいい。内容はもちろん申し分ない。
 
 ふだんの生活でも気づくことですが、お話が上手な方はこちらの話をぜんぶ聞いてくださるうえに、お返事が遅れることがありません。相手の話を聞きながら頭の中で編集が進められているのです。
 わかりやすく言うとこうなります。仮に相手がすごく困窮しているとしますね。話を聞いている時点ですでに「単純に激励するか」「とことん慰めるか」「深刻にならないようにしたほうがいいのか」決めはじめている。
 
 相手の話が終わったときに、さてどうしたものかと困惑することがない。これは中学生にはなかなかできないことです。場数を踏んでいないと難しい。大人ーーきちんと知的な会話ができる人間という意味ですーーとの会話経験が豊富でないと、呼吸がつかめないでしょう。語彙も豊富でなければいけませんし、感情も豊かでなければいけません。
 会話の際にもっともしてはいけないのは、相手が伝えようとしている最中にさえぎって話すこと(テレビの討論会なんかは、面白がらせるための演出だと思います)ですが、そういう場面は1度もありませんでした。
 
 参加してくださっていた全員さすがだということにはなりますが、正論を次々と披露していく彼らが将来的に現実社会で傷つくことは確実なので、たくましく生きてほしいとずっと考えていました。
 正しい意見が通らないものなのです。あるいは正しい意見がどなたかの損になることがある。そんなでたらめが・・・という意見だけがとりあげられることもあります。どの世界でもそうです。正しく本質を見るクセがついていればいるほど、いったい世の中どうなっているのだと絶望的な気持ちにさいなまれるかもしれません。
 
 そのとき「これはいい悪いではなく、根源的な人間の弱さのあらわれなのだ」とうんと高い視点から見ることができるかどうか。先生なのにちっともわかってくれない、目上なのに何も助けてくれない、上司なのに気づかぬふりばかりしている・・・というだけでは最後は前に進めなくなります。
 おおげさに書けば私たちは神の視点を持つ必要があります。世界中で人間が殺しあったりしていますが、それでも忍耐強く神の視点を持って少しでも世の中をよくしようとしている人間は相当数残っています。
 
 正しければ確実に傷つくでしょう。ただその傷は、たとえば他者への慈悲心に変容させることも可能です。すべての傷をべつの何かに昇華させる。その何かは個々が責任を持って見つけるべきであるのかもしれません。討論を聞きながら、ずーっとそんなことを考えていました。
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2017.01.18 00:06

 先日のセンター試験国語を解いてみたのですが、古文の問題を読んでいたら自分みたいな主人公が出てきたので笑ってしまいましたよ。菊君という男。
 こういう話です。ある屋敷に泊まりにいく。隣に粗末な家がある。そこに50歳ぐらいの尼さんが住んでいるのです。私が非常に共感を覚えたのは、花を入れる皿に庭に出てきた尼さんの数珠があたり音をたてそれが男の心に強く残るところでした。その時点で(何だか自分に似た感じの男だなあ)と思いました。
 
 ここからですよ。
 その尼さんには20歳ぐらいの娘さんがいた。で、この娘さんはすごくかわいらしいのになぜかやはり尼さんになっている。若い尼さんに恋するのではなかろうかと心配になりました。私に似ていたらそうなりますから。
 するとやっぱり恋をした。ここが重要(何が?)なところなのですが、男は相手が尼さんだからよけいに惹かれたのだと思います。成就しないことがわかっているからこそ恋する意味がある。ただのかわいいお嬢さんだったら、そもそも興味をひかれたかどうかさえわからないですよ。
 
 手紙を書きます。直接は渡せませんから、使いの子どもに渡してきてくれと頼みます。昔のことですから歌だけ書きますね。あなたは本当に魅力的だ・・・みたいな歌を送った。普通そうやって恋の歌を渡すと同じように歌が返ってきます。男は返事が待ち遠しくて仕方がない。このあたりもそっくりですかね。
 結局、返事はお母さんのほうから来ました。あっさりふられてしまう。尼さん相手に何を考えているのだ! みたいな歌が書かれていた。しかし、自分が男にさらに似ていると思ったのはここからです。
 
 男はその晩、眠れないのですよ。仕方がないと思いながらも(ああ、きれいな人だったなあ)みたいな気持ちでいつまでたっても眠れない。
 じつはどこかでほっとしている部分があるに決まっているのです。私ならそうですから。好きになって騒ぐものの、じつは何も起きなくてほっとする。ほっとしてはじめて余韻にふけることができます。若いころ、そういうことがあったような気がします。
 今年の古文は比較的点がとりやすかったみたいですね。主人公に似ていたからそう感じたのかな。
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2017.01.16 00:39

 先週1週間「暮らしとおしゃれの編集室」のページに出させて(?)いただきました。結果ブログの読者数も増え、拙著がまた少し売れたようです。アマゾンのランキングで「育て方」の10何位かに入っていましたが、改めてお買い求め下さった方がいらっしゃったのでしょう。どうもありがとうございます。
  考えてみれば教育(というか勉強にまつわる子育て)は暮らしであり、おしゃれを意識することも可能でしょうから、心配していたよりすんなりと記事を読んでいただけたのかもしれません。
 
 写真のことをコメントしてくださった方がいらっしゃいましたが、それは周囲の人間からも言われました。とてもおしゃれな感じに見えるとおっしゃってくださるのですが、カメラマンの方の技量というか感性のすごさだと感じました。
 何枚も写真を撮っていただいたことはもちろんわかっていたのですが、撮影された瞬間すべてを確認しているわけではありません。あとで出てきた実際の作品を見て「おお! こういう発想か」とびっくりしたりします。
 
 私は私自身をかなり奇妙なーー息子を含めて身内はみんなそう言いますーー人間だと感じているのですが、その奇妙さを極力薄めた印象にしてくださっていると思いました。自分であって自分ではないようなやわらかさがありますね。
 現実に変なことを言ったりやったりしてしまうのは、ある種どうしようもない要素ではあるのです。やっぱり幼少期の育てられ方が大きいのでしょう。ああいう経験があって・・・こうなってきたという道筋は自分にはよくわかる。
 
 そういう完全にアウト的(?)なところを浄化する手段として、自分にはつねに芸術関係の支えがありました。人によってはスポーツに熱中したりするものなのだろうと思いますが、私自身はそちらには近づかず音楽や文学や映画などにのめりこみました。芸術にはマイナスな事象とマイナスな事象をかけあわせてプラスにしてしまうような不思議な力が内在していますからね。
 数々の芸術にはそれこそ「本当に賞賛できるのか?」というところがありますね。それでも名作には間違いない。なるほど、ノーベル賞を与えられるべきかもしれないとは思いますよ。
 
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2017.01.15 01:50

 いなすという言葉があります。軽くかわすぐらいの意味でしょうか。辞書をひいてみたところいろいろ出ていました。相撲でもよく使われていますね。
 上手にいなすことができるようになってきていると思います。結局、そういうことが進化なのかもしれません。妙な摩擦を避ける知恵とでもいうのでしょうか。先日は地下鉄の中でカートをぶつけられました。もちろん相手に悪気があるわけではない。ただスマホを見ながら引っぱっていました。
 
 ちらりとこちらを見て「あ、どうも」みたいな感じで軽く頭を下げた。スマホなんか見ているから・・・とは思いましたが、とくに腹をたてたりはしないですね。冷静に対応できるようになっています。
 同じようにエスカレーターで右側歩行するために強引に割りこんでくる人だとか、隣席でやたらとタバコの煙を吐き出す人(もちろん喫煙可能なお店でのことです)だとかいろいろ遭遇しますが、若いころのようには動揺しなくなりました。
 
 腹をたてるというのは自身が不幸になることですし、世の中は多様性から成り立っているのですべてありかなとは思います。喜びはしませんが、文句を言いたいという気持ちにはなりません。
 昔、将棋のインターネット対局で暴言を吐く方と対局したことがありました。私は返事を書かなかったのですが、対局中さかんに「弱いね」などと送ってくる。面倒な人にあたってしまったなと思いながら適当に早く指しました。相手もつられてすごい早指しになってきた。考えなくても指せるところを見せようとしたのかもしれません。
 
 で、最後の最後にあちらは慌ててミスをして私が勝ってしまいました。するとすぐに「おまけおまけ」と送ってきましたよ。「こんなのわざと負けただけ」と送信してくる。私は結局返信しませんでした。
 人は不用意な言動で自分自身をおとしめてしまうことがありますね。見知らぬ他人にここまでやってしまうのは、じつは将棋が原因ではないと思います。内側に人生に対する大きな不満が渦巻いているのかもしれません。
 
 外側に出てくるものは内側にあるものです。外側をじっと見ていれば内側が何となくわかる。だから生徒たちには書いている文字に、日ごろの言葉づかいに、服装や歩き方に注意してごらんと言うのです。それがぜんぶ自分の気づきになりますからね。
 
 
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2017.01.14 01:35

 来週、左下奥の歯がやっと入ります・・・なんていちいちご報告するお話でもないのですが、11月の終わりからろくに物が噛めなかったのでなかなか大変でした。右側だけで噛むとそちら側が恒常的に少しだけ痛くなるのです。普段の2倍使っているということなのでしょうね。
 抜いたあとがきれいになるまでは細かい処置が不可能であるということで、去年のうちは何もできませんでした。そういうものなのでしょう。私はいま治療を受けている歯医者さんを全面的に信頼しているので、ぜんぶお任せするようにしています。
 
 歯がいくつか入るのですが、まあ高いと言えば高い。その値段設定はちょっとおかしいのではないか? とおっしゃった方がいました。そういう話はよく聞きますね。その方は同じような感じで歯を作られたらしいのですが、信じがたいほど安い価格を口にされていました。「先生(彼は私のことをそう呼びます)は大人しいからぼられたんじゃないの?」と言われました。
 ただ私の中には歯科医の先生を尊敬する気持ちが強くあるので「自分にとってはこれが適正価格なのだ」と考えています。
 
 その歯医者さんは非常に腕がいいのですが、インプラントはあまり賛成しないとおっしゃっていました。私はもともとインプラントはちょっと遠慮したいと考えていたので(周囲にうまくいかなかった方がいました)勧められてもお断りしたと思うのですが、先生のほうからあえてそうおっしゃってこられたのはやはり何かあるのかもしれないですね。少なくとも私には合わないという判断なのでしょう。
 生まれてはじめての本格的な入れ歯で、なんかうきうきしますよ。
 
 昔、実家で父親の入れ歯がコップに入っているのを見てあんまり喜ばしくない気持ちがしたものです。そもそもそんなものを見るのが楽しくて仕方がないという方はほとんどいらっしゃらないと思います。そしていよいよ自分もその域に達したかという気分になる。
 と同時にこれは複雑な心理なのですが、わざと息子の見せたいと変なことを考えます。「これ、何だよー」と言ってもらいたいのです。家内にはそうでもないですね。息子にだけ何か言ってもらいたいのです。
 
 これもまたある種の愛情ではあるように思います。困ったものですね。ともあれ噛めるようにはなるので、また落ち着いて生活しますよ。どんなにコンディションが整わないときでも「幸せに生きるヒント」を提示していくことが、私の喜びなのです。
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2017.01.13 08:08

 昨年も同じ時期に書きました。中学入試のない小学生のコースの授業を今年も自分は担当しています。そこに「あいさつの重要性」という長文が出てきました。
 ことばというのは伝達の目的を持っていますね。今日は何時に帰るよ。ご飯は何が食べたい。明日はテストなので早めに寝ます。来週の日曜日は遊びに行きたい。すべて伝達ですね。こちらの意志を相手の方(複数かもしれません)に伝える。あるいは相手の意志をこちらが正確に受け止める。そのためにことばは大きな役割を果たします。
 
 と同時に、ことばには「あいさつ」としての大きな機能があると書いてありました。あいさつと言っても「おはようございます」とか「行ってまいります」という堅苦しいものばかりではありません。「やあ」も「元気?」も「きのうのサッカーすごかったね」もみんなあいさつと言えばあいさつです。
 その機能がすごく大きいという。「元気?」なんてわざわざ声に出さなくても、相手を見ていればわかることです。それをあえて声に出す。
 
 人間関係を上手にいかせるためにはこうしたあいさつ語、社交語こそが大切であるという内容の文章を50分間読んで説明しました。生徒たちにも順番に音読してもらいました。時間がなかったので一問も解かせませんでしたよ。枝葉末節な問いより要旨そのもの、あいさつがいかにこれからの人生で大切になるかということを徹底的に伝えたい気持ちがありました。
 中学生になって変ないじめにあったりしたら困る。先輩にあいさつをしないことで誤解されたら困ります。
 
 具体的にそんな話もしました。これから新しい人間関係がはじまるから、あいさつだけはするといいぞと。彼らは真剣に聞いていました。いつでもそうです。私の授業中に騒いだりする生徒はいません。そういう空間ができているのです。
 1人だけですが、いつもあいさつしなかった子が「さよならー」とこちらにあいさつして帰っていきました。じつはそうやって学んだことを体現化する気持ちが非常に大切です。あなたが学んでいることは、この瞬間からのあなたの生活を変える可能性があります。それぐらいの真剣さを持たれるといいと思います。
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2017.01.11 08:24

 25年ぐらい昔でしょうか、小動物を洗ってから乾かすために電子レンジに入れてしまったという海外女性の話を聞いたことがあります。当然小動物は死にますね。するとその女性は訴訟を起こしたそうです。電子レンジの説明書のどこにも「動物を乾かしてはいけません」とは書かれていないじゃないかという理由でした。
 その後どうなったかはわからないのですが、要するに常識だとか生き物に対する想像力だとかが、その方には著しく欠如していたのではないかと思います。
 
 こういうのは子どものときにあまりにも守られすぎていた部分があったのかもしれません。自分で判断するクセをつけずにきた。この女性に関しては、もちろんわかりませんけどね。
 ただ私が見ていてたとえば10代半ばをすぎても不思議なミスをする子は、幼年期から10代前半まで極端に守られて生きてきたケースが多いように感じます。
 守ることが単純にだめということではないですよ。ただたくましさみたいなものはどうしても必要になってきます。
 
 買い物に行かせる。買い物を経験させるのは私は非常にいいことだと思っています。タマネギだのジャガイモだのを買ってきた。それがちょっと傷んでいるものだったとしますね。子どもだと思って甘く見やがって・・・と仮に保護者の方がお店に乗りこんでいって真新しいものと取り替えてくる。手っ取り早い解決策ですが、教育的な配慮から考えればそうした損得よりまず新鮮な野菜や果物の見方を教え、変なものを押しつけられそうになったら冷静にこちらのほうがいいですと言える交渉力を身につけさせないといけません。その力をつけるための買い物ですからね。
 
 以前、息子が何かの催しに早朝から数人の友だちと出て行ったことがありました。ところがなぜか息子だけがすぐに帰ってきた。持ち物を間違えたとか何か大きな失敗があったのでしょう。楽しみにしていた催しにはとうとう参加できずに終わりました。
 私は深く詮索しなかったのですが、あれでいいのだということは家内に話しました。ああやってときには痛い目を見る。その経験が次の機会に活きてくる。かわいそうに見えるかもしれないが、あれでいいのだという話をした。
 
 それをたとえばうちの子がかわいそうじゃないか、いまからでも参加させろと周囲が守ってしまったらーー瞬間的にはよくてもーー大人になりきれない部分が出てくる。過保護ということになるでしょうね。世間の冷たい風にさらすこともまた必要なのです。
 並べなかったお前にも責任がある。説明できなかったお前にも責任がある。逃げて帰ったお前にも責任がある。やる気がないと判断されたお前にも責任がある。そうしたことをヒステリックに叱るのではなく、穏やかに何かの物語のように指摘してやれるかどうか。
 
 
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2017.01.09 12:59

 教室に来てすぐに机に向かい「暮らしとおしゃれの編集室」と検索してみました。出てきましたよー、この私が。掲載してくださるというお話でしたから出てくるのは当然みたいな気もしますが、改めてこういうおしゃれなページに載せていただくと自分ではないような気がするから不思議です。
 他の記事の方が高名なスタイリストさんですとか、それぞれおしゃれ道(?)の大家ばかりですから、ちょっと気おくれ気味ですかね。
 
 主婦と生活社さんのページをご覧になっている方は圧倒的に女性が多いのかもしれません。ただ最近は男性でも生活細部に神経を使っておしゃれに生きていらっしゃる方は増えていますから、けっこう隠れ男性ファンは多いような気がします。私自身これからはときどきこのページをのぞいてみようと思ったりしました。
 数々の情報を現代は本当に入手しやすくなりましたね。その反動なのでしょうか。つい最近、書籍とくに「雑誌」が売れなくなったというニュースを何かで読みました。
 
 私はいまでも比較的雑誌類を買うほうだと思いますが、それでも昔よりは買わなくなりました。文芸雑誌はーー大昔は複数買っていましたがーーもう何年も買っていないですかね。音楽誌も例の「BURRN!」誌以外買わなくなりました。あとはコンビニエンスストアーで食の情報誌を衝動的に求めるぐらいでしょうか。去年は将棋雑誌を買った月もあったな。
 書籍のほうは以前と同じように購読しています。やっぱり紙で読むといいのですよ。これは私個人の感想ですが、映像と紙では光のせいか印象が違うように感じます。
 
 映像のほうが強い刺激を受けやすい。すると伝わりすぎるのです。逆に紙を前にしたとき鈍感になる部分があるのではないか。試験問題はすべて紙ですからそのあたりには一抹の不安が残ります。
 よく知っている小説をあえてネットで読み比べてみたりするのですが、何かしらちょっと違った感覚を持つことがあります。もっとも、強い刺激を受けるから意欲が増すケースもありそうなので、一概に善悪は定めがたいかもしれません。
 
 結局、情報の類はいちおう自分のものにしてあとはご自身で考える、熟成させる時間を持つというのが大切ではないかと思います。
 思想的なものもそうかもしれませんが、たとえば食の情報誌で評価の高いお店に行ってみたら全然おいしくなかったということもありますね。私の記事も読んでくださった方が、その方なりに楽しんでくださるとうれしいのですが。
 いずれにせよ長野正毅、一生に1度のおしゃれ舞台です。どうぞご覧ください。
 
 
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2017.01.09 10:58

 人間、いろいろなことを工夫しますね。思わぬ工夫をしている方を目撃すると何だかうれしくなってしまいますよ。
 あるとき下町の酒場でーーかなりマニアックなお店ですーーまぐろの赤身を頼んでいるおじさんがいました。職場の制服姿で、身体を使う仕事をされているような感じがしました。醤油の入った小皿と赤身が何切れか運ばれてきた。するとそのおじさん、一切れ皿に入れてあとは難しい顔をしてじっと腕組みしています。
 ときどきお酒(ホッピーを頼まれていました)は飲むのですよ。しかしまぐろは食べない。
 
 明確に「食べないぞ」という意志を感じたのでしばらく観察していました。そのうちははあ・・・と思いあたったのですが、即製の「づけ」を作っているのですね。
 づけという料理(?)がありますね。刺身をしばらく醤油ベースの汁のなかにつけておく。そんなに長いこと浸しておかなくても味がつきます。それを白いご飯の上に並べて「づけ丼」とか、いろいろなお店でランチタイムに出しています。
 あれを居酒屋さんであくまでも個人的に作っている。いじらしいというか何というか、何とも表現し難い気持ちになりました。
 
 おじさんは苦みばしったシブい顔をされていたので、余計にそう感じたのだと思います。私がそれこそ小学生ぐらいの子どもなら「おじさん、何やってんの?」ぐらい訊いてしまったかもしれませんが、大人がそんな失礼なことを言ったら怒られるでしょうから黙っていました。
 腕組みをしたままどんどん時間が経過しているのは、うんと染みこむように待っているのでしょう。途中から私自身が酔っ払ってどうでもよくなってしまいましたが、薄暗い店内でのあの光景は印象に残っています。
 
 印象に残るどころか、じつは私はそれ以降おじさんのやっていた「即製づけ作り」を真似してみることがあるのです。おじさんみたいに見破られてしまうと何となく恥ずかしいので、小さく切ってうっかり忘れてしまったような顔をして醤油皿に残しておきます。で、しばらくたってから「お、まだこんなものが残っていたか・・・」というつまらなそうな顔を作って箸でつまむ。心の中はうきうきですが、そんなことではしゃいだらみっともないですからね。
 
 このまえは別のお店で、アジフライの片側にソースをかけもう一方に醤油をかけているやはりおじさんがいました。そのおじさんは普通のサラリーマンだと思います。おそらくソースとも醤油とも決めかねてそういう状態になってしまったのでしょう。
 アジフライに関しては、私は昔はソースばかりかけていましたが、最近は醤油にカラシで食べたりするときもあります。まあ、本当にどうでもいいお話ですね。ですが、そういうことが私たちの生活を下支えしているように感じます。
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2017.01.08 06:52

 ときどき「今年もどこかで講演する予定がありますか?」という意味のご質問をいただくことがあります。基本的に日々記事を書いていますから、どうしても話さずにはいられない! という欲求があるわけではありません。機会があれば・・・程度ですが、自分からわいわい騒ぐのは変なので、なければないでよしという感じでいました。
 ところが今年祖師谷に新しい教室がオープンするので、そちらで話しませんかというお話が出てきました。
 
 祖師谷教室長に就任予定のM先生にはいつも大変お世話になっています。昨年から今年にかけて、渋谷教室で小学生の授業を担当していただいている(現在進行形です)。優しくて子どもたちに大人気ですから、本当に助かりました。
 お礼というわけでもないのですが、お役にたてそうであれば何かしらお話させていただこうと思いました。勉強と子育てのお話ですね。新しい事例なんかもまじえてお伝えできたらと思っています。
 
 2月11日の祝日の午前ということでしたから、ひと月ぐらい先ですね。教室の規模があまり大きくはない(私もまだ見ていません)らしいので、ひょっとすると満員になってしまうかもしれません。ネットで予約ができるはずです。
 やみくもに「勉強しなさい」とは申しあげないので、中学生の方も安心していらしてください。私はあなたが「もっともやりたいこと」で世の中を明るくしてくださることを望んでいます。必ずしも勉強ではないかもしれませんが、勉強ができるようになる心構えはすべての世界で活かせます。
 
 祖師ケ谷大蔵駅にはおそらく過去に1度だけ行ったことがあります。小学生のときでしたから半世紀前ですね。手前の千歳船橋駅にも1970年代に来たことがありましたが、ほとんど記憶に残っていません。
 千歳船橋駅の近くにあったボーリング場のことを小説にして音楽誌に発表したことがありました。四半世紀近く昔のことです。あのときはけっこう覚えていたのですが、現在は忘れてしまっていることに気づきました。寂しくも感じますが、それはむしろ健康的なことなのだろうと思います。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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