2017.02.27 09:40

 私が小学生のころは、ごくごくあたりまえに看板に「食堂」と掲げられているお店があったものです。いまでもよく覚えているのは中野坂上の駅前。大衆食堂と書かれたお店が2軒並んでいました。どちらのお店にもあえて「大衆」食堂とあります。
 私はこの「大衆」というのを固有名詞だと勘違いしました。そこで混乱した。例えてみればあるデパートの隣に、まったく出自の違う同じ名称のデパートが建っているような変な気持ちになりました。
 
 これは何かあるなと思って、例によって向かいの電話ボックスから看板の電話番号に電話をかけてみた。まず左側のお店。「大衆食堂ですか?」と訊いた。するとおじさんがちょっととまどったように「はい、大衆食堂です」と答えました。「わかりました」そう言って電話を切った。
 次は右側のお店。今度はおばさんが出たので「大衆食堂ですか」と質問しました。おばさんは大きな声で「えっ?」と言った。「大衆食堂ですか」などという質問は珍しかったのでしょうね。
 
 細かくは覚えていないのですが、とにかく私は大衆食堂という固有名詞の食堂が奇跡的に2つ並んでいるのだと長いあいだ解釈していました。
 いまはそうした昔ながらの「食堂」がほとんどなくなってしまいましたね。わざわざ大衆食堂の特集本が出ているぐらいです。
 そんなに昔ではなくても、1990年ごろはまだけっこう「Yしろ食堂」というのが残っていました。どういう仕組みなのか知りませんが、非常にゆるやかなチェーン店であちらこちらで見かけたものです。
 
 私自身、中野、東中野、落合で入ったことがあります。いまはどのお店もなくなってしまったみたいですね。他でも入ったような気がするのですがよく覚えていません。雰囲気は似たり寄ったりでした。そして自宅近くの荻窪には珍しく(?)「Yしろ食堂」が残っています。
 何ヶ月に1回というレベルですが、お邪魔することがあります。だいたいはボードに書かれているセットの定食を頼みます。それと単品でキャベツサラダを頼むことが多い。クセなのです。
 
 たまにお昼からお酒を飲まれている方もいる。皆さん、仕事中みたいな感じなのですが。ちょっと「やってみたい感」はあるものの、私は頼んだことがありません。飲みたいというより真似してみたくなるのです。
 女性のお客さんは少なめですが、昭和風のゆるい食堂はなかなか風情があっていいものです。
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2017.02.26 00:13

 私が小学生のころの話です。遠くに住んでいる祖母がときどき遊びに来ました。単純に遊びに来ていただけではないのかもしれませんが、とにかく自宅に何泊かしていった。よくわからないのですが、祖母にはちょっと遊び人風の趣(?)があり、非常に面白い人でした。厳密に書けば血のつながりがなかったものの、私は祖母のことが好きでした。
 5歳年下の妹と2人で祖母の相手をします。昔の思い出話ばかりで何だかよくわからなかったのですが、ぼんやり聞いていました。
 
 そのうち祖母が突然何か歌ってやると言い出した。何でそんな流れになったのかよくわからないのですが、向こうも退屈だったのでしょうね。
 自宅にあった童謡の絵本を手にとって歌いはじめたところ、これが世紀末的に調子っぱずれなのです。はじめは喉の状態でも確認しているのかと思ったのですが、どうやらそうではないらしい。「てんてんてんまりてんてまり~!」とものすごく高い声で歌う。いまもってどうしてあんな高い声で歌っていたのか謎です。ジューダス・プリースト「ペインキラー」かよ! 
 
 私も妹も唖然としましたが、これは面白いことになってきたぞとわくわくしました。そういうところは子どもは残酷ですからね。
 それからは毎日毎日妹と「歌って歌って」と祖母にせがむ。祖母はこちらが夢中になって歌を聴きたがる本当の理由がわからない。得意になって「てんてんてんまりてんてまり~!」と絶叫する。他の曲も変でしたが、やはりてんてまりの破壊力にはかなわない。こちらは祖母が歌っているあいだ、爆笑しそうになるのを必死でこらえていました。横を見ると妹も真っ赤な顔をして肩を震わせていましたよ。
 
 祖母は母に「この子たちは本当に歌が好きだねえ。こんなに歌が好きな子も珍しいよ」と真顔で告げていました。母は私たちがけしからん理由で歌わせていることに気づいていたのでしょう。おばあさんに歌わせるのはもうやめなさい・・・という意味のことを何度か言いました。
 祖母が帰ってからは、毎晩私が妹のまえで大げさに祖母の真似をして歌って見せました。祖母がいない気楽さもあって、私たちは思いきり爆笑した。
 
 祖母が亡くなってから40年近くたちます。祖母が住んでいた田舎の土地は小さな小さな空き地のままいまも残っています。数年ごとに、私は1人でふらりとその空き地を見に行きます。
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2017.02.25 00:30

 いつも書いているように自分の考えを人さまに押しつける気持ちはありません。いろいろな方がいらっしゃって、いろいろな考え方がある・・・それが健全な世の中なのだと思います。
 私は成功失敗と幸不幸とは必ずしも一致しないと考えています。つまり成功者でも幸福とは限らない。また何かに失敗した人が必ずしも不幸を感じなければならないというわけでもない。
 世間に成功=幸福みたいな思いこみがあるせいか、つまずかれた方がご自身を不幸だと決めつけてしまうことがよくあります。
 
 たとえば失業する、失恋する、不合格が出てしまう、離婚する・・・いろいろなパターンがあると思いますが、出来事とは関係なく幸福を保つことがじつは私たちには可能です。可能ですというのは、そういう方を何人も知っているのでなるほど人間には深い能力(?)があるなという感慨を持っています。
 失業されたある方は、重責から解放されて本当によく眠れるようになったとおっしゃっていました。失恋されたり離婚されたりした方は、これからはご自身「だけ」の納得のいく人生を生きられるとおっしゃっていました。不合格になられた方は・・・こちらはいつも書いている通りです。
 
 不合格をバネにしてどれだけの方が頑張ってくださったか、枚挙にいとまがないですよ。結果を受け止めるときも案外ご本人はしっかりしています。がっかりしていてもうんと先を見すえていまから熱く燃えているわけで、その状態だけを見ていると不幸とはまた完全に質の違うものであると感じます。
 ちょっとしたつまずきを決定的な「不幸」に翻訳して子どもたちにすりこんでしまう世間の思いこみがよくないですね。彼らは不幸ではないですよ。
 
 私自身試験に何度も失敗したことがありますが、周囲(両親など)の反応を除外すれば、何も不幸な要素はありませんでした。自分なりに納得していましたし、将来の希望はどこに進もうと変更する気持ちはなかったので落ちこむ必要はないと考えました。
 また人間と人間の別れーー男女間に限りませんーーについても、今後お互いに縛られない広大な可能性が広がってくるのですから、悪いことばかりではないという希望を持ちました。つねにそう考えてきました。
 
 失意というのは確かにありますね。これはどこかで1度書いているかもしれませんが、何百枚も書いた原稿を新宿の東口のある喫茶店で「これは使えません」とあっさり編集者の方から返されたことがありました。1993年のことです。そのとき、ショックのあまり熟知している新宿の地理がしばらくわからなくなりました。お店を出てからどう行けば駅に着けるのかがなぜか判断できなくなった。
 ただ私はその晩から新しい原稿を書きはじめたように記憶しています。ですから不幸というのとは違った感触だったと思います。
 
 これから先、1つ1つの出来事にどういう結果が出たにせよ、変な自己憐憫に陥らず前に進んでくださることを希望します。失意は仕方がない。ただ、あなたには間違いなく新たな希望があります。希望のある人間は不幸ではないですよ。私は不幸ではない、と声に出して呟いてみてください。
 
 
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2017.02.24 03:33

 あるバス通り沿いをときどき歩きます。バスは走っているものの、そんなに大きな通りではありません。先日は夜の6時ごろ歩きました。いつもは駅を背に左側を歩くのですが、ちょっとだけ気分を変えたくて右側を歩いていました。
 ふと見ると向かい(いつも歩く側)に不動産屋さんが見えた。明かりがついていて社員の方が談笑していらっしゃった。1人の女の人が笑顔のまま立ち上がり、瞬間的に踊るような(?)仕草を見せた。何の話題だったのでしょうね。
 
 私にはその姿が衝撃的にかわいらしく見えました。細かいところはよくわからないのですよ。40代のごく普通の「おばさん」と呼んでしまえばまあそういうことになるだろうという女性です。女優さんみたいな人というわけではありません。
 濃紺の制服を着ていらっしゃったのですが、弾けるような波動というか何かがこちらに伝わってきた。と同時に、昔よくこんな風に恋をしたものだということを思い出しました。
 
 10代のころはとくに。突然の何かがきっかけになって好きになる。その何かというのはあまりにも小さなことでした。いつもとは首のかしげ方が違ったとか、窓の外を見ながら「雨」と無声音で呟いているのがわかったとか。
 ところが、そんな理由だと相手の方に告白しても信じてもらえません。そういうことが何度もあったような気がします。いつから、どうして自分のことが好きなのか? と相手に質問されてもうまく説明できないのです。
 
 雨と呟いた瞬間の横顔で真剣に好きになったとも言えないですよ。その程度の「好き」では全然あてにならないと思われるでしょう。そうしたことは、いまならよくわかります。たとえば息子が不動産屋さんの中で一瞬踊っていた女性社員が猛烈に好きになったのでどうしたらいいかと相談してきたら、だいぶ疲れているようだからとりあえずじっくり寝てそれでも治らなければお医者さんに行きなさいと言うかもしれません。それぐらい変なことですね。
 こうしたクセは小説をたくさん読んでいるうちに身についたような気もします。
 
 先日もレイモンド・カーヴァーの「大聖堂」のことをブログに書きました。あれからちらちら読み返したりしている。それでふと不動産屋さんの女の人のことなんかが気になったのかなと思いました。
 私たちは心酔している他者の「目」を借りて世界を認識してしまうことがありますね。自分は物事の細部に強く美を感じるのですが、そのレイモンド・カーヴァーや若いころ好んだヘミングウェイの影響が大きいように思います。
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2017.02.22 00:20

 勉強についての記事を書くときに「全員がそうあるべきだ」という意味で書いているわけではありません。単純に、すごく勉強のできる人が何をしているかということを紹介しているだけです。ですからーーたとえば学生時代の私のようにーー勉強はどうでもいいと考えている方にはあまりご参考にならないかもしれません。ただその方がご自身の好きな何か(スポーツでも趣味でも何でも)をなさろうとしたときに、お役にたつ可能性があるでしょう。
 
 入試結果がいろいろ出ているというお話は先日も書きました。都立の最上位校に推薦で合格された方もいました。もちろん世の中、残念だった方のほうが多い。一般入試で頑張ってくださればいいと思います。推薦入試は倍率から考えて、やはり宝くじ的要素があります。過去もすごい実力者が落ちたりしています。
 今年の合格者の何人かはその後もずっと自習に来続けています。先日など最後まで残っていた生徒がいました。最後の最後まで勉強していてーーいよいよ閉まるのでーー名残惜しそうに帰っていった。
 
 教室がもっと開いていたら、さらに残って勉強されていたと思います。ただ夜ですからね。何かあると大変なので、こちらも22時すぎには閉めますよと声をかけざるをえません。
 合格後に毎日自習に来てくださる生徒はじつは1人だけではありません。さらに今年だけの現象でもありません。全員が、やったー! これからは毎日遊べるぞ! ではないということです。
 
 合格のためだけに勉強していたのではないのですよ。合格しても勉強しているということは、万が一残念な結果が出ていたらもっともっと勉強しているでしょう。勉強生活の途中に「合格」という出来事がぽつんと落ちていた程度ではないかと思います。
 勉強だけではないですね。大リーガーで活躍された松井選手は試合に勝ったあともどの選手より長い時間練習されていたという記事を読んだことがあります。普通なら、ほっとして遊びに行かれるところでしょう。
 
 勝つためだけに練習しているわけではないのですね。もっともっと深化した何かがあった。並の努力家程度では、そういう人間にはかなわないでしょう。
 合格後も勉強している生徒は、当然学校の定期テストが終わった日も勉強していたはずです。強制されずに楽しんでできるかどうか。要するにやりたいことをやっているだけなのです。それが勉強や仕事や練習だった。どの世界もトップはそういう感じだと思います。
 
 
 
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2017.02.20 09:57

 ときどき不安であるというご相談を受けることがあります。子どもでも大人でも。人間である限り、不安を感じられるのはごく自然なことだと思います。
 すべての不安はうんと深い部分では死につながっている気がします。たとえば受験なんかも不老不死で永遠に生きられるという前提になると、現役とか浪人とかという概念が曖昧になってくる。1浪も1000浪も見た目は変わらない。ある意味不安はかなり軽減するでしょう。
 
 乱暴な言い方をしてしまえば、不安は基本的に自分のことを考えているから出てきますね。他者のことで不安を感じるときも、じつは自分のことを心配している。恋愛相手の安否を気遣うのも、つきつめていけば相手に何かあると大波が来ていまのご自身の幸せが消失してしまうのがこわいという要素は大きいでしょう。
 お子さんに対する不安も同じです。ご本人以上に大人側がダメージを受けたりする。子どもも気づいていて(私はそうでした)ご両親に対する復讐の意味で、わざとひどい成績をとって見せたりする。
 
 不安なときにむりやり解消しようとするとますます不安になって負の連鎖に陥ることがあります。
 私自身はまずはいずれ死ぬという事実を見つめるようにしています。不安に感じている何かが起きる可能性があることも覚悟します。と同時に、いまはまだ死んでいないし不安が現実化していないということを強く感謝します。
 するとどうなりますか。死んでいない現実、不安が起きていない現実を楽しまない手はない。改めて思い切り生きようということになる。
 
 死ぬことは運命として受け入れるしかありませんが、不安はどうでしょうか。いま手を打っておけることがあれば打っておきます。それができなければどういう不安が的中してもその状態の中でーーたとえ不幸な気分になってもーー世の中のために可能な限りいいことをしようと決めてあります。
 いいことというのは他者に親切に、小さな子に微笑みかける程度のものです。しかしそれは絶対にやろうと思う。
 
 去年ぐらいですか、いろいろ不安なことがあった。その時期、私は生涯で見知らぬ他者に対していちばん親切だったと思います。
 あなたの瞬間的な望みが叶うかどうかは私にはわかりません。ただ叶っても残念であっても、私はあなたが大胆に「この瞬間世界で可能な限り役にたつ人間」であろうとしてくださったらいいと思っています。
 それ以上の勝利はあるのですか? 肩書がどうであれ、それ以上の成功があるのでしょうか?
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2017.02.19 06:40

 高校入試の結果がいろいろと判明しています。まだまだ受験は残っていますから、総括する時期でもありません。
 ただ個人的に感じることはいろいろあります。じつは現在かなり善戦してくださっています。例年より人数は少ない学年でした。それでもそれなりの成績を残しています。いずれ公立高の合否が判明した時点で、何人中何人合格という一覧を作成することになると思います。
 この学年は中2のころ、いろいろ言われていた時期がありました。
 
 あんなに落ち着かなくて大丈夫なのかと心配してくださる先生もいらっしゃった。特定の授業を脱走(?)する子が出たりして、ちょっと雰囲気が乱れがちの時期が確かにありました。そんなに多くはないのですが、抜けていく生徒もいた。
 本部から「大丈夫ですか?」と会議のときに質問されたりもしました。私は「いまは落ち着かないときもありますが、このままで大丈夫です」と答えていました。いずれは落ち着くということがわかっていましたから。
 
 もちろん何もしないで放っておいたわけではありません。あるクラスには手紙を配付して教室に来る意義を問いかけたりしました。落ち着かない生徒がいるらしいということは知っていましたが、個人の責任云々ではないのですよ。あくまでも全体で高めていってほしいという気持ちがあった。
 中2の夏休みぐらいまではわさわさした感じもあったのですが、秋以降だんだん落ち着いてきた。そういうものなのです。場の力でそうなるものなのです。何ヶ月かタイミングがずれる程度でしかない。
 
 はたして中3になるころには、何人もの先生に「あの子たちもずいぶん大人になりましたね」と言われました。代講に入られた先生から春先(に代講されたとき)とはべつのクラスのようですと絶賛されましたよ。
 自ずからそうなっていくというのがやっぱり大切なところですね。外から強い力が加わって変わるのではなく、内から開いてくるものがあった。外圧であれば見張られていないとまたゆるむでしょう。内からの変容であれば安心です。辛抱強く待てる知恵は大切だと思います。
 
 待てずに土を掘り返してしまえば花は咲かない。どうなっているのか心配しすぎてこっそり卵を割ってしまったら雛は永遠にかえりません。時機を見通す力が大切ですね。
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2017.02.18 00:20

 昔の文章のいくつかを自宅でパソコンに保存し直しています。フロッピーで保存されていたりしたものですね。40代に書いた原稿(いちおう完成品だと考えていました)が多いのですが、入力しているとやたらと直したいところが出てきます。
 本筋は変えたくならないのですが、細かい表現はあちらこちら変えたくなる。「心をこめてさようならと言った」を「心をこめてさよならと言った」に変えてみたり。「う」をとるだけで相当違ってきます。
 
 私はじつは話し方についてもいま気になっている部分を意識的に直しています。直していることは家族でさえ気づいていないと思うのですが、どうしても気になるところがあるのです。いままでどなたにも指摘されたことはありませんから、致命的な欠陥ではなさそうです。ただ致命的な欠陥ではなかったとしても、私の理想からするとちょっと問題ある部分が残っている。それをそのまま放置しておいてはいけない気がするのです。
 急激に直そうとすると調子が狂うでしょうから、時間をかけて矯正していくつもりです。
 
 そういうことがまだまだいっぱい残されている。
 歳をとるともっとのんびりしてくるものかと思っていました。ところが食べ方だとか歩き方だとか話し方だとか、要するに自分がすでに「所有した」と思っていた生活の基礎的部分が納得のいく形では所有されていなかったことに気づいてしまい、死ぬまでに少しでもましにしたい気持ちになるから不思議です。
 こういう形で人生のテーマが出てくるとは予想もしていませんでした。
 
 文章なんかはおそらく直しても直しても少したつと不満な部分が出てくるでしょうね。書いたものでさえそうであれば、話すほうを理想に近づけていくのはさらに大変かもしれません。
 そう言えば先日歯医者さんでーー調整に調整を重ねて今度こそ本当に奥歯が入りましたーー唾を飲みこむときにあるクセがあるから注意したほうがいいと言われました。私自身はまったく気づいていなかったのですが、いまのままだと歯にダメージを与える(?)可能性があると言われました。
 
 ここでもかよー! と思いましたよ。そんなことでさえやり直さないと。
 要するに一挙手一投足すべて意識しなおす必要がある。数値になる目標ではありません。たとえばこうやって教室で仕事をしている以上、数値による目標ももちろんありますね。ただ数値による目標を達成しながら数値にならない個人的な目標も達成していかなければ、本当の意味で進化していることにはならないのでしょうね。
 
 
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2017.02.17 01:40

 先日、教室に手紙が届きました。お名前を見るとはるか昔に教えた生徒と同姓同名ではないですか。その生徒のことを何から何まで覚えていたわけではありませんが、こちらを信頼してくださっていたので印象に残っていました。
 教えていたのは1982年です。まだ昭和も昭和。封筒を開けるときひょっとしたらご本人かもしれないという予感が頭をよぎりました。開ける瞬間に強くそう感じたのは何かありますね。
 
 果たしてご本人でした。当時の中3生。びっくりしましたよ。私は西武新宿線沿線の塾で週に3回教えていました。ほかの曜日はべつの塾でも教えていましたが、どちらかと言うと生活の中心はそちらでした。
 よくわかったなとびっくりしたのですが、ブログがご縁になっていた。ブログをはじめてから連絡をいただいた中では、いちばん昔の生徒だと思います。驚きはしましたが、手紙を読んでとてもうれしく思いました。彼女は翌1983年に都立高校を受けています。国語は満点(!)だったそうです。
 
 おかげさまでみたいなことが書かれていましたが、私が教えれば「全員」合格点がとれるわけではありません。やはりそこは彼女の天分と努力ですね。
 正確には覚えていないのですが、はじめはいくら何でも満点がとれるほどの学力ではなかったと思います。そんなにできれば、そもそも塾にいらっしゃらないでしょう。何でもとても丁寧にこなす生徒でしたから、入塾後の伸びは非常に大きかったと思います。いつも書いていますが作業が乱暴ではだめなのですよ。丁寧さだけが魂まで届くのです。
 
 お返事を書きました。まあ、どこかで1度はお目にかかって話してみたいですが、当時私は20代でしたからね。よろよろよろと60代の自分が出ていくとあちらはショックを受けられるのではないかと心配です。
 お仕事は中断し、いまは大学院で文学を勉強なさっていると書かれていました。そういう趣は当時からありましたよ。文学的な話をじーっと聞いている感じ。じーっと・・・というところに知的好奇心の大きさを感じたものです。本質は変わらないですね。
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2017.02.15 07:52

 日記というものを過去何度か書いています。いまも何となく書いてはいますが、事実の羅列のみでそんなに深いことは書きません。あとで見て、こんなことがあったなと思い出せるように書いているだけですね。
 小学生のとき「心の日記を書こう」と提唱されていた国語の先生がいらっしゃって、確かにそういうのもありだとは思うのですが、心の揺れそのものが少なくなった現在、感情表現はむしろ慎みたいという気分になるのです。
 
 たとえば1980年代中盤ごろの日記を読み返してみるとじつにいろいろなことを忘れていることに気づきます。昔の知人が、いまはもう住んでいない場所があります。由緒あるおうちだったのにどうなったのだろうと常々不思議に思っていました。引っ越す事情でもあったのだろうか。
 30年前の日記を読んでいたら、偶然理由が書いてありました。けっこうショッキングな内容だったのですが、私はそのことを完全に忘れていました。
 
 前も書いたように、少年期のことはけっこう覚えているのです。代々木公園に女の子といたときに遠くのラジカセ(当時は音楽を聴くためにラジカセを持って外出している若者がたくさんいました)からチェイスの「黒い炎」が流れていたなどということは覚えている。バス停で憧れていた女の子に最後に会った朝、自宅のFEN放送で聴いた曲はトム・ジョーンズの「愛の誓い」だったということは覚えている。
 ところが30代に入ってからの記憶はあれ? こんなことがあったか、ということばかりです。
 
 当時も事実ばかり書いていましたからお店の名前がしばしば出てくるわけです。ほとんど記憶にない。だいたいは同僚と飲みに行っているのですが、どなたとどんなお店に入ったのかよく覚えていない。飲酒していることが1つの原因ではあるのでしょうね。しかし、それにしても忘れている。
 ひょっとすると忘れたいという潜在意識があるのかもしれません。当時は非常に自由な生活だったので、思い出してうらやましさみたいなものが出てきてしまうことを恐れているのかもしれないですね。
 
 鈍感さというのは生きていくうえで大切な要素で、少年期みたいにむき出しの感受性では大人の社会を乗り切っていけないのは事実でしょう。そこで鈍感になる。鈍感になって、まあいいじゃないかと図太く生きる。
 それでもここ数年のことは、逆にけっこう覚えています。先が見えてきて一期一会みたいな感覚が強くなってきたからなのかとも考えたのですが、やはり日々ブログを書かせていただいていることが大きな理由だと思います。こちらはぜんぶ「心の日記」みたいなものですからね。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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