2017.05.23 09:06

 私のように少年期いい加減だった人間の目から見ると「真面目に勉強している」10代というのはすごい人だということになりますが、真面目にやり続けている優等生には真面目に勉強することはごくごくあたりまえであって、だから何? ということになります。
 真面目にやらないほうが大問題で、真面目にやっているからといって大騒ぎするほどのことではないのですね。
 
 ですからいわゆる真面目に勉強する人間にとって学校の教科書を隅々まで読む、予習復習を毎日欠かさない、授業そのものを真剣に受ける、定期テストの対策をする・・・というのは当然のことで、それだけでは差がつくわけがないということを彼らはちゃんと知っています。
 ときどき私のところに「真面目にやっているのに成績が上がりません」と来る生徒がいますが、先頭集団では真面目にやるのが当然ですからそんなに調子よく順位が上がるわけがないのです。
 
 それ以外に何をやっているかということが大事です。それ以外のことというのは、あきらかに他の人がやっていない努力ですね。たとえば学校以外の勉強でしょう。
 それはまたすごいことではありますが、ただその「学校以外の勉強をしている集団」にとってはそれが次の次元のあたりまえになってきます。ですからその集団内では、それだけではぐんぐん頭角をあらわせません。
 
 そのあたりを勘違いして自分は努力してもだめなのだなどと思わないようにしてください。みんなと同じことをやっているかぎり、その集団内でだいたい同じ位置にいるのはむしろ道理です。
 つねに自分は「属している集団でどこの部分で他人より努力しているだろうか」ということを意識しないといけません。そして高みにのぼりたいということであれば、みんなと違った何かをしないといけない。その何かが確実な文化的活動であれば、いずれ相対的に成績は上がっていきますからちょっと冷静に考えてみてください。
 
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2017.05.22 08:11

 いつもの耳鼻科でいつもの週刊誌のいつもの「人生相談コーナー」を読んでいたところ、いいことが書いてありました。旅というのは人間への最大の贈り物だというのです。どなたの言葉なのか出ていませんでしたが、そういう名言があるそうです。
 ほう、と思いました。いい言葉を聞くとひと呼吸置いて「なるほど」という気分になりますね。
 確かに旅行は気分がリセットされます。何か非常に新鮮な気持ちになります。
 
 すぐにでも旅に出たくなりましたが、次の休室日はお盆のときですからね。まだちょっと間があります。先日の愛知県豊橋市みたいに日帰りだとやっぱり疲れるからな。
 そうなると私は軽いので、とりあえずすぐに中京地方の「るるぶ」なんかを買ってしまったりするのですよ。するといまの「るるぶ」はすごいのですね。昔と情報量が全然違う。ここまでやらないとネット全盛の時代、売れないのかもしれません。
 
 その情報量ですが、どちらかというと昔より圧倒的に庶民向けの情報が増えています。これはどういうことか。庶民階級(?)にターゲットを合わせるようになったというよりは、お若い方や豊かな生活を送っていらっしゃる方が昔より庶民文化に興味を持たれているということではないかと思います。
 実際、東京でも赤羽あたりに山の手から観光(でいいのかな)目的のお客さんがたくさんいらっしゃるようになりました。とくに土日祭日ですね。それこそ赤羽線のころ(古すぎますか?)は硬派な街というイメージがありましたから、えらい変貌ぶりです。
 
 中京地方の「るるぶ」にも、私が昔から行きたいと思っていながらちょっと入りにくさを感じていたお店が堂々と紹介されていました。10年以上昔の雑誌(観光ガイドではありません)には、女性客一見客はまず見かけない・・・みたいなことが書かれていたものです。そのお店が「るるぶ」に掲載されている! 優しく明るくいかにも楽しそうに紹介されていていたので、雰囲気もずいぶん変わってきているのだと思います。
 旅は時間とお金を消費します。ただ「人間への最大の贈り物」という表現は言い得て妙ですね。確かにどんな物品よりうれしいかもしれません。
 
 
 
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2017.05.21 00:21

 とくに小学生の男の子なんかで、やたらと軽そうに見える子がいます。これはそう見えるというだけであって本来の軽薄さとはじつは別種のものです。私は自分がそうだったのでよくわかるのですが、自分自身の内側で何かよくわからないものを韜晦させる目的でとりあえずそう演じているケースがしばしばあります。
 ですからある日突然、内省的で静かになることがある。口をきかなくなる。笑顔を見せなくなる。もともとその素養があったのです。
 
 概して、小中学生は男の子のほうが女の子より重心が高いものです。うろうろきょろきょろしていて落ち着かない。生理的な何かもあるのでしょう。いわゆるじっとしていられない。
 自分の場合は中学2年生ぐらいになって突然他人と話すのが苦痛になりはじめましたが、性的な目覚めみたいな要素が微妙に関係していたような気もします。とまどいですね。何か考えこんでしまうようになったとでも言うのでしょうか。
 
 いずれにせよ、重心が高い位置にあるときはどうしてもじっくり考える態勢になれません。ぐらぐらしている。喋ったり動いたりマインドが落ち着かない。
 勉強に限ったことではないですよ。お手伝いをさせても失敗する。買い物に行ってお釣りを忘れてきたり、洗濯物を干そうとして地面に落としたりする。重心が高くて不安定なのです。
 やみくもに叱ったところでどうにもならないでしょう。そそっかしさの根本原因が重心の高さにあるのですから。
 
 そこは時期を待たないといけませんね。と同時に生活の中で重心を少しでも下げられるような働きかけをしていかないといけない。
 本当は瞑想でもさせるのがいいのでしょう。しかし、小中学生相手にそういうわけにもいかないですね。落ち着いた空間作り、じっくりと姿勢正しく座らせ食べさせる、家の中の空気を泡立たせない工夫などは必要になってくると思います。ずーっとテレビがついているとか部屋中散らかっているとか家族が怒鳴り合ってばかりとかいうのはちょっと感心しません。逆に重心が上がってしまいますよ。
 
 お子さんの重心を下げてやるにはどうしたら・・・ということを常に意識されるといいと思います。「がみがみ文句を言う」などというのは重心を上げることこそあれ、下げることはまずないと思います。何かあったときは、明日対処法を訊くからまとめておいてでいいでしょう。1人でまとめながら、彼らの重心は静かに下がっていくはずです。
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2017.05.20 00:47

 歳をとってわかってきたことが多々あり、そのへんは歳をとるしか理解の方法がなかったのだろうと感じます。一般的に歳をとることは評価の分かれる要素があり、だからこそ「アンチエイジング」が流行ったりもするのでしょう。それを私はとくにいいこととも悪いこととも感じませんが、歳をとってわかってきたことに関しては大切にしたい気持ちがあります。
 1つはコミュニケーション=会話だけではないのだということがあります。それは強烈に意識するようになりました。
 
 昔は何かしら伝えたいことがあるとき、相手にわーっとすべて話さなければ伝わらないと思っていました。たとえばそれこそ若いころ、女の子に思いを伝えるとき何をどう話そうかということを常に考えていました。あれがいけなかったのかといまになってーーあまりにも遅いですねーーよくわかります。
 あるいは生徒を呼びますね。何か注意したいことがあって呼ぶ。そのときに会話体ですべて訴えてしまったら絶対にうまく伝わらないということが、やはりいまはよくわかるようになりました。
 
 伝えたいことはもちろん何も言わなければ伝わらないでしょう。ですから少しは言葉に頼る。あとはこちらの様子を見てもらうだけでいいと思っています。落ち着いたまなざしや顔つきや身振り。それから伝えたいこととは直接関係のない会話。そういった絵画でいえば背景みたいなところをしっかりと構築していく。それでただ言葉を羅列する以上にテーマが伝わるということは、経験上はっきり言えると思います。
 わーわー文句を並べたところでまったく効果はない。むしろ思慮深い沈黙のほうが人を動かす可能性があります。
 
 他にもーー以前書いたかなーー昨年ぐらいから、私はうちわの風と扇子の風の微妙な違いがわかるようになってきましたよ。これなんかは本当に加齢の賜物(?)だと考えています。
 言葉では説明しにくいのですが、おそらく空気を大きく動かしすぎてしまうからでしょう。うちわの風のほうが暑い。扇子の風のほうが涼しい。心理的なものがあるとは思うのですが、いろいろなうちわと扇子で何度も何度も実験してみたのでそういうものなのでしょう。扇子には香料がついているものもあり、その場合香料が運んでくる涼しさももちろんありますね。外気温だけではないのですね。
 
 ・・・という具合に、歳をとることをネガティヴにとらえずその過程で得られるものをいろいろ楽しんでいければいちばんいいと感じています。まだまだ何かが発見できそうで、うきうきしますよ。
 
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2017.05.19 08:45

 成績のお話ではありませんよ。
 昔、自分は目立ちたくないのでいわゆる平均値によりかかって生きようと考えていたときがありました。10代のころですね。勉強はやらないことに決めていた(両親との確執があり断固としてそう考えていました)のですが、そうかと言ってあまりにも低レベルだと友人の手前恥ずかしい。
 そこでだいたい真ん中に来るような努力だけはしていました。真ん中から落ちると勉強し、真ん中以上になったらすぐに勉強をやめる。
 
 唯一国語だけはすごくいい点数をとることがありましたが、普段から文芸書や哲学書などを読む趣味があったからで、勉強とはちょっと違います。それはそれで効果があるのですよ。ときどき「何もしていないのにどうして国語だけ点数がいいのか」と級友に訊かれることがありましたが、そこは数学や英語などとは違って遊びではあっても教科書の何倍も難しいものを大量に読んでいるわけですから、文章の理解がはやいのは当たり前だと考えていました。
 
 とにかくそうやって平均値に隠れるような人生を送っていくつもりだったのですが、どこからかその生き方は諦めたというかできなくなってきました。
 過去何十年間、自分はあきらかに世間の「平均値」を逸脱しています。何もかもがそんな具合で、卑近な例で言えばたとえば自分は何十年も深夜に食事をして朝は何も食べない生活を送っています。お酒も好きなだけ好きなときに(許される範囲でですよ)飲みます。運動の類は一切やったことがありません。睡眠はとりませんし(めまいが起きるぐらい)、お金は計画なく適当に使います。
 
 お金に関しては、昔から私は自分自身がどんな無駄遣いをしたところで次の段階で人々の役にたっているはずなので後悔がないのです。ですから、人生でお金の使い方だけは失敗したことがないと考えています。世の中に流した時点で、完璧に正しいことをしているように感じるからです。
 ただこういうのは「平均値」の考えではないですね。それはわかってはいるけれども、いまさら「平均値」の考え方にもどすのは難しい。
 
 平均値とは無縁の生活を送っているからこそお役にたてている部分もあるのかもしれません。何か相談されたときの自分の回答はとても平均値の答ではないのでしょうが、お礼をおっしゃってくださる方がないでもない。
 息子は「お父さんは狂人だな」と面白がっている(家内から聞きました)らしいのですが、まあ、ここまで来てしまうと引き返せないですよ。このまま自己の真実にひたすら忠実に進むしかないのでしょうね。
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2017.05.18 00:17

 よく「文武両道」というような宣伝(?)がありますね。どちらもしっかりやりましょうということですが、文武はともかくとしてこの「両道」というのはなかなか難しい要素があるように感じます。
 このブログで何度か記事にしたことがありましたが、将棋界でいままでいちばん長く名人位を保持し続けた大山康晴永世名人が、「ゴルフなんかが面白くなってしまっては将棋に悪影響が出る」とおっしゃっていたことを私はときどき思い出すことがあります。
 
 大山永世名人のこの発言に関しては、当時の若手の先生方がちょっと反発されていました。
 亡くなられた米長元名人もそのお1人で、人生はバランスが大切で対局中は部屋に閉じこもっているわけだから休みの日に健康的にゴルフに興じることはいいことなのだという意味のことを何かに書かれていました。
 ただ大山先生の発言にはじつはもっと限定された意味があり、頂点に立ち続けたいのなら・・・というニュアンスが含まれていたように記憶しています。
 
 大山先生は将棋は室内競技である。将棋以外に深くのめりこみたいのであれば麻雀とか囲碁とか将棋と共通する要素を持つものにするべきだとおっしゃっていました。
 私はこの考え方には一理あるという気持ちを持ちます。いま中学生棋士の藤井四段が破竹の快進撃を続けていらっしゃいますが、彼は将棋がすべてだとおっしゃりながらかなりの読書家であるということが憶測することができます。
 愛読する作家に沢木耕太郎先生の名前を出されていましたが、私の周囲で沢木先生が好きだという方は非常にたくさん本を読まれる方ばかりです。
 
 中学生がピンポイントでいきなりたどりつく作家ではないでしょう。何かのご縁があって少しずつ近づいていかれた。さらに藤井先生は小学校4年生ぐらいから大人の新聞を読みはじめたそうです。
 将棋以外に両道として「活字を読む」ということがあったのですね。この両道は連動してすごくうまく作用すると私には思えます。これが仮にもう1つの道がスケートボードだとかカラオケであったりしたら少しだけ違っていたでしょう。
 
 文武両道を勉強や仕事以外に単純に好きなことをしたいだけすることと解釈すると、ちょっと歯車が狂ってくることがあるかもしれません。ときどき大人でもそういう例を見ました。真に連動しているかどうかが大切ですね。
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2017.05.16 00:25

 先日書いたようにときどきめまいが起きます。放っておくのもよくないような気がしたので、耳鼻科の先生のところに相談に行きました。検査しましょうということになって、いろいろ調べていただいた。
 いまは便利な機械がありますね。「異常」とはっきり出ましたよ。しかも耳由来の異常なのか脳由来の異常なのかまでわかります。幸い耳のほうで、右耳が聴こえにくくなっている。血行障害ではないかということになりました。
 
 で、4種類の薬をとりあえず1週間飲んで様子を見ることになりました。これがけっこうな分量なのです。水剤(妙にまずい!)というやつまであって、1週間分だとそれなりの重さになりました。でもまあ、とりあえずよかったですよ。
 むりをしたりいきなり身体を激しく動かしたりしないようにとも言われました。こういうのはバランスの崩れみたいなものがあるのでしょうね。自分の場合、やっぱり睡眠がちょっと足りていないような気がします。もったいない気がして起きてしまうのがよくないな。
 
 犬が来てから犬より長生きできるだろうかということをときどき考えます。万が一、家内が先に死ぬとしますね。息子はいずれ家を出ていくでしょうから、犬と私が残されることになります。私まで死んでしまうと犬は困るでしょう。そんなばかなことをぼんやり思いめぐらすようになりました。
 息子のときは自分が死んでも息子はやっていけると感じていました。人間ですからね。しかし、犬は何が何だかわからないでしょう。そういう意味で最近生きていようかなという気持ちが少しだけ湧いてきました。
 
 長く生きるといっても寝たきりでは犬も困りますから元気に長くということになりますかね。
 犬は時間感覚が鋭い動物だそうですね。私がふだん遅く帰ったときは静かにしているのですが、少しでも早く帰ると(日曜日にそういうときがあります)閉じてある部屋のカーテンの向こうでクーンクーンと鳴きます。ちょっと顔を見せてくれという感じですね。少しだけ遊んでやると気が済んで静かになります。
 よく手脚を伸ばして仰向けになって寝ています。飼い主に死なれたらどうしようなどという心配はーーあたりまえですがーーないのでしょうね。
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2017.05.15 09:32

 大昔、こういうことがありました。私が中学に入ったときのことです。私は本格的にある活動をしたいと思いました。そういう部活もあったので入りたいと両親に話した。するとだめだというのです。どうしても入りたいと訴えたのですが、絶対にだめだと。
 理由がいかにもうんざりで、受験に関係がないからそんな活動はむだだという。大学受験(私が入ったのは私立の中高一貫校でした)に役にたたない。まだ中1になったばかりなのですよ。受験勉強に役にたたないことはお前の人生に必要ないとまで言われました。
 
 そしてある部活に入るようにも言われた。これまた私にとってはうんざりするような部で入ったもののすぐにやめてしまいました。全然面白くない。
 先輩たちはすごくいい方ばかりでした。人間関係自体は楽しめました。ただ自分にまったく興味のない分野ですからね。放課後、貴重な時間をつぶして何をやっているのだろうという気持ちになりましたよ。
 そんなことが度重なって、自分は「受験」しか頭にない両親の価値観を徹底的にきらうようになりました。あまりにも浅薄に思えたのです。
 
 嫌悪というよりは軽蔑の感情に近かったような気がします。こりゃ話にならんわという感じですね。ですから、もう何も言うことを聞かない。ただまだ正面から反抗できるほどの体力はなかったので、ウソばかりつきました。ウソばかりついて、とにかく自宅に帰る時間を遅くした。
 友人と都会の雑踏を用事もないのによくうろついたものです。彼にもまたそうしていたい事情がありました。あんな家帰りたくねーよな・・・みたいなことを愚痴りあったことを覚えています。
 
 もうそうなってしまうととにかく親には何も相談できない。相談したところで受験のことしか言わないのですから、深みも何もない。
 たまに生徒が私のところに来て「勉強する気が起きない」と訴えてきます。状況を見て「ぜんぶやめちゃえばいいじゃないか」と言うとすごくうれしそうな顔をするときがありますよ。お互いにもちろん「ぜんぶやめていい」とは考えていない。ただ「ぜんぶやめてもいい」と語りかけられる大人の感性の中には、窒息しかけている少年少女の魂をよみがえらせるだけの何かが潜んでいるのです。
 
 ぜんぶやめたって何とかなるだろうと言う。するとそれはさすがにまずいスよ・・・とにやにやしながら帰っていく。しばらくして担当の先生に様子を訊いてみると「最近、けっこう頑張っていますよ」という返事が返ってきたりする。
 大人側が深い人生観を持っていないといけないですね。背反するものを包括しているのが人生です。矛盾は当然であり、一時的にどちらにころんでも、こちらは守ってやれるよという安定感ですね。本当の大人のすごみはそのあたりに出てくるのだと思いますよ。
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2017.05.14 07:24

 入社後1年経過ということで、息子の会社で面接があったそうです。偉い方がいらっしゃって、1年間の仕事ぶりを総括してくださった。その話を聞いていて、なるほどと思ったことがありました。
 伝え方の問題ですね。本人がやる気を起こすように起こすように引っぱっていく技術というか心構えというか。こういうところは先生と生徒や親子の関係でも同じです。どんな正論であっても、本人がやる気をなくしてしまったら失敗でしょう。
 
 ひととおり面接が終わったあとで、担当の偉い方がこうおっしゃった。「すごくできる社員になりたいのであれば・・・」とわざわざ前提をつけた。ですから命令口調ではありません。熟練の話術ですね。
 いままで見ていると、できる社員に限ってなぜか早め早めに出社してくるとおっしゃったそうです。そして「もしそうなりたかったら朝早く来るといいかな」とアドヴァイスされた。
 
 息子はおれも早めに行こうかなと笑顔を見せていました。気分のいい提案だったのでしょう。確かに聞き方によってはおまえだって「できる社員」になることは夢ではないぞと言われた感じを受けるかもしれません。息子は単純にそう受け取ったような気がします。
 これを「もっと早く来なくちゃだめじゃないか」とか「来るのが遅いんだよ」とか叱責されたらどうでしょうね。命じられればもちろん早くは行くでしょうが、うきうきとした気分で行けるのかどうか。
 
 こういうのは本当に技術の問題だと思います。その技術を生み出す原動力は何といっても相手に対する思いやりですね。こう伝えたほうが相手の気持ちが高まるのではないかという想像力が必要です。伝達というのは、伝えたい内容を垂れ流すことではありません。自分の伝えたいことを相手の心にしみわたらせることこそが本当の目的でしょう。
 ご本人の気分がまったく盛り上がらないようであれば、伝達した行為によって真の伝達が阻害されるというおかしな状況も考えられます。
 
 ちっとも勉強しないだめなやつだなと言う。伝達したいことは「勉強してほしい」ですが、そのセリフでお子さんがへそを曲げてしまったのであれば、何も言わなかったほうがましだったということになりかねない。
 伝えたいことが相手の心にどう響くか。的確な想像力が働く背景にはやはり相手に対する大きな思いやりがあるはずです。人間の信頼関係はそうやって作っていくものですね。想像力を駆使して相手を鼓舞することだけを伝えていく。あの人の言葉は進んで聞こうという大人に、私たち自身がならないといけない。こちら側も細心の注意を払って提案しなければいけないと思いますよ。
 
 
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2017.05.13 00:15

 アニサキスという寄生虫が話題になっていますね。私はこういうことに興味があり、いろいろと動画を調べているうちにちょっとこわくなってきました。イカだとかサバだとかに普通に入っている。調理場でもけっこう見つかるそうです。腕のいい職人さんが見つけて除外する。ですから、多くの場合害はない。害はないと言われても、そんなにいるものなのかという気持ちにはなりますよ。
 刺身類はわりと好きでよく食べていたのですが、ちょっとしばらくやめようかなと思いました。
 
 するとけっこう昼に食べるものに迷います。どこでもお店に入るとあまり深く考えずに「刺身定食」の類を食べていたのです。見知らぬ土地では、やはり深く考えずに回転寿司に入ることがよくあります。量も調節できてちょうどいいですからね。それがだめだとなってくると・・・というわけで、昨日は会議と会議のあいだにいままで入ったことのないお店に入ってみました。天ぷらだとかうなぎだとかをメインにしているらしく、混んでいて座敷に通されました。
 
 隣のテーブルに3人組が座っています。若い2人はあきらかに肉体労働者風。服装でわかりますね。向かいにこぎれいな服装のおじいさんが座っている。若者のうちの1人は日本人ではありませんでした。よくわかりませんが、アフガニスタンなんかの映像で目撃する感じの風貌でした。
 おじいさんは会社の偉い方なのでしょう。「お国のご両親を呼んであげたらいい」と言った。「浅草とか東京タワーとか連れていってあげたら喜ぶよ」口調が本当に穏やかでやさしい感じでした。
 
 青年は日本語がまだ十分理解できていないようでした。「お金がない」というようなことを答えた。「技術を身につけて一生懸命働けば稼げるよ」とおじいさん。「けがに気をつけないといけないよ。あと悪いことは絶対にしてはいけない。儲かりそうだからという理由で悪いことをしたらお母さんが悲しむからね」
 もう1人の青年は赤ちゃんが生まれるらしく、いつだっけ? とやはり声をかけていました。うれしそうに11月ですと答えた。
 
 おじいさんは違うものを頼んでいましたが、青年たちのところにはうな丼が運ばれてきました。おじいさんは日本人の青年に「山椒をかける?」と訊いた。さらに外国人の青年には「きみはこの香辛料はかけないほうがいいかもしれない。クセがあるから」と言いました。
 日本人の青年は「おれ、じつは弁当を持ってきているんで3時のおやつのときに食うことにします」と言っていました。急に食事に誘われたのでしょう。
 
 お会計は当然のごとくおじいさんがぜんぶ払っていました。「ごちそうさまでした!」青年たちは本当にうれしそうでしたよ。とくに外国人の青年は心底感激している様子でした。あまりこういう機会がないのかもしれません。
 まあ、しかし、あのおじいさんーー70歳ぐらいだと思いますーーの悠然とした振る舞いには感心しました。昔の日本にはああいう感じの人がけっこういたように思うのですが、最近はあまり見かけないですね。内側から滲み出てくる何かーー目のまえの相手につねに全力を尽くせる美学みたいなものを持っているのですね。
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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