2019.08.20 00:15

 あおり運転のことがあちらこちらで話題になっています。私は現在車を運転していない(最後に運転したのは1980年代でした)ので直接的にはあまり関係ないのですが、見ていていろいろなことを感じます。
 追い抜かれたことに腹をたててあおったりするケースが多いようですが、逆上する本当の原因は「追い抜かれたこと」ではないでしょう。追い抜かれたことが「きっかけ」となってもともと内在していた怒りが爆発したということだと思います。
 
 ですから、仮に追い抜かれなくても他の何かで怒りが爆発する可能性はあったと思います。怒りがきっかけを求めてうろうろしている状態なわけですから。
 こういうのは私たちも注意しなければならないところで、自分はかつて生徒から「うちの人(ご両親のことが多い)がしょっちゅういらいらしていてすぐに怒り出すので、落ち着いて生活していられない」という訴えを聞く機会がありました。
 
 何でも怒る、静かに言えることを怒鳴る、本当に何をやらせてもだめなんだからというような感想をいちいちつける・・・というのです。蒲団を畳んでいない。それぐらいの小さなことで「まだ畳んでいないの!」と威嚇するように大声を出す。書くと笑い話みたいになってしまいますが、中学生のころの息子と家内のやりとりにもいくつかそんなのがあったように思いました。
 早く起きなさい! 起きてるよ! ちゃんと起きなさい! だから起きてるって言ってるだろう!
 
 そんな怒鳴り合いが聞こえてきて、おいおいと思って私が起きていったことがありました。何時に起きるという合意事項があり、それを可能な限り遵守するためのやりとりが怒鳴り合いに発展してしまうのだとすれば、それは各々の心の中に蓄積している何かが原因であって、起床が円滑にいっているかどうかが原因ではないですね。
 当時私が息子を起こしたときも何度もありますが、怒鳴り合いになったことは1度もありません。「起きろよ」「うん」「そろそろまずいんじゃないか」「そうだね」程度でした。
 
 私たちが何かでかっとなったときに、本当の原因は「そのこと」ではないのかもしれないという洞察を持つことは大きな進歩ではないかという気がします。私は現在生徒にまったく腹をたてませんが、それは彼らが突如として礼儀正しくなったわけではなく、私自身の中に別の要素が蓄積されてきたからですね。本当に理解しあいたいのであれば、強い思いこみはすべて邪魔になるでしょう。そのあたりの智慧ですね。
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2019.08.19 07:55

 先日、電話で教室への道順を確認されてきた大人の方がいらっしゃって「何しろ、昔の渋谷とは全然違うから」とおっしゃっていました。昔の渋谷というのがいつの時代のものなのかはよくわかりませんが、昔の渋谷と全然違うのはその通りで、私自身も感慨深いものがあります。
 少年時代、私は毎日渋谷に通っていました。当然、渋谷駅周辺を友人とうろうろしたものです。「少年」というのはそういうことをしますね。
 
 うろうろする相手は多くはなかったのですが、うろうろする場所は比較的決まっていました。中学生のころはいまはなき東急プラザによく行きました。大きなレコード屋さんがあってレコードを試聴することができた。
 もっともお店にとっては迷惑みたいなものですね。中学生がLPレコードを試聴したところで「ではこれを」とすぐに買うわけがない。あるとき、友人がある曲を試聴してくれないかと私に言ってきたことがあります。
 
 私はその曲を知っているので、聴きたいのならきみ自身で頼めよと言うと、いやいや作戦があるんだ。聴きたいのは自分だけど、長野から頼んでほしいんだと言われました。気が進まないまま私は店員さんにLPレコードの中のある曲をかけてくださいとお願いした。
 曲がかかりはじめると友人は何度も私に「たいした曲じゃないじゃないか」と文句を言いました。流れが不自然なので理由があるのだろうと思って黙っていたら、最後まで聴き終わってから店員さんの前で私に「こんな曲なら買う気にならないよ」とだめ押しした。
 
 レコード店を出ると彼は笑顔で「うまくやっただろう? おれはいつもこうやって店員を撃退するんだ」と得意そうに胸を張りしました。「ただで聴くいい方法だろ? 大学生の兄貴から教わったんだ。向こうも薦めようがないからさ」と言った。私は複雑な気持ちになりました。
 世の中は、そうしたことに満ち満ちているような気がします。「うまくやる」ということですね。そしてそれこそが「正義」だということになっているのかもしれません。
 
 ただ私自身は「うまくやる」ことにはほとんど興味がありません。もちろんわざとへまをしたいとは思いませんが。試聴はしたいけれども店員さんに気が引けるのでいつも言いだせないーーそんな少年時代で本当によかったという気持ちがあります。
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2019.08.17 08:17

 先日、電車の中でこういう光景を目撃しました。どういう背景を持つものなのか私にはわからないのでにわかに善悪でくくりたくはないのですが、母親と女の子(幼児)が席についていました。女の子は小さいのであまりじっとしていられない。席に立ち上がったりするのはいいとしても、靴は履いたままなのです。こういうのは女の子自身で気づくケースはまずないわけで、自分が親であれば靴のまま椅子に立たないように注意するか靴を脱がせるかするのではないかと思いました。
 
 実際、息子が小さいころはバスや電車の中で靴を脱がせていましたし、私自身もそんなことをさせられていた記憶があります。女の子はさんざんシートを靴で踏みつけてからある駅で下りていきました。するといくつめかの駅で、非常に上品そうなオシャレな白い服を着たご婦人が電車に乗ってきました。何となく予感があって目で追っていたところ、ご婦人は女の子が踏みつけていた席に吸い寄せられるようにして座りました。目で見た感じでは汚れているかどうかまったくわからないですからね。
 
 あちゃーとは思ったものの、わざわざ立ち上がっていって何か告げるのも変でしょう。そんなことをしたらむしろ私自身が不審人物だと思われてしまう可能性もありそうなので、黙っていました。と同時に、こういうのは何かしら避けがたい必然なのかもしれないというようなことも考えた。因果関係とでもいうのでしょうか。ご婦人にバチがあたったとかそういう話ではないですよ。「業」とかそういうお話でもない。自然界のプラスマイナスの均衡という意味で、不思議な現象が起きるケースがあるということです。
 
 私が伝えたいと思っているのはこういうことです。つまりある日、自分側の世界で完璧に準備したとします。身なりをととのえていちばんいい服を着て外出したとする。その時点で私にーー一般的な意味ではーーまったく落ち度がないにもかかわらず、場合によっては世の中全体の均衡のために理不尽な思いをする可能性がある。だから「つねに注意していたほうがよさそうだ」ということです。
 宗教的な解釈などに踏みこむ気持ちはまったくありません。
 
 世界にプラスをもたらす活動を心がけていれば、徐々に不慮のマイナス事故はこちらの貯蓄に追いついていかなくなるだろうという気もしています。何しろこちらは「意識的に」プラスの言動行為を増やしているわけです。無意識的なマイナスがそれを凌駕するということは考えられない。所詮事故ですから、だんだんこちらの豊かさに追いつかなくなるでしょう。稼ぎに追いつく貧乏なしというのと同じ理屈ですね。「情けは人のためならず」ということわざもそのあたりの事情を暗示しているのかもしれません。
 
 損をするのではないか? という躊躇が何よりもよくないですね。あるいは報いはたいしたことがなさそうだからこの程度の貢献で十分かも・・・という吝嗇に似た感覚がよくない。世の中にとって「私」は得をもたらす人間だという定義や意識を貫き通していかれれば、マイナスや損はけっして追いつかないものだと思います。
 
 
 
 
 
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2019.08.16 00:30

 私は日ごろあまり肉食をしないように心がけています。これは健康がどうのこうのという意味ではなく、何となく自分はそういう方向に進むべきではないかという気がしているのです。ですから、昔は仲間と焼肉屋さんに繰り出していたのですが、最近ではほとんど行かなくなってしまいました。
 屠殺関係の書籍を少し読んだりしたことも何かしら影響を与えているかもしれません。もっとも家族は普通に肉を食べていますし、他人に何かを提案したいという気持ちはありません。
 
 ここ数日体調がすぐれなくなって、なぜかふだんは食べない肉食にひかれるようになりました。具合いが悪いので、外に食事に行くのがつらい。そこで来る途中デパートの地下でお弁当を買って来るのですが、おととい買ったのが大阪かどこかの焼肉屋さんがブロデュースしている焼肉とロース肉(だったかな)が大量にご飯の上に乗ったお弁当でした。あれこれ見ていて、これが食べたい! という衝動を感じました。
 ただでさえ味が濃いうえにタレまでついているのですが、タレもかけて完食してしまいました。
 
 昨日は焼鳥丼みたいなお弁当を買いました。周囲の仲間に見せたら「これは濃そうですねー」と呆れられましたよ。熱があると味の濃いものに気持ちが動くのです。こちらはおいしいことはおいしくても、前日の焼肉弁当ほどの感動はありませんでした。値段の差なのか肉の差なのかタレの差なのか、そのあたりは難しいものだと思います。
 今日はだいぶ落ち着いてきて、外に食べに行こうという気力も持てるようになったのでお弁当は買わないつもりです。と同時に、どうして肉ばかり食べたくなっていたのだろうと改めて不思議な感じがしています。
 
 たぶん深い部分で身体が求める何かがあるのでしょうね。たんぱく質だとか動物性何とかだとか決めつけてしまうとつまらない感じになってしまいますが、要するに弱った身体が求める波動みたいなものをある種の食べ物がたくさん有しているということなのだろうと思いました。
 またふだんは焼魚などを好んでいるのですが、ここ何日かはそうしたものはまったく食べたくありませんでした。好きなものを食べたくなくなるというのも面白い現象で、自分の身体のことなのにわかっているようでわかっていないものですね。
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2019.08.15 08:56

 後期の講習がはじまったばかりなのですが、体調を崩してしまいました。じつはこういうことがあった。先日、ブログを書き終えて午前1時ぐらいに寝ました。午前6時に起きる予定だったのですが、夜中の3時ぐらいに犬がきゅんきゅんいっている。いっているというか、鳴いているわけですね。
 犬は家内と寝ているのですが、とにかく私は自室を出て様子を見に行きました。何か悲しそうな顔でこちらに訴えている感じがします。
 
 私が顔を見せると1回はおさまったのですが、またしばらくしてきゅうきゅう鳴きはじめました。ひょっとしてトイレがしたいのかもしれません。自宅の中では彼女はいまトイレをしませんから、外に行かせてくれということなのかもしれない。
 面倒だなとは思ったものの、家内も息子も熟睡しているので真っ暗な中午前4時前に散歩に連れ出しました。公園で匂いを嗅いでうろうろしていましたが、わりとさっさとトイレをすませたのでやっぱり行きたかったのだろうと思います。
 
 午前4時すぎに帰ってきましたが、汗だくになったのでシャワーを浴びてからもう1度寝ようとしました。しかし、そう都合よく寝られるものではないですね。私の部屋にはクーラーもないので、ひどく暑いという事情もありました。結局、擬似徹夜状態で仕事に出てきてすっかり調子が狂ってしまいました。熱はたいして出ていないと思います。インフルエンザとかそういう深刻なものではないですから、普通の風邪薬を飲んでとにかく授業だけは乗り切りたいと考えています。精神的には全然参っていないのですが、咳が出ますかね。
 
 体調が悪いと一概に言いますが、その瞬間体調が悪いという事実はあっても、次の瞬間はどちらに動いていくかわからない。この調子だとどんどん落ちていくと決めつける人もいるでしょうし、ここが底でありこれからは少しずつ上向いていくはずだと考える人もいるでしょう。
 日々よりよく生きる(しかないので)ことを目標にしている自分とすれば、当然後者の生き方を選択するわけで、休めたらいいのにとかもっと同情してもらえないかなどとはまったく考えません。
 
 来る時間や帰る時間なんかで周囲の仲間にご迷惑をおかけするのが心苦しいのですが、とにかく何とか最後までいきたいと思っています。少なくともこの20年間、私は体調不良で代講をお願いしたことはありません(大きな説明会が入ってしまい、特別講座を代わっていただいたことはありました)。
 まあ歳はとりましたが、何とかなると思っています。
 
 
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2019.08.14 07:54

 ときどき消しゴムのかすを丁寧に集めてゴミ箱に捨ててくださる生徒がいます。女の子に多いですが、極端に珍しいわけでもありません。各クラスに1人ぐらいはそういう子がいます。講習は朝から晩まで続きます。おそらく次に机を使用する方のことを考えてくださるのでしょう。いちいち意識しなくとも「そういうものである」という姿勢ができているわけですね。
 気づいたときに「ありがとう」とこちらも声をかけるときがありますが、恥ずかしそうになさるのでとくに何も言わないときも多いですかね。
 
 かたや飲み物の空き缶やペットボトルなどをそのまま放置して教室から帰ってしまう生徒もいます。足もとにころがっている。ひどいケースでは机の上に置き去りにする。中の液体が残ったままという場合もあります。こちらはやはり男の子に多い。
 どうなのですかね。私はべつに腹をたてたりはしませんが、そういう姿勢であたりまえに生きていって結局困るのはその子自身ではないかという気持ちもあるので、気づいたら自分で捨てておきなさいと静かに告げます。
 
 反抗的な生徒はまったくいませんが、中には「置きっ放しではいけないものか?」とびっくりしたような顔をする子もいないことはない。
 私は消しゴムのかすを自分で集めて捨てる子が全員優等生で、ゴミを放置したまま帰ってしまう子が全員成績が落ちていくというような乱暴な意見は持っていません。ただ両者は相当違います。生活の基本的な習慣であるとか、他者に対する思いやりであるとか、いわゆる社会生活におけるマナーであるとか相当違う。そしてまた心の状態が違う。
 
 おそらく放置しておくタイプの方は、どこかで大人に注意されているでしょう。1度も注意されないとしたら、身近にいる大人の愛情不足による怠慢ではないかとさえ思います。自分で出したゴミは自分で片づけなさいというのは当然のルールというかマナーですね。
 ご本人が大人に指摘されて「うるせえな!」とものすごく反発するとしたら、それはその子の精神生活のほうに問題があります。あたりまえのことがそんなに腹立たしいのは、心の底に得体の知れない怒りがたまっているからでしょう。
 
 その怒りはゴミを捨てる捨てないとは別のことが原因になっているはずで、周囲の大人がそこを理解して導いていかないとなかなかいい方向に改善しない。たとえば世の中には「愉快犯」と呼ばれる人たちがいますが、どろどろした不満や怒りのはけ口として悪質ないたずらをせざるをえないわけで、いたずらの悪質さだけを説明してもどろどろしたものが浄化されなければ根本的な解決にはつながりません。そのあたりは難しい。身近な人間は、彼らの背景も感じながらアドヴァイスする必要がありそうです。
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2019.08.13 00:05

 今日から夏期講習の後半がスタートします。私自身は午後に授業を担当することになっています。前半は午前と夜の担当でちょっと分裂していたのですが、このあとは午後だけなので少し楽です。楽というのは、たとえばクリニックなんかに寄ってから来たりすることが可能であるという意味です。
 ブログのほうもまた仕事の日は必ず更新します。書くことがあるとかないとかいうより、そうした原則を守りたいという気持ちが強いですね。
 
 先日試しに「高校受験」の項目でZ会ブログを検索してみたら、最新記事の20本がすべて私のものだったときがありました。皆さん、忙しくてなかなか更新できていないのでしょう。私もまた夏は毎日授業はありますからヒマでヒマでという状況ではないものの、こういうことであれば自分だけでも日々更新していかなければと思いましたよ。
 現在、毎日いらしてくださる訪問者数は何百という単位です。ページビュー数が何千という感じでしょうか。
 
 夏休み中、あるデパートで中古のCDを買いました。毎年同じ時期にセールをやっている。以前も買ったことがあります。初期のジェフ・ベック・グループの2枚組のCD(ロッド・スチュアートが歌っているやつ)が500円以下で売られていました。異様に安いなと思いながら購入したのですが、売り場の男の方がこれがこの値段なのは・・・とちょっとびっくりされていた。何かしら値段設定でおかしなところがあったのかもしれません。「2枚組じゃないか」とおっしゃっている。私も不安になってちょっと安すぎるように感じたのですがと言いました。
 
 値段を再設定されるのであればそれでもいいと思ったのですが、相手の方は「いやいや、この値段でもちろんいいのですがちょっと個人的に驚いたので」と苦笑されていました。値をつけられた方はひょっとするとジェフ・ベックがどうのこうのということに詳しい方ではなかったのかもしれません。
 アルバムには「監獄ロック」が入っていました。私が中学生のころ、このベック版が流行っていました。ロッド・スチュアートという個人名は知らないまま友人と「あのヴォーカルはすごいな」などと話しあったものです。
 
 洋楽に対してそういう「場」がありました。私たちは日常的にラジオを聴いていたものです。ヒット・チャートで情報を得る。あちらでもこちらでもジェフ・ベック・グループの「監獄ロック」がかかる。ただ、ぜんぶは流してくれない。途中までです。少ない情報から何かしらすくいあげていって「あのヴォーカルはすごい」というようなことをふと10分間の休み時間に話したりしていました。「とくに2番のエキサイトぶりがすごいよな」と語っていた友人がいました。あれから半世紀か。50年たちますね。
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2019.08.11 10:12

 お盆休みというのでしょうか。本格的なお盆の時期とはちょっとズレているようですが、9日より12日まで自分の教室はお休みになっています。その間ブログもお休みする予定でしたが、1日だけ更新してみました。
 休みのあいだとくにこれといった予定もなく、あちらこちらをぶらぶらしています。私は夏が好きなので、暑い街を歩くこと自体が娯楽なのです。面白いもので休みの期間はあまり本を読んだりはしません。
 
 ここのところ2冊同時に分厚い(400ページぐらいの)書籍を読書中ですが、ほとんど仕事の行き帰りの電車内で読んでいます。そのためにわざわざ定期券のない井の頭線を利用(始発から終点までずーっと読みふけることができる)している日があるぐらいです。乗り換えが多いと集中しにくいので、交通費がかかってもそうやって工夫しています。
 非常に難しい大学に合格したある私立高校生の合格体験記(偶然見つけました)を読んでいたら、勉強は通学途中の電車の中でやっていたと書かれていました。
 
 片道2時間近くかかってその私立高校に通っていたそうです。Z会生ではないので細かい事情はわかりませんが、高校入学の段階では必ずしも第1志望校ではなかったのかもしれません。通学時間がかかることをいたずらに嘆いたりせず、勉強時間に利用した前向きな姿勢はたいしたものだと思いました。
 自宅でも自室ではあまり勉強できないという生徒がいます。寂しい感じがして落ち着かない。そういう場合は、ご家族のいらっしゃるところでなさればいいと思います。
 
 集中力というのは静かであれば増進するというものでもありません。わさわさしていても非常に集中できることはあります。住宅事情が悪い時代の秀才は、皆さん個室など持っていませんでした。私の叔父も大変な秀才だったそうですが、学生時代は駅の待合室で勉強したという話を聞いたことがありました。要するに意志の問題なのです。勉強したいという意志が集中力を運んでくる。
 勉強に向き不向きはありますか? と訊かれることがありますが、それはあるでしょう。
 
 たとえば野球が大嫌いな甲子園球児や将棋が大嫌いな名人や歌うのが大嫌いなプロ歌手が存在するわけがないように、勉強が大嫌いな優等生というのも原理的におかしい。何をやってもどの教科も嫌いということであれば、勉強に不向きではあるのでしょう。
   ただ強制的なやらされすぎてそうなってしまうケースがほとんどです。私自身がそうでした。無理やりやらされているうちに、こんなに人を不幸にするものはないと心底うんざりしました。本質的に勉強に不向きな人間というのは、じつはほとんどいません。少し緊張をゆるめてみてください。いずれは何かしら勉強したくなってくるはずです。
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2019.08.08 00:34

 さきほどフランキー・ヴァリが秋口に来日するという情報をコメント欄に寄せてくださった方がいらっしゃいました。これには驚いた。私はお休みの日の夜は、だいたいアルコール類を飲みながらYouTubeを見たりしています。それだけでもないのですが、だいたいそんなこと「は」している。
 じつは偶然昨年のフランキー・ヴァリの映像を見ていたのです。いろいろな曲を歌っていましたが、コメント欄には「彼はひどく疲れている」という記述が多かった。80代ですものね。
 
 ただそれでも歌声は昔のままで素晴らしい・・・と続きます。面倒臭いので日本語で書きますが「シェリー」「グリース」「瞳の面影」「君の瞳に恋してる」を聴いた。私自身は彼の楽曲でいちばん印象に残っているのはやはり「君の瞳に恋してる」です。もう1曲「神に誓って」というのもすごく好きなのですが、「君の瞳に恋してる」にはさまざまな思い出があり、人生全体に関係してくる感があります。
 もっとも私自身はこの曲を後追いで知りました。
 
 1967年に発表された曲ですが、当時私は小学生でさすがに洋楽はほとんど聴いていませんでした。ビートルズ、モンキーズ、ローリング・ストーンズ、ウォーカー・ブラザースぐらいは少しだけ知っていました。当時の小学生にはそういう情報は入ってこないのですよ。ビートルズやモンキーズの曲も、沢田研二さんが在籍していらっしゃったタイガースを通じて知りました。
 ですから、フランキー・ヴァリのこの名曲に出会う機会はありませんでした。
 
 中学生のときにこの曲の存在をはじめて知った。当時、廃盤になっていてどうしても聴くことができません。すごくいい曲らしいということはわかっても、どこでも手に入らない。何年も何年も何とかならないかと悶々としたある日、突然ーー理由はわかりませんがーーこの曲のシングル盤が再発されたことがありました。1971年か72年だったと思います。すぐに買ってきました。買ってきたものの先輩に貸したらやんわりと取られてしまいました。うん、まあ私はそういう人間なのですよ。
 
 この話は以前も書いているかもしれません。
 高校時代、友人と泊りがけで海に行った。その旅行はある意味で自分の人生に決定的な意味を持つのですが、旅行初日の朝目が覚めるといつもつけっ放しにしているラジオからこの曲の最後の部分が聴こえてきました。アイ・ラヴ・ユー・ベイビー・・・というところですね。
 ああ、この旅行は特別な意味を持つなと予感しましたよ。そして、その通りになった。この話は親しい人から「作った話ではないのか?」と言われたことがあります。
 
 ちょっと専門的なことを書くと、出だしの部分とアイ・ラヴ・ユー・・・の部分がなかなかつながらなかったそうです。そこで間奏を入れてみたら奇跡的にぴったりしたという記事を何かで読みました。なるほどなと思いましたよ。ポップスの名曲です。ぜひお聴きになってみてください。
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2019.08.06 00:59

 私は書籍類は読んだら比較的すぐに売ってしまうのですが、ガイドブック類だけは一部捨てずにとってあります。飲食店や旅行のガイドブックですね。いろいろと見比べてみると面白い発見があるのですよ。
 名古屋のガイドブックなどは、1990年ごろのものまで残っています。ただもっと古いものもとっておけばよかったなという気持ちはある。当時と現在では、名古屋はがらりと変わりました。細かく比較してみると本当に興味深い。
 
 以前は観光名所になっていなかったところが、最近のガイドブックでは人気スポットとして取りあげられていたりする。ところが、当時から同じように存在していた商店街だったりするわけです。にわか作りの何かではない。昔はあたりまえすぎてわざわざガイドブックに載せるほどの存在ではなかったのでしょう。それがいまは「昭和風ノスタルジック商店街」ということで脚光を浴びているらしい。なるほど、古くなればなるほど価値が増す側面はあるでしょうね。
 
 飲食店のガイドを見ていても、たとえばすごく値段の上がっているお店があります。私が見るようなお店ですから、やきとん屋さんとか居酒屋さんとか大衆的なお店ばかりなのですが、すごいところだと人気メニューが4半世紀前の倍近い値段設定になっていたりする。倍というのはすごいですよ。おかげでお店自体も新築された。
 倍にしてもやっていけるというのは、そもそもお客さんの層までがらりと変わってしまっているはずで、ある意味成功なのだろうという気はします。
 
 ただそこのお店とよく名前を並べられている別のお店は、これまた(逆の意味で)驚いたことに、4半世紀前とほとんど変わらない値段で提供しています。何十円か上がってはいるものの、消費税が2回上がっていることを考えるとほとんど値上げしていないのと一緒です。
 これはいつも来てくれるお客さんをすごく大切にして長く続いてきた証拠だと思います。どの方も通い続けられるように・・・ということですね。こういうスタイルもまた大成功と言えるでしょう。
 
 一般に儲かりそうだから値上げるということになるのでしょうが、値上がれば必ず脱落していく人間が出てくるものです。私なんかもそういう存在(さして豊かではないという意味です)の1人ではありますが、がらりとお客さんの層が変わってもいいやという感じで値上げされるとちょっと寂しい感じはしますかね。お店がある段階に来るためにだけに必要とされた客だったのだなという気がするからです。
 こうしたことは人間関係でもあることかもしれません。人間関係だともっとどろどろしたものになりがちなので気をつけないといけないですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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